【完結】学園都市のナンバーズ   作:beatgazer

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「聞こえるだろう?君も」

 木山春生は、島鉄雄の足元に転がっている、人間の腕程の太さである円筒形の標本カプセルを眺めて言う。

 鉄雄は、黙って木山と同じように視線を落とした。

 

「“彼”からの呼び声だよ」

 鉄雄の沈黙を受けて、木山が手を差し出して言った。

「どういうメカニズムかは分からないが……私が君へ提供した幻想御手(レベルアッパー)は、どうやらヒトならざる者と交信する望遠鏡を向けてしまったようだ。Wow(ワオ)!とでも書き残すべきかな」

 

 木山と鉄雄がそれぞれ見つめるのは、妙にくすんだ蜜柑色をした一連のガラス瓶だ。ガラスの表面には仰々しい書体でラベリングがされていて、液体で満たされたそれぞれの内には、何者かの標本サンプルが浮かんでいる。

 ガラス瓶のひとつの、いまだこびり付いている固形化した窒素も徐々に煙となって消えゆくと、そのラベルの最も目立つ字がはっきりと露わになる。

 

アキラ 脳神経

 

「あんたにも聞こえるって?」

 鉄雄は俯いたまま、上目遣いに視線だけを上げ、木山を捉えた。

「知ったように言うじゃねェか。何でだよ」

 

 木山は、培養液の中に浮かぶ、芽が極端に伸びた歪なジャガイモのような標本へ目を落としたままだ。その目は、多分の憂いを含んでいた。

「私も、君と同じだからさ」

 

「同じ、だと?」

 鉄雄が一息ついて、そして、視線を鋭くした。

「笑わせンじゃねェよ」

 

 鉄雄の背後で、自動車ほどの大きさもあるコンクリート塊が浮かび上がる。鉄雄が紅のマントの下の、機械化された右腕を振り被ると、塊がぱらぱらと瓦礫を払い落としながら、空気を割いてまっすぐに木山のもとへ飛んで行く。

 木山が立っていた位置に、コンクリート塊が炸裂する。ところが、木山の眼前でそれはぱっくりと二つに割れ、音を立てて地面を抉り転がった。

 

 鉄雄が目を見開く。

「……先生、聞いてねェぜ。能力者だったのかよ」

 

「私も驚いている……どうした、その腕は。島君」

 木山は静かに聞いた後で、鉄雄の返事を待たず、唐突に笑い声を上げた。

「何だそれは!……それがレベルアッパーの力だと!この学園都市のどこに、機械化された義手を精巧に組み上げ、合併症も引き起こさず、生身の体に合わせて機能させる能力者がいるというんだい!?それは……非常に興味深い。興味深いよ、島君!だが……」

 

 鉄雄の周囲の空気が、パリパリと乾いた音を立て、急速に冷えていく。空気中の水蒸気が冷却され、氷塊が形成されていく。そして、ランスの先端のように鋭利な氷塊が何本も、鉄雄の体目がけて飛来する。

 そこで鉄雄が唸り声を上げて再び手を振り翳すと、氷塊はあっという間に融解し、蒸発した。

 

 木山は笑みを絶やさない。

「残念だが、私はここで立ち止まる訳にはいかない。君を倒し、一万人の脳を統べる司令塔となる。レベルアッパーの頂点に立つのは、私だ」

 

「冗談キツいぜ、先生よォ」

 鉄雄が眉間に皺を寄せ、小馬鹿にしたような声色を作った。機械化された右腕を掲げて、鉄雄は木山へ言う。

「『ヒトならざる』……なんとかだったな?なら、俺はどうだ。人間か?あァ?」

 冷たい金属の指で、鉄雄は自分の額に触れた。

「お前、俺の頭に……何しやがったあァァ!!

 

 ドガガガとドリルを突き立てるような地鳴りと共に、衝撃波が一気に地面を抉りつつ木山へ迫る。土煙で木山の姿はあっという間に見えなくなった。

 はァはァ、と鉄雄は息をつき、それから舌打ちをした。

 

「本当に残念だと思っているんだよ、島君」

 土煙の向こうから、木山の声が聞こえる。

「君には感謝している。君の力のお陰だ。君が帝国というチームを組織し、それはネットを通じて、承認欲求を満たされようとご執心な若者たちの空間へと、レベルアッパーを流行させる広告塔になってくれた。君たちの間では、こういうのを、バズる、というのかな。まあとにかく、私一人の力では、一万を超える被験者をこの短期間に生み出すことなど、到底不可能だったろう。予想以上の成果だよ」

 

「ごちゃごちゃうるせえんだよ!」

 鉄雄は、周囲に倒れている巨大な配管の残骸を念動力で持ち上げる。それは蛇が鎌首をもたげるように、破損した鋭い切っ先を、晴れかけた土煙の向こうの木山へと向けている。

「俺は確かに、力が欲しいって言ったけどよ……分かンだよ。自分の中で、俺じゃない何かが、どんどん膨れ上がってンのが……どうしてくれるんだよ、先生。どうすりゃいいんだよォ!!

 

「君の能力が、どのようにしてそこまで昂っているのか、興味を惹かれる所ではあるが」

 木山が煙から一歩踏み出し、片手を何か引き上げるかのように上げる。

 鉄雄が向けて来た配管が、まな板の上の人参のように輪切りにされ、力を失い落下する。

「できるだけ穏便に済ませるつもりだ……君は私の、恩人だからね」

 ウェーブのかかった前髪が風に揺れ、木山の瞳が鋭く、苦悶の表情を浮かべる鉄雄へと向けられる。

 左の瞳は、奇妙の赤く染まっていた。

 

「ふざけンじゃねえ!!」

 鉄雄が叫び、木山が再び手を振るう。

 小高く築かれた瓦礫の山が吹き飛ぶような爆発が起こり、轟音が辺りに響き渡った。

 

 


 

 

 カオリは鼻をくすぐるような砂の臭いを感じ、目を薄らと開ける。

 自分に覆い被さっている、大きな体の持ち主の事を感じた。

 

「……黄泉川先生!」

 カオリは脇にどくと、アーマーを身に付けた黄泉川愛穂の体を揺する。少し間を置いて、緩慢に黄泉川が体を起こした。体に降りかかっていたアスファルトの破片がばらばらと落ちる。

「……先生、血が」

 

「ああ、カオリさん……怪我はないじゃん?」

 黄泉川は、額から血を流し、顔は砂でひどく汚れている。それでも、精一杯の笑みを浮かべてカオリを見た。

 カオリがこくんと頷くと、それはよかったじゃん、と言いながら黄泉川は立ち上がろうとする。しかし、脚を痛めているのか、表情をひどく歪めた。

 

「あの、先生、傷の手当てを―――」

 

「私のことはいいじゃん」

 黄泉川は座り込んでいるカオリの肩をぽんと叩き、何とか立ち上がった。

 眼鏡をかけた、若い女性のアンチスキルが駆け寄って来た。

 

「黄泉川先生!」

 

「鉄装。皆の状態は?」

 

 鉄装綴里が表情を暗くする。

「潮騒先生が、左足を負傷して、立ち上がれません、他にも何人か、怪我をした隊員が……」

 

「ああ。だが、生きているんだな?」

 黄泉川が念を押すように言うと、鉄装はしばし黙り込む。

「どうした?」

 

「あの……アーミーの兵士が……」

 黄泉川が、カオリの肩を押さえつつ振り返ると、動ける隊員が、地面に横たわる何かを覆うようにブルーシートを広げているのが目に入る。

 黄泉川は暫く目を閉じて沈黙した後、口を開いた。

 

「……応援を要請しなければならないな。本部に、それから東部担当班にも連絡を。それから、すぐに線量計(ガイガーカウンター)で放射線の測定だ。石棺が吹き飛んだんだ、事態はとうに我々だけの手には負えない―――」

 

「カオリ先輩!!」

 黄泉川が指示を飛ばそうとするところへ、呼び声と駆ける足音が割って入って来た。

 

「……初春ちゃん!それに御坂さんも―――」

 カオリは久方ぶりの笑顔を見せた。真っ先にカオリのもとへ駆け寄って肩を掴んだのは初春飾利だ。後から、御坂美琴と、私服姿の高校生くらいの少年が付いてきた。七学区のセブンス・ミストで、自分を助けようと奮闘してくれたのを、カオリは覚えていた。

 

「怪我は?木山春生に連れ去られたって聞いて、私―――」

 

「あ、うん。何とか大丈夫。さっきは、黄泉川先生が助けてくれたし―――」

 

 再会を喜び合うカオリと初春を見て目を丸くした黄泉川は、驚いたような声を上げる。 

「上条!それに初春、御坂さんまで―――どうしてここへ来たじゃん!?危険だ!」

 

「それは……分かってます」

 上条当麻の表情は、先ほどまでに比べ俄然引き締まったものになっていた。学校で普段からよく知る黄泉川をはじめ、アンチスキルが何人も負傷している目の前の状況を前にして、その顔には覚悟が滲み出でいた。

 

 上条の斜め後ろでは、美琴が携帯電話を手に早口で何事かまくし立てている。

「ええ!あたしだって知ってる!今目の前で見えたから!……原発!?今ここで言われたところで……んあー!もう!万が一ヤバくても手遅れだしそんなの!黒子の方でどうにか調べられないの!?」

 

「白井が懸念している通りだ」

 黄泉川が、足を引きずりながら上条の前に進み出た。

「いかに過去の遺物だと言っても、石棺が崩壊したんだ。どういう意味をもつか分かるだろう。一刻も早く、ここを立ち去るべきじゃん!」

 

「先生、その事なんですけど」

 初春がカオリから黄泉川に視線を移して言った。

「石棺が崩壊したこと自体は、直ちに放射線被害をもたらすものではありません。実験区の原発に被害が出てれば別ですが―――石棺の下には、過去にメルトダウンを起こした施設跡なんてなかったんです」

 

「何?」

 黄泉川が怪訝な顔をしたところで、再び爆音が聞こえる。その場の一同がそちらを見た。

 石棺が崩壊した後には、瓦礫や建材が積み上がっているのが見える。そこで、再び土煙が上がっている。奇妙なことに、赤や白色の光が時折煌めいているのが見える。

 

「木山春生……!」

 美琴が唸るように言うと、カオリが不安げな表情を浮かべる。

 

「あの人、言ってました。鉄雄君に会いに行かなきゃならないって―――きっとあそこで、木山先生も、鉄雄君も……」

 

「木山と、島鉄雄もいるのね!?」

 美琴はぎゅっと拳を握り締めると、初春とカオリを振り返る。

「初春さん!カオリさんを連れて、アンチスキルの先生たちと一緒に避難して!」

 

「御坂さんはどうするんです!?」

 初春が心配そうな声をかけると、美琴はニヤっと笑って見せた。

 

「驕るつもりは無いけれど……私、超能力者(レベル5)だから!レベルアッパーを使ってみんなを苦しめてる奴ら、まとめてひっ倒す!」

 そう高らかに宣言すると、美琴は黄泉川が制止する声を聞かずに走り出した。

 

「おい!待てよ、ビリビリ!」

 上条も美琴の背中を追って駆け出した。

「すんません!黄泉川先生!アイツのこと、何とかしてきます!」

 

「おい待てってば!……なんて若い子たちじゃんか」

 呆れたように黄泉川が呟く。それから、表情に生気を宿して顔を上げた。

「鉄装!」

 

「ハッ、ハイッ!」

 

「突っ立ってる場合じゃない、今すぐ動くじゃん!一般人の保護と、負傷者の応急処置、避難を!本部には、原発の被害を上空から空撮して、被害状況の評価を光の速さでやるようにケツ引っ叩いて!木山の勤務先へのガサ入れの報告はまだ!?それから、動ける者で、あのバカ2人を追い掛けるじゃん!!」

 黄泉川がまくし立てると、鉄装は何度も裏返った返事を叫び、周囲の仲間と連携して行動し始めた。

 

「支部長……もしかすると、予想とは全く違う事態が起きてるかもしれないじゃんよ」

 負傷のために、今この場にいない上司の顔を思い浮かべながら、黄泉川はひとり呟いた。

 

 慌ただしく動き始めるアンチスキルの隊員たちを、カオリと初春は不安そうに見つめた。

 カオリは何か言いたそうに口を開いた。

「……初春ちゃん」

 

「何ですか、先輩?」

 カオリが小さな声で語り掛けると、初春は顔をカオリに寄せる。

 

「実は、木山先生から預かったものがあるの」

 カオリは、真剣な表情で初春を見つめた。

 

 


 

 

 畜生。

 鉄雄は声に出して毒づいた。

 生身の左肩を切り裂かれ、血が流れ出ているのを、機械化された右手で押さえながら、瓦礫の陰に身を潜めて、息を切らしている。

 

「随分臆病に振舞っているじゃないか」

 いつの間にか、木山が背後に回り込んでいた。鉄雄はがばっと振り返り、木山を睨みつけるようにして意識を集中させる。

 亀裂が地面を走って木山へと向かう。しかし、波動は木山の目の前数mの所で弾かれたように霧散する。木山の周囲の空気が、ほんの一瞬眩く光を放った。

 さっきからこの繰り返しだ。攻撃を多く放っているのは鉄雄だが、全て木山に避けられるか、防がれている。鉄雄の頭痛は時を追うごとにひどくなり、数少ない木山からの反撃によって体を傷つけられたこともあり、無性に焦燥が高まっている。

 

「演算に集中できていないな。それとも、単に訓練不足か……」

 木山の衣服はひどく土埃で汚れているが、それは鉄雄と遭遇した当初の通りだ。鉄雄の攻撃はほとんど通じていない。

「無理もないと思うよ。君はほんのひと月前まで、職業訓練校(トレセン)で怠惰に過ごす、一介のバイカーズであり、無能力者(レベル0)だったんだ。演算の仕方を磨き上げる時間なんて無かったろうし、アーミーのラボは能力の発現ばかりに重きを置いて、精度の向上には無頓着だったからね」

 

「ごちゃごちゃとうるせえ!」

 軌道が明らかな衝撃波では防がれる。そう考えた鉄雄は、木山春生の立つ位置一帯の重力操作を試みる。

 しかし、なぜか的外れなことに、木山の後方で瓦礫の崩落が起こる。

 その瞬間、眩暈を伴うほどの頭痛の波が押し寄せ、鉄雄は呻きながら膝をつく。

 

「これは私の推測だが」

 木山は何をするでもなく、鉄雄をただ見つめて言った。

「今、レベルアッパーの被験者で、意識を保った者が君と私の二人だけだとすると……今、私たちは綱の上で押し合いへし合いしている訳だ。一方がバランスをひとたび崩せば、たちまちもう一方に意識を呑まれる。そして今、君は正に奈落の底を見つめている状態だ。仕方がないのさ。第一号の被験者は私だ。アドバンテージはこちらにある。なぜなら、レベルアッパーは、脳波を私のものへと調()()する働きを持つのだからね」

 木山は姿勢を屈めると、瓦礫の中に転がっていた金属缶を手に取る。

「君がなぜ、今の今まで屈服せずに意識を保っているのかが妙だが……なあ島君。なぜ君はそこまでして戦うんだい?私には()()()()()があるが……君は、何のためにここまでやって来たのかな」

 

「ふざけるんじゃねえよ……」

 顔を押さえた、機械の指の隙間から、鉄雄は木山を睨み返す。

「俺がいよいよこんなザマになったのは、お前があの音を聞かせたからだ……違うか」

 

 木山はやれやれと首を振った。

「君が、力を欲しいと言ったんだよ?全く、コレだ……子どもは言う事がコロコロ変わるから、嫌いだ」

 木山の赤い眸が鋭くなる。

「それに、お門違いという奴だ。文句なら、アーミーのラボの老人共に言うべきだな。生きているかどうかは知らないが……私は彼らに協力したに過ぎない。最も、そのお陰で、レベルアッパーの完成に至ったのだけどね」

 木山の掌で、ふわりと金属缶が浮かぶ。

「なあ、島君。何も別に、君を殺してしまおうなんて思ってはいないんだ。ただちょっと、諦めて、気絶でもしてくれればそれでいい。私はある事柄について調べるのに、皆の脳を借りたいだけなんだ。人を傷つけはしない。それは君にも頼んだはずだが」

 

「今更聖人ぶンのかよ、先生」

 鉄雄は足を震わせながら、どうにか立ち上がる。

「何でレベルアッパーが、こんなに短い間に、これだけ多くのバカへと広まったかって?俺のお陰?ちげェよ。俺がやったのは、何人かのピエロどもに釣りの仕方を教えただけなんだよ……レベルアッパーを広めたのも、それを元手に金を巻き上げたのも、アーミーやアンチスキル、ジャッジメント、周りのスキルアウトに片っ端からケンカ売ったのだって、『帝国』の偉ぶった連中が好き勝手にやったことだ……俺の、知らない所で……俺がリーダー?さァ、どうだかな」

 

「私が言える立場ではないが、これだけ大きな事態になった所で、その弁明は説得力が無いぞ、島君」

 木山の操る金属缶が掌を離れ、ふわりと鉄雄の頭上へと移動する。

「例えば、こんな能力……これを私が再現できるのも、君の働きのお陰だ」

 

 鉄雄が金属缶を見上げると、シュウウウと吸い込むような音を立てながら、缶が収縮し始めた。

「ハッ!こいつは覚えてるぜ」

 鉄雄が忌々し気にばっと腕を振るうと、金属缶はバリッと音を立てて飛散する。

「俺への当てつけか?七学区の店で、カオリに手を出しやがった眼鏡野郎の―――」

 

「甘いよ、島君」

 鉄雄の言葉に被せるように、木山がはっきりと言った。

「能力行使の仕方が、単調過ぎるんだ、君は……」

 

 木山の言葉を聞いて、不満そうに目尻に皺を寄せた鉄雄は、ふと眩しさを感じて辺りを見回す。

 鉄雄の周囲を、キラキラと太陽の光を受けて反射する無数の金属片が漂っている。

 それらが全て一様に、再び収縮を始めた。

 

 木山が口を開く。

「妄想を現実にするなら、もっと多くの想像を働かせることだ」

 

 鉄雄は咄嗟に腕で顔を覆った。

 次の瞬間、鉄雄を四方から爆炎と風が襲い、辺りに粉塵が巻き起こった。

 

 

 

 その爆風は、二人の戦場の麓まで辿り着いていた、美琴と上条にも叩きつけられる。

「危ない!!」

 上条は咄嗟に美琴を地面へ押さえつけた。

 

 

 

 なるべく鉄雄には悟られないようにしていたが、心身に不調をきたしつつあるのは、木山も同じだった。

 額から落ちる汗をぬぐい、木山は大きくため息をつき、すとんとその場に腰を落とした。

 ずきずきとした頭痛が、どっと押し寄せてくるようだ。

 

「……すまない、島君」

 粉塵が晴れてくると、瓦礫の上に、血痕と共に細かな機械部品が散乱しているのが見える。

 鉄雄の右腕を構成していた物だと、木山は推測した。

 

 これで、レベルアッパーの被験者の脳波は、全て自分の物になった。

 眠ったままの、あの子たちを救える。

 

 疲れた笑いが、木山の唇から零れた。

 木山はふらふらと立ち上がり、鉄雄が居た場所に背を向ける。すると、ふと瓦礫の上に転がる筒状の物体が目につく。

 鉄雄が白日の下に曝け出した、「アキラ」の標本サンプルだ。

 敷島大佐を始め、アーミーの者たちは皆、この「アキラ」を恐れているようだったと、木山は思い出した。しかし、目の前に転がっているのは、ただのスライスされた神経系統だ。

 それでも、木山の脳裏には疑問が浮かぶ。

 ならば、ここ最近、自分にしきりに語り掛けてくるものは何だったのか。悪夢のようなあのビジョンは何を示唆しているのか。

 レベルアッパーが他者と脳波を共有するものである以上、他者の思考や潜在意識が無意識の内に流入することは可能性としてあり得た。しかし、それが「アキラ」と何か関係があるのか。

 

 木山はゆっくりと、「アキラ」の脳神経サンプルへと手を伸ばす。

 指先が、ガラスの冷たい表面に触れた。

 

 その瞬間、木山の鼻腔に、強烈な腐臭が立ち込める。

 驚愕して身を引くと、自身の両腕が、何か熱をもった、柔らかい肉感のあるものに包まれる。

 振り向くと、ぬらぬらと光沢を放つ巨大な肉塊が、口をぽっかりと開けるかのように、眼前へ立ちはだかっていた。

 言いようのない粘性をもった液体が、びちゃびちゃと髪を、頬を濡らす。

 腐臭が一層強烈になる。

 

「違う!!」

 大声で木山は叫んだ。

 これは現実ではない。幻だ。

 

 意識を何とか集中させると、体を濡らしていたもの、両腕を拘束していたものが突如消え去る。

 鼓動が早鐘を打つ。木山は息を切らし、辺りを見回す。

 落ち着かせようと息を吸い込むと、腐ったような臭いが微かにした。

 

 臭い?

 木山は足元へ顔を向けた。

 ピンク色をしたゴム手袋のように柔軟で、光沢を放つ手が、自身の片足を掴んでいた。

 

 思わず、ヒッ、と息を呑んだ。木山の全身に、鳥肌が走る。

 足を抜こうとするが、その前に、奇妙な手が、2本、3本と増え、それらは絡み合いながら木山の足を掴み、膝、太腿、内股へと這い上がって来る。

 木山が歯をガチガチ鳴らしながら顔を上げると、島鉄雄が立ち上がっているのが見えた。

 全身、血みどろだ。

 そして、先ほどまで機械化された精巧な右腕が接続されていた肩口から、赤いマントを押しのけ、脈動する肉塊が、所々に機械部品を巻き込みながら、自動車程の太さへと膨れ上がりながら、自身へと伸びてきているのを見た。

 

 次の瞬間、木山は姿勢を崩し、地面へと引き倒される。

「やめ―――」

 あっという間に、体が燃えるような熱さに包まれていく。

 鼻と言わず、口元までもが、腐臭で満たされていく。

 

 恐怖で満たされた木山の脳裏に、幾つもの呼び声が割って入った。

 アキラ、としきりに呼んでいた。

 

 

 

「ビリビリ!おい、大丈夫か―――」

 ガラリと、自身の背中に被さっていた石礫を払い、上条は体の節々に痛みを感じながらも起き上がり、美琴の背中を揺さぶる。

 美琴も、大きな怪我は内容で、すぐに体を起こす。

 

「うん、あたしは平気―――」

 美琴の目が大きく見開かれ、言葉が途絶えた。

 上条はその様子を不審に思い、美琴の目が釘付けになっている方へ振り返る。

 

「なに、あれ……」

 美琴がぷるぷると指を震わせながら、瓦礫の小高い丘の上を指差した。

 その言葉には、上条も同感だった。

 

「アレは―――」

 上条が口を開いた瞬間、バイクのエンジン音が一気に背後から押し寄せて来た。

 

 

「鉄雄ォォォォ!!!」

ドドドッと音を立て、金田がバイクを停めるなり、肩に担いだレーザーの銃口をまっすぐに丘の上へと向けた。

 

 

 

 




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