孤独と共に歩む者   作:Klotho

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多分あと二話で完結します(唐突)


『蠱毒と決別』

親を見て子は育ち、親を看て子は巣立つ。

 

 

とある場所に、一人の女が立っていた。

 

 

 西洋風の紫のドレスを身に纏い、ふわりとした大きな傘を差し、その姿を周囲で散る桜に馴染ませるように、彼女は鳥居の下に立っていた。目前には地の底まで続くような長き階段。背後には最早自身の家と表現出来るほど見知った神社が姿を覗かせている。

 

けれど、その神社は廃れていた。

 

落ち葉一つなく、柱に傷一つなく、石畳の欠損一つなく――

 

廃れていた。

 

「紫様」

 

 そんな場所に立つ女の背後に一人、何処からともなく何者かが現れる。白の東洋系の導着に、藍色の前掛けを付けた金の髪の女。此方は、先の女とは違いその天辺に特徴的な二つの耳を生やしていた。背後から見えるは幾つかの尻尾……間違いなく、人間ではない。

 

八雲藍と、彼女はそういう名前だった。

 

「紫様」

 

藍はもう一度主の名を呼んだ。今度は先よりも優しく、壊れ物を扱うかのように。

 

「……何かしら?」

 

「『二代目博麗の候補』は見つかりました。後は、我々の教育次第です」

 

 そこまで言って、藍は言葉を止め主の背中を見遣る。初めて出会った時から読めず不気味だったその背中が、何だかとても小さい物のように見えてしまっていた。

 

きっと私の背中もそうなっているのだろう、そう思い自嘲。

 

「そう、ご苦労様」

 

「……」

 

 けれどそれ以上に彼女は酷かった。深刻と言っても良いのかもしれない。既に普段の『八雲紫』は消え失せ、残っているのは後悔と自責の念に苛まれる少女の心のみ。目も当てられないと、きっと彼女を知る友人達ならばそう言っただろうが――

 

「何か、悩んでいるように見えます」

 

 この人こそが私の主で、私はこの人に仕える従者なのだ。ならばやる事は、一つしかない。

 

「……」

 

「余り込み入った理由ならば聞きませんが、出来れば教えて頂きたいです。……今の紫様は何だか何をやっても上手く行かないような気がしますから。それは、私の望むところではありません」

 

見えてはいないだろうが、それでも深く頭を下げる。

 

藍は紫の言葉を待った。

 

「……ねぇ、藍」

 

「なんでしょう」

 

頭上から聞こえてきたのは、酷く弱々しい少女の声音。

 

 顔をゆっくりと上げる。相変わらず彼女は眼下に広がる桜色の世界を眺めたまま、その顔を此方に向ける気配はない。けれどその心は、間違いなく背後の藍に向いていた。

 

「私は幻想郷を作る上で常に最良の選択をしてきた。今振り返ってみても間違いはなかったし、幻想郷を作るためには欠かせないことで、それらは実際に幻想郷の成就を早めた、でしょう?」

 

「仰るとおりです」

 

「でもね――」

 

紫は一度間を置く。一陣の風と花弁が二人の間を吹き抜けた。

 

「今になって思うのよ、『本当に正しかったのだろうか?』ってね。少なくない妖怪を計画の為に殺して、少なくない人間を理想郷の為に減らした。私欲の為に倫理を超えて友人を助けて、その友人の持ち物を使って勝手に交渉したわ」

 

「……」

 

「自分の夢と友人を天秤に掛けた。そして、夢を取った。それが友人の夢でもあり、彼女もそれを望んでいたから」

 

「紫さ「えぇ、分かっているわ」……」

 

まるで自分に言い聞かせるかのような。

 

彼女は傘をクルリと回し、その上に積もっていた桜の花弁を振るい落とした。

 

「もう、後戻りは出来ないのよ」

 

振り返った時には、もう普段の不敵な笑みを浮かべて。

 

「まだまだやる事は沢山ある。二代目の件もそうだし、いい加減『この地域を隔離』する方法も検討したり、ね。少なくとも、暫くの間は休みなしよ。だから――」

 

 不敵な笑みはクシャリと崩れた。傘を放り投げて、前のめりになって、転がるようにして彼女の全身が藍と衝突する。それを軽々と受け止め、藍はそっと彼女の背中に手を回した。

 

「だからっ、今日だけは――」

 

「……」

 

 きっと彼女がこれ以降素の姿を見せることはないだろう。私と二人きりでも、二代目博麗を育てる時でも、一人の時でも。既に彼女が自分らしく生きるための全ては、失われてしまったのだ。少なくとも、彼女達が夢見た理想郷が実現するまでは。

 

だから結局、私のやる事に変わりはない。

 

「――承知致しました」

 

感情を押し殺し、後悔を振り切り、ただ彼女を支え続ける。

 

 

涙が一筋、頬を伝った。

 

 

「ひより、貴女何か隠し事してるでしょう?」

 

 その言葉と共にズシリと背中が重くなる。ついでとばかりに私の読んでいた本に垂れてくる黒髪を払い除け、私はチラと背後の輝夜に視線を遣った。

 

読書をしている筈の彼女と、目が合う。

 

「普段なら、そんなに気にしないんだけど」

 

読んでいたらしい本をバサリと放り、輝夜は目を閉じ溜息を吐いた。

 

「何だか、嫌な予感がするのよねぇ。反応しない辺りがもう普段とは違うって気付いてる?どうせ聞かれなきゃ答えないつもりだったんでしょう、とっとと答えなさい」

 

「……」

 

 五百年前も、彼女は無造作に私と陰陽師の事を言い当てた。久し振りに会った時も、彼女は何も言わずに私の言いたいことを理解してくれた。もしかしたら、もう気付いているのかも知れない。

 

それでも、少しだけ怖かった。

 

「……暫く会えなくなるかも知れない」

 

「あら、そんなこと?」

 

「次に会えるのが何時になるか分からない。もしかしたら、もう会えなくなるかも」

 

「……」

 

 背後の輝夜が笑みを消したのが分かった。次に来るのは罵声か憤怒か、どちらにせよ間違いなく怒られるだろう。私は本を置いて輝夜が何時暴れても良いように備えた。

 

しかし――

 

「会えなくなる、ねぇ……」

 

冷静な声。

 

暫く互いに背中だけを合わせ、次に口を開いたのは輝夜。

 

「それで如何して会えなくなるのかしら?」

 

「……」

 

「別にどうこうするつもりじゃないわ。ひよりがそう言ったって事は、もう回避が出来ないんでしょうから。何時までかは分からないけどひよりは私と会えなくなる――これは最低限の絶対条件。私が知りたいのは、その理由よ」

 

そして今度は不敵な笑みを浮かべる。してやったりと、そう言わんばかりに。

 

 

……こういう時だけそうやって引き際を悟るのは、少しズルイ。

 

 

 

 

「封印、ねぇ……」

 

「まだ誰かに何か言われた訳じゃ、ないけどね」

 

決め手は、月面侵攻を止めた時の依姫の言葉。

 

 対峙する依姫からではなく()()()()畏れを感じたのは、きっと勘違いではない。彼女の言葉によって、改めてそれを理解する事が出来た。まるで底の見えない穴の上にあった薄氷を踏み続けていたかのような偶然は、粉々に砕け散ったのだ。

 

後はもう落ちるだけ。其処から這い上がって来れるかは、分からない。

 

「……納得いかない。それって、向こうを如何にかすれば解決する問題でしょう?」

 

「……」

 

 彼女の言うことには一理ある。結局は私が姿を消してしまえば解決する問題なのだ。この紫が幻想郷とする予定の地から離れ――例えば、ぬえの居る地底やマミゾウの住む佐渡島なんかに行ってしまえば、その問題は解決するだろう。

 

……けれど、そうではない。

 

「時間が来た」

 

「――」

 

「五百年前に死に損ねた代償を、払う時が来た。きっと今逃げても、私が生きている限りまた直面する。今を逃したら、多分私は気持ち良く消えることが出来ない」

 

 向こうの問題ではなく、私の問題。今まで無視し続けて――見えない振りをしていたそれらが、一気に牙を剥いた。私はそれが、どうにも怖くなったのだ。

 

即ち、それは――

 

「ひよりの娘さんかしら?」

 

「……まぁ」

 

 背後の輝夜がケラケラと笑うのを感じて私は視線を外へと逸らした。気恥ずかしいというよりは、申し訳ない気持ち。つまり私は、輝夜や他の友人達よりも彌里を取ると、そう言っているのだから。

 

それでも、これだけは譲ることが出来ない。

 

「……うん、うん。言いたいことも分かるし、共感も出来る。これで納得よ……『家族』の為だって言うなら、それを止める資格は私には無い」

 

 少しだけ悔しいけど、と言って輝夜は私の背中から身体をずり落として横へと転がった。チラリと視線を輝夜に移せば、そこには嬉しそうな輝夜姫の姿。

 

「ひよりが家族を手に入れられて良かったわ」

 

「……ごめん」

 

「私の方は別に良いのよ。死ぬ訳じゃないのなら、何時かまた会える。少なくとも前回はそうだった……でしょう?だから、何とか封印程度で留めなさい」

 

嬉々とした表情が、狂々とした表情へと変化する。

 

「そうじゃないと私は貴女の方を取るわ。その時はもう駄目、ひよりの封印が解ける時まで時間を飛ばしてでも迎えに行くから。少なくとも私と永琳と妹紅は残るでしょう」

 

「輝夜」

 

「冗談……でも、さっきのは本気よ」

 

何時かまた会える。何故かそれは不可能ではない気がした。

 

「……じゃあ、約束でもする?」

 

「あら、良いわねそれ。今の所全部守ってくれている訳だし――はい」

 

 下から差し出された輝夜の小指を見つめ、私は少しだけ昔に想いを馳せる。この約束を交わしたら、代わりに村紗との約束を破ってしまうかも知れない。

 

――いや

 

その約束は、必ず果たす。

 

「ん」

 

私は輝夜と指を絡ませた。

 

「じゃあ約束、何時か再び私に会いに来なさい。私は貴女が再び訪れるまでこの亭が永遠であることを約束しましょう」

 

「約束。何時かまた会いにくる。その時は、永遠と程遠い変化を持ってくるから」

 

ゆっくりと離す。

 

 

「それじゃ」

 

「えぇ、また」

 

 

 

あまりに日常的で、故に思い出として残ることすら無い彼女との他愛ない話。

 

けれど、今日だけは。

 

 

 

 

降り立ったのは無機質で堅い岩々の群れ。

 

最早見慣れたと言っても良いそれから飛び降り、目前に立っていた彼女と対峙した。

 

「きっかり一月、真面目だねぇひより」

 

「久し振り、ぬえ」

 

軽く言葉を交わしてから歩き出す。

 

 当時ぬえを助け出した際に同時進行で行われていた鬼の地底移住計画。伊吹萃香を筆頭とする星熊勇儀と他の鬼達の殆どが地底へと移り住み、そこで封印されていた妖怪達と共に暮らしているらしい。その時の交渉には不参加だったのだが、紫と閻魔様の取引の結果そうなったようだ。

 

それにしても……

 

「見に来るたびに発展してる、よね?」

 

 眼前に広がるのは京の都と殆ど変わらない家々。その所々が建設中とはいえ、僅か二年で此処まで住処として作り変える力には素直に驚く――が、横を歩くぬえに視線を遣ると、彼女は少し困った風に頬を掻いた。

 

「作るのは皆上手いんだけどさ、話し合いは大変だったんだよ」

 

 つまりこういう事だと、ぬえは家屋の一つを指す。最初に建物の形について発案したのは萃香で、彼女は人間の家は便利だからそれと同じ物を作ろうと言ったらしい。

 

 それに反対したのが勇儀や他の鬼達……即ち身長や体格が大きい者達。家屋の天井が低い、入り口が小さいと反発したのだが、何故かそれを敵対と見なした萃香がへそを曲げて話し合いは停滞。半月前までは岩に転がって過ごしていたという。

 

……まぁ、萃香の言いたいことが分からない訳ではないのだが。

 

「それで、結局どうしたの?」

 

「それぞれに合わせた大きさの家を作るってことになったの。……まぁ、これも一悶着あったんだけど」

 

これは聞かなくても分かる。大方萃香の家の大きさについてだろう――と。

 

噂をすれば何とやら、前方に見覚えのある捩れた二本角の姿。

 

「おーい、大将!」

 

「ん――おぉ、ぬえと……ひよりか!良く来たね!」

 

 クルリと振り返った彼女の姿はやはり先月と同じ。腰に結ばれている紐と繋がった瓢箪を手に持ち……今日は何時も付けている奇妙な鎖は外しているらしい。片手を挙げながら近付いて来て、私とぬえの前に立った。

 

そういえば、こうして誰かと二人で彼女の前に立つのは三度目か。

 

そんなどうでも良い事を考える。

 

「先月振りだねぇ、変わらないようで安心したよ」

 

「萃香も、変わらなくて何より」

 

「雰囲気が暗……な、何でもない!」

 

ジロリと二人でぬえを睨みつけてから視線を戻す。萃香はニヤリと笑った。

 

「さて、取りあえず勇儀の所に行こうか――ぬえ、少し手伝いな!」

 

「へいへーい」

 

 建設に使うつもりだったのだろう木材を萃香とぬえが肩に担ぐ。私も手伝おうと手を伸ばすと、今度は二人から睨まれて引っ込めることになった。

 

「意外と地底の生活も悪くないよ、こうして自給自足するのも楽しいし」

 

楽しそうに木材を運ぶぬえ。

 

「そーいうこと、お前さんの出番はないよ」

 

木材で顔が見えない萃香。

 

「……はいはい」

 

その後ろに続きながら、ひよりは彼女達に気付かれないようにクスリと笑った。

 

 

何時の間にか先は随分と明るくなっていたようだ。

 

 

 

 

 飛び交う笑い声、食器と酒器の擦れる音、耳を塞ぎたくなるような喧騒――が遠く聞こえる場所に私とぬえは立っていた。既に勇儀と萃香は席を外していて、今頃は向こうの喧騒に混じって騒いでいる頃だろう。

 

「『封獣 ぬえ』」

 

「……」

 

 読み上げるのは自らセンスがないと認めた名前。私は佐渡島でマミゾウに言われた通り、『封獣 ぬえ』と書かれた紙を彼女へと手渡した。

 

 ぬえは暫くその達筆で書かれた四文字を見つめ、私に助けを求めるような視線を送ってくる。……いや、言いたいことは分かるんだけども。

 

「……嫌なら一応聞きなおしてくるけど」

 

「うっ……」

 

 どうやら本気で悩んでいるらしかった。……まぁ、私がぬえの立場なら同じように悩んだだろうが。どういう結論を下すかまで考えたくはないけれど。

 

それでも、きっと彼女なら――

 

「……いいや、きっと師匠は真面目に考えたんだろうし」

 

へにゃりと笑う。その辺りの前向きさと優しさは、やはり昔と変わらないまま。

 

「分かった」

 

「でも、次会ったら絶対殴る」

 

素直じゃない所も、相変わらずと。

 

二人で笑いあってから、私達は再び向き直った。

 

「……」

 

「……」

 

「……ねぇ、ぬえ」

 

「ん?改まってどうかした?」

 

 何故か輝夜に話す時のように簡単には口が動かない。それはきっと、言ってしまえば彼女が封印を解く為に尽力すると気付いてしまっているから。知ってしまえばぬえはきっと全力で止めようとするだろう。

 

それは閻魔様との協定を破り、地底に留まっている妖怪達に不満を抱かせることに――

 

「もう、なんて顔してるのよ」

 

ふっと伸びてきた手。そっと私の頬を触り、降ろしていく。

 

 正面を見れば、何時の間にか近付いていたぬえの笑顔。彼女は一歩下がり、私の瞳を見つめた。

 

深く紅い、綺麗な瞳。

 

「いまいち良く分かんないけど、何か私に出来ることある?」

 

「……村紗達のこと、お願い出来る?」

 

「うん、分かった」

 

 ぬえは困ったように苦笑した。本当に悩んだように、我慢するように、悔しそうに笑った。私は思わず視線を逸らし、この場を離れる為に背中を向ける。

 

これ以上この場に居たくない、居ればきっと話してしまう。

 

「それじゃ「ひより!」……」

 

背後を見なくても分かる。

 

どうして――どうしてぬえが泣いているのだろうか。

 

「待ってるから!絶対に、会いに来てよねっ!」

 

なんて事はない。私の為に、彼女は涙を流してくれているのだ。

 

でもそれを嬉しいと思ってしまう私も居て

 

「……っ、うん」

 

 

背後を振り返らないまま、私は地上へと繋ぐ穴へと飛翔する。

 

頬が何故か濡れていた。

 

 

 

 

「ぬえ、お前本気か?」

 

思わず声を掛けた。

 

「……大将、そろそろ盗み聞きが趣味なんじゃないかって疑うよ?」

 

「そんなこたぁどうでも良い。でも、今のひよりは……」

 

 考えてみれば最初から少し可笑しかった。何処か遠くを見ているような、諦めの混じった表情。気の所為かと思ったそれが一度言葉を交わしてみればすぐに確信へと変わる程に。普段の彼女からは考えられない、上の空という言葉では片付かない何か。

 

そして先の会話。嫌でも一つの終結が、私の脳裏を過ぎる。

 

「だって、あれじゃあ――」

 

あれじゃあまるで、もう戻って来ないみたいじゃないか

 

後半の言葉は無理矢理飲み込んだ。

 

「……お前達は若いんだ、まだ取り返しもつく。少しくらい迷惑掛けたって許されるだろうよ」

 

「大将」

 

 私や勇儀なら兎も角こんなに若い者達が苦しむ所を見たくはない。その一身で説得を続ける。

 

「今から本気で行けば追いつくだろう!どうしてお前達はそうやって自分を犠牲にするんだ!」

 

「大将っ!」

 

「――っ、」

 

見れば、

 

ぬえの両手から、真っ赤な雫が数滴地面へと滴り落ちていた。

 

「……待つよ」

 

だけど声はとても穏やかで。

 

「五百年でも千年でも、私はひよりを待つ」

 

その瞳は、嫌と言うほど真っ直ぐで。

 

 ぬえは掌から力を抜き、未だ滴り落ちる血を服で無理矢理拭って私の横を通り過ぎて行った。

 

 

残されたのは血痕と、数滴の涙と、子鬼が一人。

 

「……本当嫌になるねぇ。運命はよっぽど妖怪が嫌いらしい」

 

だけど、もし。

 

これが閻魔や神なんてのが仕組んだ二人の結末だと言うのならば――

 

 

 

萃香も去った後の、その場所は。

 

巨大な空洞一つを残し、他は全て消し飛んでいた。

 

 

これでもうやり残したことはない。

 

 

「つーわけで、私はもう博麗神社を離れる。」

 

 境内には私が戻るのを待っていたのであろう荷物を纏めた妹紅の姿。……そうか、よくよく考えてみれば彼女が居候をしていたのは私が彌里に修行をつけてくれるよう頼んだからだった。そして私がこの間一人前になったと認めた以上、彼女が此処に留まる必要は無くなったと。

 

妹紅が居候を始めて四年。一箇所に留まるにしては、もう充分過ぎる程の時間。

 

「分かった」

 

元々止めるつもりはない。途中でも彼女が離れたいと言い出せば、そうするつもりだった。

 

「彌里は?」

 

「何処に居るかは分からんが、多分買い物だろうな……あぁ、安心して。彌里には随分前から言ってある。この時間に出発することも、一応伝えたんだけどねぇ」

 

 やっぱり来ないか、と妹紅は若干残念そうに呟いた。時間は夕刻、彌里が普段通り買い物に行っているとして帰ってくるのは日が落ちた後だろう。流石にそこまで待つつもりもないらしい、妹紅は麻の袋を背負った。

 

そして、私の前に立つ。

 

「有難う、師匠。多分今までで一番楽しかった四年間だった」

 

「……見出したのは、妹紅自身だと思うけど」

 

「それでも、ありがと」

 

そう言って笑う妹紅の姿は、夕陽と相まってとても綺麗だった。

 

「それじゃ、そろそろ行くね。彌里にもよろしくって伝えて置いて頂戴」

 

「……」

 

 横を通り過ぎ、彼女は白髪を揺らしながら鳥居を潜って階段を降りる。夕陽と重なって黒くボンヤリと映る少女の影は、後数歩で見えなくなるという辺りで立ち止まった。

 

「今生の別れじゃない」

 

それはかつて、私が妹紅に言った台詞。

 

妹紅は立ち止まったまま動かない。まるで何かを待っているかのように――

 

「また会える」

 

 だから私もそのまま答えた。妹紅はそれを聞くや否やクルリと身体を翻し、今度こそ階段を下って行き見えなくなる。

 

私はそれを暫くの間眺め、彌里を待つ為に神社へ戻ろうと

 

鳥居に、背を向けて

 

「――」

 

腹部に走る激痛。体の中心から生えている両腕。纏われている霊力。

 

背後を、振り返る。

 

「……彌さ、と」

 

「――っ!」

 

 

涙を流しながら私に寄り掛かる、娘の姿。

 

 

 

「ひよりが封印される一週間前、彼女は自らの足で私の元を尋ねてきた。ひよりに頼まれたのは彼女が居なくなった後に起こる『様々な弊害』の後処理。それと彼女の封印を知らない友人が現れた時の情報伝達係よ」

 

 彼女の一言でまた一つ、私の知り得なかった真実が明らかになった。ひよりは、少なくとも封印される一週間前にはそれを予期していたのだと言う。そしてその後を彼女に任せる依頼まで出して封印される準備をしていたらしい。

 

しかしそうなれば当然、分からない点が出てくる。

 

「……何故、ひよりさんは自身が封印される事を分かっていながらそれを選んだのでしょうか?」

 

 逃げてしまえば良いと、誰だってそういう結論に至る筈だ。妖怪達も離れていく者を追ってまで倒したいとは思わないだろうし、初代博麗の代わりだって彼女と八雲紫なら簡単に見つけられただろう。もっと幸せになれる道があった筈だと、私は射命丸を見た。

 

彼女は暫くの間考える素振りを見せ、ゆっくりと首を横に振った。

 

「最初は私も納得いかなかったのよ。『どうしてひよりが』ってね、きっと他の奴等も根底は同じ気持ちだったんでしょうけど」

 

「でも、ひよりさんには友人達よりも大切な何かがあった……?」

 

「多分ね、そこまでは誰にも分からない」

 

 もしかしたら私や射命丸の知らない誰かに話していたのかも知れない。彼女が親しい妖怪達の停止も聞かずに封印を受け入れた理由を。妖怪としての生を捨てた、その訳――

 

妖怪ではなく、人間。人間の為に、彼女が封印される理由。

 

もしかして――

 

「……母親だったからでは、ないでしょうか?」

 

初代博麗。

 

「……」

 

「ひよりさんは初代博麗の母親だった。きっとお互いが生きていたら何時か彼女は初代を看取ることになる。母が娘を看取るなんてあってはいけないと、そう考えたのではないでしょうか?」

 

 母親だから、というのは理由としては不十分かもしれない。だけど、母親だったからというだけで頷けるのもまた事実だった。――っと

 

「……すいません、推論が過ぎました。一個人の意見として受け取ってくれると助かります」

 

結局は本人以外が幾ら予想を立てた所で仕方のない事なのだ。

 

「いいえ、案外その推論も間違ってはいないのかも知れないわよ」

 

「え?」

 

だけどそれを肯定したのは他ならぬ射命丸。

 

「幻想郷が立ち上がった当時、人間と妖怪は博麗の巫女を中間地点として互いの領分を守っていた……可笑しいと思わない?どうして『妖怪と人間は博麗の巫女を中間とすることに合意したのか』――いえ、人間というよりも妖怪かしら」

 

それは、博麗の巫女が中立的に動いて妖怪を退治し人間を戒めるから――あれ?

 

どうして、そうなった?

 

「……文さん、博麗の巫女はどうやってその権力を手に入れたんですか?」

 

 すぐに懐から手記と携帯型の黒炭を取り出して構える。射命丸はそんな私を少しだけ呆れたような目で見つめていたが、やがて一つ咳払いをして口を開いた。

 

「八雲紫の申請よ。『殆どの妖怪が畏れていた存在をたった一人で封印した』という名目を使ってね。奴等も自分達が要求した手前、呑まない訳にはいかなくなったんでしょうけど」

 

「……あ」

 

繋がった。

 

 ひよりが自ら封印を受け入れた理由は、妖怪達の要求よりも寧ろ自分側にあった。それは自分の娘のことであり、妖怪達の扱いに苦戦する八雲紫のことであり、彼女達が目指した理想郷のことだったのだ。

 

そして彼女が選んだ結果が『博麗の巫女』で、『妖怪の賢者』で、『幻想郷』になった。

 

「その様子だと、もう大体分かったって感じかしら?」

 

「えぇ、まぁ。でも話は聞かせて下さいよ、まだ全然話してないじゃないですか」

 

この先は決して良い終わり方をする話ではない。だけど、それ以上に――

 

私はこの母娘の真実が誰にも知らされずに終わるのが、どうにも悔しくなったのだ。

 

「史実として遺すなら止めないけれど、変な脚色や推論は控えなさいよ」

 

「貴女に言われたくはありません」

 

だけど、今回は彼女の言うとおり。

 

「……分かってますよ」

 

「それじゃ、話を続けましょうか」

 

千年以上の年月を経て、怠惰の鴉と稗田の子孫は一つに纏まり真実を紡ぐ。

 

 

 

たった二人の親子の為に。

 

 

 

 

 

 


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