双六で人生を変えられた男   作:晃甫

113 / 114
 三話で終わると言ったな。
 あれは嘘だ。
 ……いやまさか導入だけで1万3000字を超えるとは。
 というわけで四話構成となってしまいました。


# そして青年は海を渡る

「結局さ、どういうのが一番女子的にグッとくるんだ?」

「それを私に聞くのか? だったら真耶に聞いたほうがいいだろう」

「ええっ!? わ、私に聞かれても困りますよ!」

「あのねあのねー! 束さん的にはやっぱりガツンと来て欲しいっていうかー!」

「悪い束には聞いてないわ」

「たっくんひどい!!」

 

 やいのやいの。

 冷たい風が吹き荒ぶ外とは対照的に暖かい生徒会室の中で、生徒会役員たちはどこまでもフリーダムだった。

 卒業を来月に控えた三年生たちは当然生徒会は引退しているが、どういうわけかその後もこの生徒会室は溜まり場となってしまっているらしい。現会長である真耶が何も言わないのでそれに甘えている形だ。

 今現在この生徒会室で顔を付き合わせているのは楯無に千冬、束の三人に真耶と織村を加えた五人である。先日生徒会見習いという肩書きを返上し、晴れて会計へと昇格を果たしたナターシャは先に寮へと戻ったためにこの場にいない。新メンバーである二年生も同様だ。

 そんなわけで第一期生徒会のメンバーに束を足した五人が席に着いているわけだが、彼らの話す内容は生徒会とは全く関係の無いものだった。

 すなわち。

 

「さて、それで織村がどうやってナタルに告白するかという議題だが……」

「なあそれおかしいよなッ!? 何で俺が告白するの前提でお前らが勝手に話進めてんだよ!!」

 

 顔の前で指を組んだ楯無が至って真面目な声音で呟いたが、残念ながら織村だけはこの話題は御免被りたいものだった。

 

「だってなぁ、お前分かってる? 来月俺たち卒業だぞ? そしたら暫く会えなくなるだろうが」

「んなことお前らにゃ関係ねえだろ! 大体ナタルと俺との間にはなんもねえ!!」

 

 捲し立てる織村を、しかし楯無たちは生暖かい目で見つめていた。

 

「またまたぁ」

「往生際が悪いぞ織村」

「流石にそれは苦しいです先輩」

「なんだよヤりたいだけかよー」

 

 四人からの集中砲火を浴びてぐっと言葉を詰まらせる。織村自身は誤魔化してきたつもりだが、生徒会として同じ時間を長く過ごしてきたこの四人にはお見通しだったらしい。それを自覚して、思わず顔が熱くなる。

 

「好きでも無い奴のためにその国に行くか普通?」

「有り得ないな。好きでも無い限り」

「普通はそんなことしません」

 

 それを言われてしまってはグウの音も出なかった。

 以前楯無を通して学園に掛け合った結果、織村は生徒会長に与えられる特権の一つ、自由国籍権を獲得している。それはひとえにナターシャのためであり、彼女と一緒に過ごしたいという織村の思いからの行動にほかならない。それを知っている四人は、今更織村がどんな言い訳を並べ立てようとこうして孫を見るおばあちゃんのような生温い視線を向けるのみなのだった。

 奥歯を噛み締める織村に、尚も追撃の手は止まない。

 

「でもな織村、お前がどんなにナタルのことが好きでもそれは伝えなくちゃ意味がない」

「彼氏でもない奴がアメリカまでついて行ってもストーカー扱いされるのがオチだろう」

「……っ! それは……」

 

 否定できない部分を突かれ、思わず口篭る。

 現状ナタルとの関係にこれといった進展は無い。彼女が生徒会で見習いとして活動していた頃はその指導役としてその殆どの時間を一緒に過ごしてきたが、正式な役員となった今は以前ほどの関係は無くなってしまっていた。それでも寮の部屋を行ったり来たりする程度には友好な関係を続けているが、それはやはり友好な関係止まりなのだ。

 そこから先へ、進もうと思っているのは織村だけなのだろうか。

 ナターシャにそれとなく聞いたことはあった。しかしいつもその話題はすぐに逸らされ別の話題へと移ってしまうのだ。

 友人以上、恋人未満。

 今の織村とナターシャの関係は正にそれだった。

 

「どっちにしろ今のままじゃダメだろ。このまま何も言わずにアメリカに行っちまったら、きっとナタルだって悲しむぞ」

「まだナタルにはアメリカに行くことを伝えていないのだろう?」

 

 そうなのだ。織村は未だナターシャに卒業後の進路を伝えていなかった。

 

「……少し、考えさせてくれ」

 

 真面目な織村の表情を見て、楯無たちはそれ以上の発言を避けた。

 確かにあまり時間は残されていない。ナターシャにこの想いを伝えることで、何かが変わるのかもしれない。

 しかし伝えることで今の関係が壊れてしまうことが怖かった。心地の良い今の距離感が変わってしまうことが怖かった。

 

 そんな二人の関係が変わるのは、卒業式の日。

 ナターシャに呼び出された織村は、溜め込み続けていた想いをやっとのことで吐き出すことに成功したのだ。

 そして、彼は海を渡る――――。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「……状況はどうなっている?」

「今日の午後には到着の予定です。その時間帯は大統領は別の案件でこの場を空けるので、水を差されるようなことはないかと」

 

 訛りの少ない格式張った英語で会話が行われているのは、とある執務室だった。室内には高級そうなスーツに身を包んだ白髪をオールバックにした壮年の男性と、丸眼鏡が特徴の三十程の男性。 

 白髪の男性が手元に置いてある資料を無造作に取り、まじまじとその内容を見つめる。

 

「……織村一華。世界で二人目の男性IS操縦者か、ネームバリューは問題無しだな」

「実力も折り紙つきです。我が国の重要な戦力となることは間違いないでしょう」

 

 資料に記載されている個人データとこれまでの戦績を合わせて鑑みても、彼が国内最高の戦力になるだろうことは容易に想像することが出来た。

 だが問題はそこではない、と白髪の男は言う。

 

「重要なのは彼が我が国、ステイツに従順であるかどうかということだ。狂犬などに興味はないのだよ私は」

 

 それを今日、この目で確かめてやろうじゃないか。

 そう締めくくった男の目に、どす黒い何かが渦巻いていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「――――Please be sure to take all of your belongings when you disembark.」

「……んあ?」

 

 聞き慣れないアナウンスを耳にして、織村は視界を覆っていたアイマスクを親指の腹で持ち上げた。ぼやける視界を左右に振れば、少なくない数の人間たちが手元にあった荷物を持って搭乗口へと向かっていく。そんな光景を暫くぼんやり眺めていた彼だったが、ここでようやく飛行機が目的地に到着したのだと頭が理解した。急いで机の上を片付け、足元に置いていた鞄を取って出口へと急ぐ。幸いにして到着してから然程時間が経っていなかったのか、大勢の人間たちの中に紛れて空港へと降り立つことが出来た。

 少し前までの自分であったなら敢えてこの場で目立つ様なことを仕出かすんだろうが、今となってはそんなこと露程も思わない。というか羞恥心がやばい、マッハで。

 事前の連絡では空港内に迎えのSPを変装させて寄越しているとのことだったが、そういえば落ち合う場所は決めてあっただろうか。

 

(まさかこのだだっ広い空港の中からそのSPを探せ、とか言うんじゃねえだろうな?)

 

 流れてきた自身のスーツケースを受け取って、空港内をぐるりと見渡す。日本の空港とは規模の違う大きさがそこには広がっていた。

 ワシントン・ダレス国際空港。今織村が立っているのはアメリカのバージニア州に設置されている巨大な国際空港だった。全面ガラス張りの壁から、穏やかな日差しが差し込んでいる。

 IS学園を第一期生として卒業した織村は、その後の生活の中心をアメリカで送ることを選択した。

 楯無が本来所持していた生徒会長の特権である自由国籍権、それを彼が行使した結果でもある。楯無がとある事情から国家代表を辞退したことで、織村を獲得しようとする国はこぞって国家代表着任を促した。だが織村ははじめからアメリカ以外に行く気もなく、また興味もなかった。

 その理由は単純にして明快である。

 ナターシャ・ファイルス。彼女の祖国であるからだ。それ以外に理由は無く、また必要もない。

 彼女がIS学園卒業後アメリカに戻り国家代表に着任することはほぼ間違いなく、ナタルとの共同生活をしていく上で彼はこうしてアメリカという地を選んだのだ。

 しかしながらそんな内情を知る由もないアメリカ以外の国は織村の態度に気を悪くし、揃って根も葉もない噂をばら蒔こうともしていた。流布される前に束が全てシャットアウトしたために実際に世間に公表されるようなことにはならなかったが。

 と、そんな訳でIS学園を卒業して一週間程経った三月の下旬。織村はアメリカの国家代表となるべくこうしてアメリカへと飛んだのだった。

 因みにアメリカ国民には既に大々的に織村が国家代表となることを発表しているために、混乱を防ぐため今の彼は軽く変装していたりする。具体的にはサングラスとキャスケット帽である。たったこれだけでも、案外周囲には気付かれないらしい。

 

 ここで話は戻るが、織村は今更なことに気が付いていた。

 迎えに来ている筈のSPたちとの待ち合わせ場所を聞いていない。 

 いや、違うなと織村は考えた。

 

(敢えて話していなかった、か。何だよ、俺の索敵能力でも見定めようってのか?)

 

 毎日何千人もの人間が利用する国際空港で、私服で警戒にあたっているであろうSPを探し出すことなど一般人には到底不可能な芸当だ。どんなに人の機微に鋭い人間でも、これだけ広大な敷地の中でとなると困難を極めるだろう。

 

(……えらく舐められたもんだ)

 

 だが、織村一華にとってこの程度のことで実力を測られようとしていることは甚だ不本意だった。

 たかだか数千人の中から目的の人間を探し出すことなど朝飯前、というかそれ以前の問題だ。織村は一度歩みを止めて、ゆっくりと瞼を下ろした。

『未元物質』。それが彼に与えられた能力の名であり、生命線とも呼べる代物である。その物質に触れたものはこの世界における現象とは全く別の現象を引き起こす、文字通り未知の元となる物質を混入させる能力。発動させれば無類の強さを誇る能力だが、この場に限って言えば発動させるまでもない。

 視界を塞いだまま、織村はぼんやりと空港全体をイメージして音のみに集中する。聴覚だけが異様に研ぎ澄まされていく。

 足音、話し声から服の衣擦れに至るまで、ありとあらゆる音が織村の耳から脳へと送られていく。と、ここで織村は一般人とは明らかに違う歩き方をする人間たちが居ることに気が付いた。

 

(俺の背後と二階のエスカレーター付近、あとは正面入口。三人とも歩き方がSPのそれだな)

 

 今述べた三人は、他の人間に比べて歩行音と重心が明らかに異なっていた。それともう一つ、

 

(いくらアメリカが銃社会だからって、何丁も常時持ち歩くようなもんでもねえだろ)

 

 衣擦れの音の中に混じる、確かな拳銃の接触音。変装しているためにおおっぴらに拳銃を見せびらかすわけにもいかず、ホルスタに収納しているわけでもなさそうなので捉えた音だが、ほぼこの三人が迎えの人間だろうと当たりを付ける。

 自身に向けられている視線が興味ではなく値踏みするようなものであることからも間違いはなさそうだ。彼らの心情も理解できなくはない。いくら世界に二人しか存在しないISを操縦できる男だとはいえ所詮は日本人、それも高校を卒業したばかりの世間知らずである。そんな人間がいきなりアメリカである程度の地位につくというのだから、面白く思わない人間だってある程度の数はいるだろう。これから護衛する人間がそうするだけの価値がある人間なのか。そういった疑念が時折向けられる視線から感じ取れた。

 そんな視線を浴びて一つ息を吐く。

 拍子抜けだ、そう率直に思った。

 これが、こんな護衛がかの大国アメリカのエリートだというのか。これなら同期の卒業生たちのほうがマシなレベルだ。

 新天地に心躍らせていた昨日までの自分を殴りたい衝動に駆られる。それをなんとか堪えて、織村は欠伸を噛み殺しながらゆったりと歩き始めた。向かう先は三人がそれぞれ配置された場所ではなく正面入口に比べて若干小さな北口だ。

 スーツケースをガラガラと引きながらなんの警戒をも見せずに歩く織村を見て、監視役だった三人は驚愕した。

 彼の向かう北口には、迎えの車を停車させてあるからだ。直ぐに気付かれないように無線で連絡を取り合う。

 

「こちらA1、対象は北口へと進行中」

「A2確認。何処かから情報が漏れたのか?」

「馬鹿な、機密保持は万全だ。偶然じゃないのか? 迎えの車はカモフラージュの為に見た目は一般車と大差ないんだぞ」

「こちらA3。対象が出入り口を通過、そのまま一台の車両に接近。……おい、あの車両は」

 

 A3と名乗っていたSPの一人が呟いた直後だった。この広い空港内であっても雑音一つ混じることのなかった無線に、ほんの僅かにノイズが走った。

 そのノイズの意味を頭で理解するよりも早く、聞き慣れない堅苦しい英語が耳に飛び込んでくる。

 

「……あ、あー。Hello, you either have heard. The Come quickly out.(もしもし、聞こえてるか。さっさと出てこいよ)」

 

 若い男のその声は、それだけを言うと無線を切ってしまった。三人は慌てて持ち場を放棄し車両の元へと向かう。

 出入り口を抜けて車両の前まで駆けていけば、そこには見た目一般車両の屋根に肘を置いて空を見上げている青年がひとり。言われるまでもない、今日の任務で無事目的地まで送り届けなければならない日本人だ。

 SPの三人が一体今何を考えているのか、そんなことまでお見通しだったのだろう。青年は苦笑して言った。

 

「そう怖い顔すんなよ。別にアンタらをおちょくってるわけじゃない」

「……どうして我々が寄越した車両がコレだと分かった?」

「んなもん見れば分かるだろうが。見た目こそ普通の乗用車だが、グレネード撃ち込まれてもビクともしないだろうな。一体いくらかけてんんだこの要塞」

「……大統領も乗ることがある車両だ。防弾性能は完璧にしておかねばならん」

 

 それを聞いて織村は笑った。

 

「おうマジか。俺大統領が乗ってる車に乗るの? 一気に出世したもんだな」

 

 酷く軽いその言葉に、SPたちは苛立ちを覚えた。

 本当にこの男があの二人目の男なのかと疑問を抱くが、現にこうして自分たちの居所は暴かれている。実力なのかまぐれなのか明言は出来ないが、それも後々明らかになっていくことだろう。そう無理に結論づけて男たちは織村を特別車両へと押し込んだ。

 後部座席に座らされた織村は鼻唄でも唄いだしそうな気軽さのまま、窓の外をちらりと見る。

 日本の空と変わらない澄み切った空がどこまでも続いていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 織村を乗せた車が向かった先は、ワシントン・ダレス国際空港から時間にして一時間程の位置にある豪奢な建造物だった。

 ワシントンD.C.。アメリカの首都である都市の一角に居を構えるその建造物は、アメリカで最も有名な住所としても知られている。

 ペンシルバニア通り1600番地。世界トップの経済大国であるアメリカの大統領が住まうホワイトハウス、その入口となる門が今織村の目の前に堂々と聳えていた。

 一般人の入場は基本的に有り得ない。日本人でこの中に入った人間などひと握りの総理大臣くらいのものなのではないだろうか。そんなアメリカ国内でも一等特別な場所に、織村は足を踏み入れた。

 内部は如何にも特別ですと主張しているような豪華さだった。一歩足を踏み入れれば一面に手入れの行き届いた芝生が広がっている。大統領公園と呼ばれるその敷地は外から見るよりもずっと広い。奥に見える大統領府がずっと遠くに見えてしまうほどだ。

 

(……これがホワイトハウスか。思ってたよりも普通だな。もっと警備が厳重だと思ってたが入口以外に警備の人間は見当たらねえし)

 

 前を歩くSPのスピードに合わせながら歩く織村はそんなことを考えていた。因みに荷物は止めた車の中に残したままだ。

 外国首相や要人を招いて条約の調印などを公約する行事が行われるのがこのホワイトハウスだ。当然内部は徹底された警備が敷かれていると思い込んでいたが、どうやら実際はそうでもないらしい。至るところにカメラや迎撃用の銃口が覗いているが、人間の姿は殆ど見当たらない。それだけセキュリティがしっかりしているということなのだろうか。

 

(ま、篠ノ之なら片手間で突破しちまうんだろうが)

 

 つらつらと思考を巡らせたまま、織村はやがて目的の建造物の前に到着した。一面を白で統一された建物。ホワイトハウスと称されるものの中心地、エグゼクティヴ・レジデンスと呼ばれるメインハウスだ。

 ここは大統領とその家族が暮らす公邸であり、また外国首脳との重要な会談が行われるアメリカ国内で最も警備の厳しい区画である。

 が、前を歩くSPはその内部に入ろうとはせず、そのまま左へと続く長い廊下を歩き出した。

 

(ま、流石にアメリカ人でもねえ俺をいきなり通したりはしねえか)

 

 コロナードと呼ばれる渡り廊下の先に続いていたのはウェストウイングと呼ばれる区画だ。

 この棟には大統領執務室をはじめ国家安全保障会議室や副大統領、首席補佐官といった上級スタッフのオフィスが存在するアメリカ政府の中枢。その地下には世界各地に展開するアメリカ軍やその関係機関、そして最高レベルの情報連携をしているシチュエーションルームがある。

 その入口であろう厳重な扉を前にして、ようやく黒服のSPはその歩を止めた。

 

「ここから先は我々も立ち入ることは出来ない。一人で行ってもらうことになる」

「いいのかよ、見ず知らずの人間をこんな場所で一人にして」

 

 織村の言葉に、しかし黒服の男は間断無く答える。

 

「貴方はこれから我が国の代表となる、この程度は信頼の証とでもとって頂ければいいかと」

(信頼の証、ね)

 

 そんなこと思ってもないくせに、と思っても口には出さない。

 彼らを始めとしたアメリカ人の一部が自身をあまり好意的に思っていないということはこれまでの移動の中で大方見当がついていた。対応の素振りに出ないのは大したものだが、やはり根底にある感情を完全に押し殺すことは出来ないのだろう。そのあたりの感情の機微に鋭い織村にはお見通しだった。

 重厚な扉を開き、織村は一人ウェストウイングの中へと足を踏み入れる。

 

「……成程ね、こりゃ金かかってるわ」

 

 思わずそんな言葉が漏れる。同時に背後で音もなく扉が閉まった。深紅のカーペットが床一面に敷かれた廊下の先に、たった一つの扉。左右を見ても他にそれらしいものが無いところを見るに、どうやらあの扉の向こうが目的地であると見て間違いなさそうだ。

 足取りはそのままに、織村は軽い調子でその扉を開いた。

 室内は白一色で埋め尽くされていた。唯一中央のソファだけが黒く、それ以外は壁から机、本棚までもが純白で彩られている。

 

「ようこそ。織村一華君」

 

 するりと織村の耳に入ってきたのは、聞き慣れた言語だった。

 

「日本語が話せるのか」

「ISの関係者であれば日本語の取得は必須だよ織村君。何せISの基本説明は日本語でしか表記されていないのだからね」

 

 言われてみればそうだと思った。ずっと日本に住んでいたせいで忘れかけていたが、ISというものは世界中で使用されている。しかしながらわざわざ束がその国の言語で翻訳などしている筈がない。となれば日本語を最低でも読めるようになっていなければ話にすらならないのだ。

 部屋の中央に置かれた如何にもなソファに腰を下ろす白髪の男性に促されて、織村も対面のソファに座った。

 

「まずはお互い自己紹介といこう。私はウィリアム・ハワード、国家安全保障問題補佐官を任されている。君と会えるのを楽しみにしていたよ、ようこそ合衆国へ」

「ご丁寧にどうも。織村一華です」

 

 そう言って差し出された手を織村は取った。

 一見友好そうに見える男だが腹の中では何を考えているのか分からない。警戒だけは怠らず見据える。

 

「君の噂は聞いているよ、何でもIS学園では大層な活躍ぶりだったそうじゃないか」

「そんな大したもんじゃないですよ」

「謙遜などしなくてもいい。我が国としても君を迎え入れられるのも心待ちにしていたのだよ」

 

 笑顔を浮かべるハワードを見て、率直に織村はキナ臭いと感じた。

 ここに来るまでの間のアメリカ人の反応は、お世辞にも良いものとは言えなかった。突然アメリカという枠組みの中に日本人という異物が混じるのだからその拒否反応は必然と言えるし、また織村もそれについてとやかく言うような真似はしなかった。寧ろこの程度の反発であれば想定内だ。

 だからこそ、今向けられている笑顔が白々しく、また薄っぺらく感じてしまう。

 外交の場に立ち会ったことはないが、これが自身の立場を優位に進めようとしているが故の笑顔であることくらいは理解できる。

 

「さて、ここで本題と行きたいのだが、構わないかな?」

 

 一度タイを正してハワードは言った。織村も無言で先を促す。

 

「先ずはこの書類に目を通してもらいたい。我が国の代表となるための規約などが記されている、承諾の意味を込めて下段に自筆のサインを書いてくれたまえ」

 

 胸ポケットに差されていた万年筆を織村に差し出して、ハワードは先程の笑顔そのままに書類を机の上へと置いた。

 それを手に取り、上から下まで余すことなく読み込んでいく。

 渡された書類は三枚。一枚目代表になる上での守らなくてはならない規約、二枚目にアメリカ国民となる上での心構え、三枚目にそれらに付随した規約が記されていた。

 その全てを読み終えて、織村はその書類を無造作に机上に放った。ピクリ、とハワードの蟀谷がひくつく。

 

「趣味が悪いな、アンタ」

「……どういう意味だい?」

「見て分かるだろうが、日本語が分かるくせに、どうしてこの書類は全部 英語(・・ )で書かれてんだ?」

 

 織村が読んだ書類は、三枚全てが英語で記されていた。英語が分からければその意味を全く理解することが出来ないまま、不信感さえ抱くこと無く最後の部分に名前を書いていたことだろう。

 態度を一変させた織村を見て多少の驚きを見せたものの、ハワードはその指摘に表情を崩すことなく答える。

 

「その書類を作成したのは私ではないのだよ。その彼は日本語は堪能ではなくてね、君は英語も堪能だと聞いていたので、確認の意味も込めて翻訳することはしなかったのだよ」

 

 取ってつけたような言葉に、織村は鼻で笑いたくなるのを堪えて書類を手に取る。

 

「じゃあこの部分、分かった上で書いたってことか?」

 

 一枚目のとある部分を指差して織村はハワードを見据えた。

 その部分は国家代表となる上で順守しなくてはならない規約が書き連ねられた箇所だ。そこにはおおまかにはこのように記載されていた。

 ――――アメリカ政府の命令は絶対遵守。

 ――――IS研究区画以外でのIS展開は禁止。

 ――――篠ノ之博士から入手している情報は全て開示すること。

 どれもがアメリカにとって優位になることばかりが並べ立てられており、織村にとってのリターンとなるものが一切明記されていない。表向きはアメリカが織村を招聘した形だが、その実織村の意思によってアメリカへ向かったことから、立場の違いを明確にしておこうという魂胆なのかもしれなかった。

 が、そんな子供だましのような真似は織村には通用しない。

 

「いい加減その取ってつけたような笑いはやめろ。元々今日の会談だって本来なら大統領と直々に会って行う手筈だった。それが入ってみればアンタだ、一体どういうつもりだ?」

 

 ここに来て、ようやくハワードは顔から笑を消した。

 

「……いやはや、中々頭が回るようだ。この分だと私が大統領の予定からわざとずらしてこの会談を行っていることも気づいているかな」

 

 背もたれから身体を話して、膝の上で腕を組む。

 

「腹の探り合いはヤメにしようか。率直に言う、織村一華。君には我が国の広告塔として働いてもらう」

「……あん?」

「言い方が悪かったかな。そうだな、シンボルとでも言おうか。祖国の繁栄のためにだ」

 

 ハワードの言う言葉の真意を図ろうと、織村は口を噤んだ。それに気をよくしたのか、白髪の男は徐々に饒舌になっていく。

 

「正直な所、困るのだよISという兵器の存在は。我々ステイツは世界の最先端を行かねばならん、これは義務だ、全世界のトップをひた走る我々に課せられたね。政治でも武力でも常に他国よりも前を走らなくてはならないのだ、そうでなければ我々は我慢できない」

 

 つい数年前まではそれに何の問題もなかったのだ、とハワードは続けて。

 

「ところがだ。極東の島国で開発されたIS、今や世界の中心は間違いなくこの兵器だ。ISの前では既存の兵器など塵芥に等しい。開発者以外に複製は不可能、また絶対数も決まっている。それを各国に分配したとして、我が国の優位性はどうなると思う?」

 

 織村は答えない。尚も男の演説じみた言葉は止まらない。

 

「並んでしまった。いや、日本という国に追い抜けれてしまったかもしれない。もしもISを使って戦争を行えば、その所有数の多い日本が他国を蹂躙して終わるだろう。勿論既存の兵器も数に物を言わせれば太刀打ちすることは可能だろう。だが数を用意するには金がいる。そしてそれは恐らく、軍事費全てを費やすことになる」

 

 そうでもしなければ太刀打ちできないのだ、たかが小柄なパワードスーツごときに。

 

「そんな時だよ、君が我が国の国家代表に立候補したのは」

「…………、」

「まさに天啓、神は我々を見放したりはしなかった。織村一華という世界でもトップクラスの戦力を手中に収めることに成功したのだから。ああ、今更辞退しようとしても無駄だよ。既に国民には知らせてあるし、衛星中継で全世界に発表してある」

 

 そこまで言い切って、ようやく男は話を終えた。

 ハワードの大仰な話を受けた当の本人、織村一華はというと。

 

「くだらねえな、アンタ」

 

 これまでの長々とした話の内容を、そう一言で切り捨てた。

 

「……どうしてかね」

「アンタの言う根本は間違ってねえよ。ISは兵器になっちまった、あんだけ兵器としての性能を見せつけられりゃ反論する気なんざ起こらねえ。例え開発者が別の目的で開発したんだとしても、それを使う人間が兵器として扱えばそれはその瞬間からただの人殺しの機械になる」

「ならば……」

「気に入らねえんだよ、アンタの自分たちが一番じゃなくちゃいけないっつう考え方が」

 

 ハワードの言葉を遮って織村は睨み付ける。

 どこまで言っても祖国至上主義。アメリカという国が他国に追随されることが許せないのだ。

 確かに一昔前、アメリカは間違いなく世界トップの大国であった。しかし今はISが開発されたことで戦力は以前ほどの開きはない。それを他国が生み出したISで再び開こうというのだから矛盾しているように思えるが、利用できるものは何でも利用していくという考えなのかもしれない。

 会って間もないが、この短時間でもハワードという男の性格は概ね把握できたと言っていい。

 プライドの高い男の典型例とでも言おうか。無意識かは定かでないが常に上からの物言い、それが昔の自分を想起させて苛立ちが募る。

 

「気に入らない、ね。そんな理由が通じるのはジュニアハイスクールまでだ。これは国と国との交渉、会談なのだよ。余計な私情は切り捨ててもらいたいものだ」

「良いのかよ、今ここで俺がアメリカ代表を辞退すれば既に情報を流してたアンタらが酷い目に会うんじゃないか?」

「それこそまさかだ。君がそんな行動を取ればアメリカ政府は日本政府に喧嘩を吹っ掛けることになるかもしれない。そんな浅はかなことを君がするはずない」

 

 クハッ、と思わず笑いが漏れた。

 随分と目の前の男は自身のことを買ってくれているようだが、表面上だけのデータを見ただけで何を分かった気になっているのだろうかと問いかけてやりたい。

 

「……買い被りすぎだ、アンタ」

「っ、!?」

 

 背筋に氷柱をぶち込まれたような寒気がハワードを襲う。その出処は織村の眼。光を宿さない、漆黒の瞳からだ。

 

「俺がアメリカを選んだのはナターシャ・ファイルスがこの国の人間だからだ。国家代表なんて座に就く以上は必要なことはやってやる。だがな、俺を利用しようなんざ考えないほういい。俺にとってもアンタにとってもな」

「それは脅しのつもりか? 私のバックにはアメリカそのものが控えているんだぞ。取引できるような立場だと思っているのかね?」

 

 額に滲む冷や汗を拭うことすら忘れて、ハワードは尚も威圧感を感じたまま織村へと言葉を投げた。

 

「いいや、」

 

 その問いかけに、織村は一拍おいてから。

 

「これは脅迫でも、交渉でも、提案でも、取引でも、懇願でも、協定でも、妥協でもない」

 

 一瞬のことだった。

 室内を満たす暖かな空気が、瞬く間に極寒の冷気へと姿を変える。第二位の超能力、『未元物質』によるものだ。

 スーツ姿のハワードは急激な気温の低下に身をすくませ、歯が噛み合わずにガチガチと不快な音を鳴らしている。対して、織村はこれまでとなんら変わらない態度でただこう宣言した。

 

「――――決定事項だ、アメリカ様」

 

 ハワードはこの瞬間理解する。

 アメリカが招き入れた日本人は、狂犬程度の生易しいものではなかったということを。

 これは、暴龍だ。

 

「それに俺が気に入らないって言ったのはな、何もさっきまでのことだけじゃない」

「……?」

「ISを兵器だと言い切った、アンタの考えが気に入らねえ」

「な、何を……」

「ISってのはな、篠ノ之が自分の夢のために開発したもんだ。例えそれが兵器としての側面を評価されちまったとしても、国がISを兵器と言い切っちゃいけねえんだよ」

「へ、兵器であることに異論はないと、君も言っていたではないか」

「ああ、言った。でもそれは実際に軍人たちが本気で戦争を起こそうとした場合だ。アラスカ条約でISの軍事利用は禁止されてんだろうが」

 

 部屋の気温の低下は尚も止まらない。パキパキと氷の膜が張っていくのが目に見えて分かるほどだ。

 

「それにISを兵器って言うならよ、それに乗る俺たちだって兵器だ。アンタ、俺を使いこなせると思ってんのか?」

 

 織村一華は、大国一つを相手にしたぐらいでたじろぐような人間ではない。

 それをハワードも本能の部分で理解したのだろう。言い返すことはできなかった。

 先手を打って釘を打つつもりが、逆に釘を刺されてしまう結果である。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「いや、さっきは俺の部下が失礼をして悪かったな」

「はぁ……、」

 

 先程の会談を終えて通されたのは、オーバルオフィスと呼ばれる大統領執務室だった。

 やはり先程の会談はハワードの独断で行われていたらしく、大統領にも内密に進められていたものらしい。そのことを語りながら部下の失態を恥ずかしそうに語る大柄な男。

 トール・オバマ。

 アメリカ合衆国の現大統領であり、アフリカ系では二人目となる黒人の大統領だ。

 もみあげと髭を繋げた大男は秘書官らしき女性から受け取ったコーヒーを豪快に飲み干して、正面のソファに腰掛ける織村へと視線を向けた。

 

「さっきのはハワードが勝手にやったことだが、部下の責任は上司たる俺の責任でもある。さぞ不快な思いをしたことだろうが、どうか腹に収めてやって欲しい」

 

 話を聞くに、どうやら織村のアメリカ国籍取得について議院内でも意見賛成派と反対派で分かれているらしい。ハワードは反対派の急先鋒だったようだ。

 

「それで、こっちが本当の書類だ」

 

 手渡された書類は一枚きり、英語で書かれていることに違いはないが、日本の中学生でも理解できるような簡単な文法で簡潔に書かれていた。

 ――――アメリカと日本の互いにとって不利益な行動を取らないことを誓います。

 

「……これだけ?」

「ん? 何だ、もっと小難しいのを並べ立てられると思ったのか? そんなことしねえよ、俺は君に期待してんだ。アメリカ一期の国家代表に日本人が登録されるのは波紋を呼んでるみたいだが、俺は君なら実力ですぐに国民を味方に付けられると思ってるぜ」

 

 ハワードとは違って屈託の無い笑顔を浮かべる大統領に、織村は苦笑を漏らした。

 これくらい豪快なほうが、大国を率いるのにはいいのかもしれない。そんなことを思う。

 

「それにだ。うちの連中が猫可愛がりしてる箱入り娘、ナタルを落としたんだろう?」

「ぶはッ!?」

「……なあ、まじでどうやって落としたんだ? 俺も役立てるからそこんところ詳しく教えて……」

「大統領。ご婦人に報告させていただいても?」

「ごめんなさいシェリルさん黙っていてくださいお願いしますカミラには言わないでください」

 

 秘書官であるシェリルにそう指摘され一瞬で頭を下げる大統領。そんなんでいいのかアメリカのトップ。

 

「んん! まぁ、なんだ。あの子はアメリカのアイドルも真っ青な人気者だからな。せいぜい後ろから刺されないように注意しな」

 

 呆気に取られたままの織村を見て、また大統領はケラケラと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 オリ村アメリカ上陸。
 やっぱし異国の地へ行くと洗礼があると思うわけですよ、コイツには意味なかったけど。
 そんなわけで次で終わります。絶対終わります。
 

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。