では、どうぞ
加速世界に足を踏み込んだ僕は辺りを見渡す。ここは……黄昏ステージ。先輩と初めて出会った場所である。淡いオレンジの光が僕の体を照らし、若干の熱感を与える。和人先生ことキリトは、こういう細かいところにも拘っていたのかと思うと、脱帽する思いだ。
僕はしばらく夕日を見つめ続けていた。現在は対戦ステージではなく、クローズド空間にいる。回りには誰もおらず、ギャラリー熱い声援も聞こえない。
ああ、今アッシュさんは元気にしているだろうか。先輩が消えてから一度も戦ってない。もう一度戦いたいなと願うが、当然この場にはいない。ニコやパドさんはどうしているだろうか? リアルでも会わないし、ここでも会わない。僕は、はあっとため息をはいた。
そのとき、気配を感じた。敵意のあるそれではない。僕はゆっくりと振り返る。そこには、予期していた人物がいた。
「君は……誰だ?」
僕の目の前にいる少女は訝しげな視線を僕に送った。露出度がやけに高いドレス、背に生えている大きな蝶の羽、そして変わらぬ美貌。全てがあの人そのままだった。
***
――いったいどうしてこうなった?
私ーー黒雪姫は今人生で一番困惑している。何故なら、授業を受けている途中に急に桐ケ谷先生に呼び出されて、何かと思ったら新作アプリを試してほしいと言われて仕方なく応じてそれを起動したら、意味の分からない空間に移動させられ、奇妙な人型ロボットのような何かが立っていたからだ。だから私はこう聞いてやった。誰なんだと。
すると、そのロボットはゆっくりと私を見た。そして、質問に答えた。
「僕は、有田春雪です」
有田春雪。
この名前は知っている。先程生徒会室に呼び出した太り気味の男子生徒の名前だ。だが、今有田春雪と名乗っているロボットはスリムすぎる。淡く燃えている夕日の光を美しく反射しているメタルアーマーに包まれた体は女性のようにすらっと細く、背も高い。顔はヘルメットみたいなので隠されており、たぷんとした印象は一切見当たらない。正直信じられない。
「何を言っているんだキミは。有田春雪は現実では……ええっと、その……」
「デブで、卑屈で意気地なしで、足手まといで、虐められっ子で、情けなくて、弱い。そう言いたいんですね」
「いや、別にそこまで言いたいわけじゃない。第一君はそんなんじゃ――」
そこで私は口をつぐむ。明らかに何かおかしいことに気づいたからだ。
今別に、そこまで入っていないとだけで済ませればよかった会話だ。というか、それだけしか言わないつもりだった。なのに、今反射的に、というか無意識のうちに、追加のフォローが入ったのである。何故だ? なぜそんな現象が?
「…………」
目の前にいるロボットは何も言わない。とりあえず今私が抱いた疑問は捨て置くとして、次の疑問に入る。
「なあ、このアプリケーションは一体何なのだ? 桐ケ谷先生に試してみてくれないかと言われたがよくわからないんだ。君も協力しているのなら、ぜひ教えてほしい」
桐ケ谷先生にはソフト名すら教えてもらえなかった。私がこうして入ってしまったのは、気紛れだが、聞いておかなくては何かと気が済まない。
目の前のロボットはヘルメット越しから声を出した。
「ここは、ブレイン・バーストです。秘匿された、対戦格闘アプリケーションゲームです」
格闘ゲーム、だって? 桐ケ谷先生も随分とくだらないことをするものだ。馬鹿馬鹿しい。何故私がこんなこと――。
突然、こめかみが鋭く痛む。
「ぐっ…………」
どくんと奥から痛みが染み渡っているような感覚。何かと引っかかっているが、それが何なのかわからないことに対する怒りによって引き起こされた痛みが与える苦悩。これは何なんだ? VR空間酔いか? だが、それはあり得ない。学校のローカルネットにてそんな症状は起こらない。
それにーー何故か目の前のロボットを見たことがある気がするのだ。そんなのあり得ないのに。
「先輩、これを渡します」
ふと、ロボットはこちらに歩み寄って、すっと私になにかを差し出した。クリスタルだ。私は恐る恐る手に取った。すると……光が放出された。
「うわっ!?」
私は驚いて思わずそれを落としてしまった。視界が一瞬にして白く染まり、ロボットの姿も霞んでいく。
視界が回復し、再びロボットの姿が見えるようになる。ロボットは黙って手鏡を差し出して私はそれを手に取る。すると――私の顔面が、縦長の黒のヘルメットに覆われていた。
「な、何だこれは!?」
私は叫んだ。驚きのあまりポイッと手鏡を落としてしまい、パリンと手鏡は壊れる。全身を見回すが、明らかに人間の体ではなくなっていた。手足の指はなく、剣山のようであり、体型も相当スリムで無駄がない。体の感覚も軽い。これは……アバターなのか?
「デュエルアバターです。名前は――《ブラック・ロータス》」
「っ――――!」
またこめかみが痛んだ。何故だ、何故その名前に私の脳は反応するのだ? 初めて聞いた単語のはずだ、なのに……なのに……。既視感どころじゃない。はっきりと何故か脳裏に映る。そのアバターを身にヤツし、数知れぬ戦いに身を投じていたことが。そして、このロボット、いや、アバターの隣に立っていたということも。これは……別の、私の知らない、"黒雪姫"の姿なのだろうか?
わからない。これは一体何なのか?そもそもこいつは何をたくらんでいるんだ? 本来ならば彼だって当惑したっていいはずだ。だけど、彼は全てを知っているかのような態度だ。
「な、なあ。一体何をたくらんでいる? 意味の分からない世界で、意味の分からないアバターを渡されて、説明がないのはおかしいぞ」
「…………そうですよね。じゃあ、はっきり言います」
目の前のアバターは、頷いた。そして少しの間が置かれた。
「あなたは、この世界にて数えきれないくらいの死闘を繰り広げ、たくさんの出会いをして、高みを目指していたことを忘れてしまったんです。だから僕はそれを思い出させたいんです」
「な……に……?」
唖然とした。無理もない。まず私は一介の女子中学生だ。戦う? 高みを目指す? たくさんの出会い?
そんなわけはないんだ。そんなわけは――――。
「あ……れ……?」
頬に何かが流れていた。液体だ。それも、熱い。目頭がいつのまにか熱くなっていた。これは、涙? でも、なんでだろうか?
目がないマスクから何故涙が出るのだろうか、という些細な疑問を彼に聞こうとしたが、先に嗚咽が漏れる。だから、違う質問をすることにした。
「なんで、私は泣いているんだ?」
「分かりませんよ。でも先輩はきっと、嬉しいんだと思うんですよ」
「嬉しい……?」
うれし涙だとでもいうのか? でも何が嬉しいのか?
いや、何故か今はうれしい、というか気持ちがいい気分だった。
何だろうか。
戻って来たと、いうような感覚。帰ってきたと叫びたい衝動。でも、どこに帰ってきたのか、どうしてそう思ったのかわからない。もどかしすぎる。
それだけじゃない。胸がどうしようもなく疼いてきた。目の前にいるアバターがなぜか恋しくなったのだ。もう、意味が解らない。イライラする。記憶がないと彼は言ったが、それはどうやら本当らしい。何故なら、抜け落ちているものが多すぎるからだ。
一体、私の知らない私は、何をしてきたんだろう。垂れる涙を拭うのも忘れ、目の前のアバターに視線を送る。
「なあ、本当に私はこの世界に、いたのか?」
「――はい。あなたが、僕を導いてくれたんです。どん底にいた僕を、貴方が手を差し伸べてくれたんです」
「…………」
「きっと、覚えていないでしょうけど話しますよ。あれは僕が一年生のころ。僕はいじめられっ子でいつもパシらされたんです。そんなふざけている毎日を変えてくれたのはあなたです。僕をいじめっ子から助けてくれて、そのあと、ブレイン・バーストに、導いてくれたんです。この感謝は、一生忘れません」
彼は確か今二年生だから、一年前、すなわち私が二年生の時の出来事だ。うっすらとだが――いじめっ子を撃退した覚えはある。同時に、同一人物と思われる男子生徒に轢き殺されかけた記憶も。その時、一緒にいたのがこのアバターを被っている少年、有田春雪だというのか。
「僕は、その日以来、あなたの騎士であり続けた。ブレイン・バースト上の関係ですけど、親子の絆を断つこともなく、一緒に戦ってきました。それ以降、僕は嫌悪でしかなかった自分が好きになりました。あなたがいたから」
「…………」
陽光が揺れ始めた。フタリを分かつ光が薄れていく。アバターは私に近づいていく。距離は、二メートルほどにまでになった。
「あなたは僕にこう言ったんです。"このたかが仮想の二メートルが、キミにはそんなに遠いのか?"と。僕には、遠かった。でも、今は近いです。人と人とを分かつ壁なんてない。それも、先輩から教えてくれたんです」
言った覚えが、ある。ウジウジしていた奴にそう言った記憶がある。距離を作っていた少年――かどうかはわからないが、叱咤した覚えはある。
アバターは下を俯いて話を打ち切った。その後姿勢を正した。
「先輩、記憶は戻らなくてもいいです。僕が伝えたいことを言えればそれでいいですから。先輩、ありがとうございました。この世界に導いてくれて、僕を救ってくれて――僕を愛してくれてありがとうございました。先輩が初めて言ってくれた言葉、忘れませんよ。確かこうでしたね。もっと先へ――――」
雷光が走った。もやもやしていた情報が、記憶がすべて一本につながる瞬間を体感した。それは流れる川の如く記憶を巻き込んでいき、もう一人の私を脳内に作り上げていく。どうしようもない思慕の念、さまざまな記憶。どれも大切なものだ。
だから少年が言いかけた、言葉の続きを、言えたのである。
「もっと先へ……《加速》したくないか、少年」
「え……?」
***
「え……?」
僕はただただ驚いた。このセリフは、先輩が僕に語り掛けた言葉だ。その台詞をすらすら――というわけではなかったが言えるということはこういうことだ。記憶が戻ったということ。
報われたんだ、僕の苦悩は、戦いは。先輩は……本来の自分を取り戻したんだ。
今、目の前にいる先輩は戸惑いの表情をしている。ヘルメット越しでもそれがわかる。
「あれ……何で私はこんなことをいったんだろうな? ハルユキ君」
先輩ははっと我に帰るように呟いた。だが、きっと今の台詞は先輩の記憶に根付いていたんだ。だからーー僕のことをハルユキ君と呼んだんだ。
僕は胸がどうしようもなく熱くなった。僕のことを親しく呼んでくれたその名前を再び聞けるとは思っていなかったから。
「あ、あれ!? すまなかったな、下の名前で呼んでしまって……今日はすごく変だ」
「変じゃ、ないです。これからも僕のことを……そう呼んでください」
僕は、声を絞り出した。先輩は額に剣と化した手を添える。そして、そうかと短く呟いた。
「では、そうさせてもらうよハルユキ君。では、一つ聞いていいか?」
「何ですか?」
先輩は若干躊躇いがちに話した。
「さっきから胸がどうしようもなくうずくんだ。これは……どうしてなんだろうな?」
「…………」
胸がうずく。こういった表現はきっとあれだろう。ああいうものだろう。でも……僕はそれをいうのを恐れた。そこで初めて僕は気づく。
僕は何も変わってない。先輩を失った今でも、あのうじうじしていた僕と全く変わらない。
それじゃあダメなんだ。それじゃあーー。
僕の想いを伝えなくては。
「きっと……恋しているんですよ。あなたの知らないあなたが」
「恋……だと?」
「はい」
「…………」
先輩は黙った。馬鹿馬鹿しいと一蹴しないのを僕は知ってた。何故なら、先輩は僕に告白をしているから。僕はまだその返事をしていない。
だから今がそのときだ。
「あなたの知らないあなたに言います。僕は、ブラック・ロータスを、黒雪姫を、愛しています」
目を見つめて僕はいった。絶対にあり得ない、無いと思っていた告白をした。在り来たりで何の味気もない。ストレートすぎてしまった。
仮にこれで変な人と思われてもいい。これで僕は悔いがない。僕は、背を向けようと体を後ろへと向けようとしたがーー。
「ーーーー!」
誰かに触れられた。暖かい、この感触。非力そうな女子の腕が僕の体に巻き付かれ、背中には胸が密着している。僕は背中越しにその人物を見つめた。
「先輩……」
「はる……ゆきくん……君は、辛かったんだろうな」
「え……?」
どういう意味だ?
「こんな小さな背中に、色々なものを背負っていたんだな……君は私の知らない間に戦っていたんだろうな……それなのに、側にいてやれなかった。私は、親失格だな」
涙で濡れる先輩の顔を僕はじっと見つめた。いつの間に学校のローカルネットのアバターに戻った先輩の美貌が眩しく映る。
僕は首を横に振りながら先輩の続く言葉を待った。
「そればかりか、君のことまで忘れてしまった……。最低な奴だ、私は……」
「そんなことは、ないです。最低なのは僕です」
僕は背を向けながら否定する。
「先輩を守るのは僕の役割、でもそれを果たせなかった。騎士としての役割を果たせずにあなたを消してしまった。先輩は何一つ……悪くは……」
突然視界がぼやける。目頭も熱い。ああ……何て厄介な代物なんだろうか。涙ってやつは。言葉を出せやしない。
「ごめんな……ハルユキ君。私は今、思い出したよ。お疲れさま、だな。そしてーーありがとう」
僕は、背を向けながら先輩の言葉を受け止めた。体にかかっていた疲れが切れた。これで僕の戦いは終わった。張り詰めた心は溶け始め、涙腺が緩む。
もう二人に交わされた言葉はなかった。二人の間にあったのは、再会を祝う涙だけだった。
***
バーストアウトと二人で叫んで、現実世界へと戻ってきた僕たちは、辺りを見渡す。生徒会室には僕たちしか、いなかった。和人先生はいつの間にかいなくなっていた。1.8秒もないはずなのに。恐らくすでに外に出ていたのだろう。今は先輩と二人きり……。
そう、二人きり。
それを認識した瞬間、急に心臓がドキドキと跳ね始めた。そういえば、僕は告白をしたのだった。愛していると、宣ったのだ。思い出すだけで顔から火が出そうだ。
隣に座っている黒雪姫先輩も顔を赤くしている。でも、僕は嬉しい。こうしてーー可愛い先輩の姿も見られるのだから。
「は、ハルユキ君。君は……言ったよな?」
「は?」
先輩がボソッと何かを言ったので僕は腑抜けな返事を返した。すると先輩はズイッと迫り、僕の胸ぐらをつかんで叫ぶ。
「言ったよな!? 私のことを……そ、その……好きだって……」
後半は消え入るような声でいった先輩は恥ずかしそうに視線をそらした。僕はビクゥッと体を跳ねさせた。どう答えればいいんだ……?
「おい、どうなんだ?」
普段の先輩の調子に戻ったことを喜びつつも僕は目をそらす。だけど、先輩の、惹き付けるような目線には参るものである。僕はこくりと頭を下げた。
「はい……いいました。で、でもあれにはそのーー深い意味は……んぅ!?」
僕は曇った声をあげた。目を大きく見開き、状況を把握する。顔は火照っていて、鼓動はばくばくと鳴っている。そして唇には……柔らかい感覚が強く、優しく押し込まれていた。
僕は、先輩にキスされているのだ。
先輩の唇は乾いていてあまりソフトな感覚はない。だが、先輩の暖かさが熱を帯び、情熱的な感じにさせてくれる。唾液が入り込み、独特の風味がする。これがキスの味なのか……?
数秒後、先輩は唇を離した。そのときの先輩の表情を僕は忘れない。生徒会室の窓から差す太陽の光が艶やかな髪に反射して輝きを見せており、微笑む顔は、睡蓮の花のように、凛々しく、また、何者にも換えがたい美しさを誇っていた。僕は、そんな彼女に見とれた。
「思い出したとき、君にこうしてやりたかった。君がどんなに辛い想いをしてきたか、私ごときに語る資格もない。だからせめてこうしてやりたかったんだ。君にならすべてを差し出しても構わないから、な」
「そんな……僕はもう、辛くないです。だって……こうして先輩が近くにいてくれるから……」
「そうか……。どうだ、君のファーストキスの相手が私というのは? 君を一度ならず何度も苦悩させてきた人間からもらうキスは?」
自虐的だ。そんな先輩は、見たくない。かつての僕を見ている気分だ。だから、僕は首をそっと振った。
「嬉しいです。ファーストキスなんて、無いと思ってましたし……僕の大好きな人からのキスですから、尚更です」
「悔やんでも悔やみきれない記憶喪失をしてしまった私と接しても、か?」
「はい。それに今はそうじゃない。僕の慕ってきた先輩の姿です」
「そっか……分かった」
先輩は僕の巨体を抱き締めた。温もりが僕を包み込み緊張が解きほどかれる。
「おや? 少し痩せているな。ダイエットでもしたのか」
「はい……少しでも、先輩にみっともない姿を見せないためにーーうっ……!」
嗚咽が漏れた。泣きそうな声だ。熱い液体がそっとこぼれ、ポタリとソファーに粒が落ちる。我慢しなくては。これじゃあみっともない。涙は流さないと決めたのに……。
ふと、僕を抱く力が強くなった。僕は、先輩の顔を見る。
「ハルユキ君。ありがとう……お疲れ様」
その一言で僕の涙腺は壊れた。拭うのも忘れてただ泣いた。先輩の胸に顔を埋めて、ひたすら涙を流した。僕の溜め込んでいた悲しみ、苦しみを全て吐き出すかのように。
先輩は何も言わず受け止めた。僕の髪を優しく撫でながら、ただ僕に微笑んでいた。
日溜まりのように暖かい、瞬間が何時までも流れ続けていた。
***
午後11時。俺ーー桐ヶ谷和人は自室にてパソコンを叩いていた。カタカタとリズムよく叩かれていくキーボードの音は眠気覚ましには丁度いい。
ワードに書き込まれた論文の結論が完成しそうだというところで、ノックが響いた。俺はドアに背を向けたままどうぞと言う。
がチャッと控えめな開閉音が静かな室内を満たし、誰かが入ってくる。俺は見なくても分かった。ノックの調子で、家族の誰なのかがすぐわかる。
「明日奈、まだ寝てなかったのか?」
「うん。珈琲淹れていたから。飲む?」
「ああ、頂くよ」
俺は、妻ーー結城明日奈から珈琲の入ったカップを受け取り、グッと飲む。微妙に苦い味が眠気を払拭してくれた。
「ねえ、何の論文にするの?」
明日奈がパソコンを覗き込んで言った。
「平行世界の干渉についてだよ。つっても、仮想の範疇なんだけどな。正直適当に書いているさ。だって解明されてないんだから」
「もう、ちゃんとやらなきゃダメだよ」
「そうだな。でもまあ、分かりきっていることが一つある」
「何?」
興味を示してきた。俺はベッドに座るよう促した。俺は回転椅子をぐるっとベッドの方に回して語り始めた。
「平行世界って言うのはいわゆるパラレルワールド、てのはわかるよな。でも、今自分のいる世界がパラレルワールドなんて分かりはしないってことも解明済みだ。だけど……新たにもう一つのことが分かったんだ。それは、゛四次元レベルにおける平行世界の干渉゛だ」
「四次元ってことは……時間、すなわち過去と未来で干渉し合うってこと?」
「そうだ。本来ならあり得ない話なんだけどな。でも俺はそれを一度、体験したことがある」
「ほんとに?」
「ああ。あれはもうかれこれ20年くらい前の話だけど、俺は比嘉さんの実験にアルバイトとして協力したんだ。まあダイブテストなんだけどさ。そのときにダイブしたVR空間が、俺の作ったあのプログラムなんだ。と言うか、あれにそっくりだった」
「そうなの?」
明日奈にはブレイン・バーストのことは明かしてある。俺はそのまま話を続けた。
「ああ。比嘉さんはこういってたんだ。量子演算回路は滅多にはないが平行世界への干渉を起こす場合があるってな。まさにそれが起こったんだ。しかも……未来に干渉したんだ」
「にわかには信じられないわね、それ」
「だろうな。でも本当だったんだ」
俺は苦笑して明日奈を見る。
「でも、貴方の言うことなら信じるわ」
「ありがとう。で、この平行世界の干渉は相互の平行世界に干渉していくんだ。現に俺は、この平行世界の干渉を機に、あの世界を作り上げたんだ。そしてきっと、そっちにも何か変わったことがあったのかもしれない。本来現れるはずのない人間が、現れたんだから当然だけどな。だから俺は今それをレポートに書いている」
「私は信じるけど……多くの人はちょっと無理なんじゃない?」
クスッと明日奈は笑う。
「だからいったろ、適当に書いているって。これは菊岡に出すんだから問題はない」
「あ、そうなんだ……」
「学会とかだったらもっと真面目に書くさ」
「そうだよね」
二人でクスクスと笑いながら話しているうちに眠くなってきた。俺は、大きくあくびをして、ベッドに倒れ込む。
「あー、もう眠いや……レポートやって寝よっかな……」
「ごめんね、邪魔しちゃって」
「いや、別にいいよ。明日奈と一緒にいる時間は好きだしな」
「嬉しいこと言うわね。ありがと」
明日奈は俺に寄りかかり、目を閉じる。そのあとすぐに、寝息をたてて寝てしまっていた。俺はやれやれとかぶりをふり、彼女を掛け布団の中に入れた。俺はパソコンに残りの文字を叩き込んで、保存しパソコンをシャットダウンする。そして彼女の寝顔を見つめた。もう結婚してから15年は経つと言うのに未だに容姿は端麗だ。我ながら幸運だと思う。俺は彼女の耳元まで近づいて、お休みと囁いて、椅子に再び腰かけて、目を瞑った。
目を瞑ると、ふと、銀翼の鴉が空高く飛翔する姿が見えた。どこまでも上昇して、限界を知らないと言うように、自由に飛び続けている。また、戦いたい。その思いが、消えることはない。
いつか、また戦ろう。
そう、脳裏に映る鴉に語りかけたのだった。
***
僕と先輩が恋人になり、1年と少し経った。僕は高校受験を無事クリアし、先輩と同じ公立学校に入学した。入学祝に、先輩のハグがあったことはよく覚えている。
僕たちは中学校の時と同じように一緒にいた。先輩もブレイン・バーストのことを徐々に思い出していき、桐ヶ谷先生が改造したブレイン・バーストを使って僕の対戦を見に行くほどになっていた。僕はレベル10になったとはいえ、まだまだ強くない。強くならないといけない。アッシュさんとも恒例で戦い続けている。そしてーーーーーー今も、僕は戦場にいた。
「さてと……五回目の勝負だぜ、キリト」
「今のところ、全部タイムアップで終わっているんだよな……いい加減決着をつけたいね」
「同感だよ。じゃあ、始めようぜ!!」
「おうっ、来いっっ!!」
僕はちらっと脇を見る。すると、ステージ外から学内アバターの黒雪姫先輩の姿があった。頑張れとエールを送ってくれている。そしてその横には、栗色のロングヘアに、細剣を腰に差している女性がいた。キリトの関係者だろう。
二人は、デュエル開始の合図と同時に地を蹴った。二人にあるのは憎しみでも、思慮でもなく、ただの興奮だった。
バーサス。
再び交錯した平行世界の二人は、今日も戦いをし続けるのであった。
黒雪姫エンドです。ご都合主義かつ、説明不足な部分もあるかもしれませんがご容赦ください。
ありがとうございました。今まで応援してくださった方に感謝申し上げます。
では、またどこかで会いましょう。感想お待ちしております。