【完結】学園都市のナンバーズ   作:beatgazer

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 雨の中、カオリは、先に立つ男のことを見ていた。

 ワイシャツにスラックスという、夏のこの時期らしい学生の服装をしている。背丈からして高校生だろうか。やや茶色がかった髪は額に張り付き、眼鏡は雨に濡れ、表情は伺えなかった。

 

 カオリは、2、3歩、近付いた。

 

「……なんだよ」

 声はほとんど聞き取れなかったが、男子学生の口の動き方からして、多分そう言った。

 

「……べつに……」

 

「その服」

 先ほどよりもはっきりした声で学生が言ったので、カオリは顔を上げた。

「柵川中学……」

 

「え、あ、はい」

 

「そっか……いや、ただ、僕、そこの卒業生だってだけだから。……あ、別に、君が誰かとか、知らないけど」

 詰まりながら話す学生の顔を見て、カオリは眉を上げた。

 目の上が腫れ、乾いた鼻血が鼻の穴少し覗き、明らかに殴られたような見た目をしていたからだ。

 

「あ、そうだよね」

 何に気付いたのか、男子学生が顔を背けた。

「こんなヤられた顔の男に声かけられたんじゃあ、不審者だよな……」

 

「あの!」

 恥ずかしそうに、歩き去ろうとした学生の背中に向かって、カオリが声をかけた。

 

「えと、だい……じょうぶ、ですか?」

 男子学生は一息つくと、振り返った。

「大丈夫かって、そりゃあキミ―――」

 彼は、カオリの顔を見て言った。

「キミの方こそ、……大丈夫なの?その顔」

 

「えっ」

 カオリは自分の顔を触る。

 濡れた指先が唇の端に触れると、チクリと針を刺すような痛みを感じる。

 

「あっ、そっか……私、殴られて……」

 

「殴られた?」

 脱力したように、男子学生が言った。

「そりゃあ、僕も同じだ」

 

 お互いに顔を見合わせ、そして、笑った。

 

「ぼ、僕ら……似た者同士かな?」

 

「そう……かな」

 

「ご、ごめん、気持ち悪いこと言って……」

 

「いえ、別に」

 雨の中、二人はクスクスと笑う。

 

「誰も、助けてくれなかったろ?」

 学生の一言に、笑うのを止めて、相手の顔を見た。

 悲しそうな顔をしていた。

「いつもこうだ……僕が、金を毟り取られる時、ほんとに来てほしい時に限って、風紀委員(ジャッジメント)の奴らは居やしない……ほかの人間だってそうだ。見て見ぬ振りしてんだ……!」

 学生の手は、ぎゅっと握られ、震えていた。

 カオリは俯いた。

 舗装路に打ち付ける雨の音が、ホワイトノイズになって、辺りを満たしている。

 

「あたし、でも―――」

 

 

 

「カオリさ~~~ん!!」

 カオリが言いかけた所で、自分を呼ぶ声が聞こえた。カオリが振り返る。

 パシャ、パシャ、と水溜まりを踏み飛ばす音が近付いてくる。

 

「……そうか、君は、ひとりじゃあないんだね」

 

「えっ?」

 学生が冷めた口調で言い、カオリから遠ざかっていく。

 

「良かったじゃあないか」

 雨のカーテンの向こうへ、白いワイシャツ姿が消えていく。

 

 カオリは、何も言えなかった。

 入れ違いに、初春と佐天が駆け寄って来た。

 

「二人とも……」

 

「ごめん、カオリさん!!」

 ハァ、ハァ、と息を切らし、膝に手を突きながら、佐天が声を振り絞った。

「あたし、あたし、友達になるって言ったのに……!あの場で、怖くなっちゃって……あなたの味方に、なれなくって……

 ほんとうにごめん!!」

 頭を下げて、必死になって佐天が言う。

 長い艶やかな黒髪の先から、雨水がポタポタと落ちていった。

 

「私も……」

 初春が、目に涙を浮かべて言う。

「風紀委員の癖して、うまく、上級生に、言えなくって……

 でも、でも!」

 初春は目を擦って、カオリの細い手首を掴んだ。顔を仄かに紅潮させて語り掛ける。

 

「苦しいのに、苦しまされているのに―――それを、自分独りで、ボロボロになってまで、背負い込もうとしてるのを、黙って見てられるほど……私は強くない!

 だから―――巻き込むだなんて、言わないでください!

 苦しい時は、頼ってください!私一人だって、あなたの味方になってみせます!」

 

「初春さん……」

 カオリは、自分に必死に訴えかける初春の姿に、言葉に、熱いものがだんだんとこみ上げるのを感じた。

 

「あたしも」

 ばっ、と涙子が傘を開いて、3人の頭上に掲げた。

 雨が、バツバツとポリエステル生地にぶつかる音が、3人の空間を跳ね回った。

「初春だけじゃない。私だって、次こそ、逃げない……カオリさんの力になります。変わってみせます!

 初春は確かに風紀委員だけど、ちっこくって、華奢で、……ちょっと頼りないから」

 

「今そんなひどいこと言います?佐天さん!」

 さっきがんばったじゃないか、と顔をますます赤くする初春に、涙子はえへっと笑顔を見せた。

 

「けど、アタシ達……きっと、もっとちゃんと、いい友達になれる、ね、カオリさん!」

 

 涙子がカオリの左手を握り、初春が右手を握った。

 

 雨に濡れた二人の手は、とても温かかった。

「ありがとう……二人とも」

 もう、カオリも我慢が出来なかった。

 両の目から、はらはらと涙が零れて、雨と混じり合っていった。

 初春と涙子が、カオリの顔を見て笑った。

「本当に、ありがとう」

 カオリも笑った。

 

「―――ほら、早く帰らないと、風邪ひいちゃいますよ?」

 

「カオリさん!あたしと初春、ルームシェアしてるんですけど、近くなんです!寄っていきません!?あったかいもの3人で食べましょうよ!」

 

「えっ?いいの?」

 二人に背中を押されて、カオリは歩き出す。

 

「寮監にどやされないように、遅くならない内に行きましょうよ!」

 

「そそっ、初春、シャワー貸してもいいよね?あたしら体の芯まで冷え切っちゃったよー」

 

「いいですよー!何作りましょうかね?」

 

 確かに、雨にすっかり濡れてしまった。

 それでも、カオリは、手を繋ぐ二人から、いっぱいの温かさをもらった。

 

 ―――鉄雄くん。

 カオリは、行方不明の想い人のことを心の中で呼んだ。

 ―――わたし、初めて、……「友達」ができて、幸せだなって思えてるかもしれない……。

 

 いつの間にか、辺りは夜が包み込み、街灯は、路面に弾ける雨粒と漂う霧に反射して、ふわりと辺りを照らしていた。それは、一面に、光る紫陽花が咲いたようだった。

 

 

 

 雨が降りしきる暗い道を、一人の男子学生が歩いていく。

「―――風紀委員め……」

 先ほどすれ違った女生徒二人。その内の一人は、片腕に腕章を付けていた。

 あの腕章を付けた連中が、嫌いだった。

 正義を振り翳す割に、自分を全く助けてくれない奴らが。

「いつか―――いつか、復讐してやる……!

 大きな力を僕のモノにして、いつかきっと……!!」

 歯を食いしばり、介旅初矢(かいたびはつや)は、街明かりの向こうへと雨夜の道を歩き去っていった。

 

 


 

 

 同時刻―――(アーミー)本部、ラボ

 

 

 

 カウンセリングルームを出た島鉄雄は、廊下をまっすぐ走り、非常階段を駆け降りた。

 途中、警備兵が感付いて追いかけてくるのが分かったので、鉄製の重い扉を能力でひしゃげさせ、足止めにした。

 

 薄暗い階段をひたひたと降りながら、鉄雄は、つい先刻に木山春生から教えられた、研究者用の通用口までのルートを必死に思い出していた。

 

「しかし……痛ェぜ」

 鉄雄は、顔をしかめながら、直前まで木山と話していたことを思い出した。

 

 

 

(島君。君の左肩には、位置情報を送信するマイクロチップが埋め込まれている。それを取り除かなければ、ここを逃げ出した所で、遅かれ早かれ捕まる。まあ君の力をもってすれば、力づくで突破も不可能じゃあないだろうが、面倒ごとは嫌だろう?)

(じゃあ、どーすんだい?)

 木山は、天井の片隅の監視カメラを向いた。カメラは、木山と鉄雄を写さないような、見当外れの方を向いた。

(簡単さ)

 そして木山は、笑みを浮かべて、手袋を素早く嵌めると、鞄から先のギザギザしたナイフを取り出した。

 

(へっ?)

 鉄雄は思わず声を漏らす。

(取り除く。外科的に)

(おい、あの、麻酔とかは……)

(心配しなくていい。ちゃんと滅菌してあるし、規格からして皮膚下5mm程にあるだろうから、そんなに肉までは抉らないさ。第一、君は傷の治りも早くなっているんだろう?

 ちょっと、ちくっとするだけさ。ほら、カメラがおかしいことに気付いたなら、早くて1、2分でアーミーに見つかるぞ?多分、この辺じゃないかな……)

(た、多分って……)

 予防注射をするぐらいの軽い口調で、木山はナイフを手に、ずいっと鉄雄に近づいてきた。

 

 

 

 ―――あの時、顔が何となく笑っていたように見えたのは、気のせいではない感じがする。

 応急的に包帯を巻いて止血した左肩をさすりながら、鉄雄は思った。

 逃亡の手助けが露見しないよう、木山を()()()()()殴って気絶させたが、少し力を強めさせてもらった。

「まァ、おあいこだよな」

 

 何フロアか階層を降りた所で、扉を開ける。

 自分の居室は、恐らくアーミーが見張っているだろう。今は、まっすぐここを出ることだ。

 

「そうなると、服は……」

 

「おい、待て、止まれ!」

 

 鉄雄の思考に、鋭い声が割って入った。

 先の出入口の所で、兵士が2人待ち構えている。

 

「……面白れェ」

 俺の力を試してやる。

 

 鉄雄は、片方の兵士に向かって、左腕を振った。

 その兵士が、体を壁に叩きつけられ、ずるずると床に這いつくばった。

 

「ひっ」

 恐怖から、もう一人の兵士が銃を慌てて構えた。

 鉄雄は、右の掌を下に向けた。

 

「わあっ!?」

 兵士が膝から崩れ落ち、床に叩き伏せられた。

 構えていた銃は兵士の手を離れてからけたたましく暴発し、跳弾で天井や壁にいくつか傷をつけた。

 

 ヒュー、と鉄雄は口笛を吹いた。

「やるなァ、俺」

 鉄雄は、押さえつけられている兵士に歩み寄り、しゃがみ込んで顔を寄せた。

 

「オイ」

 兵士は、床に顔半分を押し付けられながら、目だけを必死に動かして鉄雄を見た。

 殺すか?

 一瞬、目の前の兵士が真っ赤に潰れる様子を思い浮かべたが、すぐに木山の言葉が蘇った。

 

 

 

「ここを出て行くのなら……島君。君に頼みがある。」

 そう言って、木山は鉄雄に音楽プレーヤーを手渡した。

「この中の音声ファイルを……『幻想御手(レベルアッパー)』を、多くの人に広めてくれ。

 それから、できることなら……人を傷つけないでくれ、お願いだ」

 

 

 

「……めんどくせェなァ」

 鉄雄はため息をついてから、息を切らして呻いている目の前の兵士を睨みつけた。

 

「お前、俺が別のとこにいるって、ウソの報告しろ。

 それから、その服、全部寄越せ。

 すぐやんねェと、トマトになるぞ!!」

 

 倒れている兵士は、見えない力に押されながら、必死にこくこくと頷いた。

 

 

 

 




 AKIRAコミック後半のカオリの服装は、セーラー服のように見えます。
 映画版とは異なりますが、ネオ東京崩壊前は、佐天さんや初春のように学生生活を送っていたのかもしれませんね。

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