※後書きに続く。
嗚呼、バレンタイン。
いやはや。千八百年ほど前に殉教した聖ヴァレンティヌスも、まさか自分の命日がこんな酷い祝われ方をするとは思っても居なかったろう。
ちょっぴりオーバーだったかもしれないが、現代的な言葉で今の私が見ている光景を語るならたった一言で済むのだ。即ち
これはひどい。
その日朝食を頂く為に大広間に入った私たちは、あの先生の所業がホグワーツの景観を著しく害している様子を目の当たりにしてしまったのだ。
そういえばこんな感じだったかもしれないという感想がまず初めに在り、次に前世の私の友人たちと同じくらい残念だなという感想、そして最後に最近感じられなかった「癒し」を受けたような気がする、と言うのが私の抱いたそれであった。
今思えばジャスティンのあの無邪気さ(入学当初と比べたら無自覚に毒を吐くようになった気がするが何故だか分からない)に、私は大分癒されていたのだろう。
きっとそのせいで何時も彼の元へと足を運んでいたに違いない。
ロックハート先生が計算でこんなことをしているはずがないし、そのせいもあってか何だかこう彼の事を思い出すことができて、私としては多少なりともすっきりとした感じで、頭の悪いバッドなデコレーションが施されたこの場所を見ることができたのだ。
もっとも目に痛い、映画で例えればラジー賞間違い無い光景は、ずっと見ているとバジリスクに襲われたよりも酷い気分になりそうだったが。
「ねえ、ロックハート先生って正気なのかな?」
ハンナ、不安がるのは分からないでもない。だけど多分大丈夫だ。
「きっと初めから正気なんて無かったんじゃない?」
「その意見には僕も賛同するよ。まあ、ティアは別の意見を持っているようだが」
スーザンにアーニーも相槌を打ったが、私たちの何時ものメンバーの間では、もう既に彼の先生は人望を失っていた。この中で例外なのは、未だにロックハート先生に対して禁書閲覧権発行用……彼の素敵なサインをねだり続けている私くらいのものらしい。
「私はこの目に痛くなるようなピンクの装飾も、邪魔くさいハートの紙吹雪も気に入っていますよ。
最近あまり楽しいことってなかったじゃないですか。きっとロックハート先生が私たちを元気づけてくれているのでしょう」
「その発想には驚かされるよ」
おや、珍しい。ザカリアスの癖に、今日は私に対して皮肉も控えめじゃないか。
彼は普段ならもう少し突っかかってくるはずなのだが。
おまけに目の下に隈がある。
「……ザカリアス、何か悪い物でも食べたのですか?」
「え? いや、何で」
眼を見開いて驚かないで欲しい。
「だって普段ティアって僕が何しているかとかなんて気にしたことなんて無いだろう?」
「まあ、そうですけど。それでも気になりますよ。だって貴方まで倒れられたら私は……」
「私は?」
良く分からないけど何故こっちを期待するようにこっちを見ているのだろう? つくづく表情豊かな奴である。
「どうやってこれから先に余分なお小遣いを手に入れたら良いのですか」
「そんなことだと思ったよ!」
ちなみに話しているのはトランプを使った賭け事の話である。
ジャスティンが倒れた今、楽をして勝てる相手と言うのは実に希少価値があるのだから。他の面々にも勝てなくはないのだけれど、この二人ほど容易くでは無いのだ。
アーニーは元から勝負事は強いし、エロイーズは彼女の見た目に応じた嫌らしい手を使ってくる。スーザンは分析力に関しては優れているし、ハンナは意外とえげつないのだ。
一方分かりやすい手ばかり打ってくるジャスティンや、顔に出やすいザカリアスの方がやりやすいと言うのは自明の理だろう。
「大丈夫、貴方からお小遣いを巻き上げる準備なら何時だってできていますよ」
「全然安心できないんだけどな」
そんなやり取りをしている私たちを尻目に、エロイーズが指差してザカリアスを見ながら爆笑していたのが実に平和な光景だった。
できるだけ相手が腹を立たせる仕草についてレクチャーをしていたのが大分効いているようだ。
「ああ、うん。君たちはいつも通りだな」
何故だかアーニーが私とエロイーズを見て実に納得したような深い溜め息を吐いていた。
変わらないことも一つの強さなのだよ?
その後、私は忍びの地図を時折チェックしながら授業を過ごしていった。
途中授業中に地図を盗み見ていた私は、しかし分かってしまったのだ。恐れていたモノがやってくることは避けられない、と。
フリットウィック先生の呪文学の授業を受けている最中の事だった。
突然闖入者の群れが教室に押し入ったのだ。
とても不愛想で、金色の翼を背に、ハープを持った小人たちの大群である。
幾つかのクラスでカードを配達しては授業妨害をしていた彼らが、ついに私達ハッフルパフ二年生の授業時間に乱入してきてしまったのだ。
せっかく今までは大人しく、余裕を持って授業を楽しめていたのに。
フリットウィック先生も頭を両手で抱えていた。……ちょっと可愛い。
私が表情を変えないまま、凄まじく不愉快な想いをしていると、気が付けば何と小人の一匹が私の元に来ていた。
「イースティティア・レストレンジ! あなたに贈られる詩があります! 」
要らない。しかも私の名前の発音を間違えている。
そういうことをできるだけ丁寧に、言い含めるように聞かせてやったのだがこの小人君には効果が無いようだ。
「嗚呼、美しい正義の女神よ! 僕は」
その小人君が手に持った不幸の手紙の文言を口にできたのはそこまでだった。何故だって?
「シレンシオ 黙れ!」
「インセンディオ 燃えよ!」
私がこの二つの呪文を一気に掛けて、このバカなことを言い出した小人から一時的に言葉の方を、永遠に手紙の方を取り上げたからさ。
こんな私に一体誰が羞恥プレイ用の、私をからかう為に書かれた物を送ってきたのかは分からないが全くもって迷惑な話である。
何だか抗議するように短いあんよとお手々をバタバタさせる小人を尻目に、ふと席の後ろを見たのだが、何故だかザカリアスが机にぐったりと突っ伏していた。
「僕の七時間が……」
「ザカリアス、あの手紙に書かれた愛の詩は素晴らしかった。君は単に運が無かっただけだよ……」
あまり彼らが言っていたことが良く聞こえなかった上に、ザカリアスはアーニーに元気づけられるかのように肩を叩かれていたが、一体彼に何かあったのだろうか。
良く分からないけれどきっと良いことあるさ。
そしてその直後、私はフリットウィック先生に何時ものキィキィした声で注意されてしまったのだ。
「全く。授業中に先生の許可なく呪文を使うなんて! ミス・レストレンジ、ハッフルパフから5点減点です! 」
……まあ、そうだろうな。勝手に使われてしまったら呪文が飛び放題である以上、仕方ないのだろう。それでもスネイプ先生を除く先生方に、授業中の失点を喰らってしまったのはこれが初めてだっただから、かなり気落ちはしてしまったけれど。
「と言っても今の呪文は正確で、何より見事でした! ハッフルパフに10点! でもこれからは勝手に魔法を使ってはいけませんよ」
あ、何だかんだ言って先生も小人たちにムカついておられたのですね、分かります。
周りの眼が私に集中している間、彼の先生の方を見たら、こっそりとだが確かにウィンクをしていたのを私は目撃した。さながら彼の何割かを構成するような、妖精のような悪戯っぽさを込められていたような気がする。
思えば、去年もトロールに立ち向かった時、マグゴナガル副校長に危機感が足りないとお叱りと減点とを受けた。が、しかしそれでもその後に行為それ自体は評価され、無事にポイントを頂くことができたのだ。
それに「賢者の石」を守ることができた時もそうだった。いきなりスリザリンの優勝を取り消す程の点数を彼らに与えるなんて贔屓が過ぎるのではないかとちょっぴり考えたがあれはきっとそういうことではない。
多分、やってはいけないこと(彼らの場合は夜中に校内を彷徨っていたこと)をしたら罰はきっちり与えるけど、それでもそれを帳消しにできる程良いことをしたら「そのこと」を取り消してもらえるほどのポイントを貰うことができるのだろう。
ハリーやハーマイオニー(本来ならネビルもだったか)が大量のポイントを失い、しかしそれを「補填」されたのもようやく納得が行った。
……今日は良い日だ。
その後のことだった。
少し早目に授業が終わって、教室の外に出た私たちは一つの騒ぎが行われているのを目撃したのだ。
知った顔の子達に事情を聴いてみれば、私と同じように何者かのラブレターを音読されたハリーの鞄が破れてしまったらしい。そしてその後でフォイフォイがハリーの鞄から零れ落ちた、あの日記を拾って武装解除術でそれをハリーに奪い返された、とのことだ。
ロンの兄上殿に減点され、日記の不自然さに気付く場所だったような気がするが、彼の姿は幸か不幸か見当たらない。
ふむ、ジニーもこれを目撃してしまったようだな。ハリーがハグリッドの場面を目撃して、数日ほど時間を置いたら、私自らが彼に日記を渡したことを告白するつもりだったのだが、その必要は無くなったらしい。
手間が省けたな、と思い足早に現場を去ろうとしたら、私を睨むような、あるいは責めるような視線を彼女の方から感じた。
……どうせ話すなら後で話すよりは今、話しておいた方が良いだろう。
わざと私の事を追い掛けられるスピードで歩いたら、狙い通りジニーは私の後を着いて来た。
「どうしてあんなことをしたの」
抑えてはいたものの、叫ぶような声でジニーは私を糾弾した。当然か。
「あんなことって何ですか?」
私はそう、自分の手札を明かさないまま彼女と三度目の対峙をしていたのだ。
「とぼけないで。何でハリーに日記を渡したの!」
「彼が、トムが頼んだからですよ」
「あ、あれに気が付いたの?」
彼女としては私がそれに気が付かずに、それでも操られてくれれば良いと思っていたのだろう。多分それは色々な意味で不可能なのだけれど。
「私がこれまで会ったことの無い物でしたが、使い方くらいは直ぐに分かりましたよ」
想像だが、思えば多分あれには魔法が掛かっていたのだろう。
インクで何かを書き込ませたくなるような、そんな軽い魅惑の魔法とでも呼ぶべきものが、だ。
おそらくあれの恐ろしさを知らない者、無垢で好奇心が旺盛な者を罠に掛ける為の狡猾な性質の悪い魔法だったに違いない。
そうして心を許してしまったら最後、遅かれ早かれ肉体の自由そのものまでを完全に奪われるようになってしまうのだ。
友達は選んだ方が良いと言う教訓か? それとも何かに心を許せば人は弱くなってしまうのか、ということの暗示なのだろうか。
だが、幸いにも私にそんな誘惑は効果が無い。リスクを回避できるだけの知識も、少なくとも私が安全に過ごせる分だけは備えていたからだ。
「もしかして私が押し付けられたあの日記は危ない物だったのですか?」
「そんなことはないわ! そんなことはないけど私、色々とハリーに知られたくないことを書いていたから……」
消え入りそうな声だったけど、あれは私にはどうしようもないものである以上、あれこそがベストの選択。だからこそ私は何も知らなかった振りをして、彼女の事を最後まで騙そうと思う。
でも、と前置きしてから私はできるだけ優しくジニーに言った。
今彼女に見え隠れしているのは秘密を開示されないかと言う不安、そして罪がばれないかと言う恐怖。開心術を使えまでも無く読み取れた以上、ジニーの心の内の不安定な部分を和らげる様に言えば良い。
私にとっては「ただそれだけ」の簡単なお仕事だったのだ。
「大丈夫ですよ。トムはそう簡単に人の秘密をペラペラしゃべりそうに見えましたか? もう少し彼の事を信用しても大丈夫だと思います」
少なくとも最終段階に至るその時までは話したりしないだろう。ついでに言えばトムの事を信用するならともかく、信頼は一切できないが。
「だから気持ちを落ち着けて楽にしても良いんじゃないでしょうか」
心配したところで無意味なことなんて世の中には沢山あることだしな。
「そうね。そうだったかもしれないわ。……何だか少しだけ、ほんの少しだけ楽になったような気がするわね。ありがとう、ティア」
ここで初めて彼女は笑顔を見せてくれた。汽車の時も、日記を渡した時も。彼女の心に余裕なんてなかったから。
「誰かに話すってことは大事だと思います。他の人、例えばハーマイオニー辺りに相談してみたら如何でしょう。少なく私よりは頼りになる気がしますから」
断じて私が言えた義理では無いのだが。
「……今度はそうしてみるわ。でもその前にトムと後一度だけお話ししないと」
私達二人は、その時はそこで別れた。
そしてそれは数日後の夜の事だ。
危険。その兆候に気が付いたのは私が必要の部屋から寮の自室に戻る時だった。
人気の無い長い廊下を歩いていた時、私の足元で水が跳ねるような音がしたのだ。
はて……水溜り?
近くに水飲み場も、トイレも無いのに存在した胡乱な物に私の足は止まり、そして
「なっ!」
驚くのも仕方あるまい。だって私のローブのポケットに入れていた「かくれん防止器」が勢いよく廻り始めたのだから。
ちなみにこの独楽に似た逸品は、胡散臭い物を見つける為に役立つ魔法界のアイテムの一つである。今までピープズの気配を見つけたり、事前に察知したりするのに大変重宝してきた。
してきたのだが……私が持っていても反応がまるで無かったのに、私が直ぐ傍に居る状態でザカリアスに持たせた途端に今と同じくらい、勢い良く廻り出したのは何かの悪いジョークだと思う。
まあ、そんな愉快痛快不愉快な話はとりあえず置いておこう。
今問題なのは
ズルズル、ズルズル……
という何かを引きずるような音が直ぐ近くからしていることである。具体的には私の後ろから。
多分、というか確実にそうだろう。バジリスクだと私は確信した。
水溜りを見て、音を聞いた瞬間に目は瞑ったからそういう意味では心配ない。
問題なのは大きな何かの気配が止まったことなのだ。
シン……
周りから音が消えた。
だけど濃密な気配は、変わらずに私の後ろからしている。より正確に言うならば、私の直ぐ後ろから。
その少し生臭くて暖かい息遣いも、私は感じてしまっていたのだ。
どうすれば良いか分からない程、圧倒的な「死」の気配。
奴は、私を見ている。おそらくは私を石にしようとしているようだが、何故?
そんな疑問が、一瞬のうちに浮かんでは消えた。
正直な話、パニックになりそうだ。
あの一年生の賢者の石の時とは違う、自分の命が最悪の場合喪われてしまうであろうという確信。
ハリーがそういえば自分の部屋から日記が盗まれた、と言っていた。
偶然なのか、あるいはトムが私を襲う気でやっているのか?
その場合助かる見込みは?
今逃げ出したところでまた追われるんじゃないのか?
死の呪文を使うか?
いや、動物は気配に敏感だから使おうとした瞬間に噛み殺されてもおかしくない。
悲しいことに私が逃げ切れるかどうかも不明。
と、そこまで数瞬の内に考えて、自分の今の状況の悪さに何だか笑い出しそうになってしまった。
詰んでいるじゃないか、ほとんど。
どうしようもない時、人は諦めれば良いのか?
違うはずだ。
今からやることはあまりにも可能性が低い賭けだ。勝てる確率はほとんど無い、できれば試したくなかったことの一つなのだ。でも分が悪くても、私は座して待っていたままだったり、見込みを捨てたりしたくは無い。
それこそが私の譲れない立ち位置だ。
だから、私は息を吸って
「コケコッコー!」
と叫んだ。
私の後ろにいた怪しい気配がどんどん遠ざかっていく気配がした。
どうやら私は賭けに勝ったらしい。
安心しようとして、再びバジリスクが戻ってくる可能性に気付き、私は寮に向かって駆け出した。
こんなこともあろうかとハグリッドの飼っていた雄鶏を失敬した上で、その特徴的な「時を作る声」を練習しておいて良かったぜ、全く(※用済みになったジューシーチキンは後ほどスタッフ、つまり私がおいしくいただきました)。
基本的に私は長期的な休みの間などは、寮の自室よりも快適な天蓋付きの素晴らしく寝心地の良いベッドや、見事な浴室付きの必要の部屋で過ごしているので、鶏を目覚まし代わりに使える環境に暫く身を置けたのが効いていたようだ。
決定的だったのは念の為に復習として、『幻の動物たちとその生息地』を含めた幾つかの魔法界の参考文献を調べていたら
「バジリスクにとって致命的なのは雄鶏が時を作る声で、唯一それからは逃げ出す」
と言う記述が古い本にあったので、無駄かもしれないと思いつつ練習していたのだが運が良かったらしい。ちなみに声真似は私の百八つある特技の一つである。
……嘘、多分そんなに無い。
まあしかし、ロンが声真似で蛇語を喋っていた記憶があったので「ええい、ままよ!」と試して見たのだが効果があって本当に良かった。
生憎、チェスの腕前には自信が無いのだが、もしもロンに勝てるようなチェスの才能が有ったら彼の代わり、やれるんじゃね? という気はしてきたぜ。
……勿論想像するだけで止めておいたけど。
だって蚤の心臓を持つ私には、そんな状況はハードルが高過ぎる。
バジリスクはおそらくその主人の元に戻ったことだろう。
今回の件は報告されるはずだから私が再び襲われる可能性は無い、はずだ。
そしてハッフルパフ寮の自室に辿り着いて私はようやく人心地つくことができた。
以後はマンドレイクの薬ができあがるまで待てば良い。
これ以上何か変なことが起きればいいんだが、と思いつつ不安な気持ちは何故か晴れなかった。
その翌日、我らにハッフルパフ対グリフィンドールのクィディッチの試合が始まる前、ハーマイオニーが一緒に居た別の生徒と共に石にされたらしい。
※ムリダナ(・×・)。