孤独と共に歩む者   作:Klotho

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タイトル通り、ひよりをパズルみたいに組み立てる話です。




『蠱毒の断片』

交わしたのは言葉にしない約束。

 

 

 

~短編『そのあと』~

 

 

残されたのは穢れて黒ずんだ大地。

 

 

 

 そこに立つ者は二人。片方は長い紫髪を纏めることなく流し、唯黒き煙が残る場所を眺める凛

然とした少女。名を綿月依姫、この月面戦争の敗者である。

 

「結局、最後まで分からず仕舞いだったわねぇ……」

 

もう一人。

 

 荒廃した地面、依姫の少し後ろに立ってそう呟く帽子を被った金髪の女性。周囲を見回し、そ

の所々が今後暫く地面として機能しないであろう見通しを立てて溜息を吐き――手に持つ桃を口

へと運ぶ。名を綿月豊姫――漏れなく敗者であった。

 

クシャリという瑞々しい音が暫く続き、再び口を開いたのは豊姫。

 

「玉兎の方は酷い物よ、レンズ越しにアレを覗いちゃった子達なんて戦意喪失を通り越して恐怖

症を発病。暫く療養が必要な者から兵役引退必須の者まで……よくもまぁ一人で此処まで被害を

出せた物ね」

 

「……」

 

 その犯人は既に月には居ない。先程依姫との会話を終え、豊姫の能力で地球へと帰還してしま

ったからだ。それも私達の独断という扱いであるのだから、実質的な被害は事後処理も、か。

 

そう言ってブツブツと呟く姉を見つめ、依姫は軽く首を振る。

 

「いいや、必要経費だろう」

 

「……?」

 

首を傾げる姉から視線を外し、周囲を見渡す。

 

「此処までの激戦。月人の忌避する穢れをバラ撒き、遠くに居た玉兎達を無力化し、私の全力を

受けきった上で地球へ帰る化け物……こんな相手、私達の他に誰が出来る?」

 

「あ……」

 

 思い返すのは最後の最後まで決してあの人の名前を口に出さなかった少女、ひより。私と初め

に対峙した時にその名を出せば最低限彼女の望みは通った筈なのに、しなかった。

 

その理由は――

 

「ふふ、私達はどうやら完全に術中に嵌っていたようだな」

 

「……確かに、今考えてみれば姫様の考えそうな計画よね」

 

 真っ直ぐに帰せば私達に非が出て、相手を追い詰めなければ責められるのは道理。何度も殺し

たのに蘇り動いたというのは、確かにあの紫女では出来ない事だろう。

 

 計画した三人は今頃あの青い星の何処かで私達のその後を考えて笑っている。だが不思議と悪

い気分ではなかった。依姫は地面に刺さっていた剣を引き抜き、流れるような動きで鞘へと収め

る。

 

そして、背後に映る巨大な青い惑星を振り返った。

 

『私の名前。貴女が地球へ来た時は、私から貴女に会いに行くよ』

 

「ひより、次にお前と会うときは戦いの場でない事を望むよ」

 

言って、都の方へと身体を戻す。

 

もう振り向かない。今はまだ、別にやることがあるから。

 

「やる事一杯で嫌になるわねぇ……で、上には何て報告するつもりなの?」

 

「『後少しまで追い詰めた所で、未知の力が働き目標消失』」

 

「あら……」

 

 さて、自分達が行った『真実』を知っている者が何人居るのか……隣を見れば、そこには楽し

そうに微笑む姉の姿。こっそりと口を動かし、彼女は私の耳元に声を送る。

 

《私と依姫ちゃんが黙っていれば、未来永劫未知の力よ》

 

「…姉上はどうするつもりですか?」

 

《永琳様と輝夜様の使者として、本来なら丁寧に歓迎して何も手を出さずに帰還させるべきだっ

た……これは私自身の決定よ。都の安全なんて知ったことじゃないわ》

 

 口元だけパクパクと動かしてそう囁く姉を見つめ、依姫はこれから姉と共に重鎮達と繰り広げ

るであろう論争に想いを馳せる。彼らには悪いが、偶には私情を優先させて貰おう。

 

――いや

 

「友情、か」

 

「そうね、何時か二人からちゃんと紹介して貰いましょう」

 

 

都に向けて歩く姉妹の背中は、何処か楽しげに()()()()()

 

 

 

 

「ちっ、卑怯ですよ姫も()()も。元からそんな計画立ててたんだったら帰って来ない訳がないじ

ゃないですか。知っててあんな話しやがるってんだから、月の賢者は相当な意地悪だねこりゃ」

 

 そう言って不貞腐れたようにそっぽを向いて腕組む兎。

 それを見て笑う輝夜と苦笑する永琳を見て、全く状況の理解できない私はとりあえず永琳に助

けを求めてみた。私の視線に気付いたらしい永琳は即座に説明を開始する。

 

「姫と賭けていたらしいのよ。『本当にひよりが帰って来たら永琳の弟子になりなさい』って」

 

「ほら、丁度色々動き回れる助手を欲しがってたでしょう?ひよりは私の友達だから駄目だけど

この悪戯兎なら問題ないわ。現に賭けもこうして勝った事だし」

 

なんとそんな約束をしていたのかと思わず輝夜を見る。パシンと両手を合わされた。

 

「ごめんね、ひより。でも結果の見えた勝利なら賭けたくなる物でしょう?」

 

「まぁ、気持ちは分かるけど……でも、てゐの方はちゃんと話し合いなよ」

 

 ほんの少しだけ理不尽だと、余りそう思ってはいないが一応言っておく。……良く考えてみれ

ば、つまりてゐは私が月で死ぬもんだと考えてこんな無茶な賭けを受けたのだから、半分は自業

自得という物だろう。

 

「……いや、別に構わないんだけどさ。どうせする事がある訳じゃないからね」

 

この機会に薬師を体験してみるのも悪くない、そう言って笑うてゐ。前向きな性格だ。

 

「じゃあ、私はそろそろ行くよ。他の人たちにも無事知らせてくるから」

 

暫くしたらてゐへの有り難い講義が始まるのだろうから、それより先に退避して置く。

 

「ん、行ってらっしゃい」

 

 

それに気付いてか気付かないでか、輝夜の声を最後に私は飛び立った。

 

 

 

 

「あぁ、それと」

 

「ん?」

 

「事前の計画なんて無かったのよ。ひよりが月で行ったことは全て独断」

 

「……」

 

「姫様とあの子の間には、多分言葉なんて必要無かったんじゃないかしら?」

 

「ちぇっ、つくづく年老いたって感じるねぇ……」

 

「何時の間にか友人と呼べる者も減って、ね――あぁそれと、終わるまで寝かさないわよ」

 

 

講義は暫く続く。

 

 

~短編『彌里と妹紅の秘密』~

 

 

「痛」

 

「おいおい、またか?」

 

 背後から聞こえた声に私は手を止めて振り向く。そこには何かを縫おうと悪戦苦闘する母と、

最早博麗神社の定番と言われ始めている妹紅の姿があった。二人の視線は縫い物ではなく縫う本

人、正確にはその指先に集中している。

 

見れば母の指先を縦に貫く針――って

 

「母様は一体何を作ってるんですか?」

 

「お前、強くなったよなぁ」

 

 一旦筆を置き、何かを縫う作業を続ける二人へと四つん這いで近付いて行く。途中妹紅が私の

顔と母の指先を見てポツリとそう呟いたが、私としては苦笑する他ない。無論、彼女の言いたい

事が分からない訳ではないのだが。

 

だって、今更針一本だとあんまり……

 

「秘密」

 

そんな事に意識を遣っている内に、母は自らの胸元に素早く何かを仕舞ってしまう。

 

「……気になるんですけど」

 

「諦めろ」

 

そう言ってケラケラ笑った妹紅は立ち上がり、今度は私の作業していた場所を覗き込んだ。

 

「そんなお前さんは霊符作り、か。親子揃って真面目だねぇ」

 

ということは、向こうも私と同系統の何かを作っていたという事だろうか。

 

……背守り?

 

「病むな、どうせ完成したら見せてくれるんだからさ」

 

「えぇー……」

 

 最近自分で縫えるようになってから滅多に見られなくなった母の裁縫姿。尚且つ秘密と言われ

て引き下がれる程私は素直ではなかった。

 

そんな彌里を見兼ねてなのか、妹紅は溜息を吐いて彼女の肩を引っ掴む。

 

「だったら、先にお前の札の出来栄えを見せて貰おうか。まさか十七にもなってまともな札一枚

作れないとは言わせないぜ?師匠命令だ、今から適当な妖怪蹴散らしに行くぞ」

 

引き摺りこそしないが、その力は到底私の抜け出せる物ではない。

 

「うぅ、分かりましたよ。……それじゃあ母様、行って来ますね」

 

「ん、行ってらっしゃい」

 

 裁縫を再開した母の、その手元を隠れ見ようとして――やめた。此処まで粘って見ようとする

のもなんだか情けない気がするし……何より、背後に立つ博麗神社の居候仙人がそれを許しては

くれないだろう。

 

 

私は突き刺さる視線から逃げるように、御幣と作りたての札を掴んで外へと飛び出した。

 

 

 

 

「不思議だなぁ。妖怪を退治しに来たのに移動時間の方が長いってのはさ」

 

「……私も妖獣の為にこんなに移動するなんて思いませんでした」

 

 首の後ろで手を組んで空を見上げる妹紅と共に歩く帰り道。里からの依頼を完遂させた私と妹

紅は、神社へと続く帰り道を何故か徒歩で移動していた。『折角だから歩いて帰ろう』と、そう

提案されては無意味に断る事も出来ない。

 

こんな緩い移動だからか、やはり先程の母の姿も浮かんできてしまって。

 

「……」

 

 昔の、本当に私の自我があったか如何かも分からない程昔の母は、今よりも多く裁縫や家事な

んかを手掛けていた。私の服を縫ったり、紫さんの帽子を直したり、炊事に関しては、きっと今

でも彼女の方が上手いのだと断言出来る。

 

けれどその姿は段々と見掛けなくなり、裁縫も料理も自分で出来るようになった頃には――

 

母はもう、殆ど何もしないで縁側に座っていたのだ。

 

「――出る時には全然分からなかったけど」

 

 ポツリと、隣を歩いていた妹紅が呟く。彼女もどうやら同じ母の姿を連想していたらしく、私

の顔も見ぬまま言葉を続ける。

 

「きっと、あれはお前の為に作ってたんだな」

 

「え?」

 

 急に言われて思わず私は妹紅を見る。彼女はチラと一度此方に視線を遣り、手を後ろに回して

自身の髪に結わえてある沢山のリボンの内一つに手を伸ばした。

 

「ほれ」

 

シュルリと一つリボンを解いて私に差し出す。

 

「……これって」

 

それを受け取り、『初めて見る見覚えのある』リボンに私は咄嗟に声を上げた。

 

霊符。

 

だが、これは――

 

「そ、型は大分古いし不完全。というか、札として機能すらしない紙切れさ」

 

 酷いもんだろう、と言って笑う妹紅から視線を外して札を見る。お世辞にも綺麗とは言えない

文字で、全く効果を成さないであろう術式モドキが組み込まれているのが分かった。

 

……?

 

何処かで、見覚えのある――

 

「この字って、まさか?」

 

「そう、お前の母親……ひよりが作った奴だ」

 

 道理で見覚えのある文字だと思った。このお粗末な紙切れに書かれている文字は、最初私に札

作りを教えてくれた時の母の字に良く似ていたのだ。

 

何故妹紅がそんな妙な物を身に着けているのか、愛おしそうに撫でているのか。

 

そしてそれを見せて、彼女は一体私に何を伝えたいのか。

 

「……」

 

「少し、昔の話をしようか」

 

妹紅は目を細め、何処か懐かしむようにして宙を見上げる。

 

 

「まだ私がひよりに陰陽術を教わり始めて間もない頃の、恥ずかしい失敗談……若過ぎた故に気

付く事の出来なかった、愚かな弟子の話だ」

 

 

 

あの日。

 

蓬莱の薬を飲み、もう二度と都に戻れない現実を突きつけられた、あの日。

 

 『最低限生きる方法』を教えると、ひよりはそう言って私に手を差し伸べてくれた。それが当

時の私にとっては唯一の救いともいえる言葉だったのは良く覚えている。失意のどん底の、そん

な境地でも尚見えた光明が私を生かしたのだ。

 

 

『ほら、早くしないと昼餉になるよ』

 

『……!これ、これはどう!?』

 

『血で汚したくないから外で食べて』

 

 最初の百年、普通の人間なら知らなくても良い様な食べられる野草や茸、動物の知識。それと

簡単な料理と裁縫、ついでに雑貨や道具の作り方を徹底的に叩き込まれた。当然の事ながら貴族

出身故にそんな経験はない。

 

そんな事はお構いなしと言わんばかりに、ひよりは様々な知識を仕込んでくる。

 

『流石に裁縫位は出来るよ。まぁ、軽い補修くらいだけど』

 

『……上手いね』

 

『うっわ!?ちょっ、手!刺さってる!』

 

それでもやって来れたのは、結局彼女の手助けがあってこそだった。

 

 

 

 

「じゃあ、これを出来るようにして置いて」

 

「……」

 

 それが変わったのは丁度私に陰陽術を教えてくれるようになった辺りから。ひよりは毎朝私よ

りも早くに朝餉を済ませ、私が朝餉を採りに行く前に課題を出して何処かに出掛けてしまう。戻

って来るのは大体夕方、それも幾つか私に読ませる陰陽術の本を持って、だ。

 

勿論それに疑問や不満を持った訳ではない。

 

それでも――

 

「――終わったよ」

 

「ん」

 

 今日の課題はひよりが予め用意していた霊符に霊力を込めて使えるようにするという物。今ま

での瞑想やら滝行やらと比べればようやくそれらしい修行……私は自分でも驚く位打ち込んで改

心の出来と言い張れる霊符を完成させた。

 

しかしひよりは、それを一目見て後は脇に置いてしまう。

 

「あ……」

 

「それじゃ、明日も早いから寝るように」

 

 そう言って先程まで読んでいた本に再び視線を落とし始めるひより。咄嗟に口から漏れた言葉

も彼女には聞こえなかったらしく、私はその場に立ち竦んでしまう。

 

使ってみてはくれないのか、と

 

意外と良い出来だと思うんだけど、と――

 

その言葉を出したら、何故か負けてしまうような気がして。

 

「っ、おやすみ!」

 

「……」

 

私は半ば逃げるようにして小屋を仕切る布を思い切り引いた。

 

 

 

 

「それじゃ、今日はこれ」

 

「……了解」 

 

それでも、言わなければ伝わる物も伝わらない。

 

 今日も今日とて新しい札と本を手渡し、ひよりは何時も通り何処かへと出掛ける。今日の課題

はこの札を複写して使えるようにしろとの事らしい。取り合えずは机に向かい、筆と墨を用意し

てまずは札と向き合う事から始める。

 

――っていうか

 

「きったない字だなぁ……」

 

思わず汚い物を触るかのように、妹紅は右手で札をつまみ上げた。

 

 紅い墨のような物で勿論それらしく書いてあるのは分かるが、如何せん私が勉強した陰陽術に

使う札の中では類を見ない汚さである。まるで、字を書く練習をしたことのない者が書いたよう

な出来栄えだった。

 

「でも、神社の奴と似てるし大丈夫か」

 

 元々神社に行くことも少なかった故、うろ覚えでしかない神社の札を思い浮かべる。こんな感

じでグニャグニャしていたような気もした。

 

……まぁ、良い。ひよりが騙すつもりで渡す事がないのは充分理解している。

 

「さって、始めますかねっと」

 

 

ひよりが帰って来る前に終わらせて置いてやろうと、私は筆に手を伸ばした。

 

 

 

 

夕餉の後、ひよりの前には一枚の綺麗な霊符があった。

 

「……ふーん」

 

「……」

 

 置いたのは当然私。最初は良く分からなかったグニャグニャの字も、後からちゃんと陰陽術に

使う言霊モドキという事が判明したので、こうして書き直してみた結果だった。あれならば霊力

を込めれば作動するし、少なくともあの変てこよりは使える筈。

 

私は期待を込めてひよりを見つめた。

 

しかし――

 

「分かった。お疲れ様」

 

 何時も通りというべきか、彼女は何も言わずに札を仕舞ってしまう。褒めることも怒ることも

なく片付けられ――否応なく私の心に突拍子もない疑問が浮かび上がって来た。

 

何処か失敗をしたのだろうか?

 

それとも、何か彼女を怒らせるような事をしたのだろうか?

 

――まさか、愛想を尽かされたなんて

 

「……」

 

「……どうしたの?」

 

 流石に表情に出ていたらしくひよりが心配そうな顔で此方を覗き込む。その一切悪意の篭って

いない瞳に私は思わずたじろぎ、少なくとも彼女が怒ったりしている訳ではない事を悟る。

 

……ならば何故、良いとも悪いとも言ってくれないのだろうか。

 

「……いや、何でもない。おやすみ」

 

 結局は自分からひよりに背を向け、顔を合わせないようにしながら昨日と同じように部屋を仕

切る布を引く。昨日とは正反対に、スルスルと力無く。

 

「――はぁ」

 

 予め敷いてあった布団に入っても、何故か中々寝付けない。少しでも目を閉じると、普段は気

にしないような事にまで意識がいって根拠のない疑問を生んでいってしまう。そしてそれは根拠

がない故に、否定も肯定も出来ないから――

 

 

……そういえば、仕切りを使い始めたのも陰陽術習い始めた辺りからだっけ。

 

 

 

目が、覚めた。

 

「……」

 

 目を開けずに、暗い視界とぼやけた頭で思考を開始する。外は最早虫の声もせず、やんわりと

流れ込んで来る空気は冷たい……どうやら、気に病みすぎて脳が熟睡できなかったらしい。今が

夜中の二時三時と当たりをつけ、私は再び寝る為に努力を――

 

紙の擦れる音。

 

「……?」

 

ゆっくりと目を開ける。正面に薄っすらと自身の布団の影が映っていた。

 

「あれ……」

 

 ということは、背後から光が差し込んでいるという事である。私は思わず身体を反転させ――

直ぐにその光の出所を悟った。仕切りを挟んだ向こう側、ひよりの寝ているであろう場所から明

るい橙の光が漏れているのだ。

 

「……っ」

 

無意識に、部屋を仕切っている布に手が伸びる。

 

 

ゆっくりと横に引いた。

 

「――」

 

あ、と。

 

声には出さなかった。

 

「ん」

 

 それでも五感の鋭い彼女は直ぐ気付く。背を向け、何か作業していた手を止め、やがてゆっく

りと此方を振り向いた。――振り向いて、ひよりは申し訳なさそうに口を開く。

 

「ごめん、騒がしかった?」

 

「あ、え……と」

 

 何故起きているのか、どうしてひよりが謝るのか……そんな疑問は全くと言っていいほど頭の

中から消え去って、私の視線は彼女を通り越したある一転に集中する。

 

ひより専用として小屋の隅に置かれている机には

 

見覚えのある紙切れと、紅い墨と筆が置いてあった。

 

「……それ」

 

 震える指で奥を指差す。最初は不思議と言わんばかりの表情をしていたひよりも私の視線で悟

ったのか、『あぁ、これね』と言いながら既に完成したのであろう一枚を此方へ手渡して来た。

 

 渡されたのは、昨日見た物と同じ醜い字で書かれた紅白の紙切れ。少し違うのは、その文様が

今ひよりの膝に広げてある陰陽術の本と似た形をしているという部分くらいか。

 

これだけ材料が出揃っていれば、流石の私でも理解せざるを得なくなる。

 

全て、私の為だったのだ。

 

「流石に陰陽術は分からないから」

 

 そりゃあそうだ。妖怪に陰陽術なんて使える訳がないし、知っている必要もない。ましてやそ

れを生み出した筈の人間に対して教えてやるのは不思議な話である。

 

そう思っていても、声が出ない。

 

「多分、妹紅の書いてくれた奴が正しいんだろうね。字も綺麗だし、ちゃんと陰陽術の札そっく

りに……なんだか隣同士で並べると悲しい」

 

 そういって自分で書いた不慣れで美しい札と、さも当然のように書いた私の綺麗で醜い札を並

べてひよりは苦笑する。その札だって、彼女なりに一生懸命書いた物だろう。無言で提出した私

にどうしてひよりは怒らなかったのか――

 

「っ……っ!」

 

涙と嗚咽で、上手く声が出せない。

 

「別に気にしてないよ。唯のお節介で、それが空回りしただけ」

 

 きっと頭の良い彼女のことだから、私が泣いているのはこうして影で隠れて準備をしていた事

と、私が何をしても動じなかった事とが反面跳ね返って泣いているのだと、そう思っている。

 

 

違うんです。

 

気付けなかった私の心が、疑いと猜疑心に満ちた私の心が、堪らなく如何しようもないんです。

 

貴女の純粋で無垢な優しさは、私の穢れた心には眩し過ぎたんです。

 

「――」

 

「……泣かないでよ」

 

 泣き続ける私に、ひよりは母がそうするように頭を抱えて撫でた。本当に、謝られても全然足

りない位迷惑に、彼女の右手が私の醜い部分を照らし続ける。それがどうにも心地良くて、これ

を疑ってしまった自分がどうしようもなく弱い存在に思えて――

 

 

だから強くなろうと、そう思えた。

 

 

 

 

「気付く要素なんて沢山あったのに、後になってそれに気付くんだよ……その時にはもう遅い、

ひよりなら『過ぎたことだ』って言って笑いながら終わらせちまうからな」

 

何処か悔しそうにそう言う妹紅は、珍しく苦々しげな顔で。

 

「……後悔、してるんですか?」

 

「少しだけ、な。結局謝れず仕舞いだったから」

 

 彼女にしては珍しい――いや、当時の妹紅がどんな性格だったのか、それは今話してくれた通

りなのだろう。だとすれば、やはり彼女にも『子供』だった時代があったのだ。

 

では――

 

母は誰かに頼ったり世話をして貰えたり、したのだろうか?

 

「……母様は、あまり表情に出さない人です」

 

「……」

 

ポツリと、自然に口から言葉が出てきて。

 

「慣れない人間の子供を世話するのはきっと大変だった。自分を抑えて、私を優先して、本当は

もっとやりたい事だってあったかも知れない。紫さんだって何時もは居ないし、少し前までは藍

さんも師匠も神社には居ませんでしたから」

 

一人で私を抱きかかえ、縁側に座る母の姿が自然と浮かぶ。

 

「私は母様の自由を奪って育ちました。あの人が、自分の意志でそうしてくれたんです。……だ

から私も、無理矢理恩返しをしたいと思っている訳じゃあ、ないんです」

 

「……うん」

 

それでも、偶に頭を過ぎる光景がある。

 

 

それは私が既に生きていない世界。

 

何時か何処かで、あの人は私が居ない所為で後悔する時が来てしまうのだ。

 

「でも、私の所為で母様に悲しんで欲しくはない。例え私が死んだ後も、師匠と一緒に笑いなが

ら懐かしんで欲しい。きっと母様も妹紅さんも、私が死んだら悲しんでくれる。……自惚れじゃ

なくて、分かるんです。だって私は――」

 

あの人の娘だから、と。私は妹紅を真っ直ぐに見つめた。

 

言葉足らずで、説明不足で、もしかしたら妹紅には伝わらなかったかもしれない。

 

「……だろうな。お前は本当にひよりの娘だよ」

 

 けれど彼女は何も尋ねなかった。こういう事だろうと、そう聞きたい筈なのに。ただ目を閉じ

て頷き、肯定し、目を開けた時にはニヘラと笑いながら普段の彼女へと戻って。

 

さて歩こうかと、何時の間にか止まっていた足を再開させた。

 

「……」

 

「……」

 

 互いに暫くの沈黙。隣を歩く妹紅が何を考えているのかは分からないが、少なくとも私は脳裏

に母の姿を思い浮かべていた。未だ裁縫に悪戦苦闘しているであろう、母の小さな背中を。

 

多分妹紅は若かった時の、失態に気付いた時のあの人の背中を思い出しているに違いない。

 

あの人が前に居なかったら、背中を見ることがなかったら――

 

きっと私達は、此処に立ってはいなかっただろう。

 

「……あー、めんど。彌里、お前あの鹿呼べないのか?」

 

 思考を断ち切るように隣の妹紅が私に話しかける。見れば、何時の間にか目前には博麗神社へ

と続く長い階段が姿を見せていた。

 

「……呼べないこともないですよ」

 

「じゃ、それで帰ろう。飛ぶのも悪かないが、何だかお前の鹿で移動したい気分だ」

 

その気分は何を思って出て来た物なのか

 

「『神鹿』」

 

 疑問を頭の隅に追い遣り、私は普段通りに神鹿を呼び出して前を向いた。これで、何時でも上

へ戻る事が出来る。

 

さて――

 

「ねぇ師匠/なぁ彌里」

 

「……どうぞ」

 

「あぁ」

 

一度間を置いて。

 

「久し振りにひよりの飯が食いたくないか?」

 

 少しだけ意地が悪そうに彼女は笑う。空は既に夕闇と化しており、今から手で作るとなれば完

成は早くても夜中になる。それに気付いているであろう妹紅は恥ずかしそうに自身の頬をポリポ

リと掻いた。

 

「……なんかあいつの話してたらふと、な」

 

「分かりました、頼んでみます」

 

それだけ言って、私は神鹿に指示を飛ばそうと足を一歩進めて――

 

「そういや、お前は何を言うつもりだったんだ?」

 

背後から妹紅の声。

 

神社に飛ばしてくれるように指示をして、振り返る。

 

 

「母様の手料理が食べたいと思いませんか?」

 

 

 

「彌里、これ上げる」

 

 久方振りに並んだ母の手作り料理を食べている最中、母はそんな事を言いながら私に大きな布

を手渡してきた。綺麗な紅い布地に、まるで妹紅のつけているリボンの紅白を入れ替えたような

刺繍の施された布――リボン。

 

意味のある文様ではなく、母の気持ちが詰まった物を。

 

「有難う御座います!」

 

「これで彌里も一人前」

 

チラと妹紅を見ながらそう言う母に、夕餉を口へ運んでいた妹紅も顔を上げて此方を見た。

 

「あれ、じゃあ私のこれも一人前になったって意味で作ったんだ」

 

 そういって箸を置き自身の天辺にある大きなリボンに手を遣る妹紅。何時作られた物かは分か

らないが、どうやらそれも母の手作りだったらしい。

 

触りながらニヤニヤと笑う。

 

「髪の札だけだと不恰好だったから」

 

「……」

 

ビシリと、妹紅の表情が笑顔のまま崩れ落ちるのを私は見た。

 

そして――

 

「ぷっ!」

 

「あはは!」

 

「……?」

 

 母が首を傾げるのも気にせず笑った。私も、妹紅も、互いの気持ちを押し隠すように。片や安

心して、片や喜んで、この人から貰ったリボンに、私達は如何しようもなく救われてしまった。

 

まだ未熟だったと後悔する少女に、不恰好だったからと理由をつけて。

 

母を安心させたいと願う少女に、一人前になったと言葉を加えて。

 

きっと、彼女はそんなつもりで言った訳ではないのだろうが。

 

「……じゃあ後は二人でお好きに。久し振りだったから少し疲れちゃった」

 

 くぁぁと小さく欠伸をして母は立ち上がる。何時まで経っても慣れない裁縫、きっとこの綺麗

な刺繍を施す為に今日一日を費やしてくれたのだろう。自身の器を片付けて寝室へと向おうとし

た母に、私は思わず声を掛けた。

 

直接言うのは恥ずかしい。だから、

 

「ご馳走様でした。それと有難う御座います」

 

「ん」

 

私が一礼したことも、きっと彼女には見えていない。

 

それでも伝わった筈だ。

 

襖を開けて、閉めて、そうして母の姿は見えなくなった。

 

「……ふぅ」

 

「いやぁ、完敗だな」

 

結局、私達二人掛りでもあの人に勝つことは出来なかったと。

 

そこで終わる訳にはいかないのだ。

 

「何時かは、私の料理の方が母様のより美味しいって言わせてみせます!」

 

「お前、よりによって如何してアイツの得意分野で……あぁ、いや――」

 

 

 

「お前、強くなったからなぁ」

 

 

 

ザワリと、懐かしい樹木が風と共に葉を擦れ音を立てる。

 

嘗て、私はこの道を全力で駆け抜けたことがあった。

 

「……」

 

 歩き続け、見えてくるのは博麗神社のそれよりも短い階段。私は迷わず一段一段歩みを進めて

――門の手前にある一段、階段の天辺で立ち止まる。

 

目前の門は、堅く閉じられて。

 

 

ギィィと、音を立てて少しだけ開かれた。

 

「……久し振りだな」

 

「うん」

 

 あの時と変わらない、落ち着きある灰色の声。彼女は門を完全に開き、周囲と奥に視線を往復

させてから此方を真っ直ぐに見つめる。

 

「上がってくれるか?」

 

「勿論」

 

 

私は命蓮寺へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

『――あの子の行く先に、幸有らん事を……』

 

願いは、届いたのか。

 

 




母と娘(子供)の話はあまりギャグにすべきではないと思います。

だからといって毎回彌里回をシリアスにするのもどうかと思います、えぇ。

次回はギャグです?

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