ダイヤのAたち!   作:傍観者改め、介入者

108 / 150
タイトルは当然回収。


第101話 春風の雪解け

エース大塚が逆転打を許す。その光景を目の当たりにした稲実の正捕手多田野は、そのシーンが2回戦のあの時と重なる。

 

 

―――――本調子なら、あそこでSFFが来るはず。なのに出来なかったのは

 

 

大塚自身が問題を抱えているのか、それとも御幸に問題があるのか。

 

 

そのどちらかであることが分かる。そして自分の場合は成宮のチェンジアップを止められる度胸と技術が足りなかった。

 

 

夏前までは御幸は苦も無くSFFを止めていた。だからこそ、大塚に何か異常があるのかもしれないことが容易に考えられ、その結論に行き着く。

 

 

「樹。次は何をすると思う?」

 

主将の福井は樹に対し、鵜久森が何をしてくるのかを尋ねる。今の動揺しているであろう大塚に止めを刺す最善の策は何か。

 

 

それは成宮が手ひどくやられた光景とも重なる。

 

 

意気消沈し、モチベーションの下がった成宮のボールを悉く捉え、マウンドからそのまま引き摺り下ろした2回戦。あれは今年で最もトラウマになるであろう敗戦。

 

 

力を失った彼のボールを正攻法で打ち崩した鵜久森が、大塚にも同様にそれをしてくるのか。

 

 

 

 

マウンドの大塚は先ほどの失点を悔やみ、唇をかむ。

 

――――ストレートを狙われたのか―――っ

 

 

動揺を隠せない大塚。しかしそれでも、次の打者を打ち取らなければならないと、そう考える大塚。

 

 

――――初球大事に、絶対に追加点はやらない!!

 

 

 

そしてそれは御幸にも言えた事であった。

 

 

――――不味い、安易にストレートを選択した俺のミスだ。

 

 

ツーアウト三塁。もう絶対に追加点を与えるわけにはいかない。通常守備を選択し、次の失点を防ぐ構えを見せるバッテリー。

 

 

青道はタイムをかける。内野陣が集まり、大塚の下へと向かう。

 

 

「ごめん。完全に狙われてた。」

頭を下げる大塚。

 

「いや、俺も勝負を急ぎ過ぎた。無理に行く場面じゃなかった。」

御幸も焦ったことを認め、先程の事をいまだに引きずっていた。

 

「だが、次の一点は許さない。内野は通常守備。初球から振ってくるぞ、大塚」

 

 

「はい。」

 

「御幸―――――」

前園が何かを言おうとする。しかし、それを遮るように御幸は、

 

 

「ここでアイツを敗戦投手にするわけにはいかない。この異様な雰囲気。Ⅱ世選手についての妬み、期待、羨望、憶測。」

 

 

御幸達も全く聞こえていないわけではなかった大塚への異様なマーク。Ⅱ世選手の肩書で有力選手。

 

 

そして、その肩書きに囚われた者達が、大塚栄治を見ようともせず、大塚和正の息子としかみなさない。

 

その唯一といっていい大塚栄治の弱み、トラウマを抉られたのだ。精神的に追い詰められ、自壊していった。

 

大塚栄治が最も気にしていた、父親に対する劣等感。見たこともない余裕を崩した表情となっていた。

 

 

そしてそれが、帝東戦では失点直後に立て直したときとの違い。無論リードしていた場面ではあったが、それでも無失点記録が破られた直後にしては、いい投球が出来ていた。

 

 

「大塚。悪い。もっと反応が鋭かったら――――」

沖田が申し訳なさそうに大塚に悔む。

 

「いや、あれほどいい当たりをされたら俺の責任だよ。次は打たせない」

笑顔を取り繕い、何とか平常心を取り戻そうとする大塚。

 

「エイジ――――」

 

「小湊も頼む。今日は情けない姿ばっかりですまない。けど、もう少しだけ俺を信じてほしい」

 

 

「うん。でも気にしないでね。大塚君は大塚君だよ。周囲の声なんて気にしちゃいけないよ」

 

 

 

 

 

 

 

「冷静さを無くして、一番リスクの少ない陣形を取ったね。」

松原は青道の焦りを感じ取っていた。

 

内野陣は少し深く守っている。5番犬伏は強打者。強い打球に対応しての事だろう。

 

 

――――ここで追加点を取れたら大きい。初球の入りから仕掛けていくんだ。

 

 

 

 

 

大塚の第一球に、その衝撃は訪れる。

 

 

 

スッ、

 

 

 

ここで犬伏。

 

 

 

コンっ

 

 

 

「「!!!!!!」」

目を見開く大塚、御幸の青道バッテリー。

 

 

「セーフティスクイズッ!?」

 

誰もが予想していなかった気さく。無謀ともいえるこの選択に観客は度肝を抜かれる。

 

 

「クッ!!」

意表をつかれた内野陣ではもはや間に合わない。沖田、小湊、そして倉持に前園が驚いた表情をしながら、想定外の攻撃に思考が硬直してしまっていた。

 

 

そして、どう指示を与えればいいのかわからず、ホームベース上で声を張り上げる御幸。

 

「ボール、ファースト!!」

 

三塁ランナーは俊足の投手梅宮。本塁に突っ込んでくるが、打者走者をアウトにすれば成立しない。

 

 

とにかく、何とか次の一点を阻止しなければ。

 

 

それが青道内野陣の一致した考えであり、松原が仕掛けた歪でもある。

 

 

その中で、一番打球に近かった大塚が反応する。

 

 

 

――――これ以上はっ!!!

 

 

 

しかし深いところに転がった打球を掴む間に、犬伏は一塁ベースに迫ろうとしていた。

 

 

 

 

「―――――――――――――――っ」

 

 

 

 

「セーフっ!!!! セーフっ!!!!」

 

 

 

大塚、一塁にボールを投げられない。内野陣は反応すら出来なかったのだ。反応しただけでもマシな部類だったが、それでも犬伏をアウトにするには時間がかかりすぎた。

 

 

 

「うおぉぉぉぉ!!!! 3点目ェェェェェ!!!!!」

 

 

「大塚栄治を攻略したぞ!!!」

 

 

「この回一気に逆転、そして中押し!!!」

 

 

「意表を突いたセーフティスクイズ!!」

 

 

完全に観客を味方につけた鵜久森高校。そして、あの夏の本選でものまれなかった大塚栄治が呑み込まれかけようとしている。

 

 

 

「――――――切り替えなきゃ、まだ試合は終わってない―――っ!」

口に出すことで、落ち着きを取り戻そうとする大塚。いつもならそれで済んだことだ。中学時代に失点を全くしなかったわけではない。

 

まだ試合は終わっていない。だから諦めるわけにはいかない。

 

 

エースとして、そんな諦めた姿を見せるわけにはいかない。

 

 

ベンチに入ることすらできなかった人がいる。

 

スタメン落ちした同級生がいる。

 

エースの座を狙うライバルがいる。

 

 

 

――――そんな思いを背負っているんだ、この背番号は。

 

 

自らを奮い立たせようと言い聞かせる大塚。

 

 

 

 

だが――――

 

 

「情けない投手だなぁ、アイツ」

 

 

期待を裏切られた一部の観客の声が、大塚の心を抉る。

 

 

「ホントホント。フィールディングも悪いし」

 

 

 

「元々巧いって話だぜ。だからまあそんなに」

 

 

「結果出せなきゃ同じだろ。」

 

「つうか、良い様にやられ過ぎだよな」

 

 

「大塚和正の二世選手であれとか。」

 

 

そして、野球史にその名を永遠に刻むであろう偉大な選手のⅡ世選手にしては、やや期待はずれな姿に、失望を覚える視線が彼に集中する。

 

 

――――やめろ、言うなッ

 

 

 

 

「だよなぁ、このⅡ世選手は大成するかもって思ったけど」

 

 

 

―――――やめろッ!! やめろッ!!!

 

 

 

「こんなんじゃ、プロでも潰れるんじゃね」

 

 

鵜久森ベンチも、この異様なほど大塚に対するヘイトに困惑していた。3失点しただけで、ここまで叩かれる選手をアマチュアで見たことがなかった。

 

 

プロでさえないのに。

 

 

「気分はよくないけど、うちの流れだ。同情はするけど、容赦はしない」

松原は、大塚に対し憐みの感情を持たずにはいられなかった。常に期待され続ける選手のプレッシャーと、それに応えられなくなった時の罵声。

 

それが今の現実。大塚栄治が置かれている状況。

 

「3失点でここまで言うのかよ。信じらんねェ」

梅宮も、流石に看過できずに、目に見えてイラついていた。

 

 

大塚がその言葉に反応し、崩れていく姿は彼の目から見ても哀れに見えたのだ。

 

 

「結局この程度なんだろ。やっぱり一流選手のⅡ世は」

 

 

 

内野陣も、この異様な雰囲気に呑まれていた。逆転を許し、追加点まで取られたのだ。それぞれが動揺してしまっていた。

 

 

だから、思考が硬直してしまっていた。

 

 

 

 

「まあこいつも大成しないんだろうよ」

 

 

 

「だよなぁ。甲子園で天狗になったから、149キロを出せなくなったんだろう」

 

 

 

 

 

 

そして、青道ベンチでは

 

 

「か、監督!! 大塚をこれ以上は――――最悪、取り返しがつかないことに―――っ」

 

太田部長が投手交代を進言する。逆転打に追加点。やってはならない失点を一イニングにすべてやってしまったのだ。

 

 

しかも、大塚も外野からのブーイングに野次で潰れかけている。今後を考えて、彼が立ち直れなくなれば危うい。

 

 

 

「―――――――――――――――――――」

だが、片岡監督は動かない。

 

 

マウンドで立ったまま動かない大塚をじっと見ていた。

 

 

「か、監督?」

 

 

「―――――エース一人に、チームを犠牲にするつもりはない。だがこれから先、奴は野球をする限り、何度でもこういった野次を受けることになるだろう。」

 

 

それが二世選手の宿命だ。

 

 

 

「それにだ。降谷は昨日投げたばかり。沢村をこの僅差に出すのは怖い。となると川上だが、ロングリリーフで出すわけにはいかん」

 

 

エースの責任。大塚はまだ打席を見ていた。そしてネクストバッターサークルに控えている嶋のことも見ていたのだ。

 

 

 

「それなりに動揺はしているだろう。だが、打者を自然とみているのなら、まだ気持ちが切れていない。それに、6回で逆転を許したとはいえ、2点差。うちが誇るエースをこんな簡単に降板させるわけにもいかん」

 

 

 

そして、マウンドの大塚は。

 

―――――俺が何と言われようとかまわない。

 

 

諦めるのは簡単だ。

 

 

――――嫌だ

 

 

 

 

 

―――――俺は、諦めたくないッ!!!

 

 

気持ちはまだ切れていなかった。だが、心に余裕がない大塚。

 

悩みの原因が多すぎて、精神状態がめちゃくちゃになっていた。

 

 

 

 

「頑張ってぇぇぇ!!!」

 

その時、見覚えのある声がした。

 

 

「美鈴―――――――」

 

ギクシャクしたまま、あまり口数が少なくなっていた美鈴がエイジにエールを送ってきたのだ。

 

「こんなところで挫けるな!! 私が嫉妬した兄さんは、もっと図太かったわよ!!」

 

 

「――――――」

情けない姿を見せてしまっている。それが悔しかった。

 

 

申し訳ないと思ってしまった。

 

 

「大塚―――――っ」

内野にいる沖田も、彼女の声は聴いていた。だが、大塚本人はまだ追い込まれている顔をしていた。

 

―――――家族を頼りにしていると言ったが、

 

今の大塚には、その声援すらあまり意味がないように見えた。

 

 

沖田も長男坊だから解る。年長者としてのプレッシャー。彼のように責任感の強い男は、絶対に家族にも我慢しているだろうと。自分が一番年長なのだから自分が我慢しなければならない。

 

 

家族に一番迷惑をかけるわけにはいかない。

 

 

 

 

 

 

「大塚君、切り替えよう!!!」

 

 

「あとで逆転したる!!! 投げてけ、投げてけ!!」

 

 

内野の声も届いていないような、マウンドでネクストバッターを睨んでいる大塚。明らかに視野が狭くなっていた。

 

 

 

届かない。彼らの声が響かない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「頑張れェェ!! まだ2点差!! 野球はまだまだ分かりませんッ!!」

この状況、唐突に。

 

 

珍しく、強い口調の吉川からエールが送られてきた。

 

 

「「「「!!!!!」」」」

 

御幸が、そして内野陣が目を見開く。

 

 

大塚には、一瞬だけ暖かな風が吹いたように感じた。

 

肌寒い季節にもかかわらず、それはまるで。

 

 

 

 

 

「アイツ―――――」

沖田は思わずその声の方向を振り向く。

 

 

呆けていた大塚は奇妙な感覚に戸惑いつつ、驚いたような顔で彼女へ視線を向けた。

 

 

 

 

 

 

――――なんで、吉川さんはこんな状況になっても応援してくれるのかな

 

 

やっぱり、Ⅱ世選手で、そこそこ野球が出来ていたから?

 

 

背は高すぎて、自分でも奇妙に思っているのに。

 

 

ただのミーハー?

 

 

 

 

ネガティブな感情に支配された大塚は、今までの人間が見せてきた対応を思い返す。

 

 

思えば、何か野球で成功した時も、

 

 

 

さすが、大塚和正の二世。

 

 

 

二世選手は違うな

 

 

 

彼からいろいろ教わっているのかな。

 

 

 

さすが彼の息子だ。その恵まれた才能は親譲りだな。

 

 

 

 

 

 

アメリカだから、日本だから。そんなことは関係なかった。チームメイトには恵まれた方だった。

 

だが、事実を知る者は等しくまず最初にその言葉が浮かんだ。

 

 

 

―――――俺の光は、まだまだあの人に掻き消される。―――――

 

 

大塚栄治という選手を評価してほしい。

 

 

―――――誰でもいい。俺を――――――

 

 

あの人の光とは違う目線で、自分を――――――

 

 

 

 

 

 

 

「Ⅱ世選手なんて関係ありません!! 私にとって、大塚和正なんか知ったことではありません!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「!!!!!! っ!?!?!」

思わずリアクションが大きくなってしまった大塚。野球好きが集まるこの球場で、彼の事を知らないなんて抜かすこと、

 

 

それはもう大変なことだ。彼のファンがいるのであれば、彼女に対して暴言を吐くかもしれない。辛いことを言われるかもしれない。

 

 

その瞬間、彼は吉川の身の安全をとっさに考えてしまったのだ。

 

 

 

だがそれが、大塚栄治が正気に戻り始めるきっかけでもあった。

 

 

 

 

 

 

「――――――なんで君は、そんなこと、簡単に言えるんだ――――」

 

 

誰にも聞こえない声で、そうつぶやいた大塚。振り絞るような声であった。辛そうにも聞こえた声ではあったが、声が上ずっていた。

 

 

 

その言葉を待っていた。ずっと、ずっとずっと待っていた。

 

 

そんな人はいないと諦めていた。だから―――――

 

 

 

 

「本当に、君は馬鹿なのか? レジェンドなんだぞ、あの人は―――――」

嬉しいはずなのに、まだ心は疑っていた。困惑を隠しきれない。

 

 

 

解らない、分からない、判らない。

 

 

 

 

 

 

 

「切り替えよう!! この回を抑えて!」

二塁手の春市が叫ぶ。

 

しかし、吉川の声で大塚が変わり始めていることに最初に気づいた小湊は、ここがその時なのだとまだまだ声を張り上げる。

 

 

 

「また絶対甲子園に行くんだ!!」

 

 

 

甲子園。それが目標だった。そのために今を戦っている。

 

 

ふつふつと、心が熱くなってきた。

 

 

 

「こんな野次なんかに、君を負けさせない!!」

 

 

 

比較をされ続けた、似た者同士だからこそ、春市は大塚の気持ちが痛いほどわかっているのだ。

 

 

 

 

 

「見返してやろうよ、みんなで一緒に!!」

 

 

 

 

「大塚栄治、ここにありって!!!」

 

 

 

 

 

 

「―――――――春、市―――――――」

 

声が震える。心が震えた。二人の言葉が心にしみる。

 

 

 

 

 

こんな情けない自分を、まだ大塚栄治として見てくれている。そんな人が二人もいる。

 

 

 

嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「くっそぉォォォォ!!! 俺3番手かよ!! エイジっ!!!」

そして、吉川と春市に続き沖田が叫ぶ。

 

 

「良い様にやられて、このままってわけにはいかねェよな!!! このままド逆転するぞ!!!」

 

 

 

「――――――みんな……」

 

盟友の少し残念気味のエールにはにかんだ笑顔が自然とだせるようになった。

 

 

 

 

 

 

「外野からしっかり守らせてもらうよ、大塚君!!」

 

そして外野から東条も声を張り上げる。今の今までチームを引っ張ってきたのは彼だ。

 

大塚を彼らは決して見捨てない。

 

あの夏、予選の壁を超えることが出来たのは、彼のおかげだ。

 

 

甲子園への道が切り開かれたのは、そのきっかけを越えて全員が団結した。

 

 

気持ちが一つになっていたから。

 

 

 

―――――嗚呼、もうなんだよ、みんな……ごめんなさい。くそ。嗚呼、もう…………

 

 

 

絶対に勝てないと、心の奥底では思っていた。心の奥底では、父の偉業に憧れ、諦めていた。

 

 

 

しかし、今はもうどうでもよくなった。

 

 

 

――――俺の願いは、今は一つだけでいい。

 

 

手を繋いで、みんなで歩くわけではない。

 

 

皆が最善を尽くして、壁を乗り越えた先に、甲子園があった。

 

それはあの3年生たちが経験した事、そしてこれから自分たちが経験すること。

 

 

 

「エイジ君は!! 一人じゃありません!!」

 

 

この言葉が、彼女の強い意志が、思い出させてくれた。

 

 

 

 

―――――今出来ることを全て――――――

 

 

相対する打者にすべてをぶつける覚悟を決めた大塚。

 

 

 

――――俺の全てを出し切る。最善の投球を!!!

 

振り返れば声援が届く。暖かな風が、大塚を包む。

 

彼らこそ、大塚が奮い立つ力だ。

 

 

その自分を立ち直らせてくれた者達へ。

 

 

 

―――――大塚栄治を認めてくれる場所が、ここでよかった。

 

 

彼ら―――――青道への限りのない感謝を。

 

 

 

 

『この学校に来てよかった』

 

いつかの親友の言葉を思い出す。

 

 

 

 

大塚は沖田のことを言えないと思った。

 

 

――――俺も、この学校に来てよかったよ。

 

 

スタンドにいる彼女が、春市が教えてくれた。

 

 

 

いつもは驚かせたら絶対に座り込んでしまうような雰囲気を持っていた彼女が、勇気を出して言ってくれた。

 

 

自分と同じような悩みを抱えていた天才肌の恥ずかしがり屋が、声を張り上げてくれた。

 

 

 

「私は!!! 大塚栄治しか知りませんから!!!!」

 

男として、エースとして、絶対に負けられなくなった。

 

 

 

 

――――俺、今場違いな事を考えてる。

 

 

悔しい気持ち、嬉しい気持ち、情けない気持ち。

 

 

そして、

 

 

自然と笑みがこぼれる大塚。この単純でバカで、どうしようもないくらいしょうもない感情は、さすがにないんじゃないかと彼は思う。

 

 

 

「なんていうか。あの子にここまで応援されたら、」

 

 

その顔は晴れやかだった。

 

 

 

「正直いいところを見せたくなっちゃうよなぁ」

 

 

大塚栄治もただ単純に、男の子だったという事だ。

 

 

 

 

 

 

 

「タイム!」

 

大塚が御幸の所へ駆け寄る。

 

 

「大塚? どうしたんだ? それに今の―――――」

無論、フィールドにいた選手にも吉川のちょっと痛いエールは聞こえていた。

 

内野外野からのエールも、聞いていた。

 

この3回戦直前までムードが悪かったにもかかわらず、エースの危機に、チームが団結したのだ。

 

 

チームが、一つになっていくのだ。それがうれしくもあり、戸惑いも感じていた。

 

 

 

 

「俺、もう大丈夫です。」

 

「え?」

 

笑顔でサムズアップする大塚。そしてマメ鉄砲を食らったような顔をする御幸。

 

 

「あそこまでケツを叩かれたら、奮い立つしかないですね―――――救われました。まだ馬鹿馬鹿しい所が残っていたので。」

愚かしい事ばかりでした、と苦笑する大塚。

 

 

 

「エイジ、お前―――――」

 

 

「今は、バカでいい。馬鹿みたいに突っ走って、バカみたいに泣いて、バカみたいに結果を出します。元々俺は頭がよくないし」

無邪気に笑う大塚。憑き物が今度こそ落ちたような顔をしていた。

 

 

「どの口が言ってんだよ。前期期末考査1位が何言ってんだよ、張り紙見たぞ。おまっ、お前が馬鹿だったら他の奴らはどうなるのさ!!」

 

 

 

「結果は努力した分ついてきますよ。特に勉強は」

 

 

「沢村と降谷に言ったら泣いちゃうからやめろよ」

 

 

「俺、間違ったことは言ってないです」

 

御幸も笑顔が戻り、ホームベースへと戻るのだが、

 

 

「サイン、強気にお願いします。俺も腹を括りますから」

 

大塚からのささやかな一言に、後ろ姿を見せたまま、さらに笑みがこぼれる御幸。

 

 

―――――目覚めるのが遅すぎなんだよ、バカ

 

 

御幸は以前、黒羽に言われたことを思い出した。

 

 

彼はとても大きなものを背負っていると。だが、その大きなものが解っていたからこそ、迂闊なことは言えなかった。

 

 

そしてそれは、黒羽も同じだったのだろう。その大きすぎるものに、畏れがあったから。

 

 

スタンドにいる吉川に視線を移動させた御幸。本人は自分が見られていると気づいていないだろう。

 

 

――――ああいう風に、バカみたいに人の玄関をぶち破った方が、アイツにはよかったのかな?

 

 

フィールドプレーヤーだけが、彼を救えるものだと勝手に思っていた御幸は自分を殴りたくなった。そして、納得もした。

 

 

 

 

――――エイジを救えるのは、俺達選手じゃなくて、

 

 

その道を知る者にしか、理解できないと思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

―――――“どこにでもいそうな”、今まで“どこにもいなかった”一般人ってことかよ

 

 

 

 

 

 

 

そして、鵜久森ベンチも吉川春乃という少女の事は知らないが、大塚栄治の雰囲気が変わったことだけは解った。

 

「雰囲気が変わった?」

 

その立ち姿が妙に飄々としていた。そして顔も穏やかなものに。

 

 

 

 

「ストライィィィクッっ!!」

 

 

キレのあるスライダー。やはり投球自体は変わらない。決め球にスライダー。動く球を随所に見せてくるのだろうと。

 

 

「ボールっ!!」

 

6番嶋がその球威に臆し、のけ反る。インロースライダーの後に、インハイストレート。

 

 

球速は未だ145キロながら、さらに力感がなくなっていた。

 

まるで、投球動作の一つ一つがシンプルに洗練されていく。

 

 

「――――――!?」

 

―――――球速が上がった!? マズイ!!!

 

鵜久森が恐れていた事態。それは大塚の復調。

 

 

そうなってしまえば力量は歴然なのだ。だからこそ、覚醒する前に、叩いておきたい。

 

 

だが――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、セットポジションからの第3球。

 

 

ダッ!

 

 

ここで、スタートの構えを見せてきた犬伏。少しでも動揺を誘おうとする鵜久森の作戦。

 

 

「ファウルボールっ!!」

 

 

ストライクゾーンに入れてきた青道バッテリー。しかもまた高めの真直ぐ。

 

 

球速は147キロ。スピードが上がっていく。

 

 

 

 

続く第4球は外れてボール。やはり制球に苦労しているのは変わっていないようだ。しかし、青道バッテリーはフォアボールに対してあまり気を使っていなかった。

 

 

 

下手にストライクをいれられるよりも、開き直ったボールは怖い。そして、投げれば投げるほど感覚をつかむ、

 

 

大塚栄治という天才はそれほどまでに、規格外なのだ。

 

 

 

 

 

 

―――――バランスとりづらいな、ここに立つと。

 

 

プレートに軸足の半分を乗せていると、どうしても少しぐらつきそうになる。

 

 

けれど、無駄ではなかった。徒労ではなかった。

 

 

徒労で終わりたくなかった。

 

 

 

ドゴォォォォォンッッッ!!!!!!!

 

 

「!?」

思わずその腰を上げ、高めのストレートを捕った御幸。

 

 

 

「ボール、フォア!!」

 

最後のボールは、

 

「てか、なに息をするようにランナー出してんだよ!!」

怒っているが、沖田の顔は笑っていた。

 

 

 

 

 

球速がついに、149キロに到達したのだ。

 

 

球場もどよめいた

 

「おい、出たぞ。」

 

「とうとう目覚めたのか?」

 

 

嵐の前の前触れ。何かの予兆にも見えたこの一投。ざわつく球場。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――あ~あ。もうこれで鵜久森はランナーを出せないな。

 

 

というより、彼の本気のストレートが今度は長く見れることに、わくわくしていた。

 

 

続く打者はスイッチヒッターの二宮。

 

 

 

 

――――今ので掴めた。

 

 

いい加減にこの体質を何とかしたいと思った大塚。覚えが早いと、成長期は何かと困るのだ。

 

 

しかしだからこそ、この一球で何とか間に合った。ついに掴んだ。

 

しかし、その感覚を掴んでなお、制御出来ない、溢れるパワーを感じた大塚は身体中がゾクゾクしていた。

 

 

自分にはまだまだ伸び代があるのだと実感させてくれる。

 

 

まだまだ自分は前に進めるのだと。

 

 

 

 

―――――待たせたな、鵜久森高校。

 

 

 

セットポジションからの第5球。

 

 

 

 

ドゴォォォォォォんっっつっ!!

 

 

コースは真ん中高め。しかし、

 

 

 

 

 

 

「っ」

 

二宮はバットを出すことすら出来なかった。そしてうめくように声をだし、バッターボックスから少しよろめいた。

 

 

「うはぁ、イッテ―――――」

御幸が呻くほどの威力。

 

 

彼は笑っていた。

 

―――――その力感でこれか、お前は凄い投手だよ

 

 

 

 

「ストライィィィクッッッ!!!!」

 

 

球速表示が出ない。トラブルがあったのか。まだ表示されない。

 

 

 

それでも大塚には関係がなく、投球動作を開始する。

 

 

 

――――――この俺が見逃し!? コースは真ん中なはずなのに!!!

 

 

 

だが、続く2球目も手を出せない。

 

 

「ストライクツーッッ!!!!!」

 

これも内角の甘いコース。だが、バットを出せなかった。

 

 

―――――遅くて、速すぎる―――――タイミングが、

 

 

タイミングを計りきれない。ボールの球持ちが異常にいい。

 

リリースの瞬間が並の投手よりも遅すぎる。

 

 

そして、放たれたストレートはまるで別人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ストライィィィクッっ!! バッターアウトォォォ!!!」

 

 

 

 

最後までバットを出すことが出来ず、見逃し三振。二宮は、大塚の怪物としての覚醒に立ち会うことになった。

 

 

天才ではない、問答無用の怪物投手への道。情け容赦のないその圧倒的なストレート。

 

 

球場すら、静まり返るほどの威力。

 

 

 

そしてその静寂の後、ようやく球速表示に顕れたスピードに、観客は度肝を抜くことになる。

 

 

 

 

 

 

 

球速表示には、151キロと掲示されていた。

 

 

 

 

 

 

 

ついに突き破った、150キロの領域。

 

 

 

大塚栄治が、ついにこの世界に入ってきたのだ。

 

 

 

ある者は興奮し、ある者は愕然とする。その一球の一撃は、味方にこれ以上ないほどの勢いを与え、

 

 

「―――――――――なんだよ、今の――――――なんだってんだよ―――――」

 

 

相手バッターの心をへし折る、怪物ストレート。

 

 

 

 

 

 

―――――雑。だけど、気持ちいいボール。

 

怪物ははにかんだ。

 

 

 

 

鵜久森が悩み多き怪物を起こしたのではない。

 

 

 

怪物の枷は、どこにでもいる少女の手によって、完全に解かれたのだ。

 

 




春市君。そろそろ働こうね。

なお、残念ながらこの試合で見せ場はここだけの模様


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。