話が違う。
焦りを顔に浮かべた
以前から手を染めている銀行強盗よりも、遥かに楽な仕事―――十学区の薄暗い街角にある、女が仕切る店から、武器を奪うこと。ただし、条件として、周囲のスキルアウト達への宣伝のために、チーム名の入ったダサさ極まりないマスクを着ける。それだけだ。前髪を気障ったらしく固めた男の言い方には、端々に冷たい愉悦が感じられた。
ふざけるな。俺は、お前らドラッグ中毒のピエロ上がりとは違う。喉仏の辺りまでこみ上げた言葉を、唾をつけて吹っ掛けてやりたかった。その気になれば、奴の髪をチリチリに焼き上げて、情けない二酸化硫黄の臭いを突きつけてやれた。
そう、奴の言う通り、これは楽な仕事の筈だ。
ここには、機械仕掛けの警備システムも、ましてや時代遅れの防犯カメラさえ見当たらなかった。
しかし、丘原は今、尻餅をついて、マスクを血と涎で汚しながら、真夏の日差しで焼けつくような路面を後ずさりしている。
目の前には、細いストックバーを弁慶のように振り回す、力士のような体格をした女店主が仁王立ちしていた。
「ウチの店を荒らそうって?」
怒鳴っている訳でもないのに、空気ごと肺へと圧し掛かるような声だ。
「落とし前はつけてもらうよ?ガキども」
爛れるような顎の痛みに泣きそうになりながら、丘原はフガフガと言葉にならない声を出した。
相手は4人。
ケイは、「帽子屋」に突然現れた、帝国の手先と思われる男たちを警戒した。
先頭に立つ、黒髪を立てた男は、右の掌に松明のような炎を生み出している。
最初から得物を明かしているのが3人。そして残る1人は、風体から言って、鈍そうだ。
対してこちらには、修羅場を幾つも潜り抜けて来たチヨコおばさんに、スキルアウトのボスの駒場。
金田と浜面のことは詳しくは知らないが、駒場の信頼をそれなりに得ている所からして、全くの素人ではなさそうだ。
人数からいっても、自分たちの側は有利に思えた。
しかし、駒場は先程、帝国が得体の知れない能力者の集まりだと言った。
人数の差があるにも関わらず、余裕綽綽の笑みを目に浮かべる男たちは、こちらの油断を誘っているのか。或いは、別の手があるのか。
油断してはならない。ゲリラとして経験を積んできたケイの勘が、そう言っていた。
「……へえ」
発火能力者の男が、自分たちを見回してから、せせら笑うように言った。
「思ったよか繁盛してんな。陰気臭ェ店なのにさ」
ダメだ。こいつら。
ここの店主を前にして、そんな事を言ったら……。
自分の横に立つチヨコの、厳めしい顔をちらと見やって、ケイは内心嘆息した。
チヨコの「帽子屋」は、十学区のスキルアウト、裏世界の住人達にとっての、絶対的中立地帯。
この連中は、暗黙のルールを知らない、余所者だ。
「言ってくれるじゃないか」
チヨコが前に進み出て言った。2、3歩だけ踏み出したのだが、威圧感を感じさせるのは、歩幅の大きさだけのせいではないだろう。
「お、あんたが、店の人……?」
男の言葉は、どこか上擦ったように聞こえた。
発火能力者の男は、平均的な成人男性くらいの背丈があったが、何しろ、チヨコはそれよりも更に頭1つ分を余裕で超えるのだ。男も流石に気圧されたようだ。
「随分な礼儀してるようだが、何が欲しくて来たんだい」
チヨコが男を見下ろして言うと、男は圧を払うかのように首を2,3回振った。
「へっ!知ってんだぜ!帽子屋なんてのは、表向きの話だってな!あんだろ?その、いろんな武器がさあ」
「あんた、道に迷ったんかい?」
面倒だという風にチヨコがため息をついて言った。
「お間違えじゃないかと思うけどね……」
「とぼけんなよ!」
男が語気を強め、片手の炎をより高く掲げた。
炎は勢いを増したように見えた。チヨコの顔が煌々と照らされた。その表情は変わらない。
「言う事聞かないとさあ、分かんでしょ?……保険はかけてあんだろうなァ?」
「ケイ」
チヨコの呼びかけに、ケイは顔を向けた。
「大事なのは、初期消火さ。アンタの後ろの壁際に置いてあるから、取ってきてくれ」
金田と浜面は、ぽかんとしていたが、普段から店の手伝いをしているケイにはピンときた。
ケイは、商品棚の間にポツンと置かれている物を取って来る。
「ハイ」
ケイは両手で抱えていたものをチヨコに渡した。チヨコは片手でそれを軽く受け取る。
それは、消火器だった。
「プッ」
黒髪の男が吹き出したのを合図にするかのように、帝国の侵入者は、3人ともゲラゲラと笑い出した。
「オバサンよォ!舐めてんのか?こっちはな、LEVEL3なんだよ!分かるゥ?」
右手の炎を、これ見よがしに掲げて、男が笑いながら言った。
「忠告する」
横から駒場が、機械的な声で言った。
「そのマッチを消せ。大人しくすれば、痛い目に遭わずに済む」
「ッせーな!!わかんねーのか!!レベル3だぞ!?強・能・力・者!!」
駒場に向かって唾を飛ばしながら、男が怒鳴った。
「しょうがないねぇ」
チヨコが消火器に目線を落として言った。
「お、オバサン、話分かった?
それとも、その栓、抜いてみるかい?」
男が両手を広げて言った。
「まあ、その前に、あっという間にこの店、黒焦げになっちまうけどな!」
「いや……」
今度は浜面がボソッと言った。
「なんていうか、無理だと思うぞ。俺には分かる……」
「抜きゃあしないよ」
消火器の胴を、指でコツコツと叩いて、チヨコが言った。
そして、鋭く視線を上げた。
「勿体ないじゃあないか」
「何だと?」
侵入者たちが怪訝そうにした次の瞬間、チヨコは片足を踏み出すと同時に、消火器の底の部分で、思い切り発火能力者の顎を殴り飛ばした。
男があっという間に店外へ放り出されたのを見て、残りの2人が驚愕を顔に浮かべた。
「店を荒らされては迷惑だ。まずは、外へ追い出す」
駒場が、まるでこれから害虫駆除にでもあたるかのように、業務的な口調で言った。
「うへェ、おっかねェ」
口笛をひゅうと鳴らし、金田が言った。
そうだ。
おっかないし、強くて、かっこいいんだ。チヨコおばさんは。
ケイの顔には、自然と笑みがこぼれた。
「丘原!テメェ―――」
残った3人の内、肥満体の男が、怒りを露わにした。
そして、店内を見回し―――ケイに突進して掴みかかってきた。
おばさんや駒場を明らかに避けている。自分になら、勝てると思ったのだろうか。
「……ムカつく」
ケイは一言呟くと、身を屈めた。
それから、大きな相手の懐に入るように、素早く駆け出すと、右手を握って左の掌に当てた。そして、片腕の肘を押し出すように突き出して、肥満体の男の腹にめり込ませた。
ぐおっ、と嘔吐するような声を出して、男は腹を抑えてよろめいた。
その隙を逃さず、ケイは身を半回転させて、勢いをつけて、下を向く顔面目掛けて蹴りを放った。
男の顔が天を仰いだところで、今度は金田が、ジャンプからの踵落としを食らわせた。
男の肥満体は、近くの商品棚を巻き込んで倒れ、動かなくなった。
「おネーちゃん、つえェじゃねェか!!」
「どうも」
金田の称賛に、ケイは見向きもせず適当に返事をした。
ケイのすぐ横では、金髪の男が振り下ろしたバットを、駒場が肩で難なく受け止めている。
確か、彼は服の下に色々と仕込んでいる筈だ。闇雲に殴りかかった所で、その辺の不良ではまず勝てない。駒場はひょいとバットを奪うと、呆けている金髪の男に一撃食らわせ、続けざまに蹴り飛ばした。相手はくぐもった声を上げて、これまた店外へと追い出された。
「ヤロォ!」
今度は、目つきの悪い男が、両手で握り締めた包丁を突き出した。
2本とは言え、それはケイにとって、腰が引けた構えのように見えた。しかし、刃先が不自然にこちらに延びてくるのを見て、ケイは咄嗟に頭を逸らした。それでも、刃先は予想外に曲がり、曲刀の様にしなってこちらの首筋を捉えた。20世紀のハリウッド映画で、似たような物を見たことがある。液体金属を自在に操るサイボーグの話だったか。
「動くんじゃねえぞ!」
喚くように男が言った。既に人数の利はこちらに大きく傾いている。ケイはひとまず、男の言うことを聞いてやることにした。
「俺は、自分が触れている金属を、自由に変形させられるんだ!切れ味良いぜェ!この女の血しぶき浴びたくなけりゃ、全員大人しくしろ!!」
「だからなんで、能力を自慢したがるんだよ……」
浜面が呆れたようにケイの横に立ったかと思うと、素早く手に持った何かを、伸びた刃に向かって振り下ろした。線香花火のような火花を散らしたかと思うと、伸びた包丁の刃は大した音も立てず、いとも簡単に折れた。
「金属ってさ、延びると脆くなるのは基本なんだから、特に刃物のステンレスなんかは……なあ、大丈夫?」
「ご心配どうも!」
自由になったケイは、浜面の気遣いに軽く礼を言いながら、男の鳩尾を蹴り飛ばし、店外へと追いやった。
「……大丈夫みたいだね」
驚いた顔をして、浜面が呟き、手に持った小道具を仕舞い込んだ。
それからケイたちは、店のすぐ外で炎が勢いよく上がったのを見て飛び出した。
「おばさん!」
「心配無用だよ、ケイ」
険しい顔をしながらも、チヨコの口調は柔らかかった。
「逃げる間を稼ぐ、ただの虚仮脅しさ」
道の真ん中を塞ぐように燃え盛っていた炎の壁は、特に周りに燃え移ることもなく、間もなく消えた。
発火能力者達の姿は消えていて、代わりに、車が急発進したことを示すタイヤ痕が、路面に残っていた。
「チッ、逃がすかよ!」
「金田。追いかけるのもいいが」
逸る金田を、駒場が制した。
「ここに一人、残ってくれた奴がいる。話を聞いてみようじゃないか」
駒場が指さした先では、浜面が肥満体の男を後ろ手に縛っていた。彼は目を覚ましたようで、汗をだらだらとかき、顎を床に押し付けられながら、忙しなく瞬きしている。
「へえ、タフじゃん。けっこう思い切り食らわせてやったんだけどよ」
金田が興味深そうに、男の顎を、ブーツの爪先で小突いた。
「ねえ、みんな集まってきちゃったよ」
ケイは、この辺りの住人達がぞろぞろと姿を現していることに気付いた。
見た目は厳つい者が多いが、チヨコやケイにとっては、顔馴染みの面々だ。
「チヨコさん、大丈夫かい!火の手が上がったから、肝を冷やしたが……」
「途中から見てたけどよ、ケイちゃん、かっこいいなあ!その辺の男じゃあ、敵わねえや!」
「『帽子屋』に殴りこむってのは、どこの素人だ!?」
「心配かけて悪かったね、みんな」
チヨコが、縛られている男をくいと親指で示しながら言った。
「ちょっと、元気のある若造が、騒いじまってね。なに、若気の至りってヤツさ……こっちでよく
「せ、説教って―――」
苦し気に声を出す男の周りに、駒場も、金田も、ケイも集まった。
「テメエらには、よーく聞きたいことがあんだよ」
金田がニヤつきながら言った。
「私もね」
不安げな男の表情を見下ろしながら、ケイは言った。
「わざわざ来てくれたんだしね……まあ、おもてなしはするよ?」
今すぐ逃げ出したそうな男の顔を眺めて、ケイはざまあみろと思った。