銀河英雄伝説 ヤン艦隊日誌追補編 未来へのリンク   作:白詰草

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ここまで、ちらちらと顔を見せていた魔術師の呪い。その正体は……。


女王陛下に紅茶を二杯

 残念なことに人的資源(マンパワー)の補充は望み薄であった。ヤンの帰還に同行した援軍5500隻のうち、アラルコン提督に率いられていた方は甚大な被害を出した。彼はグエン提督とともに敗走する帝国軍を深追いし、双方とも帝国の双璧の手にかかったのだ。

 

 もう一人、ライオネル・モートン少将指揮する艦隊には、大きな被害はなかった。彼の手腕と力量は信頼が置けるものであり、ヤンもイゼルローンに残留してくれるように願い出ていた。駄目で元々、だが賭けなければ当たりも出ないということで。

 

 しかし、この援軍は宇宙艦隊司令長官のビュコックが、なんとかかき集めてくれた虎の子の戦力だった。やはりというかなんというか、却下されてしまった。それでも、宙域の残骸の除去や、哨戒にも大きな協力をしてくれた。宙域を片付けないと、首都星(ハイネセン)に帰還するのも危険であったからだが。それもひととおり片付き、ユリアンより一足先にハイネセンに帰って行った。

 

 それと入れ替わるように、クレーター修理の企業複合体(ゼネコン)がイゼルローン入りした。現在、建設作業艇が大穴に取りつき、修理を進めている。それがまた、絶景というか圧巻というか、技術って凄いとヤンを唸らせた。司令官執務室にやってきたキャゼルヌに、あの艦、そこらの軍艦よりも高価いだろうなと呟いたら、数字の達人はあっさりと言った。

 

「ああ、一隻がお前さんの旗艦(ヒューベリオン)二隻に相当するぞ。万が一のことがあってはまずい。

 あれが退くまでは、要塞周辺の艦隊演習は禁止だからな」

 

「頼まれたってごめんですよ!」

 

 ヤンは行儀悪く座っていた椅子から、危うく転げ落ちるところであった。それが三隻作業中である。恐ろしくて、艦隊など出せやしない。なんとか転落を免れたので、二人は応接ソファに座を移した。

 

 副官嬢が、紅茶と珈琲を運んで来てくれたが、両方ともなんだかえらく色が濃い。口をつけた先輩と後輩は、無言になった。薄茶と黒の目が、薄めるために琥珀色の液体を求めて彷徨(さまよ)う。しかし卓上にはなかった。

 

 ややあって、キャゼルヌが口を開く。

 

「だが、あの工事に影響しない部分の要塞砲台や、雷神の槌(トゥールハンマー)は使用ができる。

 オペレーターに算出させて、管制にも反映済みだ。

 さあ、さっさと撃って、せっせと宇宙塵(デブリ)を片付けろ。宙港周りを中心にな。

 また追加の建材が入ってくるんだ」

 

 同盟軍一の智将も、この先輩にかかっては掃除夫も同然である。

 

「はあ、わかりましたよ。ちょっとね、調べてみたいことがあるので、

 私とスタッフでやらせていただいてもいいでしょうかね」

 

「かまわんさ。駐留艦隊の連中もあれには相当参っていたからな」

 

 駐留艦隊の少将から大佐級が参加した、雷神の槌の砲撃演習。標的は、かつてガイエスブルク要塞と帝国艦隊であったもの。残骸になった無機物と有機物。

 

「帝国の要塞司令官と、駐留艦隊司令官の不仲の原因の一つだと思うんですよ。

 戦艦乗りにしてみれば、安全なところから強力無比な兵器を撃っているだけだと思う。

 だが、雷神の槌の砲撃を指示する側は、その強大さに尻込みをするはずです」

 

 キャゼルヌは思わず頷いた。

 

「味方を巻き込まないようにしなければならない。

 だが敵だからといって一方的な虐殺をしていいものかとね。

 シェーンコップまでそう言うくらいです。大変な重圧ですよ。

 それを理解せず、雷神の槌の威を借りて、好きに戦っては危なくなると安全地帯に戻ってくる。

 なんと気楽な戦艦乗りだと思うようになる」

 

「なるほどな。それでおまえさん、あの見学をさせたのか」

 

「そこまで計算ずくじゃありませんが、安全な場所であっても、

 決して容易いものではない、というのは知って欲しかったんですよ。

 司令官は私が兼任ですが、部下の方はそういうわけにはいきません。

 互いの仕事が見えにくいと、いろいろ不満も溜まるでしょう」

 

 ヤンは何げなく口にしたのだが、キャゼルヌは溜息を吐いて同意した。

 

「たしかにな。

 普段のおまえを見てると、司令官はサインをするだけの簡単なお仕事だと思うからな」

 

「先輩にはいつもお世話を掛けて、すみませんね」

 

「いや、いいさ。部下や敵の命を計算するより、物資や人件費の金勘定の方が楽さね。

 だがなあ、ヤン。俺はおまえじゃないんで、やはりもしもを考えずにはいられないんだ」

 

 キャゼルヌの珍しい口調に、ヤンは黒い頭を傾げた。

 

「どうしましたか、急にしみじみしちゃって」

 

「ユリアンがフェザーンに行ったのを見てな。あの子の父親は俺の部下だったことがある。

 ちょうど十年前、おまえがエル・ファシルの脱出行を終えたころだよ」

 

 黒い瞳が少し瞠られる。

 

「それは初耳です」

 

「戦死したのは、俺の部署から次の異動先だからな。

 いや、ユリアンの父親のこともそうだが、おまえさん、あの時退役したがっていただろう」

 

「ええ、まだ年金は貰えないからって、先輩に止められましたよね」

 

 ヤンは苦笑いを浮かべる。あの非常識な昇進で、出世は打ち止めだと思っていたものだった。

 

「ああ。きっと芸能界に引っ張り込まれ、いずれ政界からお呼びがかかると言ってな」

 

「美女と一緒に『私が選んだ究極の紅茶』とかCMで言うんですよね」

 

 自分で言ってちょっと身震いしてしまう。これは無理だ。そして、ヨブ・トリューニヒト氏やネグロポンティ氏と席を同じくするわけだ。駄目、とにかく駄目。渋い表情で、更に渋い紅茶を啜り、ヤンもしみじみ寂しくなった。

 

「そういえば、そんなことも言ったな。だが、今にして思うんだが、止めなきゃよかったよ」

 

「冗談でも勘弁してくださいよ」

 

「真面目な話さ。この前の女帝の即位のニュースの時、おまえが色々言っただろう。

 それで思ったんだよ。同盟に必要なのは名将ではなく、まともな政治家なんじゃないかとな。

 おまえが政治家になっていたら、今よりもましだったんじゃないかとね。

 帝国とも、おまえ自身にも。おまえだったら帝国逆進攻には反対しただろう」

 

 キャゼルヌの言葉に、ヤンは髪をかきあげた。記憶力のいい人というのも、一面で大変だ。ちょっとしたことでも、ずっとずっと覚えているんだから。そんなに気に病む必要なんてないのに。

 

「ですが、ローエングラム公の天才は変わりません。イゼルローンが帝国のものだったら、

 アムリッツァは起こらなくても、帝国の侵攻はもっとスムーズだったと思いますよ」

 

「そんなもんかね」

 

 キャゼルヌは苦く言って、更に苦い珈琲を啜った。彼は薄茶の瞳を漆黒の水面に向け、眉間に皺を寄せた。その表情がカップの中に写りこんでいる。これは後輩にも自分の胃腸にもよろしくない。グリーンヒル大尉には、教育的指導が必要だろう。

 

「歴史のもしもを数えてもしかたがないとはそういうことです。

 だから先輩、あの時の笑い話を気に病む必要なんてありませんよ」

 

「究極の紅茶か? だが、まずは普通でいいと思うぞ、俺はな」

 

 料理名人の夫の言に、乾いた笑い声を上げるしかない独り者である。だが、それでふっと思いついたのだった。密命を指示していた技術士官からの課題を。

 

 その後、ヤンと技術スタッフらが、雷神の槌の砲撃訓練兼宙域の清掃を開始したが、誰もあまり気にしなかった。ガイエスブルクの残骸処理は、すでに常態化した光景になっていたからだ。イゼルローンにも60兆トンの質量なりの引力があるので、処理を繰り返しても宇宙塵が寄ってくる。

 

 もしも、シェーンコップ少将が管制室に同席していたら、砲撃の合図と発射の時間差を不審に思ったかもしれない。だが、彼は彼で要塞砲台の補充兵の訓練が忙しく、ヤンに同席するどころではなかった。艦隊戦の名将は、狙点や攻撃範囲の見極めも優れている。今さら手出しもいらないかと、本来の職務を優先させたのだった。半ば、ヤンの狙いのとおりに。

 

 漆黒の魔術師が、白銀の女王にかけた呪い。

呪文によって、女王の剣を封印し、違う呪文によって抜刀させる。

新たな呪文に魅了された彼女は、使い古された言葉に耳を傾けなくなる。

 

 ただ、その呪文のあまりのセンスのなさに、技術士官達は困惑したが。

 

「ヤン提督、本当にこのキーワードでよろしいのでしょうか」

 

「うん、かまわないよ。あんまり洒落た言葉だと、

 似たようなCMを傍受して不具合が起こると困るだろう」

 

 ヤンはもっともらしく言って、不器用に片目を瞑ってみせた。内心では、己の言語センスの乏しさに落胆をしていたが。これじゃ、キャゼルヌ先輩のキャッチコピーの方がまだましだ。

 

「は、了解しました。ではどの回路に潜ませますか?」

 

「そうだね……」

 

 ヤンは黒髪をかきまわした。

 

「ガイエスブルク要塞主砲の被弾エリアに、生きているコンピュータはあるかい?」

 

 指示を受けた技術士官は、司令官の指示に絶句した。そこは、ガイエスブルク要塞の主砲の直撃を受け、兵員の多くが死亡。残留放射能のせいで、近寄ることもできない。遺体の収容が可能になるのは、五年後との試算が出されたばかりだった。砲台は壊れ、操作する兵員はいない。だが、すべての機器の機能が失われたわけではなかった。

 

「お待ちください、ただいま調査します」

 

 ややあって、彼は返答した。

 

「ありました。LB29ブロックの機器に、正常に稼働できるものがあります。

 中央管制室へのアクセスにも問題はありません。中央管制室回線の任意切断、接続も可能です」

 

「じゃあ、そのコンピュータにしてくれ。

 あと、二つ目の呪文の受付は、宙港管制室からもできるように頼むよ」

 

「了解しました」

 

「ありがとう。引き続き、内緒にしておいてくれ。たのんだよ」

 

 技術士官らは、労いの言葉を口にする司令官に敬礼をした。

 

 ヤンは無抵抗主義者ではない。一発殴られたら、1.1倍ぐらいにはお返しをしてやりたいのだ。あのエリアに取り残された、二度と目覚めぬ兵士たち。

 

 もしも、ヤンの予測が的中してしまったら、五年後にようやく可能となる遺体の収容は不可能だ。それまで、彼らには罠の番人となってもらおう。あそこの検査までは咄嗟に思いつかないだろう。そして、呪いの箱を物理的に除去することもできない。

 

 魔術師が女王に捧げる二杯の紅茶は、甘い毒に満ちていた。


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