孤独と共に歩む者   作:Klotho

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アンケートにあった彌里ちゃんのお話。


『彌里と大妖』

 

意図せずして重なった一筋。

 

 

あの日から大体一年とちょっと。

 

 私が『博麗の巫女』となり、あの人が眠りについてから丁度その位の年月。十八歳になった私の前に一つの転機が訪れた。例えば結婚をすることになったとか、博麗の巫女を辞めなければならないといった『生易しい』ことではない。純粋に生きるか死ぬか、それを選択――というか、掴み取らなければならなかった時の事である。今でもよく覚えている、恐らく生涯を通して一番危なかったと言い張れる依頼。

 

 

その一部始終をお話しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴンゴンと、鈍く何かを叩き続ける音。

 

 よくよく耳を澄ませてみれば聞こえてくるのはそれだけではない。何処か別の場所でメキメキと音を立てながら巨大な何かが倒れる音、その風圧で周辺に散っていた木の葉が舞う音……それらは決して規則的に響いている訳ではないのだが、何故か心地よさを感じさせる。

 

そして中でも一番聞こえてくるのは、大きく野太い男達の声。

 

伐採……見るのは初めてである。

 

「おぉい!巫女様ぁ!」

 

「きゃっ!?」

 

 そう思いながら辺りを見渡していた時に聞こえた声。周りの喧騒が虫の囁き程度に感じてしまうそれはすぐ真後ろから聞こえてきて、私は思わず座っていた切り株から腰を落とす。

 

振り返れば、自身より頭四つ分ほど高く見える男の姿。

 

「いたた……もう!びっくりしたじゃないですか!」

 

「がははは、すまねぇな。森に居るとどうしても気が抜けなくてよ」

 

浅黒い肌の如何にも健康そうな男性。

 

人里では親方と言われ親しまれている人物である。

 

「それで……どうですか?此処だけで充分ですか?」

 

私は辺りを見渡しつつ彼へと訊ねた。

 

 何について訊ねたかは単純明白、つまり木材の話である。里に大きな建物を建てたいという理由で動き出した親方たちと、その手伝いを依頼として頼まれた私が共に居る理由。別にこれ以上掛かるようなら何か――という訳ではない。純粋に移動の必要はあるのかどうかと、それを聞くのが目的だ。

 

親方は自身の顎に手を遣り、そして詰まれた木材の山を見て首を縦に振った。

 

「あぁ、充分だ。これだけありゃ小っちぇ家も建てられる」

 

ありがとな、と親方はそういって私の頭を掻き混ぜた。

 

「分かりました。では、そろそろ引き上げましょう」

 

「おうよ!……おい、お前等――」

 

彼の手によってもみくちゃにされた髪を整えつつ、去っていく親方の背中を眺め――

 

「……ふう」

 

そこで私は今日初めて肩から力を抜いた。

 

 今までも護衛の依頼は何度かこなしている。しかし、これだけの大所帯を連れて動き回ったのは今日が初めてだった。――いや、過去に一度だけこれと同じくらいの人数を妖怪の山まで護衛した事はあったが、あの時は周囲の警戒が完璧だった故に一度も妖怪と出会うことはなかったのだ。

 

けれど今日は既に三回妖怪達に襲われている。

 

「やっぱり、母様は凄かったんだなぁ……」

 

当時地底にいながら人脈だけでそれをやってのけた母の姿を思い出し、苦笑。

 

改めて彼女との距離を再認識させられた気分だった。

 

――っと

 

「集中集中、と」

 

まだ依頼は半分、これから帰りの護衛もある事を忘れてはならない。

 

 しかも帰りは行きの時とは違って切り倒してきた木々がある。当然時間はかかるだろうし、万が一の時に逃げる足も送れるだろう。つまり、私の働き次第で彼等の安全が左右されるのだ。

 

パシリと一度、自らの顔を両手で挟み込むようにして気を付ける。

 

 

「……よし!」

 

髪飾りが日差しを受けてキラリと輝いた。

 

 

 

風見幽香は退屈を感じたことがなかった。

 

 

 その理由は複数あるけれど、しかし一番に挙げるとするならば満足していたからだろう。他のどの妖怪よりも自らの愛する者達と触れあい、他のどの妖怪よりも自らの趣味を楽しんでいた。花を育てたり眺めたりするのが好きで、悪戯や好奇心から入り込んだ妖怪を弄ぶのが好きだった。つまり、普通ならばストレスになる筈の趣味への障害が同じく趣味へと繋がっていたからという事である。

 

バランスが取れていたとも言える訳だが。

 

少なくとも、長く繰り返した毎日の中でそれを感じたことはなかった。

 

――一年前までは。

 

 

『それに触るな』

 

 

思い出すのは此方の心の臓を射抜くような鋭い双眸。

 

 結局何の目的で来たのかも分からなかった黒衣の少女。見れば誰でも笑うような妖力を放ち、視れば誰でも震え上がりそうな怒気を纏い、そうして逃げることなく私と対峙した姿を今でも覚えている。あまつさえ私が全力で戦うことの出来る場所へ移動することを許し、その上で私に勝利してみせたのだ。一生忘れることの出来ない相手と言えるだろう。

 

逆に言えば、誰でもない彼女の所為で私は退屈を感じてしまっている訳だ。

 

バランスを崩されてしまった、とも言う。

 

「……ふぅ」

 

自らの口をついて出たのは、自分らしからぬ溜息。

 

 まさかたった一日訪れた非日常が此処まで影響を――変化をもたらすとは思いもしなかった。植物と触れ合うのは楽しい。弱者を弄り倒すのも飽きた訳ではない。……けれど、それだけでは満足出来なくなってしまった自分が居ることに私は気付いていた。長い間『封じ込めて』いた本性が、まるで悪魔か何かのように囁き続けるのだ。

 

「目的もなく争いを求める、か……懐かしいわね、この感情は」

 

本当の本当に昔、まだ私が花と出会っていなかった頃の話。

 

あの時のそれに近い感情が、今になって私の胸の内で渦巻いているのが分かる。

 

それを振り払うように外へと躍り出た。

 

「……」

 

見渡す限り一面の花々。飛び交う昆虫。吹き抜ける風邪。

 

幾ら私の心が荒んだ所で、彼等は何処吹く風と言わんばかりに身体を揺するだけ。

 

「……いいえ、別に何でもないわ」

 

そう、何でもない。

 

このまま再び彼女と会えなければ、私はまた何時もの私へ――

 

「――、――っ!」

 

遠くで何かが叫んでいるのを耳が捉えた。

 

 右を向いて、向日葵が咲き誇る場所を越えて更にその奥――妖怪の山の麓がある方へと顔を向ける。目に妖力を込めて、そうして見えてきたのは大木の載った荷車を引きながら森から出て来る男達。恐らくは近くにあるあの里の者達なのだろう。何処か必死な表情をしながら荷車を牽引する姿に、私は一つ心当たる部分があった。

 

そういえば、此処から逃げた小妖怪があの辺りに逃げたのだったか。

 

そして男達はそれに追われていると。

 

「まぁ、どうでも良いか」

 

暫く眺めていたが、それも直ぐに飽きた。

 

 彼等が大木を何かの材料に使うように、彼等もまた小妖怪達の大切な食料となる。自らの為に行うのであれば、例え植物の伐採だろうと生命の刈り取りだろうと私が思うところは何も無い。勿論、私が私の為に大切にしている物を除けば、だが。

 

けれど、私はその遣り取りから目を放すことが出来なかった。

 

「――」

 

紅白の巫女が最後の荷車に続いて飛び出してきたのである。

 

 歳は十八かそこいらという感じの、綺麗で長い黒髪を赤と白の大きなリボンで纏めている少女だ。彼女は振り返り様に森に向かって数枚の札を投げ、前を急ぐ男達に何かを叫んでいた。前を逃げる男達よりも落ち着き払った様子で、周囲を見渡しつつ警戒をしながら。

 

目を放すことの出来なかった理由はそこではない。

 

彼女の頭頂部で、日を受けて光り輝いているそれが。

 

それは――

 

「……本当に素敵な巡り合わせね」

 

まるで誰かが仕組んだかのような邂逅だった。

 

 嘗て出会った少女ではない。……けれど、その頭にある髪飾りだけで全てを理解する。『少なくとも彼女からそれを渡される程度の存在』なのだと、そう結論を出すには充分過ぎる代物だ。

 

少し前に、私が敗北を味わう切っ掛けとなった髪飾りである。

 

 

ザクリと

 

一歩足を前へと進めた。

 

 

「さぁて」

 

ザクザクと、歩き続けて花々に囲まれた楽園の淵へと立つ。

 

 彼女と戦った時に移動した場所はギリギリ私の領域とも言える部分だった。けれど今度は違う。此処より先に一歩足を踏み出した瞬間、長く続けていた私の『日常』が崩壊する。『花と共に生き、邪魔者だけを虐げる生活』……それにほんの少しの退屈を覚え始めていた矢先に、この選択肢だ。

 

 

構うものか。

 

 

彼女の縁者だというのならば、『挨拶』をしない方が道理に反しているだろう。

 

私は彼女達に向けて飛翔を開始する。

 

 

初めに気づいたのは、やはり紅白の少女だった。

 

 

「っ、皆さん!急いで逃げて下さいっ!」

 

そう叫びながら彼等の引いていた荷車に霊符を投げつける。

 

 そこ等の妖怪では近付くことすら出来ない程強力なそれを使用する巫女を見て、私は内心で湧き上がる衝動を抑える。一つ目の懸念だった――この少女が唯の人間の延長線上であるという可能性は淘汰された。隙のない構えと隙を見つけようとする視線が、寧ろ心地よい位だ。

 

愛用の傘を閉じて、それを視線の先に佇む巫女へと突きつけた。

 

「こんにちは、お嬢さん」

 

「……」

 

巫女は答えず黙って札を取り出した。

 

「先に言って置くけれど、別に貴女にもあの人間達にも恨みはないわ。私が此処に来たのは単純な好奇心から。でもまぁ、一応自己紹介はしておこうかしら。私は――」

 

「『風見幽香』」

 

凛とした声で言い放ち、少女は睨みつけるように私を見上げた。

 

「あら、知っていたの」

 

「えぇ、母が貴女の事を話していました」

 

母。

 

……母?

 

少女の存在を無視して少しの間思考に専念する。

 

 ……あの巫女が髪飾りをつけている時点で、あれと親しい関係にあるのは間違いない。その上で私の事を知っている『母』と黒衣の少女が知り合いだなんて、そんな事が有り得るだろうか?まぁ、可能性としてはない訳ではない。けれど、唯の人間にあれがそんな話をするとは到底思えない。ならば、一体――

 

あぁ、成る程。

 

これがあの妖怪にとっての大切な者だったという事か。

 

「お母さんは元気かしら?」

 

「……えぇ」

 

今度は小さく唸るようにそう答えた。

 

 少女はそれ以上語るつもりはないらしく、私と自身の周囲をゆっくりと目線だけ動かして確認していた。隙を見せた時の逃げ道を、或いは戦うときの足場を確認しているのか……どちらにせよ、この状況でそれをやってのける胆力には素直に関心する。こういった非常事態への順応速度は母親譲りのようだ。

 

そんな視線の動きを見ていると、今度はそれに気付いたらしい少女が此方を見上げる。

 

「……貴女は太陽の畑という場所から出ない妖怪だった筈ですが」

 

諦めたらしい、今度は視線も逸らさず巫女が問う。

 

「えぇ、そうよ。普段は出ないし、多分明日以降も出ることはないでしょうね。他の巫女が、人間が、妖怪がこの道を通った所で、私があの場所から態々出向くなんて事は有り得ないのよ」

 

「なら――」

 

「でも、貴女は違う」

 

何かを感じたのか一歩後退る紅白。

 

その頭にある髪飾りがキラリと光を放った。

 

「その髪飾りは恐らく貴女の母親を知っている妖怪なら誰でも知っている代物よ。逆に言えば、その髪飾りを着けていれば彼女と縁のある者に襲われることはないでしょう」

 

思い当たる節があるのか、それともないのか。巫女は表情を強張らせた。

 

「けれど私は違う。その髪飾りは、私にとっては特別な意味がある」

 

「特別な、意味……」

 

唯の結果論とも言えるのだが。

 

 もしあの時黒衣の少女が放り投げた髪飾りを私が拾わなければ、きっと彼女は私が去るまで姿を隠し続けていただろう。もしもあの髪飾りが彼女にとって然程大切な物でもなかったのなら、佇む私を無視して直ぐ様逃げて帰った筈だ。

 

それがあの黒衣の少女が髪飾りを持っていた頃の意味。

 

では、私にとっては――

 

「ねぇ、貴女は強いのかしら?」

 

「っ」

 

単純明快、この退屈を紛らわせてくれるであろう相手である証明。

 

そんなことを知りもしないであろう巫女は、それでも無理矢理口角を吊り上げる。

 

「……はい、強いですよ」

 

それは誰がどう見ても、虚勢としか言いようのない誇張だった。

 

あぁ、でも――

 

「良かった。貴方のお母さんは『自分は強くない』って言い張って戦おうとしなかったの。物分かりが良くて助かるわ」

 

「う、嘘です、実は――」

 

「ちなみに私の趣味は暴力と弱者の弄びだから、別に貴女が強くても弱くても関係ないのよ」

 

確かに似ているといえば、似てはいるようだ。

 

――傘を向けられて訝しげな表情をしている所なんて特に。

 

 

 

母がよく聞かせてくれる教訓の内の一つに、こんな物があった。

 

『ちょっと何かしようとした結果が、何時の間にか大きくなり過ぎる事がある』と。

 

 

 知り合いの居る山へ少し挨拶をしに行こうとして山の主の屋敷を吹き飛ばした話や、月を見に行ってそのまま戦争に発展した話がそれに該当しているのだろう。当時の私はそれを面白半分、驚愕半分で楽しみながら聞いていたのを覚えている。『そんな風に悪化の一途を辿るのは母様だけだ』と、そう言って笑っていたのは記憶に新しい。

 

けれど今になって、それを目の前にして漸く気付いた事がある。

 

――よくもまぁ、あの人はこれを笑いながら話していた物だ。

 

 

 

 

「――あら、生きてたの」

 

「はぁっ……はぁっ……」

 

初めは何と言うこともない、唯護衛をするだけの依頼。

 

 それが妖獣の群れとバッタリ出くわしてしまった為に進路を変更し、故に若干荒っぽい坂道を木材が乗った荷車と共に駆け下り、そうして最終的には風見幽香と対峙することになった。

……いや、最後のステップだけ明らかに状況が飛躍しているのは自分でも分かっている。けれど、こうやって客観的に自分の置かれた状況を考えていた方が何となく落ち着くことが出来るのだ。

 

逆に言えば、私は現在狼狽えていた。

 

だって傘の先端から光線が飛び出たのである。

 

「貴女のお母さんが初見で塵になった攻撃を避ける、か……中々良い腕してるのね。普通結界を『そういう風』に使うなんて考え付かないでしょう?」

 

それに対する私の判断は、恐らく今までの中で一番迅速かつ的確だった。

 

 傘の先端に莫大な量の妖力が集められているのを確認し、幽香の視線から何かしらの遠距離攻撃が来ることを理解する。当然受け止めるなんて出来ないので、私は結界を私と幽香を遮るように展開して走って逃げたのだ。彼女が褒めて……いるのかは分からないが、関心しているのは恐らく私が結界を自分の身長に合わせて無駄なく展開したことだろう。そのお陰で一秒程とはいえ幽香の放った光線を結界のない半分側だけ先行させることが出来た。逆にもし少しでも自分以上の大きさにしていたら、こうして避けることは出来なかった筈だ。

 

そうして痛感する、目の前の相手との力量の差。

 

誰がどう見るまでもなく、私と風見幽香の差は歴然と言わざるを得ない。

 

彼女はニタリと笑った。

 

「次は何を見せてくれるのかしら?」

 

「……」

 

彼女もそれが分かっているからこそ追撃はしてこないのだ。

 

風見幽香にとって私は、唯偶然見つけた遊び道具程度にしか思われていない。

 

 

――一泡吹かせてやることにした。

 

 

「たぁぁぁっ!」

 

袖口に仕舞っていた霊撃符を数枚、虚を突く軌道で投げつける。

 

 そしてそれが幽香に到達するまでの間考える。あんな物は全く通用しない、そんな事は分かりきっているのだ。大事なのは、私が持っている物が何かという事。攻撃用の札、結界用の札、捕縛用、目くらまし用。牽制用の針――

 

そして、唯一にして彼女に絶対届き得る攻撃手段が

 

 

『神狼』の召還。

 

 

「はい、お返し」

 

案の定、霊符を全て弾いてみせた彼女が先よりも細い光線を放ってくる。

 

「っ、そこっ!」

 

身を捻って回避しつつ、今度は捕縛用結界を纏めて発動させた。

 

 では、どうやって幽香に神狼の攻撃を当てるのか。数メートル開いたこの距離から召還しても、恐らく彼女はそれに対応してみせるだろう。何故なら彼女は大妖怪で、故に私と比べるまでもない位強く、そして数多の戦いを経験してきているのだ。

 

――では、客観的に風見幽香の持っている物は?

 

「確かに、そこらの妖怪ならこれで充分抑えられるわね」

 

「……考えろ」

 

捕縛に専念させたとしても、そう長くは持たない。

 

私は皹が入りつつある結界と幽香をジッと見つめた。

 

考える。

 

 

 

圧倒的な妖力。

 

花畑。

 

余裕。

 

大妖怪としての矜持。

 

好奇心。

 

経験から来る対応力。

 

日傘。

 

 

足りない。

 

 

目が二つ

 

耳が二つ

 

口は一つ

 

腕が二本

 

足も二本

 

それらは身体で繋がっている。

 

 

そして

 

 

彼女はこの間、ひよりの不意打ちで敗れたばかり――

 

 

 

 

バリンと破砕音。

 

「でも、これもまだ充分ではない」

 

今度は両手に妖力を込めて私を見据える。先の光線を、彼女は二本放つつもりなのだ。

 

そしてその両の手は、私へと向けられて――

 

「はっ!」

 

「……小賢しいわね」

 

容赦なく幽香の顔面へと放った針を、彼女は攻撃を中断して防ぎにかかる。

 

そう、大妖怪と呼ばれる種の妖怪は全員――

 

「この程度なら、傘でも防げるのよ」

 

強者故の驕りがあり、故に余裕があるように見えているだけなのだ。

 

 

私は目くらまし用の札に霊力を込めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……期待し過ぎだったかしら。

 

 そう思い到ったのは、巫女が私に霊力の篭った札を投げつけてきた時――つまり最初である。彼女の母である黒衣の少女は、自らの持っている物を全く見せないまま全力で不意討ちに来た。自分の見せていない物を自覚し、相手の持っている物を予測した上で見事にそれを成し遂げてみせた。だから、私は反応することが出来ずに敗れたのだ。

 

けれど彼女の娘である巫女は、既にまた別の札を投げていて

 

「確かに、そこらの妖怪ならこれで充分抑えられるわね」

 

私を囲うようにして展開された結界を見て、巫女を見る。

 

「……」

 

巫女は何もせずただ此方を見上げていた。

 

まさかこれで勝負が決まったと、勝てるとでも思っているのだろうか?

 

「でも、これもまだ充分ではない」

 

充分ではなく、そしてもう充分だった。

 

 もうこの時点で私は巫女に対する興味を殆どなくしていた。残っているのは、彼女の着けている髪飾りに対する漠然とした疑問のみ。……どうして黒衣の少女はこの巫女に髪飾りを譲ったのか、ということである。とてもではないが、私が彼女の立場ならばそうすることはなかっただろう。私があの場所を誰かに任せるとしても、つまりこの巫女には託さないという事。

 

この漠然とした疑問に対する答えは、きっと誰も教えてくれない。

 

だから消し飛ばすことにした。

 

「……」

 

無言のまま両手に妖力を溜める。

 

先のような傘に集める『遊び』ではない。一撃放って、避けた所にもう一撃放つ為の両手。

 

巫女が動いた。

 

「はっ!」

 

投げつけてきたのは目でギリギリ見える程度の針。

 

それらは全て、的確の私の顔を狙っている。

 

「……小賢しいわね」

 

恐らくは、目を潰した上で逃走を図るつもりだ。

 

そんな期待の篭った巫女の視線を感じ、私は大仰に傘を持ち上げて、広げた。

 

バツバツバツと、傘に当たって下の方から針が落ちて行くのが見える。

 

「この程度なら、傘でも防げるのよ」

 

そうして傘を降ろそうとした時――

 

正面から大量の煙が私を包み込んだ。

 

「……逃がさないわ」

 

そう、その程度は既に予想している。

 

 私は素早く目を閉じ、周囲に存在する霊力の位置を探し出す。あの巫女が霊力を抑えている可能性もあるが、何時私が妖力光線を放つかも分からない状況でそれをすることはないだろう。……案の定、この周囲に彼女らしき霊力の反応が――

 

四つ。

 

「無駄」

 

今度は耳を澄ます。これら四つの内、一つだけが彼女の物だろう。

 

位置は正面、右前方、背後、そして真下。

 

背後の霊力だけ浮遊しているが、それは移動していないので恐らく囮。

 

ザクザクと、地面を歩く音を真下から捉える。

 

「はい、残念」

 

即座に右手に妖力を込めて真下へと打ち放ち、それが消えたことを確認。

 

少し遅れて周囲の霊力が此方へ向ってきた。

 

「……はぁ」

 

背後から飛んできた霊符を握り潰す。

 

 最後の最後、この三つの内のどれかが巫女であることを期待してみたのだが、それは如何しようもなく無駄だった。足音を立てた時点であそこに彼女が居たのは間違いないし、現にこうして飛んできた右前方の霊力も霊符なのだ。多分自身がやられる間際に咄嗟に指示を出した、といったところか。けれどそんな物には何の意味もない。死んでしまえば、そこに褒められる部分なんて何一つないのだから。

 

最後に正面から飛んできた霊符を消し飛ばした。

 

煙が晴れる。

 

「髪飾り、回収し損ねちゃった」

 

あの巫女の頭に着いていたのだから、もう形も残っていないだろう。

 

 あれがあれば何ちゃら神社にまで持って行って少女ともう一戦、というのも良かったのだが……まぁ、今日はある程度動けたし良しとしよう。その点で言えば彼女の娘である巫女にも、やはりそれなりの暇潰しになって貰った訳だ。

 

さて、供養はするべきかしないべきか。

 

腕や何かが残っていたら考えてやるとしよう。

 

「さて、と――……?」

 

光線を撃った真下、地面に視線を落とす。

 

 

日の光を受けて淡く金色に輝く、百日草の髪飾りが落ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

有り得ない。

 

 私は光線を真下に撃って、確かに巫女は消滅した。であるならば、彼女が頭に付けていた髪飾りも消えるのが道理だ。かつて一度巫女の母親が同じような現象を起こせた訳は、彼女が光線を喰らう間際に上空に投げ飛ばしたからだ。……けれど今回は『光線が上から下へ放たれた』のだから、もし髪飾りを巫女が残したとしたら『真下以外の場所』にあって然るべきで――

 

……なら、これは一体どういう事だ?

 

明確に浮かび上がった疑問に対する答えも、やはり――

 

 

「『神狼』」

 

答えは返ってきた。

 

 

 

「……」

 

「ふふふ……素敵ね、やっぱり貴女はアイツの娘だった」

 

ゴフと口から血を吐きつつも、彌里を見てそんな事を言う風見幽香。

 

 その姿は初めてあった時から一転、腕が一本なくなっていた。喉は猛獣にでも噛まれたかのように拉げて、腹部は服と皮と肉を切り裂かれて真紅色に染まっている。誰がどうみても致命傷で、本来なら動けない筈なのだが、それでも風見幽香は然程慌てたり焦ったりはしなかった。この程度の傷ならば、数時間も掛からずに動けるようになるだろう。

 

けれど、未だに分からないことが一つ。

 

「ねぇ、どうして生きていたのかしら?」

 

それは先程既に出した筈の結論に対する不審点。

 

 彌里は間違いなくあの時幽香の真下に居た。そして間違いなく、光線は彼女を飲み込んだ筈だ。他の霊力反応は全て霊符で、それ以外の反応は感じられなかったし、光線を放った後完全に霊力は消えていた。

 

だから分からない。どうして『彼女が上から降ってきたのかが』

 

彌里は暫く悩む素振りを見せ、そして口を開いた。

 

「……貴女は大妖怪で、しかも他の妖怪よりも体面を気にする性格なんだと思います。それは、最初の傘で光線を撃った辺りから薄々考えていました。『風見幽香は礼儀を欠くような真似はしない』」

 

「えぇ、初対面の相手にそんな事はしないわ」

 

母親の時も、娘の時も。

 

「次に、貴方は暇潰しで私に襲い掛かった。それは貴方が言った通り、髪飾りから母様と同じような強さを私に期待したからでしょう。でも、()()()()()、私は普通に攻撃を仕掛けたんです。その意味は、『風見幽香の暇潰しに付き合える強さはない』」

 

「そうね、確かにそう結論付けた……それが、貴女の狙いだったの?」

 

コクリと彌里は頷き、そして続ける。

 

「私は母様程強くはありません。貴女に攻撃を与えるには、一度死ぬ必要がありました。その為には、貴女が私を間違いなく殺したと思って貰わないといけない。……だから、あの時『針を傘で防ぐか否か』が私の勝負所だったんです」

 

あの瞬間、彼女は煙幕を撒いて姿をくらました。

 

「『風見幽香は煙幕を払わない』……その上で、私を殺す。様々な手を尽くした上で逃走を図る相手を、その思惑に嵌ったまま倒すのが貴女の強さ」

 

「……」

 

今になってようやく気付いたのは、彌里が幽香をジッと見つめ続けた理由。

 

一挙一動見逃さず、動きと言動と攻撃から幽香の様々を見抜く為だったのだろう。

 

そして、此処からが――

 

「私は確かに真下に居ました。貴女が光線を放ち、それが煙の中で視認出来る限界までは」

 

彼女が上から降って来た理由、その仕掛け。

 

「『神鹿』」

 

彌里が呟くと、先の狼とはまた違う鹿が現れる。

 

「この子の能力は瞬間移動です。最大移動距離は博麗神社の一番下から上まで。あの光線が目に見えた瞬間、私はこの子を呼び出しました」

 

「そして霊力を仕舞って真上から落下……正気の沙汰じゃあ、ない」

 

少しでも霊力を出すのが遅ければ、そのまま地面に落ちて死ぬ可能性もあっただろう。

 

逆に少しでも早ければ、私は即座に彼女を弾き飛ばしただろうが。

 

「でも、上手く行く自信はありました。貴女は他の全ても霊符だと理解した瞬間、もう私が死んだと思い込んだ。確かに母様は幾ら殺しても死なないから油断は出来ないでしょうけど、私は『人間』ですから」

 

一度死んだと思ってしまえば、生きているという結論は出せない。

 

かつて幽香は一度、それと全く同じ状況に出くわしたことがあった。

 

「……似ているわね、貴女達は、本当に」

 

言われて照れたように頬を掻く少女と、彼女の母の姿がピッタリ重なる程に。

 

片や無表情無機質で、片や人間らしく喜怒哀楽するのに。

 

妖怪と人間の親子である筈なのに。

 

「……もう、良いでしょう?今にも貴女が動き出しそうで怖いんですが」

 

「幽香」

 

「え、えーと……?」

 

残った左腕で上半身を起こし、次いで立ち上がる。

 

彌里を見据えた。

 

 

「風見幽香、私の名前よ」

 

 

彌里はそれを見て本当に一歩下がったが、けれど背筋を伸ばして――

 

 

「ひよりの娘、博麗彌里」

 

 

そう言い放ち、そうして髪飾りを拾い上げて頭へと挿す。

 

もう追いかける気も、そして次会ったとしても喧嘩を吹っかける気もなかった。

 

少女が笑う。

 

「母様は、強かったですか?」

 

そんな問いに、私が答えるとでも思っているのだろうか。

 

 

……でも、まぁ。

 

 

此方の質問に答えて貰った訳でも、あるので。

 

 

 

 

 

 

「……えぇ。彌里も、ひよりに負けず劣らず強かった」

 

だから私も、久方振りに本心から笑う事が出来た。

 

 

 

 

 

 

さて、これで私の話はお終い。

 

この戦いは母にも報告していない。私の胸の内で、恐らくは死ぬまで持っていくのだ。

 

 

それが何となく、格好良く思えたから。

 

 

 

 

 

 

 

……。

 

 

幽香があの人と会えた時に話してくれないかなぁ、なんて思ってみたり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




幽香以外に任せられる人が居なかったので苦しくも書き上げました。

わたしはゆうかがだいすきです。




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