―――7月11日 午後
「―――で、何で俺らしょっぴかれてる訳?」
「そーだよ、俺ら最近ずうっといい子にしてたぜェ?学校にもちゃあんと行ってたしよォ」
「絶滅危惧種のゴリラにちょっかい出したのがまずかったんかな?」
「いっぺんに喋るな!やかましい!」
金田、山形、甲斐の3人は、
バンの座席の足元や後部には、工具やら授業で用いる計測器具、金属音を鳴らす何かが入っている重厚な工具箱らしき物などが、所狭しと乱雑に載せられており、加えて、コロンのような、わざとらしい甘ったるい香りが立ち込めていて、3人はとても狭苦しい思いをしていた。
「今、俺は
「うぜェ言い方するぜ……」
「山形!なんか言ったか?」
「それよりよ、こんなむさッ苦しい箱に閉じ込められてんだ俺らはよォ」
金田が不貞腐れた態度を隠さずに言った。
「それ相応のお釣りのくる話なんだろうなァ」
「ああ」
高場は短く返事をした。
ちょうど、バンが赤信号で止まった所だった。
「お前達―――島鉄雄には、最近会ったか?」
「何ィ?」
金田達は、一様に表情を険しくした。
「おい、鉄雄のことでなンかあったのか?」
「会ったかどうか聞いているんだ!」
高場は重ねて金田達に聞いた。
「いや……あの月曜の夜以来だ、会ってもいねえし、ケータイにかけたって、ウンともスンとも返してこねェよ」
金田が、窓越しに、隣で同じように信号待ちをしているスモークガラスの車を眺めながら言った。
「そうか」
高場がまた短く言った。金田達からは、高場の表情は伺えない。
「おいィ何だよ?聞くだけ聞いといてさァ」
甲斐が文句を言った。
やがて信号が青に変わると、バンは走り出した。
「島の休校願いが、昨日メールで学校に届いた」
「はあ!?」
高場の言葉に、3人は驚いた。
「病気療養のため、暫く学園都市外に滞在するという理由になっていた。差出人は、島の母親だ」
「ちょっと待てよ」
金田が口を挟んだ。
「鉄雄の母ちゃんってのは、その……」
「ああ、お前達の方がよく知っているだろうな」
高場の口調は真剣だった。
「はっきり言って、島の母親と連絡をとれたことは、これまで一度も無かった。
保護司にも聞いてみたが、全く寝耳に水だったそうだ。じゃあ島の母親が本当に出したのか、という話になるが、今の時点で確認はとれていない。何せ、どこに住んでいるのか、電話番号すらこちらには伝えられていないんだ」
「待てよ、その休校のなんたらって奴には、確か連絡先の入力が要るだろ?」
甲斐の疑問に、高場は小さく首を振った。
「その通りなんだがな、甲斐。書いてあったのは、使われていない電話番号と、本国東京の貸しオフィスの住所だ……これをどう思う?」
「どう思うって……」
山形が顔を顰めている間に、金田が口を開いた。
「鉄雄が居なくなったのは、誰かが一枚噛んでやがる。そいつァ……」
「「「アーミー」」」
その場の全員の声がシンクロした。
「俺もそう踏んでいる。だから、この届けをまともに受理しちゃあいけないんだが―――」
「なんだよ、額面通りに、バカ正直に受け取ったってのか!?」
歯切れの悪い高場に、金田が怒りを露わにする。
「悪いがな、金田。ウチの校長のことを思い出してみろ。生徒一人の親が、学校を休ませたいと、わざわざご丁寧に手紙をくれたんだぞ?それをどう思うか分かるか?」
「ああ、あの海坊主なら……」
金田は、頭髪のすっかり引いた校長の面を思い出した。
「……喜ぶだろうな、悪さするガキが一人減ったって」
「たまにはお前らと意見が合うこともあるんだな」
高場は投げ槍な口調で言い、大きくため息をついた。
「だが、それだけじゃあないんだ。お前達に―――会わせたいヤツがいる」
「……そっちが本題ってか?」
「ああ」
金田の問いに、高場は答えると同時に、アクセルを踏み、バンを一層加速させた。
「……七区は
バンが止まり、降りる時になって、金田は表情を歪めて呟いた。
「学区には縁はなくても、ここには度々お世話になってるだろう?まあ付いて来い」
「いや、でも―――」
甲斐は、目の前に建つ白を基調とした建物を見上げて言った。
「なんでわざわざこっちに?俺らって大抵、十区の方に連れてかれるけど?」
「まあ事情があってな」
高場の大きな背中が入り口の扉へと近づいていった。それから、高場は壁に取り付けられた端末に何事か話しかけている。
金田達も後を追おうと一歩踏み出した所で、資材の搬入に来たのだろうか、物流業者のような出で立ちの男が山形にぶつかった。
「痛ッ―――おい、どこに目ェ付いてんだオッサン!」
「すっすいません!」
山形が短気にドスを利かせると、男はすくみ上がった。山形よりも頭1つ分ほど背が小さく、丸眼鏡をかけた気弱そうな男だ。
「バカ野郎!警備員の膝元で何騒いでる!」
入場の許可を得たらしい高場が、唾を飛ばして怒鳴った。
「山形!騒ぎ起こしたら面倒だぜ……ほら、行こう」
甲斐に腕を引っ張られ、山形はチッと舌打ちをし、男を人睨みすると、高場の後に続いて建物に入って行った。
男は、一行の姿が見えなくなるまで身を縮こませていたが、やがて帽子を目深に被り直し、早足で敷地を後にした。
しばらく歩いた男は、油断なく辺りを見渡し、停まっていた黒い車に乗り込んだ。
「動作確認を」
「了解」
助手席に乗り込んだ男は眼鏡を外し、運転席に座る黒服の特務警察官に指示を出した。
そして、ヘッドフォンを耳に当てた。
―――第七学区、
「おぉおぉ、いつぞやの工業系少年達!はるばるこっちまで来てくれてありがとうじゃんね」
文句は言わせない、というような圧を伴った快活な声に、うわっ、と山形が漏らした。
「なーにそんなしょぼくれた顔してんの!?今日は、あんたらにお返しするもんがあるじゃん?」
長く青みがかった髪をひとつにまとめた女の警備員、黄泉川愛穂が、アクリルガラスの向こうで、にっ、と白い歯を見せて笑い、金田達に座るよう促した。
「お返しって……あー!」
金田が大声を出した。
「バイク!」
「えっ、返してくれんの?」
「なに?いらないっていうなら、色塗り直してアタシたちの備品にするけど?」
素っ頓狂な声を出した甲斐に、黄泉川は一瞬不満そうな顔を見せたが、すぐに「冗談!」と明るい顔に戻った。
「ウチの車庫だって広くないじゃん?占有してもらっちゃあ困るんでねー、
た・だ・し!」
喜ぶ金田達に向かって黄泉川は人差し指を立てて釘を刺す。
「暴走行為は許さんよ?それから、登録番号も偽装しないこと―――もしまた迷惑かけるようなら、必ずとっ捕まえて―――スクラップにする。いいね?」
金田達の顔から喜びが一気に引き、皆ごくりと唾を呑みこんだ。
この警備員は、本気になったら、必ず実行する。それだけの力と根性があると、
「黄泉川先生、彼と引き合わせるのでしょう?」
金田達の後ろで腕組みしている高場が、ややじれったそうに言った。
「ここのところ忙しいんだ、急ぎましょう」
「はいはい」
黄泉川は、手を引っ込めると背筋を伸ばして金田達をガラス越しに見渡した。
「バイクを保管してるのが、
いつの間にか、黄泉川の表情から笑みが消え、深刻そうな表情に変わっていた。
「……明るい話題ではないけど、君たちの意見も聞きたいんじゃん?」
そう言うと、黄泉川は背後の扉を開ける。
金田達が顔を見合わせていると、扉から、肥満体の若い男が入って来た。
「10分間ね」
黄泉川は入って来た男に声をかけると、自分は扉を塞ぐ形で背後の椅子に座った。
「お前―――ジョーカーか!?」
金田が思わず指差して言った。
金田達は驚いた。彼らの記憶にあるジョーカーは、顔に奇抜なペイントを施し、威圧感を常にその巨体から放つような人間だった。
それが、目の前に座る男は、目元に大きな隈をつくり、小さな目は落ち窪んで見え、はっきりと充血しているのが分かった。顔に塗られていたピエロのペイントは洗い流されていて、ただの色黒な丸顔があるだけだった。
そして、その表情は、ひどくやつれ、生気が無かった。全体的に、今目の前にいる男は、その巨体が萎びているようにも見えた。
「どうしたよ」
金田は戸惑いながらも、挑発するようにジョーカーに声をかけた。
「こんなとこに入れられてるとはよ……どうしたァ、餌が足りてないんじゃねえのか?」
ジョーカーは金田の言葉にもすぐには反応しなかったが、やがて顔をゆっくりと上げた。
「……3人だ」
「は?」
その声は、全く覇気が無く、金田達は顔を顰めて聞き返した。
「3人やられた!」
すると、今度はジョーカーが上擦った声で叫んだ。
「殺された!てめェら、あの野郎に一体何があったんだか教えてくれるよな?どうしていきなりあんな
ただ事ではないジョーカーの様子に、金田も甲斐も山形も、一度顔を見合わせた。
「あいつって―――まさか」
「知らねぇとは言わせねえぞ」
金田は、ジョーカーの次の言葉を聞いてはいけない気がして、身を僅かに引いた。
ジョーカーは、充血した目で金田を睨み、口を開いた。
「鉄雄だ。てめェんとこのケツ持ちの……島鉄雄が、俺の仲間を
―――
「本当に、こんなすぐに出て行ってしまうのですか?我々としては、もっと力を貸していただきたいのですがね―――」
Dr.大西が困ったような笑みを浮かべて言った。
「お気持ちだけありがたく受け取っておきますよ、Dr.大西」
全くありがたくなさそうな、いつもの無表情で、木山は返事をした。
つい1週間ほど前、初めて木山が敷島大佐と大西に出会った部屋で、今まさに、木山は別れの挨拶をしに来ていた。
「島君は確かに興味深い研究対象でしたが―――彼がもうここにいないとなると、当初の契約を履行することはできません。私は、元の所属に戻らせてもらいますよ。
既に、仲間にも来てもらって、荷物を運んでもらっていますしね」
大西には一切顔を向けずに、木山は手元の書類をビジネスバッグに詰め終えた。そして、木山は大西とは違う人物の方へ歩みを進める。
「大佐」
厳めしい表情で聳え立つ敷島大佐を、木山はまっすぐに見据えた。
「短い間でしたが―――お世話になりました。感謝しています。ラボの研究に関わることで、私も、大いにインスピレーションを受けました」
「それは僥倖だ」
二人とも、感情を表に出さず、言葉を交わす。
「41号の―――島君の行方を掴めることを、お祈りしていますよ」
「彼は貴方のことを、ある程度、信頼していたようだ」
探るような目つきで、大佐は木山を見た。
「もし彼から、貴方のもとへ連絡があれば、是非、我々にも一報頂きたいものだ」
「承知しました」
木山は大差に一礼すると、大西には目もくれず、部屋を後にしようとする。
しかし、部屋の出口には、兵士が二人立ち塞がっている。木山は足を止めて、眉を顰めた。
「木山博士!」
大西の呼びかけに、木山はため息を小さくついて、振り返った。
大西はにやにやしながら、片手を差し出している。
「何かお忘れではないかね?」
ふっ、と木山は息をつき、顔を上げた。繕った笑みを浮かべた。
「申し訳ない。昨日の事件の後で、失念していました」
木山は大西に近づき、バッグから小さなメモリーディスクを取り出す。
「ここに」
木山はそれを大西に見えるよう示すと、ケースに入れて、差し出した。
「
「感謝するよ!木山博士」
大西は、両手でそれを受け取り、慈しむように撫でた。
木山は、反射的に片目がひくひくするのを感じた。大佐は、ネズミでも見るような目で大西を見ていた。
「
「念を押しますが、博士」
木山は喜ぶ大西を制して言った。
「あの、体力のない3人に聞かせてどうなるかは未知数です―――それに、前以て皆さんで波形を検証するでしょうが、脳波に作用する音というのは、能力開発を受けていない人物でも、少なからず影響を及ぼすことが考えられます。聴く時は必ず―――」
「特製の、
大西は待ち切れないという風に、子供の様にウキウキした表情で、木山の言葉を継いだ。
「分かっているとも。
木山は、はしゃぐ大西から視線を外し、大佐を見た。
大佐は、顔を一度扉へと向け、木山へ退出を促した。
「では、これで」
木山は白衣を翻し、兵士が開けた扉から、外へ出ていった。
大西が落ち着かずに歩き回る傍ら、大佐は油断のない目つきで、木山が出て行った出入口を見つめていた。
「……老いぼれめ」
廊下を歩く木山は、誰にも聞こえない位の声で、そう毒づいた。そして、携帯電話を取り出した。
「……ああ、私だ……いや、今日はもうオフィスには戻らない……そちらを開けておいてくれ、やっと
短く相手と会話した後、木山は少し足を早めて、歩き去っていった。