エド・フェニックスとの一戦以来、カイザーこと亮のデュエルは明らかに精細を欠いていた。
プロ入りから常勝無敗を貫いていた戦績は、今では黒星と白星が均等に並ぶようになり、凡庸な成績が続くようになっていた。初手にサイバー・ドラゴン三体が揃うことはまるでなくなり、手札事故もそれなりの頻度で起こるようになっている。
数々の修羅場を潜り抜けた経験で失ったものを補っているからこそ、どうにか凡庸で踏みとどまることが出来ているが、もしも命懸けの戦いをした経験がなければ、今頃亮は連戦連敗を重ねてマイナー落ちしていたかもしれない。
対するエド・フェニックスはといえば、D-HEROのお披露目を勝利で飾ることこそ出来なかったが成績は絶好調。亮とのデュエル以降の試合は全て白星である。風の噂ではデュエル・アカデミアであの十代をも撃破したという話だが、今の亮には後輩と母校のことを気に掛ける余裕はなかった。
あの海馬瀬人が作り上げただけあって、プロの世界は完全なる実力社会だ。人種、宗教、肌の色、国籍、年季……。その他諸々全てが度外視され、純然たる成績のみが評価される。
どうにか凡庸な成績を保っているとはいえ、今の自分ではなにかの拍子に最下層に落ちないとも限らない。そのことは亮自身が一番分かっていた。
(俺の戦績が……いや、デュエリストとしての引きの強さを失った原因。それは……分かっている……)
亮の引きの強さが落ちたのは、エド・フェニックスとのデュエルからだ。もっと言えばサイバー・ダークを実戦に投入してからである。
誰よりもカイザー亮という男と共に戦ってきたからこそ、自分の主人がサイバー・ダークを鮮烈に加えたことに不快感をもっているサイバー・ドラゴン。そして力への渇望から丸藤亮という男を己に取り込もうとするサイバー・ダーク。
この反発こそが亮が思うようなデュエルが出来なくなっている原因である。ならばサイバー・ダークをデッキから排除すれば、サイバー・ドラゴンも機嫌を直し嘗ての力を取り戻すことが出来る筈だ。
目の前に提示されている安易な解決法。だが亮はそれを振り払う。
(駄目だ……。俺は更なる高みへ登り詰める為にサイバー・ダークを師範から託された。今此処でサイバー・ダークを捨てても結局は元の木阿弥。
嘗ての力を取り戻すことが出来たとしても、それは停滞に過ぎない。デュエルの世界は日々進化していっている。歩みを止めたデュエリストに未来はない)
宍戸丈、天上院吹雪、藤原優介。三人の友の顔を思い浮かべる。
あの三人は今この瞬間にもプロリーグで鎬を削り、更なる進歩を続けているだろう。自分だけがここで立ち止まっている訳にはいかない。
(だがどうする?)
これまで亮は一途にサイバー・ドラゴンを信じ続け、サイバー・ドラゴンもそれに応えてくれた。そのため今回のようにサイバー・ドラゴンが反発してきた場合の対処法など、亮には皆目見当もつかない。
それにサイバー・ドラゴンをなんとか出来たとしても、サイバー・ダークの問題が解決しない限りは意味などはないのだ。
(幼い頃であれば道に迷った時や壁にぶつかった時は、師範に教えを乞えば直ぐに解決策が返ってきた。だが俺はもう幼い子供ではない。それに――――)
サイバー流裏デッキはあの『マスター鮫島』すら制御することができず、封印するしか出来なかった闇のカード。無礼であるが例え鮫島でも、サイバー・ダークの御し方など分かりはしないだろう。
亮は深い思考に没頭しながら夜の街を歩く。プロとして活動する際の黒いコートではなく、普通の私服を着込んでいるからか、それともカイザー亮というデュエリストが世間から忘れ去られているからなのか。道行く人に見つかって群がられる、というようなことはなかった。
人間の興味というのは移ろいやすいもの。世間を騒がせたプロデュエリストも、常に成績を出し続けなければ一か月後にはただの人だ。
だが中にはどれだけ世間の興味が他へ移ろうとも、一途に想い続ける本物のファンというのも存在する。
「あのっ!」
人気のない路地に鈴のような少女の声が響く。
「……………もしかして、俺のことか?」
数瞬遅れてその声が自分を呼んでいることに気付き、亮はゆっくりと後ろを振り返った。
まず目についたのは幼いとすら言える小躯。クリッとした目ははっきり開かれていて、ストレートに伸びた髪は月明かりによく栄えている。
「はい! あの亮様、御久しぶりです!」
「久しぶり? 俺には君のような知り合いなどいないが…………待て。もしやお前は……レイか!?」
早乙女レイ。かれこれ七年ほど前、亮がまだデュエル・アカデミア中等部に入学するよりも前の時。丈と共にデュエルを教えていた少女だ。
七年間メールと電話ばかりで直接は会っていなかったせいでまったく気付かなかった。
「そうか。こうして対面しただけで分かる。デュエリストとしての気迫が七年前とは段違いだ。一見するとスリムなボディも、デュエルに必要な筋肉が良い具合に発達している。成長したな、レイ。立派になったものだ……」
「あ、ありがとうございます……」
早乙女レイにとって丸藤亮と宍戸丈の二人は憧れのデュエリストだ。世界で最も尊敬しているデュエリストの名前を二人あげろと言われたのならば、レイは確実に亮と丈の名前をあげるだろう。
そんな憧れの相手に褒められてレイの頬がトマトのように赤くなる。
「今日はいきなりどうしたんだ? 家に来れば茶くらいは出すぞ」
「じ、実は…………えと」
レイは周囲をキョロキョロと見渡して誰もいないことを確認すると、気合いを入れるように下唇を噛んだ。そして、
「亮さまのことがずっと好きでした! 付き合って下さい!!」
レイはありったけの勇気を振り絞って、七年間ずっと秘めてきた想いをぶつけた。
「……………………………………………………なに?」
これまで友人の吹雪が女の尻を追いかけたり、女に尻を追いかけられたりすることは多々あったが、自分自身の恋愛については全くの興味なしだった亮である。エド戦やサイバー・ダークのことが尾を引いている中、いきなり嘗て可愛がっていた妹分の少女の告白に頭の中が真っ白になった。
なんということはない。百選連覇のデュエリストも、恋愛に関してはド素人だったというだけの話だ。
「ずっと好きだったんです、七年前から……。丈サマも憧れのデュエリストではあるんですけど、やっぱりデュエリストじゃなくて恋する相手として好きなのはずっと亮サマで……。だからお願いします。恋する乙女の気持ちを受け止めて下さい!」
変化球のない感情を相手にそのまま叩き付けたストレートな告白。恋愛にまるで興味のなかった亮も、真っ直ぐな本当の気持ちはずっしりと心にきた。
こういう時、丈や藤原は別として吹雪であれば気の利いたセリフを返すことも出来るのだろう。だがこの手のことに生涯でまったく関わってこなかったせいで、亮にはどう答えたらいいか分からない。
それでも真面目な性分から黙り込んでいることも出来ず、飾らない本心をそのまま口から吐き出す。
「レイ、君の気持ちは嬉しい。七年間一人の人間や一枚のカードを一途に想い続けることが、どれほど凄いことかは俺にも分かる」
「じゃ、じゃあ!」
「だがすまないが……俺は君と付き合うことはできない」
「……っ!」
「俺は自分自身のデュエルについて考え直さねばならんことがある。サイバー流とサイバー流裏デッキ……サイバー・ドラゴンやリスペクトデュエルについて……。情けない話だが、今の俺は自分のデュエルに精一杯で、恋人を気遣う余裕なんてないんだ。
それにこんな自分の道すら見失った男と付き合っても、かえって君が不幸になるだけだろう。レイ、俺と違ってお前は若い。デュエルのことしか考えられん馬鹿な俺より、異性としてもっと素晴らしい人間など幾らでもいる。だから―――」
プロデュエリストという人生を既に歩み始めていて、もう19歳になろうという亮とレイは違う。
レイはまだ小学六年生。これから中学校に入学し、人生を決めていく年齢だ。今の自分がレイと付き合うことは、かえってレイの可能性を摘むことになりかねない。
「亮サマ自身はどうなんですか?」
「俺の?」
「デュエルのこととかはおいておいて、亮サマ自身はボクのことを好きなのか嫌いなのか……。せめて最後にそれだけ教えてください」
「…………嫌いか好きかで言えば、好意をもっているのは確かだろう。嫌いな相手にデュエルを教えるほど俺は酔狂ではないからな。
しかしデュエルに生きてきた俺には、恋愛の経験は皆無だ。故にその〝好き〟が恋愛対象としての好きかどうかは分からん」
19歳の大人が小学六年生を好きになるというのはロリコンのレッテルを貼られる可能性がある――――――と、いうような常識的な考えは亮にはない。そもそも亮は常識と義理人情を天秤にかければ、義理人情を選ぶ気質な男だ。自己保身のために自分の感情を偽ることなどはない。
だからこそレイのことを異性として好きなのか、妹分として好きなのか分からないというのは紛れもない本心だった。
「分かりました。なら亮サマ、デュエルで勝負だよ!」
「なに?」
「亮サマがデュエルに生きてきたなら、想いを確かめる方法はデュエルをすることだけ」
「成程、一理あるな。…………いいだろう。嘗ての教え子のデュエルを見ることが、俺自身の悩みを砕くことにも繋がるやもしれん。その勝負、受けて立つ!」
「「――――デュエル!」」