孤独と共に歩む者   作:Klotho

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久し振りに真面目展開。


『蠱毒と亡霊』

影の功労者は、つまり唯の苦労人であると。

 

 

最悪とは、つまり積み重なって昇華されていくものである。

 

 例えば食事……何か久し振りに美味しい物を食べて、『あぁ、最高に美味しい!』なんて思

う事がある。多分その時は本当に幸せで、思い出したとしてもきっと良い気分になれる事だろ

う。

 

だがそれは一時の情であるという事を忘れてはならない。

 

 何時かまた再び『最高に美味しい』物が現れるという事だ。その時私は過去のそれを忘れ、

目の前の食事に舌鼓を打ってこう言う……『あぁ、最高に美味しいな!』と。

 

逆もまた、然り。

 

「え、えーと……八雲紫からの伝言です」

 

私こと、射命丸文はその逆の方を今体感していた。

 

「「「……」」」

 

「あの、そのですね。今の内に出席確認を取れと……」

 

 一昔前に大天狗から喧しく叱られていた時も、つい数年前に天魔様の屋敷へ突撃した時も、

少なくとも今の状況よりはマシだったと言える。

 

「で、では!これから呼ばせて貰います!」

 

 八雲から手渡された書状を広げて無理矢理声を張り上げる。引き受けて此処まで来た以上ど

うせもう引き返せないのだ。私は胸の内で密かに神……取り合えずひよりの居ると言っていた

博麗神社に祈り、上から順に読み上げた。

 

「崇徳天皇様!」

 

「……」

 

天魔様答えず。

 

「玉藻御前様!」

 

「……」

 

無論九尾の狐答えず。

 

「酒、酒呑童子様!」

 

「……」

 

割と真面目に、あの隙間妖怪は何故私にこの嫌がらせを命じたのだろうか?

 

「うし、良くやった!後はこいつ等の微妙な顔見て楽しもうか」

 

 唯一名の上がっていない勇儀が楽しそうに酒を煽って笑う……いや、本当は彼女の分もあ

るのだが。私は一番下に小さく書いてあった「一本角」の文字を暫く眺め――風を操ってバ

ラバラにして吹き飛ばした。

 

……これ以上災厄を積み重ねる必要もないだろう。

 

「……紫の差し金ってのは分かるけど、まさかそれを言いに来た訳じゃないんだろう?」

 

 いち早く復活したのは萃香。未だ他の二人は微妙な顔をしている。私は居住まいを治して

彼女に向き直り、今度はひよりから伝えられた伝言を口にする。

 

「はい、ひよりからの伝言です。『地底には着いた、後は鬼と狐と天狗次第』――と」

 

 私的にはこの言い方も随分無礼な物だと思ったが、しかし三人はそれを聞いて漸く表情を

変えて立ち上がる。

 

「勇儀、私は皆に声掛けて来るからさ。そっちは頼むよ」

 

「おう」

 

萃香が木を背に酒を煽る勇儀にそう言い、天魔に耳打ちをしてから私の方へ……私の方?

 

「……お前はこれからも自由に生きると良いさ」

 

それじゃ、そう言って通り過ぎていく萃香。

 

「あ……」

 

 そうか、そういえば他は兎も角として二人は確実に地底に住む事になるのか。私は今一度

勇儀を見つめ、彼女の瞳が何処か遠くの何かを憂いでいる風な気がして息を呑む。鬼である

彼女も、ああいう顔をする時があるのか――

 

「萃香様、勇儀様」

 

口に出してしまったのは反射的に。

 

「ん、どうした?」

 

答えが返ってきたのは勇儀の方だけ、もしかしたら萃香の方はもう居ないのかもしれない。

 

それでも私は、聞こえている事を信じて息を吸い込んだ。

 

「今までっ、ありがとうございましたっ!」

 

 突然妖怪の山の天狗社会に殴り込んで来た鬼達。お陰でかなり迷惑もしたし、その所為で

私を含め様々な鴉天狗や白狼天狗が鬼や大天狗の憂さ晴らしに振り回されもしたが――

 

『しかしな射命丸よ、儂は別に力に屈服してあの鬼共を山に入れた訳ではない』

 

『……えぇと、つまり?利益があるとか、ということでしょうか?』

 

『気が合う、と。そういう事だ』

 

酒が好きで、喧嘩が好きで、見た目に寄らず実は噂好きと。

 

成程確かに似ていると、そう思い始めたのはつい最近

 

「……なぁに、別にそこまで畏まるこたないよ。妖怪の時は長い、どうせまた会える」

 

カラカラと笑う勇儀。彼女は杯を持っていた手を此方へ――その後ろへと向けた。

 

「……?――あ」

 

「……っ」

 

 グスンと、意識を傾ければ簡単に聞こえる鼻水を啜る音。私は振り向かずに周囲を見回し

て、あの人以外の全員が視界に入っている事を確認してから名前を呼ぶ。

 

「――萃香様?」

 

「っ!な、何だ、私はもう行くんだけどっ!」

 

彼女にしては珍しい、泣き声混じりの子供っぽい声。慌てて言葉を捜す。

 

「その、ほら。勇儀様も言っていた通りまた会えますから。私も、ひよりも。……もし何だ

ったら萃香様達の方から来てくれても構いませんし」

 

咄嗟にしては上出来だが、とんでもない事を私は口走っていないだろうか……。

 

「……っうん。また、会いに来るから」

 

きっと今後ろを見たら可愛い童子の顔が見れる。

 

「……はい」

 

――我慢。私も命は惜しいのだ。

 そうして歩き出す音が聞こえ、それも段々と小さくなって聞こえなくなる。私は後ろを振

り向いて今度こそ彼女が居なくなった事を確認し、一人静かに溜息を吐いた。

 

「萃香は少し涙もろいんだ、勘弁してやってくれ」

 

そういって苦笑するのは片割れの四天王。

 

「あ、いえ。そういう溜息ではないんですが……」

 

もう二人に頼る事は出来ないんだなぁと残念がっただけなのだが。

 

気付いていないのだろう勇儀はうんうんと頷き――

 

「さて、そろそろ行くよ――天魔が」

 

「儂か」

 

ポンと、隣に座っていた天魔の肩を叩いた。

 

「天魔様はどういう関わりなんでしょうか?」

 

 伝言を頼まれただけで余り良くは知らないが、従者である九尾の人と地底に住む二人を除

いても、妖怪の山に留まる筈の天魔が一体何の仕事をするつもりなのか?

 

天魔は暫く思案し、徐に片手を上げて風を行使した。

 

「儂の仕事はこの紙に書いてある通り、最後に『崇徳天皇』として一騒ぎ起こす」

 

 その手の上に浮いているのは、先程私が風で千切って思い切り吹き飛ばしたあの紙。亀裂

が入っているにも関わらず、紙は周囲を覆う風によって完璧に元の形を保っていた。

 

当然それならば、下に書いてあった文字も見える訳で――

 

「……ふっ」

 

天魔は笑った。笑って、再び風を使って紙を何処かに飛ばした。

 

……一安心。

 

「ん?どうしたんだ天魔――」

 

「えっと!一騒ぎするとどうなるんでしょうか!」

 

 半ば無理矢理に勇儀を遮って私は叫ぶ。この際、天魔の軽い口から先の言葉が出るよりも

先に彼に何か言わせる他ない。勇儀が不服そうに此方を見るので心で謝りつつも、そこは譲

らない私だった。

 

どう考えても八つ当たりは、天魔ではなく私に来るし。

 

「……地底に居る閻魔とやらは人間の味方。儂等妖怪の話などまず耳に入らんじゃろう。つ

まりあの隙間のような特殊な妖怪でない限り、直接地底へ入る手段は存在せん」

 

「成程、すると萃香様達は侵入が難しい訳ですね」

 

天魔が頷く。今度は勇儀が口を開いた。

 

「そこでこいつの出番さ。嘗て天皇として世を過ごし、呪いもどきを演出した時の様に今度

は人間達に警告する。『山の麓の洞窟に巣食う鬼共を封印しろ』ってな」

 

あぁ、そうか――

 

「自分達の意志ではなく、あくまで人間の意志で地底に落とされるんですね」

 

確かに聞けば、意外と上手く行きそうな作戦ではある。

 

「……しかし、問題点もあるんじゃないですか?封印を解くとか、人間にまかせっきりにす

るとか、万が一その場で退治なんて事になったら――」

 

「その点に関しては問題ない。人間達と共に一人、私達の内通者である巫女を一人手配して

ある。彼女が居ればその辺りの問題は解決するだろう」

 

私の言葉を遮ったのは黙っていた八雲の従者。確か名前は……

 

「玉藻様?」

 

「藍だ」

 

 そこまで怒る事だろうか?彼女は心外とばかりに溜息を吐き、空を見上げてから私達に背

を向けて歩き出す。

 

「私は行きます。天魔様、何卒手配通りに」

 

「うむ」

 

 最後に天魔に向けて一礼。私の時とは打って変わって礼儀正しく。

 隙間妖怪が使うのと同じスキマに入って姿が見えなくなった事を確認し、私は正面に座る

勇儀へと声を掛けた。

 

「……で、あの人は何ですか?」

 

「くくっ、自分より強い妖怪全員に謙る訳じゃないお前が私は好きだよ」

 

褒められることではないが、少し気恥ずかしい。

 

「で、あの人は何ですか?」

 

「紫が新しく従者にした『八雲藍』だ。今回は裏方というか、紫とひよりが閻魔と交渉する

為の援護をするのが仕事かな。ちなみに、萃香や天魔と同じ位強いぞ」

 

だからもっと尊敬しときなよ、と勇儀は言う。

 

「援護、という事は直接地底には行かないんですね」

 

無視。

 

「あぁ、話聞いた限りだとかなり面白い交渉材料を用意するらしいぞ」

 

立ち上がり、瓢箪に残っていた酒を全て飲み干してから彼女は言った。

 

 

「冥界を、まるまる一つ」

 

死後の世界を、用意しているらしいと。

 

 

 

 初めて紫がひよりという少女を連れて来てから、付かず離れずといった距離感で私と彼女

は相対し続けた。この屋敷へ来る経由こそ紫頼みだが、此処へ来るのは彼女自身の意志らし

い。話を聞いた限りでは、そう言っていた。

 

「私、そんなに長い時間居た訳じゃないけれど、貴女の事が好きよ」

 

ポツリと、久し振りに出た縁側に座って幽々子は言う。

 

「……」

 

ひよりは何も言わず、スススと微妙に幽々子から離れた。

 

「別に、そういうつもりで言ったんじゃないんだけど」

 

 そう弁解すると再び距離を詰めて落ち着く。別段近い訳でもない、一メートル以上は離れ

ているだろう。幽々子はそれを眺め、視線を外して空を見上げた。

 

「少し、紫や妖忌は近過ぎるのよね。心配してくれてるんでしょうけど、でも流石に毎日代

わる代わるやって来られても困るのよ。これじゃ、何時になっても私は――」

 

……私は

 

「死ぬ事が出来ない」

 

そう言ったのは、隣の少女。

 

チラリと視線を横に遣る。此方すら見ていなかった。

 

「……えぇ」

 

 奇妙なモノだった。長く共に居る紫や妖忌よりも、突然現れて偶にしか話さないこの少女

の方が自分の事を分かっているのだから。……いや、もしあの二人が私の気持ちに気付いて

いるとしても、きっとこの少女のように接してはくれまい。

 

どうせ、まだ希望はあると言って励ましてくれるのだ。

 

「私は、もう貴女と会う前から死にたがっていたのに」

 

「そう」

 

幽々子の本心からの言葉に対して、少女の答えは非常に淡白だった。

 

故に、幽々子は安心してひよりと話す事が出来る。

 

「別に困るのは紫と妖忌だけだし、私達は止めないよ」

 

数少ない、私の理解者であり()()()

 

「……ありがとう」

 

好きだった。

 

 

 

「ひよりっ、居るかっ!?」

 

 そんな焦りと緊張の混じった声が博麗神社に響き渡ったのは、幽々子と出会ってから二年

と少し経ったある日だった。私は箸を動かしていた手を止め、聞き間違いはないだろうが一

応正面に座る彌里を見る。

 

「今の声、藍様でしょうか?」

 

一応彼女にも聞こえていたらしい。

 

「……ま、見当はつくんだけどね。彌里、少し出掛けて来る」

 

 ほんの少しだけ残っていたおかずを彌里の器に入れ、私は箸を置いて立ち上がった。後ろ

で黄色い歓声が上がるのを無視して表へ出ると、そこには既に見慣れたと言っても過言では

ない紫の従者の姿が。

 

「藍、今度は何が起きたの?」

 

 とりあえずは問題発生路線で尋ねる。藍がこうして問題ごとを引っさげて此処へ来ること

は珍しくない。まずは話を聞いて、それから判断を……

 

「西行寺幽々子が――」

 

 

決行日を今日にしたと、そういうことらしい。

 

 

 

 

西行寺家の屋敷は、最早唯の幽霊屋敷と化していた。

 

 そこかしこに西行妖に釣られて集まったのだろう幽霊や亡霊が飛び交い、幽霊は冷気を、

亡霊は呪詛を呟きながら私の横を通り過ぎる。つい一昨日見に来た時とは全く違う景色に一

時は出る場所を間違えたかと思った程だ。

 

「……本当に、侭ならない物ね。世の中って」

 

 一歩、白玉楼の門へと近付く。恐らく今頃藍がひよりを呼びに行っているだろうから、私

は彼女が来るまで一人でこの状況を維持しなければならない。

 

改善とはいかなくても、悪化させないだけならば――

 

「だから、貴方は下へ降りなさい。妖忌」

 

「……」

 

 門の直ぐ横に胡坐を掻いて俯き、自身の刀を地面に突き刺す男。

今この場は死の風と気配に満ちている。例え半分生きていない妖忌だろうとこれ程の力に抗

い続ける事は難しいだろう。今直ぐ刀で喉笛を掻き切らないとも言い切れない。

 

男が、顔を上げる。

 

「儂は姫様の元を離れる訳にはいかん。例え自身の命が危険でも、な」

 

彼の瞳は未だ生の光に満ちていた。半分だけなのに、一人前に。

 

「俺は幽々子の能力で死ぬ訳にはいかない。俺だけは、絶対に彼女に殺されてはならない」

 

「……全く、末恐ろしい男よね」

 

 彼の意識が既に半ば飛びかけている事に紫は気付いていた。何時から此処に居たのかは分

からないが、少なくとも一番早くに駆けつけたのはこの男だった筈――

 

私は妖忌の真下にスキマを開いた。

 

「――っ!」

 

「あとは、貴方の信念を捻じ曲げる悪い妖怪に任せて置きなさい」

 

意図も容易く落下した老人を見届け、紫は門を潜って中へと入る。

 

「……」

 

ザクザクと、普段は気にならない砂利の音が異様な程耳に残った。

 

 風の音も、鳥の声も、草木も音すら立てない空間を私は淡々と歩き続け西行妖を目指す。

段々と近くなる死の気配は、そこにやはり幽々子が居るのだろう確信を持たせて――

 

 

私はひよりと対峙した。

 

 

 

 

「ねぇ、貴女に一つお願いがあるのよ」

 

「嫌」

 

即答、しかし此方も諦める訳にはいかない。私は無理矢理続けた。

 

「きっと私が何処へ行こうと何をしようとあの二人は付いて来るわ。それを、一時的にでも

良いから誤魔化して欲しい。私が、あの桜の元に辿り着くまで」

 

 正直そこまで歩いて行けるかも最早怪しい。それでも、自身に残された時間を考えれば急

を要する必要が私にはあった。

 

せめて父と同じ場所で眠りたいという願いが、少女にはあったのだ。

 

「……本気で言ってるの?」

 

それは、勿論本気で死ぬつもりかと問うている訳ではない。

 

「えぇ、きっととてつもなく大変な依頼よ。勘の良い妖忌と何処でも覗ける紫、この二人を

同時に騙し続けて欲しいと……そう頼んでいるんですもの」

 

 それがどれ程難しいか私は知っている。行為としても勿論だが、この頼みを聞いてくれた

場合ひよりは二人と敵対する事になるのだ。正直、彼女と紫達の間を裂いてまで頼むことで

はないのだろう。

 

それでも、もう私は後戻りも進むことも出来ない。

 

「……良いわ、忘れて――」

 

だから、私一人で何とかするしかない。そう決意を固めた、その隣で――

 

「やる」

 

少女が声を上げた。

 

「……え?」

 

「やるよ。紫を騙して、妖忌を引き離して、幽々子をあの桜まで運んであげる」

 

少女が初めて自分から此方を振り向いた。その顔は、相変わらずの無機質。

 

「別に難しい事じゃないよ。二人にも色々弱点はあるしね」

 

「……でも、貴女と紫は友達でしょう?」

 

 何時からの付き合いかは聞いていないが、それでも人一生分はあるのではないだろうか。

そんな関係な筈の少女が紫の敵に……別段親しい訳でもない私に手を貸してくれる理由が私

には分からなかった。

 

私では彼女の理解者足り得なかった、と。

 

「まぁ、別に損得勘定とかで手伝う訳じゃないよ」

 

声は遠い。見ると、既に少女は縁側ではなく妖忌の手入れしている庭先へと出ていた。

 

「それが貴女の救いになるなら、生きることを諦めて貴女が満足出来るなら……西行寺幽々

子が死を選ぶことで皆が幸せになれるのならば――」

 

『私は喜んで、貴女を殺して差し上げよう』

 

少女はニッコリと笑ってそう言った。

 

私に手を差し伸べる。

 

「この手を取ればもう後戻りは出来ない。私は蠱毒、生かすことに労を割いても、死なせ仕

損じる事は有り得ない。貴女の命は、文字通り私の存在意義を持って無にする」

 

「っ、本当に……?」

 

 それは幽々子にとってまさに天から差し伸べられた手だった。今まで散々引き伸ばされ、

無理矢理我慢してきた()()が目の前の小さな手に――自然と、幽々子の瞳から透明な雫が流

れ始めた。

 

「本当に、貴女が?」

 

本当は助けるつもりなのではないか、そんな絶望を少女へと投げ掛ける。

 

「全く関わりの無い人間一人殺すのに、何の気兼ねがいるの?」

 

絶望はバッサリと切り捨てられた。

 

 

幽々子はふらつく足取りで、少女の小さな手へと腕を伸ばして――

 

 

 

「どうして貴女が此処にいるのかしら?……いいえ、どうして其方側に居るのかしら?」

 

 私が向かおうとしていた西行妖を遮るようにひよりは立っている。それも私に背を向ける

形ではなく向き合う様に、だ。

 

「それが分からない紫じゃないでしょ」

 

「えぇ、理由は分かる。けれど、どうやって?」

 

 妖忌に察知されず、藍を誤魔化し、私を騙すことが出来たのか。この時、私は彼女につい

ての重大な事実をすっかり忘れていた。忘れていたというより、彼女がそれ以降一度も見せ

なかったから――

 

彼女は彼女達になることが出来る。

 

「簡単。妖忌の目の前で階段から降りて、藍の召集に応じて、紫に見えるように神社で過ご

していれば気付かれることもない……妖忌は、少しだけ攻撃しちゃったけれど」

 

離れようとしないから、とひよりは困った風に笑った。

 

「……盲点だったわ。確かに、私は貴女が何人になっているのか知る術がない。それが動物

の姿であれば、殆ど私の能力では探すことが出来ないのね」

 

「うん。でも、多分紫が一番初めに気付くと思っていたよ」

 

『人として死なせてあげるのも一つの助けだと私は思うんだよね』

 

「それが、貴女の出した答えだったのかしら?」

 

西行寺幽々子を殺すことが、彼女自身の一番の救いだと――

 

「そう、それが私の結論。本人が涙を流して喜んで、私も別に止める気はなかった」

 

だからやったと、そういうことか。

 

「……貴女は、もう少し手段を探そうという気持ちはなかったの?」

 

 もしかしたら幽々子を救う方法だってあったかも知れない。そんな風に少女を睨むも、私

は彼女が瞳に一切の負い目を漂わせていないことに気付いて身体を強張らせる。

 

少女の言葉は、世界の何よりも私の心を鷲掴む。

 

「遅過ぎる。紫も、妖忌も、幽々子がどういう気持ちで生きていたのかも知らないで。

蠱毒と同じ、ジワジワと死に近づいていく恐怖を知らないからそうやって悠長に構える」

 

「――楽観しすぎ」

 

少女はそう言った。

 

それだけ言って、もう後は何も喋らない。

 

「……」

 

 言わなくても、もう私に反論の余地はなかった。早々に諦める位置も、渋々諦める位置も

完全に私達は見失っていた。そうしてただ、幽々子を無理矢理引っ張り続けた。

 

それがどれ程彼女の苦痛となったのか。

 

「……確かに、私は何処かで楽に見ていたのかも知れない」

 

ポツリと、自然に口から出た言葉は肯定。

 

「『多分生きている内に何とかなる』なんて、今考えたら馬鹿らしい妄想よね」

 

 死に掛けている人間を人のまま延命し、能力を扱えるようにして、尚且つその後は普通の

人間として一生を過ごさせる。そんな『難題』に挑戦するより、目前に近づく死を彼女と共

に過ごしてあげる方が――

 

「それでも、私は決して幽々子を見放さないわ。」

 

良いのではないかと、そう思った時期も確かにあったのだ。

 

「……」

 

「幻想郷の管理者としてでも、妖怪としての興味本位でもない……一人の友人として、私は

幽々子を助けてあげたいのよ」

 

 でも、もし彼女の本音が聞けたなら……それはきっと『死にたい』なんて下らない言葉で

はなかった筈。前にも後ろにも道がなくなり、それでも尚生きようと足掻く彼女の想いがき

っと何時も胸に秘めたままにしてあった。

 

「だからそこを退きなさいひより。私は幽々子を助けに行くわ。例え、幽々子の気持ちを裏

切ることになったとしても――」

 

「私は、私の願いを叶える」

 

私と妖忌を引き離して、止められなかったと嘆かせまいとした彼女を。

 

紫は一歩、ひよりに向けて歩みを進めた。

 

「どうぞ」

 

「……」

 

 たった一歩、まだ彼女との距離は数メートルもある。なのにひよりは、自分から私の道を

空ける為に横へと避けて優雅に頭を下げた。微かに横から伺える表情は何時もとは違う――

 

歓喜

 

「決めたなら、止めない。私と幽々子の契約は『西行妖の元で果てること』。それ以外は全

て私に一任されているし、その後の後処理も任された」

 

魂と骸もね、と。私は確かに彼女がそう呟いたのを聞いた。

 

「……ひより、貴女――」

 

「ほら、急がないと魂が回収されるよ。……大丈夫、桜の方は()()()しておいたから」

 

そう言って顔を上げて笑う少女は、しかし何処か寂しそうな表情だった。

 

「殺した私が、再びあの場所へ行くつもりはないよ」

 

何故、この少女が此処に立っていたのか。

 

「……本当に、その役目を背負うつもり?」

 

幽々子の願いを聞き入れ、殺し、妖忌を攻撃し、藍を騙し、私を足止めする。

 

目の前で少女を見た紫以外にとっては、それは裏切りと反逆以外の何者でもない――

 

ひよりは幽々子が死んだ原因を一人で背負おうとしている。

 

「藍はきっと怒らない。紫も、攻撃しないってことは良いんでしょ?……でも、まぁ、妖忌

にはもう会えないかな」

 

主人の仇で、不意打ちの張本人。

 

「きっと、妖忌は貴女を怒らないでしょうね」

 

私の言葉に対する少女の反応は驚き。ひよりにしては、珍しく。

 

「……そう?」

 

「えぇ」

 

きっと、彼も感謝する筈だ。誰にも出来なかった役目を一人で背負った少女に対して。

 

私は歩き、歩いて、ひよりの隣を通り過ぎる。

 

「さて、私は最後の手段を行使する訳だけども……これ、疲れるしお腹が空くのよね」

 

一瞬だけ立ち止まり、恐らくは真後ろに移動したのだろう少女に聞こえるよう呟く。

 

「分かった、何か作って待ってる」

 

 今度は正反対。私が西行妖側、ひよりが門側へと歩き出す。正面に段々と見えてきた桜

と対照的に、背後から聞こえる足音はどんどんと小さくなっていく。私は無視して歩みを

進めた。

 

「あ、そうそう」

 

と、遠く離れた場所からひよりの声がした。

 

「幽々子の遺言、聞きたい?」

 

西行寺幽々子の、遺言。死の間際に残した言葉。

 

「……必要ないわ」

 

「『もっと一緒に居たかった』……ありふれてるよね」

 

何よりも難しいことだけど、少女はそう付け加えた。自身に掛け合わせて、そう言った。

 

「……えぇ――」

 

 

 

「それを叶えに私は行くのよ」

 

 

 

一言で表すならば、そこは既に終結した場所だった。

 

 

西行寺幽々子は西行妖の木の下で眠るように――

 

自身の下で死んだ彼女の力を得て周囲を殺しつくす筈のかの木も、また――

 

 

終わっていた。

 

「……」

 

衰弱死。

 

 幽々子の身体には、何処にも切り傷や噛み跡一つ見つからない。その瞳は閉じられ、死に

行く中途だったのだろう表情は、微笑み。紫はそっと彼女の元まで歩いていき、壊れ物を扱

うかの様にそっと持ち上げた。

 

「こんなに、軽くなっちゃって」

 

全体重をかけてもこの程度。

 

この程度の物も、守れなかったのか――

 

「貴女の請負人は、ちゃんと約束を守ってくれたのよ」

 

紫は幽々子の亡骸に隣の西行妖を見せるように体を傾ける。

 

 西行妖はその下で大勢の人間が死んだ故に能力を開花させた桜だ。意志がないので満開に

なったときに無差別に周囲の生命を奪う強力な樹。

 この木の本能は幽々子を欲していた。偶然近くにいて、偶々自身と似た能力を持った彼女

を。幽々子の力を吸収することで、西行妖は自身の力をより強力にしようと――

 

「本当に、こんな風になった西行妖を見れるなんて」

 

 枯れ果てた西行妖の巨大な幹の根元には、幽々子の亡骸とは違い複数の小さな噛み跡がつ

いていた。そこから幹がどんどんと黒く侵食し、それが全体へと伸びているのが分かる。

 

間違いようもない、あの少女の能力がこの樹を殺したのだ。

 

人を殺す妖怪桜も、別に死なない訳ではない。

 

「でも、この樹は何時か復活する。既に物質ではなく、概念として存在するこれは――」

 

また再び蘇り、周囲の生物を殺そうとする。

 

「……私も貴女の願いを叶えましょう」

 

 紫はそっと、西行妖の手前に幽々子の亡骸を降ろした。そして彼女と西行妖の間に、スキ

マから取り出した巻物を広げ、紫は自身の妖力を限界まで放出し始める。

 

ビリビリと周囲の空気が振るえ、周囲は濃厚な『霊力』に包まれた。

 

「一体、何処でひよりは気付いたのかしらね」

 

紫が今置いた巻物には、合計三つの術式が内蔵されていた。

 

一つ、妖力を霊力に変換し、その変換効率を限界まで元に留めること。

 

二つ、対象の『生物』を結界で保護し、その()を逃がさないようにするもの。

 

三つ、莫大な霊力と依代を使い、対象を半永久的に封印する。

 

前者の対象を幽々子に、後者の対象を西行妖に。

 

「ひよりとあれ以上話していたら、西行妖が健在な状態でいたら、きっと間に合わなかった」

 

魂は幽々子の亡骸から抜け、三途の川へと行ってしまう。

 

ひよりは『どうぞ』と道を開け、

 

西行妖が既に果てていなければ――

 

「……幽々子、貴女の請負人は本当に、貴女の依頼を完璧に全うした」

 

私達を騙し、幽々子を殺し、西行妖を殺し――

 

結果私達を守り、幽々子を救った。

 

「誇りなさい。そして、ちゃんと自分で感謝しなさいっ!」

 

 

紫は術式を発動した。

 

 

 

「申し訳ないっ!」

 

 私の目の前で頭を下げるのは、西行寺家の庭師魂魄妖忌。私の想像していた状況と全く

正反対の状況に、内心で私は酷く動揺していた。というか困惑していた。

 

「何で?」

 

何故妖忌が頭を下げるのか、その理由が分からない。

 

「……ひより殿には、辛い役目を押し付けた」

 

……あぁ、なんだ。そのことか。

 

「偶然。私は幽々子の願いを叶えただけだし、そしたら暴れだした樹を黙らせただけ」

 

「そして八雲に発破を掛け、その下準備を済ませた、と……偶然は、一つで充分でしょう」

 

たまたま貴女がその位置にいたと、その偶然だけで。妖忌はそう言って再び頭を下げた。

 

「助かりました。このご恩、必ずや私の名に掛けてお返しいたしましょう」

 

「だったら、幽々子から離れないように」

 

 隣の部屋から聞こえるのは紫と幽々子の笑い声。誰と居る時も笑わなかった彼女は、今

誰よりも楽しそうに笑っていた。

 

妖忌も一度、壁を通り越した先を見据えて――

 

「言われなくとも」

 

ニヤリと、獰猛な笑みを零した。

 

「……幽々子も大変だね」

 

こんなやる気に満ちた従者が居ては、寝るとき以外は常に付きっ切りでも可笑しくない。

 

……まぁ、それ位は我慢して貰わないと、か。

 

「それじゃ、私はそろそろ帰るよ」

 

 立ち上がり、正面に座る妖忌に一度頭を下げてから障子を開く。庭先には、既に藍がス

キマを開いて待機してくれていた。

 

「……会っていかないのですか?」

 

 後ろから聞こえた妖忌の声に足を止め……別の背後から聞こえて来る笑い声に再び足を

進めた。

 

スキマに足を踏み入れ、最後に振りかえって妖忌に一言。

 

 

「今は二人きりに。それが、私の願い」

 

苦労人は、それとなく消えていった。

 

 

 

 

『――』

 

私は耳元で開いていたスキマを閉じ、幽々子に気付かれない様に溜息を吐く。

 

本当に、最後の最後まで悪役を演じきった少女。

 

「幽々子、実は貴女を助けてくれた人はもう一人居るのよ」

 

「あら、そうなの?何処にいるのかしら」

 

キョロキョロと周囲を見回す幽々子。現世に留まる代わりに、彼女は幾つかを失っていた。

 

 まずは肉体。亡骸は西行妖の下に埋め、それを依代にして封印。身体が半永久的に消滅

しないので、魂も行き場を失って現世に留まる形になった。それが、今の幽々子。

 

即ち、亡霊と。

 

「えぇ、ひよりって言う子なんだけど……分からないかしら?」

 

「うぅーん……駄目、思い出せないわ」

 

 次に記憶。魂を現世に留める為に、私は彼女の生前の記憶を共に封印した。これで彼女

は何故死んだのか理解出来ず、それに気付くまでは亡霊として生活が出来る。

 

「でも、きっと良い人なのよね?会ってみたいわ」

 

「……えぇ、良い人過ぎて、自己犠牲気味なのよ」

 

そして先も、妖忌にだけ別れを告げて神社へと帰っていった。

 

「どう?今度私達から直接会いに行かない?」

 

だけどそうはさせるものか、働きに応じた報酬は当然、支払われるべきだ。

 

「あ、良いわね!妖忌も連れて三人で行きましょう!」

 

こんなにも明るくなった幽々子を見ずに、ただ離れるなど許しはしない。

 

 

「さて、明日にでも行きましょうか。大丈夫、きっと向こうも歓迎してくれる――」

 

 

八雲紫の、名にかけて。

 

 

 

「ほら、着いたぞ」

 

「ありがと」

 

 スキマから降り立った先は博麗神社。ほんの数時間しか離れていない筈が、随分と長く

感じられた。私は共に降り立った藍と共に神社に向かって歩き出す……彌里狙いか。

 

「しかし驚いた。まさか本当にお前が二人居たとは」

 

隣を歩く藍がポツリと呟く。

 

「自然だったでしょ。だって、完全に独立してるからね」

 

 神社にいたひよりは、私が幽々子を西行妖に連れていく日を知らない。故に勘の良い藍

に気付かれないまま、自然に誤魔化すことが出来た。

 

「だが、私を騙す必要はなかったな。残念ながら私もお前と同意見だったよ」

 

幽々子を死なせることが、開放になると。

 

「紫の従者」

 

「……そうだな」

 

間違っていれば、それを訂正するのは従者の役目だ。

 

それでも私は、紫や妖忌がしていたことが間違いだとは思っていない――

 

「あ、母様、藍様!お帰りなさーい!」

 

神社の直ぐ近く、石畳から外れた地面で――

 

彌里が、焚き火をしながら木の枝を振っていた。

 

娘よ、私はそれを私が家を出たら直ぐ焼くようにと……そう言った筈だが。

 

「季節は春。焼芋には、少し早いな。それに、焼いているあれは反魂の――」

 

そこまで言って、藍はジロリと此方を睨みつける。

 

「本当に素直じゃないな、お前は」

 

「……さて、ね。藍さえ黙っていてくれれば、何も問題はないよ」

 

 結局私の力では何も出来なかった。紫頼みの作戦である。

もし紫が私と同じ方法に行き着いていなければ、私は幽々子の魂がこの世を離れるまで

紫と戦うつもりであそこに立っていたのだ。そうすれば二人も諦めがつく、と。

 

「しかし分からないのは、どうしてお前が西行寺に協力したのかという事だ」

 

藍は問いかける。何故、私が彼女に協力したのかと。

 

確かに、幽々子が救われるのならと。そう思ったのも半分。

 

「一緒に居たくても叶わない、その辛さも知ってる」

 

「……」

 

 それじゃあ、そう言って私は手を後ろに振りながら神社へと入る。中途彌里が寄って

来たので頭を軽く叩き、藍の相手をするように言ってから――

 

 

「実は、遺言は初めて二人きりで話した時に聞いてたと」

 

誰にも聞かれず、そう一人呟いた。

 

 

 

「地の果て、地の底……うーん、良い気分ね」

 

「趣味が悪い」

 

 スキマから降り立ち、私と紫は硬い地面改め岩へと着地。周囲に人気は全くなく、代

わりに怨霊と微弱な妖力がそこかしこに溢れていた。

 

「怨霊は恐らく地獄の業。妖力はきっと封印の所為――」

 

「その通りです」

 

 紫の言葉を遮るように、突如背後から少女の声が響く。私も紫も気配を察知出来なか

ったと言うのに、しかし私達はゆっくりと背後を振り返った。

 

「今晩は、閻魔様。随分と可愛らしい格好ですのね」

 

「……」

 

 正面に立つのは私と同じ位の背丈の緑髪少女。手に持つは悔悟棒、格好は西の大陸風

の出で立ちに近いだろうか。調べた限りでは浄玻璃の鏡なんて物もあるらしい、が……

パッ見で確認出来なかったので諦める。

 

閻魔と呼ばれた少女は、一度私と紫の間で視線を動かした。

 

「えぇ、間違いありませんね。貴女、馬鹿でしょう」

 

ビシリと、悔悟棒を紫へ突きつける。

 

「……言いますわね、子供の分際で」

 

「紫、閻魔様。そこら辺で止めて」

 

 私が居なかったらどうなっていたのか、言うまでもない。紫はふんと鼻を鳴らしてそ

っぽを向き、閻魔は少し気恥ずかしそうに咳払いをした。

 

「……失礼しました。私は『四季 映姫(しき えいき)』。この地獄を管轄している閻

魔です」

 

「私はひより。こっちのが八雲紫」

 

 全く使い物にならなくなった賢者の代わりにそう答える。四季映姫は暫く思案し、や

がて周囲を一瞥してから此方を見た。

 

「それで、無理矢理地獄に突入してきた理由は何でしょうか?」

 

 恐らくは彼女も分かっているだろう。今此処にあるのは、地獄()と封印された妖怪と

怨霊だけ。少なくとも、望んでいるのは怨霊ではない――

 

「この地獄跡を頂きに」

 

「友達を助けに」

 

 

八雲紫もひよりも、どちらも真剣にそう答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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