―――第十学区 「スター・ボウル」跡
「ほんとに、飲んじまいやがった……」
「フェタミンが耳から噴き出るんじゃないかって量だぞ……」
周りのクラウンのメンバー達が口々に囁く中、鉄雄はソファに体を預けて、グラスを脇に置き、天井を据わった目で見上げ、深い一息をついた。
「……おい、大丈夫かよ」
暫く鉄雄が黙って動かないので、傍で見ている一人が恐る恐る声をかけた。
「……ああ」
奥底から吐き出すように、鉄雄が返事をした。
そして、声をかけた男に、顔を向けた。
鉄雄は片手を差し出す。
「お陰サマで、冴えてきたぜ」
「ぐっ」
声をかけた一人が、苦しそうに首に手を当てた。
「お、オイ―――!」
他のメンバーが慌てふためく。
男は、ふわりと空中に浮かび出し、突如着く地を失った両足をバタバタさせている。
必死に自分の首を掻きむしり、くぐもった声を出している。
鉄雄は、そんな男に向かって手を伸ばし、値踏みするような視線を向けていた。
「や、やめてくれよ!」
ガスマスクを付けたメンバーが必死に言う。
「悪かった―――お前やカノジョをタコにして、悪かった!だからもうやめてくれ!」
鉄雄は、一瞬、驚いたような表情をし、それから
「―――くっくっくっ……」
笑い出した。
「アーッハッハッ!!―――こいつァいいや!!」
伸ばしていた腕を引っ込め、腹を抱えて鉄雄が笑う。
浮かんでいた男は、不意に強かに落下し、倒れて暫く動けない。
残ったメンバーは、一様にぞっとしていた。
「怖いか!?」
鉄雄が立ち上がり、両手を広げて言った。
「俺が怖いか!?ああ!?」
誰も、何も言わない。
この場にいるのは、学校はもちろん、職業訓練校にすら通わず、まともな職にもあぶれた、無能力者の最下層の者ばかり。
高位の能力者と相対した者は全く居らず、皆怖気づいていた。
「俺の力だ……」
胸の前で右手を握り締め、今度は極端に声を潜めて言う。
「いつもてめェらには、ヤられてばかりだったなあ……
だが、もういいんだ。だって」
鉄雄が再び手を挙げたことで、クラウンのメンバー達は身を縮こませる。
「そのピエロ
カタカタと震え出す者や、一歩、二歩、後ずさりする者がいる。しかし、脱兎の如く逃げ出す者はいない。かと言って、反論し立ち向かう者もいない。
廃墟の空気が、全て恐怖で満たされ、全員の喉元をゆっくりと締め付けていた。
「―――けど、今はそうしねェ」
鉄雄が、挙げていた手を降ろし、メンバーはびくびくと顔を見合わせた。
「別に、お前らをここで全員ブチ殺して、スッキリしたっていいんだが……ここに来たのは、そういう訳じゃねェんだ。
なあ、お前ら」
鉄雄はゆっくりと辺りを見回し、言った。
「―――欲しくねェかよ、
すぐに返事をする者はいない。鉄雄は、黙ったままの一同に蔑んだ表情を向けて、話を続けた。
「何だ……てめェらだって、
鉄雄の問いに、何人かがお互いに、ぼそぼそと耳打ちをした。
「いや、あれは、ただ―――気分をハイにするってだけで……」
一人が弁解すると、鉄雄はチッと舌打ちをした。
「ンなことだろォと思ったぜ……でもな―――
マジで、そんなブツがあるって言ったら?」
クラウンのメンバーがざわめいた。
「いや、そんな出鱈目―――」
「おいバカ、余計な事を!」
騒ぐ男らを鉄雄が睨みつけると、二人は途端に静かになる。
「……てめェで試そうか?」
「いや、よしてくれ……!」
再び辺りが静かになる。顔にマスクを着けていないメンバーは、鉄雄に恐れを為しながらも、未だに半信半疑の表情をしていた。
「まァ、安心しろって。その辺の薬局のお零れを理科室で混ぜ混ぜしたのとは訳が違ェ。何てったって、学園都市のエリート様特製品だ……
お前らにも分けてやるよ、今、ここでな」
ざわざわと、クラウン達は囁き合っていたが、一人が前に進み出た。
「なァ……それ、どういうンだ?」
鉄雄は、進み出た一人を見て、静かに笑みを浮かべた。
―――
「率直に言うと、木山博士。41号が首尾よく逃げ遂せたことに、我々は疑問を持っている」
医務室から少し離れた部屋で、敷島大佐が、テーブルの上で手を組み、言った。
スーツの上腕部分が引き延ばされ、筋肉質の体格をより露わにしている。
「……何が言いたいのか、よく分からないですね」
木山博士は、大佐の反対側に座って言葉を返す。非常に疲れた表情だ。
「私は、あなた方アーミーの研究する実験体から危害を加えられた。治療が終わったかと思いきや、まさかの尋問ということですか?」
「発信機が、41号の体が除去されていた。なぜ、彼はマイクロチップのことを知っていたと思う?」
「研究途中で報告申し上げた筈です、大佐。
「あなたが、彼に助け舟を出したのではないか?」
大佐は木山から視線を逸らさずに、重ねて問う。
「カウンセリングルームの
「財政難については同情しますがね、大佐。ご自分の所有する機材の保守点検を、より丁寧に行うことをお勧めしますよ。……その威勢があれば、財務省だって、財布の紐を緩めてくれるのではないですか」
「皮肉に付き合っている暇はない。博士」
のらりくらりとかわす木山に対し、大佐は厳しい表情を崩さない。
「こうしている間にも、41号は、学園都市に解き放たれ自由の身だ。あなたが育んだ、強大な超能力を得て。だが、その力を操るのは、若く、無秩序な暴走族の思考だ。
あなたも見ただろう、先週の、金曜日の夜……私の部下は、今もベッドの上で、体の自由が利かない」
言葉を切った所で、木山の眉がピクリと上がるのを、大佐はじっと見つめていた。
数秒の間が、互いにとても長く感じた。
「我々は、彼を管理下に置かなければならない。この学園都市の安全のためにも」
大佐が放った言葉に対して、木山は一つため息をついた。そして、巨躯をじっと見返した。
「安全だと?」
木山の声色には、明らかに怒りが滲んでいた。
「あなた方が、
あなた方がやったのは、彼を―――島鉄雄を、怪物に仕立て上げようとしたんだ。大佐、今あなたが言った通りだ。だから私は、一瞬でも向き合えた彼に―――たとえ元がバイカーズだろうが、スキルアウトだろうが、せめて人間らしく、この学園都市で生きる道を与えたかったんだよ。
軍人達の
徐々に熱を帯びていく木山の口調に、大佐はじっと耳を傾けていた。
「その通りだ、博士」
意外にも、大佐は怒りを露わにすることもなく、口調はさほど変わらなかった。
「奴は、41号は、人間と怪物とを隔てる、欄干に乗って遊んでいるんだ。そこに押し上げたのは、我が研究者共だ。奴が一度足を滑らせば、次に這い上がって来る時は、どんな姿になっているか。私は、それを恐れている……。
責任は、我々にある。だからこそ、木山博士。あなたには、正直に話してもらいたかった」
木山は、何も言わなかった。ただ、長い前髪の向こうから、暗い目で、恨めし気に大佐を睨みつけていた。
その時、部屋の入口に、黒服の部下が一人現れた。
「失礼します―――大佐、特警のミーティングの用意が整いました」
「軍人として、最後に聞く。博士」
部下の呼びかけにすぐには答えず、大佐は木山に向かって言った。
「―――あなたの、41号に向かう姿は、一科学者としてのそれ以上の物を感じた。
……一体、何を目指して、彼を
木山はじっと構えてから、口を開いた。
「守りたいものがあるからですよ、大佐。」
その声は、大佐に静かな決意を感じさせた。
「あなたの言葉が嘘でなければ、大佐。考えていることは、さほど違わない筈だ」
大佐は、組んでいて手を解き、席を立った。
「……お送りしろ」
傍に控えていた兵士が、木山に離席を促した。木山は立ち上がり、無表情で大佐の横を通り過ぎ、出口へ向かった。
「……甘く見ないことですよ、大佐」
出口で立ち止まった木山は、大佐に背を向けたまま、静かに言った。
「島君を手元に置いておきたいならば、ここにせめて
あなた方が対峙しているのは、敵国兵でも、長年飼い慣らして来た子供でもない。学園都市の能力者です。そして、それは決して
「……忠告に感謝する」
兵士に再度促され、木山はその場を後にした。
「大佐……よろしいのですか?」
黒服の部下の問い掛けに、大佐は何も言わなかった。
―――第十学区 「スター・ボウル」跡
「クリスマスのサンタみてェな音だな……ほんとォに、こんなんで能力が上がるんかよ……」
「あいつ、ウソついてんじゃねェのか……?」
「シッ、聞こえるぞ!……」
「なあなあ、俺にもそのデータ、送ってくんね?」
一人が音楽プレーヤーを手に取ったのを皮切りに、クラウンのメンバーは次々に、鉄雄のもたらした「
そんなメンバーの様子を、鉄雄は薄ら笑いを浮かべて眺めていた。
「営業初日は、ひとまずうまくいったと思うぜ、先生……」
小さく鉄雄が呟いた。
「ド底辺の乞食ばっかりだけど、まあいいか……
ただよ、俺には俺のやりたいこともあるんだぜ」
それから、鉄雄はメンバーを適当に一人呼びつけて、何事か耳打ちした。
「……えっ」
呼ばれた男は、途端に顔を青くする。
「いいから、早く呼んで来い!」
「はっ、ハイ!」
鉄雄の急な怒鳴り声に、男は体を震わせ、仲間の元へ早足で寄っていった。
「ふーん……確かに見覚えがあンなあ……」
その後、鉄雄の元に、3人のメンバーが集められた。
1週間前に、鉄雄とカオリを襲撃した4人の内、チップを除く3人だった。
「てめェらには、世話ンなったなァ」
「わ、悪かった……ゆ、許して……」
ガスマスクの男が頭を低くして乞うた。後の2人も、すっかり怯えている。
「いや、そういうのいいからさ」
鉄雄がくいっと親指で背後を指差した。
「あれ、ちょっと運び出してくんねェ?」
えっ、と3人が見た先には、倒れたジョーカーの姿があった。
「いくらなんでも
「死んでんじゃない?」
「バカ、まだ息あんぞ。気絶してるだけだってえの」
鉄雄に呼ばれた3人は、総出で息を切らしながらジョーカーの巨体を運んでいく。
脱力した肥満体を運ぶのは、ただでさえひ弱な3人にとって、大変な苦労のようだ。
「てめェら、あの後、
鉄雄の一言一言に、いちいち3人はびくついている。
「あ、ああ……
「ふーん、マジもんのムショに入んなくて良かったじゃねえか」
「そりゃあどうも……なあ、外にほっぽり出すんか?」
汗をだらだらかいているガスマスクの男に、鉄雄が振り向いた。
「ここら辺でいいよ」
3人は、ロッカールームの隅にジョーカーを寝かせると、へたり込んだ。
「なあ」
鉄雄が静かに3人を見下げて言った。
「もう、ムショに入る心配はしなくていいぜ」
鉄雄の脳裏には、カオリを乱暴する、下卑たクラウンの笑い声が響いていた。
「なあ、クソ野郎共」
金属製のロッカーが、ミシリと音を立てた。