銀河英雄伝説 ヤン艦隊日誌追補編 未来へのリンク 作:白詰草
「オリビエ・ポプラン少佐、参りました」
「忙しいところをすまないね。最近の様子はどうだい。空戦隊もかなり人員が入れ替わったろう」
その一人は、この司令官の被保護者だ。亜麻色の髪の少年は、パイロットとして非凡な素質があった。だが、そんな者はほんの一
しかし、スパルタニアンは通常の艦艇より遥かに複雑で変則的な飛行をする。新兵にこの隊形飛行を導入すると、友軍機の誤射や、逆に敵機への攻撃に対する逡巡などが頻発した。改善できる方法はないか。ヤン司令官の助言により、艦隊運用の名手、フィッシャー副司令官の協力を得て、新たな隊形モデルを構築し、これは当初は上々のものに思えた。しかし、また新たな壁にぶち当たっているのだった。
「はい、それもありますが、三機ユニットによる迎撃には、問題点があります」
「どんな問題かい」
黒い視線が先を雄弁に促す。
「同盟や帝国の旗艦や標準戦艦の艦載機数はほぼ同数です。
敵一機にこちらの三機が張り付きますと、当然手不足になります」
「うん、そうだろうね。艦隊指揮官にとっても悩ましい問題だよ」
肩を竦める黒髪の名将に、ポプランは疑問をぶつけてみた。
「ヤン提督、提督はどうしていらっしゃるんです。こういう場合は」
「我々は、艦隊運用でそれを何とかするんだがね。
敵の配置を予測しての各個撃破ができるなら一番さ。アスターテやドーリア星域のようにね」
そういうと、冷めて渋くなった紅茶を飲んだような表情になって、髪をかき回す。
「あまり適切な
無理なら陣形によって、敵兵力に偏差を設けるように対応しているんだよ。
こいつは、アスターテで私がとった手段だがね。
数で互角か劣勢なら、相手が戦力を十全に発揮できないようにする。
後背から襲う、側面を狙う、それに応じて陣形は変わる。
ただ、これは
困ったような顔で、頬づえをつく司令官を前に、ポプランは乾いた笑いを漏らした。
「いや、それもお見通しでしたか。なかなか対処の妙案がないことまで」
「まあ、後は発想を変えることだろうね」
ポプランの方も明るい褐色の髪をかきむしった。
「かなり練ったつもりだったんですけどね」
「いや、運用案そのものはこれでいいと思う。これ以上のものはなかなか作れないよ。
貴官はよくやってくれているさ。
だがね、ポプラン少佐。この運用案の元々の目的はなんだい?」
「へ、そりゃ、新兵の訓練が追い付かないから、技能の劣勢を数でカバーするためです」
「そうだったね。それが主たる目的だ。
こんなに、熟練兵がころころ入れ替わるような状況では、スパルタニアンの操縦のような
個人技の名手は育ちにくいだろう。だから、多対一の構図を作るというのは正しい考えだ。
でも、それに固執するあまりに劣勢になるのは本末転倒というものさ。
最終的にパイロットとして一人立ちするための過程なのだからね」
目的の為の手段が、主客転倒しつつあることを、黒髪の魔術師はやんわりと指摘した。
「本当に貴官は優しい、いいリーダーだと思う。
しかし、貴官らがいくら訓練しても、全てのパイロットが生還できるわけではないだろう」
不帰還者名簿に彼の家族、ユリアン・ミンツも加わることになるかもしれない。それを承知して、なおこの人はポプランに伝えるのだ。より生還者を増やすべく。
「用兵家というのは犠牲を織り込んで、選択と集中を行うんだ。
技能に優れた者は、最初から君たちエースの候補として育成する。
そうではない者も、実戦を潜りぬけて実力がつけば、先頭集団に昇格してもらう。
昇格したり、戦死した者の後釜となった者が、隊列の中で円滑に役割を引き継ぐ、
そのための方法と位置付けたほうがいいかも知れないよ」
それは決して無駄にはならない。空戦隊全体の集団行動の質の向上につながるし、友軍機との位置取りを叩きこまれれば、敵機に対しても優勢に立てる。
「ですが」
口ごもる若き
「だがね、これは対艦載機の場合ということも忘れてはいけないよ。
そうそうあっては困るんだが、イゼルローン攻防時にはその限りじゃない。
宙港からスパルタニアンが出撃すれば、量的優位は確保できるからね。
だから基本訓練としても、作戦行動としても極めて有用だ。
特に、要塞砲台との連携が生きてくるんだよ。
簡略化した機動を補佐できるし、それゆえに砲台の誤射も減るだろう」
「あ、そうか、そう言えばそうですよね。要は考え方次第なのか」
とまあ、ここまではよかった。だが、その後がよろしくない。
「このように状況に応じて、高度な柔軟性を維持するのさ」
「それって、行き当たりばったりともいいますよね!?」
そう反論すると、黒い目がまじまじと、ポプランの緑の目を見た。
「うん、実はそうなんだよ。まったく、ちょっと聞いただけの貴官にも判断できるのに」
ヤンはなにやら呪詛を呟いたようだった。
「とにかく、理性的な相手ならば予測もつくんだが……」
何をやらかすかわからない相手には、行き当たりばったりに対応せざるを得ない。それが、味方でお偉いさんだというのが、何よりも困るし忌々しい。黒髪の上官が口には出さない言葉を、ポプランは察した。だが、それも言っちゃぁお終いなのだった。
このようにして、宇宙暦797年の秋から冬は過ぎていった。辺塞にしばしの平穏が漂う。
ある日、ヤンは副官に一つの依頼をした。以前、通信衛星を作成したチームリーダーを呼び出してほしい。呼び出された民間通信企業からの兵役従事者は、崇拝する英雄を前に凍結寸前に緊張した。ヤンは、自分の虚名に苦笑すると、青年技師に一つの指令を出した。女王に呪いを掛けようと思うんだ。君の信頼のおけるメンバーを集めてほしい。彼ら以外には他言はしないように。頼んだよ。予想が外れたら恥ずかしいからねと。凪の水底で、密やかにあるプロジェクトが進行を始めた。悪の魔法使いにふさわしい、魅了と服従の呪文が紡ぎだされようとしていた。
宇宙暦798年の新年パーティーが終わった三週間後、アッテンボロー少将率いる2200隻の分艦隊とほぼ同数の帝国艦隊がイゼルローン回廊で衝突する。この中には訓練中のユリアン・ミンツ軍曹が含まれている。少年の初陣は華々しいものだった。ワルキューレ三機を撃墜、巡航艦一隻を完全破壊。その豊かな
宇宙暦798年3月9日。国防委員長ネグロポンティより、イゼルローン要塞司令官兼駐留艦隊司令官ヤン・ウェンリー大将に、査問会への出頭命令。
同年4月10日。戦艦ヒスパニオラを中心とした哨戒グループが、イゼルローン回廊内で大質量物体のワープアウトを感知。質量は約四十兆トン。イゼルローン要塞よりも二回りほど小さい、人工天体要塞の来襲。
急を告げるイゼルローンで、薔薇の騎士連隊長とハートの撃墜王は、胸中で同じ相手に言葉を投げかけていた。ヤン提督、あの金髪の坊やは、あなたが評価していたほどには理性的な人間じゃないみたいですよと。良くも悪くもガキなんだ。一見凄いが、いい大人なら思いつかない作戦だ。失敗した時のことを考えるなら、到底できるもんじゃないし、今やる必要はないだろうに。こっちはガタガタだが、あっちだって相当の無理なんじゃないのか。しかもよりによって、ヤン提督が不在の折に。
だが、いいことが一つだけあった。これで、あの人が戻ってくる。政府上層部に愛想を尽かして辞表を叩きつけ、後任者がドーソン大将などという最悪の事態だけにはならない。たったの三週間の辛抱だ。
それはまた、イゼルローン要塞の人員全ての思いであった。虚空の女王の許へ、魔術師が帰還することを。その間の幾多の危機を、イゼルローンの全員が一丸となって乗り越えた。主砲同士の撃ちあいに始まり、白兵戦による帝国兵降下の阻止、スパルタニアンと要塞砲台との連携攻撃。三機ユニット攻撃が初めて導入され、多大な戦果をもたらした。特筆すべきは、初戦未帰投者の減少である。
その白眉は、客員提督メルカッツによる駐留艦隊指揮。宙港を守り抜いたことにより、イゼルローンは制宙権を維持しつづけた。これが、ヤン・ウェンリーを出迎える花道となり、魔術の舞台となる。彼の被保護者は、帝国軍の動きから師父の帰還を見抜いた。
三週間後、援軍を率いて帰還したヤン・ウェンリーは、出迎えのメルカッツらと連携して帝国艦隊を撃破。敗北を悟ったケンプが、イゼルローンへと航行を開始する。羽ばたく禿鷲の来襲。しかし、これはヤンの思う壺であった。アルテミスの首飾りを氷の船で壊した彼は、その弱点をも熟知していた。
ガイエスブルク要塞の通常航行エンジンただ一基への集中砲火。数百隻の主砲が一点に集中する。降り注ぐ光の
そこに撃ち込まれる、虚空の女王の
一万六千隻の帝国遠征軍は、わずか二十分の一以下にまで撃破された。その中にはヤン・ウェンリーへの雪辱に燃える、ナイトハルト・ミュラーの姿があった。四本のろっ骨骨折を始めとした満身創痍の身で、それでも彼の指揮があってこそ、700隻あまりの生還がなったのであった。
それを追撃しようとした、アラルコン少将とグエン少将は戦死。帝国の双璧率いる援軍によるものだった。彼らは遠征軍を救出すると、完璧な離脱を行い、ヤンを感嘆させる。
全軍に帰還命令を出し、ユリアンには紅茶を一杯頼む。少年が席を外した際に、メルカッツから今回の殊勲者が彼であったことを聞いた。いよいよ、決断の時がきたか。命令をしてでも止めさせたい。だが、それはメルカッツの言うように、民主主義の精神に背くのであった。何やら、頭が痛くなってきたヤンだった。それから、立て続けにくしゃみをした。
「誰かが私の噂話をしているのかな」
たしかに、その頃に彼の首を巡って、ミッターマイヤーとロイエンタールが穏やかならぬ会話をしていたのだが。実は、純然たる風邪の前駆症状であった。療養と称して引きこもったヤンが、被保護者の志望に対して下した決断は、歴史をつなぐ環の一つとなったのだった。
ダイ・バーノン氏は、世界中のマジシャンに『プロフェッサー』として尊敬された、偉大なるマジシャンである。