白銀の破壊者   作:興影

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異変と異常

 まったくもって不本意ではあるが、僕は周りから極めて『異常』であると、常々評価されている。

 僕という人間は元来、特に信仰深いだとか、全くの無宗教であるとか、そんな極端な人間ではない。ただほかの人間よりか物事に『熱中』しやすい性格ではあったものの、物事の善悪だとか常識、道徳は人並であったと思う。

 ただ周囲の常識人とよばれる人々の『偏見』こそが僕を異常者たらしめているものであった。

 趣味はひっそりと行うものであり、あまり人にひけらかすものではないと僕は考えている。一般的に高尚なものであるならまだしも、あまり人に理解されないような特殊なものは、誤解を生みやすいからだ。

 誤解・・・まったくの誤解である。

 

 エアガンが好きな人なのと人に向かって玉を撃つのが好きなのとがイコールでないように、少し際どい少年漫画を読んでいる男性がロリコン犯罪者であるとは限らないように。

 僕の趣味・・・つまり『少し』変わった漫画や音楽を幅広く楽しむといった趣味をもっているかといって、僕自身が変わり者の変態であるかのように扱われるのは納得がいかないのだ。

 変わり者なら世界中に溢れている。僕程度の常識はずれなら、それこそごまんといる。

 僕は思春期をこじらせた中学二年生のように、世間に恥を晒すような主張しているわけではないし、興味本位で内側に首を突っ込んできてるのは向こう側だというのに。蓋をかぶせてそっとしておいてくれないだろうか。

 

 しょうがない。世間は面白くて刺激的なものを求めている。僕たち『はぐれ組』は世論に晒されつつかれ、挙句に吊るし首にされる運命なのだ。

 そうかいそうかい、そんなに面白いのかい。Crazy JapaneseもしくはHENTAI、結構じゃないか。せいぜい好きなように食い散らかしてくれ。

 いいんだ。会社で僕の趣味がバレようが、女性社員に遠巻きに見られようが、偶然同じ趣味が一致しただけの冴えないギークが急に僕に擦り寄ってこようが、関係ない。

 無駄に洗練された社内連絡網で上司から「そんなものに金を使う暇があったらいい時計でも買え」と小言をくらおうが、どうってことはない。

 タイメックスかっこいいじゃないか。ドイツ軍人はうろたえないのだ。

 

 永遠にも感じられた職務を終え、くたくたになって電車のつり革に掴まる。もちろん痴漢冤罪防止のために両腕を上に上げることを忘れない。

 カバンの中には今日帰りがけに読むはずだったラノベが入っている。うっかり会社でカバーが外れてしまったラノベだ。肌色が多く胸もたわわな可憐な少女たちが戯れている。

 落ちつくんだ・・・『素数』を数えて落ちつくんだ・・・『素数』は1と自分の数でしか割ることのできない孤独な数字・・・僕に勇気を与えてくれる。

 2・・・3・・・5・・・7・・・11・・・13・・・17・・・19・・・。ああだめだ、明日からのことで頭が爆発してしまいそうだ・・・。

 どうやって家に帰ったのかは記憶がおぼろげで、僕はスーツのままベッドに倒れ込んでいた。

 羽根布団のおかげで腹部にダメージを負うことはまぬがれたが、ベッドの横にある漫画や小説でぎっしり詰まった本棚を見ると、深い深いため息が出た。こんなはずではなかった。

 僕の意識はそのまま沈み込み、ふわりと体から離れてゆく。

 

 眠るというのは、死ぬことに似ている。徐々に意識を失い、暗い暗い無の世界に後頭部から泥沼のように引きずり込まれる。抗うことはできない誘惑。

 このまま目覚めなければいいと一体何人が願っただろうか。僕ほどそれを望んでいる人は今この瞬間にはいないだろう。

 

 身動きのできないまま深淵まで潜り込んで、マグマを通り越して反対側まで突き抜けたような奇妙な感覚。

 ぼんやりと、そういえば昨夜目覚ましアラームをセットしたかなと考え、僕はハッと目を覚ました。柔らかな日差しが窓から差し込んでいる。日の照り方からして、昼前くらいだろうか。

 やってしまった―――。

 軽く絶望しながら飛び起きると、目に飛び込んだのはいつもの整然とした部屋ではなく、まるで竜巻にでも襲われて何年も放置されたかのような、木造のボロい、部屋とも呼べないような空間。

 妙に明るいと思ったら、屋根が綺麗さっぱりとない。お決まりの『知らない天井』は不発に終わった。窓も木枠だけで、ガラスは欠片も残っておらず、床に散乱している。

 おまけに寝転がっているのは虫に食われて穴だらけの、汚く変色したシーツ。鳥肌を立てて飛び退けば、「チチチ」と能天気な鳥の鳴き声が近くから聞こえてきた。

 

「なん・・・だと・・・」

 

 これは、まさしく小説や漫画でありがちなファンタジーな出来事というものではないか。僕は自分の見ている夢という可能性を残しつつ、辺りを見回す。

 今にも崩壊しそうな木造の『囲い』に、遠くに見えるのは雄大な尾根と壮大な大自然。これが夢だとすれば、僕は相当現実に戻りたくないのだろう。

 床に散らばったガラスのように思えたそれは、割れた鏡だった。粉々になって砕け散った中でも大きいものを選んで覗き込んでみる。すると、新雪のような真っ白の髪に薄氷のような瞳、十代半ばくらいの端正な少年の顔が見えた。

 指輪物語に出てくるエルフのような真っ白な服装に、完璧な肉付きの長い手足。

 これが果たして本当に自分であるのかと、うっすら色付いた唇で笑みを作と、その通りに動く。なかなか人形めいた造りをしていた。

 

「・・・ふむ」

 

 元が平々凡々であったためか、いきなり顔が変わっても美しくあれば悪い気はしない。周りに人がいないことから推測すると、どうやら勇者召喚系やら変な改革やら要求をされるでもなさそうだ。

 面倒くさいことが嫌いなので大変ありがたいが、これから僕はどうすればいいのだろうか。予定がないというのも自由すぎて逆に困りものだ。

 困り事はほかにもある。果たしてこの体は元々自分のものであったものが変化した結果なのか、それとも全く別の誰かに憑依してしまっている状態なのか。僕はこれから行動するうえで重要なことを確かめる術がない。

 仮にこの体が僕自身のものであったとして、何か特別な力に目覚めている可能性が高い。この見た目からすると、魔法か。それとも召喚系か。はたまた何も役に立たなさそうなレアなものか。

 なんにせよいろいろ試してみなければ。僕は綺麗な装飾の服についたゴミを気にしながら、崩壊寸前な家を出た。

 

 とりあえず武器は持っていない。アイテム的なものもないし、ましてや進行ナビゲートしてくれるようなマスコットキャラもいない。

 システム、ステータス、オープン。反応なし。ここはどうやら仮装空間の中でもないらしい。となると、別次元の現実世界ということになる。ここが本当に異世界であればの話しだけれども。

 死ねば終わり、怪我をすれば痛むし、規律も規定もない世界。全くの無法地帯。なんて恐ろしくて、なんて怖いんだろう・・・。

 でも、砂漠の砂粒…ひとつほども後悔はしていない…怖くて恐ろしくて、でもそれ以上に魅力的なんだ、この場所は。

 

 僕は至って常識的な人間だ。どの場所どんなときにおいても、僕は決して『異常』であってはならない。

 ところで、常識というものは気まぐれなもので、ところによってはまったく想像もつかないような常識が存在する。僕は頭の柔軟性には自信がある。ここでは地球の常識は捨てようじゃないか。

 僕は、どうしようもなく理不尽な程に、最高に最高に最っっっ高に―――ファンタジーが大好きだ。

 怪物も人間も天使も悪魔も、エルフに獣人に亜人に、妖精も精霊も幽霊だって、ファンタジーは可能性に溢れている。規則や法則、化学や科学に縛られた現実とは違い、現実にはないものが全て揃っている。

 

「はは・・・」

 

 僕はまっすぐ前を見据え、乾いた笑い声を上げる。家を離れたと同時、待っていたと言わんばかりに、目の前に青い毛並みの巨大な肉食動物が現れたからだ。

 四つの金色の目を光らせ、三つの尾を振り乱し、唸り声を上げてにじり寄ってくる。ああ―――なんてファンタジー。異世界、確定。

 怪物は僕を捕食しようとしている。現実では失禁ものだが、ここではどうだ。ファンタスティック、素晴らしい!この怪物はタイミングというものを心得ている。

 僕はまるでチュートリアルを簡単に済ませるかのような気楽さで、自らモンスターに近寄った。

 もしかしたら僕に能力などなく、なすすべもなく食い殺されるかもしれない。臆病なはずの僕だけれども、それでも不思議と、ずらりと牙を見せつける怪物に恐れを感じることはなかった。

 それどころか、この状況が愉快で愉快でしかたがない。

 

「あははははッ!!」

 

 声を上げて思い切り笑う。どうせ誰も見ていないのなら、好き勝手しても許されるだろう。

 中二病?ああ認めるよ、僕はまだこじらせてるさ。それがどうした今更気にするものか。もうこの世界の誰も僕のことを知らないんだ。

 神々しいまでの顔ばせをシニカルな笑みで歪めながら、舞台で演じる役者のように戦うポーズを取る。

 怪物も姿勢を低くしていっそう唸り声を轟かせた。

 ああ、とても気分がいい。

 

「豚のような悲鳴をあげろ・・・!」

 

 口から飛び出した赤い不死者(ノスフェラトー)のように禍々しい言葉を皮切りに、怪物は僕にめがけて突進する。

 だが僕はまだ知らなかった。物陰から僕を見ている影があることを。僕自身に備わったでたらめすぎる力のことを。

 僕がオープンにしてしまった中二病のせいで巻き起こる勘違いの連鎖を・・・。

 

「ガアアァァァア!!」

 

 青紫色の口内を覗かせて叫ぶ怪物に一発蹴りを食らわせる。鼻っつらを蹴ってふらつかせるだけのつもりが、怪物の折れた牙が中を舞い、赤紫色の液体をまき散らしながら苦しみ悶えて絶叫。

 ノリと勢いで蹴っただけなのに、思わぬ手応えにあっけにとられる。図体の割には雑魚キャラなのか?

 だが牙を折られたくらいでは戦意喪失とまではいかず、先ほどよりも殺気を高めてこちらへと向かってくる。心なしか動きがかなり遅いように、映像で言うスローモーションのような感じに見えた。

 もしかしてこの体はかなり肉体強化されているのかもしれない。

 

「ハッ」

「グギャガアアァッ!?」

 

 リーチの長い前足の攻撃をかわし、腹に拳を突き入れる。

 そんなに力は入れずに押し込んだ程度だったはずが、ボキボキと骨を折って内蔵を潰す感触が拳に伝わり、その衝撃で空中一回転。落ちる際に近くの大木の枝に突き刺さり、奇妙なポーズで宙ぶらりんとなった。

 怪物は木にぶら下がったまま数回痙攣したあと、完全に動かなくなり・・・ご臨終。かなり視覚的にきつい姿となった怪物はゲームのように消えてくれたりはしてくれなかった。

 思わずこの物体をどう処理するものかと顔をしかめるが、まぁ森の仲間たちがこの肉塊を処理してくれるに違いないと、僕は早々にこの物体に触れることを諦めた。

 

 このでたらめな力、いよいよ僕自身が人間かどうかも怪しくなってきた。というかいきなりグロくて僕のSAN値ピンチ。

 手についた赤紫の液体をどこで拭うべきか考えあぐねていると、ふと遠くから生き物の気配を感じた。相手はどうやら僕のことを観察するように眺めているようだ。

 気配のする方をじっと見つめていると、向こうから緊張したような雰囲気が漂い、ゆっくりとこちらへ近づいて来る。足音からして人間。

 こんな森の奥で身を潜めているなんてきっとロクな人間ではないだろうな、と自分のことを棚上げにして考えていると、徐々にその姿が見えてきた。

 癖のある黒髪をオールバックにしたあごヒゲの渋いオジサマが、頑丈そうな鎧に身を包んで、腰からは剣を引っさげている。

 格好は少しくたびれているものの、鮮やかなグリーンアイがどこか洗練されて知的な印象だ。

 剣は太く、切るというよりも叩くことを重点においたような造りをしている。実際、中世では剣は切るよりも刃の方を掴んで殴るような戦い方が主流だったらしい。

 彼は木に引っかかっているボロ雑巾のような肉塊を見て顔を引きつらせると、改めて僕を見た。

 

「やぁ、すごいな。素手で倒してしまうなんて」

 

 若干遠い距離から話しかけられ、警戒され、怖がられていることに気がつく。まぁ僕だって素手でライオンを倒すような人間の間合いに、いきなりフレンドリーな態度で詰め寄るなんて愚かな真似はしない。

 にっこりと微笑んで、手を差し出した。

 

「すみませんが、何か手を拭くものを貸していただけますか」

 

 あえて疑問形ではない。僕は確実に一刻も早くこの液体を拭いたいのだ。

 彼も少し警戒を解いてくれたのか、少し笑って腰から下げていた小さな入れ物の中から、小さな布を一枚取り出して僕に手渡す。

 

「これを使うといい。」

「ありがとうございます」

 

 遠慮なく液体を拭き取り、ようやく白い肌が見えた。さてこの汚れた布をどうするかと考えていると、布を持っている手から青い炎が吹きあがり、綺麗に赤紫の液体だけ燃え尽きる。

 正直、奇声を上げて布を放り投げなかった自分を褒めたい。どういう仕組みなんだこれは。

 平静を装って元の色に戻った布を返すと、彼も一体何が起こったんだという顔をしていた。やっぱりこれは布自体に備わった機能じゃないのか・・・だとすると、僕が無意識に何らかの魔法を使ったのか?うーん謎すぎる。

 早く僕自身のことを知らなければ。

 

「あの魔物は討伐隊(スカラバ)でも手を焼いていたのに・・・私だったら今頃死んでいるな。どこのギルドに所属しているんだ?それとも、ソロの魔狩人(フェネス)?」

「さぁ、どうでしょう」

 

 はぐらかしてみるが、彼の言っていることはちんぷんかんぷんだ。知らない単語が多すぎる。そこで引いてくれればいいものを、彼は更に僕に踏み入ってきた。

 

「はは、まぁそう簡単には明かせないか。それにしてもその力・・・君は魔法族(ビビリオ)?それとも精霊族(ピビアン)?」

「・・・・・・?」

 

 もう誤魔化し方がわからない。追い詰められ、笑顔のまま首をかしげると、彼も「ん?」と首をかしげた。

 樹海でおっさんと外見だけは少年なおっさんが向かい合って首をかしげている構図、なかなかシュールだ。

 

「なんですか、そのビビなんとかというのは?」

 

 正直に尋ねると、彼の顔が面白いことになった。まるで実在しない生物をごく身近な場所で見かけたような、驚愕に固まった顔だ。僕は相当この世界で相当常識外れなことを言ったのだろう。

 これは由々しき事態だ。僕は早くこの素晴らしい世界に馴染みたいのに。

 そのためには彼からこの世界のことについて学ぶ必要がある。この際だ、僕のことをぼかしつつ、この世界についての知識が全くないということをアピールしよう。

 そしてあわよくば近くの町まで連れて行ってもらって、少年の外見を理由に生活面での世話を焼いてもらうように仕向けるのだ。

 ああでもそれでは僕は自由になれない。自由に振舞うことができない。僕は常識的な人間であるけれども、それは地球、日本の社会においての僕だ。

 この世界の僕は、おおよそ常識的ではなくなってしまった。

 

「実は僕には、生まれてから今日に至るまでの記憶の一切がないのです。僕が何者なのか、両親が誰なのか、どんな力を持っているのか、僕が倒した生物は何なのか。この世界について僕は何一つ知らないのです」

 

 ニコニコと微笑みながら続ける。彼を利用するために、この世界をより楽しむために。

 

「これも何かの縁です。僕に教えてくださいませんか、この世界について」

 

 ゆっくりと手を差し出した僕の手を見つめ、ゴクリとつばを飲み込む。何を怖がっているのか、一歩後ろへ下がりかける彼の手を追いかけて無理やり掴むと、大げさに肩を震わせた。

 僕は彼の手を握り砕いてしまわないように気をつけながら、笑みを深める。

 

「よろしくお願いします、ね」

「・・・ああ、わかったよ」

 

 念を押すように言うとようやく観念したのか、彼は僕の手を弱々しく握り返した。ここに来てから僕は随分と神経が図太くなった。

 元々は控えめで主張するような性格ではなかったはずだけれど、テンションが上がって興奮しているからかもしれない。

 

「何だか妙なことに巻き込まれた気がするな・・・教えるのはいいが、日が傾きかけている。まずは森を出よう」

「わかりました。ええと・・・」

 

 名前を尋ねようとして、自分の名前をどうするか決めていなかったことに気がつく。本名をそのまま名乗ってもいいが、自分の外見と名前とのギャップがひどそうだ。

 思いつくキャラクターの名前を上げていくが、どうもしっくりきそうにもない。

 

「私はエルピディオ・ロメリだ。君は?」

「うーん・・・どんな名前だと思います?」

「そうか、記憶がないんだったな・・・」

 

 がっくりと肩を落としたエルピディオさん。男前という言葉がぴったりな彼はどんなポーズも様になる。

 一緒に森を出ようとしてくれるところをみると面倒見もよさそうだ。最初に出会ったのがこの人で本当によかった。

 そうだ、名前が思いつかないのならこの人に考えて貰えばいい。真面目そうだし、人に変な名前は付けないだろう。ということで。

 

「何か適当でいいので考えてください」

「私が名付けるのか!?」

 

 納得がいかないというように叫ぶ。

 初対面の人間の名付け親になるとは夢にも思わなかったことだろう。僕では何も思いつかなかったので、というと、渋々ながらも考えてもらえることになった。勿論すぐとはいかず、森を進みながらではあるが。

 というか、本当に真面目だなこの人。

 

「う・・・うーむ・・・」

 

 歩き始めて何十分経っただろうか。茂みをかき分け獣道を歩き、何かが潜む大きな洞窟を抜け、森のおどろおどろしい雰囲気が和らいできた頃になっても、エルピディオさんはまだ悩んでいる。

 遠くに人口の道らしきものが見えるので、だいぶ人里に近づいているとは思うのだけれど、ものの見事に見慣れたものが一切ない。

 森が開けたところまで来ると、道のある方から何かが走ってくる。蹴り上げた土や砂粒が煙のように巻き上がり、車のような猛スピードでこちらへ向かってきている。

 それはダチョウとドラゴンを足して二で割ったような不思議な生物だった。無意識のうちに構えると、エルピディオさんが「待った、待った!」と慌てて僕の前に躍り出る。

 

「あれは私の駆竜(カルカ)だ、魔獣(フルフィ)ではない!」

「かる・・・?」

「と、とにかく無害なやつだ!」

 

 力を抜くと、エルピディオさんはホッと息を吐く。私の、ということはあれは彼の所有物なんだろう。そりゃ、勝手に始末されたらたまったものじゃない。

 言葉の通り、不思議な生物は僕たちに近づくとスピードを緩め、目の前までやってくると完全に停止した。

 長いまつげに愛嬌のある大きな目。キビキビとした首の動きと大きなクチバシが凄く鳥っぽい。ふさふさした羽毛に包まれているものの、鋭い爪と長い尾はドラゴンや恐竜を彷彿とさせる。まっすぐ首を上げると三メートル近くあるんじゃないだろうか。

 馬具のようなベルトや金具を全身に取り付け、背には鞍まである。

 知らない人間の前でも大人しくしているところを見ると、かなり人馴れして知能も高いのだろう。そっとふわふわの首筋に触れると、抵抗もせずクルクルと喉を鳴らす。

 野良猫にも懐かれたことのない僕は何だかこいつのことが可愛く思えてきた。

 

「よーしよし」

 

 嬉しくなってぐしゃぐしゃと撫で回していると、エルピディオさんは意外そうな眼差しで僕とこいつを見た。初対面が動物虐待?現場だったからか、どうも僕は動物に厳しいと思われているらしい。

 僕はどちらかというと人間より動物のほうが好きだ。純粋でわかりやすいイメージだし、何より見た目が可愛いのが多い。

 

「エルピディオさん、この子に乗って帰るんですか?」

「ああ・・・一人乗りだが、君は軽そうだし一緒に乗れそうだな」

 

 颯爽と高い背の上に乗り、手綱を持ってどこに僕を乗せようかとスペースを探している。ムカつくくらいかっこいい。なんて様になっているんだ。

 剣士(のような人)が竜(のようなもの)に乗るなんてまさしくファンタジーの王道の姿じゃないか。

 

「いえ、僕はいいです。重くなるとこの子がかわいそうですから」

 

 本音は、男との二人乗りなんて御免こうむる、である。しかし彼はテクテク歩いていく僕に申し訳なく思ったのか、自分も降りて僕と並んで歩き出した。

 見た目が子供だとこういうところで面倒くさい。僕は全然疲れてないので大丈夫だと何度も行ったが、彼は意外と頑固で竜もどきに乗ろうとしなかった。

 日が傾き夕暮れどきになると、遠くの空に大きさの違う月が三つほど見えた。このあたりは光源がなにもないので、完全に日が沈むときっと綺麗な星空が見えるのだろう。

 ドキュメンタリーで見るような満点の星空を想像して、少しワクワクした。

 

 月の真下に位置する場所に、そこそこ大きな街が見える。城砦のような囲いが幾重にもかかり、より強固なものにしていた。やはり、森から現れる怪物に対するものなのか。

 西日がかかり、少し霧だって幻想的な光景となっている街を眺めていると、後ろから促すような風が吹いた。

 星も土も見渡す限りが新鮮で、土を踏む感触と風の匂いが僕が確かにここに居ると実感させてくれる。ゲームや漫画で何度も見て憧れた光景。

 リーンゴーンとかすかに鐘の音が届き、そこから溢れてくる生活感に、僕は今更ながら酷く感動を覚えた。

 

「どうした?街はすぐそこだ」

 

 動かない僕を不思議に思ったのか、エルピディオさんが肩を叩く。

 

「そうですね・・・」

 

 興奮のあまり声が震える。それをどう思ったのか、彼は僕の隣に立ち、一緒に街を眺めた。

 彼と並ぶと僕は彼の肩ほどの高さしか身長がない。エルピディオさんの背が高いのか僕の背が低いのか、気になるところだ。

 

「君の名前を思いついた」

 

 あごヒゲを撫でながら、爽やかなグリーンアイで僕を見おろす。

 僕も続きを促すように彼を見上げた。

 

「アルアレス。戦いの神を意味する言葉で、あの星の名前でもある」

 

 彼の指し示した先に、ひときわ輝く星があった。地球で言う一番星、金星のような明るい星だ。ナルシストかもしれないが、今の僕にぴったりな名前ではないか。

 想像していたよりもいい響きの名前を貰えたので、後で名付け親にお礼をしなくてはいけないな。無一文だけど。

 素直に感動してお礼を言うと、やや乱暴に頭を撫でられた。一体何事だ。子供扱いしないでくださいと手を押さえつけると、実に微笑ましそうな笑みが返ってきた。

 解せぬ。

 乱れた髪を手櫛で適当になおすと、背中をポンと軽く押された。

 

「さてアルアレス。君の名前も決まったことだし、街へ行こう」

「そうですね。行きましょうか、エルピディオさん」

 

 街の砦の前に立つのと、遠くから眺めるのとは迫力がまるで違う。

 何かの術式なのか、壁には大きく魔法陣のようなものが幾多も描かれ、上の方になるとねずみ返しのように、外に向かって巨大なトゲが突き出たような造りをしている。

 砦に対して門はそれほど大きくもなく、車が二台通れるほどだ。お揃いの鎧を着た人たちが門の両隣に立ち、街に入ろうとする人たちの何かを確認している。江戸時代で言う通行手形のようなものだろうか。当然僕は何も持っていない。

 小説などでは犯罪歴を調べたりする装置なんかがあって、それをクリアすれば入れるようだが、そんな便利グッズなどもなさそうだ。

 一体どうするのかとエルピディオさんを横目で見ると、彼は門番をそのまま素通りして中に入るではないか。それを咎めるでもなく、門番も彼を見送っている。

 僕も続いていいものかと門番を見るが、何も問題ないようで、拍子抜けした気分で街の中に入っていった。

 

「どうして僕たちは何も聞かれなかったんですか?」

「身なりや雰囲気だよ。どの街も基本的に出入りは自由で、怪しい者だけああやってつかまるんだ」

 

 確かに、色々聞かれている人はお世辞にも身なりが整っているとは言えない格好をしていたり、目つきが明らかにやばい人だ。

 ようは僕と彼の雰囲気が怪しくなく、身なりも綺麗だったため街に入れても問題ないと判断されたのだ。

 日本では人は見た目ではないと散々綺麗事を聞かされたが、よく知らない人間に対しては別で、見た目が全てとなる。

 もし僕の姿が日本人のままでスーツを着込んでいたりなんかすると、きっと門番に警察の職質めいたことをされていただろう。

 改めてこの見た目でよかったと思う。

 

 街は活気に溢れていて、日が沈み暗くなった街にランプの光が無数に輝いている。レンガ造りの家がほとんどで、高くても五階までしかなく、それ以上高い建物は細長い塔となっていた。

 街を歩いている人種も様々で、人間はどちらかというと白色人種が多く、尖った耳を持つ種族や、体の一部に動物の特徴を持つ種族も沢山見かけた。

 見るからに乞食という人もほとんど見かけず、夜も女性だけで外を出歩いている人もちらほらいる。ということは、治安が安定しているということなのだろう。

 所々にある文字らしきものを見てみるが、やはりというか、僕には読むことができない。

 不安を覚えたが、道側に突き出た大きなアーティスティックな看板のおかげで、飲食店や武器屋、宿屋などは文字が読めなくても把握することができそうだ。

 ゲームでのデザインと少し似ているのが幸いした。

 ナイフとフォークと皿のデザインの施された看板の建物からは美味しそうな香りがたちこめ、空っぽの胃袋を刺激する。

 そういえば今日は何も食べていないなと、胃のあたりをさすった。

 

「無事に街についたことだし、まずは腹ごしらえだ。それからこれからどうするかを決めよう」

「僕、無一文ですが・・・」

 

 肩をすくめて言うと、エルピディオさんは虚をつかれたように僕を見た。悪かったな、こんな立派な身なりで金を持ってなくて。

 しかし彼は僕の財布を期待していたのではなく、僕がお金を支払おうとする意思を見せたことに驚いたようだった。

 

「心配するな、もともと奢るつもりだ。本当に丁寧な奴だなお前は」

 

 僕が丁寧なのではなく、そちらが豪快で大雑把なのだと主張したい。武器を下げたまま歩いて誰にも咎められないなんて、自由の国アメリカでもありえないことだ。

 街のことも食文化のことも知らない僕は言われるがまま、彼の行きつけだというフライパンの看板が掲げられた店に連れて行かれ、外につながれた駆竜(カルカ)とお別れし、店内へ入った。

 店はカウンター席とテーブル席に分かれていて、客層はおっさん八割、お姉さま二割といったところだ。僕と近そうな年代の人は見当たらない。

 

 店の奥では弦楽器の生演奏が行われており、楽器を持った四人が掛け声や足で床を叩いてリズムをとり、楽器を叩いたりして陽気な雰囲気を出している。

 異国情緒溢れる独特のリズムと音色が耳に心地いい。

 僕にとっては珍しい、見慣れない形の楽器を見つめていると、楽器を全身で奏でていた浅黒い肌の女性と目が合い、バチンとウインクされた。

 犬と人間をミックスしたような外見のボリュームたっぷりの睫毛がセクシーな彼女は、ほとんど水着のようななかなか際どい格好をしている。

 生ウインクに感動していると、美女のウインクに店内のオヤジ達が沸いた。ピューピュー吹き荒れる口笛はどの世界でも意味合いは同じらしい。ここだけラテンのような空気感だ。

 

「さあ、ここに座って」

 

 通されたのはカウンター席だ。ちょうど調理場が奥に見える位置で、目の前の棚にはアルコールらしき瓶が沢山並んでいる。厨房で緑色の炎がボワリと立ち上がるのが見え、好奇心に駆られ中を覗き込んだ。

 カニとエビの間の子みたいな生物が茹で上げられ、黄色い物体の混ざった紫色のスープがコトコト煮え、肉を香辛料みたいな葉っぱと一緒にフライパンで炒められているのが見える。

 見た目はこそ慣れないものだが、とにかく美味しそうな香りがする。いつの間にか身を乗り出していたのか、目の前にガラス製のコップが置かれ、ハッと元の位置に戻った。

 カウンターの店員にクスクス笑われ、途端に恥ずかしさがこみ上げる。これじゃあまるっきりお上りの子供じゃないか。

 

「ちょっとエル、随分と綺麗な子を連れてるじゃない」

「ああ、森で知り合った」

 

 エルピディオさんがちょっと得意げなのはなぜだ。

 店員は見事な赤毛で、猫のような大きな耳が特徴的なそばかすのお姉さんだ。どちらかというとスレンダーで、胸はあまり大きくない。

 うん、いい感じにキャラが立っている。

 

「はじめまして、アルアレスです。こういう場所は初めてなので無作法をしてしまうと思うますが、よろしくお願いします」

 

 会社で叩き込まれた当たり障りのないお決まりの言葉が、スラスラ口から飛び出す。微笑みながら軽く頭を下げると、店員さんはポカンと口を開けて僕の頭の先からテーブルに隠れている部分まで舐めまわすように見た。

 どこかおかしかったのかと微笑みながら首をかしげると、彼女は顔を真っ赤にしてエルピディオさんに詰め寄った。

 

「はにゃ、な・・・なんて綺麗な上流階級発音(セウェル・エルデニー)と所作・・・!この服装といい言葉遣いといい・・・エル、まさかあんた貴族の子をかっ拐って来たんじゃないでしょうね!」

「失礼な・・・拐って来たんじゃない、連れてきたんだ!」

「言い方変えただけじゃない、この犯罪者!」

 

 間違っちゃいないけど、彼の言い方には語弊がある。これじゃ彼女に犯罪者と呼ばれても仕方がない。おしどり漫才を始める二人を早々に止めるため、僕は正しい事の経緯を彼女に説明する羽目になった。

 大まかにではあるが、どうして僕が彼と一緒に行動しているのかは理解してもらえたようで、同情の眼差しをひしひしと感じる。

 自分のことをぼかしつつ成り行きを説明すると、どうしても可哀想な境遇に陥った子供という構図が出来上がってしまう。

 僕としては自分自身のことを一ミリも不幸だと思っていないのに、他人に勝手に哀れまれるのが面倒でならない。同情するなら金をくれ。

 

 早くこの街にも慣れて、森で出会ったような怪物と戦って勝利するんだ。ついでにアイテムを手に入れてお金なんかも稼いだりして、曰く付きの武器や防具なんか手に入れたら面白いだろうな。

 力を制御するようにできれば、今よりもっと楽しめるかもしれない。

 戦って戦って、嫌というほど戦って・・・飽きるまで戦おう。そのために、僕は狡猾に生きよう。使えるものはなんでも使って、世界を攻略するんだ。

 

「自分のこともわからないなんて、不安でしょう・・・。よしっ今日は飲み物奢ったげるわ!飲んで元気だしなさい!」

「いいんですか?ありがとうございます」

 

 思わぬ収穫だ、しめしめ。グラスに注がれた液体に少し飲むと、甘くて少し酸っぱ味のある味が口の中に広がった。爽やかで飲みやすい。ノンアルコールかと思いきや、チューハイくらいの度数はありそうだ。

 この国では何歳からが成人なのか気になるところだが、正確な年齢を知らない僕にはあまり関係ないのかもしれない。

 空腹のせいか腹の中がカッと熱くなるが、日本人であった時よりも胃が疲れる感覚がない。前はすぐ酔いつぶれていたが、これなら楽しく何杯でもお酒を飲むことができそうだ。

 まさか肝臓も強くなっているとは嬉しい新事実。

 薄暗い照明に陽気な音楽、ケモ耳女性と剣士が隣にいて美味しいお酒を飲んでいるなんて、昨日までは考えられなかった。

 グラスの残りを一気に飲みきると、音を立てないようにカウンターに置く。とてもいい気分だ。

 

「美味しい」

「それは良かった!どんどん飲んでくれ」

 

 運ばれてきた料理は大皿に盛られ、それを小皿に取り分けて食べた。

 どうやらここでは料理は一人一人に分けられるものではなく、皆で囲って食べるのが主流らしい。だからかテーブルは円形のものが殆どで、一人で飲み食いしている人はほとんど見当たらない。

 豪快な肉の丸焼きを切り分けて食べ、酒をお互いに継ぎ足して飲む。一人暮らしで彼女もなし、一人でいるのが当たり前だった僕にとって、賑やかな環境というのは遠い存在になっていた。

 今となってようやくわかったが、僕の今までの生活は人から見て寂しいものだったのだろう。

 あれはなに、これはなに。色々質問をしながら食べ進めていくせいで中々皿が空かない。それでも、誰かと食べる料理はうまい。空腹という調味料を差し引いても、全くその通りだと思った。

 

 激しい曲調に乗せられるように、ほどよく酔った客たちが踊りだす。伝統的なものなのか、タップダンスとラインダンスを組み合わせたような騒がしい踊りだ。

 男女が手を取り合い、掛け声をかけ笑いあいながら曲のリズムに合わせて手や体を揺する。

 まるで魂のダンス。バレエのやモダンダンスように高尚な芸術よりも、いっそ泥臭さを感じる方が僕の心に響く。人間とそうでないものが入り乱れて、杯を掲げ踊り狂う。

 熱い何かが背筋をつたい、脳の奥から溢れ出るような光景だった。

 

「綺麗だ・・・」

 

 うっとりと呟く僕を見て、エルピディオさんがギョッとする。

 僕の氷色の瞳からとめどなく涙が流れていたからだ。

 

「ア、アルアレス・・・酔っているのか?」

 

 聞きながら僕の手からグラスを取り上げる。勿論酔ってなんかいなかったが、僕はそれを追うことも責めることもせず、唯々即興のダンスパーティーに見入った。

 たかが素人の即興ダンスに感動の涙を流すなんて、すっかり涙腺が緩んでしまっているな。僕も年をとったということか。

 小太りのおっさんや筋肉隆々の男が床を踏み叩いて体を揺らしている光景なんて、普段なら鳥肌ものでおぞましいとすら思っただろうが、目ではなく心で美しいと感じハッとさせられたのだ。

 陳腐な言葉で表すなら、生命の力強さというものの美しさを。

 目の前の光景こそ現実だ。これぞまさしく人間らしく生きる姿だ。あの怪物をぶち壊した時と同じくらい、生きているという実感が満ち充ちる。

 独りよがりに怪物と戦って、勝利することが生きる術の全てなんかじゃないんだ。なのに何で僕は戦うことばかり考えていたんだろう・・・まったくゲームに毒されすぎだ。

 

「さあ、もう引き上げよう。今日は私の所属しているギルドで休むといい」

「はい・・・お世話になります」

 

 食事はきっちり完食している。僕はお言葉に甘えて、未だ騒がしい店をあとにした。

 




はじめまして、興影(おきかげ)と申します。
書きたいものを好き勝手書いたらこんなのが出来上がってしまいました。自分の文章能力の低さに絶望しつつ、小説家の凄さを改めて実感しました次第です。
初投稿なのでドキドキしております・・・。お暇つぶしで読んでいただけたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。

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