双六で人生を変えられた男   作:晃甫

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#44 覚醒と分岐点

 皿式鞘無は信じられない、というような表情を浮かべていた。

 無意識のうちに伸ばされていた手は、無情にも空を切る。

 どうしてだ。一体、どうして。

 脳内に焼きついて離れないのは織斑一夏が自身を庇うようにして敵の攻撃を受け海へと落ちていくその一部始終。

 何を思って自分を庇うような真似をしたのだ。そんな必要は無かったというのに。そんなことされなくても、手元にある武装で確実に対応できたのに。

 どうして、どうして。

 

 ――――あの瞬間の織斑(アイツ)は、あんな表情をしていたんだ。

 

 爆発に飲み込まれ海へと落ちていく一夏を目の前にしても尚、鞘無はそれを何処か現実ではないことのように感じていた。これは本当に現実なのだろうか、自身が引き起こしたことなのだろうかと心の内で何度も呟く。

 視界がやけに不明瞭だ。埃でも入ったかのように靄がかかっている。何度瞬きをしてもその靄は一向に晴れる気配がない。

 だが、それも一瞬のことだった。

 

「一夏ぁッ!!」

 

 簪の喉が張り裂けんばかりの絶叫で無理矢理現実に引き戻される。周囲の状況など意に介さず一夏のもとへと飛んでいく簪。鞘無はそんな彼女を銀の福音がロックオンしていることに気が付いた。

 なのにどうしてか、鞘無の身体は思うように動いてくれなかった。

 意識はしていなくとも人間一人が海へと落ちていったという事実が、彼の心と身体から自由を奪っているのかもしれない。

 

(何で、何で、何で。アイツは俺を庇ったんだよ……! そんなことしなくたって、俺は、)

 

 答えの出ない問いかけに、鞘無は奥歯を噛み締める。

 今彼の胸中を埋め尽くしているのは怒りと虚無感。

 その理由は、彼自身にも判らなかった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 すべてが白い空間の中、一夏は静かに瞼を閉じた。

 先程目の前の女性に言われた言葉が、耳の奥にまで浸透していく。

 

(……ああ、そうだよ。俺はただISに乗れるってだけの男で、他はただの一般人となんら変わらない)

 

 更識流の柔術を会得していることは、この場では何の足しにもならない。

 必要なのは自分の信念を貫くことができるほどのチカラ。空手や柔道を嗜んでいるからといって、己の求めるモノは手に入らない。

 きっとそれは、一夏も心のどこかで理解していた。現状、自分のチカラは理想には到底届かない。それを無理に押し込めていたのかもしれない。

 この世界でも有数の実力者たる姉が、楯無が間近にいて、手ほどきを受けた。姫無、簪というISにおいても実力者たる二人とある程度戦えるようになったことで自分もそこそこやれるのだと感じるようになった。ISで代表候補生たちと互角に戦えていることに慣れ始めて、どこか慢心があった。

 その慢心は、作戦前に自覚していたはずだった。

 自分に守れるものなんてのは極々狭い範囲でしかなくて、それ以上を求めるのは身を滅ぼすことだ。

 分かっていたはずなのに。

 

(無意識のうちに、身体は動いてた。皿式を守ろうと、自分でも気がついたら飛び出してたんだ)

 

 無鉄砲だったと、今は反省している。あのタイミングで動けたのは多分一夏一人だった。とは言え、あの場には織村だっていたのだ、何らかの対処法を持っていたかもしれない。皿式だってひょっとしたら奥の手を持っていたかもしれない。それを考えもせずに安易に飛び出したのは完全に一夏の失態だ。

 とは言え、それを後悔しているかといえばそうではない。結果として自分が落とされることになったが、それで皿式は無事だった。いけ好かない奴ではあるが、それで見殺しにしていい理由になどならない。

 

「それよ」

「え?」

 

 一夏の心の内を見透かしているかのように、白い女性は口を開いた。

 

「貴方の守りたいという想い。その信念の発端は更識楯無だと思うけれど、その根幹にあるのは貴方自身の自己犠牲でしかないわ」

 

 自己犠牲。己の身は省みずに他者を助けること、となんとなく一夏は考える。それは概ね正しい。 

 

「貴方、まさか自分が死んだとしても他の皆が無事ならそれでいいとでも思っているのかしら」

「……それは、」

「今一瞬でもそう思ってしまったのなら今すぐに思考を改めなさい。自己犠牲の上に成り立つ信念なんてものに価値は無いわ」

 

 女性の強い口調に、一夏は言葉を詰まらせた。知らず奥歯を噛み締めている。

 圧倒的なチカラがあれば、自己犠牲なんてものに頼らなくて済むのだろう。もっと賢ければ、状況打開の策を思いつくのだろう。楯無のように、千冬のように。

 しかし、自分にはそんな秀でたチカラは存在しない。なら、足りない部分はどこから。自分の身を削るしかないだろう。それが一夏の結論であり、これまでの考えだった。

 その考えを女性は真っ向から否定する。そんなものに価値はないのだと断定する。

 

「全ての人間を守る、そんな聞こえのいい言葉を本当に実行できると思っている?」

「それは、無理だ……」

「でしょう? 創造主が良い例じゃないかしら。あの人は自分の守れるものの範囲をきちんと理解している。だからこそそれ以外の人間に容赦は無いし慈悲も無い」

 

 じゃあ、どうしろっていうんだ。俺に皿式を見捨てろってのか? やり場のない怒りから、一夏は拳をきつく握り締めた。

 

「……そう、そうよね。貴方はそういう人だもの」

 

 先程までの強い口調から一転して、女性は仄かに笑みを浮かべてみせた。

 思わず一夏の目が丸くなる。意識しなければその笑みに吸い込まれてしまいそうなほど、女性のその表情は絵になっていた。

 周囲が仄かに発光し始める。白一色の空間を更に塗りつぶすように、その光は女性を中心にして少しずつ広がっていく。

 

「――――守りたいんでしょう?」

 

 言葉とは裏腹に、女性は確信しているようだった。一夏が何を考えているのか、手に取るように。

 女性から視線を一切外すことなく、一夏は無言で頷いた。

 

「例えそれが、自身のエゴだと分かっていても。例えそれが、現実には到底達し得ないことだとしても。一夏(・・)には守らなくてはいけないものがあるのね?」

 

 ああ、そうだ。一夏は思う。

 全世界の人間を守るなんて大仰なことは言えない。そんなことが出来るのはテレビの中のヒーローだけだ。実際にこの両の手で守れる人間なんてのはほんの僅かしかなくて、その僅かな人間たちでさえ気を抜けば手から零れ落ちていってしまう。

 だからせめて。

 自分が守りたいと思う人たちだけは、己の手で守りたい。

 そのためのチカラが欲しい。多くを望むことはしない。少し、ほんの少しだけでいい。自分が自分であるために、この信念を果たすために。

 

「俺は、それでも手を伸ばす。届かないなんて誰かに決められることじゃない。他人に言われて諦めるくらいなら、俺は最初からこんな風に思ったりはしない」

 

 一夏は一度瞼を下ろす。これまでのことが、まるで走馬灯のように駆け巡る。

 

 姉の親友が開発したISというものがあった。

 姉とその友人は、その扱いがとても上手かった。

 やがて姉は、ISで世界の頂点にたった。

 二度目の世界大会で、謎の集団に誘拐された。

 姉とその友人は俺のために大会を捨ててまで奔走してくれた。

 

 ――――そこで俺は、自身の無力さを思い知った。

 

 だから弟子入りした。姉に守られてばかりの自分を変えたくて。

 稽古を続けていくと、やがて師匠の妹二人と知り合った。

 初めて人を好きになるということを知った。

 

 ――――守りたい人が、少しずつ増えていった。

 

 まだまだ皆を守るには力不足だ。そんなこと一夏が一番理解している。

 でも。それでも。この想いだけは、決して曲げるわけにはいかない。これは一夏を支える最も重要な芯の部分だ。

 そんな一夏の言葉を受けて、あるいは共に走馬灯のような記憶を目にして、女性は優しげな笑みを浮かべて。

 

「だったら、行かなきゃね」

 

 光がさらに拡大する。正面にいる女性のシルエットさえもおぼろげとなる程の眩しさに思わず目を瞑る一夏。そんな彼の手を恐らくだが女性が取る。

 

「貴方の気持ちは理解した。だから、私が貴方を導いてあげるわ」

 

 ほら、こっちよと女性は一夏の手をぐいぐい引っ張ってどこかへと進んでいく。

 視界が塞がれているためにどこへ向かっているのか分かっていない一夏は、されるがままに付いていくだけだ。

 

 いつの間にか地面を歩いているという感覚が無くなり、手を握られているという感覚もう薄くなる。自分が今上を向いているのか、前に進んでいるのかさえも曖昧になっていく。

 すべて溶けていくような感覚に陥りながら、程なくして一夏の意識もその中へと溶けていった。

 

 ――――行きなさい。そのための翼は用意してあげる。

 

 最後にそんな言葉が聞こえたような気がした。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 織村が最初に見たのは、海中から飛び上がる純白の機体だった。そこは丁度一夏が先程撃墜された地点であり、どうやったのか復活して戻ってきたのだと理解はできる。実際には原作知識を使ってなにが思ったのか大雑把に理解しているだけだが、それでも他のこの場にいる連中よりは何倍も早くこの事態を飲み込むことができただろう。

 だから飛び上がってきたのが一夏の専用機、白式であることは分かっていた。それが二次移行(セカンド・シフト)して雪羅になることも想定内である。

 実のところ、織村の援護は一夏を銀の福音の攻撃から守ることが出来た。敢えてそうしなかったのは、そこに割り込むことでどんなメリットとデメリットが起こりうるかを考えた末のことである。

 まず一夏を守った場合、当然ながら戦力の確保と一夏の身の安全を確保できるというメリットが存在する。だが雪羅へと二次移行する機会を失うために今後の戦闘に支障をきたす可能性が存在するのだ。

 そして守らなかった場合、二次移行へのチャンスを得るのだ。しかし、失敗した場合そのまま一夏は戻ってこない。

 分の悪い賭けであったことは承知している。それでも織村は一夏が戻ってくることに賭けて手を出さなかった。楯無や千冬が聞いたら怒鳴るかもしれないが、結果的にその目論見は功を奏した。

 

 だから織村が今驚愕しているのは一夏が海中から浮上してきたことではない。彼の目に移る雪羅の姿が、脳内に残る原作のものとかけ離れていたからだ。

 カラーリングに大差はない。陽光を眩く反射させる純白の装甲は織村の知るものと同じと言っていいだろう。

 違うのは、雪羅の背部だった。

 

(翼を模したスラスター。確か原作じゃ二枚じゃなかったか?)

 

 おぼろげな記憶であるために確信は持てないが、違和感の原因は一夏の纏う雪羅の背面に装着されているスラスターユニットだと思われた。大型化されているのは原作通りだが、その数は六にまで増えていたのだ。これは一体どういう理由からくるものなのか織村には分からない。

 ただ一つ言えるのは、一夏がこれまでにないチカラを手にして戻ってきたということだけだ。

 

 派手な飛沫を上げて海上へと躍り出た一夏は、そのまま一直線に簪の元へと向かう。銀の福音による集中砲火から彼女を守るために。

 瞬時加速よりも更に速く、一夏は矢のように突っ込んでいった。数瞬遅れて、一夏の通った海面が大きく割れるように揺らぐ。

 音さえ置き去りにして、一夏は簪へと手を伸ばす――――。

 

 

 

 簪は己の失態を自覚した。我ながら無茶なことをしたものだと自嘲する。一夏が落とされた瞬間、頭の中が真っ白になってしまったのだ。作戦遂行のためには私情を切り捨てることも必要だと理解はしていた。そのための訓練も更識で十分に行ってきた。

 だがいざその場面に直面すると、人間というのは案外考えなしに行動してしまうものらしい。

 銀の福音の攻撃が自身に向けられていると気がついたときにはもう遅い、既に光の矢は対象を爆破するために発射されていた。あれをまともに受ければ大破は免れない。ひょっとしたら一夏のように海へと沈んでいくかもしれない。

 そう考えるほどには簪の思考には余裕が残されていた。

 光の矢が目の前にまで迫る。

 簪はぎゅっと目を瞑った。

 

「……?」

 

 だが不思議なことに、くると予想されていた衝撃や熱はいつまで経っても簪に訪れない。うっすらと瞼を持ち上げてみる。簪の目に飛び込んできたのは、真っ白な翼を背に生やした少年の姿だった。

 無意識のうちに口が開く。声を出そうと形をつくるが、上手く声が出てくれない。

 そんな簪を抱えたまま、一夏は優しく微笑んで。

 

「――――悪い。心配かけた」

 

 目尻に溜まった涙が一筋こぼれ落ちた。それは歓喜の涙。一夏の顔を見て、本人だと確信して、簪は人目も憚らずに涙を流した。

 

「……無茶しすぎ」

「すまん。反省はしてる」

「嘘。……その顔は反省はしてるけど後悔はしてないって顔」

「うぐっ。流石に鋭いなお前……」

「一夏のことなんて、何でもお見通し」

 

 苦い顔を浮かべる一夏に、簪は笑いかける。

 それを見て一夏は確信する。守りたいものは、ここにもあると。

 

「簪、いけるか」

 

 なにをどうする、とは聞かない。聞かずとも簪は理解しているし、また一夏もそれを解っていた。

 

「……当然」

「よし、ならいくぞ」

 

 二人して視線を前方へと向ける。銀の福音はこちらの動向を伺うようにその場にとどまったまま動こうとはしない。それを確認して、再び一夏は簪へと視線を移す。彼女もこちらを一度だけ見て小さく頷いた。足に力を込め、動き出そうとしたところで。

 

「おいおい。お前ら俺を忘れてねえか」

 

 織村が口角を吊り上げながら言った。一夏と簪、二人の真横に並び立つ。

 

「元々銀の福音(あいつ)を止めるために俺はここにいるんだ。お前らだけに任せられるかよ」

 

 言葉と同時、雪羅にも劣らない純白の光が放出された。

 咄嗟に手で顔を覆った一夏が次に見たのは、織村の背中から生えた巨大な三対六枚の翼。以前聞いたことがあった。織村一華は全力で戦う際、背中から六枚の翼が生えるのだと。

 

「さあ、そろそろ幕引きと行こうぜ」

 

 その言葉をきっかけにして、三人は最前線へと躍り出た。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 そんな三人を前にして尚動きを見せない少年がいた。

 何をするでもなく、専用機《黄金伯爵》を展開したままそ三人が戦う様子を離れた上空から見つめている。その顔に浮かぶのは、驚愕と羨望、そして嫉妬だった。

 鞘無はこの時点でようやく理解した。己が殊更特別な存在ではないということに。気がついてしまった。この世界の主人公はあくまでも一夏であって、自身はその周囲を形成するその他大勢の一人にしか過ぎないということに。

 なんとも言えない虚無感が、鞘無の心に生まれた。

 

 これまでしてきたことは、一体なんだったのだろうか。思い返してみればバカバカしいことをしてきたものだ。自分のことなのに怒りが込み上げてくるのを抑えれない。

 

 ――――何だ。俺は所詮ただのモブか。

 ――――なんだ。この世界は俺抜きでも回るんだ。

 ――――ナンダ。ここでも俺は、一番にはなれないんだ。

 

 自身も到底理解出来ない複雑な感情が入り混じり、心の内をぐちゃぐちゃにかき混ぜる。今何を考えているのかさえ曖昧になってしまいそうになる。混乱が混乱を呼び、その連鎖が徐々に大きくなっていく。

 その混乱が鞘無の中で一定のラインに達した時、頭の中で何かが切れる音がした。

 ブツン、と。まるで血管が破裂するように、両側から引っ張られたゴムが千切れるように。

 鞘無の芯の部分にあった彼を構成する上で最も重要な部分が、崩壊した。

 

「……はは、」

 

 乾いた笑いが漏れる。

 その笑いが外に漏れたのと同時、突然鞘無は踵を返した。そして尚も戦う三人に背を向けて、あろうことか全力でその場から離脱したのだ。

 黄金の弾丸と化した鞘無は、一夏たちに一瞥もくれずに戦闘空域から消え失せた。

 

 このときの鞘無はまだ気がついていなかった。

 今、この時、この瞬間。

 一夏と鞘無の進む道は、決定的に分かたれた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 正直なところ、氷見鳳仙は楯無を相手にすることに限界を感じ始めていた。

 いくら氷見家の当主であるとはいえ、ISという分野に関してはそこいらの一般人と所有する知識量に差は殆ど無い。京ヶ原劔に話を聞かなければ興味すら抱かなかっただろう。

 だからISの操作に関して更識楯無に勝てるなど始めから思っていないし、また劔も勝ち星を計算しているわけでは無いだろう。彼女は言っていた。イギリスの研究所から強奪した専用機《サイレント・ゼフィルス》をイギリスの代表候補生と更識楯無の前に見せること。それが重要なのだと。

 

 鳳仙自身、劔がまだ何か隠していることは薄々感じていた。

 この計画の根幹となる部分の説明は受けたがどうも上手くはぐらかされているようで本当の狙いとやらは分からないままである。

 

(IS学園から離れた地点で男性操縦者を捕獲、ね。それっぽい理由をとってつけちゃあいるけど、それだと二機の専用機をこいつらにぶつける理由にはならないんだよね。本当に捕獲だけが理由なら劔が直々に出れば済む話だし。……サイレント・ゼフィルスと銀の福音、この二機をわざわざ引っ張ってきた理由はなんだ?)

 

 戦闘中であればこんな考え事を行えないだろうが、視線の先では楯無たちが何やら連絡を受けてその動きを止めている。だからといってこれを好機とばかりに飛び込めば手痛い反撃を喰らうだろうことは火を見るより明らかだ。楯無の纏う黒執事の性能の化物っぷりを忌々しく思い舌を打つ。

 

(ま、このまま向こうが引き返してくれればこっちも楽でいいんだけど。あの金髪縦ロールはずっとこっち睨んでるし、そう簡単には行かないか)

 

 更識楯無に勝てるとは思っていない。

 しかし、他の二人もそうというわけではない。イギリスでは万全では無かったといえ国家代表のチェルシーを退けているのだ。国家代表クラスの技量を鳳仙は備えている。候補生の二人にまで遅れを取るつもりは無かった。

 遂行すべきことは既に終えた。 

 ならば、後は如何にしてこの場から離れるか。劔と落ち合う場所は既に決めてある。北陸から東海地方へと南下し、太平洋にまで出て更に南へ行った場所に浮かぶ小さな無人島だ。日本の航空自衛隊に感知されるかもしれないが、偵察機や航空機ごときで第三世代型のISに追いつけるとは思えない。この場さえ切り抜けてしまえば、後はどうとでもなるということだ。

 

(それが一番難しいんだけどねぇ、)

 

 ちらりと更識楯無に視線を移す。

 向こうまでは少し距離が離れているというのに、こちらの視線に気がついたのか楯無もこちらへと視線を向けてきた。恐ろしいまでの警戒網の広さである。あんな化物を相手にどうこの場を切り抜けろというのか。

 そんな思考を巡らせていると、前方で動きがあった。

 楯無の横についていたフランスとイギリスの代表候補生が空域を離脱したのだ。向かう先は恐らく銀の福音が居る地点だろう。先程漏れた会話から想像するに、撃墜された三人目の男性IS操縦者を救助に向かったのかもしれない。

 

(これで更識楯無が居なくなってくれればよかったんだけどなぁ)

 

 そう都合よく物事は進んでくれない。この場に残ったのが彼である以上、戦闘は避けては通れないと見るべきだ。世界最強とも謳われる人間を相手にどこまで足掻くことができるか。鳳仙はじっくりと周囲を見渡して使えそうなものはないか探す。上空にそんなものあるとは思えないが、それでも一応の可能性は有る。

 そして、見つけた。

 楯無の立つ方向とは反対方向から向かってくる、一機のヘリコプターを。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「……あん? なんだありゃ」

 

 背後から聞こえてくるプロペラ音に振り返ってみれば、数キロ先からこちらに向かってきているらしい一機のヘリコプターが視界に飛び込んできた。これが太平洋上空であれば千冬たちが警戒網を敷いているために侵入を阻むこともできたが、残念ながらこちらの日本海側では様々な事情から海域、空域の封鎖が行えないでいた。それでも民間人が迷い込まないよう細心の注意は払っていたはずなんだが。

 というかだ、明らかにあのヘリはマスコミや民間のものではない。自衛隊のヘリだってせいぜいが270キロ程度しか出せないというのに、今正に迫ってくるヘリはどう見ても400キロを超えている。しかもご丁寧に社名まで記載されている。

 

「HCLIだと……?」

 

 HCLI社。ココ・ヘクマティアルの所属する巨大会社だ。確か実の父が経営しているんだったか。

 それはともかくとしてだ。何でその会社のヘリがこちらに接近してきているのだろうか。まさかあの中からココ・ヘクマティアルが登場するなんてサプライズは御免被りたいものだ。確か彼女はヨーロッパ・アフリカ地域の担当だったはずなので、このアジア地域にまで出張ってくるということは無いんだろうが。

 つらつらと思考を巡らせていると、やがてヘリは俺と鳳仙のすぐ傍にまで接近し、ホバリングで留まった。

 ガラッ、と側面のドアがスライドされる。機内から現れたのは、見たことのない白髪の青年だった。見た目からして俺と年齢はそう離れていないように見える。どことなく顔立ちがココ・ヘクマティアルと似ているのは気のせいなんだろうか。

 スライドさせたドアに手をかけたまま、青年は俺と鳳仙を交互に見てニコリとほほ笑んだ。うすら寒いものを感じさせる、人形のように温度を感じさせない貼り付けられた笑顔だった。

 

「御初にお目にかかるミスター楯無、ミス鳳仙。僕はHCLI社のキャスパー・ヘクマティアルという」

 

 ドアを掴んでいないほうの手でネクタイを正し、キャスパーと名乗った青年は俺たちにそう挨拶をしてきた。

 つうかファミリーネームがヘクマティアルって、やっぱ彼女の家族だったんだな。

 

「ミスターには我が妹もお世話になっていると聞いてるよ。どうだい? これからお茶でも」

「そんな悠長な場面に見えてるのか? お前には」

「おーこわ。妹から聞いてた通りだ。抜身の刀も真っ青な威圧感、こりゃバルメたちが一目置くのも頷けるな」

 

 俺が放った威圧も飄々と受け流し軽口を叩くキャスパー。段々と暗雲が立ち込めてきたような気がしてならない。そもそもこの場にHCLI社が介入してくること自体が異常だ。この件に関して一切の企業には情報開示は行われていない。国家間で迅速に取り決められた軍事協定に抵触するからだ。

 だからこそ俺はまだ雛も同然な生徒たちをも総動員して事態の収束に努めようとしていたのである。

 それを知っているからこそ、俺はこのキャスパーという男が何をしにここまでやってきたのか疑問に思う。

 腑に落ちない点はそこかしこに転がっているが、まず知るべきは彼の目的だ。

 

(HCLI社に情報を横流しした人間がいるってことなのか……?)

 

 そうであれば違反どころではない。情報を流した本人には拘束と数年単位の監視が付くことになっており、さらには国家間の移動も不可能となる。社会的な地位が消滅することは言うまでもないだろう。

 そこまでのリスクがあるというのに、情報を流す人間などいるだろうか。

 

(金に目が眩んだ輩か……)

 

 まあいいさ、全部この場で吐かせてしまえばいいだから。

 そう結論付けた俺だが、意外にも先手を打ってきたのは向こうのほうだった。

 

「ああいや。誤解をされているようなら言っておきます。僕は別に貴方たちの作戦とやらには何の関係もありませんよ」

 

 大げさに手を左右に振って、キャスパーは言う。

 

「本当ならこの海域は僕の担当地域じゃないんですけどね、父に直接頼まれては断れない。東海……ああいやここでは日本海と言うべきかな、ここはうちの重要な拠点の一つでもあるんです。そんな場所でドンパチやれれたらたまったもんじゃないでしょう? だから僕はお二人のいざこざを止めに来たってわけです」

 

 ああでも、僕は拳で語り合うのは苦手ですよ、と。キャスパーは一切の表情を変えることなく言い放った。

 彼の証言は一応の筋が通っている。が、それを出張ってくる理由とするには少し弱い気がする。まだある、俺には言えないような、何かが。

 そんな視線を察したのか、ここにきてキャスパーの目が細められた。値踏みするような視線が俺に向けられる。 

 だがそれも一瞬のこと、すぐに元の表情に戻ったキャスパーはやれやれと息を吐いて、降参だといわんばかりに両手を肘の高さにまで持ち上げた。

 

「ミスターはほんとうに勘が鋭いようだ。僕の言葉の中の嘘にも気が付いているようだし」

 

 俺から視線を逸らさず、彼は真実を語りだす。

 

「正直な話、この場所で問題を起こされると国家間で揉めるんですよ。ただでさえこの海は日本、韓国、朝鮮が所有を主張している場所なんでね。我が社としても大切な商談相手は一人でも多く確保しておきたい。できることなら今すぐにでもお二人にはこの場から離れてもらいたいんです。排他的経済水域なんてものつくってまで領海を主張したいなら、ここは穏便に済ませておくべきだと思いますよミスター?」

「それは俺じゃなくてもっと上の人間に言うべき言葉だな」

「ご尤も。ですがこの場所にはあなた方しかいないのでね。それに頭の固い上層部に言ってすぐに何か変わるとは思えませんし。ほらジャパニーズドラマでも言うでしょう? 『事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだと』」

 

 ニコリと、キャスパーは精巧に作られた人形のような笑みを浮かべる。

 向こうの言分は理解した。だが、それで俺もはいそうですかと引き下がるわけにはいかないのだ。立場上、作戦の遂行には全力を尽くさねばならない。IS学園の教師であると同時に黒執事の操縦者として、ここでみすみす敵を見逃すような真似はしない。

 俺の意思を汲み取ったのか、キャスパーは一度小さく息を吐いた。一般のヘリに比べれば揺れや安定感にかなりの違いはあるとはいえ、それでもドアを開け放ったまま平然と会話を続けるキャスパーは実はかなり身体能力が高かったりするのかもしれない。

 

「困ったな。ここでミスターが退いてくれないとなると、僕の苦手な実力行使に出なくちゃいけなくなる」

「出来ると思ってるのか? 俺を相手に?」

 

 それは出過ぎた発言だ、と言外に示す。傲慢でも強がりでもなく、ことIS戦闘に於いて俺と互角の勝負が出来るのは世界でも両手の指で数えられるほどだと自覚している。それはモンド・グロッソしかり、非公式な試合しかりだ。

 しかしキャスパーは俺の発言に首を横に振る。

 

「まさか。ISなんてものを使っての戦いでミスターに敵う人間なんて僕はおろか知り合いにすらいませんよ」

「なのに実力行使に出ると?」

「ああ、いや。僕ら(・・)が実力行使に出るのはあなたじゃない。ミス鳳仙のほうですよ」

 

 直後。

 キャスパーの乗るヘリコプターから、一人の女性が飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 




 ぶつ切り感が否めませんが次回で臨海学校編は終了です。

・キャスパー・ヘクマティアル
 ココの実兄にしてHCLI社所属の武器商人。妹同様にその道ではかなりやり手のナイスガイ。私は彼の飄々とした態度とかが好きです。彼自身の戦闘能力は原作では未知数(護衛がチートすぎるため)
 ……うん、なんかもうこいつが黒幕でもいいんじゃないかな(小並感)
 

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