孤独と共に歩む者   作:Klotho

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『(前編の)蠱毒と(後編の)因幡』


『蠱毒と因幡』

 

 

獣臭さと暑苦しさで目が覚めた。

 

「……」

 

 周囲を覆う毛玉の数に一瞬顔を顰め、ひよりはムクリと上半身を持ち上げる。その拍子

に何匹かの子狸達が硬い岩床へと落下したが、そこはまぁお互い様だろう。私は服につい

ていた藁を払って立ち上がった。

 

陽の差込具合から見て、今はまだ朝早い筈。

 

「……居ないし」

 

 案の定というべきか、マミゾウは既に自身の寝床には居なかった。とりあえずはほぼ地

面と言っていい場所で寝た為に準備体操。身体全体がバキバキになっていたのを解してか

ら洞窟を出る。

 

よくもまぁ、マミゾウはあんな環境で寝れるものだ。

 

 そう内心で少し尊敬し、何処かに居るのであろう彼女の姿を探す。……そう遠くない木

の上に、見覚えのある特徴的な大きな尻尾と瓢箪をぶら提げた妖怪が見えた。

 

「……おはよう」

 

一応木の根元まで行ってから挨拶、どうやら唯木に登っていた訳ではないらしい。

 

「ん、おぉ。丁度良い所に来たな、お早うさん――ほれ」

 

ニッコリ笑ってそう返しつつ、マミゾウは木の上から何かを落としてくる。

 

「……木の実?」

 

まるで林檎をそのまま小さくしたような紅い球体。

 

「朝餉と言え、朝餉と」

 

 ……よくもまぁ、大妖怪がこんな生活を送れるものだ。そう思いつつも一応齧る。久し

く食べていなかった原始的で渋くて、ほんのり甘い懐かしい味がした。……そういえば、

こうやって洞窟で寝たり木の実を食べるのはぬえと共に過ごしていた時以来だったか。

 

一応人間だった私が耐え切れなくて、結局直ぐに小屋を建てたのだが。

 

「しかしどうだ、食えなくはないじゃろ?」

 

そんな私の心境なぞ知る由もなく、マミゾウも木の実を齧りながらふふんと胸を張る。

 

「美味しくは、ないけどね」

 

懐かしくは、あるのだが。

 

自然と口から出る苦笑いを抑えながら、とりあえず私はそう言った。

 

「……まぁ、そうじゃろうな。儂もこいつが御馳走とは思わんよ。しかし、あ奴等の分ま

で用意するとなると流石に昨日の様な食事という訳にはいかん」

 

 マミゾウが木から飛び降りクイと首の動きで私の来た方角を指し示す。振り返ると、そ

こには先程まで寝ていた子狸達が綺麗に整列していた。

 

「お前達、儂は今日一日里へ降りる。昼餉は自分で何とかせい」

 

不平不満を訴える子狸達を両手で制しながら木の実をばら撒くマミゾウ。

 

「……ねえ」

 

その背中に、私は昨日から気になっていた疑問をぶつける事にした。

 

「んー?」

 

「本当に里の人たちには、マミゾウが妖怪だって気付かれてるの?」

 

 酔っ払った拍子でそう出任せで言ったのかと思ったのだが、此処で尋ねてもやはり彼女

は神妙な顔で頷くだけに終わる。

 

「ふーむ、そんなに信用がないかの?」

 

「そういう訳じゃ、ないけどさ」

 

 妹紅は中途半端に、私も恐らくはその様になってしまうだろう人との関わりを、彼女は

自身の正体を大っぴらにして尚付き合えていると言うのだ。

 

マミゾウは少しだけ小難しそうな顔で何かを思案する。

 

「成る程なぁ、どうやら今の本土は此方と随分事情が違うらしいのぅ。……論より証拠、

とりあえずは里に降りるとするか!」

 

 

クルリと手元の手帳を回し、彼女はそう言って私に背を向けた。

 

 

 

 佐渡島の人間というのは、そこまで人数が居るという訳ではないらしい。

島の大部分が自然そのままで、尚且つ周囲を海に囲まれている故に人の行き来も少ないそう

だ。ひよりが乗ってきた船でさえ、月に一度しか此処へ来てくれないとマミゾウは言った。

 

「ほれ、此処がこの島唯一の人里じゃよ」

 

急に立ち止まり、そういって正面から退くマミゾウ

 

 眼前に見えるのは粗末な入り口。門というよりも唯木を削って作った柱を二本離して立

てただけのような見た目。妖怪の接近を監視する門番の姿も見えない。

 

その『外』で子供達が遊んでいるのが見える。

 

「……」

 

「おぉぅ、予想以上の反応じゃな」

 

マミゾウはひよりの顔を覗き込んで嬉しそうに笑う。

 

「火の無い所に煙は立たん、人が少なければ脅威になる妖怪も居らん。儂が今知る佐渡の

妖怪は二人。儂とお前だけじゃよ」

 

肩を一度叩いてから里の方へと近付くマミゾウ。

 

「おう、お前達!今日は何を弄り回しておるんだ?」

 

マミゾウは子供達に声を掛けた。

 

着の身着の儘、尻尾も耳も隠さず、まるで普通の人間のように。

 

声を掛けられた子供達はそんなマミゾウと自分達の顔を見合わせて

 

やがてニッコリと笑って指を背後に指した。

 

「スゲーんだよマミゾウ姉ちゃん、でっかい毛虫がいるんだ!」

 

「みんなでつついてたの!」

 

そういって彼女の周りに集まる子供達の顔に、恐怖の色は無い。

 

「なんと毛虫!どれ、少し儂にも見せてみぃ――っと」

 

そこまで話した所で、マイゾウは後ろ手にひよりを手招きする。

 

「……」

 

 ひよりは動かなかった――否、動けなかった。自分や紫が目指している物を意図も容易

く達成し、尚且つその関係すら良好なマミゾウを見ると、どうしても足が止まる。

 

本当に私が行っていいのだろうか

 

彼女だけにある何かが、彼らの心を開いているだけなのではないか、と。

 

「あれ?マミゾウ姉ちゃんの友達?」

 

 そう心の中で問答を繰り返すひよりを、どうやらマミゾウの正面越しに見つけたらしい

少年が指差す。それに釣られて他の子供たちの視線も一斉に私へと突き刺さった。

 

「そうじゃ、名前はひよりという。仲良くしてやってくれ」

 

 彼女がそう言うと、子供達は顔を見合わせてから此方へと駆け寄って来る。少し距離を

取ろうとしたひよりだったが、そうするよりも先に子供達が彼女の退路を塞いでしまった。

 

「よろしく、ひより!」

 

少年は笑顔でそう言って、スッとその右手を差し出して来る。

 

「……」

 

ひよりは、その手を握ろうとしない。

 

「握手!知ってるだろ?……知ってる、よね?マミゾウ姉ちゃん?」

 

「あぁ、多分知っておるよ。……恥ずかしいだけじゃろう」

 

 振り返って尋ねる少年に気付かれないよう笑いを堪えてそう言うマミゾウ。ひよりは一瞬

マミゾウだけに分かるよう睨み付けたが、それもまた目の前の手に視線を戻して沈黙した。

 

そしてそのまま、数秒。

 

「……よろしく」

 

 

本当に小さな囁き声で、ひよりはおずおずと少年の手を握り返した。

 

 

 

 

「どうじゃ、別段難しくはなかろう?人と共に生活をするのは?」

 

「……」

 

 里の前で毛虫観察を終えた二人は里で唯一の休憩処に来ていた。此処も人が経営している

店だが、何分この島なのでお茶菓子等といった物は無い。代わりに二人の間には切り盛りさ

れた果物がある。

 

マミゾウはパクリと盛られていた果物の柿を口に運ぶ。

 

「あの人達は、妖怪がどういう生物か知っているの?」

 

「人を嚇かし、時に喰らう。人の感情や全く関係のない何かから生まれた不可思議な生物。

……その程度にはこの里の者達も把握しておるよ」

 

今度は私が果物へと手を伸ばす。

 

「お前さんの話を聞く限り、どうにも本土は妖怪の傲慢さが目立っていかん。人と妖怪は切

っても切れない縁で結ばれとるんだから、もう少し互いを尊重すべきじゃな」

 

 口に放り込んだ林檎が無くなるまでの間、私は自分の経験した様々な出来事を振り返って

いた。よくよく思い出してみれば、何処でも少なからず人か妖のどちらかが、どうにも無駄

に排他的だったような気がする。

 

例えば人が命蓮寺に攻め込んで

 

例えば妖怪の山の鴉天狗達が迷い人を切り捨てる。

 

その逆も、また同じように。

 

「……どうやってマミゾウは人と仲良くなったのさ」

 

 それはひよりにしては珍しく、少しの嫉妬が混じったような声音だった。ひよりはそれを

隠すかのようにトンッ、と強めに果物を串で刺し、再び口に運ぶ。

 

「実はな、最初の頃は儂も唯皆を化かしていただけなんじゃよ。妖怪らしく、化け狸らしく

な。色々やって、時に見破られて、時には儂の方が騙された事もある」

 

「……」

 

「切っ掛けは、人と人同士のいざこざだった」

 

何処か懐かしむように、そして悲しむように。

 

二ッ岩マミゾウは己の人生を振り返る。

 

「この島にも何かの取立てだのなんちゃらと言って人が来る。こんな島で金銭や物がある訳

もないだろうに。最低限の食物しか育てないこの里の者達の、それも奪っていこうとした」

 

串が所在なさげに彼女の手で踊った。

 

「そんな時にな、今はもう亡くなったこの里の者が来てこう言った。『どうか貴方様の御力

で彼の者達を欺いて下さい』と。儂も最初は、まず姿を現すか迷ったものよ」

 

目の前を子供達が通り過ぎるのを眺めながら、彼女は言葉を紡ぐ。

 

「しかし毎日毎日来よる。頭を下げて、時に祈って、妖怪だなんて分かりきっているのにの

ぅ……。挙句の果てには貢物、流石の儂も気不味くなった」

 

「……で、結局?」

 

「命を捧げようとまでするから仕方なく正体を現した、とな」

 

 マミゾウは困ったと言わんばかりに肩を竦めて笑った。彼女にとっては、それは悲しむべ

き事ではなく感謝すべきことなのだろう。人との駆け引きの成功や失敗を楽しそうに語る彼

女は、何処かやはりぬえと重なる部分があった。

 

「……やっぱり、ぬえはマミゾウの弟子だね」

 

「まぁ、師弟だからのぅ。やはり似ておるか?」

 

褒めるとすぐ調子に乗る所も、とても良く。

 

「……と、そろそろ里に来た目的の方を果たそうか。いやまぁ、そんなに大それた用でもな

いんじゃが、流石に酒を切らしたまま帰りたくはないからのう――おーい店主、代は置いて

いくぞ!」

 

「分かりましたー!木の葉に変わってない事を祈りますよ!」

 

 奥からそう叫んだ声に二人で顔を見合わせてクツクツと笑う。マミゾウは懐から財布を取

り出し、そこからお金と重石を取り出して席へと置いた。

 

「里の者達との約束でな、外来の者以外には代金の化かしはしない様にしとるんじゃよ」

 

 

そう言いつつも木の葉を態と挟んで置く彼女は、やはり妖怪である。

 

 

 

 

「人間はどうしてか同じ種族同士でよく争う。それを見るのが嫌で、儂はこの島に渡って来

たんじゃよ。例え自分の事でなくたって、仲間同士が殺し合うのを見るのはどうにも好かん」

 

里からの帰り道、満ち満ちた酒瓶と何度か開いた手帳を揺らしてマミゾウは呟く。

 

「……人は人の内でも異端を嫌う。少しでも文化が違えば、それが攻撃の理由になる」

 

「流石に、良く分かっておるなぁ」

 

 それは私が人間の時に体感した事。私が妹紅のように悩むことなく、人間という立場を切

り捨てられた原因――いや、切っ掛け……だろうか?

 

夜の山道を歩く二人分の影は、何処か寂しそうに揺れて。

 

「そうして此処へ来て、儂は再び人を好きになった。『なんだ、結局自分も一部分だけ見て

判断していたのか』と、そう気付かされてのぅ。人間というのは本当に、多種多様な考え方

を持つ種族なんじゃよ」

 

例えば聖白蓮

 

例えば三代目稗田

 

例えば彌里

 

あの時の少年や里長も、もしかしたらきっと――

 

「……そうだね」

 

 だから私は頷く。マミゾウの言う通り、昔の私では見ることの出来なかった人間の様々な

考え方や面白さが見えていた。そしてそれが今の私を構成する大切な何かだ、という事も。

 

「ひよりはぬえより順応も理解も早い。人との関わりについてはひより自身の感性に任せる

としよう。明日からは自分で里に寄ってみると良い」

 

そんな私を見てなのか、マミゾウは嬉しそうに笑って酒瓶をクルリと一回転させた。

 

「明日からは少し面白い妖術を教えてやろう。ぬえにも教えていない凄い奴じゃから、次に

会った時に見せて驚かしてやってくれ」

 

「出来るようになるのは前提なんだ?」

 

そう言うとマミゾウは立ち止まったので、私も立ち止まって彼女の方を見る。

 

「なんじゃ、出来ないのか?」

 

 ニヤリとでも音がつきそうな程に口角を吊り上げ、恐らくはそんな表情をしたことがない

のだろう、多少頬を引き攣らせながらマミゾウは不敵に笑う。

 

全く以って、安い挑発だった。

 

 それでも私は受けるしかない。此処まで様々な『力』を魅せつけられ、大人しく帰る方が

不可能だ。……きっと私は、この人から沢山の事を学ぶ事が出来る。

 

「……やる」

 

私がそう言うと、マミゾウは大きく頷いて私の頭に手を置いた――振り払う。

 

「いよしっ、それじゃあ明日から修行を始めるとするかのぅ。……安心せい、滝行だの岩割

りだのといった物ではない、妖怪らしく精神的な修行方法――」

 

そう言ってあれこれ考え口に出すマミゾウを無視して、私は夜空を仰ぎ見る。

 

輝夜と別れた時や妹紅と別れた時のように――

 

そんな都合良く満月な訳でもなく浮かぶ、更待月。

 

 

それがどうにも、私を安心させた。

 

 

 

 

「良い月だと、そうは思わないかい?」

 

「……」

 

聞こえる呼吸は二人分。響く声は一人分。二つの影が、少しの距離を置いて対峙していた。

 

「私ぁ満月なんて嫌いさ、この世に完璧な物なんて無いんだから。やっぱり今日みたいに半

端に欠けてる方が素敵だと、そう思ったことはないかい?」

 

 声の主、白いワンピースを着た兎の少女は笑う。目の前の蓬莱人、月の人間達を以ってし

て完璧と称えられる月の賢者を、嘲笑う。

 

 彼女はひより以外の生物が立ち寄る事の出来ない永遠亭の敷地に、軽々と足を踏み入れて

立っていた。

 

「……何が、言いたいのかしら?」

 

 此処で漸く対峙していた月の賢者、八意永琳が口を開く。目線を正面の少女から外さず、

弓引く腕に力を込めて、一切の油断を見せずに彼女に問うた。

 

しかし当の本人は、弓など見えていないかのように肩を竦める。

 

「別に私個人としちゃいう事なんてないんだけどね。まぁ、一応昔の総意を『還させて』貰

おうか。『あの時の移住で、私達の殆どは死に絶える事となった』」

 

特になんの感情も込めず、事務仕事のようにそういう少女。

 

「……まさか、貴方は――」

 

 対して優勢であった永琳の表情は蒼白のまま凍り付いていた。弓を番える手は震え、動揺

からか瞳は揺れる。普段らしくない彼女の様子を、しかし少女は知る由もない。

 

「さぁて、ね。アタシは少々長生きだから、色々な噂や話や体験もそりゃあるさ。それより

もそっちの話が聞きたいんだ。――どうして態々月から堕ちて来たのか、ってね?」

 

八意永琳はここに来て漸く確信する。

 

「……貴方は、まさかあの時代に生きていたとでも言うの?」

 

 目の前に佇むこの兎妖怪の少女は、私以上の年寄りで、紛う事無き神代の時代の生物だ。

それが蓬莱の薬を飲むでもなく、月に居る訳でもなく、地上で今まで生き続けていた。

 

――異常としか、言いようのない

 

少女は口角を吊り上げる。

 

「地上を捨てて月へと移住する。付き纏う穢れと死を恐れて逃げる愚か者達。果たしてそう

して出来上がった『そこ』は、そんなに居心地が良い物かい?」

 

「……」

 

「――月読は言った。『お前も共に来ないか』ってね、神の作った完璧な人間の唯一と言え

る欠点……()()事のなくなる月に、お前も一緒に来いとアイツは言った」

 

けれど、と少女は続ける。

 

「それに対してアタシは言ったんだ。『人間の完璧な部分は、お前達神と違って死ぬ事だ。

欠点と言うなら、全ての人間が等しく()()になれないことだろうよ』」

 

「――幸福に、なれない」

 

 少女の言う事は全て的を射ていた。月へ移住した神の名は月読命という名で、彼が提唱し

ていた人の欠点は『死』であり、そして穢れを何よりも嫌っていた事。今この身になって分

かる、死ぬ事の素晴らしさと幸福である事の重要さ――

 

そこまで思考した所で、再び少女の声が掛かる。

 

「でもアンタは気付いた。月から降りてきて、戻らずにそのまま地上へ残った。その理由が

何であれ、お前は再び死なない『人間』に戻る事が出来た」

 

それをアタシは嬉しく思うよ、と。白い兎はクツクツ笑った。

 

「アタシの名前は『因幡 てゐ(いなば てい)』、少し長生きな妖怪兎。能力は『人間を幸

運にする程度の能力』。貴方の心が変わらない内は、きっと幸運に見舞われる筈よ」

 

 それじゃあ、と。因幡は永琳に背を向ける。今まで一度も姿を現さなかったように、今度

はもう二度と永琳の前に姿を現すつもりは無いのだろう。

 

その足を止める言葉を、永琳は持ち合わせていなかった。

 

「――本当、月は住むより眺めるに限るわ。ねぇ、永琳?」

 

しかし止まる。因幡てゐの歩みは、永琳の更に後ろから聞こえた声によって止まった。

 

「……姫」

 

「なんだ、もう一人居たのか」

 

 因幡が振り返り、輝夜が永琳よりも前に出る。間違いなく永琳よりも年齢の低いであろう

二人の筈だが、永琳は二人から得も知れぬ恐ろしさと緊張を促されていた。

 

言葉に表すのならば『天衣無縫』と。

 

後に永琳は、ひよりにそう語る。

 

「月に居ても変化なし、顔も変わらず何時までも同じまま……本当、退屈だったのよねぇ」

 

「違いない。長生きが良い事なんてのは神様と愚者の詭弁、真に必要なのは如何に楽しく幸

せに生きるか、だ。……それで今、姫様は退屈なのかな?」

 

輝夜は嗤う、因幡も嗤う。

 

「全く!毎日が驚きの連続で幸せよ、私。こんな狭い場所にすら来てくれる友人と師匠、そ

れに毎日違う顔を見せてくれる月があるんだもの」

 

竹にはちょっと飽きたけど、と輝夜は苦笑い。

 

「でもきっと、アタシが月へ行っても幸せにはなれないんだろうね?」

 

「なれる訳がないわ。だって貴方、今幸せでしょう?何時来るか分からない死を恐れず、そ

れでも生きる事を諦めない者は月に行っても幸せ『には』なれない」

 

違いないと、今度は因幡が苦笑い。

 

「だから私は提案するわ」

 

「ほほう、提案。そりゃ、勿論両者に利点がある話の事だよね?」

 

因幡の問いに輝夜は勿論だと頷く。永琳と因幡は輝夜の次の言葉を待った。

 

「貴方、因幡てゐと言ったわね?――じゃあてゐ、私のペットになりなさい」

 

「……」

 

「……」

 

 言葉による衝撃は、盾で防ぐよりも耳を塞ぐ方が効率が良い。そんな意味不明な解が永琳

の中で弾き出される程、輝夜の放った言葉は衝撃的だった。

 

そしてそれは、目の前の兎妖怪も同じようで――

 

「……ほほう、提案。そりゃ、勿論両者に利点がある話の事よね?」

 

「ペットよ」

 

「……利点」

 

「私に仕えられること」

 

チラと、流し目で輝夜から永琳に視線を移す因幡。慌てて口を開く。

 

「輝夜、この方は少なくともそういう風に扱える人じゃないわ」

 

振り向く輝夜の表情は、これまで見てきたなかで一番あくどい笑顔。

 

「でも、向こうは満更でもないようだけど?」

 

え?

 

今度は先ほど視線を向けられた兎を見る。彼女は輝夜と同じ嫌な笑みを浮かべていた。

 

「満更って言い方は誤解だけど、まぁ話を聞いてから判断するよ。……それで、貴方様に

仕えると一体どういう利点があるって言うんだい?」

 

「私の師匠……この御方であれば、貴方の後ろの馬鹿達を再教育出来ますわよ」

 

 輝夜がそう言った事で因幡は背後を見る。永琳も同じ場所へと視線を遣ると、そこには

何時の間にか大量の野兎達が群れを作っていた。

 

「……あーぁ」

 

因幡は此方に背を向けたまま参ったと言わんばかりに肩を竦める。

 

「嫌というなら強制はしないわ。……でも、私は新しい物が大好きなのよね。一匹ペット

に一匹鍋に、残りは燻製にしたりとかどうかしら?」

 

「そっちに言った手前あれだけど、あんた人間?」

 

 ねえ永琳?と可愛らしく首を傾げる輝夜から目を背ける。何となくだが、今この場で私

まで彼女と一緒くたにされるのがどうしても嫌だった。

 

因幡の非難の視線も物ともせず、輝夜はフフンと鼻を鳴らした。

 

「つまりはそういう事。持ちつ持たれつ、折角のお隣さんなのだから仲良くしていきまし

ょう?……全く、何で年寄りって話が遠回りなのかしら?」

 

 ねー、などと言いながら因幡の後ろに回って兎を触る輝夜。どうやらもう会話に参加す

る気はないらしい。私は再び因幡と向き合う形になった。

 

「……大変だねぇ、アンタも」

 

「……本当、手が足りなくて困ってるのよ」

 

両手で兎を持って此方を向く輝夜の笑顔、それを守るためには手が足りない。

 

「まぁ、こっちとしても同胞が食われたりなんだりってのは避けたいからね。お宅に私が

行くことでそれが無くなるって言うなら考えてあげるよ」

 

 そう言ってクルリと一回転して自分を見せる因幡。やはりその見た目からは、とても神

代の時代から生きている化け物兎には見えない。

 

……下手に招き入れるのも、本当は危険なのだが。

 

「……なら交渉は成立ね。私が何とかして貴方の同胞達に知識を与えましょう。その代わ

りとして、貴方は外からの情報収集と輝夜の遊び相手をお願い」

 

「うげ、さり気なくじゃじゃ馬姫の相手も頼むのかよ」

 

 こっそり面倒事も押し付けようとしたが、そこは流石に長生き兎。挙句の果てには素の

口調まで披露しながら渋い顔をしてみせた。

 

そして、ニヤリと口元を吊り上げる。

 

「アンタ実は見た目よりも嫌な『人間』なんだな。何時か罰が当たるよ?」

 

 

人間を幸福にする程度の能力を持つ兎が、人間に罰が当たると宣告する。

 

永琳は迷わず口を開いた。

 

 

「……でも、その後は幸福続きになるんでしょう?」

 

「違いない」

 

輝夜が笑い

 

因幡が笑い

 

 

そして永琳も、笑った。

 

 

 

「なーんて事があったんすよ」

 

「嘘よ」

 

「……嘘なの?」

 

 間延びした声でそう言いながらお茶を啜るのは最近永遠亭に来たという妖怪兎、因幡て

ゐ。その台詞をバッサリと切り捨て、輝夜はてゐの服裾を引っ張りながらひよりへと向き

直った。

 

「ひよりも気をつけた方が良いわ。この兎、懐に入れると面倒臭くなる性格なのよ」

 

「いやいや姫さん、アンタに言われるのだけは避けたいんだけどっ――」

 

 言い切る前に輝夜が掴んだ裾ごと庭へと放り投げる。空中で姿勢を取れないまま、てゐ

は竹薮の中へと消えていった。

 

「良いの?」

 

「良いのよ」

 

輝夜はフンと鼻息を鳴らしてそっぽを向き、やがてその視線を私の方へと戻した。

 

正確には、私の全身へと。

 

「面白いわね、『これ』別に蠱毒の一匹を遣わせている訳じゃないんでしょう?……だと

するとひより、貴女一体何処からこれを飛ばしているの?」

 

「佐渡島って所。修行の一環で」

 

「よくもまぁ、あんな遠くから飛ばせる物ね」

 

そう言いながら地図を取り出す輝夜。知らなかったらしい。

 

「……それで、何時帰って来るのかしら?」

 

「もう合格は貰ってるから、何時でも」

 

「そ、なら今直ぐ戻って来なさい。今度はてゐも混ぜて一緒に遊びましょう」

 

 輝夜が懐から『とらんぷ』を取り出して笑うのを見て、私は縁側から空へと舞い上がる。

姫直々の命令、これは急いだ方が良いだろう。舞い上がった私は結局そういう結論に至り、

羽を動かすのを止めて――

 

 

四散した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




しかし現代において鳥が四散すると、都市伝説扱いになりそうですね。


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