―――常盤台中学校、学生寮
「『帝国?』聞いたことないわね」
歯磨きを終えてパジャマ姿の美琴は、テーブルでぐったり顔を伏している黒子に言った。
「というか、
「そうですわね……」
課外時間の特別招集を終えた黒子が、学生寮に戻ってこれたのは、夜の8時も回ったころで、黒子の体にはどっと疲れが圧し掛かっていた。
「事故処理の後、支部に戻ってスキルアウト絡みのデータベースを検索してみましたが……めぼしいヒットはありませんでしたわ。結成して間もないチームでしょうかね?」
「ていうかさ、まず名前がダサいよね」
美琴が湯沸かし機のスイッチを入れた。
「なんなの?帝国だなんて―――いかにもちょっとつけあがった三流、四流の不良共が付けそうなネーミングじゃん?で、そういうお調子者は、後々もっと強力な相手にボコボコにされるって、お決まりの展開になるような気がするけど。
「聞きましたわ」
黒子は両手をぐぐっと伸ばした。
「先生方は、最近名前を耳にしたことがある程度のようでしたの。というか、忙しそうであまりまともに答えてくれませんでしたけど……」
「それよりもさ、黒子。私が心配してんのは、その、アーミーの男に誘われたって件よ!」
急速に沸騰したお湯を、カップに注ぎながら、不満そうに美琴が言った。
「出会って即会いたいだなんて―――絶対悪いナンパじゃない!無視よ!無・視!
全く、アーミーの規律もあったもんじゃないわね……」
「場所と時間にも寄りますけれど」
黒子は、テーブルの上のメモにかかれた電話番号を見つめた。
「……ただ、私もちょっと気になることがありますの」
「もしも、行くってんなら」
コト。と、白井の目の前に、カップが置かれた。
甘いココアの香りが漂い、黒子は頭を上げた。
「私も付いて行くわ。あんたが強いのは十分承知だけど、一人より二人の方が、安心でしょ?」
「……お姉さまには、遠く及びませんわ」
優しい美琴の顔を見て、黒子ははにかみ、美琴の淹れたココアのカップを手にした。疲れた自分の顔が、表面で波打っている。
じんわりと、両手の平に温かさが広がっていく。
7月13日(木)夜―――第八学区、商店街
「おお、ほんとに急に来てくれて、すまないね!」
「いえ……大の大人が、わざわざ女子学生を呼び出して話そうとは、どういう御用で?」
明るく声をかけてくる竜に対して、黒子は警戒の色を露わにしながら聞いた。
学生街とは異なり、より年齢層の高い人々が行き交う商店街。その一角で、竜と島崎が待っていた。二人とも、昨晩出会った時の軍服姿ではなく、私服姿だった。
「まあまあ、立ち話もなんだから……どうだい、お腹はすいてる?」
「まあ……」
「安心してくれよ、奢るさ。それに、ここらは教職員も多い街でね。そんなところで、若いお二人に悪さしようなんて企む奴は、よっぽどのバカだ」
「そっちの子が、友達かい?」
竜より一回り小柄な男、島崎が、黒子の斜め後ろに立つ美琴を見て言った。
竜に比べ、こちらは眼光が鋭く、やや愛想の悪い印象を与えた。
「初めまして、……黒子の友達です、御坂って言います」
初対面の大人に対して、少しつっかえながら、美琴がぺこりと頭を下げた。
「いいとも、白井さん。友達連れてくるって言ってたもんね。ウン、飯は、多い人数で食べる方が、より旨い……
ところで、二人とも、急がせてしまったかい?」
「どうして?」
黒子が尋ねると、竜は少し申し訳なさそうな顔をした。
「二人とも、制服姿じゃないか。着替える暇もなかったってんなら……」
「それはお気になさらず。校則ですので」
「そうか、考えてみりゃ常盤台だもんなぁ!厳しいねえ」
黒子は、竜の言葉に違和感を覚えて、美琴の顔を振り返った。美琴も、黒子と同感だったようで、怪訝な顔をしていた。
「まあ、服に匂いがついたらごめんよ―――タクシー代弾むから、許してくれな?」
黒子と美琴の表情の変化に気付いていないのか、気前の良いことを言いながら、竜が正面にある建物の入り口へ案内する。
昔ながらの「めし」とかかれた白い暖簾をくぐり、引き戸に竜が手をかけた。
戸を開けた瞬間、がやがやとした喋り声の渦と、食器同士が奏でる音の波が、喧騒の海となって耳を満たした。肉や魚の脂が沸き立たせる匂い、醤油や味噌の醸し出す匂い、それらが溶けあって、どこか懐かしい夕餉の香りとなって鼻腔をくすぐる。
黒子も、美琴も、思わず顔が綻んだ。
「いらっしゃい!竜さん!島崎さん!」
声が飛び交う中、一際明るく元気な声で出迎えたのは、黒子や美琴よりもやや年上だろうか、エプロンを身に纏った高校生ぐらいの女の子だ。はっきりとした目鼻立ちが、どこか凛としたモデルのような雰囲気を漂わせている。
「どうも―――4人なんだけど、入れる?」
「ちょうどいっぱいになるとこですよ。運がいいね―――あら、後ろのお二人は?」
「昨日知り合ったばかりだがね」
竜が振り返って黒子の顔を見たので、黒子は慌てて表情を引き締めた。竜の言う通り、昨日の今日で誘いに乗っているのだ。油断を悟られたくはなかった。
「見ての通り、お嬢様方だ―――VIP待遇で頼むよ」
「お
「誤解しないでくれ。俺は少なくとも健全だ。こいつが酔っ払って何かしようもんなら、俺が引っ叩いて、頭を冷凍庫に突っ込んでやる」
島崎が言うと、「ご心配なく」と竜が笑う。
「ごめんね、竜に付き合わせちゃって」
4人掛けの広い席に案内される途中、警戒している表情を察したのか、少女が黒子に声をかけてきた。黒子は手を振った。
「いえ、お気になさらず!」
「あの人、軽いとこがあるから―――何か変なことされそうになったら、大声上げてね。この店には警備員も多いし、何より、うちのおばさんが黙ってないから」
少女の言葉を聞いて、黒子と美琴が厨房に目を向けると、小山のような隆々とした背中が見えた。女性だろうか、不釣り合いな割烹着を身に纏い、腕を振るっている。
その後ろ姿だけでも、かなりの屈強な人物だと分かった。
「……ありがとうございます」
「ども!」
黒子が礼を言うと、少女はにこっと笑顔を浮かべた。
礼を述べつつ、黒子は「そんな必要はないけれど」と心の中で呟いた。
もしもお姉さまに手出しするような輩なら―――その場ですぐに磔にしてやる。
「なんにする?」
座るや否や、品書きを示して竜が聞く。美琴と黒子が顔を見合わせる。
美琴は少し戸惑ってから、顔を上げた。
「ええっと―――私達、初めてなんで、おススメを教えてもらえます?」
「お?そうか、ならサンマだ!ここの焼き魚は一味違うぞ!今の時期は人工だが―――味は、天然に負けちゃいない!
おおーい、ケイちゃん!!」
ハアイ、と返事をしてやってきた先ほどの少女に、竜が4人分の注文を伝えた。竜はついでに酒を注文しようとしていたが、隣の島崎から止められていた。
少女は承り、水と漬物の小皿を置いていった。
「改めて……俺は竜。こっちのお堅い面した方が、島崎ってんだ。どっちもしがない、一兵卒さ」
竜の雑な紹介に、島崎は頭を僅かに下げる。竜に比べると、どうも厳しい表情が抜けない様子だった。
相手の名乗りを受けて、黒子と美琴も自己紹介をした。
「それにしても、ここは大人が多いのね」
美琴が周りで飲み食いする客を見渡して言った。
「学生街で普段生活してる分、こんなに大人が集まる食堂に来たのは、いつぶりかってぐらいです」
「元々ここらは、教職員が多い学区だからな。中でも、君らの第七学区にも近い位置にあるし、仕事帰りの先生にとって、人気の商店街なのさ」
竜の言葉を聞いて、黒子は改めて周りを見渡す。確かに、客の姿を見ると、スーツ姿よりも、教員特有のジャージ姿が目立つ。それに混じって、作業着姿の人物もいる。
「貴方方のような、アーミーのみなさんも、この学区にお住まいでいらっしゃって?」
「まあ、そんなとこだ。それで、ここは行きつけって訳」
「……工事関係の人も多いですわね?」
「それはな―――来年の―――ほら、大なんとか祭」
「大覇星祭」
黒子が指摘すると、竜は箸先に摘んだ一夜漬けを揺らした。
「そう!それ!」
竜が箸を揺らすのを見て、黒子はあからさまに顔を顰めた。
「オリンピックのエキシビションに、学園都市の能力パフォーマンスを入れるってんだろ?それで、新しい競技場が二〇区の方に建設中ってことで、今ここは、外からの出稼ぎも多い。朝、ここから建設現場へ出て働く連中が、夜にはここで飲んで、食って、遊んで、金を落とす。そういう、今まさにホットな街なんだよ、ここは!分かったかい、お嬢さん?」
「どうして、私達が常盤台だと分かりましたの?」
黒子が、店の入り口で会話した時に感じた疑問を、竜にぶつける。
「制服で分かるさ」
「随分と、お詳しいのですね?」
「俺と島崎は、この夏に外から異動してきたんだがね?常盤台と言えば、学園都市の顔みたいなモンじゃあないか!色んなとこでよく写ってるから、有名だよ?」
「そうですわね―――今季のCMにも、使われましたものね。お姉さま?前に、CMの被写体の依頼、来ましたものね?」
「へっ?そうだったっけ……」
美琴は、急に黒子から振られた話題に、すぐに反応できないようだった。美琴の小皿からは、漬物が既になくなっている。
黒子は美琴に目配せした。美琴は、調子よく笑う竜の顔を一瞥すると、黒子に顔を寄せて、小声で話した。
「あれ、そう言えば……今年のCMって……」
「そうそう!見た見た!器量のいい子が揃ってるもんだねー学園都市は!」
「竜!下品だぞ……」
竜は二人の様子に気付かず、島崎に注意されている。
そうこうしている内に、黒子たちの目の前には、芳しい香りを放つ、脂ののったサンマが、味噌汁、ご飯と共に運ばれてきた。
なるほど、確かに美味しい。控えめに醤油を垂らした大根おろしを添えて、一口目を口に運んだ黒子の腹が鳴った。柔らかい肉から滲み出た脂が、舌の上で醤油と大根の酸味と混ざり、口の中にマーブリングされていく。学園都市に来る前に、実家で毎年決まった時期に食べた、あの味だ。
「すまんな、お嬢さんたち、普段はもっといいモン食ってんだろうから、落ち着かねえだろうが―――遠慮なくつついてくれ!ここのおばさんの作る飯は、どれも旨いんだからな!なあ、チヨコさん!!」
島崎が声をかけると、カウンターの奥で、割烹着の女将さんが、包丁を握ったままの片手を挙げた。
「いえ、そんなこと―――美味しいです、とても」
黒子も美琴も、緊張がやや緩み、懐かしい味に舌鼓を打った。
「で、聞きたい事とは?」
食事が進む中、黒子が本題に切り込んだ。
「ああ。君が昨日言っていた、その、軍が捕まえたっていう能力者の件だがね」
竜の言葉の調子が、一段低くなった。
「知っていることを、教えてほしい」
「それはどうしてですの?と言いますか……貴方方がアーミーなら、寧ろそちらの方がお詳しいのでは?」
「末端までは、情報が降りてこないんだよ」
至極もっともそうな理由を、竜が述べた。
「いや、ていうのはさ、俺には年の離れた妹がいるんだが……学園都市の学生でね。常盤台じゃないんだが……それなりに能力開発も上手くいってたって聞いてるんだが、最近連絡が取れなくてね―――何か、悪いことがあったんじゃないかって心配なんだ。それで、今回のタイミングよく異動してこれたから、元気にしてるのか、確かめられたら嬉しいんだ」
黒子は、箸を置いて訳を話す竜の顔をじっと見た。
少なくとも、嘘はついているようではないように思えた。
「竜さん。常盤台じゃあないなら、分かんないかもしれないですけど……学校とお名前を聞かせてくれてもいいですか?」
「学校は……二之腕高校。随分変わった名前だよな。
で、名前だが、俺の苗字は釧路っていうんだが」
美琴の質問に、竜が答える。
「名前が更に珍しくてね―――『いこ』っていうんだ」
「いこ?」
「
黒子は、美琴と顔を見合わせた。美琴は首を振った。
「……風紀委員を務めていますから、他の人よりは、この街の情報が多く入ってきます。
もしも、何か耳にすることがあれば、連絡差し上げますわ」
「ありがとう。そうしてくれると、嬉しいよ。アーミーと揉めたんじゃあなきゃいいんだが……」
黒子の申し出に、竜は小さく笑みを浮かべた。
「……君はどんなことを聞いている?」
あまり目の前の食べ物に手をつけていない島崎が、静かに聞いてきた。
「その、アーミーが拘束したという能力者については……」
「私は、その現場を直接みてはいませんわ」
黒子が答える。
「ただ、誰が連れていかれたかは検討がつきます……残念ながら、竜さんのお探しになっている妹さんではありません。スキルアウトの少年ですわ」
黒子の言葉に、竜が頷いて、「構わない。続けてくれ」と言った。
「先週の月曜日の夜。第七学区の外れにあるコンテナ場で、バイカーズ同士の小競り合いがありましたの。そこから、軍の車両に運ばれていった少年……素性は知れませんが、何らかの能力を行使したと疑われていますの。ここまで、お二人はご存じで?」
竜と島崎は顔を見合わせて、首を振った。
「……すまない。初耳だ」
「『帝国』という、最近活動し出始めた、新しいスキルアウトの一団については?」
「昨日の事故を起こした奴らだな?」
黒子の続く問いに、今度は島崎が答えた。
「一方的に、派手に相手を打ちのめしたらしいが、警備員以上に掴んでいる情報は、まだ無いと思う」
「後者はともかく……先に話したことは、事実であれば問題がありますわ」
黒子はやや厳しい声色で言った。
「警備員との共同警備権について発効したのは昨日ですから……先週のその時点では、特別警報の発令なしには、アーミーに学園都市の住民を拘束する権利は無かった筈ですわ。ですから、警備員の先生方も、風紀委員としての私も、どういういきさつなのか、詳細をお聞かせ願いたいものですわ」
「確かに、君の言う通りだ」
竜は、真剣な顔をして聞いた。
「上官に、このことを話してみようか?……いや、相手にされないだろうな」
「警備員からも既に何度も問い合わせているようですが……協定はさて置き、警備員とアーミーは、仲が良い訳では決してありませんからね」
「すまないね、あまり力になれなくて」
竜が黒子に言った。
「もし何か分かれば……妹のことと引き換えって訳じゃあないが、こちらからも、君に教えよう」
「感謝申し上げますわ」
少しの間、沈黙が流れた。
すると不意に、ドンッとウォーターボトルがテーブルに置かれ、4人の目がそちらに向いた。
「ずいぶん話し込んでるみたいだけど……冷めたらもったいないですよ!お冷のお替りは?」
ケイと呼ばれた少女の明るい声で、4人の食事が進み出した。
「あの二人は、アーミーじゃありません」
竜に渡されたお金で乗った帰りのタクシーの車中、黒子が発した言葉に、美琴がはっとした。
「……やっぱりそう思う?」
「学園都市内に駐留するアーミーの夜間外出には、厳格な規則があった筈。基本的に、皆基地内の宿舎に滞在し、寝食はそちらでなさっている筈ですわ」
「アーミーの基地って、確か……防音壁のある、第二学区!」
黒子は頷いた。美琴も思い当たる節があったようで、言葉を続ける。
「それに、常盤台中学が外部へのCMに採用されたのは、去年……今年は、枝垂桜学園!彼が言ったことは、間違っているわね」
「あの殿方……美味に舌鼓を打つ時、確かにお互いの気は許せますが、自らの気も緩んでしまったようですわね」
「じゃあ、あの人たちって―――アーミーに化けてるってこと?」
「昨晩、事故現場で話した時から、どうも違和感がありましたの」
黒子は顎に手を当てた。
「反権力的思考が垣間見えたというか……となると、恐らくあの二人は―――」
「……ゲリラ」
夜の街の対向車の明かりが、一瞬、深刻そうな顔をした美琴の顔を照らし出した。
「黒子。警備員に相談した方が……」
「ええ。はっきりとした証拠はまだありませんが……何か企んでいるのは間違いないですわね」
黒子は、心配する美琴に答える。
「『帝国』という集団。アーミーの動き。そしてゲリラ……お姉さま。黒子は、何か大きな事件が、この先起きる予感がしますの」
心配する美琴の横で、黒子は思考を深める。
(そして、昨日の竜という男の言葉……老人のような見た目と聞いてきた。妹のことを心配しているのだとしたらおかしい……一体誰を探しているのかしら?)
黒子と美琴を乗せたタクシーは、夜の街を学生寮へと向かって駆けていった。