―――いい気味だ。
クラウンのメンバーの一人、チップはほくそ笑んだ。
数日前、第十九学区で転倒し、相手チームの奴に殴られたときは、死ぬかと思った。あと少し当たり所がずれていれば、鼻どころか首から上まるごとが吹っ飛んでいたかもしれない。
お陰で言葉はうまく発音できないし、ふとしたときにすぐまた鼻血が流れてくる。ドラッグをキめていなければやっていられなかった。
最近ジョーカーが引き入れた、錠前屋の情報で、自分を襲ったのが
2・3発顔面を蹴り飛ばしてやった。こいつはさっきからカオリとかいう彼女の名前ばかり叫んでいる。
女々しい奴め。この間のお返しだ。もっと釣りをつけてやる。
「うっせえなあ―――大事な彼女が可愛がられるとこ、よーく見とけよォ」
鉄雄を押さえつけている仲間が愉快そうに言った。
「まあ、それもいいんだけどよ―――」チップは思いついたように言った。
自分たちの喧騒を余所に、物言わずに佇む真っ赤なバイクを見た。
「いいバイクだなァ、オイ」チップは、鉄雄達が乗ってきたバイクを指さして言った。街灯の光に、真っ赤なボディが照らされている。
こいつ、こんな派手なバイク乗ってたか?チップの頭にふとそんな疑問が浮かんだが、ムカつく相手をいたぶることとドラッグによる高揚感で、すぐに疑問は消えた。
「―――燃えてるみたいだぜェ、燃えちゃうねェ、チキショー!」チップは根城から用意してきた松明に火を点け、真っ赤なバイクへと近づいていく。
鉄雄は目を見開いた。額から流れてきた血が沁みたが、そんなことは気にしていられなかった。
「―――やめろ!!そのバイクに傷一つでも付けてみろ!ぶっ殺してやるからな!」鉄雄が必死に叫んだ。
仲間が声を上げて笑った。
「大丈夫だって」チップは鉄雄に見せつけるように、松明を金田のバイクの真上にかざした。松明の炎が、赤いボディに反射し微かに揺らめている。
それをチップは綺麗だと思った。そしてその綺麗なものをぶっ壊すのだということに、背筋がゾクりとした。
「傷一つも残んないよーに燃やし―――あぁ?」
チップの携帯が、懐でマリンバの音を軽やかに鳴らしている。携帯を取り出して「チッ」と舌打ちし、耳に当てた。「オイオイ何度目だァ?……いや、もうお前の仕事は終わってンだよ……今いいトコなん―――何?」
チップは言葉を止めた。
自分の手に持った松明が、いつの間にか手を離れて、およそ顔の高さまで浮かび上がっていたからだ。
ゴーグル越しに、炎が揺らめいた。熱を感じる。
悔しかった。
憎かった。
目の前の
何が俺らの庭だ。何が一緒に
カオリは何度か悲鳴を上げた後、先ほどから押し黙ってしまった。
奴ら数人に囲まれていて、何をされているのか様子は見えないし、見たくもないものがあるのだろう。
鉄雄は、今の状況に、ただ悔しさを募らせた。
その悔しさは、沸々と怒りへと色を変えていった。
体中の痛みも飲み込んで、鉄雄の思考を怒りが満たしていった。
―――殺してやる。
頭をかち割って。骨を砕いて。中身をぶちまけさせて。
何でもいい―――殺してやりたい。
小さな脳内で圧縮された怒りは、行き場を求めて鉄雄の頭をぐわんぐわんと揺らした。
それは耐え難い頭痛へと突然変わり、鉄雄は顔を歪めた。
極めつけに、目の前の男が金田のバイクを燃やそうとしているのを見た。燃え盛るその炎のイメージが、いよいよ鉄雄の怒りに火を点けた。
バルブを無理やりこじ開けるように激情が溢れ、鉄雄の頭はぱっくり割れたように痛んだ。
鉄雄は絶叫した。
最初に、小石が、転がっていた空き缶が、ふわりと浮き上がった。
次に、夜空に伸びあがっていた華奢な街灯がバネのようにしなり、パリンと灯りを消したかと思うと、金属音を立ててぐにゃりとひしゃげた。
その歪んだ何本かの街灯の先は、クラウン達の方を全て向いていた。
アスファルトに亀裂が走り、生まれた破片も浮かび上がった。クラウン達は異常な事態に気付き動きを止めた。
次の瞬間、石礫やガラス片、ゴミといったものが、嵐に吹き飛ばされたように一斉にクラウン達へ襲い掛かった。
ある者はゴーグルにヒビが入り、たまらず顔を腕で覆った。
ある者は油で汚れた衣服が切り裂かれ、皮膚のあちこちから血を流した。
ある者は前から見えない巨大な手で圧される感覚に襲われ、後頭部から強かに倒れ込んだ。
そしてある者は、燃え盛る松明ごとコンテナへ押し付けられ、炎に包まれた。
「ああああーーー!!」
火だるまになった男の悲鳴が響いた。
そしてその異常事態は、急にパタリと止んだ。
クラウン達は、何が起きたのか分からず、ネジが切れたように立ち止まったり、へたり込んでいた。
ただ一人、火に巻かれている仲間の悲鳴が響き渡った。
「お、おい―――チップ!―――」
その悲鳴を聴いて、他の仲間は再起動したようだ。慌てふためくが、火を消すようなものは生憎彼等は持ち合わせていなかった。
見れば、コンテナも木製だったようで、火が回り始めている。辺りは静謐な街灯の代わりに、揺らめいて踊る炎の灯りによって不規則に照らされていた。
カオリは、地面に倒れて、何も言わなかった。
鉄雄は、汗をだらだらと流して、這いつくばっていた。
「―――誰か来るぞ!」
クラウンの一人が叫んだ。
「ぜってえ逃がすんじゃねえぞ!甲斐!山形!」
金田は言うが早いか、山形のバイクから後ろ脚を伸ばすようにして飛び降りた。
培った高い運動神経が、彼のバランスを保ち、体を倒さなかった。金田は足を必死に動かして走る。
前方では火災が起きているようだった。炎が真っ黒な上空に向かって燃え盛っている。
クラウンのメンバーは二手に分かれて逃げ出した。
一方は、金田達とは逆方向に、一目散にバイクを走らせた。そちらを甲斐と山形が加速して追いかける。
一人、動き出しの遅い奴が、甲斐と山形の隙間を抜けて、金田の方へ走ってきた。
金田は、猛然と走り、そいつの正面へと向かっていく。
驚いたように、相手が上体を仰け反らすのが見えた。
次の瞬間、目の前に迫ったそいつの顔面目掛けて、金田は膝を突き出してジャンプした。
顎にヒットした。金田はバイクとはまともに当たらず、少しよろけながらも無事着地する。
対して、相手は両手をだらしなく広げて地面を転がった。相手のバイクは火花を立てながら路面をスライドし、近くに停めてあったトラックの足元にぶつかってひしゃげた。
金田は倒れた相手を一瞥すると、炎の燃え盛る方を見た。
自分のバイクが停めてあった。そして、その傍に、うずくまる仲間の姿があった。
「―――鉄雄!」
金田は駆け出した。
金田が発破をかけて飛び降りた。無茶な行動だが、今に始まったことではない。
山形は甲斐と共に、燃え盛る炎や金田のバイクの横を抜けて、反対方向に逃げたクラウンのバイクを追った。
スピードには歴然とした差がある。追いつける。
山形は確信して距離を詰めようとしたが、その時、夜の闇の向こうに別の明かりが見えた。
「ここだ!」
高場が大声で言った。「シートベルトはしたかァ!しっかり掴まれ!」
掴まるってどこに―――疑問に思った瞬間車がブレーキをかけながら向きを変えたので、強烈な慣性に耐えようと佐天涙子は身を強張らせた。
横なぶりの圧力があった後、車は道の真ん中を塞ぐようにして止まる。
「火が!!」
黒子の声を聞き、顔を上げると、ドアガラスの向こうに大きく燃える炎が見えた。
「初春!消防!それに救急車も!」
黒子は甲高く叫ぶと同時に、シートベルトを解除してドアから飛び出した。「ハイッ」と初春が威勢よく返事をし、携帯で通報する。
普段の、お花畑に囲まれたように過ごししている彼女の違う一面を見たようで、佐天は場にそぐわず感心した。
「佐天さん?絶対車から出ちゃダメですわよ?」
黒子がツインテールをなびかせて、涙子の方を向いて言った。
「はい―――白井さんは?」
「ご安心なさい」警備員車両の赤色灯に照らされた、黒子の自信に満ちた笑みが見えた。
「
黒子がキッと前を向き、両足を踏みしめ、真っ直ぐに立った。
遠くでゆらめく炎が、腕章の光沢を輝かせる。彼女の小さな体から、何倍も背の高い影をこちらに走らせている。
―――かっこいい。
純粋に、涙子はそう心から思った。
「お出ましだな!」運転席から飛び出した高場も、黒子の横に立つ。
小さな風紀委員と、大きな
向こう側から、2台のバイクが爆音を轟かせてみるみる近づいてきていた。並走しながら迫ってくる。
「そこの
甲高い声と低く重たい声がコーラスを奏でて響く。相手に聞こえているかは分からないが。
現にバイカーズはスピードを緩める気配が無い。
「警告はしましたわよ」「警告したからな」
―――案外いいコンビになるかもしれないな。ガラスが息で曇るほど顔を近づけた涙子は、そう思った。
「どけえええ!!」
高場側に迫るクラウンの一員は、叫びながら突き進んでくる。
「言うことを聞かないガキは……行くぞ!」高場は息を吸い込んで、右足を下げ、左足に体重をかけた。そして、右腕を大きく振りかぶる。
バイクが高場を跳ね飛ばそうとする瞬間、高場は僅かに体を横にずらした。
「指導ォォ!!」
右腕をハンマー投げのワイヤーの如く大きく振り抜いた。
どかっ、と音を立てて相手はバイクから浮き上がり、地面を2、3転して呻いた。主を失ったバイクはふらふらしながら軌道を変え、コンテナへぶつかって止まった。
加速するバイクの勢いはどこへ行ったのか、高場の足元はぐらつくことはなかった。
「腐れ風紀委員が!!」
黒子の方に突き進んだクラウンは、どこからか手のひらサイズのボール状の物を取り出した。それを口元に運ぶ。
(―――手榴弾!!)黒子は目を開いた。
相手は、掌に載せたそれを、ひょいっと投げた。
投げた先は、黒子ではなく。
警備員の車だった。車両の真上に飛んで行く。
中には初春や涙子がいる。
「間に―――合えッ!!」
黒子は車両の上へと意識を集中させる。
次の瞬間、浮かび上がるような感覚があり、黒子の身体は赤色灯のすぐ横、車体の真上を踏みしめていた。
ガタンと車が音を立てる。黒子は手を伸ばして、手榴弾を受け止めた。
安全レバーが外されている。
黒子は迷わず、身体を反転させて、それを車両の後方に投げた。
そちらへと蛇行しながら逃げる、クラウンに向かって。
ぼん、と音を立てて、手榴弾が炸裂する。
相手は爆風に押されてつんのめり、春巻きのように地面を転がった。
「……死んでないかしら?」
黒子はそう呟き、車両の上から飛び降りた。
前方から、別の2台のバイクが来て、急ブレーキをかけて止まったからだ。
黒子と高場が再び並び立つ。
「そこのバイカーズ!」「お前等!」
二人が声を上げる。
「「止まりなさい!」」
山形と甲斐は、そろそろと手を挙げた。
「もう……止まってまぁ~す……」
甲斐は冷や汗をかきながら、小さく言った。
通報を終えた初春は、車から降りる。
流石白井さんだ。まあこんなもんか。
けれども、あの高場という先生もすごいな。
声をかけようとしたところで、燃え盛る炎の方に、別の地面をのたうつ者を見た。
―――人が燃えている。
それだけでない。うずくまる人影が他にも見える。
「―――ッ!白井さん!高場先生!」
初春が叫び、2人もそちらに気付いた。
「私、毛布取ってきます!!」
初春はダッと車両のハッチバックを開け、毛布を掴み取ると駆け出した。
「……鉄雄!」
金田はうずくまる鉄雄へ声をかけ、歩み寄った。
鉄雄が顔を上げる。額の包帯は取れ、口元や頬が切れ、血を流しているのが見えた。
鉄雄はふらつきながら立ち上がった。
「……鉄雄?」
先程よりも静かに、金田は再び名前を呼んだ。
鉄雄は、金田を見た。
その汗まみれの顔は、くしゃくしゃに歪んでいる。
明らかに怒りが現れている。
炎が、メラメラと音を立てて、二人を明るく照らした。
禁書目録側の能力者の描写は不慣れなので、
意図せず間違って書いている部分があるかもしれません。ご指摘いただければありがたいです。