孤独と共に歩む者   作:Klotho

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『蠱毒と家族』

そうだ、それこそが事実だ。

 

それで、真実は?

 

 

 暗くじっとりとした空気。空は薄暗く、普段ならば天辺を過ぎた辺りにいる筈の太陽も今は分厚い雲に覆われたまま。風も草木も動物も、この時だけは気配すら見えなかった。まるで空気自体が死んでしまったかのような、そんな錯覚すら覚える場所。

 

赤い鳥居と長い階段が特徴的な、その場所に――

 

音もなく現れる裂け目。音もなく降り立つ彼女。

 

「……」

 

 一度だけ周囲を見回し、目的の者が居ないと悟った彼女は足を進めて神社へと近付く。何時も噛み付いてくる蓬莱人も、常に背後に居てくれる従者も今は居ない。前者は何処かへ出掛けている最中で、後者はきっと家で明け暮れている所だろう。

 

ギシリギシリと音を立てて向拝を上り、今ではすっかり馴染みとなった賽銭箱を横切る。

 

『夢を追うばかりで自分に気がいかないって、紫も変わらないじゃん』

 

 そういえば彼女は博麗神社に居る時決まってこの賽銭箱の上か縁側に座っていたなと、どうでも良い事を思い出す。妹紅か彌里が傍に居る時は大抵縁側、二人が出掛けていたり修行をしている時は賽銭箱の上。

 

試しに座ってみた。

 

此処からでも小さく妖怪の山や人里を確認することが出来た。

 

「……貴女は此処から、普段何を見ていたのかしら?」

 

景色か、鳥居か、修行をする二人か、それとも――未来か。

 

 そっと賽銭箱の角を撫でる。意外と自分の知らない所で賽銭は貰えているらしい、所々に小銭をぶつけられて凹んだ部分が手の平を通して伝わった。ゆっくりと手を放して、今度は本殿の扉を開いて中へと入る。

 

何もない本殿と、何かの神を祭る予定なだけの場所。

 

そこから脇の障子を開けて紫は縁側へと足を踏み入れた。

 

『貴方にも同じ思いはさせたくなかった。だから育てて、こうして一緒に暮らしている。私はそれに後悔もしていないし、今だって楽しいと思ってるよ』

 

 この場所でひよりと彌里は本物の家族になった。きっと私が彼女の代わりに育てたら、そうはならなかっただろう。妹紅でも、稗田でも、藍でも――他の者では、あの子の家族になることは出来なかった筈だ。

 

足を止めて、左手に見える障子を開いて中へと入る。

 

「こうして見ると三人で住むには広いわねぇ……」

 

 言葉は虚しく響き渡った。この神社の主であるひよりも、その娘の彌里も、居候の蓬莱人も居ない。灯も点いておらず、まるで()()()()()()()()()()だと苦笑。紫はそのまま部屋を進んで、奥にそびえ立つ襖の前に立つ。

 

何時も通りであればひよりや彌里が寝る時に使う寝室。その襖には結界が張られていた。

 

「……」

 

容赦なく手を伸ばし、一瞬札が拒絶反応を見せて紫に反発……すぐに灰となって崩れ落ちる。

 

横に引いた。

 

 

壊滅。

 

 

 まるで物目的の強盗に入られたかのような部屋の有様。箪笥は倒れ、奥の襖は曲がり折れ、壁紙の所々は獣の爪で裂いたような跡。紫の足元にまで転がっていた何かの実は、その周囲に散らばる恐らく布団だったらしい布切れと共に推測して枕の中身だったのだと予想する。

 

留守を狙った強盗ではない。犯人はまだ、そこに居るのだから。

 

「――彌里」

 

「っ!」

 

 部屋の中心で此方に背を向けて座り込んでいた少女の名を呼ぶ。すると彼女はまるで怒られた子供のように大きく肩を揺らした。……そうして暫くして、彼女はまるで自分が悪いことをしたかのように恐る恐る此方を振り返る。

 

「紫、さん」

 

 喉を痛めてしまっているのだろう、酷く掠れた声で彌里は紫の名を呼んだ。振り向いた彼女の頬には既に乾いた涙の跡。手先は壁や家具に八つ当たりした時に傷つけてしまったらしい、紅い雫が手先から畳みへと滴っている。

 

良く見れば、それらは何も彼女の腕力だけで成された物ではないのだろう。

 

「もう、妖怪退治以外で札を無駄遣いしちゃって。また作るのは面倒でしょう?」

 

「……」

 

彌里の周囲に落ちている細切れになった霊符。それらを使って、この惨状を作り上げたらしい。

 

「とりあえず怪我の手当てから――」

 

普通の人間よりも丈夫とはいえ、彌里は人間。

 

そう思いながら彌里の方に近付いて、気付いた。

 

 

彼女の後ろに見える、この部屋で唯一彼女の影響を受けていない品々。

 

 

裁縫箱と、一人分の布団。

 

 

「……彌里、貴女」

 

「ねぇ、紫さん」

 

枯れている筈の喉は、それでもハッキリと。

 

「……どうして、母様は私に封印して欲しいと頼んだのでしょうか?」

 

紫ではなく、彌里に。

 

「……」

 

「……」

 

 封印自体はきっとどちらでも出来る。彌里が選ばれた理由は、多分彼女が語らなかった彼女なりの考えが原因なのだろう。それについてひよりは紫にも彌里にも話そうとしなかったが。

 

しかし、考えられるとすれば――

 

「……例えば、ひよりを邪魔だと思っている妖怪達。彼等が畏れた存在を封印したのが貴女という話が広まれば、博麗神社とその巫女の優位性は上がるでしょうね」

 

今後の博麗神社と彌里の為。

 

「これも似ているけど、不満を持つ妖怪達を満足させる事で幻想郷作りを円滑に進めることが出来る。これは私の夢でも彼女の夢でもあったから、可能性としては充分にありえるわ」

 

幻想郷の実現と私の為。

 

 

こうして並べてみれば、彼女の決断が如何に考え尽くされた物なのかが分かる。

 

だけど、きっと――

 

「でも、貴女の為というのは間違いないでしょうね」

 

「……え?」

 

紫は部屋の中央で座り込む彌里の前で膝を折り、彼女の頬にそっと手を添えた。

 

「私が本気で動けば彌里が封印したように見せるのは簡単よ。それはきっとひよりも気付いていたでしょう。……なのに、私ではなく貴女に頼んだ理由は何故かしら?」

 

「……」

 

「もう一度自分でよく考えて御覧なさい」

 

 俯いて思考を始める彌里。紫はスキマを開いて中から包帯と水を取り出し、手を掴まれたことにも気付かず考え込んでいる彼女の応急処置を始めた。

 

「……」

 

「かつて私はこう言った。『ひよりは何時までも此処に居る事は出来ない。里の人達に気付かれる前に去らなければならないから。その前に貴方へ伝えるべき事を一生懸命学んでいるのよ』……覚えているかしら?」

 

「……」

 

「一つだけ、まだ貴女に教えていないことがひよりにはあったのよ――っと、お終い!」

 

包帯で綺麗に巻かれた両手を放し、紫は立ち上がって寝室から出た。

 

「今の所、彌里の周囲で()()を教えてくれた人は居なかったわ……いえ、教えることの出来る状態の人が居なかったと、そう表現すべきかしらね」

 

 彌里がひよりを封印することを決断しなかった場合は恐らく私が手を下すことになるのだろう。そうでなくてもひよりを封印するとなれば生半可な準備では上手くいかない可能性もある。とりあえずは一度藍と相談しよう、そう考えて紫はスキマを開く。

 

けれど、私の出番はないのかも知れない。

 

「――紫さん」

 

 スキマへ入ろうとした紫の『すぐ後ろ』から彼女の声。スキマに入ろうとしていた紫はその足を止めてその場で反転し、何時の間にか真後ろに立っていた彌里と向き合った。

 

その瞳に困惑と悔恨と、覚悟を携えて。

 

「答えが出たのかしら?」

 

「……私が母様を封印します、手伝って下さい」

 

 

暫くの沈黙の後、スキマは誰も通すことなく閉じられた。

 

 

 

博麗神社の綺麗な石畳に、その灰色には似合わない真紅の飛沫が散る。

 

「……彌さ、と」

 

「――っ!」

 

 振り返れば両腕を真っ直ぐ此方へと伸ばした状態で私に寄り掛かる彌里の姿。その腕を辿っていき、ゆっくりと顔を正面へと戻し、私は鋭く焼けるような痛みを放つ腹部へと視線を落とす。

 

突き出た両腕とその周囲に飛び散った――血。一体、誰の?

 

私だ。

 

「がっ、くぅ……」

 

 意識した途端に激しい痛みが全身を駆け巡る。依姫に殺されかけた時よりも、もっと痛い。痛い、痛み。数百年振りにもなる懐かしい痛み。まるで自分の中に蠱毒が居なくて、まるで一人の人間が腹を貫かれたかのような感覚。いや、これは――

 

文字通り、私一人になってしまったという事か。

 

呼びかけても反応がない蠱毒達。内部に一切が居ない奇妙な感覚。

 

「み――ゲホッ、うぅ、あ」

 

そうか、腹を貫かれるとこんなに喋り辛いのか。

 

言葉の代わりに口から飛び出た鮮血を無視して、私はもう一度だけ背後を振り返った。

 

「……かあ、さまぁっ!」

 

涙と鼻水でグシャグシャになった顔で、まるで子供のように声を出しながら泣く彌里。

 

 でも、子供の頃に泣きついてきた時の涙ではない。彼女に私の気持ちを打ち明けた時の涙でも、ない。きっと今彼女は一人の娘として、母親の私に涙を流してくれているのだろう。

 

「そだてでくれて、ありがどうございました、っ!」

 

「……うん」

 

――それで、良いのだ。

 

「わだし、がんばりますがら!」

 

「……う、ん――っ!」

 

彌里なら、きっと大丈夫だから。

 

 ゆっくりと腕が引き抜かれ、先程まで腕が生えていた場所から代わりに真っ赤な液体が零れ出す。もう体内に彼女の何も残っていないというのに、私の身体を蝕む霊力は消えなかった。熱く鈍い痛みを訴える腹部と気だるい体に鞭打って、私は体を背後へと向ける。

 

何時の間にか私の身長を通り越して佇む、彌里の姿があった。

 

「すこ、し……寄――」

 

「……はい」

 

 言葉を言い切る前に、彼女は一歩進んで私の目の前で屈む。そうして目を合わせて、私は彼女に伝えたかった事がちゃんと伝わっている事に気付いた。それは私以外の誰にも教えることの出来ない、私が教わることの出来なかった物。

 

「……う、うぅぅぅっ」

 

目を合わせているだけで、またポロポロと涙を流し始めてしまう彌里。

 

「泣か……ない」

 

「っ、はいっ!」

 

 そっと彼女の頭を抱き寄せて、私は自身の頭につけていた髪飾りをそっと彼女に挿す。出来れば位置も調整してあげたかったが、どうやらそこまで叶えることは出来なさそうだ。

 

段々と力が抜けてきた手を頭から降ろし、彌里の頬に手をあてる。

 

「じゃあ、そろそ、ろ」

 

 彌里は両手で顔を押さえたまま頷いた。これでは手についた血で顔が汚れてしまうだろう、そう注意しようとして――やめる。まるで狂人のようではあるが、実際狂っているのかも知れないが、如何にも私にはそれが嬉しいことのように思えた。

 

彌里の頬から手を放し、私は先程と同じく博麗神社に向って歩き出す。

 

「……っ、はぁっ、はぁっ」

 

 違う点があるとすれば、それはやはり腹の痛みと思い通りに動かない身体位か。出血は未だに勢い衰えず、足は重く意志とは勝手に息が切れる。この場合は、命が切れ始めているといっても良いのか。背後の彌里が少しだけ気になったが、それで足を止める事は出来なかった。

 

此処で死ぬ訳にはいかないのだ。博麗神社は、私の墓には出来ない。

 

私は神社の脇を通り越してその先――恐らくは何もないだろう広大な森へと身を投じる。

 

 

『おかあさん』

 

遥か遠くから聞こえた幻聴。

 

 

 

 

「……」

 

「此処までが、当時ひよりを封印される事を望んだ妖怪達が知っている部分。つまりは八雲紫が報告した一つの事実。勿論大まかな流れだけで詳細は話していないでしょうから、本当はもっと色々な遣り取りがあったんでしょうね」

 

文は肩を竦めた。やってられないと、やりきれないと言わんばかりに。

 

「こんな真実を知る位なら、そりゃ体面だけの事実を綴った方が遥かに楽よ。自分だけで完結してしまえば、それが一番楽でしょうし」

 

「……内面を知れば同情と憐憫が生まれる、生まれてしまえば頭から離れない、だから妖怪は基本的に他の種族や出来事には感心が薄い、ですね」

 

 頷きもしなかったが、否定もされなかった。そりゃそうだ、彼女は新聞記者で、故にある程度は他者の領域に踏み込まなければ書く事が出来ない……まさか、書いてしまうのか?

 

「だから真っ当な妖怪なら同胞の死でもそんなに悲しむことは少ないんじゃないかしら?」

 

――と、脱線してしまう所だった。慌てて射命丸に視線を戻し、彼女の発言を思い返して私はふとある事に気付いた。

 

「……それ関係で質問なんですけど、ひよりさんは何処に封印されているんでしょうか?」

 

 風見幽香が颯爽と席を立つことによって回避したこの質問。博麗神社で娘によって腹を貫かれた彼女が、一体何処で力尽きたのか。大体の予想は付いているが、それでも誰かの確証が欲しかった。もしもこの身体が何時でも動かせるのなら、自分で探しに行くのも悪くは無かっただろうが。

 

射命丸はほんの少しだけ沈黙し、やがて溜息と共に口を開いた。

 

「実は、ほんの一週間前に彼女の元を尋ねたんです」

 

一週間前。射命丸文が当代博麗の巫女について取材した新聞を出したのは、その数日後。

 

「何時行っても絶対に新しい花が添えてあるんですよ。試しに一晩中張り込んでいた時も、気付いたら新しい花に挿げ変わっていましたし。そんな芸当が出来る人物なんて一人しか居ませんから、極力この話はしないように避けてたんですけどね」

 

「……」

 

八雲紫

 

 スキマと呼ばれる不可思議な領域を操る、境界の妖怪。彼女はしょっちゅう博麗神社に出入りし、そこに住む当代の巫女が怠けたりしないように見張っているとかいないとか。

 

――そうか。

 

やはり、そこにあるのか。

 

「貴女も暇なら神社の『周辺』を探索してみれば?きっと思いも寄らない物が見えてくるかも」

 

「……そうですね」

 

 その時には私も何か花を挿しに行くとしよう。あの二人を想うのならば、『百日草』なんかが良いのかも知れない。ニヤニヤと意地悪く笑う射命丸を無視して、私は暫くの間何処かにあるのであろう彼女の封印場所について思いを馳せた。

 

きっと彼女らしい静寂と静謐に包まれているに違いない。

 

「……そろそろ、続き良いかしら?」

 

「……えぇ、有難う御座いました」

 

 

感傷は訪れたときにゆっくりと。そう心に決めて、私は射命丸の話に耳を傾ける。

 

 

「ねぇ」

 

「……」

 

 一人去って静かになった博麗神社の縁側に、親子ほどの身長さがある二人が座っていた。一人は紫の服と長い金髪を風に揺らし、もう一人は黒い衣と黒髪を夕陽に照らす。二人の距離はそれ程開かず、けれど近くはなかった。

 

背後には乱暴に開かれた障子と、何かの衝撃で倒れてしまった卓袱台。

 

「彌里、泣いていたわよ」

 

「……」

 

先ほどまで此処にいた少女は、今頃何処かで一人涙を流しているのかも知れない。

 

それが隣に座る彼女の娘である故に、紫はどうにもやりきれなかった。

 

「どうにかして誤魔化せないかしら?また幽々子の時みたいに分身を作って目の前で殺してみるとか、別の何かを使って説得したりとか――」

 

 それに、何もこんな急に決めなくても良い事だろう。もっと良く考えれば、彼女が封印されなくても大丈夫な方法なんて幾らでもある筈なのだ。それを急かしているのは、他でもない――

 

「紫」

 

「……」

 

隣に座る、彼女自身。

 

「……皮肉というか、不思議だよね。昔は危険だって命を狙っていた紫が、こうして私を助けようと頭を捻らせてくれているなんてさ」

 

「仕方ないじゃない。試しに懐に入れてみたら、予想以上に――その、暖かかったのよ」

 

 今でなら単純に友人と言えるひよりでも、昔は命を狙い狙われる関係だったのだ。それを変えたのは紛れもない彼女自身で、変わったのは私で、故に私と彼女は友人となれた。

 

そんな数少ない友人が一人、また私の前から姿を消そうとしている。

 

「……それとも、友人の心配をしちゃいけないのかしら?」

 

「心配は嬉しいよ。それでも、私は譲れない」

 

隣に座るひよりを見る。彼女の瞳には、強い決意の光があった。

 

「紫だって分かってるでしょ、これを逃したらきっと幻想郷作りは円滑には進まない。紫の理想も私の理想も、遥か彼方の幻想になってしまう。それだけは、嫌だから」

 

 確かに何かと反発してくる妖怪達を黙らせるには絶好の機会だ。彼等の望みを叶えてやれば、それだけ彼等も私達に従わざるを得なくなるだろう。妖怪側の協力が得られれば、幻想郷作りは確かに進む。

 

けれど

 

「それを見ずに貴女は居なくなるつもり?」

 

「……」

 

「貴女はっ!彌里を見捨――」

 

その先の言葉は言えなかった。

 

彼女が私の首に両手を回し、まるで抱きつくかのようにしがみ付いて来たからだ。

 

「『――――』」

 

「――っ!」

 

僅か三秒にも満たない短い時間。

 

 一気に首に回されていた両腕が解かれ、私が身を仰け反らせる頃には再び縁側に座って外を眺める少女の姿。初めて飛びつかれた緊張や驚きよりも、私は先ほど彼女に囁かれた言葉が頭に焼き付いて離れなかった。

 

まさか、貴女は――

 

そんな理由で、封印を受け入れるつもりなの?

 

 

 

少女は紫の心を見透かしたかのようにやがて口を開いた。

 

「……私が手に入れられなかった物は全て手に入れた。人間の頃には一生無理だと思っていた物が、今こうして私の周囲にある。だったら、夢の一つ位他の人に託したって良い。それくらいには、満足しちゃったんだ」

 

 

「友達とか」

 

 

「夢を共有出来る仲間とか」

 

 

「師匠とか」

 

 

「帰って来れる家とか」

 

 

「家族とか、さ」

 

 

少女は笑う。

 

幸せを噛み締めるように、笑う。

 

「だから私は教えなくちゃいけない。妖怪の為でも人間の為でも幻想郷の為でもなく、大切な家族の為に。私が知らなかったことを知って、それでも彌里が幸せに生きられるんだったらこれ以上嬉しいことはないよ」

 

「……」

 

「その為だったら、私は再び孤独に戻っても良い」

 

 もう一度だけ隣を見る。少女は正面から差し込む夕陽を見て眩しそうに目を細めていた。その姿はとても、自ら封印を望む者の姿ではない。

 

……。

 

「ねぇ」

 

「何」

 

「……封印の話、引き受けても良いわ。彌里が拒んだら、私が代わりに封印してあげる」

 

 

「――その代わり、一つだけ条件を飲みなさい」

 

 

 

 

ズルリと、何かを引き摺ったような音が無人の森に響く。

 

「……ふっ、ぅ」

 

ひよりだった。

 

 森の中ではかなり目立つ黒の着物を真紅に染め、腹部は固まった血と流れ出す血で赤黒く染まり、その頭には何時も着けていた髪飾りすら無くなって。真っ青な顔で、息を切らし、けれど瞳だけは開いたまま、少女は一本の大樹に背中を預ける。

 

背中を預けたときに穴の開いた部分も擦った筈なのに、もう既に痛みは無くて。

 

「……」

 

 このまま目を閉じてしまえば、それで何時までも眠れる気がした。きっと何処で野宿したときよりもグッスリ眠れるだろう。無理に瞼を開けている必要もない。ほら、力を抜けば――

 

何時までも

 

「――あらあら、そんな所で寝るつもりなのかしら?」

 

彼女は、そこに居るのだから。

 

「……ゆか、り」

 

「貴女に仕込んだ術式は完全に貴女を対策する為の物よ。器となる貴女に穴を開けてしまえば、蠱毒達は自然と漏れでてしまう。器から零れた液体は、何時か蒸発してしまうでしょうから」

 

 瞼は開いている筈なのに周囲は暗く、彼女の姿を確認することは出来ない。最早彼女の声以外分からなくなってしまった世界で、私は唯一聞こえる彼女の声に耳を傾けた。

 

声は暫くの間を置いてから、再び聞こえ始める。

 

「流石に貴女をこのまま置く訳にはいかないから、此処には社を建てる事になるでしょう。次に目覚めたときは低い天井に気をつけなさい。……まぁ、貴女の身長なら大丈夫でしょうけど」

 

「……」

 

「ちょっと、聞こえているの?」

 

聞こえていると、そう答えたのに聞こえてくるのは彼女の声だけ。

 

「……まぁ、良いわ。だったら本当に眠る前に、二つだけ伝言を伝えて置こうかしら」

 

「……」

 

ザクリと一歩、彼女が此方に近付いてくるのが分かる。

 

「再会は約束したのだから、言う必要はないのでしょうけれど」

 

ザクザクと歩き、恐らく彼女は私の目の前に。

 

「だけど、もう一人の方があるからついでに伝えちゃうわね」

 

 

「『お前が此方側に来るのはまだ早い』……それと――」

 

 

 

「――ありがとう、ひより」

 

暖かい手が、私の頬に触れた気がした。

 

 

 

「有難う御座いました、文さん」

 

「いえいえ、稗田家はお得意様ですからね。これ位ならお安い御用ですよ」

 

 自慢だという背中の大きく黒い翼をバサリと動かし射命丸は胸を張る。私はそんな彼女から離れて縁側に上がり、自分の部屋の障子を開いた所でもう一度背後を振り返った。

 

「宜しければ今度一緒に博麗神社へ遊びに行きませんか?」

 

「あややや!阿求さん一人だと博麗の巫女が付き纏うから私を盾にするつもりでしょう?……まぁ、次の新聞を配りに行くついでだったら考えてあげましょう。お得意様ですし」

 

そう言って射命丸は翼を広げて、星々が輝く夜空へと――

 

「――おぉっと、そうでした!」

 

「……?」

 

今にも飛び立たんとしていた勢いの射命丸は急に動きを止めて、クルリと此方を振り返った。

 

その顔には、悪戯を成功させた子供のような笑顔。

 

「全てを突き止めた阿求さんに最後の問題です。……博麗の巫女が代替わりし、稗田に新しい当主が生まれ、吸血鬼がやってきて、冥界が現れて、唐突に異変と呼ばれる怪奇現象が発生し始めた――さて、どうしてここ数年でこんなに様々な出来事が起こるようになったのでしょうかっ?」

 

「――え」

 

射命丸は此方に背を向けたまま、その表情だけを楽しそうに歪ませて顔だけ向けて。

 

 

「案外、そう遠くないのかも知れないわよ?」

 

 

 

 

「……」

 

私は懐から今までの話を纏めた手記を取り出し、全ての人物から聞いた彼女の話を思い出す。

 

様々な出来事に巻き込まれやすい。内外含めて様々な変化をもたらした彼女。

 

その彼女が眠る祠は博麗神社に位置し、博麗神社は博麗大結界を管理する為の場所。

 

「――まさか」

 

 思わず私は夜空を越えた先にある神社へと視線を向ける。一度は本人の前で出した結論だとしても、まさかこうも早く予兆を感じることになるとは思わなかった。もしも彼女の話が全て繋がっているのであれば、八雲紫が博麗神社に頻繁に出入りしている真の目的は――

 

もしかしたら、そう遠くない内に幻想郷縁起の新たな頁が作られることになるのかも知れない。

 

「……まだまだ話を聞く必要がありそうですね、あの人には」

 

 

話を纏めるのはまだ先の話になるだろう。私は手記と黒炭を再び懐へと仕舞って障子を閉めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして

 

 

 

人の手の入っていない森に一人の少女が足を踏み入れる。

 

 

 すぐ傍に住んでいる怠け者の巫女ですら近付かない場所だった。妖怪も居ないが、人も居ない。何か眺める物がある訳でもなく、大空を眺められるような場所でもない。あるのは鬱蒼と生い茂る木々草花と、細い一本の獣道だけ。

 

少女は右手に一輪の花を掴んでいた。

 

「……」

 

 目の前に垂れ下がる雑草をガサリと掻き分けて、少女は遂に目的の物を視界に捉える。そのまま勢い良く駆け出し、半ば転びそうな勢いでそれの目の前にまで近付き、そっと膝を折り曲げて正座をした。

 

「はぁっ……はぁっ……見つけた」

 

目前に佇むのは小さな社。

 

 別段何か特徴のある物ではない。簡素で、小さく、開けたら地蔵や小さな仏像が入っていそうな、そんな社。けれど、それが纏う静謐だけは、彼女の肌にヒシヒシと伝わって――

 

「……ありがとうございました」

 

 少女は深く頭を下げた。それが一体何に対する礼だったのかは自分にも分からなかったが、兎に角彼女は感謝した。この状況に、彼女は感動していた。

 

全く寂れた様子のない社に。

 

毎日誰かが此処へと通っていたのだろう、一本の細い獣道に。

 

暫くの沈黙と静寂を経て、少女はゆっくりと頭を上げる。

 

「……あれ?」

 

此処へ来て初めて彼女は己の内に仕舞っていた自分を露にした。

 

少女の目の前に建つ小さな社に

 

美しい紫色の花が一輪、手向けられていたのだ。

 

「――」

 

 少女は周囲を見回す。先ほどまで自分が来たときに置いてあったのは、それもまた綺麗な『黄色の花』だった筈なのに。

 

《紫》の花は、まるでそこが定位置であるかのように綺麗に置かれていた。

 

「……今日だけは私も混ぜて下さいよ」

 

少女は社に手を伸ばし、暫くの間何かを弄くり回すように腕を動かす。

 

「っと、良し!」

 

 そうして立ち上がった彼女は一度社に頭を下げてから立ち上がり、クルリと背を向けて元の道へと踵を返した。今度は走らず、ゆっくりと踏みしめるように。

 

 

ザクザクと音を立てて、少女の姿は社から段々と遠ざかっていく。

 

 

 

 

 

 

 

その前に作られた、供物を捧げる為の石棚に

 

 

紫と橙の美しい花だけを残して

 

 

 

 

 

 




あとほんの少しだけお付き合い下さい。

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