ほんとうは後編も連投する予定でしたが、中編があまりにも膨れ上がったため(18000字)中編のみの投稿となります。
――――織村一華がIS学園に入学してから一年。
学年が一つ上がり、二年生になる頃には更識形無、織斑千冬、篠ノ之束の三人は学園内で確固たる地位を築き上げていた。
ISの発表に押される形で急ピッチで進められることになったIS学園設立。その際に集められたのは十五歳から十七歳までのIS適性を持つ子供であるが、その学年は一つにまとめられている。故に上の学年に上がって後輩は出来ても先輩は存在せず、一期生内での地位を確立させるということはそのまま学園内での地位の確立に等しい。それを三人はこの一年間で見事にやってのけたのだ。
篠ノ之束はもとから技術分野に於いて抜きん出た実力を示していたが、形無と千冬に関しては主にその戦闘の技術と実力の高さで周囲を認めさせた形である。
《黒執事》であると正体を明かしている形無はともかく、《白騎士》の正体が千冬であることは形無と束しか知らない。そんな中でも周囲から認められ、また敬われているのはひとえに彼女の実力と人徳の高さゆえだろう。
ともかく、IS学園が設立されて一年。今や学園内で彼ら三人は密かに『ビッグ3』などと呼ばれ、ISというものを象徴する存在のように成長していた。
さて。そんな中、織村一華はというとである。
「くそがくそがくそが……、どうしたらアイツに勝てるんだいやそもそも未元物質が通用しないって有り得んのかそんなの一方通行だけだろうがじゃあなんでアイツには俺の攻撃が通用しないんだでも完全に無力化されてるわけじゃねえじゃあどうやってその突破口を拡げていくかだいや待てよ……」
「お、織村くん? 大丈夫?」
IS学園に入学してから通算二十二回目の敗北を味わい、休み時間も自分の世界にどっぷりと浸かっていた。心配して声をかけてくれたクラスメイトの声さえも、今の彼には一切届いていないようだ。机に肘をついて額をおさえる彼の顔からは、言い知れぬ悔しさが滲み出ていた。昨日もどうして、形無相手に勝利を収めることは出来なかったからだ。
昨年の夏、臨海学校で初めて形無と対戦し敗北してから織村は何かにつけて模擬戦を申し込んでは尽く敗北している。
今となっては織村が形無に挑戦状を叩きつける光景が学園内での日常になっているほどだ。その頻度は週に一回、多ければ月に五回にも及ぶ。
その回数は昨日で実に二十二回。どの対戦も負けず劣らずの完敗である。試合時間だけを言えば確実に長くなっているのだが、未だに織村は形無に致命的な一撃を与えられないでいた。
そんな戦いがここ一年続いていれば、周囲からの評価というのは自然と決まってくるものだ。形無や千冬が学園を代表する猛者として君臨している傍らで、織村一華という少年はそんな彼らに挑む勇猛果敢な挑戦者だと認定されていた。
本人の預かり知らぬところでは腐った女子が形無×一華本の制作に取り掛かっているというのだから、一華が周囲からどんな目で見られているのかは察するべきだ。
(何でだ、何でアイツに勝てねぇ? 主人公補正ってやつが上手く機能してねえのか? いや、能力は正常に作動してる。それでも馬野郎に届かねえ……!)
最初に戦った臨海学校の二日目も。夏休み明けの放課後も、学園祭の夜も。どれだけ戦いを重ねようと、更識形無という男に決定打を与えられない。そんな時分がもどかしかった。神が与えた障害というには、あの男は些か無理が過ぎる。第二位の超能力を以てしても勝利できないなど、どう立ち回ればいいというのか。
周囲にいつまでも挑戦者だと思われるのも問題だ。あくまでも立場的に上なのは自分なのだと知らしめなければならない。千冬や束と並んで『ビッグ3』などと呼ばれ浮かれている男に、いつまでも苦汁をなめているわけにはいかないのだ。
「っし、そうと決まれば馬野郎のところに殴り込みだッ!!」
「きゃあっ!?」
「あ、ごめん」
織村が机で一人ぶつくさと精神世界にトリップしている間、ずっと横で心配そうに顔色を伺っていた女子生徒が悲鳴を上げる。突如立ち上がった織村に驚かされたのだ。そんな女子に一言謝罪して、織村は残し少ない休み時間を気にもせず教室を飛び出した。向かう先は隣の教室、二年一組だ。そこに彼のハーレム要員である千冬と束、そして憎き更識形無がいる。
ずんずんと廊下を突き進み、一組の教室の扉を勢いよくスライドさせる。近くにいた生徒たちは「ああ、またか」というような生暖かい表情を浮かべているが、織村はそれに気づかず目当ての人物の前にまで一直線に進んでいった。
そんな織村が入ってきたのを見て、げんなりとした表情を浮かべている少年が一人。近くにいた二人の少女も、怪訝そうに眉を顰めている。
「おい馬野郎、勝負だッ!!」
「またかよ……」
ずびしっ! と指を突き出し形無へ向ける織村に、件の少年は深々とした溜息で答えた。
「あのなぁ、いい加減にしろよ? この前で最後だって言ったじゃねえか」
「あれはリハーサルだ!」
「かーくんかーくん。コイツ
「それはやめろ」
「そうだぞ束。流石にそれはまずい。
「お前らさっきからルビが怖えーんだけど!?」
形無の両隣に座っていた束と千冬が楽しそうに話しているのを目の当たりにして、織村の嫉妬の炎は更に燃え上がる。それが周囲からは形無に挑むチャレンジャーに見えているのだから、本人の自覚はないがそれは幸運以外のなにものでもなかった。
そんな周りからの視線を受けて色々ときついのは織村ではなく形無のほうで、このような理由から行われた過去二十二回の戦闘を思い出して軽く目眩を起こしそうになった。
形無の気苦労など全く気にしていない織村は毎度のごとく同じ台詞を言い放つ。
「いいか! 今日の放課後第一アリーナに来い! 今日こそてめえに俺が引導を渡してやるッ!!」
それだけを言い終えると、織村は形無の返事も聞かずに踵を返して一組を出て行った。
その場に残された形無は、両脇の二人の不機嫌さをどうにかしようと画策し始めるのだった。
◇
放課後に行われた通算二十三回目の形無との模擬戦は、試合時間九分十四秒で織村の打鉄のシールドエネルギーが尽きたことで勝敗が決した。形無のシールドエネルギーは二割程削られているが、目立った外傷は見受けられない。
最早恒例となりつつあるこのアリーナでの光景に、興味本位で観戦に来ていた少女たちは苦笑いを浮かべていた。
「ホントよくやるよね織村君も。あの黒執事に勝てるわけないのに」
「でもでも、ちょっとずつ善戦は出来るようになってきてるよ?」
「善戦どまりじゃダメってことよ。少なくとも織斑さんくらいの実力が無いと、更識君には敵わないって」
「えーあの二人と一緒にするのは織村君が可哀想だよぉ」
観覧席で試合を見ていた少女達の悪意ない声が、織村に突き刺さる。
善戦? 可哀想? あの二人と同格ではない? 誰がそんなこと決めたんだ。この手には第二位の能力が備わっている。それを使っても勝てないのは認めよう。だからって、自身があの二人よりも劣っているなんてことは考えたこともない。これは単に超能力と機体操作を高次元で両立させられていないだけだ。どちらか一方に気を取られ、もう片方が疎かになってしまっているのだ。それを修正することが出来れば更識形無にも織斑千冬にも負けることはない。そう確信している。
滴る汗を無造作に拭って、織村は無言でピットへと戻る。
向こうのピットには千冬と束が居るだろう。形無が無理を言って待たせているのだ。学園内でこそ千冬と束は平静を装ってはいるが、部屋では形無の横暴に枕を涙で濡らしているに違いない。
(許せねぇ。千冬、束もう少しだ、もう少しだけ待っててくれ。俺がお前らを救ってみせるから……!!)
アリーナの通路壁を強く叩いて、織村は前を向く。
負けっぱなしでいられない。これが障壁だというのなら乗り越えてやろうじゃないか。織村の独りよがりな妄想は、留まるところを知らなかった。
◇
そして、転機は訪れる――――。
それは二度目の夏、七月中旬。終業式を目前にしたある日のことだった。
IS学園はその性質上ISの操作、整備の授業を中心に行うが、一般科目も当然存在している。IS学園の生徒であろうが所詮は高校生である。一般高校と同じような授業スケジュールを組んでいるわけではないが、その範囲は一般の高校よりも広くそして深い。
とは言えIS学園に入学できる時点で頭脳が秀でていることは証明されているようなものなので、今更その範囲をとやかく言うような生徒は殆どいない。
そしてそんな一般科目の集大成とも言える期末テストを午前中に終えて、午後はホームルームを残すのみとなった昼休みのこと。食堂で昼食を摂る織村の耳に、とある情報が飛び込んできた。
織斑千冬が、日本の第一期代表候補生に選抜された。
聞いた当初は多少驚いたが、よく考えてみればそこまで騒ぐことでもない。彼女の実力は昨年一年間で嫌というほど目にしてきたし、白騎士の操縦者であるのだからISの操縦に関して世界でも彼女右に出る者はいないだろうと思う。
だから彼女が代表候補に選抜されるのは予定調和のようなもので、周囲が慌ただしくなる中でも織村は涼しい顔で聞き流していた。このまま行けば学園を卒業するときには国家代表になるだろうな、とぼんやりと考える。その時は恐らく自身もそうなっているだろうから、今からそうなった時の挨拶でも考えておくかと口元を綻ばせながらコップに注がれたお茶を呷った。
と、そこで織村は食堂に入ってくる三人を発見した。
今話の話題となっていた千冬に束、そして馬野郎こと形無である。
(チッ、今日も強引に二人を連れてんのか。ったく見苦しいったらありゃしねえ)
一転して不機嫌全開になる織村だったが、ここで名案を思いついた。
代表候補生に任命されたことを祝うという名目で、千冬たちを形無から引き剥がせるのではないだろうか。千冬だっていつまでも形無の横にいるのは辛いだろう。これまではっきりとした理由がないために連れ出すことが出来ずにいたが、今はこうして代表候補生任命のお祝いという大義名分が存在している、これはチャンスなのではないか。そう思い立った織村の行動は迅速だった。直ぐ様席を立ち、まっすぐに三人の居る配膳口へと向かう。
織村が近づいてくることに最初に気がついたのは束だった、それまで掴んでいた形無の腕を離して、しっしと織村を突き放すように言葉を投げる。
「なにお前、近付かないでくれるかな」
だが織村は知っていた。これは形無に勘付かれないようにするために感情を押し殺した、束の精一杯の心配だということを。
だから止まらない。彼女に大丈夫だ、問題ないと視線で告げてさらに一歩近づく。
「……何だまたお前か。悪いが今は取り込み中だ」
織村の存在に気がついた千冬は眉を顰めてそう突っぱねた。そんな彼女を見て、織村は全く素直じゃないなと内心で苦笑する。
ひょいと千冬が持っていたトレイを取って、織村はにこやかに微笑む。
「まあそう邪険にするなよ。話したいこともあるし、一緒の席で食べないか?」
「何で私がお前と席を共にしなくてはならんのだ」
親切心から持っていたトレイを千冬は奪い返して、疑念の視線をぶつけた。千冬にとって織村一華という少年は無闇矢鱈に形無にちょっかいをかける面倒な人間だという認識でしかない。無駄に上から目線であることや事あるごとにデートの誘いをかけてくる鬱陶しさも然ることながら、この爽やかぶった表情が千冬は大嫌いだった。
千冬の嫌いな爽やかぶった笑顔を張り付けたまま、織村は挫けず声を掛け続ける。
「ほら、代表候補性に選出されたんだろ? すごいじゃないか千冬」
「……どこから聞いたんだそのこと」
「もうクラスでも噂になってるよ。第一期の選抜者は二人だけだってのにすごいよなホント」
千冬もまだ高校生、子供だ。他人に褒められて悪い気はしない。普通ならば。
だがどういうわけか織村に褒められても先に嫌悪感を感じてしまうのだ。彼を毛嫌いする理由など山ほどあるが、おそらく根本的にあるのは気が合わないという簡単なものだろう。
「なぁ、もういいか? 俺たち向こうに席取ってあるんだ」
口を挟んできた形無を織村は思い切り睨み付けた。
「あ? 俺は今二人と話してんだ。会話に混ざってくんな馬野郎」
「なぁその渾名まじでなんなんだ? 俺の名前のどの部分をどう解釈すればそうなるんだ?」
「知るか、自分の無い頭捻ってよく考えな」
お前にかまけている暇はないとばかりに、織村は形無との会話を強引に断ち切って二人のほうへと向き直る。
が、しかし。既にその場には誰も居なかった。慌てて周囲に視線を巡らせれば予め取ってあったらしい座席に二人は腰を下ろして手招きをしていた。
なんだ口ではああ言いつつも結局嬉しいんじゃないかと思いながらそちらへ歩み寄ろうとすると。
「違うお前じゃない」
「消えろ、失せろ、滅びろ」
愕然とする織村の横を、トレイを持った形無が通り過ぎていく。
この瞬間、織村はようやく気が付いたのだ。本来ならもっと早くに気が付いていなければならなかったことを。そうすれば、己の過ちを今こうして恥じることもなかったというのに。
震える拳をめいっぱい握り締めて、奥歯に噛み砕かんばかりの力を込める。
――――あの野郎、二人に洗脳までかけてやがったのか!!
織村の勘違いは留まるところを知らない。
二人の形無への好意がなんらかの洗脳によって齎されたものであるという結論に一度達してしまえば、あとはもう転がり落ちるように話はとんとん拍子に進んで行ってしまうのだ。脳内で何人かの小さな織村たちが数秒で会議を行い即座に判決が下される。
判決、形無死刑。何ともまあ偏った会議である。
そこからの織村の行動は早かった。すぐに三人の居るテーブルに向かい、形無に人差し指を突き立てる。
「おい、勝負だ」
呆気に取られる形無をよそに、織村は続ける。
「どうやったかは知らねえが、お前が今こうしてこの場に居るのは
「……なに?」
その一言に、形無の眉がぴくりと動いた。
「その化けの皮剥いでやる。俺には分かる、普通じゃ有り得ねえ」
「……お前、どこまで知ってるんだ」
ここで決定的に食い違っていることに気がついている人間は残念ながらいなかったのだ。
形無は織村の「間違っている」発言を受け、自身が本当はISに乗れないのを束に細工されて入学したことだと思っていたし、千冬は超能力でISに乗っていることだと思っていた。束に関しては織村をどうやって刻むかを考えていたので聞いていない。
そして今の形無の「どこまで知っているのか」という言葉を、織村も勘違いしたままに受け入れてしまった。その言葉を洗脳していることまで知っているのかと捉えてしまったのだ。
だから織村は口元を歪める。すべてお見通しだと言わんばかりに。
「俺は知ってるぜ、
その一言で、今度こそ形無の動きが止まった。
それは誰にも教えてはいない、知られてはいけない自身の秘密。
更識形無は転生者であるという事実。それを、織村は知っているのだと言う。
「……いつからだ?」
「ずっと前からだ。思えばおかしな点は幾つかあった」
織村は千冬と束のことを指して言ったつもりだが、形無はそうとは捉えなかった。
根本が食い違ったままの会話はしかし、不気味なほどスムーズに進行していく。
「で、勝負だと?」
「ああ。俺が勝てばお前の口から洗いざらい吐いてもらう。お前が勝てば黙っててやる」
「……分かった。今日の放課後、第三アリーナならまだ空いてたはずだ」
「おい形無!?」
形無の発言を受けて千冬が声を荒げたが、形無はそれを片手で制して織村と向かい合う。対する織村は傲岸不遜な態度を崩さないままに言い放った。
「今日こそはっきりさせてやる。どっちが上なのかをッ!!」
◇
正直な事を言ってしまえば、更識形無のほうが現時点での実力で言えば上なのだろう。決して口にすることはないものの、織村はそれを薄々感じていた。
転生者特典である『未元物質』。これさえあればこの世界で頂点に立つことなんて造作もないと思っていた。ブリュンヒルデたる織斑千冬も、ISの生みの親たる篠ノ之束も障害にはなり得ない。そう考えていた。無論この二人を敵に回すつもりなどないが、万が一そうなったとしても対処することは簡単だと思っている。
そこに現れたのが原作には存在しないイレギュラー、更識形無。しかもどうやら
当初は神とやらが一方的な展開になることを防ぐために用意した自身のための踏み台だと思っていた。
だから最初は物語に関与してこないものだと思っていたが、蓋を開けてみればこのざまである。千冬や束と親しくなり、今ではIS学園内で確固たる地位を築き上げている。それが許せない、どうしても。
――――そこは俺の居場所だ、引っ込んでろッ!!
ここで話を戻すが、織村は最近ようやく形無がただのモブキャラでないと気がつき始めていた。
能力持ちの自身を相手にあそこまえ完璧な勝利など普通の人間が収められるはずがない。可能性を上げるなら同等の能力者くらいだろう。それにしたって『未元物質』とタイマンを張れるなどレベル5の中でも『ベクトル操作』くらいのものだ。
(甚だ不本意だがいいだろう、認めてやるよ……。お前は俺が直々に手を下してやるに相応しい相手だ)
これまでの敗北など無かったかのような思考であるが、そこから何も学ばなかったわけではない。
今までの二十三回の戦いによって更識形無という男の戦い方や癖などはほぼ掴んでいる。唯一疑問として残るのがあの『反射』だとかいう機体の特殊展開装甲だ。どうやら反射と一口に言ってもその用途は多岐にわたるようで、ただ反射するだけでなく受け流しや擬似ベクトル操作のようなことまで可能であるらしい。織村が言えた口ではないが、とんだチート兵器だ。
そんな装甲に加えて更識流だとかいう体術も相まって、更識形無は強い。
だがそれがどうしたと織村は一蹴する。
こうしている今も、千冬や束は自我を失った状態で苦しんでいる。その事実に気がついている人間は自身を除いて他にはいない。ならば彼女たちを助け出すのは己の義務だ。彼女たちが鎖から解放されるというのであれば、それに関わるリスクとデメリットはすべて引き受けよう。それだけの覚悟を有した上で、織村は決戦の舞台第三アリーナへと降り立った。
「来たか」
「何だ、随分と早いな。俺より早いとは思わなかったぜ」
「お前には聞きたいことがあるしな。何を知ってんのかはわかんねーけど、とりあえず全部話してもらうぜ」
織村の正面に立つ形無は、一片の油断も見せず悠然と正面を見据えていた。全身を黒く包む執事服を纏い、嵌めた手袋の裾を今一度引く。
アリーナの中には織村と形無以外の姿はない。秘密を話す際に他の人間に聞かれたくないという思いから形無が教師陣に頼んで立ち入りを制限させたからだ。それは織村にとっても好都合だった。何故なら。
「ところでお前、ISはどうした」
「必要ねえ」
今の織村はISを纏わない、完全な生身でアリーナの地に立っているからだ。
織村の発言に要領を得ない形無は訝しげに眉を潜めた。
「正気か? IS同士の戦闘だぞ。生身でどうにかなるわけないだろう」
ISじゃなくて執事服着てる俺が言えたことじゃないけど、と考えている形無の思考など読めるはずもない織村は抑揚のない声で告げる。
「ISなんてもんは俺の全力を制限するための鎧でしかねぇ」
「はあ?」
「俺の言ってることが理解できねぇか?」
ゆっくりと、スローモーションのように。織村は自らの両腕を広げた。
変化はその直後に起こった。
爆発的な光が膨らみ、織村の背中から神々しいまでの白さを持つ三対六枚の翼が出現した。
まるで絵画の中からそのまま天使が現れたような眩さを感じながら、形無は驚愕に目を見開く。それは、その姿は。
「……未元、物質……?」
ポツリと無意識のうちに口から溢れたその言葉は、織村の耳には届かなかった。驚きと衝撃に身体を硬直させる形無を見て圧倒されているのだと感じた織村は気分を良くし、大声で叫んだ。
「――――この姿こそが、俺の全力全開だッ!!」
同時、上空十メートル程まで一瞬で飛翔する。それを戦闘開始の合図だと受け取った形無は、先手を打たれる前に行動を起こした。
ベクトル操作で脚力のベクトルを操作し、瞬きすら許さない程のスピードで上空の織村の眼前にまで飛び込んだのだ。
だが織村は動じない。この程度の動きなら造作もなくやってのけるのが更識形無という男なのだと身を以て知っている。それはもう熟知と言っていいレベルである。
轟音が炸裂した。織村一華と更識形無が真正面から激突する。その余波は衝撃波となって第三アリーナへ円状に襲いかかり、内壁や遮断フィールドが俄かに悲鳴を上げた。
二人の激突の結果は、火を見るよりも明らかだった。
形無の一撃を受けた織村はアリーナの内壁に叩きつけられる。常人なら粉々に粉砕されてしまうような速度と威力を備えた形無の攻撃。しかし形無の表情は曇ったままだった。その拳に、致命的なダメージを与えたという手応えは感じられない。あるのは致命打を外されたことによる不快感だけだ。
「……どうやってんのかは知らねぇが、お前の黒執事は擬似的なベクトルの操作まで出来るみてえだ」
内壁に激突した際に巻き上がった砂塵の中から、ゆらりと織村が現れる。ISでの戦闘を想定して設計されたアリーナの内壁はかなりの強度を誇る。その内壁を一撃で大きく陥没させるほどの形無の攻撃を受けて尚、織村の身体には傷一つ付いていなかった。
無傷。背中から出現している純白の翼が、織村の身体から全ての衝撃を吸収しているかのようだった。
「だったらどうやったって動かせねえ程巨大な質量をぶつけてやりゃあいいと思ったんだけど、ダメみてえだな。俺自身のベクトルも操作されちまうんじゃどうしようもねえ」
「お前、まさか……」
今の台詞に、形無は聞き覚えがあった。
今はもう擦り切れてしまい思い出すのも難しくなってきた、転生以前の記憶。学園都市第二位の超能力者が口にしていた言葉とそっくりだった。そしてその見た目もほぼ同じだと言っていい。
ここに来て、形無はようやくある可能性に思い至った。
――――俺の他にも、転生者がいるってのか?
寧ろどうして自分ひとりしか転生者がいないと思い込んでいたのだろうか。
転生する際、あの自称神とやらは転生の理由をこう言っていた。
『神が集まって行った双六のマスに、人間を転生させるとあったから』。その言葉を聞いた時点で察するべきだった。神とやらは複数存在し、また同様に異世界へ転生させられる人間がいるという可能性を。
形無はこの推測がほぼ正しいと確信している。でなければ試合の前に織村が自身の秘密を知っているといった根拠が存在しない。
(アイツは前から知ってたのか。転生者って存在が複数存在してるってことを……!)
ならばもう自身の能力もバレていると考えて行動したほうがいいだろう。そう結論づけた形無は、地面が大きく抉れるのも構わず、脚力のベクトルを操作して真っ直ぐ織村へと突っ込んでいった。
対して織村は翼で空気を叩き真横へと飛んだ。瞬間的に十メートル程進んだ織村を追うように、形無は突進したまま大きく腕を振るった。振るわれた腕は甲高い風切り音を放ちながら大気の流れを掌握する。
それによって発声した烈風が形無の後ろから前へと突き抜けた。台風など軽く凌駕する空気の塊が、音速を越えて織村に迫る。
これを織村は右側の翼だけを器用に動かして回避すると、お返しとばかりに左側の翼を無造作に翻して烈風を叩き返す。
「知ってるか? この世界ってのは全て素粒子によって作られてる」
聞く必要はないと断じて形無は一気に織村の懐にまで飛び込んだ。彼の左手が織村の翼に突き刺さると同時、右側の翼一枚を極小の翼に変換し周囲に拡散させることで破壊的なまでの攻撃力を有した形無の一撃を逃がした。
「素粒子ってのは分子や原子よりも小さな物体だ。ま、その種類はいくつもあるんだが、大体は何個かの種類に分けられる。この世界はそういう素粒子で構成されてんだ」
でもな、と織村は呟いて。
「俺の『
未元物質。その単語が織村の口から出た瞬間、形無の考えていた仮説は完全な事実へと変貌した。やはり転生者、しかも第二位の能力をその身に宿したチート系。自身のことを言えた口ではないが、これで形無の抱く疑問のひとつは解消された。
そんな形無の内心に気づくことなく織村は続ける。
「俺が生み出す『未元物質』はこの世には存在しない物質だ。「まだ見つかってない」だの「理論上は存在するはず」だのそんなチャチなもんじゃない。本当に存在しねえんだ」
大仰に話すその仕草はこれまでと変わらない織村そのものだったが、形無はどこか違和感を感じていた。
これまでにない気迫を内包しているかのような、今までにない戦意を感じさせる。その理由はどこから来るのか形無には解らない。ただ言えるのは。
(今日のコイツは本気だ。本気で俺を倒すつもりでいやがる……!)
何もこれまでの戦いで織村が本気で無かった訳ではない。確信を得た今だからこそ判断できることだが、以前の戦いでも彼は『未元物質』を使用していた。自身の反射の膜を突破したのがそれだ。
だが、今日はこれまでとは違う。なにが織村をそこまで昂ぶらせているのかは定かではない。しかし気を抜けば寝首を掻かれる。そう形無に判断させるほど、目の前に立つ織村からは異常なまでの闘志が感じられた。
改めて形無は織村を見る。
学問上の分類には当てはまらない、超能力によって生み出された新たなる物質。
物理法則を一切無視し、こことは異なる世界から無理矢理引きずり出してきたような病的なまでに白い翼。
第三位以下の超能力を大きく突き放すそのチカラは、正しく唯一無二のオンリーワン。
だけれどそれは、更識形無が有する『ベクトル操作』とて同じこと。序列を言えば未元物質さえも上回る第一位の超能力だ。身体の鍛錬も超能力の操作も、織村に負けているとは思わない。なら、負ける道理はない。
「言いたいことはそれだけか?」
織村の説明じみた言葉を吐き捨てて、形無は右足を勢いよく地面に叩きつけた。
暴風など生温い命を刈り取る烈風が、形無を中心として波状に音速を越えて広がっていく。
「理解してねえな、お前」
織村が口にした途端、背中の翼が大きく空間を打ちつけた。
迫っていた烈風は、翼の起こした衝撃波に相殺されて霧散する。
形無が異変に気付いたのは、その直後だった。
「ッ!?」
思わず口元を手で押さえてしまうほどの猛烈な目眩と吐き気が形無を襲った。視線だけは織村から外さず、一旦距離を取るために大きく後ろへ跳ぶ。
おかしい。こんなことは通常有り得ない。
あらゆる『ベクトル』を例外なく反射する形無が、外部からの影響を現在進行形で受けている。
身体の異変を察知した形無を見て満足げに笑う織村は一歩、なんとはなしに踏み出した。
「空気中に存在する酸素ってのは実は猛毒だ。知ってたか?」
親しい友人にでも話しかけるような気軽さで続ける。
「活性酸素ってのがあるんだがな、こいつは人体が酸素を消費する代謝過程で発生する有害物質だ。通常は細胞内の酵素で分解されるが、分解しきれないほどの活性酸素は細胞を破壊する。アルツハイマーなんかがいい例だな。細胞の自己破壊ってのはこの活性酸素が原因だ」
「……それがどうした。活性酸素が細胞を破壊するっつっても即効性は無い」
「それがこの世界の普通の常識だったならな」
織村は言う。
――――言っただろう? 俺の『未元物質』に常識は通用しないと。
六枚の翼へ弓をしならせるように力を加えていく。
「さっきお前の攻撃を相殺するときに大気をこの翼で叩いただろう。あの瞬間からこの空間の空気中の物質に既存の法則は通じなくなる。異物ってのはそういうもんだ。たった一つ混じっただけで、世界をガラリと変えちまうんだよ」
「何陶酔してんだアホが。そんなに第二位に憧れてんのか?」
饒舌に語る織村を前にして、思わず口をついて出た言葉だった。
そしてここで織村は気がつかなければいけなかった。この世界の人間が、この翼を見て第二位などという単語が出てくるはずがないということに。そこから関連付けなければならなかった。あの反射やベクトルの操作が擬似的なISの装備ではなく、正真正銘第一位の超能力であるということに。
織村は気付かなかった。
目の前の戦いに夢中になるあまり、無意識的に第二位を演じようとするあまり、形無のその一言を聞き流してしまった。
ゴアッ!! と六枚の翼が勢いよく羽ばたいた。巻き起こる烈風を反射で押さえつけた形無は、尚も体内に残る吐き気と嫌悪感を押し殺して反撃の一手を打とうと腕を振り上げる。
ここで形無は織村の意図に気がついた。正面を睨みつけると、先程と変わらず織村は不敵に笑っていた。
「お前は全てを反射してるように見えるが、実のところはそうじゃねえ」
六枚の翼が先程の倍以上に膨張する。剣のような鋭さを持つそれは、ギチギチと硬質な音を立てながら真横に広がっていく。
「音を反射すりゃあ何も聞こえねえ。物体を反射すりゃあ何も掴めねえ。お前は無意識のうちに有害と無害のフィルタを組み上げ、必要のないものだけを選んで反射してるんだ」
垂直に立ち上った六枚の翼が、形無へと振り下ろされる。
回避行動を取った形無だったが、六枚全ては躱しきれずに直撃した。
「さっきの酸素を介しての攻撃が通用した時点で確信した。お前は空気を反射することはできない。無酸素下での戦闘訓練なんて積んでねえだろ。積んでたとしても戦闘可能時間には限界がある」
口に溜まった血を吐き出した形無は、内壁を踏み台にして上空へと跳んだ。
形無目掛けて射出された鋭い翼の砲弾は、空気を引き裂いてアリーナ上部の遮断フィールドに突き刺さった。
「ま、つまりはそういうお前が反射できないような部分から攻め落とすってのが一番効率が良いってわけだ。さっきの烈風と切り離した翼にはそれぞれ二万五千のベクトルを注入しておいた。久々に味わうダメージの味はどうだ?」
形無が織村の未元物質の対策として反射の組立を変更したとしても、すぐにサーチされてしまうだろう。それではいたちごっこ、攻防を繰り返している間にダメージが蓄積されていく一方だ。
「これが『未元物質』。異物の混ざった空間。ここはもう、てめえの知る場所じゃねえんだよ」
内心で形無は舌打ちする。
未元物質という能力がまさかここまで厄介な代物だとは思わなかった。使用者が織村ということもあって十全に力を発揮できていなかったこともあるだろうが、少々甘く見ていたことは否めない。
ここで原作をはっきりと覚えていれば対処も楽だったのだろうが、あいにくと詳細な攻略法などこの世界に生まれて数年のうちに忘れてしまった。
ならばどうするか。
決まっている。
「……正面突破だ」
周囲の大気を操作して背中に四本の竜巻を巻き起こす。
両者の動きは同時だった。
形無の竜巻が織村の白い翼を刈り取る。織村の翼が烈風を伴って形無の竜巻を吹き飛ばす。
その余波を受けて第三アリーナが軋む。ピシリ、とどこかで亀裂の入る音が聞こえた。余波が消える頃には既にその場に二人の姿はなく、並行するように移動しながら互いの能力を激突させていた。内壁に垂直に立ち、上部の遮断フィールドを足場にしながら高速戦闘が行われる。
タンッ、と一旦地面に降り立った形無は、着地ざまに足元の地面を大きく踏み砕いた。衝撃で浮かび上がる小石を、二段蹴りの要領で蹴りつける。
凄まじい音が炸裂する。ベクトル操作を受け、音速を超える速度で飛んだ小石はすぐに消滅したものの、その衝撃波は生きている。その爆音は、耳当て程度では到底防げないようなものだった。
織村はその衝撃波を翼にありったけの力を込めて撒き散らした。二人の間でぶつかりあった衝撃波は、ついにアリーナの内部を損壊させた。
「お前はいつまでそうやって二人を縛り付けるつもりなんだ!」
声を荒げ、織村は翼を振るう。
「なんのこと言ってんのかわかんねぇよ!」
「とぼけんな! 千冬と束のことだ! お前が二人をそばに置いておきたいから、あんなことやってんだろうがッ!!」
あんなこと、とは黒執事をISと言い張って学園に居座っていることだろうか。織村が転生者でありベクトル操作を持っていると知っているのなら、自身が本当はISに乗れないことなどとうに知っているに違いない。
それは本意ではない、と口にするのは簡単だ。しかし果たして、本当にそうだろうか。
この世に生を受けて十数年。今や家族以上の絆で結ばれている二人だ。はじめは束のマッチポンプから始まったこの服装と学園生活であるが、楽しんでいたことは否定できない。
口ではあれこれ不平を言いつつも、三人での学園生活に忘れていた青春を感じていたことは紛れもない事実だ。
これまで彼女たちと過ごしてきた日々を否定することなど、出来るはずもない。
「……それは俺の意志だ、紛れもない、俺自身の。二人と一緒に過ごす時間は、俺にとってかけがえのないものだッ!!」
「っっっ! ……あまつさえ開き直る気かこの馬野郎がぁぁああああッ!!」
二人の身体が交差する。
空気が爆発し、数秒遅れて爆音が鳴り響いた。
形無と織村、双方から血が舞う。
「俺はお前が許せねえ! てめえの勝手な独占欲のために、二人が犠牲になる必要がどこにあるっ!?」
「ああ、独占欲なのかもしれない。いつのまにか、こんなにもあいつらを大切に思ってた。お前に気付かされることになるなんてな」
「二人の人生の責任をお前はどう取るつもりなんだッ!!」
ボロボロになった第三アリーナの中心で、二人は視線を突き合わせたまま動かない。
「織村、お前の言いたいことは理解できる。俺は確かにこれまで二人に無意識のうちに壁をつくってたのかもしれない。二人の存在を軽視してたのかもしれない。分かってたつもりでも、どうしても俺って存在がイレギュラーなんだって気持ちが拭えなかった」
「……何を今更。後悔したところでてめえの犯した罪は消えねえ、一生な」
「そうだな、だから……たとえこの先一生掛かることになったとしても、俺は二人の責任をきちんと取る。それが俺の覚悟だ」
何が覚悟だ、責任だ。
結局は二人を手放したくないがために述べられた耳障りのいい言葉でしかない。むしろ一生離さないなどと二人を監禁宣言だ。
これ以上は話し合うだけ無駄だろう。あとはもうこの拳で解らせるしかない。互いに血を流しダメージを負っていることに変わりはないが、明確な攻撃手段を確立できたこちらに分があると織村は考えていた。
織村の六枚の翼が一気に力を蓄える。これが最後の一撃だと言わんばかりの、先程までとは桁違いの輝きを放っていた。長さを変え、質量を変え、殺人兵器と化した翼がアリーナを埋め尽くさんばかりに広がった。まるで引き絞られた弓のようにしなり、その狙いは形無の急所六ヶ所へと正確に定められている。
それを見て、形無は小さく笑っていた。怪訝そうに眉を顰める織村にこう言う。
「なんかスッキリしちまった。心にすとんと落ちた気分だ。こんな大切なことに、なんで気づかなかったんだろうなぁ……」
「余裕だな。てめえの反射は既に攻略済みだ。インチキ臭えその防御能力も、この翼にゃ通用しねえぞ」
フッと笑みを消して、形無は構えを取った。
「確かにこの世界にはお前の言う『未元物質』なんてものは存在しない」
更識流、形無が取った構えはその基本。
「そいつに教科書の基本は通用しないし、未元物質に触れた分子が有り得ないベクトルに変化することだってあるだろう。だからこの反射に隙間が出来てしまうのも仕方がない」
二人の間で空気がざわつく。
猛烈な勢いで時間が圧縮されていくかのような錯覚を引き起こす。
「なら、それも含めて組み直す。この世界は『未元物質』を含む素粒子で構成されていると定義した上で、その公式を暴けばいいだけの話だ」
「……できると思ってんのか?」
「できないと思うか?」
それが引鉄となった。
バゴッ!! という轟音がアリーナに響き渡った。
互いの交差は一瞬。
それで形無と織村、二人の勝負は決着した。
織村は意識を手放す瞬間、これまでの一連の流れが原作そっくりであることに、ようやくながら気がついた。
◇
目を覚ますと、そこは学園備え付けの医務室だった。仕切りのカーテンが引かれていないために周囲の光景が目に飛び込んでくる。
窓から差し込む光が夕日から月明かりに変わっていることから、少なくとも三時間以上は意識を失っていたらしい。
ゆっくりと身体を起こす。至るところが悲鳴を上げているが、中でもとびきり酷いのが頭痛だった。脳みそに間断無く釘を打ち込まれているかのような鋭い痛みが絶え間なく襲いかかってくる。
思わず額を押さえていると、医務室の入口が唐突にスライドされた。
「お、気がついたか」
現れたのは、今最も会いたくない男だった。
「……何の用だ」
「ん」
持っていたトレイをずいっと差し出しながら形無は言う。
「夕飯、まだ食ってないから腹減ってるだろ。食堂のおばちゃんに無理言って作ってもらったんだ」
「お前の施しなんぞ受けねえ」
「いいから食えよ。お前が食わなきゃ捨てなきゃなんないだろ。食物を粗末にする気か」
そう言われてしまっては言い返せない織村は、いやいやながらにトレイを受け取る。その上に乗っているのは熱々の親子丼だった。それを見て思わず喉が上下する。思えばあの昼食以降何も口にしていないのだから空腹なのは当然だ。形無の存在など気にせず、織村は丼を持って中身を豪快にかき込んだ。
その様子を見ながら、形無はどこから持ってきたのか丸椅子を広げてベッドの横に座った。
「さて、昼の話の続きなんだが」
ピタリ、と織村の箸の動きが止まる。
「まずは礼を言わせてくれ。お前のおかげで俺は大切なことに気がつけたし、その覚悟もできた」
それを聞いて内心怒り心頭なのが織村だ。
勝負をふっかけ、負けたら一切口外しないと言った手前下手なことは言えないが、それでも二人を洗脳している目の前の男のことは許せない。
「いいか、今日は負けたからこのことは黙っといてやるが、俺は絶対にお前の罪を認めねえ」
「は? 罪?」
イマイチな反応を見せる形無に織村は捲し立てた。
「千冬と束を洗脳にかけてることだ。次俺が勝ったときにはすぐに二人を解放してもらうぞ」
「……まてまて、俺が二人を洗脳? そんなことするわけないだろう」
「とぼけんなよ、俺は知ってるって言っただろ」
「あ? そりゃ俺が転生者だってことだろ? それを知ってるからお前『未元物質』だってあんな高らかにバラしたんじゃないの?」
「あん? 転生者? お前が?」
………………。
数秒の沈黙。
今耳にした言葉を、織村は心の内でゆっくりと反芻する。
(転生者。俺が? いやあいつが。洗脳? してない。未元物質がばれてた。っつーことはあれってもしかしてマジモンの……)
ごちゃ混ぜになってたそれぞれのワードが、綺麗に繋がっていく。
そしてその全てが繋がった瞬間、織村は目を見開いて吼えた。
「っっはぁぁああああっ!? 転生者ぁ!? お前がぁ!?」
「は? え? まさか気がついてなかったのか!?」
「ったりまえだクソッタレ! 転生者なんてのは大体が世界にひとりだろうがッ!」
「というか待てよ。お前戦いの前に俺の秘密を知ってるって言ってただろ。それは俺が転生者だってことじゃないのか?」
「そんなもん催眠かけてるってことに決まってんだろ!!」
形無の反応を見る限り、どうやら自身が転生者であるということには既に気がついていたらしい。それがなんとも気に入らない。出し抜かれたような気がしてならないからだ。
「……ちょっと待てよ。お前が転生者だっつーなら、あの黒執事とかいうISのあの反射は、」
「正真正銘第一位の『ベクトル操作』だ」
「……ッッッ」
声にならない叫びが医務室に轟いた、ような気がした。
ここに来てようやく事態を冷静に受け止め始めた織村は転生者が二人いたことを加味してこれまでの人生を振り返ってみる。
幼少期。既に三人で行動し始めていた三人に割ってはいろうとしていた。
小学校、中学校。原作キャラクターとの親睦を深めるはずが、どういうわけかまともに会話することも出来ず挙げ句の果てに知らないところでISが完成。
昨年までの学園時代。もうひとりの転生者である形無に事あるごとに突っかかっては返り討ち。
ここまで考えたところで、織村は冷や汗がどっと噴き出すのを自覚した。
今までの行いを客観的に見た場合、どう考えても主人公の行動ではない。それどころか。
(これ完全にチート系転生者によくあるかませ踏み台嫌な奴だーーーッ!!)
そもそもこれまで織村がそういった自分勝手は行動を起こしていたのは自身が主人公であると信じて疑わなかったからである。この世界に転生者はひとりきりで、自分こそが主人公であると確信していたからこそ多少の我儘も通ると思っていたのだ。
だが実際はこの通りである。ああ穴があったら入りたい。
もうひとりの転生者、形無から話を聞けば千冬や束と出会ったのはあの幼稚園が初めてだったらしいが、以後の付き合いを聞く限り完全に主人公のポジションについているのは向こうの方だった。
洗脳がうんぬん、というのも勝手な勘違いだったと聞かされた。戦いの前だったならそんな嘘信じるかと聞く耳を持たなかっただろうが、全力を尽くし、形無が同じ転生者であると知った今だからだろうか。不思議とすんなりとその言葉を受け入れることが出来た。
その変わりっぷりに、形無は驚いているようで。
「お前、そんな聞き分けのいいやつだったか?」
「……あほ、見縊んなよ。いくら俺でもお互いの生き様比べればどっちが主人公なのかってことくらい分かるわ」
「主人公って、この世界じゃ一夏だろ」
「その原作主人公ともパイプ持ってんだろ。俺はまだ会ったことねえし」
転生者、その存在が自分一人だけではないと分かって、無意識のうちの安堵していたのかもしれない。
それは織村も、形無も同じだった。
だからこそここまで腹を割って話すことが出来たのだろう。形無に至っては千冬たちにすら話していない事実をだ。
「ま、しょうがねえから千冬たちのことはお前に任せてやるよ」
「はあ?」
「言ってたろお前。ちゃんと責任取るってよ。それってつまり一生傍にいるってことだろ?」
男に二言は無いだろ? と織村は意地の悪い笑みを浮かべてみせた。
「元々俺が千冬たちを追っかけてたのも原作の主要キャラだからってだけだしよ。ちゃんとした理由のあるお前に任せるのが一番だ。……その代わり、次に俺が狙う女が出来た時は協力しろよ」
そうして二人は初めて互いを理解した。
これまでの蟠りがお互いの勝手な思い込みであったことは、その胸のうちに閉まっておくことにして。(尚時折黒歴史として掘り返される模様)
こうして最低系かませ転生者の称号を返上することに成功した織村だったが、好きな奴ができたと形無改め楯無に相談を持ちかけるのは、まだ少し先の話である。
◇
放課後の生徒会室に、二人の少年の姿があった。
一人は濃紺の髪が特徴的な現生徒会長。もうひとりは茶髪を肩口まで伸ばした生徒会役員である。
殆どの生徒は既に寮へ戻っているであろう時間帯にも関わらず二人が学園内に留まっているのは、約一ヶ月後に控えた学園祭の打ち合わせのためだった。
大まかなことは決まっているので後はそれを煮詰めていくだけなのだが、どうにも各部活の予定と舞台の使用時間が合わず二人して首を捻っているところである。
そんな折、織村が別の話題を切り出した。
「なあ、そういえばお前生徒会長なのに自由国籍権使ってねーよな」
「ん? ああ、俺は国家代表にはならないし、そもそも日本を離れる気がないからな」
「……それってよ、他の生徒会役員が譲り受けたりとかできねーのか?」
「どうだろうな。委員会に掛け合ってみないとなんとも言えないが……ははぁん」
そこまで言って合点がいったのか、楯無は口角を歪めた。途端に織村は目を逸らす。
「そっかそっか。分かったぞ織村、お前が何考えてんのか」
「な、なんだよ」
「お前、
楯無の言葉に、思わず無言になる。
「ま、そういうことなら学園長と委員会に掛け合っといてやるよ。大事なお姫様の為だもんなー」
ニヤニヤと殴りたくなるような笑みを浮かべる楯無。それに反論できないのが悔しいのか、織村は顔を赤くしながら唇を噛み締めていた。
「そのことはまぁいいんだけどさー」
「あん?」
「いい加減告白しろよこのチキン野郎」
「う、うるせー!」