双六で人生を変えられた男   作:晃甫

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 遅くなり申し訳ありませんでした。
 そんな訳で、これで終わりとなります。
 …………序章が。


#52 卒業はその時点でフラグ

 

 

 

 

 前回のあらすじ

 生徒会引き継ぎ、そして事後

 

 

 

 

 

「ふぁ……、」

 

 セットした目覚ましのアラーム音で目を覚ました俺はベッドから起き上がり、閉め切ったカーテンを開いた。今日も良い天気だ。点けたテレビの気象番組から流れる情報によれば、今日は日中青空が広がるらしい。気温も平年並み、湿度も高くないとくれば、これほどまでに過ごしやすい気候はないだろう。

 クローゼットから制服を引っ張り出して着替え、洗面台へと向かう。どういう訳か洗面台には歯ブラシが三本あるわけだが(内二本は女物)、そこには気にすることなく自分のものを取って歯を磨き、顔を洗う。一連のルーティーンのように決まりきった習慣行動を取ったあと、俺は部屋を出て食堂へと向かった。

 

 食堂は基本的に朝六時には既に開いている為然程時間を気にするでもなく食堂へと入っていった俺はトレー片手に今日の朝食のメニューを考える。

 うん、ここはやっぱり本日のおすすめとのシールが貼られた和食セットBにしよう。基本的な白米に豆腐の味噌汁、鯖の塩焼きと浅漬けが付いたこのセットを受け渡し口で貰い、まだ人の少ない食堂の席の一つに腰を下ろした。大抵は千冬や最近学園に居る事の多かった束なんかと一緒に朝食を摂っていたんだが、如何せん今日は二人共忙しいらしく席を共にしていない。

 斯く言う俺もこの後いろいろと準備があるので言うほどゆっくりもしていられないんだが。

 

 鯖を口に含んで咀嚼しながらぼんやりと窓から外を眺める。

 昇る太陽の日差しが暖かい。

 こうしてこの場所からこうやって外を眺めるのも今日が最後なのかと思うと、何でもないように思っていたはずの胸の奥がツンとして感慨深い。こうしてこの食堂で食事をするのも、歩き慣れた廊下を歩くのも、そしてこの制服を身に纏い、この学園の生徒として過ごすのも。

 なにもかも、今日で最後だ。

 

「……はぁ」

 

 不思議と漏れる溜息。しかしこれはいつもの諦めや呆れといったマイナスのものではない。

 どこか満たされたような、温かな気持ちから吐き出されたものだった。

 

「――――卒業、か」

 

 三月十日。

 今日は、俺たちIS学園第一期生の卒業式だ。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 午前八時、もろもろの用事を済ませた俺は、自身のクラスへとやって来た。

 今日は卒業式しか行われないためん、九時までに教室に入ればよかったのだが、どういう訳か教室内には多くの生徒が集まっていた。

 

「あ、おはよー更識くん」

 

「おはよう、どうしたんだ皆。今日は授業は無いんだぞ?」

 

「そうなんだけどねー、この教室もこの机もこの椅子も。今日で最後なのかと思うと何か名残惜しくなっちゃって」

 

 クラスの大半の生徒が集まっているので何事かと思えば、なんてことはない。ただ皆、俺と同じように名残惜しくなってしまっただけのようだ。それぞれの三年間の土台となったのは間違いなくこの学園で、最後の一年間の土台となったのは間違いなくこの教室だ。建設されてからまだ三年しか経っていない教室には目立った傷は見られないが、それでも俺たちが付けた細かな傷は目を凝らせば見えてくる。そんなものにまで感傷的になるのは非常にらしくないとは思うが。これも女子たちに囲まれて過ごしてきたせいなのだろうか、若干涙腺が緩くなったというか、感性が女子側に引っ張られているような気がする。

 

「そういう更識くんだって、まだ八時だよ?」

 

「俺は元生徒会だから色々と卒業式の準備に駆り出されててな」

 

「送られる側なのに?」

 

「ま、生徒会なんてやってるとそういうもんなんだよ」

 

 首を傾げる少女に対し、俺は苦笑を返す。

 卒業式と言えども、俺や千冬はその準備に駆り出されていたりする。送られる側であるはずの俺たちがその式場の設置や進行の確認をするのはどうなんだ、と思わないこともないが真耶にお願いされてしまっては断ることなど出来る筈もない。更には杏子ちゃんにまでいいように使われているので、はっきり言って在校生よりも仕事してると思われる。

 まぁこうして真耶と一緒に仕事をするということもこの学園を卒業してしまえば無いだろうから、今のうちにと思って自ら参加した節もあるので何とも言えないが。

 

「あ、そういえばさっき布仏さんが探してたよ?」

 

「里虹が?」

 

 はて、一体何の用事だろうか。

 別段俺としては思い当たる節はなく、彼女がどうして俺のことを探しているのか全く理由が分からない。今日は里虹の卒業式でもあるわけだから楽しめよとは先日言っておいたが、それが何か関係しているのだろうか。

 などと俺が考えていると。

 

「あ、見つけましたよ!」

 

 教室の扉を勢いよく開き、息を若干荒げた俺の専属従者、布仏里虹がやって来た。

 

「おう里虹。どうしたんだそんな息荒げて」

 

「どうしたんだ、じゃありませんよ! どうして部屋にいなかったんですか!」

 

 ずいっ、と詰め寄ってくる里虹。近い近い、そんなに詰め寄らないでくれ。

 

「どうしてって、真耶たちに呼ばれて今日の準備を手伝ってたんだけど」

 

「なら何故私をお呼びにならなかったのですか! その準備、私もお手伝い致しましたのに!」

 

「いやそこまで大掛かりなものじゃなかったからな」

 

 ショートカットの黒髪を揺らし、里虹は俺との距離を尚も縮めようと詰め寄ってくる。

 こんな風に彼女が怒るとは思っていなかったので若干意外だったが、この反応もこれまでの彼女からすれば考えられないものだろう。俺の専属従者としてやってきたときから高校三年になるまで、彼女はずっと俺と一定の距離を置いて接してきた。それは俺の態度が悪かったということもあるし、彼女が従者という言葉の意味以上のものを成そうとしていたからでもある。

 元々俺は従者なんてものは必要ないと親父には常々言っていた。

 親父に長年従者として付き従っている偽(いつわ)さんはとても優秀な人だ。

 ああいう人が付いてくれていれば、仕事もきっと迅速に進めることが出来るだろう。姫無専属の虚や簪専属の本音もまだ若いが二人共優秀な人材だ。今までも妹たちのサポートを上手くやってくれていた。

 当然、その二人の姉である里虹も優秀な人材であることは違いない。従者とはかくあるべしとこれまで十年以上布仏の家で育てられてきたのだ、俺への態度が当初やけに硬かったのも致し方ないのかもしれない。

 

 しかし、俺はそんな彼女を一旦は遠ざけてしまった。

 

 若気の至りだ、と簡単に片付けてしまうことは簡単だ。

 だが、彼女のこれまでに積み重ねてきたものを壊してしまったのも事実。

 

 当時まだ小学生だった里虹は、それ以降俺との接触を絶ってしまった。

 そんな彼女と再会したのは、俺が楯無を継いだすぐ後のことだ。一度は断った従者の話だったが、当主に従者をつけるのは代々受け継がれてきた伝統であったらしく、流石にそれに逆らう気はなかった。そして久方ぶりに再開した彼女は、これまでとは別人のようになってしまっていた。

 

 その時のことを、きっと俺は一生忘れることはないだろう。

 

『形無、楯無を継ぐにあたって、今日から布仏の長女がお前の専属の従者になる』

 

『里虹のことだろ。一度は断った手前、なんか面目ないな』

 

『……こう言うのもなんだが、あの子は少し変わったようだ』

 

『は、変わった?』

 

『これは偽から聞いた話だが、どうも従者の話をお前が断ったのは自分の技量が至らなかったからだと思い込んでいるらしい』

 

『え?』

 

『元々生真面目な子だ。そこで断ったお前を責めない辺りあの子らしいと言えばそうなんだろうが……。お前、そんなあの子とどう接する』

 

『…………、俺は』

 

 親父の問いかけに数秒考え、口にするのに更に数秒。

 答えなんてものはそう簡単に用意できるものではないが、それでも答えを出さなくてはいけない時はある。

 

『俺は、あいつと従者だの主だのなんて関係になりたいわけじゃない。強いていうなら、パートナーであるべきだ』

 

『……そうか、』

 

 そう言って頷く親父の顔は、どこか納得したかのようなものだった。

 

 さて。

 そんな訳で俺のせいでああなってしまったと言っても過言ではない彼女を、どうにかして元の笑顔を振りまく昔のように戻したいと考えた俺は、真っ先に妹である虚や本音を頼った。

 非常に情けない話だが、当時の俺に女心や従者としての考えというものは理解できなかった。となれば、彼女に最も近く同じ従者として過ごしている彼女たちに聞くのが最も効率がいいだろうと判断したのだ。

 

 して、その反応はというと。

 

『すみません楯無さん。私には姉さんの気持ちはきっと理解できません』

 

『かたりんは一回おねーちゃんと話し合ったほうがいいよぉ』

 

 ということだった。

 俺としても里虹と話さなくてはいけないとは思っていたが、如何せん彼女が俺のことを若干避けているようで中々顔を合わせることができないでいた。それでも当主としてはどうにかしなくてはと無理矢理時間を作り、座敷に俺と里虹だけで話す機会を設けた。

 

『…………』

 

『……里虹。お前が俺の言ったことを気にしてるってんなら、まずは謝らなくちゃいけない。すまなかった』

 

『…………、』

 

『ただ、一つだけ言いたいのは、俺は決してお前が従者として認められないからあの時断ったんじゃない』

 

『え……、』

 

 眼を丸くして零す里虹に、俺はなんとも言えない気恥かしさを感じながらも告げた。

 

『あの時はだな、なんて言うか、異性の従者ってのが恥ずかしかったんだ。ほら、親父には偽さんで、姫無や簪には虚や本音だろう?』

 

 今思えば、なんてくだらないことで彼女を傷つけてしまったのだろうと思う。些細な一言で、俺は彼女の数年間を奪ってしまったも同然なのだから。

 どれだけの叱責や罵詈雑言も甘んじて受け入れる。そう覚悟して本心を吐露した俺だったが、飛んできたのは罵声や平手打ちではなく、彼女の堪えきれないと言ったような笑い声だった。

 

『ふふ、ふふふ……』

 

『あの、里虹……さん?』

 

『すみません、主。はしたなく笑ってしまって……』

 

 尚も笑いを抑えきれないのか、彼女は必死に手で口元を隠していた。

 

『怒ら、ないのか?』

 

『正直、怒るというなら私は自分自身に怒っていました。主が私を従者に迎えないのはまだ自身が未熟だからと、一人前となればきっと従者としてくれるだろうと』

 

『いや、お前はもう一人前だよ』

 

『よしてください、私はまだまだ父に比べれば半人前もいいところです。……それにしても、そうですか。私は、勝手な思い違いをしていたのですね』

 

 付き物が取れたような晴れやかな表情で、彼女はその言葉の意味を噛み締めるように反芻する。

 

『元はといえば俺の一言が原因だ。すまなかった、これからよろしく頼む』

 

『はい……我が主』

 

 こうして俺が彼女と打ち解けることができたのはIS学園に入学して暫く経った頃だ。最初は中々敬語が抜けなかったり(これはどうやら彼女が敬語で話すのが最も自然体だということで終ぞ直らなかった)俺に対して何処か遠慮して一歩引いているような節があったが、こうして卒業を目の前にした今となっては冗談を言い合えるくらいには打ち解けた。

 というか、里虹の本来の性格が表に出てきたと言うべきか。

 これは俺も知らなかったが、どうやら彼女、かなりの世話焼き体質であるらしい。朝は必ず起こしにくるし、大体は朝食を用意している。まあ言ってしまえば、途轍もなく嫁スキルが高いのである。それは悪いことではない。悪いことではないが、度を超えると如何なものか。

 まるで学園内に母親が居るような気分になる。いや、それが嫌だというわけではないが。

 

 そういうわけでその世話焼き体質を今日も遺憾なく発揮した彼女は、部屋に起こしに行ったのに俺がいなかったことが気がかりでここまで走り回ってやってきたらしい。

 

「とにかく! 何かあるごとに私を呼んでください! 本来なら常に主の動向を見ていなくてはならないというのに……」

 

「いや俺からプライベートな時間を取らないでくれ」

 

「だからこれは最大限の譲歩です!」

 

 ダメだ、これは嫁スキルの一つ、お説教モードが発動してしまっている。こうなった彼女はちょっとやそっとじゃ止まらない。 

 どうしたものか、と内心で考えていると。

 

「何だ、ここにいたのか」

 

 教室内に、元生徒会副会長である織斑千冬が入ってきた。どうやら仕事を全て終わらせてやってきたらしい。制服の胸には、卒業生が付けるカーネイションがあった。

 

「ほら、これは楯無の分だ。布仏の分は後からクラスで配布されるだろう」

 

 そう言って、俺にカーネイションを模した造花を手渡す千冬。こうして俺や千冬だけがこれを今の段階で受け取っているのは、俺たち生徒会のメンバーが他の生徒たちよりも早く体育館に行くことになっているからだ。千冬や俺、そして織村にはそれぞれ割り当てられた役目があり、そういった生徒は体育館の横に設置された椅子に着席することになっている。

 時計を確認すればもう八時三十分を回っていた。そろそろ体育館に向かわなくてはならない。

 

「里虹。とりあえず俺はもう行かないといけないから、この話は卒業式が終わってからな」

 

「む、仕方ありませんね」

 

 すんなりと引き下がってくれた里虹に背を向けて、俺と千冬は教室を後にし、体育館へと向かった。

 

 

 

 

 

 ◆◆

 

 

 

 

 

 ざわざわと生徒たちの話し声が聞こえる体育館内。午前九時、三年生の入場を完了させたIS学園体育館では、卒業式がまさに始まろうとしていた。体育館内に設置されたパイプ椅子の前方に卒業生たちが腰を下ろし、一、二年生はその後方の席に着いている。来賓やIS関係の企業の重役たちも集まり、そして、式が始まる。

 

『只今より、第一回IS学園卒業式を執り行う』

 

 そう壇上で話すのは、いつものだらしなく着崩した服装ではなく黒のスーツを纏った杏子ちゃんだ。

 

『卒業生一同、起立』

 

 その声の後、俺たち元生徒会のメンバーも含めた三年生全員が立ち上がる。壇上に上がった学園長に一礼し、そのまま学園長の話が始まった。

 

「楯無」

 

「ん?」

 

 学園長が壇上で話をしている最中、横に立つ千冬が小さな声で話し掛けてきた。視線は学園長に向いたままの状態であるため、一見しただけでは話しているとは思えない。

 

「今回は、しっかり考えてあるんだろうな」

 

 何が、とは聞き返さない。

 彼女の言葉が何を指しているのかは、火を見るよりも明らかだからだ。故に。

 

「おう、ばっちりだ」

 

 自信満々に、俺は千冬に言ってのけるのだった。

 

 学園長の話も終わり、来賓の紹介へと移る。それが終わると、真耶が後ろで立ち上がるのが見えた。因みに現生徒会メンバーである彼女も体育館前方横に並べられたパイプ椅子に腰を下ろしている。ナタルなども同様である。

 

『送辞。生徒会会長、山田真耶』

 

「はい」

 

 言われ、壇上へと上がった真耶は一度深呼吸をして、手に持っていた紙を広げた。

 

『送辞。本来であれば、私たち下級生は先輩方三年生の卒業を笑顔で送り出さなければいけないのでしょう――――』

 

 そう言って話を始めた彼女の表情は、既に涙腺崩壊と言った様子だった。お決まりの季節を取り入れた出だしもなにも無く、彼女は瞳を潤ませながら言葉を紡ぐ。

 

『しかし、私は先輩方がいなくなってしまうのが、寂しくて堪りません。それほどまでに、先輩方と過ごした学園での生活は、有意義なものだったからです』

 

 壇上で静かに話す彼女の言葉を、俺は静かに聞いていた。きっと今、彼女の胸の内には生徒会で過ごした日々のことも浮かんでいるはずだ。それは俺も同様で、千冬とは逆隣に座る織村なんかは既に涙腺が崩壊して涙を零していた。いやそんなキャラじゃないだろ、とか突っ込みはしない。卒業式なんてのは、みんなそうなるものだと思っているからだ。

 

『今の私があるのは、三年生の先輩方がいてくれたからだと言っても過言ではありません。正直な気持ちを言えば、もっと先輩方とこのIS学園での生活を楽しみたかったです。ですが、そういうわけにもいきません。IS学園の卒業生とは、多くの企業の方や業界の方が必要とする存在です。きっとこれから、先輩方の活躍を耳にすることになるのでしょう。私はそれを誇りに思いつつ、残りの一年間を先輩方に負けないくらい濃密に過ごしていきたいと思っています』

 

 いつの間にか、そう話す彼女の頬には涙が伝っていた。それでもしっかりと話す辺りはこれまで生徒会で鍛えられてきた賜物だろうか。時折声が震える場面もあったが、彼女はしっかりと生徒会長として送辞を話しきった。制服の袖で涙を拭いながら、彼女はパイプ椅子に座る。彼女の想いは、きっとこの場にいる全員に伝わったことだろう。それは卒業生たちや下級生の表情を見れば分かる。

 さて、となればだ。

 

『答辞、卒業生代表。更識楯無』

 

 俺も、真耶たちの想いに応えようじゃないか。壇上へと続く階段を上がり、マイクの前に立つ。確か一年生の入学式の時もこうして話したな、あの時とは雰囲気が全く違うが、それも悪くない。制服の懐からいつもの扇子を取り出し、それをパンッと勢いよく広げる。そこにはなんの捻りもなく『卒業』とだけ書かれていた。

 

『どうも、生徒会元会長。更識楯無だ、生憎と俺は台本通りの答辞なんて御免だから、この場で思ったことを話させてもらおう』

 

 そう言って予め千冬と話し合って作成した答辞と書かれた紙を目の前で破く。視界の端では千冬がやれやれとでも言うように溜息を零しているのが見えたが、まぁ後で謝れば許してくれるだろう。

 

『皆知っての通り、俺は世界初の男性IS操縦者としてこの学園に三年前入学した。今だからこそ言えるが、最初は女子ばかりの環境にうんざりしてたんだぜ? いきなり放り込まれたのがこの学園で、男子はたった二人しかいないんだ。ノイローゼにならなかっただけマシだが』

 

 俺のそんな物言いに、周囲からはクスクスと笑いが起こる。ウケを狙ったわけではなかったのだが、まぁいいだろう。和やかな雰囲気で話を進めるのは楽だしな。

 

『でも、これも今だからこそ言えるが、俺は高校生活の三年間をこのIS学園で過ごすことができて本当に良かったと思う。これは紛れもない本心だ。生徒会長なんてものまでやってみたが、なかなかどうしてやりがいのある仕事だったよ。後任の山田は確り者だから、きっと来年度も安泰だ。俺たち卒業生は、何一つ心配することなく卒業していくことだろう。それは君たち後輩が、俺たちをこうして送り出してくれるからだ』

 

 先程まで微かにあった笑い声は、いつのまにか鼻を啜る音や小さな嗚咽に変わっていた。見れば生徒の大半が目元を抑えている。そして、意外なことに俺も目頭が熱くなるのを感じていた。やはり卒業式なんてのはこういうものなのかと勝手に思いつつ、しかしその口を止めることはしない。

 

『俺たちは今日、卒業する。社会に出れば、挫折しそうになる時、負けそうになる時があるだろう。社会の荒波ってのは残酷だ。でも、此処で過ごした三年間という経験値がある。それはきっと、これからの自分を支えていく上で大きなものになるだろう。――――お世話になった先生方、同級生、後輩に、心からの感謝を述べさせてもらう』

 

 卒業生代表、更識楯無。そう言って、俺は一歩下がってゆっくりと一礼した。

 瞬間、爆発的に歓声が上がる。大きな拍手に包まれながら、俺は壇上から自身の席へと戻る。

 

「全く、考えた私の身にもなってもらいたいものだ」

 

「悪いな。やっぱ、こういう時って思ったことを言うものだろ」

 

「ふん、まぁ、悪くはなかったな」

 

 こうして、恙無く進行していった卒業式は程なくして終了した。

 そして――――。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

「楯無」

 

「おう千冬。とりあえず卒業おめでとう」

 

「なんだ改まって、ならこちらもだろう。卒業おめでとう」

 

 卒業式が終わり、各クラスの戻った俺たちはそれぞれ思い思いの時間を過ごしていた。この教室ともこれでお別れだ。友達と泣きながら写真を撮るもの、わいわいと打ち上げの話をするものなど様々だが、そんな中で俺と千冬は隅でそんな会話をしていた。

 

「お前とも、とりあえず今日で一旦お別れってことになるのかな」

 

「何を言うか。私とお前の縁なんて切っても切れるものではないだろう」

 

 苦笑しながら千冬は言う。彼女は卒業後、国家代表として正式に着任することが決定している。この学園から国家代表となった生徒はたったの二人なので、彼女がどれだけ優秀だったのかは言うまでもないだろう。

 そして俺はというと、卒業後は一度ISから離れるつもりだ。更識の家のこともあるし、なによりも――――。

 

「やらなくちゃいけないことがあるからな」

 

「いいさ。きっとお前と私はまた会うことになる。その時にあの時あんなこと言わなければ、なんて思っても遅いぞ?」

 

「はは、それは嫌だな」

 

 ニヤッと笑う彼女に、俺はそう返すしかなかった。

 

「……千冬」

 

「分かっている」

 

 もう殆どの生徒が出て行った教室内で、彼女は精一杯の笑顔を作って俺へと言った。

 

「――――さよならだ。次に会うときは、もっと良い女になっているぞ」

 

 その笑顔を崩さないように、俺は一度だけ彼女を抱き寄せ、そしてキスをした。

 

 三月十日。

 更識楯無。

 織斑千冬。

 篠ノ之束。

 

 これまでずっと同じ道を歩んできた三人はこの日初めて、別々の道を行くこととなる。

 別れた道はしかし、そう遠くない未来で再び交わることになる。その時、ようやく物語は始まる。

 

 

 

 

 

 




 知ってたか? これ、まだ第一部が始まってもないんだぜ……?

 という訳で次から原作突入。一話は既に出来ているので、近いうちに投下します。
 張りまくった伏線たちもちゃんと回収予定なのであしからず。

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