昼休みの食堂。
午前中の授業を乗り越えて訪れるこの時間の生徒たちは基本的に賑やかだ。凝り固まった頭をほぐす為にも友人同士で他愛もない話を語り合ったり、好きな食事を摂ることで心身共にリラックスしたり。女三人寄れば姦しいとはよく言うが、喧しいというよりは賑やかで、この学園の生徒の大半が収容できる大きな食堂は彼女たちの声で埋め尽くされる。
そんな食堂のスペースの一角に、トレーを持っていた一夏は腰を下ろした。
六人がけのテーブルには既に箒たちが着いており、一夏の到着を待たずして食事を開始している。
「箒。幼馴染の到着を待ってやろうという優しさは無かったのか」
「無いな。そんなことしていたらうどんが伸びてしまうだろう」
「鈴。お前もだ」
「バカね。麺が伸びちゃうでしょうが」
何この幼馴染たち、酷い。一夏は内心でそう慄き、遠い目をしながら席に着いた。因みにメニューは特製カツ丼大盛である。
普段はこうして大勢で食事を摂ることは少ないのだが、今日は転校生が二人居るということで他クラスの鈴まで混ざっての昼食だ。先の言葉からも分かるように箒と鈴は麺類を、セシリアはハンバーグ定食を頼んでいる。今日が初食堂となるシャルロットは前々から興味のあった日本食をということで和食セット、ラウラは脇目も振らずにお子様ランチを注文した。
「簪も来れば良かったのにな」
揚げたてのカツとトロリとした卵の絶妙な組み合わせを堪能しつつ、一夏がそう言った。
本当ならシャルロットたちと同じ代表候補生である簪も誘ったのだが、生憎用事があるということで断られてしまった。なんでも生徒会でする仕事があるらしい。
「仕方ないだろう。姫無さんから呼び出されているのなら断るわけにもいかないだろうし」
「だなー。あの人断ると何してくるか分からないし」
主にチョッカイをかけてくるという点で。
「ま、簪のことは追々紹介するとして、どうだ? IS学園は」
一夏の正面で味噌汁を啜っていたシャルロットに尋ねる。
「あ、うん。皆優しいし、良い人たちばっかりだね」
ニッコリと微笑む彼女のその笑みは、思春期の男子たちが見れば勘違いしてしまいそうなほどのものだった。無論、一夏には想い人がいるので以下略。何処かの世界線の鈍感王一夏は死んだのだ。
「そんなことよりさ、朝の事聞きたいんだけど。アタシだけクラス違うからよく知らないのよね」
箸をくるくると回しながら鈴がニヤリと口角を吊り上げる。
一人だけクラスが違うために今朝の一連の騒動の詳細を知らない彼女は、シャルロットの大胆発言のことを人伝にしか聞いていなかったのだ。
とは言っても、一組の面々もそれ以上のことを知っているわけではない。休み時間の度にクラスの女子たちがシャルロットへと雪崩のように押しかけて詳細を聞こうとしていたが、彼女はそれをのらりくらりと躱して話していなかったのだ。
それでも一夏たちの昼食の誘いに乗ったということは、少なくともここに居る面子には話す意思があるのだろうか。
「ああ、俺もそれをデュノアさんに聞こうと思ってたんだ」
「シャルでいいよ。僕も一夏って呼ぶから」
「そうか、じゃあシャル。師匠のお嫁さんってどういうことなんだ?」
さらりと名前呼びを行ったシャルロットに、セシリアと鈴の両名は戦慄を覚える。出会ってたった一日でそこまで親密度を上げるとは、かなり高い社交性の持ち主である。
彼女の狙いが一夏でなくて良かったと心の底から安堵しつつ、二人はシャルロットの話に耳を傾ける。
「あ、そうか。でも一夏、その前に聞きたいんだけど、あの人から僕のこと何も聞いてないの?」
「全く。今日こうして会うまで存在すら知らなかったぜ」
「むぅ……。そっか、言ってくれてないんだ」
一夏の言葉を受けて、少し頬を膨らませるシャル。
彼女の内心を知る由もない一夏だったが、その表情だけで分かったこともある。
――――あぁ師匠。またやらかしたんだなぁ。
お前にだけは言われたくねぇよ!! という男性IS操縦者の声が何処かからか聞こえたような気もしたが、今はそんなことよりもシャルの話を聞くことの方が大事である。故に聞こえなかったことにして、一夏は彼女に続きを促す。
「そうだね。何処から話せばいいのかな――――」
そう口火を切って、シャルロットは己の過去を話し始める。
更識楯無という人間にどのようにして出会い、そして、惹かれていったのかを。
◆
シャルロット・デュノア。
彼女が自身の生活が貧しいものであることを認識したのはまだ幼かった頃だった。住んでいる家もボロボロで、毎日の食事も一般家庭に比べれば随分と粗末なもの。それを不幸とは思っていなかった彼女だったが、彼女の母はそうではなかったのだろう。時折シャルロットに隠れて泣いている姿を、扉の向こうから何度も目撃した。
シャルロットには父親がいない。
どうして父親がいないのか、と以前母親に聞いたことがある。母は言った、もう死んでしまっているのと。
その答えに何の疑問も抱くことなく数年を過ごし、そして突然、母は倒れた。
過労だと診察した医者は言った。
本来であれば直ぐにでも大きな病院に入院して療養するべきだとも。
だが、そんな費用ある筈もない。
これまでの生活でそんなお金がないことをシャルロットは理解していた。日に日に弱っていく母を、シャルロットは黙って見ていることしか出来なかったのだ。
当然働いた。十歳にも満たない子供を雇う所など当然ありはしない。だから、お金になる鉱石を裏の山で朝から晩まで探した。毎日泥だらけになりながら、その日受け取った僅かばかりの小銭を握りしめて家へと帰るのがシャルロットの日課になっていった。
そうして月日が流れたある日。
母は、固いベッドの上で静かに息を引き取った。
「――――シャルロット・デュノアちゃん、だね」
「……誰?」
母が亡くなって数日。すっかり塞ぎ込んでしまっていたシャルロットを訪ねてきたのは、恰幅の良い男性だった。身に付けたアクセサリーからも彼が上流階級の人間であることが伺える。シャルロットにそんな身分の知り合いはいない。泣き腫らした目を向けられて、男は困ったように頭を掻いた。
「そうか。まだ小さかったから覚えていないのも無理はない。私はね、君のお父さんの秘書をしているパーシーという者だ。昔何度か会ったことがあるんだよ」
お父さんの秘書。パーシーと名乗った男の言葉のその部分に、シャルロットは大きく反応した。
父さん? 自分の? お父さんが居る?
死んでしまったと聞かされていた父が生きているということにも驚いたが、その父の秘書がどうしてこんな所にまでやってきたのかが彼女には分からなかった。
「エリーのことは聞いたよ。……残念だったね」
エリーは死んだ母の名前だ。
被っていた帽子を取って胸の前に下げ、頭を下げる。そんなパーシーをじっと見つめて、シャルロットは口を開く。
「……私に、何の用ですか」
「おお。そうだったね、今日は君にとって良い報せを持ってきたんだよ」
「報せ……?」
手紙ではなく、わざわざこうして直接足を運んで来るほどの報せということなのだろう。
未だに警戒を解かず訝るシャルロットへ、パーシーはにこやかに微笑んで言った。
「今日から君は、お父さんと暮らすんだ」
◆◆
「……成程な」
「納得したか?」
学年主任室で二人、シャルロットとのあれこれを話し終えた俺は、眼前で腕を組んだまま話を聞いていた千冬へと声を掛けた。
シャルロットのあの発言は事故みたいなものだ。そういった感情があるわけではないだろう。おそらく、俺の言ったあの言葉を正直に受け止めて行動してしまっただけだ。彼女はかなり純粋だから、きっとそうに違いない。
「……楯無。そこはかとなくお前が何かとてつもない勘違いをしているような気がするんだが」
「うん?」
勘違い? 今までの俺のどこに勘違いをするような要素があるというのだろうか。
「まぁ、それはいい。大体の事情は把握した。デュノアがお前に固執する理由もな。しかしこの学園ではお前は教師で彼女は生徒だ。間違っても手を出したりするなよ」
「オイオイ、俺は教師だぞ? そんなことするわけないだろうが」
「(どちらかと言うと向こうが進んで出してきそうなんだがな)」
何やら小言をぼそぼそと溢す千冬。何を言っているのかはここからでは聞き取れないが、そこまで気にしなくて大丈夫だろう。というか気にしてはいけない気がする。
さてと、昔話をしていたら思ったよりも時間が経ってしまった。時計を見れば昼休みもあと五分ほどで終わってしまう。
「そろそろ職員室に行った方がいいんじゃないか? 次の時間は実習だろ?」
「む、もうこんな時間か。そうだな、訓練機の運び出しは真耶がしてくれていたから着替えと資料を取りにいかねば」
顎に指を当てて考え事をしていた千冬も時計を見て我に返る。流石に実習をスーツ姿で行うわけにもいかないので千冬も着替えなくてはならない。俺も時間さえあれば授業を見学しに行きたいところだが、生憎とこの時間はタッグマッチトーナメントの資料作成を行わなくてはいけないのでそんな時間はなさそうである。
学年主任室に一つだけ置かれたデスクの上の膨大な資料を横目に、俺は溜息を吐き出した。
「溜息ばっかりついても埒があかないな。やるか」
自らを鼓舞しつつ、タッグマッチトーナメントの資料作成に取り掛かった。
◆◆◆
シャルロット・デュノアが初めて父を名乗る男性と顔を合わせたのは、ISの開発、性能においてフランス国内で最大手であるデュノア社の社長室だった。
これまでもこの会社の名前は何度も耳にしてきたが、同じ名前を持つ会社として親近感も少なからず感じていた企業の社長がまさか自身の父親だったなどと、俄かには信じられなかった。
緊張からか上手く言葉が出てこないシャルロットに対して、高級そうな革張りの椅子に腰を下ろしていた男性は、感情の籠っていないかのような平たい声で言った。
「……お前がエリーの娘か。大きくなったな」
椅子から立ち上がり、シャルロットの前まで歩を進める社長、シャーロックは彼女の目の前にまでやって来て。
「お前にはこれからこの会社の寮で生活してもらう。先程の適性検査の結果が出た。幸いなことにお前はIS操縦の才能があるようだ。これからは候補生を目指し、日々精進しろ」
「え、え……?」
「必要事項は以上だ」
そう言うと、シャーロックは再び椅子へと戻っていった。横に控えていた部下らしき女性が紙媒体の資料を手渡して何やら話をしている。この場にいるシャルロットのことなど、まるでいないかのように。
その事にゾッとしないものを感じながら、シャルロットは社長室を後にした。ドアを閉め、廊下で小さく息を吐き出す。
あれが、あの人が、自身の父親。まるで実感が湧いてこないが、こうして住むところまで用意してくれるところを見ると他人ではないのだろう。いきなりの出来事にまだ上手く脳が処理できていないが、それでもシャルロットは少しだけ嬉しかった。
母の愛した人がちゃんと生きていて、こうして自分を引き取ってきれたのだから。
確かに今まで連絡のひとつも寄越してこなかったというのは問題だし何より母の葬儀に顔すら見せなかったのは許せないが、それでも心の何処かで父親の存在を喜んでいる部分があった。
――――良かった。自分はまだ、天涯孤独ではなかった。
家族がいることの嬉しさが、シャルロットの心をじんわりと暖めていった。
先を歩く秘書のパーシーの後をついて歩いていくと、やがて宿舎のような建物の前へとやって来た。今しがた父と話をしていた社長室のある建物の横に建てられたこの宿舎は、秘書の説明によるとIS操縦の技術を学ぶための機関であるらしい。この宿舎には八人の少女たちが住んでおり、毎日朝から夜まで操縦技術を磨いているのだという。
「ここが今日から君の家だ。他の子たちとも仲良くするんだよ」
そう言って、パーシーは宿舎のドアを開く。
内部は至って普通のアパートのようなところだった。ドアから廊下が一直線に伸びており、それに沿うように幾つもの扉がある。それらが少女たちに宛てがわれている私室なのだろう。廊下の奥にあるのは食堂だろうか、スライド式のガラスの向こうには大きな長机が設置されていた。
今日からここが、シャルロットにとっての家となる。
期待と不安を綯交ぜにしながら、シャルロットはその一歩を踏み出した。
◆◆◆◆
「彼が我社専属パイロットのシャルルです。つい先日の適性検査で発覚しましてね、公式発表はまだですが、近々全世界に発表しようと検討しています」
「……そうですか、彼がね」
俺の目の前に立つ少年は、男というには少しばかり細身な印象を受けた。髪質も絹のように滑らかで、肌も白くきめ細かい。
聞けばまだ十歳を迎えたばかりだというから成長期もまだのようで、一見しただけでは性別の判断は難しかった。こうして説明されなければ、区別がつかない程度には。
「さぁシャルル。更識さんに挨拶をしなさい」
「は、はい。初めまして、シャルル・デュノアといいます。よろしくお願いします」
「ああ、よろしくな。シャルル君」
俺が差し出した手を、彼はおずおずと握り返した。小さく、柔らかな手の感触が伝わる。
いや、まぁ。
今こうして目の前にいる子が男ではなく実は女である、ということは名前を聞いた時点で確信している。
シャルル・デュノアというのは偽名で、俺の記憶が正しければ本名はシャルロット。デュノアという筈だ。もしかしたら原作から乖離して本当に男なのではないかとも考えたが、こうして接触してみると解る。明らかに男の反応ではない。骨格も男性には程遠く、正に女性のそれだ。
本来であれば彼女が男装をしてまでIS学園にやって来るのはまだまだ先の話だが、それも大凡の見当はついている。俺や織村の出現と、モンド・グロッソへ開催に合わせてのことだろう。来年開催の第一回大会には間に合わないかもしれないが、第二回には間に合うかもしれない。俺や織村と同様に専用機を纏って出場出来れば、それだけでデュノア社の名前は世界的なビッグネームになる。
男性IS操縦者という肩書きは、それ程までに大きなものになっているのだ。
「さて、では更識さん。こちらの部屋へどうぞ。男性IS操縦者の先達として色々とお話を伺いたいのです」
俺とシャルとの対面を済ませたのを見計らって、シャーロックがそう切り出した。
その話にシャルは必要ないのか、との意味を込めてちらりとそちらに視線を向けた。
「ああ、シャルルはもう戻っていいぞ。また明日から忙しくなる、今日はもう戻って休みなさい」
「……はい」
言われ、部屋を出て行くシャル。その背中を見つつ、俺はシャーロックの後をついて行った。俺の後を追うように、俺の護衛と秘書の男が歩いていく。
移動の最中、俺は半歩先を歩くシャーロックへと話しかけた。
「……今の彼、息子さんですか?」
「…………」
俺の問いに、彼からの返事はない。いや、返答に窮しているのだろうか。何かを話そうと呼吸を整えているのが息遣いから察することができた。
彼が答えに詰まるだろうことは、前もって予想できたことだった。何故なら、事前に彼と会社の周囲を調べたからだ。とは言っても情報を集めたのは俺ではなく従者である里虹なんだが。
彼女の掴んだ情報によれば、シャーロックには息子はいない。
彼と妻との間には、たった一人の娘が居るのみである。
その娘の名は――――シャーリー・デュノア。
そう。居るのだ、このデュノア社に。
シャルロットの他にも、彼の娘が。
◆一夏たちが食堂で昼食を摂っていた頃
簪「お姉ちゃん、一体なんの用……」
姫「簪ちゃんッ!! 大変よ一大事よ緊急事態よ!!」
簪「……?」
姫「兄さんのことここ婚約者だとか吐かす女狐がっ!!」
簪「っ!!!??」
姫「こうしちゃいられないわよ!! 簪ちゃん!!」
簪「……よかろう。ならば戦争だ」