試合を最初から見ていた御幸は、夏の大会が楽しみで仕方なかった。
「やっべぇぇ……」
思わず頬が緩んでしまう。あのまだまだ未熟だった沢村が、1年生の先発を任されていた。去年はムービングボールしか投げることのできなかった中学生が、速球系の変化球を携え、この青道に再びやってきた。
先頭打者を抑え込んだ右打者の外へ逃げるサークルチェンジ。あれだけタイミングの取りづらいフォームで130キロ前後の速球を織り交ぜられれば、そう簡単にタイミングを合わせられない。
だが、彼が驚いたのは緩い変化球ばかりではない。
「ムービングの軌道から、変化した?」
揺れながら高速に落ちる縦の変化球。速球のように速く、揺れながら変化する。ナックルの軌道にも通ずる御幸の知らないボール。
「……大塚だな、アイツを仕込ませたのは」
御幸は直感で悟った。ベンチで腕組みをし、不敵な笑みと、やや驚いた表情をしている彼―――大塚を見て、彼が沢村に野球を教えたのだと。
フォームも、足を大きく上げる従来のフォームと、上半身で壁を作るフォーム。まさに変則オーバースローとして、完成されつつある沢村の投球モーション。
初回の攻撃は、やや期待していた沖田が、自分のスイングをすることが出来ずに終わった。スイングに無理がありすぎる。途中までは理想的なフォーム、なのに直前で彼は力んでいた。
「あのことを思っているなら、気にするな!! アレは最善と最善がぶつかった結果だ!!だから、お前はお前のバッティングをしろ!! もう一度、戦いたいと思える俺のライバルでいてくれ!! お前のバットを見せてくれ!!」
大塚の大きな声。彼が沖田と何かがあったことは明白であり、二人の因縁を高島礼から聞いていた御幸は、彼の檄によって沖田が目覚めることを期待した。
しかし、結果は流し打ちのゴロ。上手くミートしたが、センター方向に打たないように意識し過ぎたあまり、無理に流しているのは明白。無理に引っ張るようなコースでもなく、彼は為す術なく虚しく一塁を目指す。
「いいスイングしているのにな。」
大塚から言われれば、もう何も気負う事はない筈。いや、彼が沖田を励ましていることを察し、余計に力んだのか。
そして2回の上級生の攻撃。増子との戦いは圧巻だった。この場に一軍の面々がいないことが、御幸の「面白いものを最初に見つけた」優越感を擽らせる。
ストレートに初見でタイミングを合わせてくる増子もさすがだが、臆することなく攻めてくる下級生バッテリーも勇敢に見えた。
――――ホント、面白い1年生ばかりだなぁ。アイツにはスタメンは奪われそうにないけど。
狩場は強気のリードで沢村の特徴を活かしている。投手の力を最大限に引きだし、気持ちをのらせるタイプ。おだてるのが上手い。
――――お互いがお互いを刺激し合えるバッテリー。こういう面白い奴らもいるんだな
そして最後にはインコースを続けてのリードに増子が打ち取られた。OBからは、1年生の奮闘が新鮮に見えているだろう。
「あの1年生、増子を打ち取ったぞ!」
「続けざまのインコース攻め!! けど、あの程度の速球に増子が打ち取られるなんてな」
「やっぱりスタメン落ちってのは、そういうことなのか?」
OBたちは、沢村の事を理解していない。だが、チーム内でも屈指のパワーを誇る彼が、タイミングがあって尚、打ち取られる要因は、限られてくる。
―――――沢村のボールが相当に暴れている。しかも最後のボールは、癖球なんかじゃない。
御幸は、鳥肌が立っていた。あの沢村に目を付けた自分の勘は間違っていなかったと。
―――――最後のボールは、恐らく意図的に右打者の胸元に切り込ませ、詰まらせた。
考えられるボールは一つしかない。
―――――カットボール……ッ! どんだけ進化してんだよ!! まだ入学して間もないぞ!!
打者を詰まらせるために考案されたムービングの一つでもあるカットボール。さらに、沢村のフォームの効果もあり、タイミングも取りづらい。
右打者殺しのカッター。これで球速が増していけば、右打者の被打率はどんどん低くなっていくだろう。そしてそのカッターをさらに生かしているのがチェンジアップ系。あそこまで両サイドを意識されれば、打者は狙い球を絞りづらく、タイミングも取りづらい。
そしてその両サイドを活かすために不可欠な、この試合での沢村の制球力は、今のところコントロールミスが少ない。癖球に慣れていない上級生は悉く打ち損じているのだ。
だが、強打者相手だとその制球力もかなり上がる。この癖球とカッター、緩い球が威力を発揮する。
―――― 一軍レベルではない上級生には、打つのは難しそうだな。
そして、2回で降板した沢村。上級生たちは増子をのぞき、沢村の球筋を解っていない。最後まで球筋を見なければ、ヒットに出来る確率もかなり下がるのは明白。
「あ~あ。やっぱりベンチは荒れてんなぁ……」
御幸は困ったようにつぶやいた。あの程度の真直ぐをヒットに出来なかった面々を叱咤する声。増子はその中で、打てなかったのは実力だと悟っているが、あの様子ではまだ沢村の事を癖球としか解っていない。
そのベンチでは―――――
「おいおい!! 先制点を取られ、一年生には2イニングを抑えられてんぞ!! このままじゃ、上級生のプライドがねぇだろ!!!」
「あの程度の真直ぐに、なんで俺は……」
「そうだ、そうだ!! あの程度の真直ぐはマシンで打ち込んだだろう!! なのに、お前らだらしないぞ!!」
「……沢村のボールが動いている。それは間違いなかった」
増子はただ一人、そう答えた。
「増子先輩?」
2年生の野手が、不思議そうに尋ねる。
「沢村ちゃんのボールは手元で相当暴れている。ムービング、癖球のように俺達のバットの芯を外しているんだ。最後に俺が打ち取られたボールも、カッターだったのは間違いない。」
そして彼は、沢村の投じた最後のボールを悟る事が出来た。アレは癖球ではなかったのだと。
「カットボールっ!? なんでそんな球を覚えているんだよ!!!」
「アイツ、一度もスライダー系や、カーブも投げなかったぞ。癖球と緩い球で俺達を抑えたっていうのかよ……」
今まで日本にはあまりいないタイプ。ポピュラーな変化球ではなく、チェンジアップや速球系の変化球を習得している彼は、日本でも異質な存在。
上級生たちは思う。
――――まるで、米国仕込みの投手の様だと。
「と、とにかく!! あの投手は降板するぞ。次の紅白戦では種も解っている状態だ。絶対に打ち崩す!!」
監督に言われ、沢村は降板。沢村はやや驚いた顔をしていたが、渋々マウンドを降り――
「あの野郎が次の投手か」
それは、散々上級生を煽っていた1年生。
降谷暁。遠投新記録に迫る実力を示した怪物。
『自分は明日、ここにいるだれにも打たせる気はありません』
『そうすれば、僕のボールを捕ってくれますか?』
彼は上級生など眼中になかった。御幸に受けてもらう事しか考えていなかったのだ。だからこそ、彼の見下した発言は、上級生のハートに火をつけていた。
だが――――
ドゴォォォォォォンッッッっ!!!!!!
「な、何だよ……」
ベンチにいる誰かがつぶやいた。
「何だってんだよ!!!!」
1年生捕手は、彼のボールを何とか捕球した。しかし、あまりにも強烈なストレートに、打者は体をのけぞらせてしまった。
それをOBたちと一緒に見ていた御幸は、彼の言葉がフロックではないことを悟る。
――――変則左腕の次は、剛球右腕か。なんていうか、まあこうも才能を見せられると、ヤバいな。
御幸は上級生ベンチを見る。丹波、川上は衝撃を受けた顔をしており、野手陣はそのたった一球で、動揺が広がっている。
――――たった一球で、打者の心を折る圧倒的な球威。こいつも天才か。
恐らく、全体重を指先に集約して放たれるストレート。故にその球威は並のそれではない。だが、御幸の懸案はそれを1年生がやっていることだ。
――――まだ体の線も細いアイツが、それを何球も投げられる身体かどうかは、見ればわかる。俺達はコントロールしないと、あの手のタイプはすぐに無茶をする。
沢村の投球に触発されているのか、降谷の一球はすさまじかった。彼はその一球で監督を認めさせた。
「監督、絶対にアイツの球を打ちます!! いくらなんでもそれは………!!」
「だが捕手の負担が大きい。今怪我をしてもらっては困る。貴重な、奴のボールを取れる一年生だ。そして、経験も積ませたい」
監督の言う通り、降谷の球を受け続ければ、あの捕手は潰れてしまう。故に、御幸も自分が捕手に名乗り出たい気になったが、下級生だけのチームと言われていたため、あの時のようにはいかない。
その後、ついに本命が現れた。
「ピッチャー、大塚ッ!!」
御幸が一番見たかった投手。大塚栄治。あの時のような圧倒的な投球を見せる大塚。上級生を、決め球のスプリットなしで次々と打ち取っていく。
――――あんなスライダー、持っていたんだな。
横に大きく曲がるスライダー。球速が遅く、スロースライダーといっていいその球種は、140キロ前後の速球と合わさり、脅威であり、その2球種で緩急を担えるほど。
そして両横を抉る動く球。沢村はカッターだけだが、大塚にはシンキングファストがある。相手のバットの芯を外すのも楽そうだと感じた。
――――マジで、立ち振る舞いが堂々としている。臆することなく、マウンドで自分の出来る事だけに集中している。
風格が漂っていた。それは、御幸が渇望していたエースの姿。
――――アイツが出てきた瞬間、下級生全員の動きもよくなっている。打たせて取るテンポのいい投球が、全体の調子を上げているのか!?
初打席ノーヒットの沖田も流し打ちで出塁するなど、川上を後一歩のところまで追い詰めたのだ。しかし、増子が最後は立ち塞がり、追加点を奪えなかった。
だが、下級生が1点のリードを守っている。上級生が一点も奪えない。そんな強豪ではありえない図式が現実のものとなっている。
「おいおい、何だこのスコアは!? 下級生から一点も奪えてねェじゃねェか!!!」
この大声は、3年生の伊佐敷先輩。センターの外野手であり、強肩強打の青道の主軸。どうやら、スコアを見て不満があったらしい。
「うん、100点差くらいつけとかないと。でも、彼からは点を奪えそうにないね」
小湊は、スプリットを増子にだけ見せた大塚の投球を見て、手を抜かれていることが明白だと悟る。
「ああ。あの大塚という投手。初日から自主練を始めていた。他にも有望な新入生も自主練に参加している。今年の20人は、相当な変化があるだろう」
主将の結城は、沖田と大塚が初日から頑張っているのを知っている。故に、この結果を鑑みれば、1年生のメンバーが増えることを予期していた。
「哲のお気に入りか!? あいつがぁ!?」
伊佐敷は、マウンドにいる大塚を見て笑みを浮かべている結城に食って掛かる。
「最善を尽くす努力をしている。俺には、あの成宮よりも手強いと感じた。」
主将の口から、宿敵よりも厄介と言わしめるほどの実力。鋭い眼光を向け、彼は静かに戦況を眺めていた。
結城も感じたのだろう。彼がいるだけで、下級生の動きがよくなっていることに。
「丹波もケツに火がついただろうな、こりゃあ」
レフトのレギュラーである坂井は、大塚の堂々とした投球を見て、現エースの丹波も危機感を感じるのではないかと考えた。
「けど、成宮よりも手強いってのは言い過ぎじゃないの?」
小湊は、さすがにあの宿敵よりもまだ凄みを見せていないと言い張る。
「彼が凄いのは認めるけどさ。増子を三振に取ったあのボール。素直に凄いと感じたよ。けど、ストレートはまだ、成宮には及ばない」
続けて今度は彼の長所と短所を指摘する小湊。
「小湊。アイツは今何年生だ?」
結城は小湊に尋ねる。
「え? 今は1年生だけど」
何を当たり前のことを言っているんだと、小湊は不思議そうな顔をする。
「まだ奴は、“1年生”だという事だ。それに、はっきりとは言えないが、何か違和感を覚えるフォームでもある。」
結城は最後まで言葉を続けなかった。ここにいる青道ナインが彼の次の言葉を感じ取ったのだ。
――――大塚栄治はまだ、底を見せていない。
恐らく、彼は最善を尽くしているつもりなのだろう。だが、まだ彼は彼の真の最善に達していない。投手の事はからっきしだが、結城は直感で大塚の欠点を見抜いていた。
それが何なのかすらわからず、ただただ予感というだけだが。
「けど、やっぱり上級生も大塚の前に一人もランナーを出せていませんね……」
御幸がやや厳しい表情で戦況を眺めている。
「いつからアイツらはランナーを出せていない、御幸。お前は最初から見ていたんだろう?」
伊佐敷は、御幸に尋ねる。そして信じられないような目でスコアを見て、そして御幸を見るのだ。
ヒットゼロ。あのスタメンではないにしろ、上級生たちが一人もランナーを出せていないという事実。
「最初は東先輩を三振に取った沢村が、2回をパーフェクト。続く降谷は150キロ近いボールで一発合格。大塚はお察しの通りです」
御幸が簡潔に戦況を全員に説明した。
「……これが、今年の新入生の実力か……」
門田は、呻くようにつぶやいた。
そして6回終了時。
「(実戦初登板ながら、才能と実力を見せた1年生投手陣。丹波も意地の投球。点を取られはしたが、まずまずの出来だった。川上も最後は増子の好守もあり、崩れなかった。頃合いだろう)」
ベンチでは、1年生投手陣からヒットを打てていない現実に打ちのめされた上級生を見て、これ以上は再起不能になりかねないと考えた片岡監督は、この紅白戦を切り上げることを決めた。
「集合!! 6回終了を以て、この紅白戦を終了とする!! 両チーム整列!!!」
「か、監督!! 俺達はまだ!! 俺達はまだヒット一本も!!!」
「まだ俺達は戦えます!! まだ俺達はッ!!!」
上級生の嘆願。下級生に完全試合を食らわされたままでは、やはりプライドが許さない。その気持ちは痛いほどわかる。だが、投手出身の片岡にはわかってしまった。
――――仮にヒットを打っても、この投手陣からはまだ打てないという事が。
「……お前たちの気持ちもわかる。だが、この6回の終了の結果がすべてだ。」
「っ」
「確かに、お前たち上級生にとってみれば、絶好のアピールにもなっただろう。だが、相手を侮り、沢村の球筋に増子以外気づかず、良い様に弄ばれたのはなぜだ?」
「そ、それは……」
「降谷のことは、俺も想定外だった。あのまま続行すれば、第2のクリスを生むことになっていたかもしれん。」
クリスの名を出されて、上級生たちは沈黙する。1年生捕手が入学早々に怪我でもすれば、やはりあの青道のトラウマが蘇ってしまう。
将来を嘱望された、天才捕手の離脱。彼は凡人だ。だが、その凡人はあの球を捕球したのだ。それは彼がこの青道に来て最初に出した結果でもあった。
「大塚には、決め球のSFFを増子以外に投げることがなかった。奴の舐めた態度は、流石に後で一言を入れるつもりだ。しかし、厳しいことを言えば、それだけの差があったという事だ。」
「か、監督……」
それが事実だった。その大塚からヒットを打てていない。簡単にうたされていた。
「そして、下級生の球はヒットに出来るという驕りが、お前たちにあったんじゃないか?」
その一言で、上級生は黙ってしまった。沢村と大塚は、パワーでは勝てないことを知っていた。だからこそ、動く球を有効に使い、打ち気に逸る上級生を封じ込めたのだ。
文字通り、相手を抑えるためにがむしゃらに、そして計算高い確かな作戦で。
「試合後、好きなだけバットを振ってこい。今日の悔しさを忘れるな。この悔しさをばねに、絶対に後悔するな」
片岡監督は、暗に強くなることを期待した。彼ら上級生に、さらなる奮起を促したのだ。その悔しさを忘れず、奢りを捨て、謙虚になる事を示した。
はいっ!!!!
「……大変なことだと思うぜ、これは」
倉持は、やや震えた声でこの結果に驚いている。あの沢村が、上級生相手に、増子先輩を相手に勝ったという事実。
「今年の青道は、よりレギュラー争いが激しくなるな。」
結城は、この試合で活躍した沖田、東条、小湊、狩場に注目した。この4人はいずれ青道の核を担う存在になる。あの強力投手陣と対を為す、史上最強の青道を全国に示す可能性がある。
「エース争いも、厳しくなるね。丹波も川上も、凄い後輩がいると苦労しそうだね」
俺もだけど、と最期に小さく言った小湊は、Bグラウンドを後にする。
「あの野郎、今度は俺がスタンドインしてやる。やっぱ先輩がいろいろと手本を見せないとな!!」
伊佐敷は、大塚が天狗になる可能性があるので、紅白戦で絶対に打ち込んでやると決意する。
闘志を剥き出しにする先輩が帰った後、御幸はその後ろ姿を見て、
「結果的に、監督の思い描いたシナリオ通りだな。」
下級生を当てて、上級背の闘争心を煽る結果となった今日の試合。それ以上に収穫だったのは――――
「即戦力が2人もいることだな、やっぱ」
野手は調子を上げればという面々がいる中、沢村と大塚は、実戦で長いイニングを任せられる可能性を見せつけた。
降谷は変化球がなく、ストレート一本は不安だが、その将来性は疑いようがない。この二人が彼を刺激し、お互いを高め合えば――――
「見えてくるな、全国の舞台が――――」
未だ見えない、甲子園の大舞台。
『後悔すればいい。10年後も、20年後も』
とある知り合いの言葉がやはり胸の中には残っていた。だが―――
――――やっぱり俺、青道に入ってよかったかもしれないぜ。
青道の扇の要は、青道の飛躍を期待するのだった。
時系列的にも12話ではなく、あえて11.5話にさせてもらいました。
ベンチの様子と、レギュラーメンバーの視点。
原作では指摘されなかった「下級生の球くらい軽く打ち込める傲り」に着目した結果となりました。
下級生と言えど、全力で叩き潰す気概が足りず、その判断が出来なかったことを、片岡監督は指摘したのですが、大丈夫かな、これ・・・・