双六で人生を変えられた男   作:晃甫

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 お待たせしました。今回シリアスオンリーです。
 あれ、この話って主人公メインだった筈なのに……、完全に親父と妻にいいとこもってかれ……


#追憶 楯無継承(後)

「……よぉ、元気そうじゃねぇか」

 

「親、父……?」

 

 一瞬、俺は目の前の光景を信じることが出来なかった。

 畳を赤く汚し、息も絶え絶えに身体中に赤い染みを作っている親父。そしてそれを懸命に治療する母さんと、周りを取り囲む更識の上位陣。

 

 何も理解できないでいる俺に、大怪我を負っているであろう親父はそんなことなど噯気にも出さず、まるで何事もないかのように話しかけた。

 

「悪いな。ちっとばかし用が立て込んでてお前に顔見せれてなかった」

 

「なっ……、」

 

 どうして、今そんなことを言うんだ。

 そんなことを言っている場合じゃないのは親父自身が一番よく分かってるだろう。見るからに出血が多い。一体どうなればこんな大怪我を負えるのか全く分からないが、このままの状態が続けば危険だということくらい素人にも理解できることだ。

 なのに、何故そんな顔が出来るんだ。

 

「そんな事言ってる場合じゃねぇだろ! 一体何があったんだよッ!!」

 

「……まぁ、そんな大声出すなよ。別段何かあったわけじゃねぇ……、ちっとばかしツメを誤ったってだけだ」

 

「それがちょっとだってのか……!?」

 

 いつの間にか俺はズカズカと室内に踏入り、親父の目の前にまで迫っていた。

 間近で見ると更にその怪我の重さが判る。母さんを中心に、何人かの治療班らしき部下たちが全力でその処置にあたっているが一向にその出血は止まろうとはしない。これ以上は本当に危険だ。無意識のうちに歯を食縛る。こうなってしまったら仕方ない、俺の能力で血流の流れを操作するしかない。

 そう思い、俺は親父の身体で最も出血が酷い腹部へとその腕を伸ばす。

 

 しかし。

 

「え……、」

 

 伸ばしたその腕は、他でもない親父自身の手に掴まれた。

 

「何、する気だ……」

 

「何って、俺のあのチカラで……!」

 

「ハッ……、子供が親にいらん心配をするんじゃねぇよ……」

 

 無造作に俺の腕を振り払った親父は自嘲気味な笑みをその顔に浮かべ、口元に垂れる血を拭う。その動きでさえも緩慢で、俺はいてもたってもいられなくなる。

 どうして母さんは何も言わないんだ。どうして四士の面々は苦渋に顔を歪めながらも、親父のことを止めようとしないんだ。

 

「瑞穂……、もういい」

 

「いえ楯無さん。……せめて、処置くらいはさせてください」

 

 額に包帯を巻いていた母さんにそう言って親父は立ち上がろうとするが、母さんは静かに否定の意を示す。そんな母さんの表情は親父からは見えていないはずだが、一言『すまない』と告げてから再び浮かせていた腰を静かに下ろした。

 

 それから数分後、ある程度の処置を終えた母さんは一度立ち上がり居間から出て行った。それに倣って他の連中も席を立ちその場を後にする。居間に残ったのは四士の四人に親父、そして俺だけ。

 処置がある程度効いているのか最初よりは顔色が良くなった親父は、羽織を着てキセルを咥えている。

 

 沈黙が、居間を包む。

 

 俺はそんな沈黙を破ることができないでいた。聞きたいことなんて山ほどある。だが、聞けない。親父の全身から放たれる闘気のようなものが、俺にその聞きたいことを言葉に出させる事を阻んでいた。

 そんな俺の心情を察しているのか、親父の後ろに控えている四士も何も言わない。いや、きっと言えないんだろう。四人の表情から簡単に察することができた。これは今までの案件とは次元が違う。下手を打てば最悪、死ぬかもしれない。

 

「……何でだ」

 

 沈黙に包まれて何分経ったか分からなくなった頃、ようやく言葉が漏れた。

 

「何で、親父は何も俺に言わないんだよ」

 

「…………、」

 

 親父は俺の問いに答えない。視線を何度か左右に彷徨わせ、何か答えに困っているような風だ。

 俺はそんな返答に困る親父に、続けざまに言葉をぶつける。

 

「……何で何も言わねぇんだ! 俺じゃ力不足だってのか!? 何とか言えよ親父!!」

 

「若……、十六代目は……」

 

「竜真」

 

 俺の言葉に何かを言いかけた竜真に、親父は釘を刺す。

 再び、沈黙。

 だが今回の沈黙はそう長くは続かなかった。その沈黙を破ったのは、

 

「……今回の案件は、少々デカすぎる。お前を巻き込むわけにはいかん」

 

 そう言う親父の眼はいつになく真剣なものだった。キセルを数度叩き、俺に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。

 そんな声で、俺は内心で納得した。どうやら、親父は俺を巻き込んで迷惑をかけたくなかったらしい。考えてみれば、世間一般で言えば自分の息子を危険なことに巻き込んでもいいと思っている親なんてまず存在しないだろう。それは例え更識の十六代目であっても同じことであった、そういうことだ。

 

 でも、納得はできても腑には落ちない。

 俺だってもうかれこれ五年以上更識として、暗部に対抗するための対暗部組織の一員として多くの仕事を請け負ってきた。キャリアで言えば親父や大幹部の連中には及ばないまでも、他の連中には引けを取らないつもりだ。デカイ案件を抱え込んでいるというのなら尚の事、俺もその戦場へと連れて行くべきだろう。親の心情とかいう私情は本来そこに介在してはならないのだから。

 

「親父」

 

「…………はぁ」

 

 俺の表情を見て何も伝えないということを不可能だと察したのか、親父は瞼を伏せ一度溜息を零した。

 

「今回の標的は、京ヶ原だ」

 

「ッ!? どういうことだよ、四家同士で争ってるってのか!?」

 

 親父の放った言葉に、俺は思わず声を荒げていた。

『四家』。

 日本国内に無数に存在する暗部組織に対抗するための対暗部組織の筆頭家系の総称である。更識、氷見、杠、京ヶ原。この四つの家系は何百年も前から日本を影から支えてきた由緒ある家系だ。この四つの家系は、基本的に相互不干渉が守られている。その理由は四家間で結ばれた約定、『四家三ヶ条』に定められているからだ。

 

 上不(あがらず)

 侵不(おかさず)

 絶不(たやさず)

 

 上不とは、決して対暗部組織として表舞台には上がってはならない。

 侵不とは、決して四家間で干渉し合ってはならない。

 絶不とは、この四つの家系は決して絶やしてはならない。

 

 今から凡そ二百年程前に定められた約定は、現在もその形を変えることなく伝えられている。

 故に、俺は驚愕した。今親父が言ったのは、どう考えても『侵不』に抵触しているからだ。長い更識の歴史の中で、この掟が破られたことは未だ嘗てない。それを破ってまで遂行しなくてはならない案件とは一体なんだと言うのだ。そんな重傷を負ってまでしなくてはならないことなのか。

 

「……理由は言えん。聞けば、お前も巻き込むことになってしまうからな」

 

「構わねえよッ! 蚊帳の外にいるより、何倍もマシだ!!」

 

 俺の言葉にしかし、親父は首を横に振る。

 

「ダメだ。この家にだって俺は治療しに戻ってきたんじゃない、ちっと忘れ物を取りに戻って来ただけなんだ」

 

「忘れ物……?」

 

 そう疑問の声を上げたと同時、居間の襖が静かに開いた。その先に立っていたのは何やら長い包を両手に抱えた母さんだった。その神妙な面持ちは、母さんの内心がどんな感情で埋め尽くされているのかを推し量るには俺には充分で、ついに、何も言えなくなった。

 親父のことを間違いなく最も心配しているのは母さんの筈だ。その母さんが自分の感情を必死に押し殺し、親父のことを支えようとしている。それを目の前で見せられてしまっては、もう俺には口を出すことなど出来ない。

 

「楯無さん」

 

「瑞穂。済まないな」

 

「フフ……。楯無さんが無茶ばかりするのは、今に始まったことではないですから」

 

 母さんから長い包みを受け取りながら、親父は僅かに笑う。笑みを向けられた母さんも、薄く笑う。

 受け取った包みを取り外し、その中から現れたのは。

 

「鳳灯……」

 

 鳳灯(ほうとう)。

 更識の家に代々伝わる日本刀だ。初代更識の頃から受け継がれてきたこの鳳灯は時代の変わり目や更識家の危機を幾度も乗り越えてきた家宝。それを親父が持ち出すという意味が分からない程、俺は間抜けではない。

 つまり、親父は決死の覚悟でこれからその戦場へ戻るということだ。

 

 一度鳳灯を鞘から抜き、その刀身を柄から剣先まで眺める。親父はそうして今一度鞘に納めると、今度こそその腰を上げた。親父が立ち上がったことで背後に座っていた四士の面々も立ち上がり、呼応するように周囲の更識の人間も其々の武器を取り立ち上がる。

 現代の暗部とは、主に情報戦が主流になりつつある。それはISが世に出てから一層顕著になりつつある。

 しかし、四家同士がぶつかる場合、情報戦などはっきり言って無意味だ。互に互のことは知り尽くしている。となればその勝敗を決するのは単純に武力、戦闘能力がそのまま勝敗を左右するのだ。

 

「行ってくる」

 

「お気を付けて……」

 

 居間を出るところで立ち止まり、親父は母さんを抱き寄せる。まるで、これが今生の別れであるかのように二人は暫く身を寄せ合い、最後に口付けを交わす。

 襖を開き、四士の面々が廊下へと出ていく中、親父は俺に背を向けたまま俺に声を掛けた。

 

「形無」

 

 俺にはその時の親父の背中が、これまでにないくらい、大きく見えた。

 

「お前が俺の心配してくれるのは嬉しいがな。そんなのはいらん心配だ。俺は死なん」

 

「…………」

 

「此処に帰ってくる場所があるんだ。瑞穂やお前や姫無、簪に寂しい思いはさせん。それにな、」

 

 そして。

 

 

 

「お前(息子)の前なんだ。少しはカッコつけさせろ」

 

 

 

 親父は振り向かず、戦場へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 親父が四士の四人を始めとする大勢の部下たちを連れ、この本家から出て行って一体どれほどの時間が経っただろうか。居間にある時計を見ても、親父達が出て行った時間が分からない為に推測でしかその時間を測ることができない。

 居間に残された俺と、その正面で静かに湯呑を傾ける母さん。その所作からは、一切の迷いも見られなかった。

 

「……形無さん」

 

 不意に、母さんが口を開く。先ほどの親父のように、いつになく真剣な表情で。

 

「楯無さんには言うな、と言われていましたが貴方も何も知らぬまま蚊帳の外というのも酷でしょう。現状、貴方がどんな立場にいるのかも知らねばなりません」

 

「俺の、立場……?」

 

「そうですね。先ずはこの争いの幾つもの原因について話しましょう」

 

 そう言った母さんは持っていた湯呑を畳の上に置き。

 

「原因の一端は、貴方にあります」

 

「は?」

 

「いえ、こういう言い方をすると誤解を招くかもしれませんね。決して貴方が何かをしでかしたというわけではないのです」

 

 俺には母さんの言っていることが上手く理解できないでいた。俺にこの争いの原因がある? 一体どこにそんなものがあったというんだ、俺は更識の本懐を忘れたことなんてなかったし、それに準じて行動してきた。三ヶ条も破ったことなどなかった。

 ……待てよ。そこで俺は一旦考えを改める。取り方によっては、そう因縁をつけてくることも可能な材料がある。たった一つだけ。

 

「……まさか、」

 

「ええ、形無さん。……貴方が世界初の男性IS操縦者として表舞台に上がってしまったことです。加えて言うならばISの産みの親である束ちゃんと強力なコネクションを持っていることも」

 

 何だそれは。IS乗りとして表舞台には上がったかもしれないがそれは対暗部組織としてではなく、俺個人としてだ。そんな難癖のようなものをつけられる筋合いはこれっぽっちもない。それにどんな理由があろうとも先に三ヶ条破りをしたのは向こうの方だ。

 

「京ヶ原は、ある腫危機感を抱いているのかもしれません。これまで均衡を保ってきた四家の力量が、これを機に更識一強の時代になってしまうのではないかと」

 

「そんなものッ」

 

 そんなもの、向こうの勝手な妄言でしかない。親父は俺や束を進んで利用しようなどとは考えていないし、先程のようにできることなら戦場に出したくないと考えている。

 しかし、現実はそう甘いことばかりも言っていられない。事実、俺がこなす仕事というのも年を経る毎に増えている。

 

「ええ、そんなものは妄執に過ぎません。楯無さんも一度はそう言葉で諭そうとしましたが……」

 

「結局武力行使ってわけか……」

 

 俺の言葉に、母さんは無言で頷く。

 だが、未だに俺はあの親父があれほどの大怪我をするなど信じられなかった。親父は戦国時代であったなら一人で一城を堕とせる実力者だ。そんなことが出来る人間はそれこそ四家の当主くらいしか考えられない。当主同士の戦いになったとしても、ああも一方的に傷を負うことはないだろう。それに四士も同じ戦場に立っていたのだ。彼らがそれを黙って見ている筈がない。

 それにあの傷跡、あれは刀傷なんかじゃなかった。あれは、あれはまるで――――。

 

「楯無さんのあの傷ですが、あれは部下の一人を守ろうとして負ったものです。――――ISの、広範囲爆撃から」

 

「……ッ!!」

 

 やはりか。

 あの親父の怪我は、高火力の爆撃でも浴びなければそうはならないという程の火傷や裂傷でその身体を覆っていた。

 

「ISまで引っ張り出して……、そこまでするのかよ……!」

 

「ここまで来てしまったら、生半可な決着は望まないでしょう」

 

「だったら尚の事俺も出たほうが――――!」

 

「なりません」

 

 俺の提案を一瞬で切り捨てる母さん。どうしてだ、俺の超能力のことは母さんも既に知っている。戦力として十分な筈なのに。

 

「これは更識と京ヶ原だけの闘いではありません。次第によっては……」

 

 それから先の言葉を、母さんは飲み込んだ。

 

「……それに、楯無さんから言われているの。『アイツが無茶しないように見張っててくれ』って」

 

 自分は平気で無茶するくせに、俺にはそんなこと言うのかよ親父。

 

「……母さんは、親父のこと心配じゃないのか?」

 

「信じているもの」

 

 そんな俺の質問に母さんは直ぐ様答え、続けて口にする。

 

「信じて夫の帰りを待つのが、妻の務めなんですよ」

 

 とびきりの笑顔で、母さんは俺にそう言った。

 敵わないな、と俺は思う。心配じゃないわけないのに、それでも信じて待つ。言葉にすれば簡単だが、それを実行できる人はそう多くない。それが出来る母さん、ああ、だからか。こうして母さんがこの家で待っていてくれるから、親父はああして無茶をすることができるのか。安心して暴れられるのか。

 

「ほんと、敵わないな……」

 

 自嘲気味に笑いながら、俺はようやく腹を決めた。

 俺も待つ。親父があの鳳灯まで持ち出したのだ、終わらせて帰ってくるに決まっている。帰ってきたら一発殴ってやろう。俺や母さんを心配させたんだ、これくらいはいいだろう。そんなことを考えながら俺は時計に視線を移す。午後十時。空にはどんよりと厚い雲が覆っていた。

 

 

 

 

 

 ◆◆

 

 

 

 

 

「雨か……」

 

 居間を出たところの廊下から空を見上げる。昼間はあんなに天気がよかったというのに、夜になるにつれて雲行きが怪しくなってきた空はとうとう雨を降らしだした。時刻は既に日を跨いで一時間ほど。親父達が帰ってくる気配は一向にない。

 

「そんな所に居ては風邪を引いてしまいますよ」

 

 ふとそんな声が掛けられる。振り向けば、母さんが肩掛けをもってそこに立っていた。

 

「大丈夫」

 

「そんなこと言わずに」

 

 こうなった母さんは頑固なことを知っているので、俺はそれ以上は何も言わずにその肩掛けを受け取り肩に羽織る。縁側に腰掛けていた俺の隣に母さんも腰を下ろし、同様に雨の降る空を見上げていた。

 母さんのそんな横顔を見て、ふと思う。どうして母さんは親父に嫁いだのだろうか。更識の家ということである程度の危険があることは分かっていた筈なのに。

 

「……母さんはさ、どうして親父と結婚したんだ?」

 

「フフ、どうしたんですかいきなり」

 

 優しい笑みを浮かべてそう聞き返す母さんに、俺はなんだか気恥ずかしくなってしまった。これまで二人の馴れ初めなんて聞いたことなかったし、普段の親父や母さんはラブラブ度全開で聞きたくもなくなってしまうだろうと思っていたからだ。

 

「いや、なんとなく気になってさ」

 

「そうですね……、私がここに嫁いできたのは今の形無さんよりも若い頃でした」

 

 昔を懐かしむような表情で、母さんは続ける。

 

「あの人に出会ったのは高校に上がってすぐのことでした。一浪してまだ高校三年生だったあの人が、入学式の日にいきなり告白してきたんです」

 

 まじか親父。一浪してたなんて知らなかったぞ。つうか入学式の日に告白って完全に初対面だろう。

 

「フフ。勿論初対面でした。でもどうしてかしら、不思議と私はこの時にあぁ、私はこの人と結婚するんだなぁと思ってしまったんです」

 

「その時、親父はどんな風に告白したんだ?」

 

「『一目惚れだ! 俺はお前に出会うために一浪したんだ』ですって。笑っちゃうわよね」

 

 ストレートすぎる。まぁあの親父が器用に恋愛してるところなんて全く想像できないが。

 というかそんな出会い方だったのか。同じ高校だったなんて知らなかったな。

 

「それから程なくして楯無さんの浪人の理由を聞いたんだけど、仕事で大怪我して半年入院してたんですって」

 

 あの人あんなだけど勉強は学年トップだったのよ、と母さんは面白そうに語る。しかし意外だな、親父あんな大雑把だったのに勉強できたのか。

 などと考えていると、俺と母さんの会話をぶった切るように門の方から慌ただしい大勢の足音が聞こえてきた。こんな時間にうちにやって来る人間なんてのは今この現状では親父達しか存在しない。直ぐに母さんが立ち上がり、それに続いて俺も立ち上がり玄関へと急ぐ。

 

 

 玄関へ行くと、そこには親父達を始めとした大勢の更識の人間の姿があった。

 ホッ、と俺は胸を撫で下ろす。とりあえず無事に帰ってきてくれたことに安堵し、親父のもとへと歩いていく。

 

 だがそこで、ん? と俺は内心で首を傾げた。

 無事で帰ってきた筈の更識の人間たちの顔色が何やら優れない。そして同時に気付く。ここを出て行くときの人間の数より今ここに居る人間の数が、微妙に少ないということに。それが一体何を示すのか理解出来ない俺ではない、少なからず犠牲が出てしまったことは悔やまれるが、うちの人間はそういうところはきっちり区切りをつけられる人間の筈だ。

 であるにも関わらず皆の顔色が暗い。

 

 ――――ポタッ。

 

 何かが垂れたのか、そんな音が聞こえてきた。

 何せ外は雨が降っているのだ。皆かなり濡れている。玄関が水浸しになる音だろう、と安易に考えた俺だったが次に鼻についた匂いで気がついた。違う、これは雨の垂れる音ではない。雨はこんなにも鉄臭くはない。

 

「――――まさか、」

 

 その音の元へと視線を彷徨わせ、辿り着く。

 そこには玄十に肩を預けている親父の姿。そして理解する。親父の右の袖から零れる大量の、血液。

 

 

 

 ――――親父には、右腕が無かった。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 竜真の話によると、あの親父の腕は京ヶ原当主との一騎打ちで失ったらしい。ただし、向こうも相応の深手を負ったらしいが。

 結局、更識と京ヶ原との争いはきちんとした決着がつくことなく当主の離脱によって一時休戦のような形となった。今暫くは京ヶ原も過度に動くことはないだろう。少なくとも、当主が回復するまでは。

 親父は出血が激しく危険な状態だったが今は何とか一命を取り留め、居間で眠っている。母さんは一睡もせずに親父の看病に付いている。もうかれこれ三日、部下が何度も母さんに休んだほうがいいと促しているが、一向に休もうとはしなかった。

 

 俺は千冬や束には一言連絡を入れ、IS学園を休んでいる。理由を聞かれたが、彼女たちには本当の理由は伝えていない。伝えてもどうしようもないことだと判っているからだ。

 

 今回の争いで部下が十四人その命を絶やし、親父や四士の面々を含む八十一人が重軽傷を負った。被害は甚大、しかし向こうは待ってはくれないだろう。

 何も更識の敵は京ヶ原だけではないのだ。今回の件を聞きつけた暗部はこれを機に一斉に動き出すだろう。特にうちが縄張りにしている関東近郊は活発になるに違いない。

 親父は動けない。四士の面々も万全ではない。では、誰がそいつらを止める?

 

「…………、」

 

 あの時のように縁側に腰を下ろし、俺は自分に問うた。親父が十六代目を継いだのは二十の時だ、それを考えればまだ早いのかもしれない。

 

「形無さん」

 

「母さん……」

 

 不意に背後から声を掛けられる。そこには居間から出てきたのだろう母さんが立っていた。何も食べていないのか、少し窶れているように見える。

 

「楯無さんが目を覚ましました。形無さんと二人きりで話をしたいそうです」

 

「そっか、ありがと母さん」

 

 言われ、俺は母さんと入れ替わるように居間へと足を踏み入れた。中には身体中に包帯を巻いた親父が床に入っているが、その身体は起こされている。

 

「来たか、そこに座れ」

 

「もう起き上がって大丈夫なのかよ」

 

「まぁな」

 

 促され、俺は親父の対面に座る。容態は安定しているのか、顔色は然程悪くなさそうだ。

 

「お前にも心配かけた、すまなかったな」

 

 一言、そう言って親父は軽く頭を下げる。

 

「気にするなよ。それにそういうのは母さんに言ってやってくれ」

 

「さっき言ったら一発はたかれた」

 

 頬を抑えながら自嘲気味に笑う親父に釣られ、俺も少し口元を綻ばせる。暫し親父と他愛ない会話をしながら時間を過ごす。こんな風に二人きりで話すなんてことは中々なかったからか、会話が途切れることはなかった。

 一頻り会話を終え、親父が一度会話を切る。

 

「さて、……お前を呼んだ本題はこれからだ」

 

 親父の雰囲気が変わる。

 それに合わせ、俺もこれまでのような態度をやめて真っ直ぐに親父の眼を見据える。

 

「お前……楯無を継ぐ気はあるか」

 

 出てきた言葉は、俺の予想に反しないものだった。

 

「…………」

 

「俺はお前に継ぐ気がないなら無理にとは言わん。姫や簪だっている。しかし俺も衰えた、今の俺では京ヶ原の当主を抑え込むのは難しいだろう、このザマだ」

 

 無くなった右腕に視線を一度落とし、親父は続ける。

 

「いいか形無。楯無ってのは先祖代々受け継がれてきた名だ。これを継ぐってことは今までのお前の名は暫し捨て去ることになる」

 

「……ああ、分かってる」

 

「なら今一度聞こう。……継ぐ気は、あるか」

 

 その問いに対する答えは、もうとっくに出ていた。

 もうこんな無力な思いをするなんてまっぴらだ。たとえ未熟だとしても、俺は誰かを守れるようにならなくちゃいけない。もう誰も悲しませてはいけない。

 

 

 

「俺は、楯無を継ぐよ」

 

 

 

「そうか……」

 

 親父は少しの間目を伏せ、横に置いてあった鳳灯を俺の前に差し出す。

 

「ならば今この時をもって十六代目楯無より十七代目楯無へと家督及びその全権限を譲渡する。――――あとは任せるぞ、楯無(・・)」

 

 そしてこの時を以て、俺は十七代目楯無を継承した。

 正式な任命式はまた後日親父の体調が回復してから執り行われるらしい。

 

 楯無を継ぐ、ということはこれまで親父が背負ってきたものを全て背負って立つということだ。当然生半可な覚悟では無理だろう。だが、やるしかない。まだ未熟であることなど百も承知、それでも親父はあの場で俺に楯無を継がせたのだ。ならば、親父の期待に応えるだけの成果は上げねばなるまい。

 やらねばならない事はたくさんあるが、とりあえずは一度学園に戻らなくてはならない。何せ三日も学園を開けていたのだ、千冬たちにも聞かれるだろうし、仕事も溜まっているに違いない。そう考えながら、俺は居間を後にする。

 後には満足気に笑う、親父の姿があった。

 

 

 

 

 ――――一週間後。

 IS学園の職員室にあるとある名簿には、全校朝礼で話すあるクラスの生徒の名前が記載されていた。

 

『生徒会長挨拶 二年 更識楯無』

 

 

 

 

 




 忘れてるかもしれませんが、まだ個人トーナメント終わってないんだよ。

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