孤独と共に歩む者   作:Klotho

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更新遅くなりました、申し訳ありません。



『蠱毒と別れ』

 

 

鬼の宴会を押し流す勢いで、激流が流れている。

 

 二人の闘いを観戦していた妹紅や萃香、鬼達の目にはそう

見えていた……否、感じ取っていた。

 

「すげぇ……」

 

 そう呟いたのは誰だったのだろうか。それが誰にしろその

言葉が今の戦いを観戦している者達の心を一様に表している

のは明らかだった。

 

「……」

 

手を握り締め、興奮半分驚嘆半分といった様子で見る妹紅。

 

「もしかして、初めて見たのかい?」

 

その妹紅に萃香が興味深そうにそう尋ねた。

 

「……うん、あんなひよりは初めて見た」

 

「そうか、だったらよく見ておくと良いよ。

私から見たってあんな上等な喧嘩、そう出来るもんじゃぁない」

 

 小さく頷いて妹紅が二人の戦いを見る事に専念する。

私は瓢箪の酒を煽り、妹紅と同じ様に二人の戦いの観戦に入った。

 

――両極端とも言える戦いを

 

 

 

 

くっそ、全然当たらねぇっ……!

 

 勇儀は内心でそう悪態を吐いた。既に何回拳を振るい、足を振り上げ、頭を突き

込んだのか分からない。それでも目の前の少女――ひよりに傷を付ける事すら出来

ていない。

 

「――らぁっ!」

 

 拳を振り上げ、ひより目掛けて振り下ろす。鬼の、勇儀の力の勢いを乗せた拳は、

唸りを上げてひよりの方に……

 

「……」

 

ひよりが鼠に変化し、勇儀の足元を潜り抜けようとする。

 

「ふんっ!」

 

姿勢を保ったままの勇儀が片足を地面へと叩き付けた。

 

「危な、っと」

 

 勇儀の足が地面を砕く前にひよりが宙に跳ねる。遅れて勇儀の足が地面を砕き、

大きな皹と共に石や砂を跳ね上げた。

 

「ちっ、また()()()()か……」

 

 ひよりを踏み潰す為に振り下ろした足の脹脛に、二つの小さな穴が開けられて

いた。鼠になったひよりの背中から出てきた蛇によって開けられた穴である。

 

「……いやはや、当たらないもんだ」

 

 一旦動きを止め、勇儀が少し離れた位置で身構えているひよりに声を掛ける。

勇儀は構えを解いてから続けた。

 

「私の足の動きを見ていないのに避けてただろう?」

 

私の足を潜り抜ける時、ひよりは一度も上を見ていなかった。

 

「……偶然」

 

「やっぱり、最初に出したあいつ等のお陰かい?」

 

 私は周囲を見回し……草叢や木の上にいる動物達を睨む。あれ等は萃香が開始

を宣言した時に、ひよりの体から飛び出してきた動物達だ。

 

「大方、視覚を共有してるって所か」

 

「分かってるじゃん」

 

「いんや、勘だ」

 

 それは良い事を聞いた、と勇儀は笑った。しかし一向に周囲の蟲毒達を攻撃す

る素振りを見せない。今度はひよりが疑問を抱いた。

 

「攻撃しないの?」

 

「いーや、真っ向からぶち当ててやる

私がどういう風に戦おうが私の勝手だろう?」

 

ニンマリと笑って勇儀は言った。そして再び構える。

 

「……後悔、しない様に」

 

 ひよりが姿勢を四つん這いに近い形に変え、勇儀の一挙一動を観察する様に目

を動かす。周囲の動物達の目も一斉に勇儀へと向いた。

 

 

「さて、私の攻撃が当たるのが先か

……それともお前さんの毒が回るのが先か」

 

「……」

 

「一丁大博打と行こうか!」

 

 

 

 

 化け物、そう言った方が目の前の鬼を表現するのに相応しいだろう。ひよりは

心の中で星熊勇儀を賞賛した。勇儀を蛇で噛んだ回数はもう三十を超えている。

しかもその毒の量は、先程一撃で鬼を麻痺させた物と全く同じ量を使っているの

である。だが、勇儀に疲労や不調の様子は見られない。

 

「あと、皮膚が硬い」

 

呟いて、その場から飛び退く。直後に先の場所に勇儀の拳が飛んできた。

 

「おいおい、乙女の肌に硬いなんて言うんじゃないよ」

 

拳を地面から引き抜きながら勇儀が言った。

 

「蛇の牙が通らない肌の乙女って――」

 

「――鬼の乙女って事さ」

 

 言うと同時に勇儀が一瞬で移動してくる。先程の様に鼠に変化して逃げようと

した私は、勇儀の拳の()()に吹き飛ばされた。

 

「っ!」

 

体を一回転させてバランスを取り、地面へと着地する。

 

「成程、鼠の時は鼠の体重なのか」

 

 手の骨を鳴らしながら勇儀が一歩一歩近付いてくる。私は小さく舌打ちしてか

ら、次の勇儀の行動を待った。しかし勇儀は少しずつ近付いてくるだけだ。

 

五歩、四歩、三歩、二歩……

 

「――――っ!!」

 

勇儀は、有らん限りの咆哮を上げた。

 

「……っ、うるさ――」

 

 直ぐ真上で聞こえた大音量に私が悪態を吐き――遅れて飛んできた風に体が浮

かされてしまう。目の前には、口元を吊り上げた勇儀の姿が。

 

「あー……」

 

「つーかまーえた」

 

 私が体を捻って避けるよりも先に、勇儀が伸ばした手がガッシリと私の体を捕

まえていた。一応手の中で暴れてみるものの、抜け出せる可能性は薄い事が分か

っただけだった。

 一応蛇や蟲辺りに変化すれば一瞬だけ隙間が出来るが、この握り加減でそんな

事をしたら私の中身が全て出てしまうだろう。

 

……仕方ない、かぁ。

 

「どうだ?降参しとくか?」

 

「……しないよ」

 

 

勇儀の腕が振り上げられる。

 

 

 

勇儀の手が、思い切り地面へと叩きつけられた。

 

「ひよりっ!」

 

 隣で観戦していた妹紅が立ち上がり叫ぶ。私達の目で見えたのは勇儀が咆哮を

上げてひよりを吹き飛ばし、捕まえて腕を振り上げた所までだった。寸前まで見

ていたが、彼女が勇儀の腕から脱出した風には見えなかった……つまり、

 

「死んだ、かねぇ……」

 

私の呟きに、妹紅がバッと振り返る。

 

「嘘だっ、ひよりが死ぬ訳が……」

 

その先の言葉が出て来ない辺り、彼女も薄々勘付いてはいるのだろう。

 

「お前さんみたいに生き返る訳じゃないんだろう?

勇儀の『怪力乱神を持つ程度の能力』も入ってるし、望みは薄いね」

 

「でも……」

 

 それでも煮え切らない妹紅に私は溜息を吐く。人間ってのはどうしてこう現実

を見て考える事が出来ない種族なんだか……。普通に考えて、鬼の全力――しか

も勇儀の全力を加えた拳で地面に叩きつけられて生きている生物が居る訳がない

だろうに……

 

……まぁ、でも

 

「うーん、終わってないねぇ……」

 

「……え?」

 

「いや、終わってない。間違いないよ。

今あの土煙の中にはまだ二人分の妖気がちゃんとある」

 

 

私と妹紅は未だ煙の上がる部分を見つめた。

 

 

 

 

「……なぁ、生きてるか?」

 

 土煙の中で私は一人呟く。地面に叩き付けた手には、未だひよりの体が握られ

ている……筈だ。現に手には未だひより『だった』モノが握られていた。

 普段なら、これで勝負はついたと思っていただろう。だが私の直感が、何より

先程のひよりの態度がまだ彼女が生きている事を示していた。

 

「何であいつは降参しなかったんだ……?」

 

 勇儀から見てもひよりはかなり聡明だ。私に捕まえられた時点で、地面に叩き

つけられる程度の事は予測出来ていただろう。

 

……どうにも、胸騒ぎがする。

 

「……ん?」

 

 煙が晴れて来た私の視界が……地面に蠢く百足を捉えた。百足は触覚を動かし

ながら、ゆっくりと勇儀の足元へと――

 

「――っ、だぁぁぁっ!!」

 

 本能が勇儀に警告を促した。このままでは負ける、コイツは危険だ、と。

叫びながら大きく後ろへ跳び、煙の外で勇儀は安堵した。

 

「はぁ、はぁ……なんだい、今のは」

 

もう殆ど消えた土煙の……先程百足が居た辺りを睨む。

 

「貴女を殺す為の毒刃」

 

そこから、先程叩き潰した筈の妖怪の声が聞こえた。

 

「おっと、やっぱりあれはお前さんか」

 

「違う、あれは皆の総意。『貴女を殺せ』って」

 

ひよりの顔が見えた。戦い始める前と同じ状態で、ひよりが立っている。

 

「皆ってのはあれか、妹紅って奴――」

 

 ――ようやく私は彼女の足元を見た……そして理解する。

妹紅とひよりの総意ではなく、()()()()()の総意の話をしていたのだ。

 

「……初めて見たよ、お前さんみたいな妖怪は」

 

 彼女の足元で様々な生物が蠢いていた。蟲、爬虫類、小型の動物……それ等が

ひよりの足や腕、体の様々な場所から溢れ出て来ている。勇儀は本能的に恐怖し

た。そしてそれ以上に、楽しみで仕方なかった。

 

「それで、どうするつもりなんだい?」

 

「……全ての攻撃にさっきの百足と同じ威力の毒を込める」

 

 蠢いていた生物達が戻り、ひよりの腕から蛇が一匹出てくる。あの時の百足と

同じ、ゾッとする様な妖力があの蛇から放たれていた。

 

「……へぇ」

 

「その代わり、私は姿を変える事が出来なくなる」

 

 致命的とも言える弱点を、彼女は自分で暴露した。萃香が微かに目を見開き、

周囲の鬼達がどよめくのを私は目の端で捉えた。だがそれよりも……

 

「どうして、それを言ったんだい?」

 

 一撃で戦闘不能になってしまう事も、それを使っている最中は姿を変える事が

出来ないという事も言う必要は無いだろう。何故彼女は自身を不利にする発言を

した……?それが私は気になった。

 

「多分、貴女が同じ立場ならそう言う」

 

それだけ言って、ひよりは再び四つん這いに近い構えを取る。

 

「……」

 

 私は心の中で感動した。出来れば今直ぐ目の前の少女に賞賛の言葉を投げかけ

てやりたかった。それ程までに、ひよりは私達の事を理解していた。

 今思えば、彼女は私達に捕まった時から乗り気では無かった。妹紅が私の問い

かけに言い繕うとした時も、それを止めて正直に打ち明けていたではないか。

 

つまりこの少女は、鬼の強さを知った上で私達に挑戦しているのだ。

 

「……良いね、やっぱり気に入ったよ」

 

 本当は勇気と実力を認めて酒を飲み交わしたかった。だが、彼女は私達を退治

しに来て、私達はその挑戦を受けたのだ。どちらかが負けて、どちらかが勝たな

い限りこの勝負は終わらない。

 

「じゃあ、決着をつけようか」

 

「……」

 

今度はどちらも避けずに衝突した。

 

 

 

 

「妹紅、少し離れるよ。こっちまで余波が来る」

 

私は立ち上がり、周囲の鬼達にも退避の号令を出す。

 

「あ、うん……」

 

 少し迷ってから妹紅が着いて来る。

私は溜息を吐きながら妹紅の方を振り向いた。

 

「もう闘争の気が失せちまったのかい?」

 

私が指摘すると、妹紅は小さく俯いた。

 

「う……はい」

 

「全く、鬼退治に来たってのに呆れた奴だね」

 

「そう言われたって、あれを見てたら……」

 

言いつつ、妹紅は再び二人の戦いへと目を向ける。

 

「……まぁ、気持ちは分からないでもないよ。

本当に良い戦いを見るとさ、それだけで充分に満足しちまうもんだ」

 

「……うん、分かる気がする」

 

 妹紅は少し考え、やがてゆっくりと頷いた。二人で軽く笑い合ってから、やが

て私はある考えが頭を過ぎり、再び妹紅へと話し掛ける。

 

「どうする?あの二人の勝敗で賭けをしないか?」

 

「賭け?」

 

「あぁ、どっちが勝つか予想するのさ。

もし私が勝ったら予定通り私と戦って貰うよ。

……お前が勝ったら、私とお前の勝負はお前の勝ちだ」

 

「それはっ」

 

 聞こえだけすれば圧倒的に私の方が不利に聞こえてしまう条件だろう。それを

指摘しようとした妹紅を手で制して、私は宥める様にこう言った。

 

「私は勇儀を信じているからね。あいつが負ける様な相手だったら

多分私が戦っても負ける。だから私は勇儀に賭ける事が出来る」

 

「……」

 

「妹紅はどうだ?あの子の事を信じているのかい?」

 

 自分でも分かる位意地の悪い聞き方だった。これで彼女が賭けを降りる事は出

来ないだろうし、私の言いたい事も理解するだろう。

 

「嫌な言い方だなぁ」

 

案の定、妹紅は苦笑しながらそう言った。

 

「じゃあ、私達の勝負はそれで良いね?」

 

「あぁ、私はひよりが勝つ方に賭ける」

 

 

酒呑童子と妹紅の戦いは、静かに幕を開けた。

 

 

 

 最早、先程の様に言葉を交わす余裕すら二人には無かった。お互いの攻撃がお

互いの致命傷となり得る今、交わすべきは言葉ではなく攻撃だろう。

 

「――っ!」

 

 勇儀の戦闘スタイルは先程までとは全く変わっていた。先程までの軽い蛇での

毒ではなく、彼女の全身全霊を込めた毒が牙を剥いて襲い掛かってくるのだ。勇

儀は両手を叩き合わせて衝撃波を出し、蛇の接近を防いでいた。

 

「……っ!」

 

 ひよりの戦闘スタイルもまた、先の戦いから大きく変化している。姿を変える

事が出来なくなったので、勇儀の攻撃一つ一つに注意しなければならないのだ。

咆哮の素振りを見せたら距離を取り、震脚の構えを取ると即座に軽く跳ねた。

 

それらがまるで、早送りの様に繰り広げられる。

 

 このまま何時までも続くんじゃないか、そんな気持ちをこの場の全員が抱いた

事だろう。しかし、勇儀にもひよりにも限界は、ある。

 

「――くっ」

 

「……やば」

 

そして訪れる終り。

 

 殆ど同時のタイミングで、勇儀はひよりの蛇の防御に失敗し、ひよりもまた勇

儀の拳を避けるのに失敗していた。そして攻撃は同時にお互いを捉える。

 

「がっ、くぅ……!」

 

 勇儀は呻きながら地面へと崩れ落ちる。ひよりの込めた毒が、遂に勇儀の体を

蝕み始めたのだ。勇儀は立ち上がろうと膝に力を込める。

 

「……」

 

 勇儀の拳を食らったひよりは、萃香と勇儀が最初に居た崖下の岩に衝突するま

で吹き飛ばされた。そのままズルズルと地面に崩れ落ち、動かない。

 

 少し離れた場所の鬼達が、二人に声援を送る。敵味方の区別なく、最高の激闘

を繰り広げている二人に対して、鬼達はあらん限りの声援を送った。

 

鬼とは、そういう種族なのだ。

 

「尚更、倒れる訳にはいかないねぇ……」

 

 勇儀がゆっくりと立ち上がり、崖に背を預けるひよりへと近付く。私が立ち上

がる事が出来たのだ、当然ひよりも立ち上がってくるだろう。

 

「はぁぁぁっ!」

 

 あと数歩、という所でひよりが急に起き上がり突っ込んで来る。今迄の冷静な

態度を捨てて、策略を捨てて、純粋に私を倒す為に――思わず私は身震いした。

 

「――上等、これで決着をつけようか!」

 

 本当は使うつもりの無かった、萃香でも恐れる奥義を放つ準備をする。私自身

の力に、怪力乱神を持つ能力を上乗せして、その力を最大限に発揮出来る私の最

後の切り札――

 

 

「――三歩必殺っ!!」

 

 

 

「うわっ!」

 

「おぉっと」

 

 崖の上から二人の戦いを観戦していた二人の場所にまで、ひよりと勇儀の衝突

の衝撃と爆風が飛んでくる。妹紅は思わず目を手で覆った。

 隣にいる萃香を横目で窺うと、瞬き一つせずに眼下の衝突の様子を覗き込んで

いた。その顔には、不敵な笑み。

 

「まさか、三歩必殺を使うなんてね」

 

「……三歩必殺?」

 

萃香の口から出た聞きなれない言葉に妹紅は首を傾げる。

 

「あぁ、勇儀の使う奥義みたいなもんさ。一歩目で相手の目の前まで移動。

二歩目で地面を砕く程足を踏ん張って、三歩目で相手に向かって全力で殴るだけ」

 

「だけって……」

 

「一つ一つに全力を込めるんだ、勇儀のね。

多分私でも食らったら死ぬかもしんない……あー、どうかな」

 

 まず食らわないか、そう言って萃香は笑った。対して私の心はどんどん不安に

なっていく。もしそんな攻撃を食らったら、ひよりは――

 

「――ほら、大人しく待ちな」

 

そんな私の心を見透かしたかの様に萃香が頭を軽く叩いた。凄く痛い。

 

「……なんか優しいよね、萃香って」

 

 そしてつい口から出てしまった一言。

しまったと思って萃香を見ると、彼女はバツが悪そうな顔をしていた。

 

「……まぁ、好きに思えば良いさ」

 

 そう言ってもう一度崖の下を確認し、下で観戦していた鬼達にも集まる様に萃

香が指示を出す。私も二人の戦いの結果を見る為に下へと降りて行った。

 

 

ひよりが勝っている事を信じて――

 

 

 

 

「うおぉ……!」

 

「これは、どっちが……」

 

「やっぱり勇儀の姉御じゃないか!?」

 

 私と妹紅が下に降りた時、既に二人の周りには全員が集まって何やら議論を繰

り広げていた。私が来た事に気付いた鬼達が道を空け、妹紅と一緒に二人の姿を

確認しに行く。

 

そこには、地面に仰向けに倒れて右腕を頭上に上げている勇儀と――

 

その右腕に心臓付近を貫かれたひよりの姿があった。

 

「……ひよりっ!」

 

「妹紅、待て」

 

 思わず駆け寄りそうになった妹紅を制し、私は静かに二人の動きを待った。こ

の勝負は先に立ち上がる事の出来た方の勝利だろう。

 

「う、つぅ……いてて」

 

最初に意識を取り戻したのは勇儀だった。

 

「勇儀、大丈夫か?」

 

「おー、萃香。もう決着……あ、刺さってるのか」

 

一度此方に目を遣り、次にひよりを見て今の状況を理解する勇儀。

 

「どう?立ち上がれそう?」

 

もし此処で立ち上がれば、勇儀の勝ちだ。

 

「……すまん、無理だ。もう一ミリも動かん」

 

「そうか」

 

 勇儀が諦めた様に溜息をつき、ひよりのいる頭上へと目線を向ける。この場に

いる誰もが、もう一つの可能性を静かに見守っていた。妹紅は祈る様に、萃香は

楽しむ様に、そして勇儀は……確信したように。

 

「……っ!」

 

「やれやれ、負けちまったか」

 

 ひよりと物理的に接触している勇儀が最初に気が付いた。殆ど麻痺している腕

の感覚だが、何かがゆっくりと腕から離れていくのが分かった。

 誰もが息を呑み、段々と腕から抜け出していくひよりを見守る。遂に勇儀の腕

が正面から見えなくなり、遂にひよりは地面へと身を投げ出した……そして――

 

「はぁっ、はぁっ……」

 

 荒く息を繰り返し、両手を使って這い、それでも立ち上がった。

鬼達と妹紅が顔を見合わせ、萃香を見る。萃香は静かに頷き、そして宣言した。

 

 

「……勝負ありっ!この鬼退治、お前達の勝ちだ!!」

 

「「「うおぉぉぉぉぉっ!!」」」

 

 

妹紅が吹き飛ばされる程の大歓声があがった。

 

 

 

「いやぁ、凄かったなぁ!勇儀の姉さんとあのチビの戦い!」

 

「見てる最中に何度も飛び込みそうになっちまったよ俺ぁ」

 

「やめとけ、お前じゃすぐ殺されちまうぞ!」

 

 新しく用意してきた酒を持ち寄り、鬼達は再び宴会を開く。愚かにも騙まし討

ちをしようとした者への見せしめではなく、強者と出会う事が出来たのを祝う為

に。彼等は一様に嬉しそうだった。

 

「……なんだかなぁ」

 

 そんな彼等の間を縫って歩く女性――藤原妹紅は、鬼達に酌をしながら少しず

つ目的の場所へと近付いていた。

 

「おーい、嬢ちゃん!こっちもくれ!」

 

「はいはい……」

 

本当に少しずつ、だが。

 

 

 

 

「お、来たね」

 

 鬼達から開放された妹紅が訪れたのはひより達が戦っている時に避難した崖の

上だった。そこでは案の定萃香が一人で酒を飲んでいた。

 

「……どうも」

 

ま、座りなよと席を勧める萃香。妹紅は恐る恐る隣へ座り、下を眺めた。

 

下では未だに鬼達が騒いでいる。

 

「やっぱり、鬼って変な種族だよ」

 

しみじみと妹紅は呟いた。

 

「ん?そうかい?」

 

「負けたのにあんなに嬉しそうにしてるし……」

 

それを聞いて萃香は慌てた様に否定した。

 

「いやいや、負けたのが嬉しいんじゃないのさ。勇儀とひよりの戦いに感動した

……違うな、興奮したんだ。それが嬉しかったんだよ」

 

「うーん……」

 

「例えば、お前さんが人を助けたとするだろ?当然感謝されるだろうし、お前さ

んだって気分が良くなる……良くならないかい?」

 

「まぁ、なるけど」

 

「私達にとっては、それが戦いだったって訳さ。生まれつき力がある奴が多いか

らね。自分達よりも更に強い奴に憧れて、尊敬して、倒したがる」

 

 多分それは萃香自身の事も指しているのだろう。

妹紅は羨む様に下を眺める萃香の横顔を見つめていた。

 

「私達が人間を頻繁に狙う理由は簡単だよ、人間が一番私達を恐れないからだ。

長きを生きる妖怪は、基本的に自身より力の強い妖怪を恐れて近寄らない」

 

 一部を除いてね、と萃香は付け足して酒を煽る。

彼女の頭には、きっとひよりの姿が映し出されているのだろう。

 

「でも、最近はそういう人間も減ってきちゃってねぇ」

 

「どういう事?」

 

「妹紅達も見ただろ、毒入りの酒とかさ。

最近はあんな感じの人間しか寄って来なくなったんだよ」

 

「……」

 

「ま、私達の話はこんなもんで良いでしょ。あまり聞いていて楽しい物でもない

だろうし……そもそも妹紅は――」

 

「――私を退治しに来たんだろう?」

 

萃香の瓢箪の酒が無くなった。

 

 

 

 

 鬼達が宴会をしている場所から少し離れた草原――その中央にある大きな岩の

上に二人の妖怪が居た。片方はひより、もう片方は勇儀である。

ひよりは唯ボンヤリと月を眺め、勇儀は静かに杯の酒を傾けている。そうして先

に、勇儀が口を開いた。

 

「……お前さんの連れは――」

 

「妹紅」

 

「妹紅は、萃香をどうするんだろうねぇ……ま、退治するのが妥当だろうけど」

 

 さらば萃香、と言って勇儀は杯を傾ける。その全く悲しんでいない様子をひよ

りは横目で見て、やがて小さく溜息を吐いた。

 

「多分殺さない……縄張り移動か暫くの自粛」

 

あの子はそんな事しないよ、と付け加えた。

 

「因みに私もそう思ってる」

 

 やったな萃香、と言って勇儀は杯を傾けた。どうやら唯単に酒を飲む口実を作

る為に萃香をダシにしていたらしい。全くとんでもない鬼である。

 

「あぁ、そうだ。質問して良いかい?」

 

勇儀が思いついた様に手を叩く。

 

「……なに?」

 

「あの時、間違いなく心臓を貫いたと思ったんだがねぇ。一体どうしてお前さん

は生きていられた……いや、『生き返った』んだ?」

 

「……」

 

「間違いなく、一回死んだ筈だろう?」

 

 それだけ言って勇儀は黙った。

もし此処で答えなくても、彼女は追及しないだろう。

 

「死んだよ、私の中の子達が合計三人」

 

勇儀から一撃食らう度に、ひよりの中で誰かが死んだ。

 

「……」

 

「蛭と、蜻蛉と、蜥蜴だった」

 

「……そうか」

 

勇儀はそれっきり黙り、ひよりも喋らなかった。

 

「……でも」

 

暫くして、ひよりが唐突に口を開く。

 

「貴女の事は怨んでいないって。だから気にしなくて良いよ」

 

「あぁ、そうさせて貰うよ」

 

 勇儀は懐から瓢箪を取り出し、中身を杯へ少し注いだ。そしてそれを隣に

座っていたひよりに差し出す。ひよりは怪訝な顔をした。

 

「……何これ」

 

「何って酒だよ、知らないのか?」

 

ひよりが頭痛を堪える様に頭を抑えた。

 

「そうじゃない、何で?」

 

「私のルールさ、一戦交えた後の相手と一杯。付き合ってくれ」

 

 この通りだ、そう言って勇儀は頭を下げた。

そのまま数十秒、勇儀は一切頭を上げようとしない。

 

「……はぁ」

 

 勇儀が手に持っていた杯をひよりが受け取る。顔をあげると、ひよりは既

に此方に杯を差し出していた。勇儀も懐から瓢箪を取り出す。

 

「……それじゃあ」

 

「あぁ」

 

 

「「乾杯」」

 

 

 

 

「こんな所にいたんだ」

 

木々の間を抜けて、妹紅が草原へと出てくる。

 

「うるさいから」

 

「うん、私もそう思う」

 

妹紅が苦笑しながら岩に登り、私の隣へと座った。

 

「それで、萃香とはどうなったの?」

 

 確か、私と勇儀の戦いの勝敗で賭けをしていたんだったか。恐らく妹紅は

萃香と話した足でそのまま私の方へ来たのだろう――報告をする為に。

 

「あ、うん……えーと」

 

少しだけ悩み、そして切り出す。

 

「移動、して貰う事にしたよ」

 

「理由は?」

 

「ほら、もう人間達に場所もバレちゃってるからさ。萃香達が手を出さなく

ても、向こうから来ちゃうでしょ?だから移動にして貰った」

 

 妹紅にしては良く考えてある提案に、思わず私はクスリと笑う。それを耳

聡く聞いた妹紅が少し拗ねた様に言った。

 

「何さ、おかしい?」

 

「逆、成長を見れて嬉しい」

 

そう言うと、妹紅は困った様に頭を掻いた。

 

「……ひよりらしくないなぁ」

 

「これで最後だからね」

 

一陣の風が吹き抜け、私と妹紅の髪を揺らす。

 

「もう教える事は無いよ、合格」

 

「……うん」

 

妹紅は俯いたまま顔をあげない。

 

「私は、もう行くから」

 

「っ、うん!」

 

 髪に隠れて見えない妹紅の顔から、涙が零れ落ちるのを見た。私は何時か

の様に妹紅の頭を抱き、そして優しく撫でた。

 

「今生の別れじゃない」

 

「……っ」

 

「また、会える」

 

 妹紅の腕が弱弱しく背中に回され、そして強く抱きしめられる。普段なら

押し退けて逃げる所なのだが、今回は妹紅の好きにしてやる事にした。

 そうし続けて数分が経過した所で、私は優しく妹紅の腕を解いて立ち上が

る。もうこれ以上此処にいる必要は無い。

 

「じゃあ」

 

後ろで膝に顔を埋めている妹紅に言った。

 

「……うん、また」

 

返って来ないと思った返事が、返ってきた。

 

 

 

 

「……ひより?」

 

 静かになった岩の上で、妹紅は覗き見る様に顔をあげる。もしかしたら、

さっきのは冗談で本当はまだ居るのかもしれない……そんな願いにも似た

幻想を抱きながら――

 

「――」

 

 そこに誰も居ない事を確認して、妹紅は自嘲気味に笑った。

元々卒業試験のつもりで受けた依頼だったのだ、当然の結果だろう。

 

「追わないのかい?」

 

 突然隣から声が聞こえ、妹紅は飛び退く様にして岩から降りる。そうして

見上げると、そこには萃香の姿が。

 

「……追わないよ」

 

「さっきひよりと話して来たよ。『妹紅が追う様なら食ってくれ』ってね」

 

自身の歯を見せながら、萃香は楽しそうに笑った。

 

「追わないって……約束だったんだよ」

 

「卒業って奴の事?」

 

「うん、流石に私も長く居過ぎたなって思った。ひよりは本当はもっと

やりたい事があったんだと思う。それを私が邪魔してた」

 

 地底と言う場所に親友が封印され、もう一人の方とも別れてしまった……

そうひよりが私に打ち明けた事があった。もう何年も前の話だが。

 

「そんな妹紅に伝言、『楽しかった』ってさ」

 

萃香がひよりの声真似をして話す……似てる。

 

「……」

 

「『流石に助けてあげたい』」

 

尚も声真似をやめない萃香に私は苦笑した。

 

「うん、分かってる」

 

「……それじゃ、私達も移動の準備を始めるから」

 

 私の顔を見て、萃香は満足した風に頷いてに宴会の方へと戻っていった。

私は立ち上がり、ひよりが見上げていた月を同じように見つめる。

 

 

「……うし、頑張るか」

 

何時の日かまた会える、そう信じて――

 

 

 

 妹紅と別れ、私は鬼の宴会からも妹紅の居る場所からも離れた場所を

一人で歩いていた。周囲の草木が揺れ、動物達が蠢く様を眺めながら、

私は森の出口へと――

 

「なんだ、もう行っちまうのか」

 

――後ろから聞こえる勇儀の声に、私は足を止めた。

 

「せめて明日位まで居れば良いのに……っと助けたい奴が居るんだっけ?」

 

「名前はぬえ、場所は地底」

 

後ろの勇儀が唸り声を出しながら答える。

 

「地底、ねぇ……聞いた事はあるよ。確か地獄がなんちゃらって」

 

「……そう、分かった」

 

 それだけ言って、私は森の出口へと歩き出す。てっきり止めるつもり

だと思っていた勇儀は私を止めず、代わりに後ろから何かを私に投げ渡

して来た。

 

「……?」

 

振り返り、飛んでくる物を掴む。

 

――勇儀の使っていた杯だった。

 

「私に勝った餞別だ、あげるよ」

 

勇儀が嬉しそうに笑う。

 

「要らない、酒飲めないし」

 

「そう言わずに受け取ってくれ、友情の証だ」

 

「……はぁ」

 

渋々杯を手に持ち、今度こそ森の出口へ向かう。

 

「それと、そのぬえって奴をこっちでも探して置いてやるよ。

私達が見つけちまったら、とりあえずお前さんが探していた事を伝えておくさね」

 

 後ろを振り返ると、既に勇儀も背を向けて歩き出していた。

私は言うか言うまいか悩み……そして小さな声で勇儀の背中に向けて――

 

「……ありがと」

 

――そう、呟いた。

 

「なぁに、友人の好だ」

 

勇儀は片手をあげて去っていった。

 

 

 森を出た後、私は鳥になって空へと舞い上がる。

森の明るい場所と草原を一度だけ見下ろし、そして飛翔した。

 

 

 

 目の前で、大きな何かが燃えている。良く見ると燃えている何かには扉

がついていた。妹紅とひよりが何度も出入りに使った扉である。

 

それが、炎によって遂に焼け落ちる。

 

 

『ひよりー、今日のご飯はー?』

 

『……今日はぬえ』

 

『げ、そうだっけ?』

 

「……」

 

 彼女を探す旅は長くなる。此処に戻って来る事は無くなってしまうだろう。

妹紅が住み着かない為にも、ひよりは真っ直ぐ此処へ来て火を放った。

 

 

『いやぁ、つい居心地が良くて、な……?』

 

『……都で一番強そうな妖怪退治の依頼受けてきて』

 

『そう言うと思って持って来てるよ、ホラ』

 

「……」

 

 あの子なら、きっと一人でも上手くやっていけるだろう。人と適度に距離を

取っていれば、彼女が蓬莱人だと気付く人間も居ない筈だ。

 

 

音を立てて崩れる『私達』の家を眺め、そして背を向けて歩き出す。

 

「……何処に行こうか?」

 

私は彼等にそう尋ねた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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