孤独と共に歩む者   作:Klotho

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終わり


『孤独と共に歩む者』

 

 

 

 

暗闇

 

 

暗闇

 

 

暗闇の中を、歩く。

 

 

 視界の先には既に果てが見えている道。背後を振り返れば何処までも続く道。この暗闇の中で唯一見える一本の線。その線上を、唯只管に歩き続けて、歩き続ける。

 

此処が何処なのかは分からない。歩く意味も、ないかも知れない。

 

――それでも、歩き続けなければならない気がして。

 

『普通、終わりの見えている方に進もうとするかしら?』

 

 そんな私の道にフワリと浮かび上がる彼女。蜥蜴から蜻蛉へと、蜻蛉から蛙へと姿を変えて、他の誰でもない『私』は呆れたように笑った。姿が蛙であるのだから勿論表情なんてないが、それでも彼女は笑っていた。

 

「久し振り」

 

『えぇ、久し振り。こうして何の為でもなく出て来るのは初めてね。封印までされて漸く落ち着けるようになったって事かしら?』

 

封印。腹部に空いた穴、全身を焼く痛み、思うように動かない身体。

 

それらが全てなかったかの様に、私の身体は普段通りだった。

 

『貴女の居る所に私在り。思わず出て来たのは良いけど、此処は私の精神世界なのかしら?何だか思っていたより殺風景……私の精神はこんなに荒んでいたのねぇ』

 

「煩い」

 

 そう言うと彼女は大人しくなり、私は少しだけ意識を別の何処かに向ける。輝夜や妹紅は如何しているのか、彌里と紫は上手くやっているのか……一人で歩いていた時には気にもしなかった本音が、次々と溢れ出てきて――

 

彼女が口を開いたのは丁度その辺り。

 

『……お別れを、言いに来たのよ』

 

「……」

 

目前を歩く彼女の姿は、最早何の動物も模っていない。

 

『紫の術式によって文字通り器に穴が開けられてしまった。私達の意志とは関係なく、穴の開いた部分から段々と漏れ出ている。残っているのは、多分私だけよ』

 

 その私もそろそろ追い出されちゃうかも、と彼女は振り返って肩を竦める。何時までも中に居ると思っていた彼女も、やはり私の中の蠱毒だったという事だろう。

 

しかしこれで漸く彼等は私から解放される。

 

『勘違いしないように、私達の誰一人として自分から出ようとした子なんて居ないって事。彼等は最後まで、貴女の無事を祈っていたわ』

 

「……そっか」

 

それならば解放されるというのは適切ではない。私冥利に尽きると、そう表現する。

 

「ねえ」

 

『何かしら』

 

「ありがとう」

 

『……此方こそ』

 

彼女は最後に本来の自分――鼠の姿を取って、そうして消えていった。

 

「……」

 

 思えば、彼女が居たから此処まで来れたような物だ。彼女無しでは蠱毒には成り得ず、彼女無しでは輝夜を救えず、彼女無しでは依姫と渡り合うことは出来ず――『私』が居なければ、こうして救われることもなかった。

 

その彼女も、もう私の中には居ない。

 

「……行こう」

 

 

彼女が居なくなった場所を過ぎて、私は道を歩き続ける。

 

歩き続けなければならない気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

けれど、先に見えていたように終わりは訪れる。

 

数年か、数日か、それとも数瞬だったのか。

 

 

私は道の端っこに一人立っていた。

 

 

「……」

 

 もう何もない。靄が掛かっている訳でも薄れ掛かっている訳でもなく、此処でキッパリと途絶えている。その先に見えるのは、どこまで落ちるのか分からない程深い暗がりだけ。

 

どうやら私は此処で行き止まりらしい。

 

「……まぁ、良いか」

 

 もしかしたら唯の夢という可能性だってある。何時かまで時間が経てば、次に目を覚ました時は目の前に誰かが居てくれるのかも知れない。無理に戻ったり進んだりせずに、此処で立ち止まってみるのも悪くは――

 

「『行き止まり』ではありませんよ。貴女の道は、まだ続いています」

 

「……」

 

背後から声。『私』以外の、幼い少女の声。

 

「お久し振りですね、ひよりさん。まさかこんな場所での再会になるとは思いませんでしたが、これはこれで僥倖。あの隙間妖怪の感知出来ない場所というのは、本当に貴重なようで」

 

「……お久し振りです、閻魔様」

 

振り返る。私の道――過去へと続く道に、小さな閻魔が立っていた。

 

短い緑髪、手に持つ悔悟棒、目立つ西洋風の冠。

 

四季映姫

 

「先に言って置きますが、私は紛れもない『本物』です。信じるか信じないかは貴女の自由ですが……まぁ、信じるでしょう。どうやら()()()()()()()()ようですから」

 

 彼女は私ではない何処かを眺めてそう呟く。先に現れた先客というのは、紛れもない『私』のことなのだろう。私はあれが『自身』であることを知覚しているし、故に今目の前に現れた閻魔が本物だということにも頷ける。だからこそ、気になることがあった。

 

「それで、どうして閻魔様が此処に?」

 

 魂の回収にでも来たのか、それとも何か言いたくて来たのか。どちらにせよ、地獄で死者の魂を裁いている筈の者が担当する仕事にしては些か疑問が残る。

 

然程意味を込めていない質問だったのだが、彼女は慌てて両手を振った。

 

「違います、仕事をやっていない訳ではありません。閻魔という職業も思考を必要とする存在故、交代で休み位はあるんですよ」

 

「……休暇で来たんだ」

 

ならば尚更もっと景色の良い場所にでも行けば良かっただろうに。

 

「分かっていて言っているでしょう?……ひよりさん、私があの時八雲紫だけを指して馬鹿と罵ったのは紛れもない本心です。一応、貴女の聡明さには一定の評価を置いていますから」

 

察しろと、そういう事らしい。

 

「……じゃあ、閻魔様は何を聞きにきたの?」

 

彼女が求めているのは魂でも、説教でも、観光でもない。ならば――

 

 

それが私の聞きたい核心。

 

それは彼女が此処に来た本当の目的。

 

 

「貴女の正体についてです」

 

彼女の右手には、束になった紙。

 

 

真っ黒な空間にポツンと伸びる真っ白な道。その上に立つ二人。

 

 

 魂の回収でもなく、言いたいことがある訳でもなく、聞きたい事。そして私の正体を知りたいという閻魔――大体質問の内容は、予想出来なくもない。

 

「平安京があった時代、予定されていた中で唯一回収出来なかった魂があります。その者は本来都から少し外れた山の中で失血と栄養失調により死亡する予定でした。しかし現場に赴いた死神が見つけたのは魂ではなく、焼き払われた小屋と巨大な風穴のみ」

 

まさかそれが巨大な壷だとはその死神も思わなかったのだろう。火を放ったのは、恐らくあの青年だ。

 

「今の所そんな例外はその魂一つだけです。他の死亡が確定している生物の魂は、全て回収してきていますので。言い換えれば、これは地獄が始まって以来の大きな失態とも言えます」

 

「……でも、回収はしないんだ?」

 

 頷かれれば抵抗するつもりはない。やはり本来なら私はあそこで、他の生物達に喰われて死んでいる筈だったのだ。それが今こうして生き永らえている事自体、地獄にとっては厄介な物に映るのだろう。

 

映姫は再び紙束を捲り、やがて首を横に振った。

 

「――いえ、もう随分前に捜索は断念しているそうです。私が此処へ来た理由は、先ほども言いましたが貴女の正体を明らかにする為ですよ」

 

「どういう――」

 

「此処に、彼女についての資料が全てあります」

 

 彼女は手に持っていた紙束を私の目の前へと差し出した。大した厚みではない。それもその筈、生前の私が仕出かしたことなんて唯の一つもないのだから。――ならば何故、こんなにも厚みがあるのか。

 

「彼女の本当の名前、捨てた両親の名前、生まれた場所、一応両親の詳細も、全て書かれていますよ」

 

「……」

 

 子供の頃、何度も夢見た本当の両親の情報。肩に乗っていた数枚の紙が突然圧し掛かり、肩を中心に脈を打つような奇妙な感覚が広がる。まるでこの数枚の紙に、生前の私の願いが込められているかのような――

 

そうか。

 

彼女は態々これを教えてくれようと此処まで来てくれたのだ。

 

「これは私からの餞別です。後は貴女の判断に任せますよ」

 

 

この手が届く場所に、もう一生手に入らないと思っていた物がある。

 

 

私は――

 

 

 

 

白い道には、ただ一人だけが立っていた。

 

 

「……」

 

 映姫が此処を訪れたいと思ったのは別に彼女に伝えたいことがあったからではない。この完結された簡潔な、まさに白と黒しかない先の少女の『世界』へどうしても自らの足で踏み入れたかったからだ。勿論先に交わした言葉も有意義で、休暇としてはそれだけでも十分だと思える程度ではあったが――やはり映姫にとっては、目的は彼女というよりもこの世界にあった。

 

黒と白。他の色は、一切ない。

 

「自分の進んで来た道だけが白で、他は全て黒ですか」

 

それが彼女の人生。

 

 実際にはもっと多くの色が混じる物だ。迷いや葛藤、善悪の価値観によって、生物の道は多種多様な色へと彩られていく。それを白黒ハッキリさせるのが、私達閻魔の役目であるというのに――

 

「……貴女のような存在を裁くのは苦労しそうですね」

 

 ひよりはかつて輝夜を迎えに来た月人を数人殺している。勿論命蓮寺を助けるか迷ったし、周囲と決別をつけるか否かで葛藤もした。その上で、白黒がはっきりしているのだ。 

 

それら全てを含めた上で彼女は自らの道を白と認識していた。だから、世界は白黒に映えた。

 

「さて、そろそろ戻りましょうか。いい加減、あの推理小説にも白黒ハッキリつける頃合でしょう。彼女とは、まだ縁があるようですから。――ところで」

 

一人ブツブツと呟いていた映姫は、チラと視線を背後に遣った。

 

「本当に彼女と話をしなくても良かったんですか?」

 

「……少し、悩んだんだがな」

 

 声を掛けられた影は肩を竦める。閻魔に対して然程畏まっていないその態度は、既に映姫と影が親しい間柄であるという事を暗示して。

 

「その役目は別の私に任せるとしよう。私とひよりの縁はあの時完成されている。ひよりにもアイツにもこれ以上迷惑はかけられんだろうが」

 

影は笑った。死して尚幸せだと言わんばかりに、肩を揺らした。

 

「……では帰りましょうか」

 

映姫が片手をスッと動かす。すると彼女の道とは別の、先が靄がかった白い道が現れた。

 

地獄からの指示は、『ひよりに既に死んでいると偽って魂を回収する』こと。

 

「――あぁ、そうそう」

 

「……?どうした?」

 

靄がかった道で立ち止まり、映姫は後ろからついて来ていた彼女の顔を――その上を、見上げた。

 

「それ、良く似合っていますよ」

 

「――」

 

身長の高い彼女には少々不釣合いではあるが、と内心付け加えて。

 

 

そんな私の心の内など読めないだろう、彼女は自身の頭に手を当てて――

 

「……大切な貰い物だ」

 

後はもう、何も語らない。

 

 

白い花が二輪

 

 

 

そっと彼女の頬から手を放す

 

 

 神社から続いていた紅い雫は森の中を通って私の目の前で止まっていた。それを流し続けていた血の主もまた、同じように私の目の前で止まっていた。死んだようにではなく、眠ったように。苦しんだ様子ではなく、安らかな笑みを携えて。

 

ザワリと一度、大きく周囲の木々が揺れる。

 

私は立ち上がった。

 

「……」

 

 ひよりに背を向けて、とりあえずは神社に向けて歩き出す。彼女の為に急いで社を作ってあげたい気持ちもあるが、神社で泣き崩れていた彌里の方も放っては置けない。背後に居る彼女がどちらを望むのかと問われれば間違いなく後者だろう。

 

まずは彌里を慰めて、それから藍と二人でひよりを寝かせてあげよう。

 

それから

 

それから――

 

 

ゾワリと

 

 

「――っきゃぁ!?」

 

 反射的に背後を振り向き、紫は自身の足元を通り過ぎていく夥しい数の生物に本能的に悲鳴を上げた。蟷螂、猫、蚯蚓、雀、飛蝗、蜥蜴、蛇、土竜、百足、犬、蜘蛛、鼠、蜻蛉、狼、梟――多種多様な生物が、種類の違う動物が、まるで地面を覆い尽くすかのような勢いで広がり……どこか方々へと散っていった。

 

そうして訪れた静寂。安心とは程遠い光景。

 

「……っ、本当」

 

貴女達って何でも出来るのね、その言葉は出ることは無かった。その理由は、驚愕。

 

 紫の組んだ術式により、器自体に穴を開けられた蠱毒はひよりを残して内部から崩壊する予定だった。零れた液体が何時か蒸発するように、彼等もひより無しでは生きていけないと、そう判断しての封印だった。

 

――だったのだ。

 

「器から零れた液体が、それぞれ活動を再開する……もう、意味が分からないわ」

 

「その割には、随分嬉しそうね」

 

突如聞こえてきた声に慌てて周囲を見渡す。ひよりの声ではない。

 

「零れた私達が何時か戻れる日を信じて待つ……これって、そんなに悪いことかしら?」

 

 犯人は直ぐ近くに居た。紫の目の前、その真下。鼻をスンスンと動かし、その長い髭を揺らし、両足で身体を持ち上げて此方を見上げる一匹の小さな――鼠。

 

……そういえば、ひよりは鼠の姿を取ることが良くあった。

 

「いいえ、別に。有り得ないことではあるけれど、とても夢に溢れていると思いますわ」

 

「貴女の夢と同じように、ね……」

 

 ならばきっと、この鼠が彼女の相棒だったのだろう。彼女を最初に救済した、唯一無二の存在だったのだろう。それが別の何かだったとしても、彼女が絶対にその姿を取った程度には。

 

紫は一歩下がって彼女に向って深く礼をした。

 

「有難う御座いました。黙って見るだけに留めて頂けたこと、感謝致します」

 

「それがあの子の意志で、私達の意志だったからよ」

 

鼠は姿を彼女へと変えて不敵に笑った。

 

「賛成五千と九百十二、反対零で可決。後はあの子が安心して眠れるようにしてくれれば、私達としては文句なしね」

 

「……えぇ、必ず」

 

 顔を上げて、彼女の姿をした鼠と笑いあう。これだけ多くの者に期待されて応えることが出来なければ、それこそ妖怪の賢者を名乗る資格なんてないだろうから。

 

少女は満足そうに頷き、そして形を崩した。

 

「それじゃ、さようなら。もう二度とこうして話すことはないでしょうけど、楽しかったわ」

 

「さようなら。何時かまたお話出来ることを、楽しみにしているわね」

 

サラサラと砂のように散って、その後には何も残らなかった。

 

元々一つ分の命を無理に引き伸ばして使用したから……だろうか。

 

でも、どこかでまた会える気がした。

 

「さぁて、のんびりとはしていられないわねぇ」

 

 傘を広げて何時ものように歩き出す。スキマで飛んできたので帰り道が分からなかったが、ご丁寧に地面には紅い印が転々と続いていた。その印を辿り、紫は森を出てから背後を振り返る。

 

 

「……っ」

 

その嗚咽は、風の音に混じって消えた。

 

 

 

 

暗闇

 

 

暗闇

 

 

暗闇を歩いていた。

 

 

「……」

 

 既に先ほどまで見えていた道の端っこは消えて、私は周囲に広がる真っ黒な上を歩いていた。もう先も後も分からない奇妙な空間で、私は映姫に言われた言葉を思い出す。

 

『最初にも言いましたが、貴女の道は潰えていません。それは端ではなく始まりというべきですかね。もしも貴女が進む気であるのなら、試しに一歩踏み出してみてはどうでしょう?』

 

『あ、ほんとだ』

 

『……普通はもう少し危機感を持って乗るんですけど』

 

 

まだ続いている。私の人生は、途切れていない。

 

 

 

 

 

『今までの貴女の人生で行ってきた行為に対して、私はどう判定を下すことも出来ません。妖怪が人を育てることが悪なのか善なのか、そもそも基準が定まっていませんから。我々の法は、常に思考ある人間の全体意識によって作られているんです』

 

『……』

 

『けれどそれが後世どういう風に扱われるかは分からない。もしかしたら私が今勉強している妖怪の常識や裁き方なんて物も、何時かは必要になる時が来るのかも知れませんよ?……そうなったら、その時もう一度貴女に判決を下してあげましょう』

 

『その時は、映姫さんが担当してくれるんだ?』

 

『こんな事を勉強している変わり者なんて私だけですよ』

 

 

そしてこれからの人生も、まだ可能性に溢れている。

 

 

 

 

 

『……皆には悪いと思う。ちゃんと言わないで別れた人も、何人か居る』

 

『……』

 

『だけど、きっと待っていてくれるって考えている私が居る。慢心で、傲慢で、最低かもしれない。それでもそう思える。これが信頼なのかは、分からないけど』

 

『……罪深いことです』

 

『――』

 

『きっと彼等は何時貴女が戻って来ても歓迎してくれるでしょう』

 

 

何よりも、私を待っている友人達が居る。

 

 

 

 

 

だから、歩き続けなければならないのだ。

 

 

『ひよりさん、この先の道はどれ位掛かるか分かりませんよ』

 

分かってる。

 

『戻って来たときには、貴女の知らない世界になっている可能性もあります』

 

それも含めて、楽しみにするから。

 

『……何より、此処からは一人で歩かなければなりません』

 

当たり前だ。私の罰に、どうして他の誰かを巻き添えに出来る物か。

 

 

これが私には丁度良い。『私』が生まれた時と同じ、あの暗闇。

 

あの時は唯待っているだけだったが、今回は違う。

 

 

 

例え一人になったとしても、私は歩き続けるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

孤独と共に歩む者

 

 

これにて完結

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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