128話から読んでください
7月13日。ドラフト編を番外編に投稿しました。
高速縦スライダー。御幸の指示が発せられた瞬間、空気が変わった。
集まったギャラリーの注目を集める大塚の新たな武器。紅白戦の審判を務めた結城以外の上級生は知り得ない、公式戦でまだ投げていないボール。
あの大塚が、そこまで慎重になるボール。上級生たちは興味津々だった。
通常のフォームでは紅白戦でお披露目の高速縦スライダー。沖田と第2打席の御幸に対してのみ投げた決め球。その両者がどちらとも掠らなかった。
狩場の言う鬼神スライダーは、縦のフォームで投げた時のそれを指す。
ストレートと同じ球速で変化し、急激に縦に曲がる―――
それが高速スライダーの特徴。
回転量の数が4種のスライダーに比べて桁外れな暴れ馬は、御幸の目の前、ベース板の手前でさらに加速したかのような変化を起こし、縦に曲がった。
「!!!!」
何とか止めた御幸だったが、それは後逸を防いだだけという実感のほうが強かった。甘めのストライクゾーンから鋭く――――――際どいコースへと決まったこの決め球は、ギャラリーの反応をマヒさせた。
「――――――――――」
片岡監督は、このスライダーを見て言葉をなくしていた。あの鉄面皮の彼が、あそこまで衝撃を受けた顔を上級生たちは見たことがなかった。
―――――紅白戦の時よりも、コントロールもついているな。
これならば、十分に実践で使える。スプリットを警戒している相手にさらにこの球種まで加われば、打者は堪らないだろう。
それはそれとして、この男は世間をいつも驚かせないと気が済まないのか、と良い意味で呆れた気持ちになる片岡監督。
受けた御幸は
――――あぶねぇぇ。見失うところだった。てか、捕れてよかったぁ
キャッチャー目線ですら、危うく視界から消えるほどの変化球。捕ることが難しいと感じさせる変化球。
「なんだそりゃぁ!? どういう回転をかけているんだよ!?」
伊佐敷はしばらく思考停止していたが、御幸が苦笑いをしているところを見た瞬間に回復し、大塚に突っ込みを入れる。
「えっと、握りつぶす感覚です」
「なんだそりゃ!? ボールを握りつぶすって、えぇぇ!?」
「先輩ッ! ちなみに俺のスライダーもそんな感じです!!」
ここで沢村が自分をアピールするべく、原理は同じだと宣言する。
「なに? あとで教えてほしいんだが、沢村」
丹波もその話に乗っかり、しばらくフェードアウトする二人。この後、丹波はツーシームとスライダーについて熱く議論を進めることになる。
二人ほどギャラリーが減り、
「―――――悪い、大塚。打席に立たせてもらえないか?」
ここで、結城が打席に立ってそのボールを見たいと言い出した。
「え、わかりました。そういえば、あの紅白戦でも球筋は見ていましたよね?」
紅白戦で初お披露目の通常のフォームでの高速縦スライダー。結城は主審を務めていたが、打者目線でこの球種を見てみたかった。
結城が打席に立ち、大塚が再び噂の高速スライダーを投げる。
―――――危うくあの時も見失いかけた。打者の目線ではいったいどれだけの
結城は球筋を見るだけだった。しかし、
「――――――驚いたな。本当に消えたぞ」
結城は苦笑いをしながら感想を述べる。
「正直なところ、最初は本当にスライダーなのかと疑問に思ったが、スライダーだと気づかせてくれないのがこの球種の憎いところだな」
軌道がストレートとほぼ同じだということが、この球種の威力を物語る。
「これは、カットするのも一苦労かな。コースに決められたら手に負えないね」
カットの名人、小湊亮介でも大塚の今のスライダーは手に負えないと思わせるナイスボールだった。
「―――――つまり、スライダー特有の膨らみが小さい、そういうことかな?」
落合コーチが大塚のスライダーの特徴を言い当てる。スライダーだと最後まで悟られないことが、この変化量との相乗効果を生んでいた。
「つまるところ、大塚のSFFと同じ特徴を持ったスライダーということか。いやはや、これで強烈な変化をするという縦フォームのスライダーがある、恐ろしいな」
落合は、縦フォームではない高速縦スライダーでこれなのだから、縦フォームで投げた場合のスライダーはどれほどの球なのかが逆に知りたくなった。
球速もおよそ130キロ中盤から後半の間。
「えっと、次はSFF行きます」
引き続き結城が打席に立って、その球種を見極めるが、
「―――――スピードが増したな。以前よりも伸びがある。打者はストレートだと思ってスイングをして、初めて落ちたことを認識するだろう。相変わらず、チェックゾーンを超えて沈むから、見極めは難しいぞ。」
SFFにも問題がなく、いよいよ縦フォームが完全解禁される。
「―――――――」
片岡監督も、大塚の本気のフォームである縦のフォームは夏以降見ていない。体に相当負担がかかるということで、本人も封印していたのだが、体の馬力が上がったことで、当人が誓った封印が緩んでいるということを気にしていたのだ。
――――負荷を考慮して封印したフォームを、今になって行う。
それほどの価値が、この先に見られるという。
上級生たちも固唾を呑んで見守る。
「縦フォーム、まずはストレートから行きます」
大塚がノーワインドアップから投球モーションを始める。ゆったりとした動きから、滑らかな動き。レッグアップも連動している、無駄がない印象を強めていた。
テイクバックも通常フォームと途中までは一緒だったが、次の動作により違うものに分岐していく。
通常フォームよりもダイナミックな体全体を使った躍動感を感じさせるダウン、からのステップという動作。上半身の力が強まった、というべきか。上半身と下半身の出力の比率が変わったのだ。
通常はごく自然な、体をあまり反らさない力感を感じさせないものであり、縦フォームはより躍動感、力強さを感じるそれに変化していたのだ。下半身に引っ張られる感覚。比率でいえば、下半身が主体。
しかし、これは今までそれほど出していなかった上半身の力も加味している。左側の臀部も通常より上げているため、背中を若干反らし、リリースが高い位置に。
腰の回転で、腕が自然と出てくるような今までのスタイルから、背筋の強さと腕を強く振る動作も重なり、荒々しく、躍動感のあるものに。
身長185㎝の長身から繰り出される角度のあるストレートのリリースのタイミングは、
とにかく速かった。
ドゴォォォォ゛ォォンッッ゛ッッ゛ッッ!!!!!!
御幸のミットを危うく破壊するのではないかというほどの轟音が、収まった。
「うっ、いったぁぁぁ――――」
思わず御幸が呻き声を出した。あの高校野球屈指のキャッチャーである御幸が、彼の左手が危うく持っていかれそうになるほどの威力。
つまり、御幸もこのストレートを捕り切れていないことをギャラリーに悟らせる証であった。
「!!!!!」
その剛球に反応したのはまずは降谷だった。球速は自分とさほど変わらない。というより、ようやく縦のフォームで降谷に並んだというべきか。
しかし、体感速度、見た目の速度は雲泥の差だった。
―――――速かった。とにかく速かった。
球持ちのいい剛球。リリースから、腕の動かし方からすべてが参考になる。
―――――如何にストレートを効果的に、効率的に投げるか
たまたまアウトローに決まった。なぜ決まったのか。インコースの難しい場所になぜ決まったのか。
大塚を見ていると、フォームがいかに投球を支えているかが嫌というほどわかる。むしろ、根底だ。
「―――――次、変化球を試してみろ」
声がどことなく高くなっている気がする片岡監督。
片岡監督は、夏の甲子園の時よりもさらに変化している様々な点が変わったことを回想する。
これは通常フォーム、縦フォームのどちらにも言えることだが、右足の曲げ方がさらに軽くなったことだ。
秋の大会当初は、フォームが崩れていた影響もあり、この右足の曲げ方が少し過剰気味だった。腕の角度も安定せず、ストレートに伸びがなく、変化球こそ安定したが、シュート回転の気になるストレートになっていた原因の一つであった。
大塚自身、まずコントロールを選び、低めへの制球力を第一に考えた結果、上背のメリットを殺してしまっていたのだ。
しかし、秋の不調を乗り越え、成長をつづけた大塚栄治はこの右足の曲げ方を修正し、ボールの角度を上げることに成功した。
指摘したのは、片岡監督だった。しかし、試合中無意識に修正してしまった大塚には、答え合わせをするような感覚だ。
それでも原因が分かり、大塚の投球フォームが固まった要因でもあった。
片岡監督曰く、大塚のストレートはボールの回転軸の傾きが元々小さかったはずだが、それがさらに小さくなったのではないかという予想。もしくは、秋がひどすぎて、この決勝までで取り戻したというべきか。
直近の秋の状態を見慣れていたからこそ、体感的に伸びがよくなったと感じたのが正しいだろうと片岡監督は結論付ける。
しかしそれにしても、
――――ここまで速い150キロは、そうは見られない。
縦フォームは純粋なオーバースロー。横変化にあまり向かないフォーム。
スリークォーター気味のオーバースロー(通常の腕の角度)に比べ、縦の力が増したストレートがこれである。
正直なところ、冗談抜きに別人が投げているような錯覚さえ起こす。
「先輩。次はスプリット行きます」
大塚も監督の変化に気付いているのか、緊張感が増す投球練習に背筋が伸びていた。
「おう(いきなりスプリットかぁ。逸らさなけりゃ十分かな)」
低めのスプリットは非常に難しい。ワンバウンドは最悪、体で止めないとまずいと考えていた御幸。
ストレートと思った。一同はそのスピードを見て、一瞬ストレートだと思ってしまった。スプリットだと教えられていながら、そう考えてしまう。
御幸が、ミットでボールを弾くまでは
「うわっとっとっ!?」
何とか逸らさずに止めた御幸だが、ワンバウンドではないにもかかわらず、御幸が捕球しきれなかった。
――――コース良すぎ。最高のボールだけど、俺も狩場も捕れないからなぁ
「ワンバウンドじゃねぇよな、今の」
伊佐敷は御幸が取り損なったボールを見て呟く。
「ああ。縦は本当に大塚の高さを感じたな。通常よりも投げ下ろされている感覚が強く、より落差が出ていると感じた。前のストレートと織り交ぜられたら、好調時はバットが止まらないな」
しかし、結城としては
「俺としては、通常のスリークォーター気味のほうが球種も増えるし、平時はこれを続けるべきだと思う。が、勝負所で縦に切り替える。これがベストだと思う。」
結城は、縦をずっと使うのではなく、勝負所で使うべきと意見した。
「やっぱりそうですよね――――諸刃の剣でもあるんですよね、縦は」
大塚の負担もそうだが、球種を絞られるというリスクもある。さらに、御幸が完全に捕球できるかわからないという危険もある。
バッテリーの成長がカギを握るフォームである。
投手として成長を続けてきた。過去、何度も試合で助けられてきた縦のフォーム。しかし、投手としての充実と反比例し、その効力が薄まっているのも事実。
ストレートの伸びと縦のスライダー系2種、SFF、ドロップ、チェンジアップ以外の変化球が投げにくい。投球がワンパターン化するのは先発投手にとってはあまり良いことではない。
次は比較的、御幸が取れる縦のスライダー。高速縦スライダーはまだ投げない。
「落差あるし、これも結構速いし、鋭いじゃねぇか。これが高速スライダーじゃねぇのかよ」
球速は130キロ前半。落差もあり、変化も鋭い。
「いやぁ、まあ高速のほうはもっとすごいですよ」
次に、パラシュートチェンジの緩急と落差に一同が度肝を抜かれたり、ドロップカーブが3球目でようやくコースに決まるほど制球が安定しないことを、バッテリーが改めて思い知らされたりする。
消沈するバッテリーに一同が囃し立てるが、最後に決まったドロップカーブの変化は笑えなかった。
―――――あれをコースに決められたら、ストレートに追いつけないし、そもそもねらって打てるボールじゃないね
小湊亮介は、大塚のカーブをそのように評し、勝負所でこそ使えるようになるよう精進するべきだと感じた。しかし、本人たちも周りの意見を聞いてその方向に向かっているだろう。
最後に、縦フォームの高速縦スライダーの番がやってきた。
彼らが見たのは、御幸が『後逸はしない』と、ずっと集中してますオーラを放っていたにもかかわらず、彼が追いつけないほど強烈な変化をしたということ。
御幸が3度目にして、ようやく後逸を阻止したということ。
ワイルドピッチが怖すぎて、決勝戦では使えないことが分かった。
「練習通りのボールが投げられたら、明日も心配いらないな。」
打席で大塚のボールを肌で感じた結城が、断言する。
「投げるんです。絶対に。ここまで来た、夏と同じく決勝を任された。みんなの期待に応えてこそ、エースです」
大塚も断言する。練習でできたことを絶対に出す。
だが、冷静な彼がここまで断言するのは妙だと訝しむ。
「大塚―――お前」
「―――――正直、沖田が倒れた時、生きた心地がしませんでした」
隣にいた伊佐敷が珍しく聞きに入っており、小湊亮介はその成り行きを見守っている。
「だから、まあ―――そうですね。意識が戻ったと聞いて凄い安心しました」
「……気負うなよ。背負うのがエースだが、追い込むのはお前の悪い癖だ」
半年だが、大塚の性格は分かっている。
色々相手チームには誤解されているところもあるが、根はまじめだ。
「沖田がいなかったから負けた。そんな言葉は絶対に言わせない。これはレギュラー全員が考えていることです。」
強い口調で言い放つ大塚。明らかに気負いが見える。
「ったく、夏と変わらねぇじゃねぇか、栄治」
伊佐敷が心底呆れたといった口調で、突っ込んだ。チームの期待、学校の威信、すべてを背負い、投げてきた。痛々しくも、力強く、エースを目指す後輩の姿。
「―――――返す言葉もないです。」
一つ嘆息して、伊佐敷はそれでも笑顔で、後輩の背を押す。
「まあいいさ。お前はそれで。それを力に変えられるってのは、夏で散々見てきたしな」
悔しいことに、大塚はそういう場面で力を発揮してきた。明らかに心配されるような精神状態でも、結果を出してきた。
「そんなお前のために、頑張りたいって思ってるやつは、そこら中にいるだろうしさ」
その言葉、その事実があるからこそ、大塚栄治は投げ続けられるのだ。
この馬鹿な後輩はそういう男なのだ。
「―――――そう、ですね。一人じゃない。一人で野球をしているわけじゃない。苦しい時ほど、感じさせられる、感じられる」
「青臭いところはいまだに抜けきらないね。まあ、いいんじゃない? 丹波も似たような感じだし」
亮介にもぼろくそに言われる。だが、夏の丹波に似たという言葉は、大塚の心の琴線に響いた。
「―――――誰かの後は追わないって決めたのに、先輩のように、という言葉がどうしても響きますね」
力なく笑う大塚。
「―――――心配をかけてすいません。話せて気分が楽になりました」
「おう。そういうのは、主将に言えよ、今度からな。俺たちも、いつまでもいるわけじゃねぇんだからな」
「大塚、いろいろ大変なのはわかるが、あえて俺は期待しておくぞ」
「俺も哲也と同じかな。期待しかしないからね」
「ハードル高すぎ―――――」
選手たちがそれぞれ寮に戻る中、
「―――――驚きましたねぇ。まさか、縦があそこまでとは、そして諸刃の剣であることも。つくづく、大塚栄治には驚かされる」
落合コーチは縦のフォームを見て大塚栄治のポテンシャルに驚きつつも、縦フォームの諸刃っぷりにも驚き、悩んでいた。
確かに、あの本気の大塚に対抗できる高校生はそうはいないだろう。しかし、捕手が捕り切れないボールは論外だ。
それでも、秋季大会の不調、以前から複数のフォームを投げ分けていたことは、大塚の修正能力を鍛える大きな要因となった。
これは決して、回り道ではなく、より大きく飛ぶための準備期間だった。そして、その期間はさらに伸び、成長を続けている。それは、不調というトンネルを抜けた後でさえも。
「私自身、大塚の実力に驚かされています。彼はさらに偉大な投手になる。そして、彼に挑み続け、神宮での背番号1を奪い取った沢村、虎視眈々と狙う降谷と川上。投手陣の充実は私の力量ではありません」
「おや? 神宮の背番号1は沢村ですか?」
いきなりの背番号1の話題に、落合が表情を変えずに尋ねる。
「あれだけの投球をして、今大会は無失点。明日の出番は大塚次第だが、間違いなく神宮の時点では沢村が背番号1です」
大塚は恐らくまた背番号18になるだろう、暗に監督はそう言っているのだ。
「―――――辞表の件、やはり決勝までは未定ですか?」
「――――――いくら鈍い私でも、選手たちの顔色が変わったのは分かります。私の話でいらぬ動揺を与えてしまったと当初は深く悩んでいましたが、これがモチベーションになり、ここまで来た―――――気持ちに変化があることは認めます」
渋い表情で、白状する片岡監督。
「――――――私は御免ですよ。貴方とともに成長したチームを引き継ぐなんて。とても私が入り込めるチームではないですからね」
「ええ―――――今更未練が残るほどに―――――」
後ろに続く言葉は、夜風にかき消され、落合コーチにのみ聞こえた。
それを聞いた彼は、満足そうに監督室を出るのだった。
神宮は沢村背番号1です。
大塚は、選抜の時期に成長痛イベントを入れます。選抜編を書くなら、大塚はリリーフ、もしくは外野手です。
新刊の展開次第で、セカンド、サード争いが激化するかも。
やばい、このままだと金丸が…