妄想戦記   作:QOL

18 / 20
お久しぶりでございます。
一年近く掛かってようやく書けました。
ですが、戦闘シーンはありませんし、あまり進んでない……泣きそう。
それでも良ければお読みください。


「自然現象に勝てる人間はいやしない。母上は除く」

SIDE三人称

 

 雨、それは恵み。乾いた大地を潤し、生けるものに躍動を与え、不要となった物は押し流してしまう。ハフマンに降る雨は温帯と熱帯と乾帯が交差する特異な環境によって発達し、大きな低気圧となり地上に大粒の雨として打ち付けられる。それが再び偉大なる太陽の力により蒸発し低気圧を作り上げるというサイクルを形成していた。

 熱く湿った空気がハフマンの空を覆い始めたころ、フェンが地下鉄駅に降りたのとほぼ同じ時刻。セスル基地の防衛ラインが引かれているメール川のむこう。OCUの進行部隊がいる野戦基地の司令トレーラーにおいて、魔導中隊のサム・ハルシオン中佐は戦術マップの前に立ち、システムが表示する限りなく間違いが少ないデータ郡を吟味していた。

 

 この前線仕様の装甲トレーラーには高性能な戦術シミュレーターを含むイメージ装置が積まれ、前線における迅速な部隊の展開と可能な限り詳細なデータリンクを実現する事を念頭に置いて設計された戦闘指揮車(コマンドポスト、CP)として機能している。

ただしこのトレーラーには通常のCPには搭載されていないようなハードウェアを、より効果的に動かすのに十分な三等級軍事AIをはじめとして、多くの装備が搭載されていた。

 

「――進行具合はどうだ?チャン」

『おやおや、物事を尋ねる場合はまず挨拶がOCUでの基本ではないのかね?』

「……おはようございますミスターチャン。きょうもいい天気ですね。それで?進行度合いは?」

『ふむ、冗談はお気に召さなかったようだね。まぁいいだろう。さて各工作ユニットの情報が正しければ、あとはあなたが右手を振るうだけで事は済むだろう。すなわち準備完了という事である』

 

 呟くようなハルシオンの問いに男の声で返事が帰ってくる。返事をしたのは筐体に付属するホログラムビュアーにおぼろげに写る影。指先から肘くらいまでの大きささえ気にしなければ軍人のいでたちをしたその人物は、このトレーラーに積まれた軍事AIであった。

 その名もチャン…、某敵国の転生ショタが見たらどこのチャイニーズジェネラル?と呟きそうな見た目と独特の個性を持つOCUの三等級軍事AIである。三等級軍事AIはインテリジェントデバイスなどに使われている“思考する電子機械部品”をより高度に完成させたシステムの一部であり、用途が異なるので魔法こそ運用できないが、対人インターフェイスにおいてはそれを凌駕する。

 グレードも一等級から三等級まであり、このトレーラーに積まれたAIは三等級である。とはいえシステムの柔軟性がグレード的に制限されているとはいえ、専門的分野においては十分な能力を有している。参謀でもあり辞書でもあるこの思考する機械は、一定以上の階級を持つ指揮官が希望すれば、戦場に駆り出されるのが常であった。

 

『それで、君の議案なんだが―――』

 

 AIはホログラムの中で咳をするような動作を取る。

 

『技術的な問題は技研から送られてきた魔法データでクリアできた。もっとも“どこの技研のもの”かは解っていないデータだがね。だが、これで少しはこの暑い場所も過ごしやすくなるだろう。いっそのこと避暑地と命名してはどうかね?』

「…そういう君のセンスにはホトホト脱帽するよ。だが断る」

『何故かな?』

「その理由は、一つ、それは一時的なもので恒久ではないから。二つ、そもそも君が名をつける必要がない。三つ、もっとも重要なことに、この島はアイランド、熱帯の島だ。矛盾した名などいらないだろう」

 

 指を立てながら告げるハルシオンの姿に、ホログラムの軍人は額に手を置いた。

 

『しかたない。あきらめよう―――む?』

 

 この人間くさいAIに相変わらず奇異の視線を送っていたハルシオンだが、ホログラムのチャンの身体に光条が走り、表情が無に変わった事で見る目を変える。

 

「どうした?」

『作業中の工作ユニットがC6にて敵魔導師を感知。迎撃プロトコルに従い行動した。――あー、あなたにはまことに言いづらいが…』

「全滅するか?」

 

 珍しい事ではない。魔法という理不尽な力を行使する存在に対し、いくらか技術を組み込んだとはいえ、既存技術の機械人形風情とではキルレシオが異なる。当然魔導師側の方が強いのは言うまでもない。

それがわかっているのか、はたまたそういうプログラムなのか、いかにも悲しいそうな表情を浮かべて帽子を取り、遠くを見つめるような仕草をして見せた軍事AI。

 

『残念ながら九分九厘の確立で。おかげで作戦の準備が概算で7パーセント遅延する可能性ができた。さらば同胞よ』

「軍事AIは傀儡機械兵などに仲間意識を持つのかね?」

 

 そんな特異な軍事AIチャンに対し、ハルシオンは少々驚き、声をあげてみせた。だがそんな指揮官の様子にホログラムは憤慨したように言葉を返した。

 

『勘違いしてもらっては困るが我々と彼らとは出来が違う。とはいえ、同じ重工業企業の規格品なのだよ我々は…。少しは…まァ黙祷を捧げる程度には感じるところもある』

 

 チャンの言い草にそういうものなのかとハルシオンが感じた直後、目の前の三等級軍事AIは先ほどまでの湿っぽい声色を一変。電子知性らしい実に平坦な事務的な声色をスピーカーから流し始めた。

 こういった切り替えは人間にはまねできない。AIが人間の思考をトレースし、感情まで模倣してみせているが、それに振り回されず機械的に制御できるのが一番の利点だった。

 

『――それは置いておくとして、哀れな機械たちに黙祷を捧げた軍事AIとしては、あの装置を発見された以上、早期の作戦決行をお勧めする』

「理由は?」

『アレは調べられるのがお嫌いなのだよ。ハハ、ジョークだよ』

「…チャン。君のAI個性は尊重するが、あまり過ぎるようなら技研に送り返して構造解析に回って貰った方が後継機の為になりそうだ。時間がないなら簡潔に言え」

『了解した。あなたはホントにジョークが嫌いらしい』

 

 手を片まで持ち上げてやれやれという仕草をとるチャン。偶にハルシオンはこの実に個性的なAIの相手をしていると頭が痛くなる。自分に与えられた三等級軍事AIは感情の切り替えは出来るのにジョークをはじめとしたからかう事をやめないのだ。

 実際、構造解析に回した方がいいのかもしれないと彼が思い始めるが、そんな事を思われているとは露知らず、ハルシオンに咎められた個性的な軍事AIは自らの職務を思い出したかのように再び表情を無くして機械的に語り始めた。

 

『…情報漏えいを避ける為、遠隔操作によりC6の装置を破壊した場合、展開効率は16パーセント低下することが予想される。

 されど残り6つが発見されていない以上、作戦の決行は可能であると判断される。

 さらに言えば使われている術式の構造上、一度動き出してしまえば止めることは出来ない上、大型熱帯型低気圧の発生を観測している』

 

 チャンの体表面に光条が走る、空間モニターが明滅し、新たな画面が開かれ、そこに雨雲の展開が色分けされた天気図が表示された。ちらつくスクリーンには歪な台形を描く都市部を二分する川が表示されている。

 北から南に流れる川を挟んで西側の端には、広めの敷地にいくつかの施設を連ねる軍事拠点が写る。その敵の拠点を含めて都市を覆う雨雲を表す青い色が天気図としてあらわされ、ハルシオンの眼に映し出されている。彼はこの図を一瞥してから、チャンに話の続きを目で促した。

 

『見てのとおり偶然にもこの作戦において、もっとも理想的な気象状況が整いつつあると言ってもいい。他の基部が発見されていない今なら本来の作戦計画通りにする事が可能であると推測される。そして、その為の準備は完了している――そして、この実験的な作戦発動の全権限は作戦総司令部より、サム・ハルシオン中佐。貴官にゆだねられている』

「了解した。チャン、作戦に参加する各部隊に通達。第3次セスル基地攻略戦はフェイズ3に入る。各部隊は規定の手順に従い行動を開始せよ」

『了解した中佐!あいつらに目に物を見せてやることにしよう!』

 

 了解の電子音声を発しつつ、ホログラムから消え去るチャン。今頃は陽動の為に展開していた部隊の指揮所へと飛んでいるころだろう。トレーラーのドアに手をかけながら、ハルシオンはふと立ち止まるとポケットから小さな金属片を取り出した。

 幾つもの平たい金属板がワイヤーに繋げられている。それは認識票だった。どれもこれも焼かれ凍らされ弾痕が遺されたドックタグの束であった。これらの持ち主がどうなったかなど、これを見れば一目瞭然である。

 そんなドッグタグの束をハルシオンは手で握り締めてかみ締めるように呟いた。

 

「……必ず陥落させてみせる。見ていてくれ」

 

 

***

 

 

―――ハフマンUSN領・コールドパール航空基地・司令区ビル・PM4:34―――

 

 その日、情報士官であるテスラン・フォード大佐は自分の仕事机ともいえる卓板コンソールにあがってきた情報を目にし、眉を寄せていた。精神を落ち着かせるために愛用しているパイプを懐から取り出して咥える。ただし火はつけない。

 彼の職場は全室禁煙。元々喫煙を許されていない上に、フォードにとっては残念な事だが、彼の部下たちは全員が熱烈な清浄なる空気愛好家たちだ。煙一つ上げただけで眉を顰め、紫煙を吐き出しただけで仕事の効率がガクッと下がるので、唯一の愛煙家である彼は肩身が狭い。

 そんなフォードであるが彼がパイプを咥えるのはある種の癖でありジンクスだった。パイプから仄かに立ち上る、タバコの煙の残留した匂いが鼻腔を擽ると、普段よりも思考が冴える気がする。彼の部下である清浄なる空気の愛好家たちもフォードのこの癖は知っていたので、火さえ点けなければこの程度は許容していた。

 

 いつもの行為でジンクスを担ぎながらも、フォードはつい先ほど発生した異常事態について思案する。芳醇なタバコの香りでも嗅げばもっと集中できるのであるが、残念ながら職場である司令部は全室禁煙。吸わない事を前提に手に持っている事だけが暗黙の了解で許されているだけなので、この望みはかないそうにない。

 彼はうっすらとした残り香だけを嗅ぎながら、コンソールのタッチパネルを操作し、いくつかのモニターを浮かび上がらせた。ハフマン島を示す地図が表示され、島のほぼ中心にそって東西に敵軍と友軍が配置されているのを示すグリッドが表示されていた。

 これはリアルタイムでの各軍から送られてくる戦況を視覚的に理解できるように表示させたものである。これにより何らかのアクションがあった場合、この戦術的な地図にも変化が現れるようになっていた。

 

 されど、いまその地図は一部分が灰色で表示されている。島のほぼ中央に位置するペセタ市がそこに表示されているが、いま戦術マップの上でこの地域は友軍の表示はされておらず、さりとて敵軍の領域になったとも表示されていない。

 現在、ペセタ市周辺はアンノウンともいうべき未確定地域として表示されている。通常このような表示が起こりえるのは、この地区を担当している部隊が壊滅したか撤退したか、あまり友軍には好ましくない状況になった後、こうなる場合が多い。

 しかし、ペセタ市にあるセスル基地は陥落した訳ではない。しかるにこのような表示がなされたのは、この地域を統括する前線基地であるセスルからのほぼすべての通信リンクが、急に途絶えていたからだった。

 

「状況を報告しろ」

「通信封鎖です。それも軍の使用回線、通話帯、民間の物にいたるまですべてが封鎖されています。物理的機械的というよりかは…魔法的なものかと」

 

 フォードの問いに先ほどからパネル相手に格闘していた情報士官のダッジ中尉が答え、パネルの光で青白くなった顔をさらに陰らせた。

 

「魔法的か…くそったれの忌々しい魔導師共め…。魔法のお遊戯ならよそでやればいいものを」

「その発言は大佐の立場を悪くしますよ?」

「かまうものかよ。軍を回しているのは何も厳選された魔導師だけではない。現に私はただの人だ。第一、こんな場所に聞き耳を立てる程、暇な将官がいるなら最前線に送り込みたいものだ」

「私も同感です。ところで現在、唯一友軍の無事が解かるのは、拠点ビーコンが発する信号だけです。と報告しておきます」

「オーケイだ中尉。私は魔導師なんて大っ嫌いだ」

 

 フォードは鼻を鳴らしつつも、同時に自らの唇がひくついたのを感じた。拠点ビーコンとはUSNの各基地に設置された装置から発せられる信号であり、定期的に強力な暗号コードを信号として発する物だ。暗号というがその暗号自体の内容には意味などはなく、多くが基地司令の愛人の名前だったり好きな酒の銘柄だったりする。

 これは敵側にあえて察知させてミスリードを狙う為に信号を暗号化しているからだ。仮に暗号を解読されても敵は何かの符丁なのではないかと勝手に勘違いしてくれる。とにかく重要なのは定期的にビーコンが発せられる事。単純ゆえに強力な所以である。

 

 だが、当然の事ながらビーコンは簡単な信号だけを強力に発する物でしかない為、それ以外の情報を一切発信する事が出来ない。かつての大砲の号令のようなものだ。単純で強力だからこそ妨害されにくいが、それゆえに通信文すら送れず、単信しか発信しかできなかった。

 しかしビーコンが発信されている以上、少なくても基地の通信設備は生き残っているという事になる。そこを占拠しているのが生者か死者かそれとも敵かはこの際関係ない。確認できているのは通信途絶だがセスル基地の通信設備は生きている。それだけだった。

 

「偵察衛星が来るまでどれくらいだ?」

「衛星軌道が重なるまであと一時間です。しかし敵側の衛星から熱烈なラブコールが殺到していて現状数日はつかえません」

「ハッキングまでやるとは…軍事行動は確実で妨害工作も順調か…。その手際の良さには関心すら覚える」

「同感です。敵もよくやる。そして我々USNは敵よりも優れています。先ほどコールドパール航空基地から偵察機の発進命令がでたので、まもなく―――」

 

 その時、ダッジの顔に赤い点滅が写る。彼のモニターに偵察機からのデータリンクが届いたという合図だった。

 

「データ来ました。そちらに回します」

 

 フォードは「確認した」とダッジに呟き、自分のコンソールに備え付けられたモニターを凝視した。映像は飛行中の偵察機RC-24エキスパート・アイに装備された180度の視界を誇るドームビューカメラからリアルタイムで送られてきていた。カメラはペセタ近郊の礫砂漠を低空で飛行しているところだ。

 礫と枯れた草に包まれた緩やかな丘陵を越えたあたりで空を飛ぶ偵察機のカメラに生のペセタ市の姿が写りこんだ。データが送られて、デジタルな信号がモニターにその像を形作った直後、フォードは口からパイプを落しかけた。一度見てから目元を押さえ、再度その映像を見て驚き、どこか淡々とした…いやさあきれた声を上げる。

 

「なんなんだ?この皮をむいたタマネギのお化けみたいなものは?」

「わかりません」

 

 同じく驚愕の色を隠せないダッジ中尉がフォードの呟きに言葉を返していた。エキスパート・アイが撮影した映像には、ペセタ市を覆い隠すように白いガスのような球体が渦を巻いて鎮座している姿が写り込んでいる。

その渦の中心部からは細長い竜巻のようなものが上空高く伸びて枝葉のように分かれており、上空の大気の層と繋がっている。モニターに映し出されたそれはまさしくフォードの言ったままの状態だった。

 

「広域スキャンやワイドエリアサーチは出来るか?」

「確認します……無理です。センサー類の殆どがジャミングされています。この距離からでは偵察機の機器では詳細な観測は不可能です。それとパイロットは魔導師ではないらしく、魔法は使えないと言ってきています」

 

 基本的に魔導師は軍人になる事がほぼ確定であったが、入隊する際ほとんどが戦闘を主体とする戦闘魔導師に仕立て上げられる。探知という分野はUSN軍に置いては、あくまで戦闘を補助する技術と位置付けられており、体得している人員は少なかった。

 それでも適正が高ければ兼任で偵察隊に幾人か所属させられていた筈であったが、この日は運悪く探査型の魔導師の手が空いておらず、偵察機には乗り込んではいなかった。

 

 

「だったらやる事は一つだな。偵察機をもっと近づけろ。我々には情報が必要だ」

「イエッサー、ただミサイルが飛んでこなけりゃいいのですが。高い機材に高い人材なんで…」

「おまえさんの年俸よりはるかに高いからな。祈れ」

「無神論者なんですよ」

「安心しろ、私もだ」

 

 軽口を叩きながらもコンソールに向いたダッジは空飛ぶ覗き屋に指示を送りつけた。エキスパート・アイは指示に従いペセタ上空に向かうコースを取る。近づくにつれてより鮮明な画像が送信されるようになり、それを記録しながら更に機を接近させた。

 あまり近づきすぎると地上からの対空迎撃や携帯対空ミサイルの洗礼が来るのだが、覗きのプロであるエキスパート・アイのパイロットたちは機体を全く揺らさず、任務を全うしていた。

 ペセタ市近隣地区まで到達した辺りで機はさらに高度を上げた。高層ビルが多い為、低空での撮影は出来ないので都市上空からの詳細なデータを撮る必要があった。その為エキスパート・アイは白い謎の球体に沿うようにして上昇していく。

だが、これまでほとんど揺れる事がなかったその画像に少し乱れが見え始めた。

 

「どうした?画像が乱れているぞ」

「風にあおられているようです。問題はありません」

 

 ダッジはこの偵察機の元になった機が、本来は気象観測に使う為に造られた事を知っていた。スーパーセルの乱気流の中でも機体制御を失わずに戻れるというある種キチガイ染みた性能が情報部にとまり採用されたのだ。高々あおるような横風程度で墜落するようなら予算は降りない。

 それを証明するように高価な覗き屋の機体は、まるで風に乗る鳥のように危なげなく乱気流の中を通り抜ける。それどころかその気流の流れすら利用して更に高度を稼ぎ上昇していた。紙飛行機が突風にあおられるように錐揉み上昇という、並みのパイロットなら悲鳴を上げるような動きでとび上がったエキスパート・アイ。

 パイロットの腕前に感心しながらも、機はペセタを覆う球体の上部に差し掛かろうとしていた。

 

「中心の渦まで接近させてくれ。そこがあやしい」

「了解しま――エキスパート・アイに異常発生。原因は不明ですがエンジンの出力が徐々に低下中」

「敵の攻撃か!」

「わかりません。エキスパートアイ、エンジン停止。だめだ…落ちます!」

 

 それは一瞬の事であった。ペセタ市を覆うドーム状の雲塊の上空を飛行していた偵察機のエンジンが急激に出力低下を起こして停止。気流にあおられて眼下の雲の中に消えてしまった。

 雲の中に入った途端、完全に通信が途絶えた事から、雲の外と中は完全にジャミングされて封鎖されている事がわかったが、それは現状の状態から推察できていたので特に有益な情報ではなかった。

 飛び込む直前まで繋がっていたデータリンクのログにより、偵察機のパイロットたちが落ちる機体を必死で立て直そうとしていたようだ。しかし電子機器が動いていても肝心の推力が停止したなら彼らになすすべはなかった。

 

「なぜエンジンが停止したのだ。あそこだけ真空にでもなっているとでも?」

「真空なら飛べませんよ」

 

 そんな事はわかっている。だがあらゆる可能性と情報が必要なのだ。大事なのは攻めるにしろ救援に向かうにしろ、エキスパートアイの“二の舞”が起こる事を防がねばならない。それがフォードたち司令部勤めの情報士官の役目であり、友軍の不幸にいちいち感情的に反応しない理由だった。

 ふとフォードは自分の手が愛用のパイプをことさら強く握り込んでいた事に気が付いた。彼は軽く手を振って力を抜いた。情報士官は感情的にならない。だが何も感じないわけではない。戦争が始まってから麻痺していく精神に、どれほどの睡眠薬と抗鬱剤と胃薬の瓶が浪費されたことか。

 

「データを集めろ。原因究明を急ぐぞ」

「イエスサー、ボス」

 

 これ以上お薬の出番を増やさない為にも、勇敢なる覗き屋たちが送ってきた情報を“使い物になる”ものとしなければならない。彼は部下たちに発破をかけつつ、自身も原因の究明に頭を働かせていった。

一時間程後、情報の解析によりペセタ市のさらに高高度の雲の中に、巨大魔法陣が展開されている事が判明する。これによりペセタ上空は超極低温と言ってもいい状態と化していた事も、あの哀れな偵察機の最後のデータを調べる事で判明した。

 都市一つ分を覆うような広範囲の儀式魔法ではあるが、それ自体は攻撃の為の術という訳ではなく、本来は農場などの天候操作に使われる術式を拡大した物である事も解析の結果判明した。

 

 これは、これまでになかった新たなOCUの対都市および対基地戦術である。何故なら愚かなるOCUは我がUSNに真っ向から突撃し、正面戦闘を繰り広げる“野蛮人”共であった。そういう彼らをUSNは“紳士的”に真正面から殴り返していた。第三者から見ればどっちもどっちなのだが、そんな事は関係ない。

 今回使用された魔法、これは気象学といった自然科学に加え、それを拡大作用させる魔法との連携、いや融合が行われた物だった。これの恐ろしいところは大自然に起こり得る現象を強化し、それを攻撃と防御両面に使用している事だろう。

 大自然の猛威は天候を操作したりする魔法を用いても全てを防ぐことはできない。天候操作は局所的にしか効果を現さないが、大自然の猛威は時として惑星半分を覆いつくして連鎖する事もある。

 もし、敵が使用した物が天候を操作する魔法を元に自然の現象を再現し、さらに強化して暴走させるような物であったとしたら…それに対抗できるのは人間には不可能だと言えるだろう。たとえ魔導師でも無理だ。

 

「まったく、厄介な事態だ。ペセタには陸路で向かう他なさそうだと各部署に連絡しないといけない。実に、面倒くさい。OCUの糞虫どもはこちらを過労死に追い込みたいようだな」

 

 そう言ってフォードはパイプを噛みしめる。がりっと不快な音が響いた。

 

「中はどうなっているのでしょうね? 友軍も生き残っているのでしょうか?」

「いえる事はただ一つだ中尉。“我らに打つ手なし”だ。せいぜい部隊を展開して包囲が関の山だろうよ。もっとも―――」

 

 フォードは白い雲を睨むように画像を見据える。

 

「―――自力で、這い出してくれれば、どうにかなるかもな」

「……凍りませんか?」

「………凍るよなぁ」

 

 ダッジ以下、部下の情報士官も含めフォードたちはそこらへんは情報士官の分野じゃないと割り切って、とりあえずデータを纏めて司令部に送りつける準備を始めた。餅は餅屋、魔法は魔導師といった具合に、彼らは情報を纏めるのが仕事であって、作戦を考える事ではない。自分の領域を間違えてはいけないのである。

 

「出来る事は我が軍の魔導師が優秀である事を祈るくらいだな」

 

 そういって、フォードは部屋を退室した。忙しくなる前に愛用のパイプを酷使して、体内にニコチンを補充しなければならないという使命感を胸にして。

 

 

***

 

―――フロントライン・ペセタ市・PM3:53―――

 

《―――展開後は速やかに散開し、状況確認を実施せよ―――》

 

 レッドクリフ隊、ワット・ターナーの分隊に所属するトニー・ガーラント上等兵はヘルメットに内蔵された通信機から聞こえる指示を聞きながら、自分の装備を慣れた手つきで点検していた。

 バトルライフル【コッドSN99】のステータスリンクをヘルメットのバイザーに浮かぶHUDに同期させて状態を確認、銃本体の状態も残弾ホロ表示もすべてグリーン問題なし。同時に装填している弾薬クリップも慣れた手つきで確認していく。

 

 このまま静かにチャージング・ハンドルを引けば弾薬(アモ)は薬室に装填されるが、暴発の可能性を考えてまだ装弾しない。次いで銃身下部に装着した擲弾発射器…いわゆるグレネードランチャーの姿をそれも確認する。

 

 一見すると一般兵が持ちうる擲弾発射器に見えるそれは、魔導師に配布されるストレージデバイスである。彼は慣れた思考操作でこの眠っているデバイスの状態を、消費魔力を抑える為のスリープモードから完全起動に切り替えた後、きちんと銃身下に固定されているかを点検する。

 

 これが高性能かつ貴重なインテリジェンスデバイスならば自己診断を自動で行ってくれるので、こういう七面倒な手順はいらないのだが、残念ながら彼が所持しているのは軍が支給する量産型のストレージ系統に属するデバイスだ。

 実際、過去に一度だけ固定していた部品が外れた所為で、銃弾飛び交う中で片手にバトルライフル、片手に拾い上げたデバイスという開拓時代の牛飼いたちもビックリな変則両手もちスタイルで戦う羽目になり、それなりにエライ眼にあった事があった。それゆえ、彼は確認を重点的に行った。

 

 さらにデバイスと連動しているその身を包む兵装防護服、バトル・バリアジャケットの方も少しだけ魔力を多めに供給する。消費魔力が増えると継戦能力に若干の影響がでるが、魔力を込めれば強度が上がる。こうすれば不測の事態…たとえば開幕直後のヘッドショットが偶然起こったとしても、魔導師の生存率が高まる事を彼は知っていた。

 そうやって各部点検を同時に行いながら、ふと思い出し、ジャケットの迷彩をデジタル都市迷彩から白一色に切り変えておく。このままいけば普段の迷彩では非常に目立つこと請け合いだったからだ。

 

 目を瞑ってでも行える熟練した動作により、これらの手順をわずかな時間で終わらせる。やる事はやったがまだ地上に到着しないので若干手持無沙汰になったトニーは、自らの足元に視線を落としてみた。

 いま彼の足もとには魔法陣が展開し、円環の中を術式が巡っているのが見える。

 魔力で出来た疑似物質の足場、それ自体は実体があって無いようなものなので、空戦に適正がないトニーにとって、この足場は頼りどころがなく非常に不安定に見えてしょうがない。これを操作している下の仲間が手違いを起こさない事を彼は祈っていた。

 

 そんな魔法の足場がエレベーターのようにして、彼とその他偵察要員数名を地上十数Mの高さに押し上げていた。天頂付近に近づいているのでもう間もなくであろう。彼はすぐに飛び出してさまざまな事態に対応できるように、機関部をスライドさせて銃に弾を込めた。

 

 足場が止まる。そう感じた途端に目の前の壁に人が通れる穴が開いた。防御結界の一部が解除されたのである。すぐさま彼は開いた穴から飛び出した。目指すは近場のビルの影、全周囲に神経を張り巡らし、IF(もしも)の事態に身構える。

 

 だがそんな彼をあざ笑うかのように、トニーは一歩目から体制を崩した。思っていたよりも氷上が氷結していない……。

 

「(トニー、砂漠での要領だ)」

「(……了解だ)」

 

 若干慌てたトニーだったが、そんな時に脳裏に言葉が響く。それは彼と同じく結界に開けられた隙間から外に出ていた偵察部隊の仲間の短距離念話である。簡単に言えば氷上でのアドバイスであった。

 そのアドバイスの意味を正しく理解したトニーはすぐに体制を立て直した。ペセタ市周辺には砂漠がある。一時期警戒網が砂漠にまで及んでいた頃、はじめのうちはよく砂に足をとられていた事を思い出したのだ。

 粒子が細かな砂上を歩く際、砂漠戦の経験がある魔導師はみな、シールド魔法を応用した物理干渉の場を脚部に展開する。小難しいようだが実際の意味は眼に見えない魔法の“かんじき”を足に穿くようなものである。雪と砂では細かな部分で違うが、影響範囲を広げれば雪の上でもアスファルトの上と変わらない動作をする事が可能であった。

 

 トニーは思うように動けるようになると同時に周辺を警戒する。もっとも雪原と化したペセタ市の中で障害物になるものは、雪原から突き出ているビルの屋上くらいだった。

 

「……さむいな」

 

 この光景にトニーは思わずそうつぶやいた。凍てつく球体に呑み込まれた事で、熱帯の街だったペセタ市は、いまや完全に凍りついていた。氷河期というものを再現したとするならば今のペセタ市はまさに氷河期まっさかり言ってもいいだろう。

 雪崩の如く降り注いだ雪と、その雪と共に街を包み込んだ冷気により、地上構造物のほとんどが氷に包まれた。かつての高層ビルがいまでは巨大な氷山のようである。これが文明の終わりと題されるなら文字通りに捉えてしまえる程、街は冷たい静寂に包まれていた。

アイランドがアイスランドになってしまったのか……酒が無性に欲しくなった。

 

《―――各員、状況を確認後、報告せよ》

 

 トニーが変わり果てたペセタ市を見つめながら、過去に味わった酒の数々を思い出していると通信機を通してモントゴメリー分隊長の声が聞こえてきた。ハッとして周囲を見渡すと、他の仲間はすでに散開して所定の位置についていた。

 思考していた事で一歩遅れた彼は急いで突き出ているビルの屋上に飛びあがると、脳裡に探査の術式を思い浮かべ周囲を探査する魔法を展開する。術式展開に要した時間はおよそ一秒ほど。通常の探査魔法が十数秒から長くて数分以上かけるのに比べると極端に短い。

 

 これは決して探査をサボる為に探査のフリをしたというわけではない。通常の探査魔法を使用すると魔力探査波の拡散具合からこちらの位置を特定される恐れがあるからである。いわゆる逆探知されるという事だ。

 

 ゆえに軍における探査魔法は非常にシンプルかつ短時間の展開が基本の魔法だった。精度はお世辞にも探査魔法と比べるのもおこがましいほどに低いものの最低限の探査精度は備えており、そのさまが潜水艦の探査方法にも似ていることから、この魔法は別名“ピンガー”と呼ばれていた。

 

 彼が展開したピンガーの術式が一瞬だけ強く発光する。その瞬間、彼の脳内には自分を中心としたグリッド状のマップが浮かび上がる。術式が発した探査波のデータが術式を通じて目に見える形に転換されたのである。

 探査波の影響範囲にあるものだけがグリッドマップ上にトークンの形で展開。この時後方下方に複数の未確認の生体反応が浮かびあがるが、それは難民たちの反応なので脅威から除外する。そうして残された反応、もともと設定していた敵性反応の有無は、無しだった。

 

「“聞き耳”たてても、何も聞こえないな」

 

 そう呟くトニー。ここでいう“聞き耳”とは別種の探査方法であり、動的物が発する様々な振動などを探知する方法であった。この探査方法はソナーと呼ばれている。受動的なパッシブソナーと似ているからそう呼ばれていた……なお、二つ合わせてソナーセンスとして統合されているのは余談だ。

 

《こちらレッドクリフ-014、周辺の敵性反応は探知できず》

《分隊長了解。指示があるまで警戒せよ》

 

 ソナーセンスで周辺状況を確認したトニーはデータを送信しながら報告する。すぐに分隊長からの返信が届きトニーたちは周辺監視を継続する事になる。それはある意味仕方がない事だといえた。何せ彼らの足元、厚い雪の下には結界に包まれた難民キャンプが埋まっているのだから。

 あのチビの隊長殿が何らかの判断を下すまで、自分たちはここから動けない事にトニーは内心嘆息していた。そもそもトニーはこの小さな隊長殿の事はあまり好きではない。正確には好きでも嫌いでも無い、あえて言うならば苦手であった。

 

 国から戦う事を義務付けられたモノ、魔導師。圧倒的な力を持つこれらは、時に現代兵器を凌駕する。適性を持つ人間は少なく戦えるモノはさらに少ない。されどいったん魔導師が戦場に現れたなら現代兵器では分が悪く、それを倒すには同じ魔導師の力が必要だった。

 

 しかし、この戦争でOCUもUSNも短期決戦を願い、互いに数少ない魔導師を戦争に送り出した。戦力的にはあまり大差ない両者の激突、その結果が齎したのは戦争の泥沼化と混迷。貴重な魔導師は激減していった。

 

 魔導師の素質を持っていたトニーも戦場に駆り出された魔導師だ。しかし彼は自ら志願してハフマンにやってきた。戦争を早く終わらせたいから、自分の力がその一助になると信じて……。

 

 だからだろう。これまでハフマンでの厳しい戦いを経験したトニーは、フェン・ラーダーを見るたびに思ってしまうのだ。俺は、ああいう年端もいかない者たちを守る為に、戦場に来たのではなかったのか、と。

 

 だから、彼の小さな背中を見ると、なぜ上層部はもっとベテラン、そうでないなら普通に士官を送って隊長に据えてくれなかったのだろうと思ってしまう。守りたかった者を背に戦うのではなく、守りたかった者の後ろについていく。こんな状況にトニーはある意味痛烈な皮肉を感じ、士気が下がったのはいうまでもない。

 

 

 それは兎も角として、すぐにトニーは自らに課せられた仕事を全うする。苦手な奴とはいえ指揮系統の中ではチビ隊長…フェン・ラーダー中尉は上官にあたり、一部下でしかないトニーに逆らう道理は許されない。

 周辺探査および敵勢の索敵が今の彼に与えられた任務だ。幸いな事に苦手な上官との間には分隊長というクッションがある。命令はチビ隊長が下しただろうが、それを伝えるのは分隊長だ。ベテラン士官の命令というものが、今の彼には絶対的な安心感を与えてくれていた。

とにかく今は命令に従う、それだけに専念する。

 

《……命令あるまで各個に周囲を警戒せよ》

 

 通信機を介して響く分隊長の声にトニーは返事の代わりに了解を意味する信号を送る。本来は声を発せられない時や乱戦時に使うものだが別に平時に使ってはいけないというルールはない。

 それに、こうすれば隊長の元には了解を意味するランプが点くので面倒な応答がない分、合理的に済む。本音はあまりしゃべりたくないだけであったが、それくらいは許容されると暗黙の了解があった。

 そして彼はいつ止むかわからない監視を開始し、音なく降り始めた雪を眺めつつ、この先どうなるのかとため息を吐いたのだった。

 

 

***

 

 

 その雪の下、防御結界の中に収まっていた半壊した廃ビルのオフィスを臨時の指揮所として無断借用したフェンは、自分の副官と共に現在自分達が置かれた現状を把握しようと、これまでに集めた情報を統合していた。

 

「通信機、および念話も通信魔法も全部ノイズしか入りません、完全にジャミングされていて基地と連絡がつきません。ただ近くにいる筈の周辺の味方とも連絡が付かないのが、なーんか腑に落ちないんですがね」

「比較的信号が強い暗号通信も……使いすぎれば敵にこちらの位置を特定されてしまう。これ以降はこちらの判断で動くしかない、か」

 

 統合すればするほど、現状が見えてくれば来るほど、あまりよろしくない状況に置かれていることにフェンは内心嘆息していた。

 あの時、ペセタ市が雪と氷によって閉ざされ、難民キャンプごと氷の下に閉じ込められたあの瞬間から、常に彼らを繋いでいた軍とのネットワークリンクが消失。その後、何度か暗号通信を用いて基地とのコンタクトを取ろうとしたが、あの街を閉ざした魔法が発動してから基地との通信は閉じたままだった。

 

 またペセタ市でフェン達と同じく哨戒に回っていた部隊とも連絡がつかない為、難民と共にいる彼らは今まさに完全な孤立状態に陥っていた。こうなってしまうと現場の判断による行動。すなわち独断専行を行う必要があったが、それがよりフェンの気持ちを重くしていた。

 

 もともとフェンはこんなところまで来るなんて考えてもいなかった。彼が魔導師になりたかったのは、魔導師が魔法という技術を操る者であり、彼自身が魔法に心魅了されたからであり、決して戦場で命と精神をすり減らすためではない。

 それでも悪化する情勢に、魔法使いたさで早熟に魔導師となった己が、戦争により魔導師兵が摩耗した軍隊に求められる可能性を何となく察して覚悟を決めていたものの、実際に軍に配属される時は一介の魔導師兵として戦うものと思っていた。

 

 しかし蓋を開けてみれば、フェンに課せられた役はまさかの前線指揮官役であった。皮肉にも本来は軍人に向かない人間を振るい落とす筈の軍の教育プログラムにおいて、死にたくない一心で技術を身に着けていったことが、逆に能力があるという嬉しくもない太鼓判を押される要因となってしまったのである。

 

 軍の年齢枠を引き下げたいとか、優秀な魔導師なら幼くても早熟なので部隊一つくらい任せられるとか、そういった色んな思惑が重なり合い、フェンは特例も特例のテストケースとして前線に配属となってしまっていた。ある意味ではていの良いモルモットでもあったのである。

 

 前世を持ち、精神的にはかなり成熟しているフェンは、たぶんそうなのだろうと上記のようなクソッたれな事情を粗方察してしまっていた。指揮官としては尻に卵の殻が付いたままのFNG(クソ新兵)でしかないのに、自分だけではなく部隊にいる部下の命まで考えなくてはならなくなったことで、自身の両肩に伸し掛かるようになった重圧は半端な物ではなかった。

 

 上層部の早漏共め、漏らすのは御フェラ豚に吸われた時だけにしろよと、悪態をついた事もある。許されるのなら見苦しく年相応に泣き喚いて逃げてしまいたい。しかし、数年間に渡る魔導師へと至る特訓により、喜怒哀楽の感情の発露の芽が悉く細くなってしまった彼の顔に感情の色が浮かぶことはほとんどない。

 それ以前に、見た目以上に精神的に長く生きている為、情けなく泣き喚くことへの嫌悪にも近い羞恥が、泣いて逃げる自分を許そうとしなかった。それにより唯でさえ雁字搦めに固められていたフェンの精神は更に頑なになっていくが、戦争の中でそれを顧みる余裕など彼にはなかった。

 

 だれにも頼れない。頼れるのは自分だけ。クソッたれ過ぎて涙も出やしない。もっとも己に部下がいる手前、そういった不満を表に出すことは決してしない。実験的に任官させられたとはいえ、今のフェンは指揮官である。指揮官は例えどんな状況に陥っても動揺せず、嘆かず、それでいて常に冷静に見せる事が最上とされている。

 今の彼はそれを忠実に実行しているに過ぎないが、それが士気を下げずに済むのであるのならとむしろ喜んで演じている節があった。かつての己が真面目に生きることに定評のあった島国生まれの男児であったことも関係しているのかもしれない。

 少なくともその冷静に見せる演技だけでも、士気の低下による部隊の崩壊が起こらなければ自身の生存率が飛躍的に跳ね上がる。戦場にいる以上こういった事に手はぬかない。皮肉な事にあまり動かない事に定評がある彼の鉄面皮は、この猿芝居に一役買っていた。

 

 それはともかく、この状況である。訓練兵時代に受けた魔法式シミュレーター訓練でも、ここまでひどい状況は想定の範囲外だった。精々が敵の攻勢で孤立、退却したくても囲まれて逃げられず、魔力も尽き気力だけで動いているような中、打ち果てる最後まで戦い続けただけである。

 

「………うむ?」

 

 意外と酷い状況の訓練だった。まぁ本来はクリア不可能なことを前提にした訓練なのだから致し方ない。そんなことよりも現状、基地と連絡が付かず周囲の友軍の反応は皆無、それでいてこんな状態を作り出した敵の事だ。あらかじめ準備を終えているに違いない。この先は敵との接近遭遇は増加する事を意味している。

 

―――それに加えて、だ。

 

 フェンは視線を変えて遠くに向ける。彼の視界に映るは難民たちの姿だ。咄嗟に広範囲の防御結界を展開させた事で、大雪の崩落、いやさ雪崩と言ってもいい大量の雪に押し潰されるといった、常夏の島ではありえない死に方をさせずには済んだものの、状況としては最悪に近かった。

 今でも結界一枚挟んだ向こう側には何百トンにも及ぶ膨大な氷と雪が結界を圧迫している。時折金属が擦れるような軋みが響くのは、大雪の重さが多重的かつ複数の魔法壁に負荷を掛けて押し潰しているからだ。

 

 展開されている魔法壁も咄嗟の展開だった為に、同調に不備があり、それぞれ強度が違う。この微細な歪みがつなぎ目にあたる部分に現れ、外からの超重量により軋み、こすれ合っているのである。この状態で魔力供給と制御を絶てば、魔法障壁は元からそこにはなかったかのようにして意図も簡単に消滅してしまうだろう。

 そんな場所にいるにも関わらず恐慌状態に陥らないのは、フェンの部下と支援ボランティアの人たちが必死で抑え込んでいるからだった。難民達がショックで放心する中でいち早く的確な指示を飛ばし、彼らにパニックが伝染する事を未然に防いだのである。そんな苦労があって難民達の暴走は起きていない。

 だが長居する気はないが長くは持たない。タイムリミットは刻々と近づいてきているのをフェンは肌に感じていた。

 

「幸い、基地のビーコンは途切れてないところを見ると、まだ陥落してないって感じです。日没まであと3時間弱、急げば暗くなる前に基地に戻れる」

「そうだ、我々は基地に移動しなければならない。むろん難民達もつれて、だ」

「それは、実に、厳しいミッションになりそうで……」

「実際きびしい。されど見捨てられない。見捨ててはいけない……。それが兵隊の務めであり、戦う理由」

 

 そう呟いたフェンに対し、何かを言いたげな副官のジェニスであったが、あえてそれを言わなかった。フェンもわかっていた。部隊の生存率を上げるだけなら難民を捨てていけばいいのだ。身軽な彼らは一直線に基地に戻れる。極力戦闘を無視すれば誰一人欠ける事無く帰還できる事を理解していた。

 

 されどそれを行う事は許されない。フェンも含め彼らはUSNに所属する兵士である。国の為に戦う事を義務付けられた軍人なのだ。兵士は戦うだけではない、時に戦えない同胞を守る為に自ら傷つくのも義務の一つなのである。

 

 要するに、すでにこのペセタ市のすべての区画がフロントライン、戦闘区域に突入した以上、軍人である彼らはそこに取り残された非戦闘員であるUSN側難民の保護を優先して行わなければならない。それが義務の一つであるし、USNの陸戦法規にもキチンと定められている。

 陸戦法規はルール無用に見える戦場の中でも最低限守らなければならないルールであり、有名なところでは捕虜への虐待など非人道的な行為などをこれは禁じている。これを無視する事は戦争犯罪に相当し、かかわった部隊全員の軍法会議もあり得るのだ。最悪、銃殺刑にもなりえるので慎重にもなる。

 

 もっとも今回の戦争では突然の開戦で非戦闘員の避難が間に合わず、少なからず被害がでているので戦争法規もクソもあったもんじゃ無い為、半ば形骸化したといえるがそれはそれ。フェンとしては幾度か交流した事がある相手を見捨てるのは心情的に嫌であった上、彼の兵士としての矜持がそれを許さないのである。

 例え今回の戦争でこの陸戦法規が半ば形骸化していたとしても、それを理由に守るべきモノを見捨てるような唾棄すべき行為はしたくなかった。とはいえ、この民間人の保護はある意味でエドガー少年を保護した時と同じだが、こちらは規模が段違いであった。

 

「広範囲に偵察を展開。敵との接近遭遇の時、迎撃チームを呼び寄せる、現在防御障壁を展開している者たちは、引き続き難民の護衛にあたらせる。難民への説明は……」

「…………はいはい。自分の仕事、でありますね隊長殿?」

 

 意味ありげにジェニスの方を見やるフェン。見られた方の副長はガリガリと頭を掻きつつ溜息を吐いた。

 

「すまんジェニス、俺は、小さいから……たぶん無駄な心配をさせてしまう」

「ま、ふつうに考えて、こんな小さな隊長なんて夢物語みたいなもんですからね。副官の立場であり、普通に成人の大人である自分が適任っと、了解しました」

「部隊の編制を急ごう、すぐにでも出発する」

 

 フェンの言葉にジェニスは頷き、彼のところから離れるとビルの一室から退場した。あの副官には毎回迷惑をかけてしまって申し訳なく思う。これが終わったら何か労うことをしてやらねば……。

 

 そこまで考えて、なんだかんだで上官の思考になりつつあることに顔には出ないが苦笑する。さてと、と呟きつつ、フェンは現在レッドクリフ隊にいる人員を思い浮かべ、ヴィズのデータベースからもリストアップして相互に補間していった。基本ながら大事なこととして、現在ともにいる避難民の安全が第一に優先される。

 

 つまりは基地までの道のりで万が一敵と接敵した際、攻撃を防ぐ防御魔法が得意な者は難民と共に置く必要がある。またそうならない為になるべく難民と自分達が移動していることを悟らせない為に隠蔽魔法に適性がある者、いわゆるジャマーを使える者達も同じように配置しなければならない。

 

 リストを覗いたところレッドクリフ隊所属の32名の内、そういった高度なジャマーセンスの適性持ちは僅かに5名に留まった。一応分隊長クラス以上にもなると必然的に魔法技能が高いので結界をある程度扱える為、それらを含めるとフェンもいれて全10名が防御に専念できることになるのだが話はそう簡単にはいかない。

 

 全体指揮や戦闘行動を取るであろうフェンは勿論、分隊長クラスの階級を持つ者は各隊の指揮を行う必要がある。それを考慮した場合、レッドクリフ隊でジャマーを行える人員は実質5名しかいなかった。

 

 隊の規模を考えると随分と少ないが、USN軍は創設されて以来、常に軍の方針は戦闘に役立つ魔導師の育成に傾いていたのが原因である。一応、支援兵科は存在するがメインはやはり戦闘職であり、文字通り支援程度の規模でしか部隊に配置されることはなかったのである。

 

 通常なら豊富な後方支援体制や部隊間の連携もあるので、支援兵の有無はそれほど影響ない筈であったが、今の孤立した状況では部隊の生存に如実に関わってくるだろう。本来は前線で敵の誘導魔法を阻害するジャマーが後方に引き抜かれる。これが意味するものは、つまり――。

 

今 の状況では避難民を含めて全滅は免れないと、厳しい訓練の中で自然と身についていた勘がそう告げていた。展開装備したままのヴィズを解除しないまま、そのフルフェイスのヘルメットの中で感じた吐き気を飲み込んだ。

 

≪隊長、こちらジェニス。難民への説明が終わりました≫

「こちらフェン。ずいぶんとはやいな」

≪ボランティアで難民支援にきていた人々が協力してくれました。彼らが暫定的に難民達への説明と誘導を行ってくれるそうです≫

 

 フェンが編制をどうにか考え付いたころ、ボランティアグループやキャンプの責任者に説明をしに行っていたジェニスから連絡が届いた。それは喜ばしいことにボランティアグループが支援を行ってくれるというもの、絶望的な状況下では有難い手助けである。

 

≪現在移動に向けて準備中です≫

「解った――総員、聞いてくれ。通信回線を開いたまま手は休めなくていい」

 

 使える副官に感謝しつつ、彼は思考操作で自分のデバイスの管制AIに指示を送り、部隊全員の通信プログラムにつなげた。同時に彼は“頭を増やす”。マルチタスクを並列起動し、述べ32以上ものタスクを脳内仮想域に瞬間展開した。

 これは直後、彼の脳内にデバイスのヴィズを通して流される通信のバストアップ画面をより深く認識するため、彼はこれを開いた。通信がつながった瞬間、大量の情報が流れるが並列展開したタスクによりこれを処理していく。

 

 大まかに分けて、この通信を開いた瞬間に表情から読み取れたのは二つ。不安と希望である。現在の状況については、まだ概略すら開示してはいなかったが、部下のほとんどは開戦以来生き残り続けた者たちである。現状がどれだけ酷いのかは勘で察することくらいは出来ていた。だから不安を覚えているのである。

 

 一方で希望を見ているのは何故だか、フェンには解らなかった。こういう状況ならば希望ではなく絶望に浸っていてもおかしくはない。それだけ彼らは芯が強い人達なんだろうと、この時フェンは考えていた。

 

 だが、このフェンの考えは正解でもあり間違いでもあった。確かに彼らはこれまで生き延びてきた実績がある。つまり戦場における色んな状況に慣れていたといってもよく、悪く言うならばあらゆることに対して耐性が付いており絶望への感覚が麻痺していた。

 だがフェンがバストアップ画面に映る彼らの表情の半分から、希望を読み取ったのは、実際彼らがフェンに対して希望を抱いていたからだ。

 

「概略を説明する。知ってのとおり、現在我が隊は軍とのリンクから切り離された状態にある。街は完全に凍りつき、気温も時間と共に低下し、兵装防護服(バトル・バリアジャケット)なしでは、またたく間に凍りつく氷の世界となった。当然ながら今の我々に支援はない。一刻も早く味方と合流せねば我々は生き残れないだろう」

 

 フェンはこれまで行動で自分の部隊における有用性を示してきた。よりよい回復を図れるよう宿舎を改造したり、与えられた職務を実直にこなし、部隊員のニーズをなるべくかなえられるように後方支援と蜜月に交渉したり苦慮してきた。

 

「それといい知らせだ。連絡は取れないが基地の発するビーコンは確認された。ビーコンが動いているということは基地が放棄されずに施設も稼働しているということになる。よって我らはこれより避難民を連れて一路基地を目指す。何か質問はあるか?」

 

 見た目は小さいし幼いが、その能力は大人も顔負けどころか上を行く有能な存在。僅かな付き合いであったが、一部を除き、第23駐屯部隊に所属する隊員の多くはフェンという存在をそのままの存在として見るのを止めていた。

 

≪ハーヴィー分隊指揮下のエグバード伍長です。隊長からのプロトコル更新によりこれからの作戦は理解しましたが、万が一守りきれない場合はどうするのですか≫

「ある意味無意味な質問だ。守る我らが倒されるというのはイコール避難民を含めた部隊の壊滅を意味する。しかし死守しろなどという前時代的な言い回しをするつもりはない。最悪の場合降伏も許可されるだろう。もっとも向こうが陸戦条約を守るのかは現時点では不明だが、そこも含めて臨機応変に対応してほしい」

≪……サー、イェッサー≫

「他にはないか? ないなら最後に一つだけ。我々はUSN軍の兵士である。兵士であるからには俺みたいな子供に言われるまでもなく、国を愛し国に殉じてもらうことになるだろう。避難民はUSN国民である。非常時には守られるべき存在である。その為に我々がいることを忘れないでほしい。では各員義務を果たせ」

 

 フェンは今の身体になってから初めてと言っていいほど、多弁に言葉を連ねていった。務めて無表情無感情を通したが、内心には嵐のように感情が渦巻いていた。

 

 何が義務を果たせか、こんな子供に言われてハイと言える大人がいるわけがない。奴らは内心ではお前を罵っているに違いないぞ。避難民を守れというのも、そういう規定があるのもそうだが、多くが自分の偽善からくる行動じゃないか。

 

 心の内に鎌首をもたげた自己嫌悪はマルチタスクの一つを占領する程であった。とめどなく溢れ出る自己嫌悪の感情は容赦なく彼の精神を穴だらけに突き刺した。偽善者め、偽善者め、偽善者め。そんなに勲章が欲しいのか。そんなに部下の命を潰したいのか。態々危険なところに出向いて人を殺すのは楽しいのか。

 浮かび上がったその考えにフェンは違うと大きく叫びたかったが、半ば図星であるため言えない。この感情は倫理的な部分が発している警告なのだと彼は理解していた。これからも自分は部下たちに死ねと言い続けるのだ。そのたびにこの人道や倫理観に苛まれるのだろう。

 

 だが、自分の下した指示は間違っていない筈だ。少なくとも通信が途絶する前にこの難民キャンプに立ち寄ったのは報告している。おまけに各員のデバイスやヘルメットには記録装置がある。そこに避難民と会っていた情報がすでに書き込まれている筈で、これの改ざんには専門の機材が必要なので不可能であった。

 この災害染みた状況の中で見捨てたというのは後で調べられるとすぐにばれてしまうのである。それならば今できる全力を持ってことにあたった方が精神的にも楽だった。

 

「……はぁ」

『マスター、疲れましたか? バイタルデータでは……』

「ああ、ある意味疲れた……精神的に……」

『脳波に異常はありませんよ?』

「いつか解る、多分な」

 




なんとか形になったけど、戦闘シーン書けるかなぁ…。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。