前回のあらすじ
はい、巻き込まれフラグが建ちました
「やっほーかーくん!! 話は聞いたよ! 束さんが一肌脱ごうじゃないかっ!!」
襖の向こうから勢いよくやって来たのはこの世界の軍事形態を一瞬にして変貌させた天災、ご存知篠ノ之束である。
というかちょっと待て。
「なんで束がこんなとこに居るんだよッ!?」
「細かいことは気にしっこなしだよかーくん!!」
「いや細かいどころかめちゃくちゃまっとうな疑問だろうがッ!!」
今更だろうが、篠ノ之束という人間は周知の通りISの生みの親である。
当初の目的とは違えど世界最強の軍事兵器を造り出してしまったこの天才で天災な少女が狙われない理由など一体何処にあるというのか。折角IS学園という如何なる国も干渉できない謂わば安息の地が与えられたというのにコイツはのこのことこんな場所までやって来たわけだ。
しかも一人で。
つまりコイツはさらっと危険極まりない行動を現在進行形でしているということだ。
はぁ……。
まぁ束が一ヶ所に留まり続けることが出来るなんて俺も最初から思ってなかったが。
こんなにも自由奔放やりたい放題を体現しているような人間が上からの物言いをはいそうですかと受け入れる筈がないしな。
そんな風にして俺が勝手に内心で自己完結した頃合に、親父が今回の仕事の内容について説明を始めた。
「いいか形無。今回お前には単独で行動してもらう。うちのモンの援護も無し、一人でだ」
「おう」
一人、単独でか。
まぁ確かにこれまでの仕事じゃあ更識(うち)の連中を数人連れて行ってたが、まぁ一人でも何とかなるだろう。ほら、俺ってスペックだけなら多分人類最強だし。
あ、でも俺ってバレるわけにはいかないから余り過度な能力使用は控えないとな。
「で束ちゃんには形無を後方からサポートしながらIS学園にされてるハッキングを食い止めて貰いたい」
「ほいほーい。かーくん、バックアップは任せなさいっ!」
有りすぎる胸を張りながら自信満々にそう宣言する束。
いや実に眼ぷ……げふんげふん。
いかんな、こう真面目な場面なのにあの双丘に眼を奪われては。
というか束に任せたら向こうからのハッキングを食い止めるどころか逆にハッキングして手玉にとる構図が簡単に出来上がる気がするんだが。
「……ん? てことは今回親父は動かないのか?」
正直なところ俺なんかが動くよりも親父が動いたほうが時間的にも効率が良いと思うんだけどな。
何か別件でも抱えてるのか?
「ん、まぁ、な。そのなんだ、明日に備えてちょっと……」
……うん? 何だこの歯切れの悪い態度。
明日何かあったか?
普通に月曜日だし学校や会社があるくらい――――あ。
「……おい親父」
「(ビクゥッ!!)」
俺の通常よりもやや低い声に、そっぽを向いている親父の肩が激しく上下に揺れる。
「まさかとは思うけど……」
「……(だらだら)」
全身から滝のような汗が流れ出した親父。あぁ、こりゃ確定だな。
「――――明日、授業参観かなんかあんだろ」
「(ギックゥッ!!)」
この反応、間違いない。
さっき姫無たちに腕を掴まれている時にちらっと聞いたような気がしていたんだが、どうやら明日姫無たちの通う小学校で何らかの行事があるみたいだ。
「授業参観か?」
「あ、あぁ……」
しどろもどろといった感じでモジモジしながらそう答える親父の姿からは、とてもじゃないが更識家の当主であるとは想像がつかない。
それと同時に俺の内心でふつふつと沸き上がる感情が二つ。
『呆れ』と『怒り』。
「――――ははぁん、成る程なぁ……」
ゆらり、と立ち上がる。態々俺を呼び寄せた理由が親父自身が授業参観に行きたいがために仕事を押し付けるためだと言うんだから、きっと俺の怒りは間違っちゃいないと思う。
「つぅか、自分でさっさと片付ければいいんじゃねぇか?」
「そ、それはだな…………明日着る服とか選ぶのに時間がかかるし」
「女子かッ!!」
「あっはっはっはっ!!」
キレる俺とあたふたする親父。そしてそんな俺たちを見て爆笑する束という構図が完成した。というかそんなことのためだけに普通IS学園から呼び寄せるか? まともな人間なら…………親父はまともじゃなかったな。
「はぁ……」
俺は額に手を当てて重々しい溜め息を一つ。
本来ならこのバカ親父を粛正(母さんを呼んで)すべきなんだろうが、生憎と俺には時間がない。こうして更識の仕事が回ってきてしまった以上、個人的な理由で全うしないわけにはいかないし。
「……分かったよ。その企業の住所と内部の見取図、用意してあるんだろうな?」
「当然だ。束ちゃんのデータベースの中にも既に送信済みだからな」
さっきまでの醜態のは一転、再び暗部組織の雰囲気を漂わせるようになった親父がそう答える。
「ならちゃっちゃと済ませるか。面倒事はもうたくさんだ」
襖に手を掛けた俺は、そう言って部屋を後にした。
◆
「此処で間違いないんだな?」
『間違いないよかーくん。此処が今回のターゲット「明日無商事」』
明日無(あすなき)商事ね。なんともまぁ絶望感漂う会社名だこと。
家を出て電車に揺られること三十分。俺の目の前に聳えるのは居たって普通の中小企業のビル。入口付近に表示された『明日無商事』という名前が今回の目的地であることを示している。
「さて、どうするかなぁ」
俺はビルを見上げながら無造作に髪の毛を掻く。親父から与えられた仕事内容は簡潔に言ってしまえば『上層部に更識の恐ろしさを味合わせる』というもの。現在も行われているハッキングに対しては束が出張る時点で詰みなので心配はないだろう。
というわけで残るのはハッキングを指示したこの企業の上層部を粛正すること。
「――――なんだけど、具体的にはどうするかなぁ」
粛正、と一言に言ってもその内容は多岐に渡る。物理的に危害を加えるのか、精神的に追い詰めるのかというだけでもかなり違ってくるのだ。
何時もならば更識の人間が色々と手回しをしてくれるのだが、今回は自分一人。全ては俺の判断に委ねられている。とはいえ、それなりにこの世界に関わってきた人間である、どうすればいいのかなど、考えるまでもなく決まっている。
『もうズバーンッて乗り込んじゃえば?』
不意に耳元のインカムから束のそんな提案が啓示される。
「アホ。そんなことしたらこの企業丸ごと潰すことになっちまうだろ」
『ダメなの? IS学園にハッキングしようとする企業なんだよ?』
「これは俺の勝手な推測なんだけど、多分この件に関わってるのは上層部のほんの一部で、その他大勢はそんなことに微塵も関わっちゃいないと思うんだよ」
『でもでもかーくん。此処は私のISのデータを盗み出そうとしてるんだよっ』
「解ってる、束の怒りも最もだ。だから当然このまま放っておくなんてことはしない」
俺はほんの僅かに口元を弛めて。
「それなりの報いってヤツを受けてもらうさ」
◆◆
ウィン、と自動扉が重量感知によって開きビル内部に俺は足を踏み入れる。
「ようこそ明日無商事へ。本日はどのようなご用件でしょうか」
自動扉をくぐってすぐ目の前に設置されているカウンターから声を掛けてくる受付嬢。ふむ、このエントランスといい対応といい、やはりハッキングに関わっているのは上層部の極一部だけと見て間違いなさそうだな。
「えーと、知り合いに書類を届けに来たんですけど」
受付嬢にそう当たり障りのない返答を返すが。
「はい。どの部署の誰でしょうか?」
すぐに質問が飛んできた。ヤバいぞ。此処で下手な事を言って嘘だとバレたら追い出されるか最悪お偉いさんの元に突き出されるかもしれない。
――――ん?
いや待てよ。
突き出されたほうがいいのか?
そうすればまどろっこしい道のりを大幅に短縮して一気に目的地に辿り着けるんじゃないだろうか。
いやでもこれ追い出されるだけだったら寧ろ逆効果だよな、どうしたもんか。
『書類を届ける風を装った方がリスクは少ないよかーくん』
「でも俺どの部署にどんな名前の人間がいるのかなんて知らないぞ」
『そこはモーマンタイ、もう各部署の名簿は手に入れてるから』
「よし、俺はツッコまないからな」
何故そんなものを入手してるんだ、なんていうツッコミはするだけ無駄だ。
だって束だし。
たったそれだけで驚くほどすんなりと納得できてしまうのだから仕方がない。
そんなわけで書類を届ける風を装うことにした俺は束から適当な人員を選んでもらい、
「企画部の鬼瓦さんなんですけど」
「企画部の鬼瓦一休ですね。確認致しますので少々お待ちくださいませ」
「っ!?」
しまった!!
そりゃ本人に確認されるに決まってるじゃねぇか!!
「(どうするつもりだよ束ッ!?)」
『あぁ、大丈夫だよかーくん。受付の電話は全部研究室(こっち)に来るように弄ってあるから、どうとでも言えるし』
流石は天災。
回線は既に掌握済みだったようです。
普通はそんな簡単に出来るようなことじゃないと思うけどな、普通は。
とまぁ、そんなわけで受付嬢から立ち入る許可を貰った俺はエントランスを抜けてエレベーターへと乗り込んだ。
「……なんかトントン拍子に上手くいくな」
『束さんがバックアップしてるんだからこれくらい当然だよっ』
インカムの向こう側で恐らく胸を張っているであろう少々を思い浮かべ、俺は小さく微笑む。いや、微笑むというよりは引き吊るというほうが正しいのかもしれない。
こうして束が俺に協力してくれる『味方』であるから実感として湧くことは難しいが、こうして改めて考えてみると彼女の規格外さを思い知らされる。
学園都市第一位の能力を持ってる俺だが、束だけは絶対に敵に回したくはないからな。
物理的な力とか以前に彼女には勝てる気がしない。
『どしたのかーくん。なんか顔が引き吊ってるけど』
「なんでもねぇよ」
『束さんはかーくんの味方だよ~』
「心を読むなっ」
そんなやり取りをしているうちに、僅かに感じていた浮遊感が消失する。エレベーターが停止し、軽い音と共に扉が左右に開かれた。
「さて、と」
一歩を踏み出し、周囲をザッと見回してみる。事前に確認した内部の見取図と違いはなく、どうやらこの階に目的の上層部の面々が居るとみて間違いないなさそうだな。
「どの部屋か分かるか?」
目の前に広がる長い長い廊下の左右には幾つもの扉が等間隔で設置されており、幾らなんでも一つ一つ開けて確認していくのは骨が折れる。
『883号の部屋だね。監視カメラで見た限りじゃあ部屋にいるのは十四人。あとは……なんか明らかにカタギじゃなさそうなのが三人』
カタギじゃなさそうなのが三人、ね。
親父からの事前情報によれば今日はこの時間IS学園へのハッキングの中間報告が行われているらしい。だからって裏の人間が三人も居るか?
……匂うな。
向こうにも頭の回る人間が居る可能性がある。
裏で糸引いてる『京ヶ原』の人間か、あるいはこの企業の上層部かは定かでないが、中間報告だけならば裏が出張る必要はない筈だ。
とすれば。
「――――こっちの動きが読まれてる……か」
そう考えるのが最も妥当だろう。
こんな真っ昼間に裏の人間が複数でいる理由。
「罠だな」
『罠だね』
構図だけで見れば俺はまんまと誘き出されたわけだ。うん、なんともまぁ間抜けな話だ。
――――但し。
間抜けなのは俺じゃなくて、向こうの方だけどな。
こんな程度で『更識』を手玉に取ったつもりでいるってんなら、この企業は裏四家をなんにも解っちゃいない。
こと関東に於いては絶大なる力を持つ更識をこんな程度で貶めたと思っている時点で、相手方の力量は既に知れている。それに何より、こんなに軽く見られているということに少なからず苛立ちを覚える。
「ふぅ」
『どうするつもり?』
「決まってんだろ」
俺は一拍置いて。
「粛正。更識(うち)の本質ってやつを見せてやるよ」
◆◆◆
静まり返った室内。
私たちを含めた明日無商事の上層部はコの字型に並べられた長机に座り、皆が皆正面に配置されたウィンドウに目を向けている。
今日はこれまでIS学園に行ってきたハッキングの中間報告を受けることになっているからだ。
そして現在、正にその中間報告の真っ最中なのである。
ウィンドウの横に立ち、マイクを手にして報告を行っている副社長が言うには、やはりIS学園のデータベースは厳重にハッキング対策が施されており中々望ましい結果が得られていないということらしい。
だがこれは私たちもある程度の予測はしていた。何しろ今やISは世界最強の軍事兵器、それを扱う学園には世界各国のISのデータが存在しているのだ。寧ろ簡単にハッキング出来てしまったら偽物なのではないかと疑ってしまう。
『――――であるので、今後もIS学園へのハッキングを続けてISの情報を……』
副社長がそう言い掛けたところで、室内の前側に設けられていたドアが勢い良く開いた。
「……なんだね」
「ふ、副社長っ!! 我が社のデータベースが……ッ!!」
飛び込んできたのはデータベースの管理を任されていた上層部にいる面子の中では比較的若い男。あの慌てようからして、何か失態でも犯したんだろう。
しかしそんな楽観的な私の考えは、次の男の発言で一瞬にして吹き飛ばされることとなった。
「我が社のデータベースが……乗っ取られましたッ!!」
「……は?」
つい呆けてそんな声を発してしまった私は悪くない筈だ。何故なら私以外の全員も同じく間の抜けたような表情を浮かべているのだから。
我が社のデータベースが乗っ取られた?
冗談にしても笑えない。
この明日無商事のセキュリティはIS学園程ではないにせよせこらのハッカー如きじゃファイアウォールすら突破出来ない代物だ。その強固さは未だ嘗てハッキングされたことがないという事実に裏付けされている。
しかしながら飛び込んで来た男の表情からはそんな冗談が言えるような精神状態であるとは考えられない。
となれば。
「まさか……本当にハッキングされたのか……?」
誰とはなしに、この室内に居た誰かがポツリと呟いた。
更に。
「はいっ!! 更にウィルスが……」
若い男が全ての言葉を言い終わることなく、糸が切れた人形のようにガックリと膝から崩れ落ちた。
「っ!?」
理解が追いつかない。私たちが一体どんな状況に陥っているのかさえ、明確に理解することが出来ない。
カチャリ、と。
室内の後ろでこれまで無言で待機していたスーツを着た数人の男たちが何やら懐に手を伸ばしているのを視界の端に捉えた。
(確かアイツらは社長が雇ったとかいうボディーガード……)
何だ。
一体、これから何が始まろうとしているんだ。
グルグルと脳内で答えのない問が回る中、崩れ落ちた男の奥からカツカツと足音を響かせながら誰かが近付いてくる。
「……?」
カツン、カツンと響く足音は軈て消え、ドアの前には先ほど飛び込んで来た男よりも更に若い男が立っていた。身なりが私服である辺り、この会社の人間ではないだろう。
現れた男は一通り室内を見回してから一度だけ頷いて。
「よし、粛正と行きますか」
直後、何かが自分の背後を通り過ぎたと知覚するよりも早く、私の意識は泥沼に沈んで行った。
◆◆◆◆
「……ふぅ」
『いやー、いつ見てもかーくんのソレ(・・)は惚れ惚れする綺麗さだねぇ』
「見せ物じゃないんだけどな」
小さく息を吐いてそう束に返す俺の周囲には、長机に力無く突っ伏した上層部の連中。全員漏れ無く俺が意識を奪わせて貰った。当然、何故あんなことをしたのか洗いざらい吐いてもらった後に。
『更識流にそんな技があるなんて束さんは知らなかったよ』
「お前が仕掛けた監視カメラの前じゃ使ってないからな」
首をコキコキと鳴らしながらそう答える。俺が上層部を粛正するに中って一方通行のベクトル操作は一切使用していない。だってアレ使うと俺の正体がバレちまうし。故に更識流の柔術を使ったわけだが、親父程じゃないにしろ中々使いこなせてきたんじゃないだろうか。うん、大体一人辺り一秒かからないくらいで撃ち込めるようになったし。
「さて、これで残るのは……」
俺はゆっくりと室内の後方に視線を移す。そこに立つのは、スーツ姿の明らかに表側では出せないような雰囲気を纏わせた男たち。
「お前ら、裏の人間だろ。IS学園をハッキングさせた理由は何だ」
「ッ……」
「理由は」
一歩、俺はスーツの男たちの元へと近付く。コイツらは今しがた俺が明日無商事の上層部にしたことを目の当たりにしてるからな、おいそれと手出しなんてしてこないだろうとは思うけど。
「お前ら、『京ヶ原』の人間だろう?」
「…………」
あくまで沈黙を選ぶつもりなのか、男たちは口を開こうとはしない。
そんな様子を見て、俺は小さく息を吐き出す。
「アンタら、現状が上手く飲み込めてないみたいだな」
こんな下衆な連中に、手加減など必要ない。
一度、首をゴキリと鳴らして。
「拒否権なんざねぇ。洗いざらい話せ、全てだ」
◆◆◆◆◆
「っだぁー疲れたー」
IS学園の大きめのベッドにぼふっ、と倒れ込む。
ベッドメイキングされたベッドは心地よく、ともすれば襲いかかる睡魔に屈服しそうになるがなんとかそれを堪え、俺はゆっくりと今日の仕事のことを思い出す。
「京ヶ原か……、どうりで親父が真剣になるわけだ」
仕事を終えて屋敷に帰ってきた俺は親父に今日のことを伝えた。その時の親父は、完全に裏の世界に居る時のソレだった。
「なぁんかヤな予感がするなぁ……」
これまで暗部間の抗争はあるにはあったが、これほどまでに表面的なものではなかった。それがいきなりこんな直接的なものに、しかもIS学園なんて全世界を敵に回しかねないような場所を狙ったのだ。それもこれも全ては。
「……ISの軍事力、か」
今や世界を席巻しているのは間違いなくこのISだ。そして世界の中心にあるのがアラスカ条約によって設立されたIS学園と言っても過言ではない。
これから先、また今回のようなことが起こらないとも限らない。
「警戒だけは怠らないようにしないとな」
「そうだな、警戒だけはしておく必要があるだろう」
「だよな――――――――っ!?」
「形無。何か私に言いたいことはないか?」
「ち、ちち千冬さん?何でそんな怖……」
ガバッ!! とベッドから直ぐ様身体を起こすと、目の前には腕組みをした千冬がいい笑顔で立っていた。
……やべぇよ背後に般若が見えるよ。
「言いたいことが、あるんじゃないのか?」
表面上はにこやかな笑みを浮かべている千冬だが、はっきり言って冷や汗が止まらない。なんだこれ、滝みたいになってんだけど。
「……ほ、本日はお日柄もよく?」
「もう夜八時だな」
「……髪の毛切った?」
「切ってない」
……ダメだ。
千冬の怒りの矛先を変えられる気が全くしない。これはアレだな、素直に謝るしかなさそうだ。
「ごめん」
「何がだ」
「今日のこと、俺と束だけで千冬に何も話してなかったことを怒ってるんだろ?」
思えば千冬の怒りも最もだ。束については俺から話を振ったわけではないが、結果的には二人で仕事に当たった。千冬一人だけ取り残すようなことをしてしまったのだ。そりゃもちろん、裏の仕事に一般人を巻き込みたくないという気持ちは存在する。でも千冬と束は例外だ。原作キャラだとか『いつめん』だからとかじゃなく、この二人になら自分の背中を預けられると俺が勝手に思っているんだ。
「……はぁ」
「?」
しかし、俺の問いに千冬は盛大な溜息を吐いて、
「形無。確かに私一人だけ何も教えてくれなかったことは寂しいが、それはお前が私を危険から遠ざけようとしてくれているからだろう。それに『更識』の仕事にとやかく口出しする権利など私にはないさ」
そう言った千冬は、ベッドに腰掛ける俺の隣に座る。既にシャワーを浴びたのか、彼女の髪の毛からは女の子特有のイイ匂いがした。
「……形無。あまり、私から遠くに行かないでくれ……」
発せられた声は何時もの千冬からは考え付かないくらいにか細く、小さなものだった。
「不意に怖くなるんだ。突然形無が私の目の前から居なくなったら、と……」
俯いた呟く千冬の肩は、僅かに震えていた。
「千冬……」
俺はその肩を、優しく抱き寄せる。
「父さんも母さんも……、一夏だけを残して私の前から消えてしまった。私にはもう、家族は一夏たった一人で……」
「俺もだろ」
「え……?」
「俺だけじゃない。束だって、千冬の家族みたいなもんだろ」
肩を抱いたまま、俺は千冬の瞳を真っ直ぐに見つめる。千冬の両親はまだ赤ん坊だった一夏と幼い千冬を残し、姿を消した。それ以来千冬はたった一人で一夏を守ってきたんだ。
俺や束もこれまで色んなサポートをしてきたが、やはり根幹ではそういった寂しさをずっと抱えていたんだろう。
そんな想いを抱えたままの友人を放っておけるほど、俺は馬鹿でも阿呆でもない。
「千冬。これからは俺たちも家族だ、苦しくなったら俺を頼れ、束を頼れ。きっと力になってやれる」
「……形無……ッ」
ポロポロ、と。千冬の両目から涙が零れ落ちる。
俺は何も言わず、そっと千冬を腕に抱いた。
必然、密着する互いの身体。
潤んだ瞳でこちらを見上げてくる千冬を抱いたまま、俺は彼女の唇に自らの唇を重ねた。
互いの体温が伝わる。絡み合う舌が、互いを更に求め合う。
離れた口と口からは透明な糸が引かれ、頬を紅潮させた千冬と俺は、そのままベッドへと横になった。
ああ、これはもう、無理だな。
なんてことを考えながら、俺はそっと、彼女に触れた。
こうして夜は更けていく。