黒に支配された世界。
闇の中で私はどうすることも出来ずにもがいていた。
まるで水の中にいる様な感覚で闇の中で溺れ続ける。
どんなに手足を動かしても何も状況は変わらず、私の体はどんどん沈んでいく。
それでも私は諦めずに右手を天へと伸ばし続けた。
そこに希望という名前の光があることを信じて。
しかし、届かない。決して届くことはない。
誰もいない。みんな居なくなってしまった。ここには私1人だ。
「お姉ちゃん、さようなら」
「アイ!」
闇の中から現れたアイは別れの言葉を残し再び闇の中へ消えていく。
私は必死に手を伸ばすが、アイに触れることは出来ない。
「ユイ姉さん、ごめん」
「カイ!」
ボロボロになったカイが闇の中から現れ、そしてまた私が触れるよりも早く消えていく。
誰も、守れなかった。何も救えなかった。
全てがこぼれ落ちていく。この掌の上から。
私は自分の掌を見ながら悔しさを噛みしめる。
憎い。誰だ。奪った奴は。私たちの生活を壊した奴は。
「絶対に許さない」
必ず見つけ出して、後悔させてやる。
いや、それだけじゃ足りない。アイが、カイが受けた苦しみを数倍にして味あわせてやる。
「ダメだよ」
「誰だ!」
私のすぐ後ろに立っていたのは私を優しく見つめる1人の女。
腰まで伸びた輝く金色の髪に金色の瞳を柔らかく細めほほ笑んでいる。
その女は私の頬に手を伸ばし軽く撫でた後、ゆっくりと言葉を紡ぐ
「ユイちゃんの力は壊すためにあるんじゃない。守るためにあるんだよ」
「しかし守る者は全て奪われた!」
「まだ大丈夫だよ。貴女の大事な人はきっとすぐ傍に居る」
女は私から離れ、天へと上がっていく。
私は必死に手を伸ばすが、その手が届くよりも早く女の背後から光が溢れ、それは世界の隅々まで広がっていく。
闇は光の洪水に飲み込まれ、黒は白へと塗り替えられていく。
「君は!?」
「また会えるから。ユイちゃん。負けないで」
叫び声すらもかき消すような衝撃と音の中で女は笑顔と言葉を残し、光の中に消えていった。
そしてその女の姿が消えるよりも早く私は自分でも気付かない内に手を伸ばし叫んでいた。
「君はまさか! 君に私は!」
そして白い光は私の体をも飲み込み、そして私の意識は白く塗りつぶされた。
「……姉さん。ユイ姉さん。大丈夫?」
柔らかい何かに包まれながら私は必死に私の名前を呼ぶ声に目を覚ました。
そしてぼやけている視界がだんだんと安定していき、目の前の揺らいでいた何かが人だと気付いた。
「カイ。か」
「うん。大丈夫? ユイ姉さん」
「あぁ。何か悪い夢を見ていた気分だ」
私は妙に疲れている体をほぐしながら、カイに微笑んだ。
しかし、カイは少し困ったような顔をした後、私の両肩を掴んで真剣な顔をする。
「落ち着いて。冷静になって聞いてね。ここがどこか分かる?」
「なに?」
どこか、だって? カイも疲れているんだな。
ここは私たちの家に決まっているじゃないか。
私は周囲を見渡しながら、カイにそう言おうとした。
「なんだ、ここは?」
しかし、私の視界に映っている景色はいつも私が見慣れている景色とはまるで違う別の場所だった。
白で統一された家具の一切ないシンプルな部屋。
壁は木では無く、何か別の素材で出来ているようだ。
「僕も気が付いたらこの部屋で倒れていたんだ」
「いったい何があったんだ? アイは……」
私は立ち上がろうとして右手を床につけた時に何か冷たい物が右手にあることに気付いた。
あまりにも自然に持っていたソレを私は見る。
「なんだ、これ」
何かの動物の形をした髪留めだ。
いや、何かではない。私はコレを知っている。イルカだ。
そうだこのアクセサリーも見たことがある。確か昔アイに……。
アイ、そうだアイは!?
「カイ! アイは!?」
「……見てない」
どうして私たちだけここにいるのか。私はその理由を唐突に思い出した。
アイは、あの場所で消えてしまったんだ。
「カイ、アイは……」
「まだ死んでないですよ」
「誰!?」
カイの声と同時に私は起き上がり、拳を握りしめるとカイを庇う様に声のした方へと向いた。
そしてそこに立っていたのは小さな少女だった。アイによく似た少女で違いと言えばアイの艶やかな黒髪は透き通った海の様な青色になっている事だろうか。
よく見れば全体的にかなり小さい。
「む! 今ナナのこと小さいとか思いましたですね!? 見た目が、なんだ!」
少女は腰に手を当て、怒りながらこちらへ無防備に歩いてくる。
私は思わず攻撃することも忘れ、茫然としてしまった。
そして私の手の中にあるイルカの髪留めを奪うと自分の前髪を留める。
「やっぱりこれが無いと落ち着かないです」
銀色の髪留めは少女の髪に付けると桜色へと変わった。
そして少女は私の方を見ながら笑った。
「はじめまして、ですね。ユイ、カイ。ナナの名前はナナと言うです」
「ナナちゃんか。君はいったい何者なの?」
「なんかガキ扱いされている気がしますですけど。まぁ良いです。ナナは大人の女なので、気にしないです。そうまったく気にしないです」
ナナと名乗った少女は腰に手を当てながら自分の薄い胸を叩き、その胸を張る。
しかし、背が小さいからかどこか可愛らしい。
私は無意識の内にナナと名乗った少女の頭を撫でていた。
「な、なな、何をやってるですかー!!」
「いや、なんとなく」
ナナは私の右手を掴み、頭から弾き飛ばすと両手を上下に振り怒りをあらわにする。
そんな様子を見ても怖いという感情は一切湧かなかった。
むしろ可愛らしさをアピールしている様にしか見えない。
「ナナは大人の女性だと言ってるです! 何なでなでしてるですか!? はぁ!? 少し気持ちよかったとか勘違いですよ!?」
「そうか」
「まったくもう! まったく、まったくですよ!」
ナナは地団太を踏みながら怒り狂っている。
しかし、言っていることは支離滅裂だし、怒り過ぎて自分でもよく分からなくなっているのだろうか。
「ちょっと2人とも落ち着いて。話が進まないよ」
カイはまたナナの頭を撫でようとしている私の手を掴み、チラッと私を見ると力強く頷いた。
どうやら自分に任せろということらしい。
私は1歩ナナから離れると、少し離れた場所から2人を見守る事にした。
「な、なんです? お前もナナをイジメるですか?」
「イジメないよ。僕たちはナナちゃんに聞きたい事があるんだ」
カイはナナの視線までしゃがむとナナの両手を優しく包み、微笑んだ。
そんなカイの微笑みにナナは緊張を解しながら少しずつカイに話をしていく。
「ナナはこの場所でずっと待ってたです」
「何を?」
「戦いが始まるのを、です。ナナはその為に生み出されたのですから」
ナナは自信に満ち溢れた顔でカイと私を見つめる。
何だろうか。そのナナの表情や言葉は何か酷く悲しいことのように思えた。
しかし、それを私はうまく言葉にできない。でも私が出来なくても出来る人がいる。
「それは、悲しいね」
「何がです? 生まれた意味があるというのは嬉しいことではないですか?」
「うん。僕もそう思うよ。でも、生まれた意味は与えられるものじゃないと思うんだ」
カイの言葉にナナは首を傾げる。
しかし、そんなナナをカイは優しく抱き留めた。
「ナナちゃんにもいつか自分の生まれた意味が分かる日が来ると良いね」
「そんなの分からないです。知らない方がよかったかもしれないですけど。……いや! そもそもナナの生まれた意味は!」
ナナは再び叫ぼうとするが、カイの笑顔に言葉を詰まらせ黙り込む。
彼女自身何か感じる事があったのだろうか。
「とにかくです。時が動き始めたんです。この眠った世界の全てが動き始めた。そして始まるんです。エミの遺産を巡る戦いが」
「エミの、遺産?」
言われた言葉をつぶやきながら私はあの家で会った男の事を思い出していた。
アイツも確かエミという人を探していたハズだ。
「で? どこにいるんだ。そのエミとかいう奴は」
「居ないですよ」
「は?」
「世界の全てを守るために消えた。と聞いているです」
なんだそれは。どこにもいない?
ならアイツは何故そのエミという人間を探していたんだ。
そして何故私たちはあんな目にあったんだ。
「ユイ姉さん怖い顔してるよ」
「カイ、私たちは奪われたんだ! 静かな暮らしも、アイも!」
「アイちゃんなら生きてる。大丈夫だよ」
カイは私の握りしめた右手を両手で包み込む様にすると優しく微笑んだ。
しかしカイの表情は本当に心から大丈夫だと思っている様なモノではなく、私を励ますために言っている事が分かり、私はそれ以上何も言う事が出来ない。
私はカイのお姉ちゃんなのに、こんな事じゃあダメだな。
「カイ、ごめん。本当は私がしっかりしないといけないのにな」
「あー、さっきから話に出てくるアイっていうのは2人の知り合いですか?」
ナナはいつの間にかナナ自身の身長よりも高い台の上に乗り、腕を組みながらこちらを見下ろしている。
余りにも高いせいか、フラフラと安定感もなく立っている。がそれでも顔は自慢げだ。
「アイは、家族だ」
「家族……そうですか。なら、ナナと共に行きませんか? エミの遺産の中には人を探すものがあるそうです。どうです? ナナは優秀ですよ?」
私は台の上で自らの胸を張るナナを見て考える。
この少女は何が目的なんだろうか。
私たちを何かに利用する気か?
「ナナの力を疑ってるんですね? なれば!」
ナナは左手で私の手を掴み、右手を地面に向けそして目を閉じる。
次にナナが目を開いた時、目の前には見慣れたモノがあった。
いや、ソレは正確には地面に刺さっていた。
「これは、ウチにあった剣。あの場所に置いてきたハズなのに」
「ユイの記憶から作り出したんですよ。どうです? ナナは優秀でしょう」
ナナに握らてていた手が解放され、その手でゆっくりと剣を掴む。
その重さも、硬さも何もかもが記憶と同じ、慣れ親しんだモノだ。
「目的はなんだ」
「え? なんです?」
私が地面を見つめながら呟いた一言は小さすぎてナナには聞こえなかったらしい。
いや、それすらも演技かもしれない。何も信用してはいけない。
私が油断すれば、次に失われるのは……。
「ユイ姉さん? どうしたの?」
「カイ下がっていろ」
私は左手でカイをどかすと、ナナに向かって右手に持った剣を振り下ろした。
しかしその剣はナナに当たる前に見えない何かに弾かれ、右手ごと後ろへ飛ばされそうになる。
私は右足を下げ、地面がえぐれるほど右足を踏み込み、そして後ろへと向かっていく剣を無理やり戻し、切っ先をナナに向け突き出した。
「危ない!」
ナナを貫くハズだった鋭く尖った切っ先はナナを捉えることはなく、何もない宙を通過していった。
そしてナナの乗っていた箱を倒しながらナナを庇い、腕に傷を負ったカイがナナと共に地面に倒れている。
「カイ、何のつもりだ」
「姉さんこそ何のつもり? そんな怖い顔して、ナナちゃんに何をする気なの?」
「ソイツは危険だ。剣を出すのを見ただろう? こんなワケの分からない力を持った連中に私たちは襲われたんだぞ。今後危険になりそうな奴は早めに排除する!」
私の言葉を聞いてもカイはナナを抱きしめたまま私をまっすぐに見つめる。
その瞳は強く、私を悪だと言っているようだった。
「姉さんは何を怖がっているの?」
「私は何も怖がっちゃいない! ただ、敵を減らそうと!」
「敵って誰さ」
「私たちの邪魔をする奴らだ! アイだけじゃなく、カイまで奪おうとする奴だ!」
「僕はずっと姉さんの傍に居るよ」
カイは私に優しく囁くと柔らかく微笑んだ。
違う。違うんだ。カイ、違う。私たちはあの場所を出ちゃいけなかったんだ。
世界には私たちの敵しかいないんだ。みんながカイの優しさを利用しようとする。
「カイは騙されているんだ」
「もう! 姉さんの分からず屋!!」
カイはそう叫ぶと昔アイが渡した護身用の短刀を取り出した。
人やモノを傷つける事を嫌がるカイが唯一持っている自分を守る為の武器。
それを震える両手で握り、私にまっすぐに向ける。
「勝負だ!」
「カイが私に勝てるワケ無いだろう」
「臆病者の姉さんなんかに負けない!」
カイはそれだけ言うとまっすぐに私に向かって走ってくる。
両手に握った短刀を頭上高く振り上げ、私へと振り落してきた。
しかし両目を閉じている為、私の位置まで届いていない。
私はカイの手首を掴むと、後ろからカイを強く抱きしめた。
両腕を抱きしめながら押さえているから動く事も出来ないだろう。
「うー! 離してぇ!」
「カイは何がしたいんだ」
「僕だっていつまでも姉さんに守られてばっかりじゃない! 人を信じる強さも忘れた姉さんなんかに負けない!」
カイはジタバタと暴れるが、私の拘束から逃れる事は出来ない。
その内にカイの声はだんだんと泣き声へと変わっていった。
このままでは何も事態が進展しないと、私はカイを説得する為に暴れるカイに話しかける。
「カイ。世界の人間はカイが思っているよりもずっと汚い。自分の利益の為に誰かを利用しようとする様な奴らしかいないんだ。カイが思っている様な完全な善人なんていないんだよ」
「完全な善人が居ないなら、完全な悪人だって居ない。そうじゃないの? 疑わしいからって武器を向けたら先にあるのは争いだけだ。互いが疑っているのならまずどちらかが手を差し出さなかったらいつまでも握手なんて出来ないよ!」
「その差し出した手を払われたらどうするんだ」
「ならその時考えるさ! 僕らは……まだ払われてないでしょ?」
カイの話は理想ばかりの暴論だ。それは分かっている。
でもカイはこういう事を言い始めたら絶対に意見を変えない。
だから、私もアイもカイが大好きなんだけど。こういう時は本当に困るな。
「ナナの事でそんな争われては困るです」
唐突にすぐ目の前からそんな声が聞こえてきたから私もカイも思わず動くのを止め、視線を少し下に向け、両手を腰に当てている少女を見た。
少し小さめの少女、ナナは両腕を組み目を閉じながらこちらの反応など気にせず話を始める。
「ナナは確かに優秀です。人の手で生み出された最高峰のAIで。処理速度、スペックをいちいち語り始めたらキリがないです。なので、重要なポイントだけ分かるように説明するです。こんなところにもナナの有能さがありますです」
「こほん。まずナナの代表的な力の1つは記憶の具現化です。先ほど見せたからよほどのアホで無い限りは覚えているはずです。そして次に反射能力です。理屈は色々あるんですが、言っても理解出来ないと思うので、簡単に概要だけ説明すると、7秒間だけどんな攻撃でも事象でも使用者に返す事が出来るです」
私もカイもどうしてナナがそんな事を話し始めたのか理解出来なかったが、反応する事も出来ず、ただ静かに話を聞き続けた。
「そしてここに居る全員にとって一番大事な力は世界を渡る力です。そう、過去や未来へ行くことは出来ないですが、同時間軸に存在するいくつもの平行世界を移動する力です」
ナナは一通り話し終わると私たちを横目で見た後、両手を背中で組み地面を見つめながら小さな歩幅で歩き、また続きを話し始めた。
「そんなナナにも弱点があるです。先ほどユイから受け取った髪留めには私の力を起動させる為のキーが登録されているです。ナナの記憶媒体なので、これが壊されるとナナは機能を停止するです」
「ナナちゃん? さっきから何を」
「まったく理解力が低いです。さっきカイが言ったんじゃないですか。自ら手を差し出さなければ握手は出来ないと。だから今ナナが実践してるですよ」
ナナは首を小さく傾げ、そして微笑む。
「ナナには目的があるです。成し遂げなくてはいけない事があるです。マスターの願いを叶える事。マスターの幸せを実現する事。そして何よりも……ナナ自身が、またマスターに会いたい……会って謝りたいんです」
ナナは唇を噛みしめながら、拳を握りしめる。
苦しそうに語った願いは本当に心からの願いなのだろう。彼女の様子からそれがよく分かる。
「私はどこかへ消えてしまったアイを探す。そしてカイをどこか安全な場所へと逃がす。それが私の目的だ」
私はカイの拘束を解くと、ナナをまっすぐに見据えながらゆっくりと歩いていく。
そしてナナの目の前まで来ると、しゃがみナナに視線を合わせた。
先ほどまでの事があり、ビクビクと怯えているナナに私は右手を差し出すと、笑う。
自分ではよく分からないが、多分笑えたハズだ。
「じゃあ改めて自己紹介だね!」
カイはそう言いながら私の差し出した右手と、ナナの戸惑っている右手を掴むと自分の右手を重ねた。
そして私たちの顔を交互に見ながら満面の笑みを浮かべる。
「握手したからみんなこれで仲良しだね!」
カイは私たちの手を強く握りながら、嬉しそうに言葉を紡ぐ。
「そうだ。僕たちはまだ自己紹介してないね! 僕の名前はカイ。得意なのは料理かな。後、明日の天気を当てるのが得意だよ!」
「自己紹介か。私はユイだ。得意なことは剣を振り回すことか」
私たちの言葉を唖然と聞いていたナナは私の言葉が終わってから少しして、小さく噴き出した。
そしてそのまま肩を震わせながら大笑いする。
ひとしきり笑った後、ナナは笑顔のまま私たちの手を強く握り、言った。
「これからよろしくお願いするです」