【完結】学園都市のナンバーズ   作:beatgazer

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後日談は2話構成です。
内一つ目です。


Epilogue
八月.a


 ―――第七学区、柵川中学校

 

 

 

 2度目の組閣失敗 ―――政治体制、危機的に深刻化

 

 四日夜の記者会見に於いて、末武民自党新総裁は、衆参合わせた国会の第ニ勢力である講民党との同日未明までもつれた党首会談が決裂し、組閣に失敗したことを正式に認めた。これにより、7月に前内閣が電撃的総辞職を行って以降の政治的空白は、またしても解消の機会を逸した。

 事の始まりは7月22日。学園都市の駐留部隊の一部が、指導者に率いられて武装決起するという前代未聞の事態に、先の能間内閣は動揺した。折しも、税制改革に対する不満や、学園都市において非武装民間人へ攻撃を行った疑惑により、支持率を大きく低下させていたところ、この事件は決定的な一打となった。当初、与党内では、大塚防衛相の辞任で収めようとした動きもあったが、能間前首相はその日の内に総辞職を決定。9月に迎える次期衆院選に向けて、何とかダメージを最小限に留めたいという意図が働いた。

 ところが、翌23日には、学園都市に於いて2つの事件が発生する。第十学区に於ける原子力実験特区の非常事態と、統括理事会の指揮化で行われた、都市内武装革新派勢力の一斉摘発だ。

 前者は、原子力事故という指摘も各所から指摘される中、内閣辞職直後という空白期に起きたことが影響し、未だに公的な解明はほとんど進んでいない。学園都市統括理事会は、人的な被害は0であると強調する一方で、『先端科学技術の漏洩を防ぐ』ことを名目に、一方的に現場周辺10km区域を立入禁止と決定した。しかし、その法的根拠や、放射線災害の全貌については明らかにされず、曖昧なままだ。また、この件については、20世紀から秘密裡に政府が進めてきた能力開発実験との関連がまことしやかに囁かれており、与党民自党だけでなく、野党内の政治有力者にも疑いの目が向けられているが、未だにはっきりとした答えを表明した人物は居ない。

 後者は、統括理事会が武装蜂起を受けて臨時的に収容した軍の兵力を即座に運用したことが大きく問題視されている。これについて、理事会広報部は、24日の発表において、次のように述べている。『過激派が行った学生街等における暴動は、これまでの活動を大きく超える規模であり、既存の機動隊や、ましてや教員主体のアンチスキルでは対処できないものだった。未来前途ある学生の生命を守るため、こうした非道に対して一切許容しないという断固たる態度を表明する措置である。』学生街への物的被害に留まらず、多数の学生が負傷したこの事件をきっかけに、労働運動に対する国民世論は急速に批判へと傾いており、野党講民党の支持基盤となる各種労組の運動も結束が揺らいでいる。こうした中、8月当初の世論調査においては、新党電撃や茸の会等の急進的ミニ政党への支持率が上昇しており、既存政党への不信感の高まりが見て取れる。

 

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「政治のニュース読むなんて、佐天さんらしくないですね」

 

 鈴を鳴らすような声が聞こえ、佐天涙子は顔を上げる。

「それ、間接的にあたしのことディスってない?」

 

「そんなことないですよー、学園都市の学徒たる者、我が国の時流にアンテナを向けるのは当然……やっぱり佐天さんらしくないか」

 花飾りを揺らしながら、初春飾利が苦笑いを浮かべる。

 

 余計なお世話です、と不満そうに言いながら、涙子は体を椅子の背もたれに預けた。

幻想御手(レベルアッパー)の被害者のための特別補習に、眠らされてた訳でもないのに参加してる初春の方が、よっぽと勉強熱心だと思うけどな」

 涙子は両手を組んで上へ伸ばし、体をほぐしながら言った。

 

 教室は冷房が強烈に効いていて、湿り気と汗の匂いが混じった何とも言えない空気で満たされている。この部屋にいるのは、学年を問わず、ほとんどがレベルアッパーの被害を受けて長期間昏睡していた者たちだ。机に向かい続ける緊張感から、束の間の解放を謳歌する生徒たちの騒めきがあちらこちらから聞こえる。午前中の60分2コマ分の補修が終わり、中休みに入るところだ。涙子の場合、夏休みにちょうど入る頃に昏睡状態に陥ったため、授業の補講を受ける必要は無かったが、膨大な量の長期休業課題を早くこなす必要があったため、缶詰になる覚悟で参加している。

 

「あんなことがあったのに、まるでずっと昔のことみたいです」

 涙子の座席のすぐ傍に立ち、初春が言った。

「佐天さん……学園都市から出て行くって、本当ですか?」

 

 涙子は、両手を組み、その上に顎を乗せて、目を伏し目がちにした。

「出て行くんだとしたら、こんなクソ真面目に補修受ける訳ないじゃん」

 

「人の口に戸は立てられないものですよ」

 初春が、心配そうに涙子を見つめる。

「ここ最近の立て続けの事件は異常だって、私だってそう思います。実家から帰ってくるように言われる学生は少なくないそうです。無理もないです」

 でも、と初春は佐天の机に両手をそっと置いた。

「折角、佐天さんが無事に戻って来たのに……お別れにはなりたくないんです」

 

 涙子は暫く黙った後、素早く顔いっぱいに笑顔を浮かべて初春を見た。

「嬉しいこと言ってくれるじゃん!初春ぅ」

 声はどこか震えていた。

 

「笑い話じゃなくて!私、本気で悩んで―――」

 

 初春の言葉に、涙子はすぐに真顔になった。

「……親が心配して、ここんとこよく連絡寄こしてるのは、ホント」

 涙子はぽつぽつと語り始めた。

「元々、ウチの親、あたしがここに来るのは反対でさ……それに、私自身、アケミたちにもずいぶん迷惑かけたし、今回のことで、自分がどんだけバカなんだって思い知ったし。その癖、結局元の無能力者(レベル0)に戻った自分のことを思うと、あんな目にあったってのに、どこか残念がる自分がいて、それが嫌で―――」

 

 その時、涙子の片手が引っ張られる。初春が、佐天の片手を、自らの両手で包み込んでいた。

「私は、佐天さんに自分を責めてほしいだなんてこれっぽちも思ってません」

 初春の小さな手に包まれ、佐天は予想外の温かみを感じた。

 初春の顔を見ると、頬にほんのりと赤みが差しているのが分かる。

「ただ、私たちは友達だと、私はそう思って……だから、佐天さんを助けたんです。何も、佐天さんが責任を感じることなんてないんです!」

 

「初春……」

 涙子は、心なしか目が潤んできている初春の顔をまじまじと見つめた。

 

「カオリ先輩だって」

 初春は、窓の方を見やって言う。

「きっとそう思ってます」

 

 涙子は、初春と同じように、窓際の席へ座る人物へと顔を向ける。

 少し跳ねた黒髪、小柄な肩。カオリがそこに座っている。休み時間とあっても、近くによって声をかける者はいない。そのことをどう思っているのか分からないが、カオリは熱心にテキストを開いて読み込んでいる。

 今回の騒乱の直接の原因となった「帝国」と繋がりがあったということで、事件解決後当初、柵川中学校におけるカオリへの風当たりは強かった。もちろん、それはカオリに落ち度がある訳でもなく、カオリ自身、原子力実験学区での事件に巻き込まれ、病院へ入院する程大変な思いをしたと聞いた。カオリが周囲から責められないよう、矢面に立ったのが初春だった。

 

 涙子は、カオリの小さな背中を見つめながら、考える。

 レベルアッパーの事件による昏睡から自分が目覚めた後、初春が自分に教えてくれた。カオリ先輩が、一万人を超えるレベルアッパーの罹患者を救う突破口を切り開いてくれたと。妙な話だが、昏睡の最中に自分は夢を見ていて、そこにはたくさんの人物が現れた気がする。自分の知らない沢山の学生の思念。「アキラ」という謎の概念。そして、カオリ先輩も。能力開発の結果に恵まれず、劣等感を深めていく自分の元へカオリ先輩が現れ、優しく何か語り掛けてくれた気がする。

 

 カオリは事件の加害者側ではなく、寧ろ解決のために身を挺したのだと、初春は風紀委員という立場をフル活用して懸命に訴えた。アンチスキルに所属する先生方も同様の証言を行い、力を貸してくれた。その結果、少なくとも表立ってカオリを非難する生徒は居ない。けれども皆、どこか腫物に触るかのように、カオリのことを避けているように感じられた。

 

「私、もっとちゃんと色々先輩に話したくて。お礼もしっかり言わなきゃいけないのに」

 涙子が口を開いた。カオリの跳ねた毛が、時折ぴょこりと揺れるのが見える。

「先輩のことを疑う気持ちなんてこれっぽちもないんだよ?そうじゃなくて……その、なんて声を掛けたらいいか分かんなくて。あの、彼氏さんのことを考えたら……」

 窓の外には、抜けるような晴天が広がっていて、車が行き交う喧騒が朧げに聞こえてくる。

 

「そう、ですね」

 初春も静かに同調した。

 

 「帝国」を率いていたリーダーの少年。初春によると、彼の身には、レベルアッパーの影響で“大変なこと”が起こったらしい。初春もその場に直接居合わせた訳ではなく、遠目に見ただけだそうだ。曰く、「怪物になってしまった」と。それ以上の情報は、ジャッジメントには一切下りて来ず、現場に駆け付けたアンチスキルのメンバーにも厳しい緘口令が敷かれているという。そして奇妙なことに、当日、テレビで上空から現場を撮影していた映像が中継されていた筈なのだが、大手メディアの事後報道では全く引用されておらず、SNS上でも片っ端から削除されているという。ここまで大掛かりな情報統制がされているということは、国家ぐるみの陰謀を疑う論も吹き上がって宣なるかなといったところだ。超能力者(レベル5)である御坂美琴が、現場へと駆けつけ事件解決に一役買ったらしいが、最近彼女は非常に忙しいらしく、初春も、同じ常盤台中学校所属で繋がりのある白井黒子も、詳しい話を聞けていないのだそうだ。そうして謎が謎を呼び、レベルアッパーの事件が収束した今でも、被害者がかつて口走っていた「アキラ」や「鉄雄」といった名前は独り歩きし、若者たちの間で一種のネットミームと化してしまっていた。スピリチュアルなもの、スラング、ドラッグカルチャーの象徴(シンボル)として。

 とにかく、カオリにとっての大切な人物は―――それが、学園都市の多数の住人を巻き込んだ騒乱の首謀者だとしても、いまだ行方知れずであり、もしかすると、その命は失われてしまっているのかもしれない、と初春は推測していた。

 

 自分に救いの手を差し伸べてくれたのは、初春とカオリ先輩だ。そう思うと、涙子は、一刻も早くありがとうと伝えたかった。けれど、事件の結果を考えると、二の足を踏んでしまうのだった。

 もやもやした気持ちを抱えたまま、涙子は窓の外へ何となく視線を写した。

 トロンボーンを何本も強烈に吹き鳴らすような排気音が聞こえる。

 

「……なんか、うるさくないですか?」

 初春が怪訝そうに言った。

 教室が騒めいていた。明らかに、このバイクの音は異常だ。すぐ近くを走り回っている。

 

 オイ、アレを見ろ。と、一人の男子生徒が声を上げたのを皮切りに、室内の他の生徒たちも窓側へと集まる。窓が次々に開けられ、途端に教室内に爆音が押し入って来た。

 涙子と初春もそれに混ざって、背伸びしながら外を見た。

 

「え―――何コレ?」

 涙子はぽかんと口を開けた。

 涙子たちの居る教室は4階にあり、校庭が広く見渡せる。

 バイクが何台も、派手に音を吹かしながら、クレイ補装にタイヤ痕を付けていく。暴走族(バイカーズ)を思わせる、排気筒をパイプオルガンのように何本も上へ向けているものも見えた。

 バイクに乗った若者たちは、用具倉庫から強奪したのだろうか、ラインパウダーの袋をバイクの後部にくくりつけたり、或いは2人乗りの後部の物が抱えて巻いたりして、連携しながら何やら描いている。涙子が目を丸くしていると、それらは驚くほどの早さで、決してきれいとは言えない、のたくったような文字を形作っていく。

 

「山形ァ!!どうだァ?」

 特に目立つ一人―――赤いツナギを身に着け、これまた赤く、前後に長い形をしたバイクを駆る少年が、一旦停止して、上を見上げて叫ぶ。

 

「いいぜェ!!ばっちりだァ!!!」

 今度は、教室の上、屋上の方から叫び返すのが聞こえた。

 教室内がざわつく中、涙子は校庭に白く描かれた文字を読んだ。

 

 み  ん  な 

 生  き  て  る 

 

 赤いツナギの少年が、涙子たちの方の教室を見ている。親指を空へと突き上げて、笑みを浮かべている。

 涙子は、その姿にどこか見覚えがある気がした。

 

 どこで会ったんだっけ……?ていうか、何のサインだろう、アレ?

 

「なるほど、なるほど」

 涙子が記憶を呼び起こそうとする作業は、近くの初春が、普段から想像つかないほど低く、ドスの利いた声で唸ったことで中断させられた。

「随分と()()()メッセージであることは認めますが……ジャッジメントとして、看過できませんね!!」

 

「それってどういう―――」

 涙子の疑問を聞くまでもなく、初春は踵を返して教室の反対側へ駆け出し、廊下への引き戸をガラリと開ける。

 するとその時、急に反響する爆音が迫ってくる。

 

「どいたどいた!すまねえ、道を開けてくれぇ!!」

 廊下を黒い塊が走り抜けていく。二人乗りのバイクだ。運転するのは、ジャケットを身に着けた小柄な少年。後ろには、頭に包帯を巻いた作業着姿の男だ。

 二人とも、不敵な笑みを浮かべてバイクで走り抜けていく。廊下に出ていた生徒たちが、驚いて身を引いていく。

 

「あんのバカ野郎共!」

 初春が乱暴な言葉を口にする。頭の花飾りが茨の冠に変わったんじゃないかと佐天は思った。それから初春は、バイクを追いかけて廊下を全速力で走っていった。普段なら、初春が「走っちゃダメなんです!」と生徒に声をかける立場なのに。

 窓の外では、騒ぎを聞きつけた教師たちが怒声を上げながら走っていく。それを察したバイク乗り達が、一目散に正門へと向かって走り出した。

 空になった炭酸カルシウムの袋が、夏風をその身いっぱいに吸い込んで、青空高く、風船のように飛んでいく。

 

 あっという間に起こった出来事に、室内の興奮が冷めやらぬ中、涙子の隣で、誰かがくすっと笑った。

 

「カオリ先輩」

 涙子は名を呼んだ。

 カオリが、口元に手を当てて、くすくすと笑っている。上がった頬に林檎のような赤みが浮かび、えくぼがちょこんと現れている。カオリが笑う度、長いまつ毛が揺れている。

 

「ありがとう」

 

「え?」

 カオリがほんの小さな声で何事かを呟いたが、周りの声にかき消され、涙子は聞き取れなかった。

 

「あのね、涙子ちゃん」

 ひとしきり笑った後、カオリは体の向きを変え、涙子へと向き直った。

 小さな顔に、大きな黒い瞳が2つ、涙子をじっと捉えている。

 涙子は微かに緊張を覚えた。

 

 なんで声をかけてくれなかったの。そう言われると思い、怖かった。

 

「良かったよ。涙子ちゃんが戻ってきてくれて」

 カオリの口から、涙子にとって予想外の言葉が出た。

 その言葉の意味を解釈するのに、涙子は時間がかかり、相手を見つめたまま、口をぱくぱくさせる。

 カオリは、やはり笑顔を浮かべている。

 

「あの」

 やっとのことで、涙子は声を出すことができた。

「先輩、私―――」

 

「私ね」

 窓の外の校庭であたふたする教師陣に目をやり、カオリが言う。

「もっと勉強しようって思った。涙子ちゃんや初春ちゃんに出会えて、いろんなことがあって―――能力って凄いなって、もう何年も学園都市に暮らしてるくせに、今更そう思ったんだ。私は、ちっとも大したことないレベルだけど、でも、そうじゃなくて。この力って何なのか、どうして私たちの中に、そういうエネルギーが隠れてるのか。それって凄い謎じゃない?だから、いっぱい勉強して、そういう不思議の正体を、掴んでみたい。今、何だかそんな風に思ってるんだ」

 

 一気に語ったカオリは、はっとしたような顔をして、申し訳なさそうに涙子を見た。

「ごめん、なんか私ばっかり、変に喋っちゃって―――」

 

 涙子は一、ニ歩踏み出し、カオリのすぐ背後へと周り、そして、小さなその肩をバンッと叩いた。

 勢いでカオリが少しよろける。

 

「ほんとに!先輩ってば、もう!」

 涙子は、カオリよりも背が高い。腕をカオリの首に回し、後ろからそのまま羽交い絞めにする。

 びっくりしたカオリが、何とか首を回してつぶらな瞳を涙子に向ける。

「もう―――凄い人ですよ、先輩は!」

 

 そうかな、とカオリが戸惑ったような声を上げる。

 構わず、涙子は片腕を首に、もう片方の腕をカオリの腰に回し、後ろからぎゅっと強く抱きしめた。

 倉庫街で、傷を負ったカオリを助けた時と相変わらず、華奢な、細い体だった。それでも、涙子はあの時には分からなかった、確かな温もりを感じていた。

 

 ありがとう。

 涙子は、はっきりと、カオリの耳元でそう言った。

 

 カオリ先輩の表情は、はっきり見えない。

 けど、笑ってるといいな。だって、とても素敵だから。

 

 私、まだ帰りたくないな。

 初春や、カオリ先輩と。みんなと一緒に居たい。私だって、負けてらんない。勉強しなきゃ。

 

 自分の腕に添えられるカオリの手の温かさを感じながら、涙子は胸の内で、静かにそう決意した。

 

 そして、涙子の腕の中で、カオリは涙子が期待した通り、或いはそれ以上に、満ち足りた笑顔を浮かべていた。

 

 


 

 

 金田のチームは、爆音を轟かせながら第七学区を駆け抜け、根城の第一〇学区へと至ろうとしていた。

 交差点を曲がろうと機体を傾けた時、金田は不意にバランスを崩し、そのまま路面を滑って横倒しになる。

 

 らしくねぇなぁ!とメンバーからからかう声をかけられた。彼らは構わず金田をあっという間に追い越していく。

 咄嗟に頭を抱え、体を丸めた金田は、ホットプレートのように熱せられたアスファルトから一刻も早く離れようと、すぐに身を起こす。幸い、どこも大した怪我はしていないようだ。

 

 ―――全く、言う通りだ。

 金田は自分自身に毒づいた。

 ふと、小柄で弱気な顔をした仲間の顔を思い出す。しょっちゅう、こんな風に倒れては、押しがけして走り出していた。

 

「へっ、鉄雄よォ。今のはバカにしてもいいぜ」

 遠くへ去った、しかしどこかで生きていると信じている友の顔を思い出し、金田は呟いた。それから、自らのトレードマークである、真っ赤なボディを起こそうと、横倒しになったそれへ駆け寄る。

 

 ふと、車止めのポールの向こう、歩道側で、自分を驚いた顔で見つめている人物に気が付いた。

 

 

 

「よォ、久しぶりじゃねえか」

 あちらこちらへツンと黒髪を立てた少年に、金田は会釈した。

 

 あ~、と黒髪の少年は困惑した声を出す。

「すみませんが……7月の終わり、より前に、もしやお会いしたことがあるでしょうか……?」

 

 はァ?と金田は首を傾げて聞き返した。

「何だよからかってンのか?俺たち、なんだかんだ、いいチームプレーだったと思ってンだけど」

 

 それでも、黒髪の少年が困ったような表情を浮かべたままでいると、その背後から、ずっと背の低い少女がひょっこりと顔を出す。

 

「とうま?知り合い?この人、随分派手に喇叭(らっぱ)を吹き鳴らしてるみたいだけど?」

 

 腰まで垂らした銀髪に、エメラルドの瞳。日本人離れした外見に加え、なぜか安全ピンをごてごてと襟元に取り付けた白い宗教的な服装に、金田は目を惹かれる。

「へぇ、嬢ちゃん。コイツの知り合い?」

 

「まあね。修行中の身の私にぴったりの、貧相で最低限の食事を提供してもらってる、というのかな?」 

 

「……修行中と仰るなら、もっと禁欲的な発言をなされては?」

 少女の言葉に、黒髪の少年はがっくりとうなだれる。

 

 その様子が面白く、金田はからかってやろうと思い立つ。

「修行中……そうか!クソ暑いのにそのフード……一日に何回か、西に向かってお祈りするアレ系?」

 

「事実誤認だし適当過ぎるよね?私たちにとっても回教の人にとっても侮辱。とうま、あなたは経済的に貧しいけど、この喇叭吹きの人は知性が貧しいんだよ」

 

「冗談だって。十字教サンだろ?ぶら下げてるの見りゃ分かるぜ」

 立て続けに金銭の余裕が無いことを揶揄されて力をなくしている少年をよそに、金田はけらけらと笑った。

「でも、そんな清きシスター様を引き連れるなんて、お前も趣味が飛んでンなあ!あの電気ウナギちゃんと付き合ってンじゃなかったのかよ?」

 

「は?なんのことでしょうか!?」

 金田のからかいに、少年は明らかに声の調子を変えた。図星だったのか、隣の少女の反応を気にかけているようだ。シスター風の少女は、ジト目で上条を見上げている。

 

 

 

 その時、唐突に重さを伴ったドラムのビートが聞こえて来た。金田も、少年と少女も、音が聞こえてくる方へ顔を向ける。

 少し離れた歩道沿いの広場に、人だかりができている。こじんまりとした野外ステージで、胡坐を掻いて座る一団が何やら演奏を始めた所だった。一団はモノクロのストライプが強烈な衣装に身を包み、アンプリファイドされたエレクトリックドラムやキーボードを担当する者がいる一方、巨大な鉄琴やゴング、竹琴といった粗削りな迫力を奏でる者もいる。耳障りのよいポップとは全く異なる、独創的な音階が細かい連符を刻みながら幾重にも重なって高揚し、時折切り裂くように割り入る金属音が緊張感を高める。

 

「レベルアッパーの音がどんなんだか知んないけどさ、ああやって再現しようとする音楽が流行ってるらしいじゃん?実際に眠らされてた連中の体験にインスパイアされてンだとよ」

 金田が感慨深げに言った。

「アレのせいで、俺ら苦労したってンのにな、けど、嫌いじゃないぜこの感じ」

 

「それって」

 少年が不安げに金田を見る。

「聞いたら、俺たちも意識なくしちゃうんじゃ―――」

 

「バカ、再現だっつったろ。モノホン通りにできる訳がねェ」

 金田は呆れたように腕組みをする。

「でもなんか、こう、脳ミソに響いてくる感じがするよな」

 

 一団の演奏に熱が入り、周りの観客も波打つように身体を揺らし始めた。

 その内、メンバーは長大な撥を振り上げながら、口を開け、コーラスを響かせていく。

 

 アキラ。木山。鉄雄。

 

 レベルアッパーの使用者が目の当たりにした幻覚(ビジョン)。そこに現れた人物の名を、繰り返し口ずさむ。

 観客も同調し、祭礼のような唱和へと膨れ上がっていく。

 

 鉄雄。

 金田は友の名を呼ぶ。

 やっぱりお前は、生きてるよな。こんなにたくさんの人の中で。

 

 

 

 一瞬だったろうか、それとも長く聞き入っていたのだろうか。金田を現実へと引き戻すようにサイレンが聞こえ始めた。こちらへ近づいてくるのが分かる。

 やべっ、と声を洩らし、金田は自身のバイクの運転席へ飛び込んだ。そして、少年が連れている白衣の少女を見る。

「どうだいシスター?ラブソングを歌いに、教会まで乗ってくかい?」

 

「ゴスペルは専門外だし、喇叭を吹き鳴らすのは私じゃなく天使の役目なんだよ?あなたは明らかに違うけどね!」

 むすっと頬を膨らませ、顔を背けて少女が言った。

 どうやら、金田の印象はとても良くないようだ。

 

 オーケー、と金田は気にも留めず言う。

 それから、黒髪の少年へ顔を向ける。

 

「神の御加護を、だ。じゃあまたな、上条!」

 そして、金田はバイクを後方へバックさせたかと思うと、ホイールのコイルから金色のスパークを迸らせ、甲高く唸る音を上げて急発進した。

 

 記憶を失くした困り顔の少年と、膨れっ面のシスターの少女の横を、やがて何台ものアンチスキルの車両が、サイレンをかき鳴らして通り過ぎて行った。

 

 

 

 やがていつの間にか、街は夜を迎える。

 

 人の欲望に応えるネオン、道を指し示す街灯、暗闇を引き裂くバイクのライト、それを追いかけるランプ。様々な光が急速に街中を走り抜け、その軌跡は蛇のように身体をのたくらせ、翻る。

 バイクを駆る者のゴーグルに、幾筋もの光が走り、それらはすぐに背後へと遠ざかり、過去となる。逆に、目前に広がる世界が、幾つもの未来として待ち受けている。

 その耳には、蓄積されたエネルギーを解放しようとする声が聞こえる。開けられた大口から、祭りの掛け声のように沸き上がる。

 ジェゴグは幾層ものビートを刻み、レヨンは反響し、ウガールは人々の意識を呼び覚ます。

 今夜もどこかで、止め処ない活力が唸りを上げ、街中を縦横無尽に駆け抜けていく。

 源となる力は、学園都市の学生、一八〇万の大脳皮質から発せられる電気信号に秘められている。

 人は想像を働かせる。細胞が分裂するように生まれ続ける想像が、若者に力をもたらし、互いの意識を交えては、この街を、世界を創り変えていく。

 

 その勢いは止まらない。止まることはない。

 

 

 

 




二次創作投稿者の妄想に過ぎませんが、カオリには幸せになってほしいと思いました。

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