※今回他者視点注意。
汽車から解放されて、恐怖の時間が終わった。
コンパートメントが一緒だったアーニーとザカリアスも、ほっとしたような顔をしているのが分かる。
僕も同じような顔をしているのだろう。
あの良く分からない恐ろしい存在(後に吸魂鬼という魔法界特有の生き物だと知った)が汽車の中を闊歩していた時は生きた心地がしなかったのだ。
近くに寄られるだけで活力が失われ、寒さで体が満たされる。
まるで以前読んだ空想小説のあれに似ているような――
「あ、ティアが居る」
ザカリアスが声を上げた。
誰か知らない大人の男の人と話しているのは確かに彼女だ。
「誰だろう、あれ」
「どう見ても生徒じゃないよな」
彼ら二人はそんなことを言っているけど、僕が気になったのは彼女がその人と親しげにしていることだった。
ティアは、僕たちと一緒にいる時はあんな顔で話していなかったような気がする。
何と言うかあのグリフィンドールの三人組と一緒にいる時の彼女に近いような……。
こうして彼女を離れた処から見ていると、どうしても僕が石から人に戻れた日の事を思い出す。
あの日、戻った直ぐ後に同じ寮で一緒に行動していた何時もの面々が来てくれた。
彼女の姿だけが無くて、少し悲しい思いをしていた時に
「あら、ティアは別に貴方の事を心配していないわけじゃないのよ」
「そうそう。そんなことがあるわけが無いよ」
スーザンとハンナがそう言った。
でも何で?
「だってね?」
「うん。ティア、禁止されるまで毎日ジャスティンのお見舞いに来ていたんだよ」
二人で顔を見合わせた後でそんなことを言ったけど
「心在らずって感じだったな」
「見ているこっちが心配になったわよね」
アーニーとエロイーズがそう続けて言って、けれどザカリアスだけは何も言うことなく、何故か少し苛立たし気だった。
そのまま妙な沈黙が続く。
「久しぶりですね、ジャスティン」
彼女が姿を現したのはそんな時だった。
ティアは急いでいたのか息を切らしていて、石になる前と少し変わった様子で僕に対して微笑んだ。
「ああ、良かった。元通りのようですね、回復不能な障害は何もなかったと聞いていましたが」
驚いた。
というのも抱き付いてきたからだ、あのティアが。
元の姿に戻って初めて直に感じた体温(マダム・ポンフリーに額に手を当てられたのを別としてだけれど)は温かくて、それからそれとは別の柔らかさがあった。
彼女が身体を離し、顔を見てみると涙ぐみながら、それでも嬉しそうに笑っていて
「……本当に心配したんですよ」
「あ、あのごめん」
僕は気の利いたことは言えなかった。
ティアのそんな表情を初めて見たことが大きいのだと思う。
彼女は、僕の知る限りこんな顔はしなかったし、こんな風に自分から抱き付いてくることなんてしなかった。
「その、ただいま」
「おかえりなさい」
一瞬驚いた後で彼女はくしゃりと笑った。
アーニーやハンナも普段の彼らとは違って、口笛を吹いたりからかわれたりしたけれど、これで僕はようやく何時ものホグワーツに帰って来たのだろう。
医務室を出て、皆と歩いている時に不意に彼女が口を開いた。
「少し先に行っていてもらえますか。少しジャスティンと話したいことがあって」
「分かった」
皆は先に行き、ザカリアスは何故かこっちを一度睨めつけながらも渋々と言った感じで先に進んだ。
「ざっと今回何が起こっていたのかを知らせておきますね」
そう歌う様に言われた後で僕は何故石にされたのか、そして今回の顛末を詳しく説明された。
「つまりハリー・ポッターは犯人ではなかったのですね」
「そういうことです」
バジリスク、そんな恐ろしい生き物と関わってこうして助かっただけでも御の字なのだろう。今更ながら体が震えてきそうだった。
それでも僕にはそれよりも気になることがあるのだ。
ハリーが犯人では無く、自分の無実を証明するためにずっと動いていたなんて。
「僕はそんな彼に酷いことを」
どうしようもないことで、拒絶されるような目で見られるのは嫌なことだって分かっていたはずなのに。
僕はどうしたら良いんだろうか。
「別に酷いことではないでしょう?」
ティアは事もなげにそう言った。
「でも、僕は彼を疑って」
「誰だって間違えますよ」
まるで被せるようにして言って来て、けれど僕はそれを不快には感じなかった。
「誤解だって分かったら、謝ること。きっと彼は許してくれます」
「そう、でしょうか」
「そう、ですよ」
確信した口ぶりで、優しく彼女はその言葉を口にしてくれたのだ。
「わざと彼に酷いことをしようとしたり、したりしたわけではないのでしょう? 人が死ぬ以外のことであれば、大抵の物事と言うのは取り返しが付く物ですよ」
「……そうかもしれませんね」
僕もこうして戻って来ることができたのだから。
ただ、何処か彼女が寂しそうな顔をして此処では無い処を見つめていたのが気になった。
パジャマを着た生徒たちが大勢いる大広間というのは中々に新鮮な光景だった。
「そうですか、これがパジャマパーティーという奴ですね」
「ティア、それは間違っています」
それにティアや僕を含めた何時もの面々、それからハリー達三人、それからレイブンクローの上級生がパジャマでは無かった。
「それはともかく謝りに行くのでしょう?」
「ええと、心の準備が」
朗らかに微笑んでいる彼女に手を引かれた。
「ほら行きますよ」
そしてグリフィンドールのテーブルに連れて行かれた僕は彼に謝った。
意外に思ったのはティアもそうしていたことだ。
「ハリー、今回は色々すみませんでした」
「気にしていないよ、ティア」
「でも」
「僕は嬉しかったよ。君にグリフィンドールに相応しいって言って貰えて」
どういうことか良く分からなかったけれど、彼女はどうやら今回の騒動を収める為に陰で色々とやっていたらしい。
「それは先ほど僕に話していませんでしたね」
「あまり語りたいことでもなかったことですから」
彼女はあまり自分の事を語ろうとしない。
そう言えばそう、一年生の時もそうだった。
賢者の石を護りきった時も、彼女は自分がそんなことをしたなんて一言も言わなかった。
まるで僕たちにそんなことを話す価値なんて無いと考えているようで、だから僕は彼女のそんな処にどうしようもない壁を感じている。
目の前に彼女の顔があることに気付いたのはそんな過去を振り返っていた時のことだ。
「ジャスティン、大丈夫ですか」
久しぶりに間近で見た彼女は前とは変わって見えた。
「え、ええ。大丈夫です」
「そうは見えませんでしたけど。ああ、そうそう。はい、これ」
そう言って差し出してきたのはチョコレート?
「先ほどの汽車の中を徘徊していた怪物、吸魂鬼というのですけど、あれに近くに寄られたらこれを食べると良いって私の従姉が言っていましたから」
「ああ、確か『闇祓い』という職業に就かれている人でしたっけ?」
食べてみて、一口で気力が戻るのを感じた。
アーニーとザカリアスも彼女に勧められて、同様に活力を取り戻したようだ。
「ありがとう、ティア。これでようやく一息つけたよ」
「助かった」
何時もの調子が戻ったアーニーに、ザカリアスは少し頬を染めて返した。
「さっきスーザンやハンナ、エロイーズにも渡しておいたのですけど、男の子たちも見つかって良かった。
……同じコンパートメントに居たロングボトムには断られてしまいましたしね」
ほっとした様子で微笑んだ彼女を見て気が付いた。
彼女は何処か大人びた気がする。
そんなことを考えたせいか、僕は何故か彼女の事をまともに見ることができなくなっていた。
「どうかしましたか?」
「いえ、そのティアは大分……」
眼を逸らしながら、言おうとして
「あ、居た! ティア、どうしてハリーに『キビャック味』や『ホンオフェ味』の百味ビーンズを食べさせたりしたのよ!」
近くに来ていたハーマイオニー・グレンジャーが、腰に手を当てて少し怒っていた。
直ぐ傍に居たハリーは今にも戻しそうにしている。気の毒に……。
「ブランデーでもあれば気付け薬代わりにちょうど良かったのですが、生憎持ち歩いていなかったのですよ」
――訂正、全然変わっていなかった。
やっぱりティアはティアのようだ。
何者もそれを引かないように見えるホグワーツ行きの馬車に乗り込む前に、先ほど話していた大人について僕は知った。
「それではあのリーマス・ルーピンという人はきっと」
「新しい『闇の魔術に対する防衛術』の先生のようですね」
何処か嬉しそうだった。そのことを指摘すると
「だってきっとこれでしっかりとした授業が受けられるじゃないですか」
「そう感じるような何かがあったのですか」
一瞬口を閉ざした後で彼女は言った。
「……吸魂鬼を追い払えるような呪文を使えるようでしたし、それに彼らが近くに寄った場合の、チョコレートと言った治療法についてもご存知のようでした。向こうは私がそれを使えたり、対処方法を知っていたりしたことについて驚いていたようですけど」
そう言ってこれ以上は秘密です、とでも言う様に話を打ち切って馬車へと彼女は乗り込んで行った。
極短かったけれど、彼女が少し自分のことを話してくれたのは嬉しい。
ただ彼女に続いて入った馬車の中に
「おや? 貴女はレイブンクローのルーナ・ラブグッドですか」
「あんた、ユースティティア・レストレンジだ」
入るなり見た覚えのない、風変わりな子といきなり会話をしていた。
「良く知っていますね、他の学年の女の子のことなんて」
まさかティアは、他の寮の子の顔と名前まで全員覚えていたりするのだろうか?
「女の子の交友関係と記憶力は男の子のそれとは違いますよ。レイブンクローに居る知り合いが、素敵なネックレスを何時も身に付けている、下の学年の女の子について言及していましたから」
言われてみれば彼女は普通じゃ絶対付けないような物を首飾りとして使用している。
バタービールのコルクだ。今年から行けるようになった、ホグズミードという魔法使いの村から、上級生たちが持ち帰って来たのを覚えている。
「まあ、とにかく初めまして。これも何かの縁でしょう。私の事はティアと呼んでください」
「分かった。よろしく、ユースティティア」
……知り合った女の子の中でティアが一番の変人であることは疑いようもがないと思っていた僕だけど、どうやらこの娘も一筋縄では行かないようだ。
ティアも珍しく笑顔が少し引き攣っていた。
「まあ、何でも良いでしょう。それより人差し指を出してくれませんか?」
「良いよ」
そう言って彼女が差し出した右手の人差し指に、ティアも自分の右手のそれを合わせた。
確かそれは
「あれ、変でしたか? マグルは未知の生き物に遭った時にこういう風にするのが当然だとテッド叔父様に教わったのですが」
「ティア、失礼ですよ」
彼女の叔父は相変わらず彼女に対する教育を間違えているらしい。
ティア、君はそれなりに失礼なことを言っているって自覚して……居るのだろう、多分。
「そうだね。その未知の生き物と遭遇したから、あたしもそうしただけだよ」
「中々言うじゃないですか」
ルーナじゃなくて彼女の方が未知の生き物扱いか。まあ、間違ってはいない。
「会話が難しい存在と遭遇したら、音楽で会話を図ると叔父様に聞いていたのですが生憎今は楽器の持ち合わせが無いですね」
「うん、あんた変な女だね。あたし、わかるモン」
「どうしましょう、ジャスティン。道端の犬の糞に『君って臭いね』と言われたような気分で一杯なのですが」
「哀しそうにこっちを見ないでください、ティア」
大丈夫、僕から見たら両方ともそんなに変わらないから。
そして暫くしてからティアが本気でコルクの首飾りを良い物だと感じていることが分かったからか、二人ともかなり打ち解けているようだった。
多分変人同士、通じるものが合ったのだろう。
さて、馬車で通過しようとしたとき、ホグワーツの校門を二体の吸魂鬼が護っていたのを僕たちは目撃した。
それを見るだけで僕は気分が悪くなったが、二人はそうでもなかったらしい。
ティアはそれが近くに入るや否や
「エクスペクト・パトローナム! 守護霊よ、来たれ!」
と言って馬車の中に銀色の魔法生物のような物を出していた。
「これが私の守護霊という奴です」
「ピクシー妖精みたいなのは珍しいって聞くよ」
彼女たちのマイペースは崩れなかった。
「良く知っていますね」
「あたし、レイブンクロー生だよ?」
差し出されたチョコレートを頬張りながらルーナは応えたが、この魔法のせいか僕は気分がそれ以上悪くなることは無かった。
「それも従姉に教わったのですか?」
「ええ。今年は色々と窮屈になるかもしれないと聞いていたのでお願いしました」
教えてさえもらえれば、何時か僕にも使えるようになる魔法なのだろうか?
そんなことを思いながら、僕たちは馬車を降りて(その直前に守護霊は消された)大広間へと向かっていった。
途中でポッターやグレンジャーがマグゴナガル先生に呼び止められて道を逸れて行くのを目撃しつつ、僕たちはそれぞれの寮のテーブルを目指して入場する。
「じゃあね」
「ええ、また機会がありましたらご一緒しましょう」
そう言って別れた二人は、顔立ちのまるで似ていない姉妹のようだった。
「ようやく全員揃ったな」
「そろそろ組み分けが始まりそうよ」
今僕たちに話しかけたアーニーとハンナ、それから他の三人は既に席に着いていた。
ちゃんと周りの席も確保してあったので、僕たちも適当な位置に身を落ち着けることにしたのだが
「入り口で別れたのは誰?」
「ルーナ・ラブグッドと言って……」
「ああ、あの」
どうやら先ほどの彼女は女の子の間では有名らしい。
男の子には付いていけない速度での情報交換を始めたティアとスーザンを見ながら、帽子による毎年恒例の歌が披露された。
四つの寮、それぞれの特色、そしてどの寮に新入生が入れるかに対する期待を高らかに歌い上げる。
まるで学校の外に控えている吸魂鬼など関係が無いとでも言う様に。
組み分けはその後で開始され、そして今回はそれなりに早く終わった。
「可愛い新入生たちがまた結構入ってきましたね」
「去年も同じこと言っていたわよ」
「でも小さい子たちって可愛いよね」
「あたしたちにもあんな時があったのよね」
女の子たちは姦しい。
「いや、エロイーズは別に可愛くは」
「何か言った?」
「……何も」
エロイーズの詰問とそれを躱そうとしているザカリアスの会話を耳に入れつつ、一年生たちの名前の書かれた羊皮紙を丸めたマグゴナガル先生が先生方のテーブルへと去っていくのを目で追う。
その後でダンブルドア校長による今年度の諸注意が発表された。
リーマス・ルーピン先生が先ほど聞いた通り「闇の魔術に対する防衛術」を担当し、あの森番のルビウス・ハグリッドが今年から僕も受けることになっている「魔法生物飼育学」の先生を兼任することになったらしい。
グリフィンドールからの拍手が特に大きな音で大広間に響く。
「大丈夫なのかしら」
「どうでしょうか。ただ」
スーザンの思わず漏れてしまった独り言に、ティアがそこで言葉を切った。
「どうしたのですか?ティア」
「いえ、魔法界に存在する生き物たちの危険性を知ると言う意味では悪くない人選なのかもしれないと思っただけです」
顎に手を当てて何事かを考えていた彼女はそう言ったが
「僕はもう嫌と言うほど知っているのですけどね」
「貴方の場合はかなり特別でしょう」
そうして僕たち二人ともが笑った。
「まあ、でも命を取られるような危険性のある生き物はそうそう関わる機会なんてないでしょうし、大丈夫ですよ」
「だと良いのですけれどね」
もしも関わる時は、多分意図せずして関わってしまうのだろうと言う予感があった。
考え事をしているとダンブルドア校長の話は終わっていたらしい。
すばらしい御馳走が大広間に姿を現し、楽しげな喧騒が広まっている中で、僕たちは誰ともなしに顔を見合わせると、七つの杯をそれぞれ一人ずつ手にした。
同じテーブルに着いた七人の声が唱和する。
そしていつも通り
「乾杯!」
これから今までと同じようで、全く違う一年が始まるのだろう。
僕たちは期待に胸を熱くした。
何時も前書きと後書きのネタで困っています。
まあ、別に本編がおまけで此処がメインじゃないので大丈夫ですよね。