銀河英雄伝説 ヤン艦隊日誌追補編 未来へのリンク   作:白詰草

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オリジナルのキャラクターが登場しますのでご注意ください。


第6話 食卓に並べたものは
記憶と愛


 ジャカランダの青紫の花が散った7月。イゼルローン要塞に夏が訪れた。最高気温の設定が摂氏26度に変更されただけであったが。

 

 これに不満を述べたものが一人。

 

「まったくつまらん。女の子が大して薄着にならないじゃないか」

 

 そう言い放った悪友に、コーネフは冷静に反論してやった。

 

「ここは軍事施設だぞ。何を求めているんだ、おまえは」

 

「違うぞ、商業区のほうだ」

 

 イゼルローンの人口は五百万人。そのうち将兵は二百万人、残りの多くはその家族だ。ずっと人数は下がるが、彼らを対象とする商業やサービス業の従事者もいるにはいる。

 

「ポプラン、よく考えてみろ。

 妙齢の美女がいても、かなりの確率で本人か親のどちらかがご同業だ。

 立体TVドラマのような服が売れると思うのか」

 

 彼のいうとおりで、需要が少ないので供給も少ない。華やかでひらひらした服を売る店と、それを着ている可愛い()の両方が。いないこともないが、大体が接客サービス業の従事者、玄人さん(プロ)であった。ポプランが求めている相手とはやはり違うのだった。

 

「おまえ、夢も希望もないことを言うなよ……」

 

 口説いた相手の親が、ムライのおっさんや要塞事務監の同類だったらと想像すると、色事師も動きが鈍るというものだ。ああ、夏を満喫したい。森林公園をつくるんなら、ビーチの一つもつくっておけよ。盗人猛々しい不満を抱く、緑の目の撃墜王(エース)である。

 

 そして、不調を訴えるものが一人。

 

「なんだか頭がぼーっとするなぁ。夏ばてかな」

 

「提督のは四季ばてです。夏のせいにしないでください」

 

 被保護者に手厳しく切り返されて、肩を竦めて遠い目をする黒髪の保護者である。自分より大きなスーツケースを引き摺っていた、あの健気で小さな少年はどこに行っちゃったんだろう。

 

 もう自分と背はほとんど変わらなくなった。中学校のころからスポーツ万能で、薔薇の騎士連隊から白兵戦や射撃を学んでいる。しなやかな肢体は、均整のとれた筋肉がついて若い一角獣(ユニコーン)のようだ。この前の健診結果では、体重は追い抜かれていた。遠からず、身長も追い抜かれるだろう。

 

「でもなぁ、ここ何年かこの時期は艦隊勤務だっただろ。

 十度も差があるんだ。身体がついていかないよ」

 

 言い訳を口にするヤンを、ダークブラウンの瞳がじろりと見た。

 

「たしかにそうかも知れませんが、六月との気温の差はたったの二度です」

 

 反論のしようもない正論であった。だが、ヤンの食欲が落ちているのも事実である。なにか、いいレシピはないものだろうか。口で厳しいことをいってみても、ユリアンもヤンに甘いのだった。夏服になった姿を見ると、その肩の薄さが目立つ。自分の方がずっと軍人らしい体形だ。この軍人らしさの欠片もない肩は何百万人の味方の命を背負い、帝国軍に抗してきたのだ。

 

 ユリアンは戦闘艇のパイロットとして、初陣ではワルキューレ三機と巡洋艦一隻、先日の第八次攻略戦でもワルキューレ三機を撃墜した。だが、自分と友軍機、それを庇い合うのがやっとだった。死の息吹を頬に感じて、食事も喉を通らないという状況を身をもって体験した。

 

 それでも、志望を曲げなかったのは、やはり師父の助けになりたいからだ。今のところ、一番に役立つのは、ヤンの衣食住の面倒を見ることだろうけれど。

 

 細いイゼルローン回廊の中央に位置する国防の最前線。砂時計のくびれにはまった栓だ。押し寄せてくる帝国軍に、要塞と一個艦隊で抵抗し続けなくてはならない。イゼルローンが同盟の手に落ちる以前は、十二の宇宙艦隊があったが、大規模な会戦はそう多くはなかった。

 

 幼帝エルウィン・ヨーゼフ二世の先帝、フリードリヒ四世は灰色の皇帝と称された。兄と弟が帝位を争って共に倒れ、宙に浮いた玉座に座った平凡な君主。何事にも消極的で、国政も各尚書らに任せ、大貴族らを押さえつけたり重用するでもない。唯一、積極的と言えたのが、寵姫と関係を結ぶことだったが、歴代皇帝のなかではおとなしいものだ。

 

 自由惑星同盟との戦争についても同様であった。53年前の第二次ティアマト会戦で、ブルース・アッシュビー元帥がもたらした、帝国軍にとっての『涙すべき四十分間』で、数十人の将官が戦死。この人的被害の回復に、三十年以上の年月を要している。それは彼の在位期間の三分の二以上に及ぶ。

 

 だが、一転して今はどうだろう。ローエングラム公ラインハルトの姉を後宮に召した頃から、帝国と同盟の戦争は、再びの緊張状態となった。パトリック・アッテンボロー氏が、長男に、士官学校の受験をなかば強要していた頃とは状況が違う。

 

 これまでの140年の戦争は、同盟に地の利のある国境紛争であった。イゼルローン回廊という宇宙の難所を挟んでの攻防であったから、ほぼ二倍の人口を持つ国と拮抗できたのである。

 

 帝国にとって、今さら同盟を併合する利は薄い。むしろ、貴族らに対して、団結や財政出動を促すために、見える敵である『叛徒ども』を利用していた部分がある。

 

 これは同盟にとってもお互い様で、一時は帝国との会戦が政治ショーになっていた。人間、侵略者から国を守れと言われれば、ひねくれた考えなど遠くにうっちゃってしまう。しかも、相手の親玉は四十億人を殺したルドルフの末裔だ。それは必死にもなる。

 

 だが、アスターテとアムリッツアで、艦隊の三分の二を失い、軍事クーデターで残る四分の一を撃破せざるを得なかった。ここまでパワーバランスが崩れ、帝国の実質的な首座には戦争の天才が就いている。先日のガイエスブルク要塞の来襲など、これまでには考えられなかった戦法だ。貴族と言う見えざる敵がいなくなって、見える敵に注力できるわけだ。おまけに門閥貴族の解体で、相当に財力にも余裕があるんだろう。羨ましい話だね、とユリアンと先輩後輩を前に、ヤンは長めの黒髪をかき回したものだった。

 

 こういう話を聞かされると、自分の保護者はローエングラム公に劣らぬ軍事的才能の持ち主だと思う。だが、あの絶世の美青年が、パジャマで髪に寝癖をつけたまま、もそもそ朝食を摂るとは思えなかった。いついかなる時も、完璧に華麗で、眩く美しいような気がする。

 

 想像したユリアンは、軽く亜麻色の頭を振った。臣下として仰ぎ見るには理想でも、家族としては常に緊張を強いられそうだ。でも、いつも完璧な姿を要求されるのも、しんどくて孤独なことだろうな。こういう考え方ができるようになったのも、ヤン提督のお陰かもしれない。

 

「提督」

 

「ん、なんだい、ユリアン」

 

「提督はそのままでいいですからね」

 

「どうしたんだい、急に……」

 

 今日も食が進まないヤンは、てっきり注意をされると思ったので、少年の言葉に目を瞬いた。

 

「あ、でも野菜はきちんと食べないと駄目ですからね。それにヨーグルトも残さないでください」

 

「はいはい」

 

 結局、注意はされてしまったのだが。

 

 こんな調子で七月は始まった。ユリアンが義務教育中の間は、有給休暇を貰って、二人で旅行を楽しんだりもした。しかし、ここはイゼルローン要塞だ。一万未満ものエリアがあるが、景勝地などはない。

 

 おまけに、ユリアンも正式に軍人になって、まだ三月も経たない新米だ。軍属からの功績で、年齢の割に階級が高いが、服務規定上まだ有給休暇はない。

 

 ユリアンがいない時に休んでも、昼食の算段をしなくてはならなくなる。仕方がないので、中央指令室や執務室でくだを巻くヤンであった。なにより、中央指令室は室温が16.5度。体に慣れた温度であった。

 

 だが、これがよくなかったのである。それは、士官食堂で起こった。昼食を摂りにきたヤンと、シェーンコップ少将、リンツ大佐が同席になった際のことだ。このメンバーには、少々近寄りがたいものがある。副官も遠慮をして、少し離れた席にいた、事務部の友人らと一緒に食事を摂ることにした。

 

「比べる相手が悪いけれど、あの二人の前だと細いんじゃなくて薄いって感じるわよね」

 

 先日、司令官の健診の手配と、結果報告をした黒髪の美女がフレデリカに呟いた。

 

「まあ、一月やそこらで劇的に改善するものじゃないんだけど、太るのって簡単なのよ。

 でもあまりお変わりになった様子がないわね。ねえ、閣下はちゃんと食べてるの?」

 

「ユリアン、いえミンツ准尉の話だと最近は食欲がないみたい。

 夏ばてっておっしゃっているそうだけれど」

 

「はぁ? これで夏ですって?」

 

 フレデリカは苦笑した。黒髪の友人が、形の良い眉を寄せて短く非難の声をあげた。だが、これにしみじみと同情の呟きを漏らしたのは別の友人だった。こちらはフレデリカの一歳下。赤ワインのような色調の髪に、微かに緑を帯びた灰色の瞳。乳白色の肌にほっそりとした体形で、繊細な可愛らしい容姿の持ち主だ。

 

「わかるわ、それ。室温と外の温度の差がよくないんですよ。

 私は低血圧なんですが、余計に血圧が下がるの。

 食欲もなくなるし、ぼーっとして頭に血が回らないって感じなんです。それに」

 

 彼女が言葉を継ごうとしたときだ。先に食事を終えた黒髪の司令官が、椅子から立ち上がって姿勢を崩した。尻餅をつくように、椅子にへたり込む。

 

「閣下!」

 

 同席していた、前職と現職の薔薇の騎士(ローゼンリッター)連隊長が顔色を変える。フレデリカも席から腰を浮かせ、駆け寄ろうとした。座り込んでいたヤンは、頭を左右に振って、呆然とした顔をした。

 

「どうなさいました」

 

「いや、何だか目の前が真っ暗になって……」

 

 周囲が騒然となる。司令官が倒れでもしたら、大変なことになる。だが、赤毛の中尉は落ち着いていた。

 

「よくああなります」

 

 静かな声は意外によくとおり、灰褐色の髪と瞳の美丈夫の耳まで届いた。

 

「どういうことだ」

 

 彼女よりも体重が倍ぐらいありそうな、白兵戦の勇者の鋭い視線と詰問にも動じないのは、さすがにキャゼルヌ事務監の部下というところだろう。

 

「起立性調節障害。ひらたく言うなら」

 

 灰色の瞳が、灰褐色の瞳をたじろぎもせずに見詰め返す。テーブルの美女ら二人は内心で拍手を送った。

 

「たちくらみですわ」

 

 皆が沈黙して席に戻り、食事を再開した。まったく、人騒がせな。同席者らが、非難の眼差しを向けてくる。ヤンは弁解を試みた。

 

「いや、私もこんなのは初めてだよ」

 

 それに対するブルーグリーンと灰褐色の視線は冷たい。

 

「閣下、もっと体を鍛えるべきです」

 

「同感ですな。なんでしたら、小官がご指導しますよ。

 閣下の被保護者と並んで、訓練をお受けになったらよろしい」

 

「勘弁してくれないか……」

 

 同盟軍屈指の肉体派たちに詰め寄られて、軍人のくせに文弱の徒はたじたじとなった。黒髪のチャベス大尉は、来月のヤンの健診項目に二種類の心電図検査を追加、と脳裏の予定表に書き加えた。フレデリカは、赤毛のブライス中尉に低血圧の克服法を聞いてみた。

 

 体質ですから、諦めて付き合うしかありませんというのが、後輩の回答だった。彼女は軍人の父を亡くし、病弱な母に金銭的な負担をかけまいとして軍人の道を選んだ。しかし、容姿も体質も母親譲り。なんとかするべく、ジョギングに取り組んだり、食事に入浴方法まで様々に工夫していた。黒髪の大将よりも遥かに勤勉な努力家である。

 

 しかし、それでも、立ちくらみや冷え性とは縁が切れないのだと語った。真夏でも手や足の先が冷たいというので、手を握らせてもらうと、その冷たいこと。健康で活力に満ちた黒髪と金褐色の髪の美女は、申し訳ないような気分になった。

 

「結局、持って生まれた循環器系を総取替えしないといけないようなものです。

 運動してもそんなに改善はしないんですよ。残念ながら」

 

 ジョギング暦7年、しかし今までの健診で、一度も最高血圧が百を超えたことはないという。大変に説得力があった。食欲と寝つきは良くなるから、一定の効果はあるそうだが。

 

「あとは、体を温め、冷やさないようにすることです。

 肉や魚をきちんと食べて、生野菜は控えるようにしてます。

 ヤン提督がお好きな紅茶は体を温めるので、一工夫されるといいと思いますよ。

 私は、ジンジャーとミルクと蜂蜜を入れて、チャイにして飲んでいますが」

 

 そんなブライス中尉は、きちんと自炊している。今日もランチを持参し、士官食堂では温かい飲み物を頼んでいる。士官食堂に三食頼り切っている二人の大尉は反省しきりだ。

 

「ありがとう、ブライス中尉。そのチャイのレシピ、あとで貰えないかしら」

 

「ええ、もちろんです。奇蹟(ミラクル)のヤンのお役に立てれば光栄ですわ」

 

「それにしてもあんたも大変なのね……」

 

 フレデリカも、チャベス大尉も、後輩の繊細な容貌を羨ましく思うことがあった。自身の容貌に愛着があっても、自分にはないものを求めるのが人間だからだ。だが、彼女は外見のみならず、体質もずいぶんとデリケートだった。そんなに都合よく、いいところばかりは選べない。ままならないものである。

 

 フレデリカの元に届いた、ブライス中尉の低血圧冷え性克服レシピは、飲み物以外にもいくつかの補足があった。野菜や果物もきちんと火を通し、香辛料を活用して調理する方法。バリエーション豊かなスープの作り方も。恐らく、彼女とその母親、両方の食が進むものなのだろう。どちらかというと、病人食に近いものだった。

 

 これはユリアン経由で、ヤン家の食卓を飾ることになった。ミンツ家ともキャゼルヌ家とも違う味に、黒髪の世帯主は首を傾げたが、スパイスの風味にも助けられて、たしかに食が進んだ。ジンジャーやシナモン、ナツメグ等は古来から薬草としても使われてきた。故なきことではないんだな、と男二人は感心したものだった。キャゼルヌ夫人の料理は、美味しいし栄養的にも優れたものだが、世帯全員が健康優良である状況を反映している。夏ばてしているヤンにはちょっと重たい。

 

 ユリアンの料理は、祖母のミンツ夫人の味。厳しく、少年の母への偏見を隠さなかった彼女と、孫の心理的な折り合いは悪かった。でも、彼女はどこに出しても恥ずかしくないようにと孫を厳しく躾け、伝統的な料理を食卓に出したのだろう。ユリアンの得意なアイリッシュシチューを。

 

 老婦人にとって、少ない負担ではなかったはずだ。ユリアンは年齢の割りに出来た子だが、心の(わだかま)りを解くのはまだまだ時間がかかるだろう。だが、いつか気がついてくれるといい。ヤン家には伝わらなかった家庭の味、それに籠められていた祖母の愛情を。


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