足場の崩壊に巻き込まれ、奈落の底に落下した丈は、まるで邪神に起こされるかのように唐突に意識を覚醒させた。
体を強く打ち付けたらしく全身が痛むが、別に動けないほどでもない。このくらいの苦痛は、闇のゲームで受けるダメージと比べれば飯事のようなものである。
丈の落ちた場所は遺跡の最深部、神を奉る神殿に程近い場所らしく、どことなく荘厳な気配が感じられた。上を見上げれば自分達の歩いてきた通路だったものが無残な姿を晒している。目測だが通路までの高さはざっと50mといったところだろう。これを昇るのは少々骨の折れる作業だ。だが今の丈には遺跡からの脱出よりも気にするべきことがあった。
「っ! ホプキンス教授!」
「うぐ……丈、くんか…………良かった、君もどうにか無事のようだね……」
「教授。足の骨が、折れている……」
丈に医術の心得はないが、足の腫れ具合からも折れていることは一目瞭然だった。これでは元の通路までよじ登るなんて不可能だろう。
ホプキンス教授は遺跡発掘のために日頃から運動を欠かさないため、高齢ながら若者には負けない体力をもっている。しかし流石に丈とは違って無傷とはいかなかったのだ。
それにホプキンス教授だけではない。問題はもう一つ、否、もう一人。
「教授。レベッカの姿が見えませんが心当たりは?」
「なに!? レベッカがっ! ぐっ、痛っ……」
「動かないで下さい。大丈夫ですよ。ここにいないということは、きっと先に目を覚まして周囲の様子を見に行ったんでしょう」
ホプキンス教授の手前はっきりと言うことこそしなかったが、もしもレベッカが落下の衝撃で死亡していたのなら、近くに彼女の死体が転がっているはずだ。それがないということは、レベッカが生きているという証明である。
レベッカが祖父である教授を置いていなくなった理由は幾つかあるが、一番可能性として高いのは丈が教授に言った理由だ。しかし丈は自分で発言しておいて、それが正解であるとは何故か思えなかった。
どうしてかと問われれば、明確な根拠はないので『直感』としか答えようがない。或は精霊がざわついているから、では理由として不足だろうか。
「教授。俺も少し様子を見に行ってきます。直ぐ戻りますからここを動かないで下さい」
冷や汗が頬を伝う。目隠しをされて銃口を頭に突き付けられたような気分だ。
この遺跡全体から自分に対して滅殺の意思が伝わってくる。巨人の手に握りつぶされている気分を味わいながら、自分の勘が囁く方へと進み始めた。
遺跡の荘厳なる雰囲気と、濃密な殺意は一歩一歩進む毎にどんどんと強くなっていっている。自分が遺跡の中心部、終着点に近付いていることが丈には理解できた。
――――ドクンッ!
丈の担っている三邪神も自分の対極に位置する精霊の気配に脈動しているようだった。
そして宍戸丈はその場所に到着する。古代の神官と統治者たちが、五人の英雄と五人の竜を奉った神殿。祭壇の奥、生け贄を安置する台座には金髪の女性が寝かされていた。
「レベッカ!」
眠っているレベッカに呼びかける。だがレベッカは魔力によって意識そのものを凍てつかされているらしく、呼びかけに答えることはなかった。レベッカの目を覚ますには、まず彼女を縛る魔力を祓う必要があるだろう。
それには彼女を台座から離さなければならない。丈はレベッカに駆け寄ろうとして、
『――――なるほど。冥界の王に魅入られたダークシグナーは貴様だったか』
「!」
こんなものを喰らってしまえば病院送りは間違いない。後ろへバク転を三回転して魔力弾を躱しきる。
「お前は……」
丈の視線の先にいたのは灰色のローブを纏った神官風の男だ。その姿は朧げで幽霊のように現実感に欠けている。ローブには赤き竜がウロボロスの如く自らの尻尾を咥えて環をなしている姿が刻印されていた。
この男こそが遺跡中の殺意の源泉。通路を倒壊させ、丈たちを奈落の底へ突き落した張本人だ。いや果たして人と呼称して良いモノなのかは自信がもてないが。
「お前がレベッカを攫ったのか! どうして彼女を攫った!?」
『地縛神の尖兵よ、滅するがいい。ここは貴様の踏み入って良い場所ではない』
神官風の男の手から魔力が鞭のようにしなり振り落された。石柱を容易く砕く破壊の鞭が、変幻自在に動き回りながら丈を追い詰めてくる。
ブラックデュエルディスクで受けることも考えたが、あの鞭の動きを踏まえれば防御するのは難しい。そう判断した丈は床だけではなく壁や天井を足場にして、立体的に走り回ることで攻撃を掻い潜っていった。
「くっ! 俺はそんなものじゃない! それよりレベッカを返せ!」
『私は五千年前のシグナーが残した赤き竜の現身、嘗て冥界の王と戦った神官の再生。世界を冥府の闇に包もうとするダークシグナーから、五体の竜の魂を守護することこそが我が使命なり……』
「シグナーの……再生だと? ということは、やはりホプキンス教授の学説は――――」
『ダークシグナーよ。
「ちっ! 分からず屋め!」
出来る限り穏便に済ませたかったが、自分だけではなくレベッカの命までかかっている以上は仕方ない。丈は邪神アバターのカードを前に突き出す。
担い手の強い意思を受けたアバターが、鈍い光を放ち始め、シグナーの化身が振るった鞭を不可視の衝撃波で弾き飛ばした。衝撃の余波でよろめくシグナー。その隙を丈は見逃さなかった。
「喰らえッ!」
鋭い踏み込みで距離をつめると、裂帛の気迫でシグナーに掌打を喰らわせた。
自分の掌に
吹き飛ばされ壁に叩き付けられたシグナーは、怯むことなく逆襲の火炎放射を手から飛ばしてきた。
「ドレッドルート、半減せよ!」
殲滅の意志をもった冷たい炎が、ドレッドルートの恐怖のオーラによって半減した。そして次にイレイザーのカードから放たれた雷によって炎を相殺する。
次はどんな攻撃を仕掛けてくるか、と思考を巡らせながら丈は次のカードをデッキから抜き取る。
『む。この気配は……』
だがシグナーの注意は丈の持っている三邪神のカードに注がれていて、それ以上攻撃を仕掛けてくることはなかった。
シグナーが攻撃を止めたことで状況が動いたことを悟った丈は、発動しかけたライトニング・ボルテックスを停止する。
『地縛神と同じ冥界の力だが、どこか異なる。地縛神とは違い、これは安らぎ……? 全てを受け入れる性質をもつ純黒の王者にほだされたというわけか。ということは、お前は――――そなたはダークシグナーではなく……』
一人ぶつぶつと呟いて、勝手に納得した様子のシグナーが丈には理解できない言葉を呟いた。
すると遺跡から五つの石版が競り上がって来て、シグナーの化身の周囲を覆う。
「なんだ? これは」
『汝、私とデュエルをしろ』
「なに? デュエルだと?」
『そなたが導き手だというのならば、私とのデュエルに勝利するがいい。さすれば娘は返そう。だが負ければ娘は永劫の眠りから覚めぬと覚悟せよ』
いきなりの要求には面食らったが、シグナーの言葉に虚飾は感じられない。そもそも英雄の残滓に過ぎない彼に、嘘を吐くような機能はないだろう。
どのみちこのまま睨み合っていても仕方がない。丈は頷いた。
「……いいだろう。デュエリストとしてその挑戦を受けよう」
『フッ。挑戦、とはな。五千年も時を経ればかように面白い人間も生まれるか。ゆくぞ!』
「「デュエル!」」
こうして遺跡の最深部で魔王と英雄の残滓の戦いが始まった。