これまで『三邪神』のカードを丈に見せて貰う機会は何度もあったが、実際に丈が三邪神を召喚したところを目撃したことは一度もなかった。
三邪神はデュエルモンスターズのゲームバランスを根底より崩壊させかねないほどのパワーをもつカード。その攻撃はソリッドビジョンでありながら確かな痛みを相手プレイヤーに与える為、普通のデュエルで使用する事は出来ない。
どうして邪神を召喚しないのかという藤原の問いに丈はそう言っていた。
オネストの口振りから三邪神が凄まじい力をもっていることは分かっていたが、予期せぬアクシデントで他の男が邪神を召喚しようとしたことで実感をもって『理解』できた。
恐怖を具現化したような悪魔が自らを召喚した不相応なデュエリストに裁きを下そうとする光景。もしも丈が寸でのところで止めなければ、あの男は文字通り邪神に食い殺されていただろう。
アレを見てしまってはソリッドビジョンの故障なんてチープな理屈では済ませない。アレは決して嘘やマヤカシなどではなかった。
デュエルモンスターズのカードが相応しくないデュエリストを食い殺そうとするなど、巷の人に尋ねれば漫画の見過ぎと笑われるだろう。
だがアレを見てしまってはどんな人間でも否応なく知るだろう。カードでありながら人を凌駕する三邪神という存在を。
三邪神を目にした藤原の魂は震えていた。
どうしてなのか、自分でも良くは分からない。ただ単純に邪神の力に憧れたというわけでもなかった。それでも心が邪神に手を伸ばせと騒いでいるのだけは分かった。
「ふっ、ふふふふふふ…………」
自分の部屋の床に藤原は一心不乱に魔法陣を描く。魔法陣を描くための材料は己の鮮血。藤原の人差し指はカッターで切られトクトクと血を流していた。
『マスター、なにをしているのですか? それは良くないものです。どうか止めて下さい』
オネストが魔法陣から浮かび上がってくる闇の波動を悟ったのか止めようとして来る。
これまで常に共にあったオネスト。もはや家族とすら言っていい彼を「五月蠅い」と一蹴した。
「やっぱり僕があの時に聞いたのは空耳なんかじゃなかった。丈、君が三邪神を見せてくれたお蔭で僕もこれに気付くことが出来たよ」
三邪神は冥界の大邪神ゾーク・ネクロファデスを三分割したカードだ。そこには当然ゾークの力が宿っている。
現世と冥界は光と影。表裏一体の存在だ。あらゆる物事には表があり裏がある。さながらカートの裏表のように。
冥界とは現世に対する裏だ。ならばこの『世界』そのものにも裏が存在する。同じ裏側に属するカードを『視る』ことで藤原はこの世界の裏の存在を知覚することが出来た。
恐らくはこの世界の裏は現世の裏である三邪神と共鳴している。だからこそ心の根っこでその世界を求めている藤原に向こう側から語りかけてきたのだ。
魔法陣を書き終えると、赤い鮮血がまるで生きているかのように蠢き始めた。
『マスター! どうか止めて下さい! 一体なにを――――』
オネストの必死の懇願に藤原はなにも答えなかった。一つのカードケースを取り出すと、そこへオネストのカードを入れる。鍵をしっかりとかけると、オネストは『マスター……』と言い残し消え去った。
これでいい。自分はこれからあちらの世界に向かうがオネストまで連れていく必要はない。
「さようならオネスト」
全ての用意を終えた藤原は魔法陣の中心に一滴の血を垂らす。
瞬間、闇が爆ぜた。
「ぐ、うぅぅうぅぅぅぅぅうぅう!!」
闇が藤原の体に入り込んでいく。青と白を基調としたアカデミアの制服が暗黒に染まっていった。
そしてその面貌を黒い仮面が覆っていく。
『汝か。我を願い、我を欲したのは……?』
仮面の先で闇そのものの化身が君臨している。
体全体をすっぽりと包み込む魔法使いのようなローブと巨大な漆黒のマント。藤原は思わず七十二柱の悪魔を束ねたソロモン王をイメージしてしまった。
けれどローブの奥から覗く顔は人間のものではなく、西洋悪魔の髑髏だけがそこにあった。
「お前が、僕に、俺に語りかけてきたのか?」
『我に問いを投げるか。それも良かろう。人間よ、我こそはダークネス。この十二次元宇宙の裏、ダークネス世界の化身にしてそのものである』
「ダーク、ネス」
藤原は確信した。自分がこの世界を、ダークネスを欲した理由を。
誰かに忘れられるのが恐かった。自分の存在が恐かった。死が恐ろしかった。
ならば――――。
誰かに忘れ去られるのが嫌ならば、自分から全てを忘れてしまえばいい。
藤原優介はこの日、全てを捨ててダークネスと『契約』した。
七時間目の授業が終わる。今日の特別講師はクロノス先生だった。……授業内容は昼にやったデュエル実技の応用編のようなものだったが、非常に有意義なものだった。
特にテーマは違えど同じ機械族デッキを使う亮には掴むものがあったようで、授業中誰よりも真剣に授業を受けていた。
丈は教科書類をしまうと振り返る。
「これから購買行くけど、どうする?」
「購買か。まぁ特に予定があるわけでもない。付き合おう」
亮の方はあっさりと了承する。だが、
「ごめん。僕は今日は直帰するよ。具合悪いからって病欠した藤原が気になるしね」
「あぁ」
今日の授業、いつも一緒に行動している藤原の姿はなかった。それというのも早朝、藤原が具合が悪いと申告した為に休みをとったのが理由である。
いくら特待生寮のノルマが厳しいといっても流石に病気の人間にノルマを強要するほど非人道的ではない。病気の時は一日50デュエルのノルマも免除されるので今頃藤原は自室のベッドで休んでいるだろう。
「けど藤原が風邪を引くなんてね。オネストがついるし大丈夫だとは思うんだけど……」
「オネストはしっかりしてるし特待生寮には執事さんやメイドさんがいるけど、やっぱり心配だからね」
なんだかんだで友情に熱い吹雪らしいことだ。
「じゃあ俺たちは購買でなんか体に良さそうなものでも買ってくか。……あ、でもそれなら特待生寮で頼めば幾らでも出て来るか」
「いいんじゃないか? こういうのは気持ちの問題だろう」
亮が腕を組んでらしくないことを口走る。丈と吹雪が仰天すると亮は不機嫌そうに「なんだ?」と言ってきた。
「だってねぇ。あの亮が気持ちの問題なんて……」
「朴念仁の亮らしくないよね」
吹雪と二人、顔を見合わせる。
「お前達は俺をなんだと思っているんだ? 俺だっていつもデュエルのことだけ考えているわけじゃない」
「!」
「丈、一々驚かないでくれ。少しショックだ」
「あはははは。じゃあ俺と亮は購買寄ってくから吹雪は藤原を頼む」
「任されたよ」
吹雪と別れると、丈は亮と一緒にアカデミアの購買部へと向かう。
アカデミアの購買部はデュエル専門校にある設備ということでパンや文房具、雑誌以外にもカードパックも絶版になったもの以外は完備している。
人気商品は紙袋に包まれ、買うまで何が当たるか分からないドローパンだ。生徒の引きの強さを鍛えるためのパンであり、一日一個だけの黄金のタマゴパンを求めて日々多くのデュエリストが挑んでいる。また具なしパンを当てると、三枚珍しいレアカードが入っているのでそこも人気の秘密だ。
ドローパンを始めここでしか手には入れない商品も多いので生徒たちの間では好評の購買だが、24時間営業ではないので中等部の田中先生は満足できないだろう。
「トメさん、ドローパン一つ」
「おや丈くん。あいよ、ドローパン」
購買部を仕切っているトメさんにお金を払いドローパンを受け取る。
紙袋から取り出してみると……残念ながら黄金のたまごパンではなく普通のカレーパンだった。
「まぁいいかカレーパン好きだし」
「……よくパンを食うなお前は」
どうやらカードパックを買ったらしい亮が呆れながらパックを開封する。余り目ぼしいカードを当てられなかったらしく、亮の顔が苦いものとなった。
「俺はパン党なんだよ。亮はどっち? ごはん、パン? それとも、ところてん?」
「どっち、という程でもないな。ごはんもパンも万遍なく食べている。お前のように朝は絶対にパン、というポリシーがあるわけでもない」
「ふーん」
カレーパンをもぐもぐと口へ運びながら、藤原へのお見舞い品を持って校舎を出る。
七時間目終了後だからなのか周りに一般生徒の姿はない。
(妙だな? この時間ならまだ学校に残ってる生徒や部活中の生徒がいるはずなのに)
今日は特にイベントもなく、プロデュエルで好カードが切られたという話もない。別に特に早く寮へ戻らなければならない理由はないはずだ。
単なる偶然だろうか。チラリと亮を見るが、特に疑問に感じている様子はない。
きっと自分の考え過ぎだろう。首を振って疑念を振り払う。気を取り直すため少し刺激の強い話題を新たに切り出す。
「そういえばさ。鮫島校長が会長をしてるピケクラ愛好会にあのプロデュエリスト、ドクター・コレクターも所属してるらしいよ。驚きだよな」
ドクター・コレクターは終身刑を喰らい獄中にありながら、FBLに捜査協力をしており、司法取引によって囚人でありながらプロデュエリストとしての活動を許されているその筋では有名な男だ。
デュエリストとしての実力も非常に高く、何度か全日本最強デュエリストのDDにも挑戦している。
「……鮫島、校長?」
「ん」
てっきり亮はピケクラ愛好会に対して苦い顔でもするのだろうと思っていたが、どうにも反応がおかしい。まるで鮫島校長の名前を初めて聞いたようにきょとんとしている。
「ど、どうしたんだ? そんな鳩が豆鉄砲を喰らった様な顔をして……」
「すまない丈。少しド忘れしたのかもしれない。鮫島とは、誰だ?」
「おいおい笑えないぞ。幾らピケクラ愛好会が受け入れられないからって、それじゃ性質の悪い苛めっ子みたいだよ」
「何を言っているんだ。俺は真剣に聞いているんだ。誰なんだ、鮫島という人は? 校長……このアカデミアの校長はそんな名前の人だったのか」
「………はい?」
一瞬、亮が頭をうっておかしくなったのかと疑った。しかし亮は至って平常な顔をしている。狂っているようにはとても見えない。
信じられない事だが、亮は真面目に自分の師範である鮫島校長が誰なのか尋ねているのだ。
「整理しよう。鮫島校長はこのアカデミアの校長でサイバー流の師範で、お前の師匠だよな」
「――――すまない。俺にはお前が何を言っているか分からない。いや、サイバー流の師範? くっ……っ! 駄目だ、何故か分からない。サイバー流に師範がいたことは記憶として知っている。だがそれが誰だったのか、さっぱり思い出せない。まるで存在だけがすっぽり抜け落ちたかのようだ」
「亮!?」
ここに至り確信する。何かが起きている。良くない何かが現在進行形で発生している。
肌身離さず持ち歩いている三邪神からドクンッと心臓が脈打つのような音を聞いた。
「……お前は」
ふと道を塞ぐように一人の男が立ち塞がっていることに気付く。
サングラスと肩パットのついたライダースーツに身を包んだ怪しげな男性。明らかにアカデミアの人間ではない。
「誰だ?」
「真実を語る者、トゥルーマン、ミスターTと呼んでくれたまえ。宍戸丈、我がダークネスと別種であり同極にして同質のデュエリスト」
ミスターTと名乗った男は不気味に笑うと、腕からデュエルディスクを出現させた。