孤独と共に歩む者   作:Klotho

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小話。


『萃疎昔話』

 

「物語ってんのはさ」

 

声が聞こえた。

 

 普段通り人里を出て、魔除けの札と背負子と手斧だけを持って歩いていた男は突如視界を覆い尽くす程の濃い霧に襲われて迷走していた。予め里を出る前に想定していた天候とは全く以って異なる天気。普通の人間であれば動揺し、パニックに陥っただろうが、この仕事を何年も続けてきた男にはこの怪奇現象の正体には予想がついていた。

 

人を惑わせ喰らう事こそが、妖怪の仕事と。

 

「そう簡単にゃ終わらないもんだ」

 

 恐らくは男を惑わせている妖怪の声がどこかから響き渡る。喋り方こそ古臭い物の、その声音は人里の子供と変わらない位幼い物で、それが微妙にだが男の緊張感を和らげる助けをしていた。

 

男は出口を捜す。

 

「そいつが居なくなったら終わりとか、そんな単純な話じゃない。()()()()()()()()()、そいつの事を覚えている全ての生物が死に絶えるまで続く――記憶の中で生き続けるって奴だ。まぁ、もっとも……」

 

「死に続けるとも、言えるんだけど」

 

その声音からは想像もつかない程恐ろしい言葉を以ってして、少女は笑う。

 

「なぁ、お兄さん。少し私の話を聞いてくれないか?そうしたら解放してやるし、今日一日の仕事中危険な事が一つもないように計らってあげよう」

 

 突如として現れた脱出のチャンスに男は足を止める。その条件が嘘であれ真であれ、もうこの妖怪の手中に収められて居る事だけは事実。此処で提案を蹴って無闇に動き回るより、この声の主の話を聞いた方が得策だろうと判断したのだ。

 

何故自分なのか、どうして唯の人間に話をしたがるのか。

 

それを聞くのは多分野暮という物なのだろう。

 

「くく、良いね。あいつ等が目指してる物ってのは、つまりお前さんみたいな奴で溢れてる世界なんだろうな。……それは何というか、楽しそうだ」

 

少女の何処か哀愁が混じった呟きと共に、前方の一部分だけが微妙に霧が晴れる。

 

そこには、誰かが切り落とした残りであろう切り株が生えていた。

 

「座りなよ、人間。少し長い話になる上に、お前さんにとっちゃ全然関係のない話だ。ゆっくり頭の中で整理しながら考えてくれよ」

 

男はその切り株に近付き、背負子と斧を近くに下ろしてから腰を掛けた。

 

そして、少女の声に言葉を傾ける。

 

「誰でもない唯の人間になら話せる、そんな話なんだけどね」

 

 

チャポンと一度、酒の入った瓢箪が揺れる音を聴いた。

 

 

 

『ドゴンッ』と、まさに爆発と表現する他ない轟音が響き渡る。

 

「うあっちぃっ!あつつ……」

 

 文字通りその爆発によって吹き飛ばされた少女が一人。薄桃色のフワリとした服に裸足、大きく丸い耳と尻尾を生やした黒髪の妖怪少女。この竹林に住む者なら――竹林に住んでいるのは自分を含めて三人だが、彼女を知らない者は居ないだろう。伝説となった輝夜姫と共に此処へ迷い込んで来た医者と、そのじゃじゃ馬姫に半ば強制的に協力体制を取らざるを得なくなった哀れな妖怪兎。

 

因幡てゐと、今はそう呼ばれている。

 

「いやはや全く、何が引き金になったのやら」

 

 すぐ近くにあった竹に背中を預けて誰に言うでもなく呟く。この程度では隠れ蓑にもならないが、多少の考え事をする余裕を作るには充分だろう。こうやって背中を預けていれば、背後から来ているであろう彼女も多少は油断してくれるかも知れない。

 

さてさて、何処から推理を開始したもんかねぇ……。

 

先の会話の一部始終を脳裏に思い浮かべた。

 

『……ん』

 

『およ?珍しいね、人間がこんな所に来るなんて』

 

『私も此処に妖怪が居るなんて知らなかったよ。ちょっと迷っただけだったんだけどね』

 

『ははぁ迷い人か。そりゃそうだ、此処は迷いの竹林って呼ばれてる場所だからね。入った者は迷い易く、しかも迷っている奴が辿り着き易い。そんな曰く付きの場所さ』

 

『それで、どうすれば出られるのかしら?』

 

『さぁ?死んだら魂は死神が回収してくるよ』

 

『……まぁ、良いか。時間は腐るほどあるし』

 

『……』

 

『何?』

 

『いやぁ、姫様に似てるなぁなんて思ってさ』

 

『……誰だそいつ?』

 

『輝夜姫だよ輝夜姫、どうせ知らないし信じないだろうけど、あの伝説の――おわぁっ!?』

 

『――おい兎、そいつの所に案内しな』

 

 

――はて、今の回想に何処か不自然な場所があっただろうか?

 

「……分からん」

 

 てゐは肩を竦めて――背後から竹の葉を踏み歩く音が聞こえて首だけ回してのっそりと背後に顔を向けた。出来るだけ気だるそうに、表情重く。

 

ザクリと、その足は目の前で止まった。

 

見上げる。

 

「……」

 

「どーも」

 

 赤いモンペ、それが落ちないように肩に掛けて背中まで伸びた帯。その背中側の腰辺りまで伸ばしてある長髪は、服装とは相反した白髪。見上げれば、鋭く紅い眼光の向こうに何かが書かれた大きなリボンが見えた。

 

名を……知らない。そういえば聞いてない。

 

「どうして名前も知らない奴に襲われるのかが分かんないけど……アンタ姫様の知り合いかい?」

 

「……」

 

何も答えない。唯眉を潜めて此方を睨むだけ。

 

ははぁ、少し話が見えてきたぞ

 

「或いは姫様が怨敵なのか……ね。ま、どっちにしろ案内は出来ないよ」

 

 つまりこの女はあのじゃじゃ馬姫に振り回されて滅茶苦茶にされた被害者の一人なのだろう。そして言い換えれば自分と同じ境遇の仲間、と。実力も充分だし、運が良ければあの二人に対する日々の意趣返しにもなる。

 

そこまで見越した上で、私は先ほど()()()()()右足を上げた。

 

「ご覧の有様でね。アタシャ戦えないから避けれなかったのさ」

 

「……背負ってやるから案内しろ」

 

そう言って此方に背を向けて屈み込んだ女に遠慮なく乗っかる。

 

こうして襲われて怪我をして、否応なく案内させられたという状況を作る為に。

 

「ありがとさん、助かるよ。私は妖怪兎の因幡てゐ……アンタは?」

 

 立ち上がった彼女の背中越しに永遠亭のある方向を指差しながら尋ねる。今後ともかは分からないが、少なくとも道中では互いの名を呼び合う事もあるだろう。私にとって、相手の名前を知るという行為は生きる上で欠かせない物だった。少なくとも、今までは。

 

そんな策略にも気付いていないのだろう、彼女は竹を避けながら口を開く。

 

「私は――」

 

その、名前は――

 

「藤原妹紅、唯の旅人だ」

 

今後暫くは覚えていなければならないような、昔の名前だった。

 

 

 

 

 時折顔の横から伸びる腕に従って竹薮の中を抜けていく。どうやら先ほど因幡が言っていた事は本当らしい、見渡す限りの竹林には獣道の一本すらも見当たらない。ならばどうやって彼女は移動しているのかと尋ねれば、どうやら普段は竹を飛び回るという胡散臭い方法を取っているらしかった。

 

……と、この会話から分かるように、意外にもこいつとは打ち解けて。

 

「ふぅん?すると藤原はちょいと前まで博麗神社に居たのかい」

 

「妹紅で良いよ。……まぁ、そうだけど。知ってる?」

 

 意外な事にてゐは色々なことを知っていた。平安京のことや藤原家のこと、陰陽術や妖怪の種類なんかにも詳しく、故についつい数多く尋ねすぎてしまう。チラと背中に視線をやるも、彼女は然程気にした様子もなく軽く頷くだけだった。

 

「……あぁ、知ってるよ。あそこは有名だからねぇ、随分話を聞いた」

 

 彼女に聞けばきっと私の居ない此処数年の様子も分かるだろう……が、それはあえて尋ねなかった。今更気にするのも情けないし、一度合格を言い渡した手前どういった顔で彌里の元へ訪れれば良いのかも分からない。言うなれば、咄嗟に尋ねてしまった聞きたくない事という奴だ。

 

彼女もどうやらそれを察したようで

 

「でもま、そこまで詳しくは知らないよ。何年か前に聞いた程度だ」

 

「……そっか――っと、こっちね」

 

会話を切り上げて伸ばされた腕に従いながら進んでいく。

 

「……」

 

足取りは先程までよりも重い。

 

「ほら、着いたよ」

 

 てゐの言葉に慌てて顔を上げる。見れば視界の先の竹林が開けていて、その中心にポツンと大きな屋敷が立っていた。昔の貴族の屋敷を思い出すような、そんな古めかしくも懐かしい建物。その方向へ一歩だけ進んで――此方まで流れて来た『雰囲気』に息を呑む。

 

――間違いない。

 

「助かった」

 

「なんの、出来ればさっきみたいに燃やすのはやめてくれよ。実は今私も此処に住んでるんだ」

 

 彼女の言葉に漏れ出ていた炎を慌てて仕舞う。このまま焼き討ちでもしてやろうかと思ったが、その結果野宿をする事になるであろうてゐの姿を思い浮かべて少しだけ居た堪れなくなったのだ。

 

横を見れば、少しだけ申し訳なさそうに頬を掻くてゐの姿。

 

「……お前さんは優しいねぇ。仇みたいなもんなんだろ?別にやっちまっても構わないさ」

 

「良いよ、止めとく。あんまり未練なさそうだけど、てゐの家でもあるんだろ?」

 

 脳裏に過ぎるのはかつて己が師と認めた彼女と過ごした小さな小屋。鬼退治の後に訪れた時にはもう焼き払われていて、多分今は草木が生えてしまっているだろうが、それでも未だに愛着があった。例えてゐにそれが無いと言い張られたとしても、目の前で焼くなんて事は到底出来ない。

 

つまり、中に居るであろうアイツとは殴り合いで決着を付ける必要がある。

 

「……じゃ、軽く行ってくる」

 

バキリと、今では簡単に鳴るようになった拳を合わせて。

 

「ん、お前さんにも幸運がありますように」

 

 

背後から聞こえてきた声に片手を挙げて答え、私は中へと踏み入った。

 

 

 

それが数十分前までの話。

 

 屋敷に踏み込んですぐに、私は真っ直ぐ嫌な気配が放たれている部屋へと向かった。長い廊下を通り過ぎ、幾つもの扉を見向きもせずに背後へ。辿り着いたのは、他のそれと変哲のない唯の襖。けれどこの襖の先にあいつが居ることは分かっている。それはなんとなく理解出来ていた。

 

襖を蹴りぬく為に片足を持ち上げて――ゆっくり下ろす。

 

襖を開いた。

 

「――あら、いらっしゃい」

 

「……よう」

 

 畳張りの広い部屋。一目見ただけで高級品と判る家具、奥に見える大きな障子――大衆向けの本や将棋など、趣味が見え隠れする物も見受けられるがそれは無視。その障子の前に立ち、無言で外を眺めていた長い黒髪の女が此方を振り返った。

 

ニンマリとでもつきそうな、凶悪な笑みを携えて。

 

「まずは自己紹介、私は蓬莱山輝夜。かつて平安に都があった時代に月から地上へ堕とされ、紆余曲折あった末に従者である八意永琳と共に地球で隠れ住んでいる不死身の蓬莱人よ」

 

「……八意永琳と申します」

 

 輝夜のわざとらしい挨拶に対して、彼女の横に正座していた銀髪の従者は礼儀正しく頭を下げた。その余りにもしっかりとした態度に思わず此方も視線だけで挨拶を交わし――輝夜を睨みつけた。

 

「……藤原妹紅。唯の旅人ってことにしてくれ」

 

「宜しくね、妹紅。私は輝夜で良いわ」

 

「……」

 

互いに顔を見合わせたこともなかった。話に聞くだけで、外見など考えもしなかった。

 

――けれど、実際に見て分かったことがある。

 

「とりあえず話から始めないかしら?殺し合いを始めてしまったら、一段落つく頃には片方が喋れないでしょう。時間は無限にあるのだけれど、別に私は時間を無駄にしたい訳じゃないの」

 

何となく、こいつとは気が合わない。

 

「良いぜ。私も死体に話しかけるなんて無駄な事ぁ、したくないからな」

 

「本来なら貴女に話しかけるなんて無駄な事「姫、話を進めて下さい」――永琳、これも一つの会話の形なのよ」

 

そして向こうも、恐らくはそう思っているのだろう。

 

「座りなさい、妹紅。共通の知り合いも居るみたいだし、少しは昔話に花を咲かせることも出来るんじゃないかしら?」

 

「……分かった」

 

 だから今、こうして私が腰を下ろし輝夜が一メートル先で大人しく座っているのはてゐの言葉が原因という訳ではない。彼女も私も、その共通の知り合いが言った言葉の影響でこうしているに過ぎないのだ。けれど、彼女は確かにそう言った。

 

『妹紅と輝夜はきっと気が合うと思う。蓬莱人を抜きにしても、ね』

 

尊敬する師。第二の家族であり、親友。

 

 

ひよりの勘は、何時だって外れた事が無かった。

 

 

 

 

「私から聞きたいのは一つだけよ」

 

「何だ」

 

 目前に座る白髪の女、藤原妹紅。ひよりから話だけは聞いていた、彼女の最初にして唯一の弟子。彼女がどうしてこの娘と私を引き合わせようとしたのか――その理由は、もう分からない。

 

「貴女、どうしてひよりが封印されるのを放って置いたの?」

 

彼女が何処に居るかも分からないのだから。

 

「……」

 

「私は貴女を見下している訳じゃないのよ。ひよりと過ごした三百年だって伊達じゃないでしょうし、その後貴女が経験したであろう全ての出来事も無駄ではない。だからこそ、貴女ならひよりの考えている事位見抜けると思っていたのだけれど――」

 

 これは簡単な引っ掛けだった。既にひよりの真意は知っているし、止めなかったのは私も同じ。だけど妹紅の理由次第によっては、やはり彼女とは拳を交える事になるかもしれない。

 

それは逆恨みにも似た感情だった。

 

もし妹紅が彼女と過ごした三百年が無ければ、もっと彼女にも自由な時間が過ごせたという――

 

「……まぁ、分かってはいたさ」

 

彼女の返答は、一番最初の懸念を軽く突破して。

 

「博麗神社でひよりに別れるって言った時の顔……ありゃ酷かった。どうして私じゃなくて、あいつが()()()()するんだろうなって。その後にも幾つか予兆はあったけど、やっぱりか……」

 

 片腕で目元を隠し、疲れたように溜息を吐きながら妹紅は天井を仰ぐ。それでも涙を流さない辺り、大体の予想はついていたのだろうが。

 

ほんの少しの沈黙の後、彼女はゆっくり腕を下ろした。

 

「それで、理由は知っているかしら?」

 

「知るか、興味もねぇよ。『師匠』のことだから、彌里の為だとは思うけど」

 

「……っ」

 

 そしてひよりと過ごした三百年が無駄じゃないという事が、私は何よりも気に食わなかった。無造作に彼女の真意を言い当てそれでも尚平然としているこの女の事が、私はどうにも羨ましくて仕方が無いらしい。『自分の手に入れられない物を持つ相手』というのが、まさかこうも憎く感じる事があるとは思っていなかった。多分、その相手がひよりである事も含まれているけれど。

 

だから、逆恨み。

 

「……いえ、何でも無いわ。質問は以上よ」

 

「あっそ。じゃあ私からも質問良いか?」

 

答えてくれた以上は此方も応じる。私は頷いた。

 

「どちらかと言えば横の……あー、永琳さんに質問なんだけどな」

 

「あら、私ですか?」

 

 今まで黙って隣で座っていた永琳が少しだけ意外そうに口に手を当てる。身内だからこそ態とらしい物だと分かるそれだが、やはり突然振られても平然とした仕草を見せる彼女は恐ろしい。

 

妹紅は頷き、私から視線を外して永琳を見た。

 

「輝夜の性格を教えてくれ。アンタから見た、猫かぶってないこいつの性格を」

 

――成る程。

 

「……上等、教えてあげなさい永琳」

 

 どうやら向こうからの質問はないらしい。これはただの、所謂口実作りという奴だ。チラと横目で此方を窺ってきた永琳にそう答えてから、私は障子を開けて竹林が一望出来る庭へと踊り出る。

 

裸足を通して伝わる冷たい地面と草の感触は、やはり心地良かった。

 

「では、失礼を承知で申し上げます」

 

背後から永琳の凛とした声が響き、次に大きく息を吸う音が聞こえて

 

「我が侭、傲慢、意地っ張り、頑固、自己中心的、怒りっぽく冷め難い、悪戯好き、運動嫌い――この世に存在する全ての悪性格を詰め込んだ、有能優秀で魅力的な方で御座います」

 

――裏切り者っ!

 

「あははははっ!そうか、それは確かに魅力的だ!」

 

「……永琳。何を言ってもこうなるんだから、せめて褒めて置きなさいよ」

 

振り返る。

 

澄ました顔で瞳を閉じている永琳の奥で、ゆらりと妹紅が立ち上がった。

 

一歩、此方へと近付く。

 

「そりゃ、苦労しているだろう従者の代わりに自由な身の誰かさんが殴ってやる必要がありそうだな?」

 

「ちなみに、永琳が褒めてたらなんて言うつもりだったのかしら?」

 

ポキリポキリと、両の拳から音を鳴らして。

 

また一歩。

 

「『高貴なお方を殴るってのも良い経験になるかも知れない』」

 

どちらにせよ、彼女も理不尽な理由でふっかけるつもりだったと。

 

輝夜と妹紅は、再び部屋に居た時と同じ距離に対峙した。

 

「……離れながら戦うわよ。屋敷を攻撃したら、私も貴女も永琳に負けると思いなさい」

 

「それについては同感。約束もあることだし、此処はちっと狭いからな」

 

「……では、私は()()()の食事を用意して来ますので」

 

永琳が立ち上がり、スタスタと歩いて襖を開き――

 

閉じた。

 

「「死ねえぇぇぇぇっ!!」」

 

 

竹林に二人の少女の叫びが木霊した。

 

 

 

『死ねえぇぇぇぇっ!!』

 

響き渡る怒声。時折光を放つ竹林。

 

「おーおー、随分と派手にやってるねぇ」

 

「……」

 

 それを背伸びしながら眺め、計画通りと言わんばかりの悪い笑みを浮かべる妖怪兎が一匹。輝夜と妹紅が殺し合いに行った直後、彼女はひょっこりとこの部屋に顔を出したのだった。

 

隣には、澄ました表情で正座をする永琳。

 

「貴女でしょう?」

 

「んー?何が?」

 

「幾ら蓬莱人とはいえ、顔も知らない者との『縁』は完璧に絶っていた筈。それが偶然この場所を見つけて輝夜と会うなんて事は億に一つも有り得ないわ」

 

 永琳は片目だけ開いて隣に座ったてゐを睨んだ。この少女を雇ってからというもの、自分が想定していなかったイレギュラーが随分と紛れ込むようになってしまった。彼女の存在自体もそうだし、蓬莱の薬を飲んでしまったあの少女が此処に来る事も。

 

計算と直感だけで言えば、それこそ考慮していなかった可能性を。

 

「さぁ、どうだろうね?」

 

因幡てゐは指摘する。

 

「此処は迷いの竹林さ。入れば勿論道に迷うし、迷っている奴が辿り着き易い。……あの妹紅って奴も、多分『何か迷っていた』んじゃないかな」

 

「……」

 

迷いの竹林。未だ構造の把握が出来ていない、不朽の竹林郡。

 

「そして、あんたらも今此処に居る」

 

 一体何を迷っていたのか。道ではない。蓬莱山輝夜はひよりとの繋がりを完璧に絶つ事を迷い、その結果開いた少しの隙間から彼女は上手に入り込んで来た。

 

ならば、藤原妹紅が此処に辿り着いた理由は?

 

「蓬莱の薬、不老不死の妙薬。その禁忌は、永く変わらない月から追放を受ける程罪深い。その薬の製作者、八意永琳は地上に残ったそれに何を思った?」

 

「――私は」

 

後悔?懺悔?

 

……多分、それもあるのだろう。

 

「面倒位は見てやんなよ、どうせ何時かは()()()()になるんだ」

 

強いて言うのなら、母性とでも表現すれば良いのだろうか。

 

あの薬を飲んだ者が今も地上の何処かで生きていると考えていたら、どうにもやりきれなくなったのだ。

 

けれど、その誰かは随分と楽しそうに見える。

 

「……えぇ、分かってるわ」

 

だから私は――

 

「――っと、じゃあアタシが夕飯の準備して置くから、回収よろしく」

 

「本当、面倒事を押し付けるのが上手ね、貴女は」

 

ケラケラと笑って廊下へと出て行った兎を眺めて、私は立ち上がる。

 

此処に居る限り、その清算をする必要があるだろう。

 

 

私は焦げ付く竹と地面の跡を追って歩き出した。

 

 

 

「これで話はお終い。その二人は今も殺し合いをしてるかも知れないし、もしかしたら仲良くしてるかも知れない。もしどっかの竹林が夜明るく光っていたら、それはあいつ等が戦っている証拠さ」

 

 すぅ、と男の周囲を漂っていた靄が晴れていく。何時の間にか山の少し高い所に居たらしい男は、眼下に見える自分の里を見てほっと胸を撫で下ろした。

 

周囲を見回し、やはり声の主が見えない事を確認する。

 

「おいおい、語り部の姿を見ようとするのはご法度だろう。……でも、話の終わりに挨拶するのも常か――っと」

 

 晴れた筈の靄が男の眼前に集まり、それが次第に人の形を模す。大きさは子供のそれと変わらないが、その靄には特徴的な二本の角とジャラジャラとした奇妙な何かがついていた。

 

そして次第に靄は消えて

 

「伊吹萃香、鬼だよ」

 

男はそれを確認すると、一礼だけして背負子を背負って斧を手に取った。

 

「おや、驚かないのか?」

 

 意外な顔をして此方を見る鬼の少女に、空の背負子と一度も振るっていない斧を見せる。彼女の話は面白かったし良い息抜きにもなったが、それでも男にはやらなければならない事があるのだ。

 

萃香はほんのすこしだけバツの悪そうな顔で頬を掻く。

 

「……約束は守るよ人間。今日は好きな場所で好きなだけ持って帰ると良い。それくらいには、()()の方が世話になっちまったからねぇ」

 

苦笑いをしながら再び靄となっていく少女に、男はもう一度だけ頭を下げて。

 

 

その場を後にした。

 

 

 

「なぁ、ひより。お前さんも分かっててそうしたんだろう」

 

博麗神社の片隅。誰の手も入っていない森に、伊吹萃香の姿。

 

その正面には、時を経て尚寂れた様子を見せない社。

 

「色々な事があった。地底でも地上でも、お前の為に一騒動起きてる。でもそれ以上に、お前のお陰で皆強くなった」

 

 仲間を助けようとする妖怪寺、魂の管理をしながら暮らす亡霊姫、妖怪達の都となった地底と、そこに新しく増えた仲間達。永遠の友を手に入れた蓬莱人と、人妖を繋ぐ調停者。そして――

 

そんな者達の物語を萃めて疎める、鬼が一人。

 

「知ってるか?紫の今の口癖……ありゃ、まるでセンスがない。私やあいつを知ってる奴等から見りゃ、あそこまで胸が痛む言葉もないんだ」

 

地底にいる相棒から預かった杯を社に置き、そこに瓢箪から酒を注ぐ。

 

「『幻想郷は()()()()()()()()のよ。それはそれは、残酷な話ですわ』って、ね……」

 

陽を受けて明るく映る社は、しかし何も答えなかった。

 

瓢箪から一口煽り、立ち上がる。

 

「早く帰って来い。そん時は紫と人間とひよりも混ぜて、一緒に殴り合いでもしよう。それで色々紫の苦労を聞いてやって、お前さんが頷いてやればそれで上出来だ」

 

自らが認める好敵手と、親友と、人間と本気で戦う。

 

それは何というか楽しそうだ。

 

 

「さぁて、次は何の話を誰にふっかけてやろうか」

 

 クルリと背を向けて、博麗神社とも何処とも言えない場所へと歩き出す。そろそろ地底に戻って、地上から来たあの目玉姉妹にこの話をしてやるのも良いかも知れない。少なくとも、暫くは退屈しなさそうだ。

 

萃香の姿が草木に隠れ、誰も居なくなった社に

 

酒の注がれた朱塗りの杯と紫の花一輪。

 

 

 

 

 

 

 


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