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7月10日 夕方 ―――第七学区 柵川中学校
「初春の奴、おっそいなー」
佐天涙子は、生徒玄関で、友達と待ち合わせをしていた。
毎月1回、月曜日の放課後、教職員が会議を行っている裏で、
他の曜日なら、アケミ達と帰っても良かったが、月曜日は彼女達とは都合が合わない。
涙子は、自習室で今日の分の宿題を済ませてしまった。
今日は一日を通して曇り空で、予報によると、もうすぐ雨が降り出すらしい。
世界有数の演算機能によって極めて高い精度を誇る学園都市の天気予報は、言ってしまえば、ほぼ完璧な予言のようなものだ。天気が崩れることは確定的だろう。
「早くしないと、雨降られちゃうけどなー……」
佐天が、窓の外に見える灰色の空模様を眺めていると、ポケットで携帯電話が震えた。
「―――あっ、カオリさん……!」
先週の終わりに、連絡先を交換した、3年生のカオリからだった。
涙子の顔が綻んだ。結局、直前の週末には会えなかったが、向こうから連絡をくれたのは初めてだった。
「もしもし?カオリ先輩?」
『―――あぁ、
外にいるのか、重機の機械音のような雑音が聞こえて、相手の声は聴き取りづらかった。
「ヤだなぁ、涙子でいいって言ったじゃないですかあ、センパイ!」
『そっか―――そうだったよね。で、今どこにいる?』
「アタシですか?1年の生徒玄関ですけど?
初春のやつ、風紀委員の会議まだ終わんないらしくて……待ってるんですけどねー」
『そう、風紀委員が会議なんだぁ』
やや念を押すような言い方が、佐天には引っかかった。
「?―――初春に用でしたか?」
『ううん、違うの。なら、……ちょっと手伝ってほしいことがあるんだけど』
「お手伝いですか?あたしにできることなら!」
頼ってもらえることが嬉しく、涙子は電話しながらはにかんだ。
『良かった―――玄関にいるなら、靴履いて、外から体育館の方来てくれる?』
「体育館……ですか?」
涙子は外の空を見て聞いた。鉛色の空だ。
「もうすぐ雨降るらしいですよ?」
『そ!だから、急いだ方がいいでしょ?』
ドドド という音が時折強烈に混じったため、涙子は携帯電話に手を翳して、よく聞き取ろうとした。
『一人で来てね!急いでね!』
「えっ、何ですか―――切れちゃった……」
涙子は、何も言わなくなった携帯電話を見つめた。
―――意外に、カオリさんよく喋るんだな。電話だからかな?
「……なんか、急いでるんかなぁ」
ひとまず、まだ会議中であろう初春に短いメールを送り、靴を履き替えた。
念のため、傘を手に、涙子は玄関の外へ歩き出した。
校内の別の場所にある風紀委員の活動室では、初春飾利が参加する風紀委員の定例会議がもうすぐ終わろうとしていた。
「最後に付け足し―――体育館東側の通学路で、今日から始まった下水管の工事ですが、工期が当初の予定より2週間延びるそうです、各自明日朝の
他に動議がなければ、以上で終わります」
柵川中学校の風紀委員長である、3年の女生徒の一言で、その場のメンバーが、お疲れさまでした、と動き出す。
初春も鞄に荷物をまとめ、部屋を出ようとし―――立ち止まった。
「あの―――いいですか?」
「なに、初春さん?」
ラップトップ端末のディスプレイに表示されていた資料を操作しながら、委員長が答える。
「先輩―――こないだメールで送った、3年のB組の人の件ですけど」
一瞬、委員長は手を止めた。それから、端末をパタンと閉じる。
「ええ、彼女のことなら、大丈夫。教職員の生徒指導会議に上げるよう、私から要請しておいたから」
「あの―――私達にできることは?何か無いんですか?」
「……どういうこと?」
「えっ」
委員長は初春の方を見て、怪訝そうに言った。
声色は優しかったが、なぜか初春は言葉に詰まってしまった。
「現行犯で抑えれば別だけど―――今の段階では、恐喝の疑いに留まるからね。初春さんが言った通りのことを、先生方に報告する。これでひとまず十分でしょ?
ほら、もうすぐ雨が降るから、帰りなさい。私は、職員室に報告にいかないと―――」
「かっ、カオリ先輩は!!」
部屋を先に出て行こうとする上級生を、初春は言葉を詰まらせながら引き留めた。
「今回が初めてじゃないって、前からだったって……知ってたんですか?」
「それは……」
委員長は、背中を向けたまま、押し黙った。
「でも、今からでも何かできるなら……先輩、同じ3年生なら、カオリさんに―――」
何をしてほしいのだろう?声をかける?慰めてもらう?
初春は、自分が何を言いたいのか、自分でも分からなくなっていることに気付き、口を真一文字に結んだ。
だが、自分はカオリさんと約束した。力になる、と。
頬が熱くなるのが分かった。顔を上げて、委員長を見ると、彼女はなぜか扉を閉めていた。
室内には彼女と、初春だけしかいない。
委員長が顔を振り向かせて初春の方を見た。困ったような、憤慨したような、何とも言えない表情だった。
「……私も盗られたの」
「え……」
初春は、予想外の返答が来たことで、言葉を失った。
「先月のこと。ちょっと目を話した隙に、財布をいつの間にかね。すごく、嫌だった。
しかも、その日は、彼女、珍しく学校に朝から来てたの」
「でっでも―――!」
初春は抗議の声を上げた。
「それだけじゃ、カオリ先輩が人の物を盗った犯人だってことには―――」
「初春さん。同じように訴えてる人は、私だけじゃないんだよ」
「でも、それでも―――」
「あなたが言ったことが正しかったとして!」
委員長が、感情を露わにして言ったので、初春はびくっと肩を震わせた。
「学内のみんなは、きっと同情しない。寧ろ、彼女への風当たりが強くなるだけだと思う。……なんで風紀委員に庇ってもらってるんだって」
「そんな……」
初春は、何を言えばいいのか、もう分からなかった。
「……ごめん。もう、いいかな」
言うが早いか、委員長は再び戸を開け、今度こそ外へ出て行った。
後には、初春一人がぽつんと残された。
「カオリさん……」
初春の胸に、どうしようもない無力感が、重石のように落ち込んだ。
同じように、顔を俯かせずにはいられなかった。
(こう見えて、私、風紀委員なんです!)
違う。初春は、自分のことを責めた。
全然、失格だ、私―――。
初春は、腕章に片手を当てて、立ち竦んだ。
その時、鞄の中の初春の携帯電話が、着信があったことを知らせた。
初春は目を擦り、メールを確かめた。
「―――佐天さん」
部屋の窓の向こうでは、墨で塗り重ねたような空が広がっていた。
「体育館って言ってたけど……」
涙子は、カオリからの電話を受けて、校庭を横切って歩いていた。
ドドド―――という、重たい金属音が近付いてきた。
そういえば、今日から学校の近くで、道路工事が始まるって言ってたっけ。
曇り空の下、いつもよりも更に薄暗い体育館の裏手に近づくと、一人の女子生徒が立っていた。
「……カオリせんぱい……?」
じゃない。
「1年の、佐天涙子だね?」
気弱そうな女子生徒だったが、涙子はハッとして後ずさりした。カオリをトイレで脅していたグループの一員だったからだ。
女子生徒が、唐突に涙子へと近付いてくる。
「来て」
「でっ、でもわたし―――」
「いいから」
乱暴に腕を引っ張られ、嫌々ながら涙子は裏手へと連れ込まれた。
角を曲がると、そこは建物と倉庫に囲まれた、行き止まりだ。
「ユミコ、連れて来たよ」
カオリを脅していた、背の高い上級生が、ニヤニヤしながら涙子を見た。
「良かった、いい子じゃん、素直に来てくれるなんて」
手には、熊のキャラクターのストラップが付いた携帯電話が握られている。
「ちょうど、今、いいとこなんだ」
涙子は、思わず口に手を当てた。
髪も制服も乱れた、泣きそうな表情のカオリが、行き止まりの壁にもたれかかってこちらを見つめていた。
風紀委員の支部については、旧原作と超電磁砲のアニメで場所の設定が異なっていますが、「各学内に部屋が与えられていて、それらをまとめる支部が街中にある」という解釈をしています。