孤独と共に歩む者   作:Klotho

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命蓮寺編ほぼ完結です。

次回は少し番外編が入ります。


『蠱毒と苦悩』

 

 

 

 命蓮寺で地底の情報を集め始めて三ヶ月が経った。命蓮寺以外にも近くにある幾

つかの里に蠱毒達を遣わせてみたが、やはり役に立つ情報は無かった。なので今は

命蓮寺に頼るしかないのだが……。

 

「流石に、長く居過ぎたかな」

 

 何時かナズーリンと共に座った木の上から命蓮寺を見下ろす。この数ヶ月で随分

と此処の妖怪達と慣れ親しんでしまった気がする。今では私の事を名前で呼ぶ者が

殆どになってしまった。

 

「……」

 

眼下で妖怪達が瞑想や読経をしている。

 

 彼等は本気で聖の理想を信じて修行をしているのだろう。ああやって努力を続け

ていれば、何時か本当に人を襲わなくても済む様になる……そう思って。

 でも、それが上手くいかない事を私は知っている。人間は異端を嫌い、普通を好

む種族だからだ。周囲と比べて『異質な存在』を、彼等は邪魔者の様に思っている

のだろう――それが例え、自身に害の無い存在でも。

 

「あと、どれ位持つのかな」

 

 地面へと降り立った私の足元から蠱毒達が沸き、命蓮寺を出て幾つかの方向へと

別れて行った。私が彼等にこの寺の周囲にある人里の様子を探るように頼んだのだ。

 

「ひよりさん――」

 

 蠱毒達を見送った私の背後から声が掛かる。振り向くと、この寺の住職である聖

白蓮が縁側に立っていた……その顔は何処となく険しい。

 

 

「――少し、お話宜しいですか?」

 

 

 

 

「……こんな物を書庫で見つけました」

 

パサリ、と目の前に古い本が置かれる。その表紙には『蠱毒』の文字が。

 

「中身は?」

 

そう聞くと、彼女は少し戸惑いながら目を伏せた。

 

「……一応、目は通しました――いえ、()()()()()()()、ですか」

 

「村紗は?」

 

 私は先程から黙って聖の後ろで俯いている村紗を見た。まぁ、答えなんて聞かな

くても彼女の顔色を窺えば答えは出ているようなものだ……見たのだろう、この本

の中身を。

 

「実は、この本を見つけて来たのが村紗なんです。私の手伝いをしている最中に、

本棚の奥にあったのを発見してしまったようで……」

 

 まさか説明をしなかった事がこんな形で知られるとは思っていなかった。聖なら

ともかく、村紗を含めた他の彼女達には厳しい内容だろうと思って言わないつもり

だったのだが。

 

「何か聞きたい事は?」

 

 知られたなら、出来る限り教えるつもりだった。下手に禍根を残してしまうのも

危険だし、彼女達の不安も少しは軽減されるかもしれない。

 

聖は少しだけ考え、やがて私に問い始めた。

 

「この禁術は現在行われているのですか?」

 

「法は失われているから残ってるのはこの本だけだよ」

 

「蠱毒で貴女を作った人は?」

 

「既に死んでる。この目で確認した」

 

「蠱毒はどれ位危険な物なんですか?」

 

「人間なら簡単に、中級妖怪位でも本気なら直ぐ殺せる」

 

「……貴女にはどれ位の生物の命が?」

 

「六千と四百十七、詳細は省くよ」

 

「……そんな」

 

「だから、禁止になった」

 

 簡単に行える強力な術だから、と私は付け加えた。実は蠱毒の材料や環境を作

る事自体は誰にでも行える様な単純な作業しかないのだ。

 

まぁ、出来た蠱毒を扱えるかどうかは別だが。

 

「あ、あのさ……」

 

黙った聖の代わりに今度は村紗が口を開いた。

 

「ひよりはまだ人間の事を怨んでる?」

 

彼女からすれば、きっと許し難い行為なのだろう。

 

「全く」 

 

「勝手に術に使われて、そんな姿にされたのに……?」

 

村紗は信じられないといった顔で此方を見た。

 

「……?別に姿は変わってないよ」

 

 何故だろう、村紗との間に何か食い違っている部分があるような気がする。私

と村紗が首を捻る中、一番最初に気付いたのは黙っていた聖だった。彼女は床に

置いてあった蠱毒の書を手に取り、ページを捲っていく。

 

そして聖は、ある違和感に気が付いた。

 

「……ひより、さん」

 

聖の顔は真っ青で、手が微かに震えている。

 

「どうして、貴女は『人型』なんですか……?」

 

「……」

 

そうか、それが食い違いの原因か。

 

「人型?どういう意味?」

 

「これには、使用した生物は少なくても沢山の蠱毒が記録してありました。

……でも、この百近くある記録にすら人型の蠱毒の誕生は書かれていなかった」

 

未だ理解していない村紗に聖が本を指しながら言った。

 

「……あ」

 

村紗は漸く理解した。

 

「……どうして――どうやって貴女は『人型になった』んですか?」

 

 聖は青褪めた顔で私にそう尋ねた。きっと頭の良い彼女の事だから答えは既に

出ているのだろう。ただ、認めたくないだけなのだ。

 

「気付いてるんでしょ、最後まで残った生物が本体……蠱毒になることに。

そうして最後まで残ったのが私だった……だから、『ひより』は人型になった」

 

「……」

 

「――っ!」

 

「それだけ」

 

 後はもう、私は何も言わなかった。例え他の人妖にとって許されるべきではな

い行為であっても、今の私を作ってくれた事には違いない。そういった意味では

私は蠱毒を行ったあの男に感謝している……今はだけど。

 

だが、許せない者もいるのだろう。

 

「じゃ、じゃあ……ひよりは、『元人間』なの!?」

 

村紗が私の肩に掴み掛かった。

 

「そう、私は元は平安京の人間だよ」

 

「っ、だって、それだと……」

 

村紗が次の言葉を言う前に、私の言葉が彼女を遮った。

 

「きっと人間を材料にした蠱毒は今までも何度かあったんだろうね。でも――」

 

今度は私が村紗の頭に手を置いて立ち上がる。

 

「――倫理、恐怖、理性……それらの所為で人間だと餌にしかならなかった」

 

 自然と村紗の手が地面へと落ち、私は一度だけ聖を見た。彼女は此方を見つめ

て、そして小さく口を動かした……ごめんなさい、か。

 

「……私を除いてね」

 

それだけ言って、私は出て行った。

 

 

 

 私は心の何処かで楽観していたのだろう。きっと彼女――ひよりも聖と共に過

ごす内に私達と同じ道を歩んでくれる……そう思っていたのだ。

 だが、私はそれが大きな間違いだった事に気付いた。何時も聖の思想に反対し

ている妖怪達とは違ったのだ。ひよりは想像を絶する経緯で妖怪になっている。

未練で亡霊になった私とは違う、彼女は人間によって故意に妖怪にされたのだか

ら……。

 

「村紗」

 

呼ばれて振り返ると、そこには聖の姿があった。

 

「……聖」

 

「私達が気に病んでも仕方ないですよ」

 

余程酷い顔をしていたのだろうか、聖は私の頭に腕を回して抱きしめた。

 

「……誰か、ひよりを助けてあげる人は居なかったのかな?」

 

 短時間で終わる術でない事はあの本に書いてあった通りだ。もし早期に誰かが

ひよりが居ない事に気付いていれば、彼女は人間のまま『幸せ』に過ごしていた

かもしれない……普通、ならば。

 

「彼女は、きっと『異端』だったんでしょう。人の異端の行き着く先は二つだけ

です――消されるか、無いように扱われるか」

 

「……」

 

「だから、あの子は共存を不可能だと言ったんだと思います」

 

 もし最初からこの話を聞いていたら、星もナズーリンもひよりを責める事は無

かっただろう。だが、彼女はそれを言わなかった――否、言おうとしなかった。

 

私の心を見透かしたように上から声が掛かる。

 

「あの子は冷たい風に見えて優しい子です。あの時説明しなかったのも村紗や皆

がこうなってしまうのを避ける為だったんじゃないでしょうか?」

 

 確かに彼女は口数こそ少なかったが、私達を無視するような事は無かった。今

になって気付くひよりの様々な気遣いが嬉しくて、それ以上に悔しい。

 

「だから、私達は落ち込むべきではありませんよ」

 

「……うん、そうだね」

 

 聖が私の頭から腕を解き、足元にあったあの書を拾いあげた。聖がそれをどう

するのか気になり目で追う私の目の前に、聖が()()の本を差し出した。

 

一冊は蠱毒の書、もう一冊は――

 

「――あれ、これって……」

 

「唯一此処にあった地底についての本です。それと蠱毒の書はひよりさんに渡し

て下さい……きっと彼女が持っていた方が、()()も喜ぶでしょう」

 

 聖は開いた障子から沈んでいく夕日を見てそう言った。聖が誰の事を指して彼

等と言ったのか……私には何故か分かった様な気がした。

 

「分かった、じゃあ行ってくるね」

 

「えぇ、お願いします」

 

 

私は部屋から出てひよりの元へと向かった。

 

 

 

 

 仕事のない時のひよりの居る場所は殆ど限られている。縁側か屋根の上か命蓮

寺の中に一本だけ生えているあの木の上だ。私は縁側へと向かった。

 

「……居た」

 

 夕日が落ちて暗くなった縁側に、ポツンとひよりが座っていた。軽く声を掛け

て隣に座ろうと歩き出した私は――直ぐ様足を止めてしまった。

 

「……っ」

 

 ひよりの座っている周囲に沢山の生き物が居たのだ。一匹や二匹では無い、縁

側を覆い隠すかの様な夥しい数の動物や蟲達が蠢いている。

 

「……よし」

 

 私は真っ直ぐにひよりへと歩き始めた。普段の私ならきっと逃げ出していたか

もしれないが、彼女の背中を見ていると不思議とそんな気が起きなかった。

 

彼等は、私が進む道を開ける様に広がっていった。

 

そして――

 

「――もう、踏むかと思って冷や冷やしたよ」

 

「……村紗」

 

 私は、ひよりの隣へと座った。私が声を掛けるまで気が付かなかったらしいひ

よりは、周囲で動き回っていた生き物達に何か指示を出した。すると、先程まで

自由に動き回っていた彼等は直ぐに彼女の中へと入って行った。

 

「もしかして、今までも出した事ある?」

 

私は半ば当てずっぽうでそう聞いた。

 

「あるよ、誰か来たら直ぐ戻してたけど」

 

 ひよりは気配を探るのが非常に上手い。何時も命蓮寺に人が来る事を一番最初

に教えてくれるのはひよりだった。こうやって彼等を外に出している時も、普段

なら誰かが近付いている時点で隠しているのだろう。

 

でも、私の接近に気付く事は無かった……それは何故か?

 

ひよりの顔を見れば答えは一目瞭然だった。

 

「……」

 

 今のひよりは、聖が命蓮という弟の話をしてくれる時と似ている。何処か懐か

しむ様な、悲しむ様な……そんな表情で、ひよりは月を見つめていた。

 

「あ、そうだ……これを聖が」

 

 私はひよりの表情に我慢が出来なくなり、咄嗟に聖から頼まれた用事を思い出

して手に持っていた本を手渡す。ひよりは怪訝そうな顔をした。

 

「……どうして蟲毒の本を私に?」

 

「『ひよりが持っていた方が彼等が喜ぶ』ってさ」

 

「……そう、分かった」

 

ひよりが本を懐にしまい、そのまま沈黙が訪れる。

 

「……」

 

……な、何を話せば良いんだろう?

 

村紗は内心で慌てた。

 

「……」

 

 隣に座るひよりという少女は、普段自分から話し掛けてくる事は殆どないので

ある。あったとしても、人が近付いていたり食事が出来たりといった事務的な用

件だけだ。

 

そう思って悩んでいる私の隣で――

 

――ひよりが、口を動かした。

 

「数年前まで人間……まぁ、人間っぽいのと一緒に暮らしてたんだよ」

 

「え、ひよりが!?」

 

 思わず私は大声を上げてしまった。一つ目はひよりが自分から何かを話したの

が意外だった。二つ目はひよりが人と一緒に暮らしていたという発言。そして何

より、普段の無機質な口調とは程遠い今の口調に驚いたのだ。

 

「三百年位かな」

 

「……本当に人間なの?」

 

私は咄嗟に当然のツッコミを入れてしまう。ひよりは苦笑しながら答えた。

 

「人間だよ、ちゃんとしたね」

 

そう言われると何故か信じてしまう私。

 

「で、どうやって出会ったのさ?」

 

 寧ろ彼女の話の続きが気になってついつい身を乗り出してしまう。聖の考えに

反対していたひよりが人と一緒に居たという事が嬉しかった。

 

「私の住んでいた森に倒れてた、で、拾って帰った」

 

「簡潔だね」

 

「強いて言うなら背負うのが大変だった」

 

 大きいんだもんアイツ、と言って少し不貞腐れた様なひよりを見て笑う。確か

にひよりの身長で背負える人間なんて子供位のものだろう。意外とコンプレック

スがあるのかもしれない。

 

「拾って帰ってどうしたの?……食べた、とか?」

 

「……三百年一緒に暮らしたって言ったでしょ」

 

溜息を吐くひより。私は自然と口角が持ち上がるのを感じた。

 

「事故で寿命が長くなったんだよ、あの子。でも、都に父親が居るから戻って普

通に暮らしたいって言ってた」

 

「……それは難しいよ」

 

何年も見た目が変わらなかったら、妖怪と勘違いされてしまう。

 

私が渋い顔をするのを確認してひよりは続けた。

 

「当時は普通の人間程度……以下の強さだったんだよ。都に戻っても何時か追い

出されるし、外で生きるには弱すぎちゃった訳」

 

「それで?」

 

「聞いたんだよ、『都に戻るか、私が生きる術を教えるか』ってね」

 

「うわぁ……」

 

 聞いて、私はその場面を容易に想像する事が出来た。普段の様な無機質な口調

のひよりがそんな風に聞いてきたら、私なら泣き出していたかもしれない。

 

「で、三百年かけてあの子を鍛えた。下級の鬼なら退治出来る様になってたし、

私も潮時だと思ってたからあの子とは別れた」

 

ひよりはそう言って、月から目を離して俯いた。

 

その行動に私が何かを言おうとする前に、ひよりが口を開く。

 

「――だから私は、聖の考えに反対なんだろうね」

 

ひよりから放たれた言葉が、私の動きを止める。

 

「……え?」

 

「人と共に生きたいと言ったあの子を……『弱い』あの子を鍛えたのは私。弱い

妖怪達を保護して人との共存を目指す聖とは相容れない考え方だよ」

 

ひよりが顔を上げ、私を……その後ろに立っていた――

 

「――そうだよね、聖?」

 

私も後ろを振り向く。聖は静かに近付き、私の隣へと座った。

 

「……確かに、私の理想とする考えとは違います。でも、そういった意見もあっ

て当然なのです……私は、そう思っていますよ」

 

聖は真剣な顔でひよりにそう言った。

 

「理想なんて関係ないよ、私は努力もせずに理想を求める奴が嫌いだから。あの

子は普通の人間じゃ音を上げる様な事でも耐え抜いたのにさ」

 

 このまま二人が戦ってしまうのではないだろうか……私はそう思った。聖から

は強烈な魔力が滲み出始めているし、ひよりからは何か不気味な気配が漂って来

ている。間に挟まれた私は身を縮こまらせた。

 

「貴女も見たでしょう?彼等は此処で毎日一生懸命に読経や瞑想をしています。

貴女の言う努力に、それは当てはまらないんですか?」

 

「人の恐怖が必要無い体にしてどうするの?人間達は他の妖怪達と同じ様に彼等

も退治する。人間の意識改革も必要だと思うよ」

 

 もうこれ以上二人の言葉を耳に入れたくない、私はそう思った。優しい聖と不

器用なひよりがこうも正面から相手を否定している……それが、酷く心に響く。

 

でも、止める事は出来ないし耳を塞ぐ事も出来ない。

 

どちらも、正しい気がするから……

 

「何故、貴女に人々が彼等を退治すると断言出来るんですか?もしかしたら、彼

等が認められて人と共に……」

 

「ちょっと、聖っ――」

 

 聖が放った言葉は、まず始めに私に焦燥を与えた。間違いない、聖は自分の考

えを貶されて頭に血が上っている。その証拠に、今聖が放った言葉は――

 

――それは、ひよりを……

 

 私が聖を止める前に、ひよりが立ち上がった。そのまま縁側を離れ庭へと出て

塀を登って入って来た蟲毒達を身体へと入れていく。

 

「分かるんだよ、私には。だって――人間だったんだもの」

 

「あ……」

 

 聖が肩を揺らし、そして俯く。気付いたのだろう、今自分が放った言葉がひよ

りにとってどれ位辛い言葉なのかを……。ひよりは此方に背を向けたまま続ける。

 

「両親が居なかった、友達が居なかった、名前が無かった、知り合いも、帰るべ

き家も、話す事の出来る相手も……人間の頃の私には無かった」

 

 私は言葉を失った。彼女が人間から妖怪になったのは知っていたが、まさか人

間の時に彼女がそんな状況にあったなんて思ってもみなかった。

 

ひよりは続ける。

 

「『人間』は、そんな私を存在しないかの様に扱った。だから助けは来なかった

し、助かっても私が人間として生きる事は無かった」

 

「わ、私っ……」

 

 聖の声が震える。私は何も言う事が出来なかった。優しい性格のこの人は、今

のひよりの心境を簡単に理解する事が出来たのだろう。故に、聖はその瞳から涙

を零しながら頭を下げた。

 

「ごめんなさいっ!つい躍起になってあんな事……」

 

「聖……」

 

 口元に手を当て嗚咽を堪える聖の背中を見つめる。聖のこんな姿を見るのは初

めてだった。私も聖と共にひよりに頭を下げる。

 

「ひより!私からも謝るから聖を許して!」

 

 我ながら随分ととんでもない謝り方だったと思う。それでも私は言葉を曲げず

にひよりへと頭を下げた。……きっと、私は信じていたのだろう。

 

その証拠に、振り向いたひよりは苦笑していた。

 

「……別に気にしてないから、泣くのはやめてよ」

 

 頭を掻きながらひよりが近付き、聖の腕を取って立ち上がらせる。目を少し腫

らして顔を上げた聖を、ひよりは真っ直ぐに見つめた。

 

「もう一度だけ言うよ、私は聖の考えには反対。例え彼等が努力をしても、人間

達はきっとそれを理解しないまま退治するから」

 

彼女の言葉は、実体験を伴って聖に突き刺さる。

 

「……っ」

 

「……でも――」

 

再び俯きかけた聖に、ひよりが笑いかけた。

 

命蓮寺に来て初めて、彼女が見せた笑顔だった。

 

「――人との共存には、反対しないよ。出来る出来ないは別にしても、彼等と共

に生きる事はお互いにとって良いと思ってる」

 

「……そうですか」

 

聖も釣られて苦笑する。

 

「うん、それは私が断言するよ。もし人と妖怪……両方の意識を変える事が出来

れば、聖の理想が現実になる事も断言してあげる」

 

そこで私は、ある事に気付いた。

 

「もしかして……」

 

 聖の考えに足りない部分を教えようとしていた……のではないだろうか。先の

口論も良く考えてみれば、私達の解決すべき課題を全て挙げていた様な気がする。

私は思わずひよりを見る。彼女は、きっと……

 

「私達の、為に……?」

 

そう呟くと、彼女は苦笑した。

 

「さぁ、どうだろうね?……っと――」

 

 聖の腕を放し、堀から降りて来た最後の動物……鼠を回収したひよりが――

 

――ピタリと、動きを止めた。

 

「……」

 

その顔は先程までとは別人の様に強張っている。

 

「……?ひよりさん?」

 

「ひより、どうかしたの?」

 

私と聖がそう聞くと彼女は少し悩み、そして私達にこう言った。

 

 

「人間達が、此処を襲う準備をしてる」

 

 

 

 次の日の朝、命蓮寺の食卓は普段とは打って代わって殺伐としていた。何時も

なら先に食べ終わっている一輪と何か世間話でもしているのだが、彼女の表情も

暗く余り話し掛ける気になれなかった。

 

「多分……」

 

そんな中、最後に食べ終えたナズーリンが呟く。

 

「誰かが、密告したんだろうな」

 

 仕方の無い、どうしようも無い……そんな感じでナズーリンは言った。それで

もその視線が、一瞬だけひよりに行ったのを見て私は身を乗り出そうとした。

 

ナズーリンは誤解してる。ひよりは、そんな事しない!

 

 昨日の話はもう好きに話して良いとひよりは言っていた。だが、それでは彼女

が誤解されてまで隠していた意味が無くなってしまう。ひよりもきっとこんな気

持ちで今まで我慢していたのだ。

 

「……」

 

だから私は、ナズーリンに抗議の視線を目一杯送った。

 

「……いや、この中に密告者が居るとは思ってないよ。唯、客人であるひよりを

どうするか気になっただけさ。彼女には()()世話になったしね」

 

 私の視線を受けて観念した様にナズーリンが肩を竦めてそう言った。どうやら

私や聖の知らない所でナズーリンも彼女と何かあったらしい。私は心の中でそっ

と胸を撫で下ろした。

 

「どうしたら良いのでしょうか……このまま一輪達が此処に居ると、ひよりさん

の言う通り争いになってしまうかも――」

 

「私が、あの方々を説得してみます」

 

星の言葉を遮りながら聖が居間に入って来た。

 

「無理。今から来る奴等はそんな物に応じない」

 

 恐らくは蠱毒を介して様子を見ているのであろうひよりがそう言う。しかし、

聖はひよりの頭を撫でてから緩やかに首を振った。

 

「ありがとうございます、ひよりさん」

 

「……本気?」

 

 この場の誰もが息を飲んで聖を見つめる。そんな事が、出来るのかと。聖は皆

の顔を見て、やがて少しだけ困った様に苦笑した。

 

「正直、上手く行くかどうかは分かりません。でも、出来る限りあの人達を説得

するつもりです。その間に皆の避難をお願いしますね」

 

聖の言葉に皆が黙り込んだ。

 

「……あぁ、分かった。星、皆にこの事を伝えて避難させよう」

 

 そんな中、ナズーリンが立ち上がって星の腕を引く。良くも悪くも命蓮寺で中

立的な立場に居る彼女だからこそ、直ぐに決断して動く事が出来たのだろう。

 

「ちょ、ナズーリン!待って下さい、あのっ、聖っ――」

 

星が障子から顔だけ出した。

 

「――絶対、戻って来て下さいっ!」

 

「……えぇ、約束します」

 

星とナズーリンが出て行った。

 

「……」

 

「……ひより?どうしたの?」

 

その様子を見ていたひよりが何かを呟いた。

 

――瞬間、ひよりの身体から禍々しい邪気が放出され始める。

 

「っ!!」

 

私は思わず数歩、それでも足りずに部屋の端まで下がる。

 

「ひよりちゃん!?」

 

一輪も雲山を出現させて自身の身を避難させた。

 

「……ひよりさん」

 

 聖白蓮は目の前に立つひよりと対面する。普段の微量な妖力から一転、妖怪

ですら怯むような邪気を放つ少女は、聖人へと問い掛けた。

 

その顔は、恐ろしいまでに無機質だった。

 

「……私なら、今から来る人間を皆殺しに出来るよ。痛みも、苦しみも、理解

も与えないまま全員を一瞬で殺す事が出来る」

 

「……」

 

少女は、聖人に問う。

 

「私が昨日言った事を意識していれば、もしかしたら共存出来る様になるかも

しれない。でも此処に今人間達を入れれば、それは絶対に叶わない」

 

「……」

 

ひよりは、聖白蓮に問う。

 

「人間達の勝手な行動で、貴女の理想が邪魔されても良いの?」

 

どうする、ひよりはそう言った。

 

恐ろしく、残酷な問い掛けだった。

 

「……いえ」

 

聖は、やはり同じ様に緩やかに首を振った。

 

「私の理想は、人と妖の共存です。これがどちらかの犠牲の上に立つのであれ

ば、それは私の求める理想とは違います。」

 

「……そう」

 

 ひよりは溜息を吐き、放っていた邪気を仕舞う。その顔は何処か疲れた様な、

何処か呆れた様な顔だった。私も部屋の端から二人の下へと戻る。

 

「一輪、この寺にある妖怪関連の物を全て処理して貰えますか?」

 

「……分かった。ひよりちゃん、『さよなら』」

 

 そう言って一輪も出て行った。ナズーリンと星が皆を避難させに行って、一

輪が痕跡を残さない様に処理をしに行った。

 

残ったのは、私と聖とひより――奇しくも、あの時の面子だった。

 

「村紗、聖輦船を出す準備をして貰えますか?聖輦船と共に説得した方が効果

があるでしょう。私達はあの船で布教をしてましたから」

 

 私は少しだけ悩んだ。きっと、私が準備している間にひよりは此処から出て

行ってしまうだろう。そうなれば、もう暫くは会う事も出来そうに無い。

 

「ひより」

 

私が名前を呼ぶと、珍しく彼女は此方から目を逸らした。

 

「……何さ」

 

「ふふっ、えっと――ありがとう!三ヶ月間だけなのに、凄く楽しかった!

……多分『暫く会えない』だろうから言っちゃったけど、恥ずかしいね」

 

「……」

 

 ひよりは黙ったまま聖を見た。聖はニッコリと微笑み、やがてひよりに何か

を握らせてから静かに離れた。どうやら何か紙切れを渡したらしい。

 

「もうひよりさんは行った方が良いでしょう」

 

「……ほんと、馬鹿ばっか」

 

 ひよりは私の顔を見る事無く居間を出て、そのまま庭へと出る。背中から翼

を出し、身を屈めて飛翔しようとしたひよりに私は思い切り叫んだ。

 

「ひより!次会った時は下の名前で呼んでよ!『村紗水蜜』、知ってるでしょ!」

 

「――」

 

 ひよりが空へと飛翔し、みるみる内に小さくなって行く。私は聖と笑いなが

ら庭へと出てその影を見送った。聖にも、ひよりが飛ぶ寸前に言った言葉が聞

こえたのだろう。

 

 

「またね、聖――『水蜜』」

 

 

 

 

 

「やれやれ、漸く行ったか」

 

「……ひよりさん、ですよねあれ」

 

「『ご主人』にしては随分勘が良いな、その通りだよ」

 

「私、一度だけひよりさんと二人きりで話したんです……何と言うか、不思議

な人でした。まるで猫でも相手にしているみたいで」

 

「いやいや、彼女は随分と鼠が好きみたいだったから案外鼠かもしれない」

 

「ナズーリンも話したんですか?」

 

「あぁ、少しね。さて――」

 

 

「――ご主人、命蓮寺に戻って最後の仕事をするよ」

 

 

 

「あっ……うん、ひよりちゃんだね。間違いなく」

 

「雲山気に入ってたもんねぇ、あの子の事」

 

「いや、別に嫌いな訳じゃないよ。何回か話したし」

 

「命蓮寺には居ないからね、ああいうタイプ」

 

「正直に言うともう少し話してみたかったかな――っと」

 

 

「……後は、命蓮寺に戻るだけね」

 

 

 

「……行っちゃったね」

 

「長く拘束してしまいましたし、丁度良い頃でしょう」

 

「そうだけど、なんかねぇ……」

 

「……彼女の事を私達がもう少し早く理解出来ていたら?」

 

「……うん」

 

「また会った時にゆっくりと話をしましょう。その為にも、先ずは人々の

説得を頑張らないといけません」

 

「そうだね――よしっ、行ってくる!」

 

「お願いしますね、村紗」

 

 

 

「きっと、他者には理解出来ない痛みをあの子は抱えている」

 

「それは私は愚か、他の誰だろうと解消する事は出来ない」

 

「それでも、あの子は他者を心遣う事の出来る優しい子です」

 

「お陰で、命蓮寺も随分と明るくなった気がします」

 

「だから、どうか――」

 

 

「――あの子の行く先に、幸有らん事を……」

 

 

 

 人里ではある事件の話で持ちきりになっていた。何と自分達の里にも布

教をしに来ていた僧侶が、実は妖怪を匿っていたというのである。人々は

その事件が真実と知り、憤り、恐怖し、そして安堵した。

 

――寺の僧侶と妖怪達は、既に封印されたらしい。

 

「……」

 

 里から少し離れた場所にある廃屋、そこで横になるひよりは既にその話

を耳に入れていた……入れていて、動かなかったのである。

 

理由は、聖が渡した紙にあった。

 

『五日後、命蓮寺の門の下で』

 

封印された筈の、彼女からのメッセージ。

 

 

 

 

「……」

 

 そして私は今、命蓮寺の階段前へと来ている。普段中から聞こえてくる

読経も今日は――今日も、聞こえてくる事は無い。

 

そういえば、此処で村紗に拾われたのが始まりだったか。

 

 ふと、そんな事を思い出しながら階段を登る。階段を登る度に、彼女達

と過ごした数ヶ月の記憶が甦って来る、気がした。

 

そして、嘗て命蓮寺と書いてあった看板の元へと辿り着く。

 

「……?」

 

 門を抜けて中へ入ろうとした私はある違和感に気付いて足を止める。

キッチリと詰められている石畳が微かに、揺らいだ気がしたのだ。

 

「……」

 

 数歩下がり先程踏んだ石畳を見る。他の物よりも数センチ高いそれは、

私が居た数日前には無かった筈だ。此処へ来た人間が動かしたとも考え難

い……と、すると。

 

「よっ、と……」

 

 石畳の両端を手で掴み、思い切り持ち上げる。既に一度持ち上げられて

いたのであろう石畳は、簡単にその『蓋』を開いた。私は横に石を置き、

中を覗き込んだ。

 

そこにあったのは――

 

――五通の、手紙

 

「良かった、取りに来たんだな」

 

顔を上げると、何時の間にか目の前にナズーリンが居た。

 

「……ナズーリン」

 

「聖からの指示だ。『もし私達が封印される事があるなら、この手紙を門

の下の石畳に隠して置いて欲しい』……とね。私はそれを実行しただけさ」

 

そう言って苦笑するナズーリンは、何処か寂しげだった。

 

「皮肉な話だ、私が神の使いだから封印されないのを見込んで彼女は私に

頼んだんだろう。これはご主人……星には少し荷が重いだろうしな」

 

「星は?」

 

そう聞くと、ナズーリンは奥を指差した。

 

「向こうに居るが、今は話さない方が良い」

 

「……なら、やめておく」

 

私は手紙を拾い上げ、大切に懐へと仕舞った。

 

「……あぁ、そうだ。その手紙は私や星が書いた物もある。私達の見える

所で読むのは出来れば遠慮して欲しい」

 

「何で書いたのさ」

 

「……賭けだったんだ、私や星でも封印されるかもしれなかったしな」

 

 結果はこの通りだけどね、とナズーリンは自嘲気味に笑った。きっと、

彼女や星が一番悔しかったのだろう。目の前で聖達が封印される様を唯

見る事しか出来なかったのだから。

 

「皆は、何処に封印されたの?」

 

「私の子分の情報だと、聖は『法界』、他の皆は『地底』だそうだ」

 

やはり、彼女達も地底に送られたらしい。

 

「……そう、じゃあ私も行くよ。星に宜しく」

 

「分かった、また会おうか」

 

 ナズーリンに背を向け、元来た道を戻り始める。彼女と話を出来ただ

けでも充分な収穫だった。後は――

 

「――ひより!」

 

後ろからナズーリンが大声で私の名を叫ぶ。

 

「……」

 

「『何か』する前に手紙を読んでくれ!その後は好きにしてくれて良い!」

 

 

私は片手を挙げて、空へと飛翔した。

 

 

 

 

「さて、と……」

 

 廃屋へと戻った私は、懐から彼女達が書いた手紙を取り出す。それぞ

れ「聖白蓮」「村紗水蜜」「寅丸星」「雲居一輪」「ナズーリン」と書

かれていた。

 

「……」

 

私は一瞬だけ悩み、一番最初にナズーリンの手紙を手に取った。

 

そして、広げる。

 

 

 

 

拝啓、短いながら、『大切な仲間』だったひよりへ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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