銀河英雄伝説 ヤン艦隊日誌追補編 未来へのリンク   作:白詰草

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トライアンフ 名《英triumph》
       ①勝利、凱旋。
       ②カードマジックの一種。カードの中から観客が1枚を選び、カードを記憶する。
        それをカード束の中に戻し、表裏がバラバラになるようにシャッフルする。
        マジシャンの合図で全てが裏向きに揃い、最初に選んだカードのみ表を向く。
        開発者はダイ・バーノン(1894年6月11日~1992年8月21日)


第2話 トライアンフのプロフェッサー
チョイスカード


 アムリッツァの会戦以降、同盟軍は熟練兵の不足に悩んできた。それが、先日の救国軍事会議によるクーデターにより、更に深刻になった。ようやく訓練で一人前になったヤン艦隊から、またしても熟練兵が引き抜かれて補充は新兵と警備隊からの異動者だ。敗残兵はいない。なにしろヤン艦隊の敵だったからだ。

 

 呆れて物も言えないムライ参謀長と、民主共和制の建前に従って政府首脳部への文句を述べるパトリチェフ副参謀長。その様子に目を丸くする客員提督メルカッツと副官のシュナイダーである。せっかく、ヤンが引き受けた名将を死蔵するのはもったいない。司令部は、さっさと彼らを員数に加えて動き始める。

 

 悟りきった表情のフィッシャー副司令官は、アッテンボロー、グエン・バン・ヒューの分艦隊指揮官らを集めて、早くも演習計画の作成に入った。前回の異動の際に定めたマニュアルや陣形プログラムは非常に有用なものであった。クーデターの際の会戦で、それがさらに洗練された。不幸なことに。

 

「何で、みんな私には声を掛けないんだろう」

 

 黒髪の司令官は、決裁書類を前にぼそりと呟いた。文書が回ってくるので、部下らの動きは把握できる。艦隊演習に司令官が蚊帳の外に置かれるなんて、どうしたことか。

 

「皆、遠慮をしているのですよ。閣下の姿が見えなくなるぐらいの書類の山ではね」

 

 少将に昇進したシェーンコップが返答する。彼もまた、その書類の山を増量させに来た輩なのだったが。

 

「だったら、演習計画書をもっと簡潔にしてもらいたいものだね。

 ずらずら書けばいいってもんじゃない。精々、3ページ程度にまとめてくれ」

 

 シェーンコップは顎をさすった。簡にして要を得た文書を作成するのは、実は大変なのである。書類仕事の苦手な者ほど文章が増量し、結局何を言いたいんだ、というものになってしまう。ヤンの決裁が必要な文書の七割は、キャゼルヌ事務監という鬼の門番を通過する必要がある。ここで相当量が『意味が不明瞭。数字と論拠をきっちりと詰めろ』と返却されてくる。

 

 だが、演習計画書においてはその部門長からの報告になる。司令部のムライや分艦隊のアッテンボローは流石によく練られたものを出してくる。グエン・バン・ヒューはかなり怪しい。フィッシャーの下で修行中だ。さて、シェーンコップも同様である。彼の場合はキャゼルヌかヤンか、三歳上か下のどちらかを師と仰ぐしかない。どちらも手強い頭脳派だが、毒舌に糖衣がかかっているほうを選ぶのは人情というものだ。

 

「では、閣下その極意を小官にご教示いただきたいものですな」

 

「こういうものは、直感的にわかるような骨子でいいのさ」

 

 元作戦参謀は、シェーンコップが提出した計画書にその場で朱を入れて返してくれた。時系列順に作戦行動を分解し、作戦人員を当てはめて、さらに簡素な図を入れて。ドラマの台本やコンテを思わせるものだったが、要塞防御部門一同が唸るほど分りやすい。しかも、見事に3ページに収まっている。

 

「こりゃ、凄いもんですね」

 

 ブルームハルトは感嘆しきりだった。

 

「隊長じゃない、少将がうんうん唸ってた作文はなんだったんでしょう」

 

 褪せた麦藁色の髪の現連隊長は、部下の濃褐色の頭を小突いた。まったくもってそのとおり、だが、それを言っちゃあお終いだ。気の毒に、不敵不遜な上官の灰褐色の目がえらく遠くを見ている。

 

「本当にな……だが、おまえらにもヤン司令官からの宿題が出たぞ」

 

 ようやくいつもの調子を取り戻し、ニヒルな笑みを浮かべる美丈夫。

 

「部門長は全体の骨子を作成し、それが実現できるように部下に指示を行う。

 この骨子の行間を埋めて、作戦が成立するようにするのは、部下の役割なんだそうだ」

 

 黒髪の有能な怠け者は、有能な働き者の部下にこう言い添えていた。

 

「貴官は今までの戦闘で、連隊の先頭に立ってやってきたんだろうね。

 なにしろ、貴官は勇猛だし聡明で結構勤勉だ。

 大抵のことは自分でやったほうが早いかもしれない。

 連隊クラスならそれでもいいが、要塞防御部門を一人で背負うと大変だよ。

 適任な部下に役割を分担させてしまったほうがいい。

 貴官はそれをチェックし、必要なら助言をし、改善を促すんだ。それが将官の役割だよ。

 その一方で、部下の仕事に対する責任を負うのもね。

 これはキャゼルヌ事務監の得意分野だから、詳しいことは彼から教えてもらってくれ」

 

 もてあまし者の薔薇の騎士(ローゼンリッター)連隊。白兵戦という過酷な境遇から、将官まで出世したのはシェーンコップまでの十三代でわずか三人。その三分の二は、将官の地位に適応できず泣かず飛ばずで終わった。ヤンのように、現場職から管理職への移行方法を教えてくれる上官などいなかっただろう。だが、入門初級編が終了したら、エキスパートにしごかれろとも言っている。思わず片眉を上げるシェーンコップに、ヤンは穏やかな表情で言った。

 

「なにしろ、士官学校時代に、組織工学論文で大企業にスカウトされたそうだからね」

 

「それはそれは……」

 

 気が乗らぬ様子の白兵戦の勇者に、ヤンは言葉を継いだ。

 

「大丈夫さ。こんな私でもそれなりに仕立ててくれたんだから。

 いい先生だと思うよ。そりゃもちろん厳しいがね。

 アッテンボロー少将も得意教科なんだが、やはりレベルが違うよ」

 

「彼も得意教科ですか。これは意外ですな」

 

「嫌いな先生に揚げ足を取られまいとしてのことだがね。

 まてよ、反面教師としては、案外いい先生なのか。

 階級的にはもうありえないだろうがなぁ」

 

「教師は誰です」

 

「ドーソン大将さ」

 

 またドーソンか。この士官学校トリオは、ほとほと彼との悪縁があるようだった。

 

「でも、貴官がもっと昇進したり、違う部署に異動するかもしれないからね。

 覚えておいて損はない。メルカッツ提督らにも同盟方式を伝達するから、

 貴官も同席するように。通訳をお願いするよ、シェーンコップ少将。

 いくら同盟語が理解できても、微妙な部分は母国語で説明したほうがいいだろうからね」

 

 いや、本当に人遣いがお上手だ。思わず敬礼をして司令官執務室を後にするシェーンコップだった。これは天性か後天性か定かではないが、社長の息子というのも伊達ではない。

 

 要塞防御部のオフィスに戻り、司令官からの命を伝えると肉体派の面々は怯んだ。

 

「じゃあ、少将の命令が実現できるように、俺たちが考えないといけないってことですか」

 

「そういうことになるな」

 

 自分を指差して、大口を開けたブルームハルトと、澄ました顔のシェーンコップの様子に、薔薇の騎士の中でも、頭脳派のクラフトが怜悧な表情で挙手をする。

 

「なんだ、クラフト?」

 

「少将、それって逆に難しいですよ。

 これらの作戦パートのリーダーを決めて、さらに部下を割り振って、

 作戦のフェーズを作らせろっておっしゃってるわけですよね。

 で、少将にそれを統合してチェックしろってことなんですけど」

 

 美丈夫の灰褐色の眼が、発言者をじっと見詰めた。感心したように片眉を上げて。

 

「よし、おまえがこの作戦参謀役だ。俺の補佐で作戦パートを作る。

 それが出来次第、リンツとブルームハルトでパートリーダーを決めろ。

 そうだ、オペレーター部門からも人を出してもらわないとな。

 ブルームハルト、そっちもお前が声を掛けておけ」

 

 さっそく、仕事を割り振ったのは中々に見事であった。だが、貧乏くじを引いた言いだしっぺが二人。クラフトの方は性に合った役割であるが、ブルームハルトはとばっちりの色合いが濃い。彼はリンツにこぼした。

 

「うう、おれがなんでまた」

 

「階級から言って当然だろ。一応おまえがナンバー3だからな」

 

「その、おれは切ったはったでここまで出世したようなもんですよ。こういうの、苦手なんです」

 

「そりゃ、俺らはみんなそうさ。だがな、佐官ってのは書類仕事もやらんとならない。

 俺だってそうだ。少将の文章から、こいつが見える人もいるんだが、

 ちっとはその頭脳を分けて欲しいよな」

 

「ああ、あの長い文章からですね……」

 

 厚さ5ミリが、3ページに減量されたのはいっそ感動的なものであった。

 

「確かにね、見えてるもんが違うんでしょうかね」

 

「ドールトン事件の際の、到着予定前の晩にな。

 見えてる星座が違うから、明日には絶対にハイネセンに着かないと言ったんだよ、ヤン提督」

 

 ブルームハルトが眉を寄せた。

 

「はぁ?」

 

「いや、この人はなにを言っているんだろうと思ったが、実際にそのとおりになったんだ。

 なんでも親父さんが交易商人で、ガキの頃からあっちこっちの星を行き来していたんだそうだ。

 ハイネセンに着くころには、読む本がなくなって星ばかり見ていた、そのどことも違うってな」

 

 童顔の部下の眉が、ますます寄った。

 

「ヘンですよ、それ」

 

「ああ、俺も思った。でも面白い人だよ。同盟も帝国も人間の心に大差はない。

 美しく健康な金持ちに生まれて、元気で長生きしたい。死ぬのは誰しもおっかないって。

 あの金髪の坊やの人格も、そんなに俺らとも違わないだろうとね」

 

「そうですかねぇ。ヤン提督の人格がぶっとんでるだけじゃないんですか? 

 あと、頭のほうも……」

 

 ちらりと、添削された計画書を見る美丈夫を振り返る。敬愛する上官だって、頭脳は相当に明晰なのだ。文章にするのが不得意なだけで。

 

「まあ、そいつもそのとおりだとは思うが、世の中には言ってはいけないことがあってな。

 おまえもちょっとは黙ってろ。鳴いた雉が撃たれるんだぜ?」

 

 とまあ、こんな一幕もあったが、文書を出してくるのは進捗している証拠でもある。提出してこない部署にこそ、問題が潜んでいるのだった。

 

 第一空戦隊長オリビエ・ポプランのコンピュータに、秋色の髪と瞳の美女からのメールが届いていた。ついに来てしまったか。彼は、一瞬天井を仰ぎ、ままよと開封した。万が一ぐらいは、デートのお誘いということもありうる。だが、やはり世の中甘くはなかった。

 

「うわ、やっぱりだ」

 

 三機ユニットによる迎撃戦術構築の進捗状況の報告を求める。下記日程のいずれかに出頭すべし。

イゼルローン要塞駐留艦隊司令官 大将 ヤン・ウェンリー

 

 下記日程とはいっても、あさっての14時から16時までの30分刻みのいずれかである。ここぞという時、結構鬼だ。とりあえず、問題点はまとめておこう。名探偵に追及される犯人の心理を味わうのは一回でいい。しかし、この四回の枠のどこを選んだものか。それもまた試されている気がする。でも、催促されている時点でなぁ……とりあえず、ぎりぎりまで粘ろうと、最終の時間枠にチェックして返信した。ポプランもまた、色事の好敵手同様、苦手な書類仕事に励むのだった。


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