孤独と共に歩む者   作:Klotho

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輝夜編の最後です。




『孤独と蠱毒』

 

 

「『八意(やごころ)』様、準備が整いました」

 

「えぇ、直ぐに向かうわ」

 

男が部屋から出て行った後、私は()()()見つめた。

 

地球の何処かに……輝夜が……。

 

 私に下された命令は輝夜を()へと連れて帰る事。

上は輝夜を貴重な『実験体』として弄くり回すつもりなのだろう。

 

「……冗談じゃないわ」

 

もし、輝夜が月へ帰りたく無いと言ったら――

 

――私は月を捨てて、輝夜と共に生きる。

 

「……」

 

私は無言で弓を手に取った。

 

 

 

 

 起き上がり、服を調えてから外へ出る。

周囲の暗さからして、今は夕刻位だろうか……。

 

「……」

 

 私は森の彼方へ目を向けた。

森を通り越した先にある、都へ――

 

「――よし」

 

小屋の扉を閉め、勢い良く空へと飛翔した。

 

「待っててね、ひより……」

 

 上手く行くか如何かは分からない。

あの陰陽師の男が居たら、もしかしたら……

 

「……その時は」

 

私は手に持った槍を強く握った。

 

 

物語が、動き始める。

 

 

 

「――私は月に帰らなくちゃいけないの」

 

静かに月を眺め、ポツリと呟く輝夜。

 

「そう」

 

「……ちょっと、冗談で言ってる訳じゃないのよ。

そんな『遂に本性が現れたか』って目で見ないで頂戴」

 

 私は仕方なく月を眺める輝夜の横に座る。

この一週間で最早日常と化した私の位置だった。

 

「……本気?」

 

 この問は帰る事自体を気にしている訳では無い。

彼女の言う事が本当なら、輝夜は月から来たという事になる。

 

「本気よ」

 

輝夜は真面目な顔で此方を向いた。

 

「……明日、月の者達が私を迎えに来るわ。

おじい様とおばあ様にはもう既に話してあるのよ」

 

なんと、帰るのは明日の事らしい。

 

「……おめでとうございます?」

 

 取り敢えず、帰れるなら良いのだろう。

そう思って輝夜に祝いの言葉を掛けたつもりだったが……

 

「……違うんだ?」

 

 少なくとも、帰還を喜ぶ顔ではない。

輝夜は私を手に乗せ、寝転がって月を眺める。

 

「……私が此処へ来たのは、ある薬を飲んだから」

 

「薬?」

 

「えぇ、月の掟を破る程度の奴を、ね……」

 

そう言った輝夜の顔はとても嬉しそうだった。

 

「月の連中は私を連れて帰ってどうすると思う?」

 

「……実験」

 

「あら、察しが良いのね……ごめんなさい」

 

輝夜も同様に気が付いた様だった。

 

「気にしてない……それで?」

 

「それでって?」

 

輝夜が首を傾げる。

 

「私に話した理由は?」

 

 彼女の言い方からして昨日翁達に話した訳では無いのだろう。

そして今日まで私に言わなかったのは、私に言うつもりが無かったから。

 

輝夜は少しだけ悩み、そして次第に喋り始めた。

 

「……本当は、帰りたくなんかないわ」

 

「でも翁達に迷惑は掛けたくない」

 

「……抵抗すれば、おじい様達も巻き込まれるかもしれない」

 

「だから大人しく帰る」

 

「……貴女は、人の心を覗くのが上手ね」

 

輝夜は私を地面に下ろし立ち上がった。

 

「貴女に話したのは、貴女以外に本音を言える人が居ないから」

 

「……で、その本音は?」

 

「私が月の使者から逃げる手伝いをしなさい」

 

 輝夜らしい高圧的な頼み方だった。

私は内心で苦笑し、誰かの気配を感じて梁へと隠れる。

 

「輝夜姫の仰せのままに――」

 

そう、輝夜に聞こえる様に呟いた。

 

「うるさい、人が来るわよ」

 

輝夜も、私に聞こえる様に呟いた。

 

「……失礼します、輝夜姫様」

 

 襖を開いて誰かが部屋へと入って来た。

声からして入って来たのは男性……この声、何処かで――

 

「貴方は陰陽師ですね?」

 

 輝夜が怒った様に男に言った。

確か、輝夜が陰陽師を部屋に入れない様言っていた筈……。

 

「いやぁ、貴方様に早くお会いしたくて……」

 

 男は然程気にした様子も無くそう言った。

私は梁の上に隠れながら、下にいる男の事を考える。

 

陰陽師の……若い……あの声……

 

 

『……名前、くれるんですか?』

 

『……あぁ、せめてもの償いだ。

そうだな……『ひより』って言うのはどうだ?』

 

『……ひより』

 

『あぁ、良い名前だろ?』

 

そうだ、あの時の……

 

「――っ!」

 

 私は思わず梁の上から下を覗いた。

眼下に見えるのは、輝夜と話す若い男の姿。

 

……間違い無い、あの人だ。

 

「……それで、何の御用ですか?」

 

「いえ、別に大した様じゃ無いんですが……ふむ」

 

男は暫く思案してから――

 

――不意に、上を見つめた。

 

「……どうかされましたか?」

 

「……梁の上に鼠が居た様な気がしたんですが……」

 

「気の所為でしょう、此処は私の部屋ですよ」

 

「それもそうですね……。

それで、此処からが本題なんですが――」

 

 

 

『私も、明日貴方様を御守りさせて頂こうかと』

 

 先程出て行った彼の言葉が胸に残る。

彼も明日輝夜の護衛としてこの屋敷に来るのだ。

 

「ちょっと、鼠の癖に変な感傷に浸らないで」

 

 輝夜の言葉で何もかもぶち壊しである。

輝夜はもう少し私に気遣っても良いのではないだろうか……。

 

「……で、あの陰陽師は誰なの?知り合い?」

 

 輝夜は私ではなく髪を気遣っているようだ。

そんな輝夜から目を離し、懐かしむ様に空を見上げる。

 

「私に名前をくれた人」

 

「……え?」

 

 私が『ひより』である限り、彼を忘れる事は無いだろう。

この名前は私が妖怪になる前に持っていた大切な物の一つだから。

 

「どうするの?会いに行く?」

 

「……必要ない」

 

 私は妖怪で、彼は陰陽師。

争う理由があっても、話す理由は無い。

 

――そう、心に決めたのだ。

 

「そう、なら良いわ」

 

「……」

 

 本当は言いたい事なんて沢山ある。

今迄の事、ぬえの事……名前も聞いてみたい。

 

「……まるで恋仲みたいね」

 

輝夜が呆れた様にそう言った。

 

「恋仲?誰が?」

 

「貴方とあの陰陽師の男よ。

……いや、恋仲とは違うか……寧ろ――」

 

「――家族、かしらね?」

 

「……」

 

「多分貴方の事には気付いていたわよ、アイツ。

……でも、それを()()()見逃した……様に私には見えたわ」

 

 もしそれが本当だとして……何故?

彼には私を見逃す理由なんてない筈なのに……。

 

「『罪を犯した者でも、家族だけは見放さない』」

 

輝夜が静かに、しかしハッキリとそう言った。

 

「私の師匠……あー、家族の言葉よ」

 

 ひよりと陰陽師は家族じゃないけど、と彼女は言った。

輝夜はきっとその家族の人が迎えに来てくれると信じているのだろう。

 

「ま、罪を犯した私が言う台詞じゃないわね」

 

 輝夜はそう言ってケラケラと笑った。

今のは不器用な彼女なりに慰めてくれた……のかな?

 

「輝夜」

 

「ん、何?」

 

「ありがとう」

 

少なくとも、私は慰められた。

 

「お礼は明日返して貰うわよ?」

 

 

 小さく頷き、輝夜と共に布団を被る。

明日の作戦と脱出経路の話は誰にも聞かれない方が良いだろう。

 

 

……そのまま寝て私が潰されたのは言うまでも無い。

 

 

 

 都の家の上を駆け、微かなひよりの妖力を追う。

妖力の元まで後少しの位置まで近付いた所で、私は足を止めた。

 

「……またアンタ?」

 

目の前には、あの時の陰陽師。

 

「あぁ、また俺が相手しろとね」

 

 陰陽師は構えもせずそう言い放つ。

私が槍を構え、陰陽師に突撃する寸前で彼は言った。

 

「ひよりなら輝夜姫の屋敷だ」

 

 私の動きがピタリと止まった。

……何故、この陰陽師が知っている……?

 

「罠に嵌めるつもり?」

 

「いいや、この眼で確かめて来たよ。

今は隠れているが周囲の状況からして自力での脱出は無理だ」

 

 男は一切感情を出さずに喋り続ける。

私は不信感の裏に、奇妙な信頼を感じていた。

 

「……なんで私に言うのさ?」

 

 コイツは陰陽師で私とひよりは妖怪だ。

私達を助ける様な事をしたら何か言われるのは間違い無い。

 

「償い……と言えば良いのかな」

 

私の中で何かが音を立てて嵌った。

 

「まさか、アンタがひよりの……」

 

「さぁ、どうだろうね?」

 

 そこで初めて陰陽師は青年らしい笑みを浮かべた。

……間違いない、この青年があの時ひよりを助けた陰陽師だ。

 

「アンタが――」

 

 私はこの後何を言うつもりだったのだろうか。

もっと早くに助けていれば?彼に何の責任があるのだ?

 

「っ……!」

 

 私が何か言う前に男が私に向かって口を動かす。

何故声を出さないのかは分からないが、その口は『逃げ――

 

「――づぁっ!?」

 

私の視界は暗転した。

 

 

 

 

 目の前で話していた少女の胸に矢が刺さり、地面へと落ちる。

俺は咄嗟に少女へと駆け寄ろうとして……寸前で足を動かすのを堪えた。

 

「ご苦労だったな」

 

少女の向こう側から陰陽師達が出てきた。

 

「……私に追討命令が出ていた筈ですが」

 

「流石のお前でも荷が重いと思ってな。

我々も帝の命で加勢しにきたという訳だ」

 

男は笑い、足元の少女を蹴って仰向けにする。

 

「まさかあの妖怪の正体がコイツとはな」

 

男はまじまじと少女を観察し、やがて鼻を鳴らした。

 

「それでもかなりの妖力を持っているか……」

 

 陰陽師の男は悩む素振りを見せる。

これはチャンスだと思い俺は男へ声を掛けた。

 

「どうしますか?俺なら完璧に処理出来ますよ?」

 

 男の力量では滅しきれないのは目に見えている。

此処で男が諦めれば、後は適当な場所で逃がしてやれば良い。

 

だが、事態は予想外の方向へ向かう事になる。

 

 

「……いいや、コイツは封印する事にする」

 

 

 

 

 意識がまるで水面に浮かぶ様にハッキリとしてくる。

それと同時に私の胸に耐え難い激痛が走っているのを感じた。

 

「っ……ぁ」

 

「目が覚めたか」

 

 目の前に居たのはあの時の陰陽師だった。

私は周囲に目を遣り、足元に陣がある事に気付く。

 

……そうだ、私はあの時……。

 

 胸を貫かれた時の痛みが応える様に響いた。

私が黙ったままでいると、男が小さな声で話し始めた。

 

「お前は封印される事になった」

 

「封印、かぁ……」

 

 私は自嘲気味にそう言った。

攻撃にすら反応出来ずにまた負けたのだ。

言いようの無い感情が胸の中で渦巻いているのが分かる。

 

「もう、逃がす事が出来ない」

 

男は申し訳なさそうに言った。

 

「……止してよ、アンタ陰陽師じゃん」

 

それも、とびきり変わった……と心の中で付け加えた。

 

「封印は誰かに解いて貰わなければならない。

……逆に言えば、誰かに解いて貰えれば直ぐ動けるぞ」

 

「……アンタ本当に陰陽師?同業者じゃないの?」

 

 そうかもな、と男は静かに笑った。

私も自然と口元に笑みが浮かび、慌てて隠した。

 

「……一つ、頼めない?」

 

 私は小さく、男にだけ聞こえる様に囁く。

男は手に陣を出し、それを私の頭に当てながら顔を近づける。

 

「……なんだ?」

 

「ひよりの事、私の代わりに……」

 

「分かってる」

 

 男が陣を消して静かに離れ、後ろにいた陰陽師に何かを話す。

私はそれを無機物的に眺めながら、今迄の事を思い浮かべていた。

 

……ま、大した事してないか。

 

そして直ぐ、思い出すのを止めた。

 

「……これより、封印を施す」

 

 男が周りにでは無く私に向けてそう言う。

私は目を閉じて身動き一つせず、静かにその時を待った。

 

「……何か、ひよりに伝える事は?」

 

 男の声が遠くから聞こえて来る。

私は朦朧とする意識の中、それでもハッキリと――

 

「――――」

 

「……あぁ、分かった」

 

 

……何も、聞こえなくなった。

 

 

 

「……っ!」

 

「ちょっと、鼠が急に飛び起きないで頂戴」

 

 輝夜が何か言っているが聞こえない。

私は荒い息のまま縁側から顔を出し、外の様子を窺う。

外は普段通りの快晴だった。雲一つ無い美しい空が広がっていた。

 

「……」

 

 間違いない……空にぬえの妖力が漂っている。

……しかし、肝心のぬえ本人は近くに居ないみたいだ。

 

「どうしたのよ?」

 

 後ろから輝夜が来て私の頭を小突く。

私は暫く空を見上げ、やがて小さく首を振って

 

「なんでもない」

 

そう返した。

 

「……相方が来てたの?」

 

 輝夜は妖力を見分ける方法を知らない。

彼女はひよりの様子を見ただけで当てて見せたのだ。

 

そこには短い間に築いた確かな絆があった。

 

「……うん」

 

 だからひよりも、正直に答えた。

輝夜は暫く悩み、やがて静かにひよりの背中を押す。

 

「……帰るなら、今の方が確実よ。

今夜の準備で殆どの守衛も出払っている筈」

 

確かに今なら簡単に抜け出せるだろう。

 

「今日の計画はどうするの?」

 

「貴方に頼んだのは念の為によ。

……大丈夫、私達だけで何とかしてみせるわ」

 

輝夜は強く、自分に言い聞かせる様にそう言った。

 

「……やっぱり残る」

 

 早くぬえに会いたいが、輝夜も助けて上げたい。

此処に彼女が居たら、きっと私と同じ事を言うだろう。

 

「……ごめんなさい、ありがとう」

 

 輝夜が優しく私の頭を撫でた。

それを心地良く感じつつ、私の意識は夜へと向かう。

 

 

月から迎えが来るまで、残り数刻――

 

 

 

 

「おじい様、おばあ様……此処でお別れです」

 

私の眼下では輝夜が翁達に別れを告げている。

 

「なんとか、なんとか残れないのかい……?」

 

「帝様の守衛達が頑張ってくれれば……あるいは」

 

 輝夜は一度だけ梁の上の私に目を向けた。

私は小さく頷いてから梁を伝って屋根の上へと上がる。

 

……さて、後は彼女の読み次第だ。

 

 翁達に別れを告げた輝夜が庭へと降り立つ。

私は翁達が避難したのを確認して輝夜へ合図を送った。

 

 輝夜が手を後ろに回し、背中で指を三本立てる。

その指は一つづつ折り曲げられ、二本……一本……そして――

 

――最初に、周囲で警戒していた人間達に変化が起こる。

 

 彼等は一様に驚愕の表情を浮かべたまま固まった。

……否、彼等は『動く事が出来ない』のだ……あの者達の力によって。

 

「輝夜様、お迎えに参りました」

 

 奇妙な格好の者達が奇妙な物体と共に降りてきた。

その月の者達に混じって、一人の銀髪の女性が佇んでいる。

 

「……輝夜」

 

 銀髪の女性が輝夜へと駆け寄った。

輝夜も女性へと駆け寄り、お互いに抱擁を交わす。

 

「……永琳」

 

「えぇ、判っています――っ!」

 

 銀髪の女性が勢い良く後ろへと振り返り、月人達の方へ向く。

彼女が何時の間にか手に持っていた弓から放たれた矢が、月人を二人殺した。

 

「……な……き、貴様!裏切る気か!?」

 

「元より私は姫の味方、月の味方ではないわ」

 

 彼女が次の弓を番えるより先に月の者達が身構えた。

輝夜の話に寄れば、あの変な物を使って攻撃してくるらしい。

……確か、『銃』と言っていたか。

 

 私は屋根から跳躍して月人達の後ろに着地した。

そこで人型に戻り、彼等の後ろから頭を掴んで持ち上げる。

 

そして其処に、『呪詛』を流し込んだ。

 

「……な、なんだ――あっが、う、ぁ……」

 

 私が頭を掴んだ二人がそのまま息絶える。

私は二人から手を離し、今だ困惑している月人を見回す。

 

……取り敢えず二人、残りは後八人程度か……。

 

そう思った傍から女性が二人の頭を撃ち抜いた。

 

「永琳!あの子は私の協力者よ!撃たないで!」

 

「畏まりました!」

 

 女性と一瞬目が合い、そして動き出す。

私が右の三人を担当して、彼女が左の三人を担当するらしい。

 

「クソッ、八意達には当てるな!

先にコッチの穢れから片付けろっ!」

 

残りの月人達が一斉に此方へ銃を向ける。

 

……なんだ、随分と判り易い。

 

「……よいしょ」

 

 彼等が引き金を引く寸前で私は鼠に変わる。

次の瞬間、人型だった私の頭や腕の位置を光が通り過ぎた。

 

「なんなんだアイツは――がっ」

 

「ぐぁ!」

 

 更に二人、正面から飛んできた矢に貫かれる。

私は鼠から鳥へと変わり、彼等の真上で猫へと変わる。

 

「上だ!撃て!」

 

 月人が銃口を真上にいる私に向ける。

私は銃口と引き金を見て彼等の指を観察する。

 

「ほいっと」

 

 猫のまま体を捻り、飛んできた光線を避ける。

地面へと着地して人型へ戻り、先程撃った二人を殺した。

 

「ひ、ひぃっ!」

 

「くそっ、撤退だ!」

 

残った二人は私と女性を見て後退り――

 

――次の瞬間、彼等の後ろから伸びた腕が月人達を締め落とした。

 

「……なんだ、月人も人と弱点が同じなのか」

 

其処に居たのは、あの時の陰陽師の人だった。

 

 

 

 月灯りに照らされる四つの影。

月人、姫、妖怪、陰陽師……繋がりは、無い。

 

「……で、他は皆味方で良いんだな?」

 

それでも、私達が争う事は無かった。

 

「えぇ、ご協力感謝致します」

 

銀髪の女性があの人に頭を下げた。

 

「……それと、貴女も。ありがとう」

 

そして私の方にも深く頭を下げた。

 

「私からも礼を言わせて貰うわ」

 

 次いで輝夜も頭を下げた。

あの人は困った様に頭を掻いて、女性へと話し掛ける。

 

「それは良いんだが、この後はどうするんだ?」

 

「後は私達だけで大丈夫です」

 

 輝夜がそう言い、女性へと耳打ちする。

女性は小さく頷き、月人達に刺さった矢を回収し始めた。

 

「そうか、なら良い……さて――」

 

 あの人が輝夜から目を離し、此方を向く。

……あの時から大分経って、彼は背が伸びた様だ。

 

「――」

 

 彼の体から出てきた光が私の直ぐ傍を過ぎ去った。

そのままゆっくりと、腹から血を流しながら倒れて――

 

「――お兄さんっ!!」

 

私は彼の元へと全力で走った。

 

「永琳っ、援軍よ!」

 

「分かっています!」

 

彼女の気が済むまで守りきる、そう永琳は心に決めた。

 

 

……あの人間は、もう助からない。

 

 

 

 

「っ、待ってて、今直ぐにっ……」

 

私は彼の体を持ち上げ、持ち上げて……

 

……持ち上げて、どうする。

 

 彼から流れている血を見れば永くない事は分かる。

私は唇を噛み締め、荒い息を繰り返す彼の顔を見つめた。

 

「……ひより」

 

「……お兄さんっ!」

 

彼は咳き込んでから、小さく呟いた。

 

「すまん、お前の友達……封印されちまった……」

 

「……っ、ぬえ、が……?」

 

 彼は小さく頷き、再び咳き込んだ。

……あの時私が起きたのは、ぬえが封印されたから……

 

「アイツが昨日都に来て、な……。

他の奴等から、不意打ち食らって気絶したんだ」

 

 俺が追い返す筈だったのに、と彼は自嘲気味に笑う。

話を聞いていく内に、段々と私の中から黒い感情が溢れ出て来る。

 

……人間が、陰陽師が、ぬえを――

 

「――その、ぬえからの伝言だ」

 

「え……」

 

「『人を、陰陽師を、怨まないで。

襲って、退治される……それが妖怪だから』」

 

「……っ、そんなの」

 

 無理に決まってる、そう心の中で叫んだ。

ぬえが人を殺していないのを知らなかったら、そう叫んでいた。

 

「ひより達が来た時も、怪我人は零だったよ」

 

彼は優しく微笑み、私の頭を撫でた。

 

「でもっ、ぬえは……」

 

「……あぁ、それだけは、変えられない」

 

 彼が口から血を吐き出した。

私は慌てて彼の口元を拭い、肩を揺する。

 

「お兄さん、しっかりして!」

 

「すまんな、ひより……。

あの時、俺がもう少し早く助けていれば……」

 

「……ううんっ、私は、名前が貰えて嬉しかったっ……!」

 

「お前()にも、悪い事をした……」

 

「いいえっ、私()は貴方を怨んでいませんっ……!!」

 

私は彼の手を強く握り、叫んだ。

 

彼は嬉しそうに笑い、私の頭から頬へと手を動かす。

 

「……そうか、お前の事も、怨んでないのか?」

 

「……はいっ……怨んで、ないって……」

 

 彼の手が私の頬を撫で、私はその手を握る。

彼の手の暖かさが、段々冷たくなっていくのが分かった。

 

「そうか、なら――」

 

 『良かった』……そう言って彼は動かなくなった。

私の頬を撫でていた手は、力無く地面へと落ちていった。

 

「……」

 

 私は静かに、彼を地面へと下ろした。

顔に手を当てて瞳を下ろし、私は立ち上がる。

 

 

 

 

「――ひよりっ!!」

 

輝夜の叫び声が聞こえる。

 

「――ぁ」

 

私の胸の中央に、穴が開いているのが見えた。

 

 

 

結局、二人共守る事が出来なかった。

 

私の手の届かない所でぬえは封印されてしまった。

 

私の手の届く場所で、あの人は死んでしまった。

 

『確かに、貴女は二人を失った』

 

名前をくれた人を

 

生き方を教えてくれた人を

 

私の中で数少ない、大切だと思える人を。

 

『そして、今また失おうとしている』

 

 目の前に輝夜達が見える。

女性が一人で弓を引き、月人と戦っている。

 

『でも、あれも時間の問題よ』

 

二人の姿が粉々に砕け散った。

 

私は、また失うのだろうか?

 

輝夜を、ぬえやあの人と同じ様に……?

 

「……もう、嫌だ」

 

『嫌なの?』

 

「……また、独りになっちゃう」

 

『……良い事を教えてあげる』

 

 私の姿をした誰かが私に何かを流す。

……これは私の中の、私では無い、私の――

 

『貴女(わたし)は、独りじゃないでしょう?』

 

あの時と同じ声が、響いて来る。

 

『私の中には、彼等がいるんだもの』

 

私の中の『蟲毒』が、私に語り掛けてくる。

 

『目を背けないで、ちゃんと受け止めなさい』

 

蟲毒の後ろに、彼等の姿が見えた。

 

『貴女を怨んでいる奴なんて、一匹も居ないわ』

 

私の姿をした蟲毒が、私に手を差し伸べる。

 

「……」

 

私はゆっくりと、私の手を掴んだ。

 

『さ、行きましょう』

 

 

 私の手を掴んだまま、蟲毒は光の方へと進んだ。

後ろを振り返ると、付いて来てくれている彼等の姿が――

 

 

 

 

 

「ひよりっ、しっかりしなさい!」

 

 私の後ろで輝夜がひよりという妖怪に声を掛ける。

私は横目で少女の容態を確認し、直ぐに弓を番えて放った。

 

……あれも、危険な状態ね。

 

 妖怪は精神的な概念による存在の維持が大きい。

あの男が腕の中で死んだ事もあるし、あの傷では危ないかもしれない。

 

「ひよ――っ!」

 

 名前を叫んでいた輝夜の声が途切れる。

弓を放った合間を縫って其方を向いた私は唖然とした。

 

「……っ!」

 

 立ち上がった彼女は、未だに胸に穴が開いている。

……その胸の中から、様々な動物達が溢れ出てきているのだ。

 

「姫っ、下がって!」

 

 私は輝夜を後ろへ遣り、弓を番えて警戒する。

鼠、百足、蛇、蜘蛛、蜥蜴、鳥、蟷螂……夥しい数の生物が出てきている。

 

「……なんて、」

 

 なんて、禍々しい妖力なのだろうか。

最早あれは妖力では無く、一匹一匹が強力な呪だ。

 

それらが、地面を埋め尽くす程出て来ている。

 

「……彼女は、一体……」

 

 私は弓を番えたまま少女を見る。

そこで初めて、少女はゆっくりと動き始めた。

 

「……」

 

 彼女が足を置く所に居た生物達は、皆避けていく。

私には、あれ等が一つの意志を持った生物の様に見えた。

 

 彼女は少しだけ歩いて、其処で此方を向いた。

その瞳には、先程までの悲壮感は既に消え去っている。

 

「……後は、私がやる」

 

「……大丈夫なの?」

 

「……うん、この子達と一緒なら――」

 

 少女が月人達の居る方向へ指を差した。

その途端、全ての生物が物凄い勢いで月人達に牙を剥く。

 

「……すご」

 

 輝夜はそう言ったが、私の場合は絶句と言った所だろう。

あれだけの呪いが、たった数十人に牙を剥く事があるなんて……。

 

「……終わったよ」

 

 

そう言って此方を向く少女は、笑っていた。

 

 

 

 結局、兵士達はあの日の事を何一つ覚えていなかったそうだ。

永琳の裏切りも、ひよりの戦いも、あの陰陽師が居たことも……。

 

「……じゃあ、此処でお別れね」

 

「……うん」

 

 そして、私達も別れる時が来た。

私と永琳は牛車から降り、ひよりと向き合う。

 

「ひよりさん、この度は本当にありがとうございました」

 

「ありがとう、ひより」

 

 私と永琳が揃って頭を下げ、今度はひよりの言葉を待つ。

ひよりは少し悩んだ様だったが、やがて小さな声でこう呟いた。

 

「……ありがとう、輝夜」

 

 彼女は、ぬえの居る場所を探して回るらしい。

それならばその内、私の所へ来る事もあるだろう。

 

「また、会いましょう」

 

「……分かった」

 

 

 

 

 私が牛車の中に戻り、永琳が馬を操り始める。

ひよりとの距離が離れて行く中、私は荷物の中からある物を取り出した。

 

「ひよりっ!」

 

 ひより目掛けて思い切りぶん投げる。

彼女はそれを顔で受け止めて手の上に乗せた。

 

「……髪留め?」

 

それは、小さなオレンジ色の花の髪留めだった。

 

「それ、あなたにあげるわ!

『百日草』っていう花なんだって!」

 

 既に輝夜の姿は遠く、彼女は声を張り上げて話している。

私は一瞬迷って……やがて大きく息を吸い込んで手を口元に当てた。

 

「ありがとうっ!」

 

 聞こえていたかは定かではない。

……だが、きっと伝わっている事だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花言葉は――『絆』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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