◇
無言で前を歩くナズーリン、その後に続きながら私は周囲に視線を遣る。
当時私を呼びに来た彼女と話したあの木は、やはりというべきかもう無かった。それに記憶と比べると、寺の中にある植物も随分減っているような気がする。入った瞬間から矢鱈広いと感じていたのは多分それの所為か。いや――
読経をする妖怪達の姿が消えてしまったから、か。
あの時と殆ど変わりない回廊を、嘗てと比べると大分寂しくなった雰囲気の中歩く。昔は何時此処を通っても誰かしらとすれ違い、何かしら声を掛けられたというのに。
今は、ただ廊下を照らす行燈が所々点いているだけ。
「……此処は今はもう命蓮寺とは名乗っていない。毘沙門天様の代理が住む由緒正しい寺というのが表向きなんだ。分かっているとは思うが、くれぐれも他言無用で頼む」
「分かった」
端的に了承して黙る。如何いう経緯でそういう結論に至ったのか……正直に言えば、気にならない訳ではない。けれどそれ以上に、その決断を下したのであろうナズーリンの背中が私の好奇心を押し留めた。
「……星は、どんな様子?」
命蓮寺で別れてから二百年。当時は会わない方が良いという判断でお互い合致し会う事の無かったもう一人の姿に想いを馳せる。落ち着いたのかそれとも未だ落ち込んでいるのか。此処が寺として機能している以上、最低限自身の仕事は全うしているらしい。
それは目前にいる毘沙門天の使いも同じようで。
「答えるにあたって当時の命蓮寺についての話を訂正させて貰うが、御主人は元々聖の推薦で毘沙門天代理に選ばれているんだ。あの時この寺で中立だったのは、多分私だけだった筈だよ」
御主人と熱り立つ村人達を会話させなかったのは正解だったと、ナズーリンはそう言って肩を竦める。きっと冷静な彼女の事だから、聖の
「それでも、御主人は随分前向きになった。聖への思い入れから考えれば、良く二百年で此処まで持ち直してくれたと正直感心している。だから――」
歩みは止めず、彼女はチラと背後の私を見た。
「君と会う事が御主人にとって利になるのか害になるのか……私にも分からない。君が持って来てくれているであろう話を聞かせてやるのが良いのか悪いのか、正直判断し兼ねている所だ」
禅堂を通り越し、恐らく寅丸がいるのであろう法堂はそう遠くはない。
……ふむ
「雲居と村紗の封印されている聖輦船は見つけた。場所は情報どおり地底、封印は強固で解除には意外と時間が掛かる。その解除は、今の所信頼できる友人に任せてるから」
「……助かるよ、本当に」
ほんの少しだけ、彼女の背中に纏わりついていた何かが取れた気がした。
「けど、法界は情報が皆無」
「それについては問題ない。毘沙門天様が知っていたよ」
後で教えよう、そう言った所で私もナズーリンも一度口を閉じる。行燈の光が彼女の背中と私を照らし、暫くは二人分の影が唯移動するだけの時間で過ぎて。
「それと――」
「?」
向こうに法堂の扉が見え始めた所で、口を開いたのは私だった。
「約束は守ってる」
「……そうか」
思い出すのは、今身体の中に仕舞っている数枚の手紙。
ピタリとナズーリンが足を止め、壁に背を預けて立つ。左を見れば、そこには星が居るのであろう法堂の扉。中から漏れる灯は薄暗く、その所為か横に立っている彼女の表情は伺う事は出来ない。
私は迷わず扉を開いた。
「ありがとう、ひより。……それと
先は薄暗く、背後は真っ暗。
◇
二百年――
それはどんな存在にとっても決して短くはない時間。
人が三代に渡って栄え、小妖怪が中妖怪を名乗り、都が変わり、時代が動く。そんな時間の奔流に唯流され続けている愚かな妖獣の成れの果てが居た。自身の尊敬する者を見捨て、自分の立ち位置が変わる事を恐れ、そんな自分に嫌悪し続けている一匹の虎。
たった一人残ってくれた従者に励まされ、この二百年は何とか堪え続けて来た。
だがそれも最早限界に近い。
「――はぁ……」
横になっていた布団から上半身を起こして溜息を吐く。何気なく自身の右手を目前に持って来ると、殆ど無いと言っても良い灯の中でボンヤリと輪郭を纏っていた。その見難さも相まって、まるでこれは今の自分みたいだと一人嘲笑する。
部屋の薄暗さは、文字通り私の心を映しているかのようで。
「……これ以上は、望めませんよ」
グッと音が聞こえる程拳を強く握り締めて呟く。
こうしてナズーリンと二人のうのうと時間を過ごす事が何よりも苦痛だった。師や仲間、賛同してくれた多くの妖怪達を見捨てているのだと、そう思えてしまうから。
正直、何度毘沙門天様の代理を辞めて唯の獣となる事を望んだのか。
チラと、視線を左手にある壁に遣る。
「……でも、聖はきっとそれを望まない」
そこには、嘗て聖が目指した『平等』の理念が描かれていた。
もし聖と再び会えた時、私が『寅丸星』でなければ彼女は悲しむだろう。聖の残した命蓮寺を守り、私が毘沙門天の代理で居続ける事が封印された皆の総意だと、そう理解はしているのだ。
だから、もどかしい。
光は見えている筈なのに、私の周囲は真っ暗で――
「……っ!」
殆ど反射的に何かの動きを感じ取って顔を上げる。熟考していた所為で気付かなかったが、どうやら何者かがこの部屋に入って来ているようだった。薄暗い灯を頼りに目を凝らせば、何やら小さな影が部屋の扉近くに佇んでいるのが分かる。一瞬だけ思考に走り、直ぐに思い当たる節が出て来たので私は小さな影に声を掛けた。
「ナズーリンですか?」
「……」
答えない。さて、一体如何したのやら。
「もしかして、聞こえてましたか?」
「……」
無反応。
「……あれ?」
此処まで来て私は漸く影の違和感に気付く。ナズーリンの特徴的なあの丸い耳がない、それに彼女よりも少しばかり背丈が低い気もする。見れば、細長い尻尾も出ていないようだった。
と、すると?
「ど、どちら様でしょうか……?」
若干だが布団から後退り、私は恐る恐る影に声を掛ける。周囲の殆どが見える程目が慣れてきているのに人影だけは真っ暗で、まるで存在自体が暗闇であるかのような気がしてきた。そういえば、悪行を繰り返してきた生物の姿は暗闇に溶け込み易いとか、そんな事を聞いた事がある。
……まさかとは思うが、寺に強盗をしに来た訳じゃ――
「『アンタレス』」
「……え?」
聞こえて来たのは少女の声。
しかし、それよりも気になったのは、
「夏の空、南側に薄い赤色で輝く星。名前の由来は――」
「……遥か西方の国、ギリシアという国の言葉で対抗と火星という惑星の意味を持つアンチアレースの組み合わせ。この近辺では赤星や大火と呼ばれている……ですよね?」
口は自然に動いた。二百年前、とある少女に同じ事を教えた時のように。あの時は前半部分だけだったが、今回は勢い余って知っている全てを矢継ぎ早に述べてしまった。
「そこまでは知らない」
影……いや、黒衣の少女は困ったように肩を竦める。
「……そうですね、教えていませんでしたから」
彼女に教えた部分以外は知らない。それはつまり、黒衣の少女の正体が嘗てこの命蓮寺に滞在していた不思議な妖怪だという事に他ならなかった。
私は少し離れた場所にある行燈の蓋を取り、明るくなったそれを扉の方へ向ける。
「……お久し振りですね、ひよりさん」
「うん、久し振り」
ひよりはニコニコと笑いながら行燈を見ていた。
気付いた時には、遅かった。
「そうですか、聖輦船と村紗達は見つかったんですね」
ありがとうございますと、星は苦笑しながら頭を下げる。
「……」
「どうしましたか?」
星が行燈の灯を強くしてくれたお陰で分かったが、彼女の纏う雰囲気は酷い物だった。言葉にも表情にもまるで気力が無く、心なしか疲れの色が空気と共に漂っているようで――
『それと星の事、宜しく頼む』
部屋に入る前、ナズーリンがそう言っていたことを思い出す。宜しくとは何のことかと考えていたが、まさか此処まで酷い状態とは思わなかった。つまり星は回復したのではなく、罪悪感を背負ったまま二百年過ごしてしまったと、そういう事か。
けれど、それは……
「……何でもない」
私が何か出来る事ではない。彼女自身が乗り越えなければいけない壁だ。
「そうですか……それで、封印の解除は?」
「今の所はさっぱり。昔の封印とは言え手を抜かずに行われてるから」
私が地底に赴いてぬえの封印を解除した時、札は放って置いても後数十年程度で劣化して崩れ落ちてしまう程の状態だった。それに対して聖輦船の方は厳重で、貼ってある札の外側に結界まで用意してある周到さ。当時の陰陽師が優秀だったのか、村人達の怒りが強かったのかは定かではないし、考える気にもならない。
人の心一つでこうも変わってしまう物なのだとて初めて分かったのも、その時。
「……っ」
私の言葉を聞いて、星は拳を強く握り締める。直接見に行けない歯痒さか、自分とナズーリンだけ残された悔しさか、それとも――
「私達の行いは、間違っていたのでしょうか……?」
目の前で仲間や大切な者を封印された故の、人間不信か。
「……」
「聖の理想は唯の幻想に過ぎなかったのでしょうか?毎日読経をして心を鍛えていた妖怪達の努力は無駄だったのでしょうか?……私達が毎日のように村や里へ赴いて布教活動を進めていた事自体が、無意味だったんでしょうか――」
「星――」
「分からないんです!」
そうか。
それが、今の星を取り巻いている疑心暗鬼なのか。
「……っ、すみません」
彼女は遅れて気付いたように頭を下げた。
……違う。今の貴女が頭を下げる理由はない。
「――」
彼女に何か伝えるべき事が、あるとするならば――
自身が背中を預ける壁越しに聞こえて来た声に、ナズーリンは思わずピクリと耳を動かした。怒号……しかし悲痛さ混じりの、少なくとも自身の主からは出てきそうにもない言葉。彼女と付き合って居た中で一度も聞いた事のない声に、従者は人知れず口から笑みを零す。
扉の隙間から漏れ出る光は明るく、中が如何なっているかは想像に難くない。
文字通りひよりが星の本音を引き出したと、そういう事だろう。
「やはり、君に任せたのは正解だったか」
私では、駄目だ。聖でも村紗でも一輪でも。命蓮寺で共に理想を追い求めていた私達には、きっとあの人は本音を言うことが出来ない。私は中立ではあるけれども……命蓮寺の思想的に中立ではあるけれども、如何にも彼女達の魅力に偏りがちだった。
その意味では、今中で話している少女程命蓮寺から遠く近しい存在は居ない。
悪く言えば冷たい。良く言えば冷静。
「それを意識してやると言うのだから、頭が上がらない」
彼女が部屋に入る前に掛けた言葉を何処まで理解していてくれたのか……言うまでもなく、殆ど全て私の言いたい事を汲み取ってくれたのだろう。聡明さに関しては、以前にも増して磨きが掛かっていた。
壁から背中を離して、音を立てない様にゆっくりと離れる。
「……後は、君に全て任せるとしよう」
きっと悪いようにはならない。それ位には、信頼出来る。恐らくもう今日は通らないであろう回廊側の行燈を消して回りながら、ナズーリンは星とひよりの居る法堂から段々と離れて――
健気な従者の姿は、暗闇へと消えていった。
◇
「手紙、まだ覚えてる?」
「え……?」
俯きがちだった星が顔を上げて此方を見る。私は身体から蛇を覗かせ、その口を『パクリ』と開き、右手を突っ込んで中を探し回った。消化されないとは言え、何時の間にか随分と奥にまでいっているようだ。暫くの沈黙の後、私は手に触れた複数の紙を掴んで引き摺り出す。
取り出したのは、合計五枚の古ぼけた紙。
大分掠れてはいるが、それでも丁寧に畳まれた紙の端々にちゃんと五人の名前が記されていた。
「これを、星に」
パサリと全て、星が手に取れる位置へ置く。
「え……で、ですが……」
対する星の瞳には、困惑と躊躇の様子が伺えた。……まぁ、無理もない。自分と仲間が私宛てに書いた手紙を、まさか自分で読むなんて考えもしなかっただろう。
無論、私も渡すべきかどうか悩んだ。
「良い。その方が、多分聖たちも喜ぶ」
そしてきっと今の彼女に必要な物だと、そう直感した。
「……」
星は随分と悩んだようだった。一瞬浮かせた右手が行き場を失ったように漂い、少しだけ腕を引き、チラと一度此方を窺うように見る。
「……頂きます」
それでも私が何も言わないと、観念したらしい星が瞳を閉じて溜息を吐きながら手紙へと手を伸ばした。最初にそれぞれの宛名を確認し、先ずは覚えていなかったのであろう自身の書いた手紙を広げて眺める。
「……」
「……」
それをパタリと閉じ、次に村紗。
「――」
「……」
自分のよりも丁寧に畳んで、一輪の手紙に手を伸ばす。
「――っ、」
「……それは星に預けるよ」
言って立ち上がり、私は星に背を向けて法堂の出口へと歩き出す。日はもう既に落ちて暗く、今から神社に戻っても皆寝てしまっているかも知れない。先当たってはナズーリンに交渉をして一晩泊まらせてくれるように頼み込んでみよう――そう理由を付けて扉を開いた。
……。
涙を流しているであろう彼女の為に。
◇
場所は変わって灯の点いている回廊。
「……」
私は迷わず玄関に向っていた。理由は簡単、帰る為である。星の前から去る手前ああして理由付けはしたが、もう此処に居る理由は無い。……であれば、早々に退散するべきだろう。
まぁ、しかし
「待ちたまえ」
「……」
ナズーリンは此方から見えない柱の影から姿を現した。先に星の居る法堂へと案内してくれた時とは裏腹に、何処か剣呑と緊張を交えた雰囲気を携えて。
彼女は私の道を塞ぐように立った。
「……」
「一つだけ、気になる事があってね」
一拍置いて、ナズーリンは私の表情を見逃すまいと此方を見つめて口を開いた。
「君が此処に来たのは、純粋にタイミングが良かったで片付く。……だが、私達に封印された一輪や村紗達の情報を与え、御主人に手紙を託したというのは不可解だ。実際どちらも『楽な予測』は出来るが――そうではないんだろう?」
「……」
半信半疑、それでも言い切ったナズーリンに内心で感嘆する。やはり、良くやる身として言うのも何だが見透かされるというのは心臓に悪い。それが大きい隠し事なら、尚更か。
「……あぁいや、すまない。無理に詮索をするつもりはないんだ。ただ少し、『らしくない』と思ってね。――今の君は、何だか焦っているように見える」
「……」
けれど、見透かされて心地良いと感じるのもまた、事実だった。
だから――少し位なら構わないだろう。
「まだ
彼女の質問に答える代わりに、今度は此方から問いかける。
「それじゃ」
「……あぁ」
逃げるようにナズーリンの横を抜けて、私は闇空へと舞い上がった。
◇
最後に。
最後に話を聞くとしたら、一体誰に聞けば良いのだろうか?
「……」
片手に持った手帳を睨みながら、私こと稗田阿求は今までの出来事に考えを巡らせる。風見幽香、八雲藍、西行寺幽々子、そして八雲紫。幻想郷でも屈指の実力を持つ彼女達が語った真実は全て記録した。これで、本来なら私の踏み込める領域は終わっている。
けれど、私はあと一人だけ話を聞きたい相手が居た。
「さて、と」
チラと視線を外に遣る。
全くと言っていいほど手の入っていない自然。現在進んでいる踏み固められたこの道でさえ、お世辞にも安全とは言い辛い。事実私の乗っている籠ですら、何度か大きな揺れで私に牙を剥いた物だ。未だズキズキと痛む頭を抑え、私は暫し籠の隙間から吹き込んでくる清風に身を任せることにした。
時期は六月。この間西行寺幽々子が起こした春雪異変から、大体一月経った辺り。
これが例年通りの暑さだったら流石の私も籠ごと運んで貰うのは遠慮しただろうが、前回の異変が未だ尾を引いているのか最近は驚くほど涼しいのだ。これを利用しない手はないと私は早速籠を出し、彼らがこうして運んでいると、今はそういう状況である。
しかし目前に広がるのは最早道ではなく森。言うまでもなく、此処が限界だった。
「……此処までで結構です。向こうが送ってくれるでしょうから、帰りの心配は要りませんよ」
そう言って籠から出て、私は逃げる様に里へと戻っていく男達を見送った。……あれで当然の反応だ。少なくとも普段の私なら、彼等と同じように逃げても近付きはしないだろう。
姿の見えなくなった男達から視線を外し、私は背後を振り返った。
「『妖怪の山』」
私の呟きを掻き消すようにブワリと強い風が周囲を吹き抜け、木々の青葉を揺らして過ぎる。
最後に話を聞くのは、この山に住む者なら知らぬ者は居ないであろう人物。
「――っ!」
ブオンと一度、今度は目も開けて居られない程の風が吹き私は咄嗟に顔を庇う。天狗達の住む山なのだから、風が強いのは当たり前だ。ボサボサになった髪にそう言い聞かせて、私はこの山の何処かに居る彼女を見つけようと――
顔を上げた先に、彼女が居た。
「あれあれ?誰かと思えば稗田阿求さんじゃないですか!お久し振りですねぇ!」
山伏風の帽子に、まさに天狗といった趣の赤い下駄。髪は短く活発的といった印象だが、その声音から考えると活発的というよりも挑発的と表現した方が良いのであろう何処か見下した声。
白いシャツに黒いリボンと、微妙に幻想郷らしくない格好をした鴉天狗は私の前に降り立つ。
彼女の名前は射命丸文。妖怪の山に住む鴉天狗である。
「……つい昨日、新聞配達の時に話をしましたよね?」
「そうでしたっけ?」
ニヤニヤと貼り付けたような笑みを浮かべて首を傾げて見せる射命丸。
……性格は、妖怪らしく弱者を見下し小馬鹿にする。しかし実力は間違いなく大妖怪クラス。時折人里に遊びに来ては、自身が発刊しているという『文々。新聞(ぶんぶんまるしんぶん)』を配りにやってくる。一言で表すならば、良く分からない変な妖怪といった所か。
「えぇ、話しましたよ。少し聞きたいことがあると、そう言った筈です」
「確かに、そう言いましたね。けれど、私から話せることなんてのは――」
誤魔化すつもりなのは目に見えている。適当にはぐらかして曖昧にしてしまおうと、そう決め込んでいるのは瞳に見えていた。
私は彼女が口を開く前にその名を発する。
「『ひより』さんについて、です」
「……」
瞬間、射命丸が貼り付けていた笑顔が一気に冷たいモノへと変わる。
「どうして、私に?」
「理由、聞きたいんですか?」
普段の彼女なら、此処で笑いながら何処かに飛んで行ってしまうだろう。一体何の話をしているのだと、そう誤魔化しながら帰ってしまう気がする。
けれど、そうはならない。私がこの人に話を聞きに来た事が、まず有り得ないのだから。
射命丸は少しだけ悩む素振りを見せ、肩を竦めて溜息を吐いた。
「……教えて下さい」
諦めたような、疲れたとでも言いそうな表情で射命丸は小さくそう言った。もしかしたら、案外素の彼女はマシな性格をしているのかも知れない――と、余談はさておき。
「では、話しますね」
一応此方が話を聞く立場なのだ。先に私から話すのが筋というものである。
手記を開いた。
「射命丸さんが知っているかは分かりませんが、既に彼女と接点を持つ『ほとんど』の方から話を聞きました。その上で、未だ話を聞けていない人物は天魔様と閻魔様、それとまだ教えて貰っていない誰かくらいでしょうか」
「えぇ、その通り。名前の挙がっていないひよりの知り合いはまだ居るけれど、『今の状況で話を聞くことが出来る』のはそれ位でしょうね。でも、天魔様から私へ行き着くのは――」
「早計だと、果たしてそうでしょうか?」
彼女達から話を聞いていて分かったのは何も真実だけではない。あらゆる人物から一人について話を聞けば、そこには大体決まった人物像が生み出される。私が参考にしたのは、彼女の話ではなく『彼女の話をしている者達』の方だった。
「逆算ですよ、別に難しい話ではありません。彼女を知っている人物の共通点は、皆一様に大妖怪と呼ばれる類の人物ばかりなんです。それも、幻想郷と呼ばれる以前のこの場所に住んでいた者達に。そして、彼女は天魔様との関わりを持っていた」
どの程度の物かは分からないが、少なくとも一度は会ったことがある筈だ。
そしてそれは、ひよりが一度は妖怪の山へ行った事があるということを示している。
「……もうお分かりですね?ひよりさんが天魔様と関わりを持っていたなら、そこで貴女とひよりさんが会っていない筈が無いんです。彼女の性質と、貴女の好奇心が重なれば尚更ですね」
「でも、貴女の名前は誰からも挙がることはなかった」
まるで純白の紙に一滴墨を垂らしたかのような、不自然な点が浮かび上がった。
「……私とひよりの仲が良いとは思わなかったとか、忘れていたという線もあるじゃない」
「それについては証明のしようがありませんけど。……そうですね、『誰よりも真っ先に貴女が此処に来た』とかで、どうでしょうか?」
妖怪の山。
かつての厳しい排他的主義は消えても、日夜哨戒天狗達が空を飛び交い山全体を見張っているのだ。人間や野良妖怪が近付いた場合、それなりの警告と共に実力行使を繰り出してくる。
それなのに、
「貴女以外には誰も来ませんでしたよ」
ザワリと再び、私と射命丸の間を風が通り抜ける。
今度の風は強くなく、周囲を揺らし私の髪を揺らしただけで収まった。
「これで私の話は以上です。半分は当てずっぽうみたいな物だったんですけど、ね……」
「……」
私の言葉に答えず、射命丸は背を向けて背後の山を見上げた。
そして――
◇
「何を先に話すか、少しだけ考えました」
「まずは、私の知る真実を一言で端的に言いましょうか」
「その後に詳しくお話するので、それまで質問はなしでお願いしますよ。良いですか?」
「……よろしい。では――」
「ひよりを封印したのは初代博麗の巫女」
「――え」
全く先の見えない場所で、必死に探し当てたお目当ての物。
それが良い物に違いないと、どうして私はそう思ったのだろうか?
独自設定のタグはあるから次回書いちゃおうかな。