孤独と共に歩む者   作:Klotho

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本編とは何ら関係の無い話。




『三代目稗田』

 

三代目阿礼乙女、『稗田 阿未(ひえだあみ)』

 

 四代目から八代目を持って『異質』と称され、九代目稗田阿求が初めて『偉大』と書いた彼女。稗田家当主としては最年長の二十八歳で亡くなり、その死の間際まで現在の人里でも多く引用されている知識や法を生み出した人物――

 

 

 

 

「うーん、やっぱりこの程度ですか……」

 

丁寧に閉じて元の場所へと戻す。

 

私こと稗田阿求は現在とある人物の編纂作業の為資料室を訪れていた。

 

「少ないですね、三代目の記録は」

 

 三代目阿礼乙女、稗田阿未の情報を私は探し回っている。……探している、と言っても既にこの資料室の文献は殆どを見終え、それでも全くといって良い程分からないという異常事態にまで達しているもだが。幻想郷の歴史を記録してきた稗田家とは思えない事実だ。

 

とはいえ、それが彼女を編纂したかった理由ではない。

 

理由は彼女の書いた今で言う所の『幻想郷縁起』にあった。

 

「『妖怪と人間の違いは寿命のみ、命を奪うという点では寧ろ同族』……か」

 

 今の幻想郷の住民達が聞いたら一様に頷き、何を当然と言う者も居るだろう。しかし、彼女が生きていたのは今から数百年前……未だ人と妖が互いに喰らい合い殺し合っていた時代である。下手をすれば追放処分なんて事もあった筈だ。

 

「何か、きっとこの時の私には何かが……」

 

あった筈、と立ち上がろうとした所で――

 

 

バサリと

 

「……本?」

 

古書が落ちて来た。

 

「……」

 

 上を見上げる。資料がずらりと並んだ棚に抜け落ちた部分は無い。もっと言うなれば、阿求の記憶ではこんな本は此処に保存されていなかった。今初めて見て、初めて拾ったのだ。

 

少し不気味に思って本を置こうとした阿求は、チラと自身の持つ古書の背表紙を見る。

 

「あ――」

 

『稗田阿未』と掠れた文字で書いてあるのが見えてしまった。

 

「――何故、」

 

 何故、貴方が持っているのか。阿求は虚空を見つめた。この狭い様で広い幻想郷でも、私が稗田阿未について調べていて、尚且つ上空からこの書物を落とす事の出来る……即ちこの書物を所有していたであろう人物を私は一人知っている。

 

「八雲紫さん、貴方が……」

 

 人と妖の共存出来る世界を創った癖に何故か人と境界を敷く彼女。別段私も仲が良い訳ではない。精々が編纂の合間に勝手に覗きに来る程度なのだが……

 

間違いなく、この本を渡したのは彼女である。

 

「……良いんですか?」

 

知っていたなら尚更、捜し求めていた私に渡す訳が無い。

 

何故かは知らないが八雲紫は、私に彼女の境界を越えさせてくれるようだった。

 

「――」

 

部屋に帰る事も忘れて、私は稗田阿未という題名の古書を開く。

 

 

最初の一ページ、綺麗な文字で一文。

 

 

 

『もしこれを読む者が居るとしたら――』

 

 

 

もしこれを読む者が居るとしたら、既に私は死んでいるのだろう。

 

 

 私はこの本の著者、稗田阿未だ。まず初めにこの本は大体だが私の死ぬ数日前に書いた物であり、それ故に所々に誤字があるかも知れないという事、許して欲しい。

 さて、これを開いたのが誰であれ、これが本である以上読み手に何かを与えるのが常という物だ。本が知識の権化であり、元来はそういう為に生まれたのだから尚更。

 

しかし、この本は違うという事を先に知っておいて頂きたい。

 

 この本は私の自己満足の様な物だ。短き生を背負い、そのまま死んでしまうのを恐怖した私の悪足掻きと言っても良い。結局、こうして死ぬ間際まで殆ど予定通りと言っても過言ではない人生を送ってしまった訳だが……

 

 

私が此処に書き残すのは、その予定通りにいかなかった部分

 

 

 

 

「……家をくれって?外から来た奴が?」

 

 私は編纂していた手を止め後ろを振り返る。この部屋唯一の入り口である引き戸の外に一人の老人が立っていた。老人は深く頭を下げてからそのまま説明をし始める。

 

「左様で御座います。来たのはつい先程、真黒い着物に金の簪を着けた童子でした」

 

男は頭を下げたまま淡々と阿未に事実だけを伝えた。

 

「……待て、色々と聞きたいんだが」

 

というか、聞きたい所しかないのだが

 

「童子?」

 

「えぇ、これ位の」

 

男が自身の腹辺りに手を遣る。

 

「着物に簪?」

 

「珍しいとは思いましたが……まぁ、良い所の出というだけで説明がつく事ですので」

 

どうやら彼は外から着物で来た事自体に違和感はないらしい。

 

「……で、家を寄越せと?」

 

「一言目で『住む場所が欲しい』と。それ以降はだんまりで……」

 

 話を纏めよう。見た目は完全に子供の少女が、何処から来たのかは分からないが着物姿のまま里に入って来て開口一番家が欲しいと言った、と。つまりそういう事だろうか?

 

「意味が分からない」

 

 咄嗟に出た言葉はそれであった。転生の任を負い、様々な情報や出来事を編纂してきた私ですら理解の出来ない状況だ。人里初……下手をすれば人類初の暴挙と言えるだろう。

 

それも、だんまりという事は――

 

「まさか一番偉い奴を連れて来いとか……」

 

「その通りです、漸く口を開いたと思ったらそう言って再び」

 

だんまりと、顔を上げた男の顔には何処か疲労の色が見えた。……仕方無いか。

 

私は立ち上がり、外出用の羽織を背負う。

 

「里長、そいつの所へ案内してくれ。私が何とかしよう」

 

引き戸の手前で止まっていた男――里長は再び頭を下げた。

 

「申し訳ない、その身体で……」

 

「良いさ、下手に向こうから来られるよりはマシだ」

 

 部屋を出ると里長が前に立って先導をしてくれる。私は久し振りに触れる地面の感触を味わいながら、自身をこうさせた元凶に思いを馳せた。

 

 

さて、どうしてやったものか……

 

 

 

 

「すまん、通るぞ」

 

 既に出来ていた人だかりに声を掛ける。私を見たのかそれとも里長を見たのか、彼等は面白い様に左右へと割れていき、遂に私は問題の少女の姿を捉える。

 

「……」

 

割れた人だかりの向こうにいる彼女も此方に気付いた様だ。

 

「……」

 

短い視線の交錯、互いに害意と悪意を探り、そして可決。

 

「里長、とりあえず私とあいつだけで話がしたい」

 

後ろの里長にそう声を掛ける。彼は一瞬何かを言おうとした様だが渋々と頷いた。

 

「……分かりました、お気を付けて」 

 

「助かる――そこのお前、詳しくは私の家で聞く。着いて来い」

 

 少女が小さく頷いたのを確認し背を向けて歩き出す。周囲に集まっていた人々もやがて解散し始め、私の家と同じ方角の者達が前や後ろに何人か見えた。だがそれも、私の家が目の前に迫る頃には居なくなって。

 

聞こえるのは私の足音と少女の足音だけ。

 

「上がってくれ」

 

少女を先に入れ、後から入って戸を閉める。長い廊下をお互い無言のまま歩いた。

 

「此処だ」

 

 そして私の部屋前で立ち止まり戸を引く。中は私が里長に呼ばれて出て行ったままの状態だった。編纂途中の幻想郷縁起、筆と墨、製作途中の札……って

 

「……すまん、少し待っててくれ」

 

「――」

 

 少女の返事を聞く前に戸を閉め、急いで片付けを始める。人を中に入れるなど久し振りだが、こんなに散らかっていては当主としての面目が立たない。この時の私の頭には先程もう里長が見てしまっていた事など消え失せていた。

 

「……札もちゃんと片付けて置かないと不味いか」

 

こんなに散らばっていては彼女も『入り難い』だろう。

 

「……」

 

一応、何枚か袖の中に札を仕込んで置いた。

 

「――よし」

 

周囲を見回し一人頷く。これ位綺麗にして置けば今後暫くは困る事も無いだろう。

 

私は閉めていた戸を開き、外で待っていた少女を中へと入れた。

 

「待たせたな、そこに座ってくれ」

 

 先まで編纂していた机を挟んで向かい合う様に座布団が敷いてある。少女は少し悩み、手前側……入り口から近い方へと座った。成程、見た目幼い割りにしっかりとその辺りは心得ているらしい。私は奥の座布団へと座る。

 

 

まずは、軽く挨拶から――

 

「妖怪が此処へ何をしに来た?」

 

 

今まで無表情だった少女が初めて口角を吊り上げた。

 

 

 

 これを読んでいる君が誰なのか、私には分からない。本を書いた者が誰に読まれるのかを想像するなんて愚かな事だ。君が人間であれ、妖怪であれ、動物であれ……はたまた地面に落ち、偶々捲れただけであれ、そこに意味がある事を私は祈る。

 

 

 

 

「……どこで気付いたの?」

 

少女は嬉しそうにそう言った。慌てる素振りも、口封じをしようと身構える事も無く。

 

故に私も袖口に手を伸ばさないまま答える。

 

「最初からだ。私はある程度霊力を持っているからな」

 

 簡単に言えば副産物、普段から行っている瞑想と知識による陰陽術の応用である。

……と言っても、自身の体力的に簡単な魔除け程度しか製作出来ないのが現状だ。

 

それを知ってか知らずか、少女は此方を――私の服の袖を見た。

 

「確かに、妖力を隠してる訳じゃないからね」

 

其方は何か隠し事?と、少女は首を傾げる。……こいつ

 

「……三代目稗田家当主、阿未だ」

 

 観念して札を袖から出して机に放り投げる。少女は暫くそれを見つめた後、何を思っ

たのかそれ等全てを掴んでから自身の顔の横まで持ち上げた。

 

「私はひより」

 

 自然彼女の顔を見る事になった私の目の前でボロボロと札が黒染んで崩れ落ちる。

……魔除けの札だ、別に妖怪を退治出来る代物ではない。故にあんな反応をする筈が無

いのだが――いや

 

強力な邪気が紙を腐らせたとでも言うのか

 

「……お前は」

 

自身の出した結論の意味を考えるよりも先に、口が動いていた。

 

「お前は、本当に妖怪か?」

 

 彼女は私の中にある全ての記録に当て嵌まらない。妖力もなく、強者特有の気配もな

く、妖怪が人を見下す時の態度を欠片も纏わせない少女。だが今の魔除けの反応的に彼

女が人外であるのは明らかだった。

 

「……少なくとも人間の作り出した怪物だよ」

 

自身は妖怪だと、恐らくはそう言ったのだろう。

 

「ならば再度問おう、どうしてお前は人里に来たんだ?」

 

開口一番言った言葉を殆ど同じ風に、しかし今度は棘を交えず尋ねる。

 

少女、ひよりは真っ直ぐ此方を見て答えた。

 

 

「――人と一緒に暮らしてみたい」

 

 

 

 何をまさかと、君はそう思ったかもしれない。人里に突然やってきた子供が実は妖怪

で、更には里に住みたいなどと言い出したのだから。少なくとも、今私の生きている場

所の周囲はそうだった。妖怪を恐れ、憎み、此方から殺した事実もある位には。

 

それでも私は、その不思議な妖怪に賭けてみたくなったのだ。

 

 

私が後悔したのは、三日後の事。

 

 

 

 

「おい」

 

 自身にしても珍しく怒りの篭った言葉。私は口に出してから慌てて周囲を見た。

今この場にいるのは三人。私と、ひよりと、里長だけである。

 

私はひよりに持っていた紙を丸めて投げつけた。

 

「痛い」

 

 ポコンと頭に当たって跳ね返る。全く痛がらない様子の彼女は、コテンと首を傾げて

此方を見る。

 

「どうしたの?」

 

「……これ、お前だろ」

 

 阿未は足元まで戻ってきた紙を広げて里長にも見える様に掲げる。そこには汚い字で

『妖怪退治屋を閉業したい』と書かれていた。

 

「閉業ってなんだ、やめるのか。……というか、開業なんか出来る訳ないだろ!」

 

阿未は叫んだ。それはもう、自身の人生の中で一番大声を出したと思う位。

 

「駄目なの?」

 

逆方向に首を傾げるひより。

 

「……?」

 

私も首を傾げる……何故私は駄目と言ったんだったか?

 

「阿未様自身も突発的に仰ったのですな」

 

 里長が冷静にそう分析する。……確かにこの『意見箱』の整理中、人々の様々な要望

や意見(軽い改善や要求)の中に混じって突然妖怪退治屋なんて大きな用件が来たから

かもしれない。私は頭の中で必死に言葉を探した。

 

「いや、だが、信用もあるだろう?まだ此処に来て三日しか経っていないんだ」

 

 信用の問題。営業である以上、そこには人々からある程度の信頼が無ければやっては

いけない。我ながら良い切り返しだと思ったのだが……意外にも反論したのは里長だっ

た。

 

「お言葉ですが阿未様、既にひより殿は信頼と呼べる物は獲得しておられますぞ。先日

などは、仕事で忙しい者共の子供を預かってくれたそうで」

 

ありがとうございます、と頭を下げる里長と気にしていないと言うひより。

 

……まさか、この流れは

 

「……一応聞いて置くが長、お前はひよりの要求を呑むつもりか?」

 

 恐る恐るそう尋ねる。取り仕切るのは大抵私だが、決断するのは彼だ。里長は暫く自

身の髭を摩り、やがてゆっくりと、縦に首を動かした。

 

「本当に出来るかどうか疑問ではありますが……私も、必要だと思ってはおりました」

 

 そう言われると返す言葉が無くなる。彼の意見は的確にこの里の弱点を突いていた。

この里には妖怪退治の出来る人間が存在しないのだ。可能ではあれど、専門としている

者が居ない。精々が私の作った札と、幻想郷縁起の弱点を参考にする位にしか。

 

「それは、そうだが……」

 

 今度は里長ではなくひよりを見る。私達と同じ様に皆の意見票を見ていた彼女は此方

の視線に気付くと、自身の手に持っていた誰かの紙を広げる。そこには――

 

『家を建てるのに使った木材を採りに行きたい』と

 

そう、書いてあった。

 

「……」

 

 無理を言って通して貰ったのは私で、その恩恵を受けたのはひよりだ。何かその礼を

したいというならば、やはり彼等の望む事をしてやるのが妥当だろう。

 

つまりそれは、彼等の護衛が必要という事で。

 

護衛の出来る妖怪退治屋が必要という事に――

 

「お前はそれで良いのか?だって――」

 

 妖怪だろうと、私は言外にひよりに言う。

里長の居る以上あまり大それた事は言えないが、それでも彼女には伝わるだろう。一応

チラと里長を見る。彼はお茶を啜りながら外を眺めていた。

 

「妖怪に優しくする必要はないよ。向こうだって人を殺すんだから」

 

ひよりは言った。妖怪の彼女が、自身も含めてそう答えた。

 

「大人しく殺される必要はない。人が人に、人が妖怪に、妖怪が人に……どれでも同じ

だけど、大抵の場合命は一つで生き返りはしないから」

 

老練な答えだった。とても人間の人生では出せない位難しい。

 

「……」

 

「……そうですな」

 

 しかし、私も里長も理解している。稗田家、周囲を纏める者、その立場が彼女と同じ

位置に私達を立たせてくれたのだ。この時、初めて私と里長……人間は、妖怪である彼

女の本音を知る事が出来た。

 

故にひよりは、妖怪退治屋を開く。

 

「私達が生きていく為には、誰かが妖怪を退治する必要がある」

 

「……殺しはしないんだな、お前は」

 

先は殺すといった。しかし、今は退治すると言った。その差は大きい。

 

きっと彼女なら殺してしまった方が楽だろうに。

 

「私の知り合いの言葉。『命を奪う行為は全て平等に悪い。奪った者の役目は、その罪

以上に人生を謳歌する事。妖怪も、動物も、人間も同じ』……必要のない命まで奪う必

要はない」

 

知り合いの住職の言葉、とひよりは付け加えて笑った。

 

「……お前の言いたい事は分かった」

 

覚悟も、思いも、人間が大好きなんだと言う事も、分かった。

 

だが――

 

「それは、私と里長で説明しなきゃいけないんだろう?」

 

 開業出来る、出来ないは彼等次第。私と里長が出て彼等に説明する必要があるのだ。

ひよりを見る。既に彼女は別の意見票を見る事に没頭していた。

 

「……ふむ、確かにそうなりますな。ひより殿は話し合いには向きません故」

 

これも年長者の役目でしょう、と里長は笑う。……私は年長者という程ではない筈。

 

「頑張りましょうぞ、阿未様」

 

「頑張って」

 

里長がニッコリと微笑んで肩を掴む。……というか

 

「ひよりっ!お前が言うんじゃないっ、肩掴むなっ!」

 

 

人生で一番大きな叫び声が稗田家に響き渡った。

 

 

 

 かくして、私の住む里に妖怪が営む妖怪退治屋が設立された。当然の事ながら最初は

誰も依頼をしなかったが、限界もある。一人が簡単な依頼を出してそれを彼女が成し遂

げると、途端に彼女の営む妖怪退治屋は有名になった。

 

偶然里に寄った退治屋ではなく、里に常に居てくれる彼女。

 

正直、何度助けられたのかは分からない。

 

 

その彼女が、私の人生に再び新しい波乱を呼んだ。

 

胡散臭い妖怪が来た。

 

 

 

 

「――あれ?」

 

 阿求は声を上げた。折角集中していたのに、その集中が途切れてしまった。理由は自

身の持つこの本にある。阿求はもう一度用心深く先のページを眺めた。

 

「『胡散臭い妖怪が来た』……『私の短い』って、これ――」

 

ページとページの間を睨む。案の定、そこには破り取られた跡があった。

 

「あの、紫さん。これ……」

 

破られてるんですが、と阿求は虚空に問う。

 

 唯でさえ少ない三代目の情報、しかも本人著者の本が破かれている。情報屋が聞いた

ら卒倒しそうな状況に、しかし阿求は思い当たる節があった。

 

「……破りましたね?」

 

 この胡散臭い妖怪、というのは間違いなく彼女の事だ。そうすれば辻褄があう。彼女

が稗田阿未から本を受け取り、自身で目を通し、そして……恥ずかしく、だろうか?な

って破り取ったと、そういう事だろう。

 

あの八雲紫が、何か理由があったとはいえ分かり易く隠し事をした。

 

「まぁ、良いです。きっと私も『それ』を望んでるでしょうから」

 

だから諦める。何故かは分からないが、その頁は彼女にとって大切なのだろう。

 

 

私は次の章へと進んだ。

 

 

 

 そんな二人と関わりを持つようになってから早数年。彼女の立ち位置も最早里の者達

と同等かそれ以上となり、里の内外含めて様々な変化が現れ始めた。

 私は立場上よく里の皆の顔を見る事が出来た。あの少女が来る前、来た時、来た後。

……一喜一憂はあれど、少なからず里の雰囲気と状態は良くなって来ていたのだ。

 

私はそうやって変化していく様子を心躍らせて見ていた。

 

しかし、それを何時までも見る事は叶わない。

 

私の身体が段々と弱り、悪くなって来ていたから。

 

 

 

 

「――もう、限界なのかしら?」

 

女の声が枕元、遥か頭上から聞こえる。……今は私しか部屋に居ない筈だが。

 

「……あぁ、流石に。身体を起こすのも、辛い」

 

 私は目を閉じたまま答える。瞼を開けるのも億劫だった。

そんな雰囲気を感じとったのか声は暫く沈黙し、その間に今度は聞き覚えのある声が逆

側、直ぐ近くから聞こえて来た。

 

「無理はしないで……というか、寝てた方が良い」

 

珍しく心配した様な声。私は思わず口角が釣り上がるのを押さえられなかった。

 

「すまんな、ひより。……それと、紫」

 

 心配して来てくれたのだろう、とあえて私は声に出して尋ねる。「そうだよ」と、真

っ直ぐに答えたひより。私は残るもう一人が居るであろう方向へ顔を向けた。

 

「紫は、何をしに来た?ひよりの付き添いか?」

 

「……っ」

 

彼女が何か詰まらせるのを感じた。少し意地悪だっただろうか?

 

「……心配は、したわよ」

 

謝ろうと口を開きかけた私は、上から聞こえて来た小さな声に動きを止めた。

 

「『心配はしたわよ』だってさ」

 

ひよりが隣でそう言うと同時に、彼女の居る方向から何かを殴る音が聞こえる。

 

「痛い」

 

「自業自得よ……邪魔かしら、私達」

 

「いや、そんな事はない。……助かるよ、無性に寂しくて、な」

 

 今までも何度か熱を出した事はあった。というか、人間なら誰でも風邪位罹る筈だ。

そうして寝てる時に何故か感じる孤独感というのは他の人が居てくれるだけで和らぐ。

……それを実感していた。

 

「転生は出来るのかしら?」

 

何時も通りの調子で彼女が私に尋ねる。

 

「出来ると、言っていた。転生の準備としては足りてないんだが、ほら、里の人達の為

に尽力したからって言われて何とか、ギリギリ」

 

実際はかなり小言も聞かされたのだが、それは私の胸に秘めて置くことだ。

 

「そう……なら貴方も安心かしら?」

 

「そうでもないんだ。次の私がどんな奴なのか、想像も出来ないからな。もしまたお前

達が来てくれた時に歓迎出来るのか……分からない」

 

「……」

 

「それが、怖くてね」

 

 前代前世の記憶は非常に曖昧になるらしい。そうなった時に次の私がどうするのか。

……きっと、恐らく、二人を認める様な稗田ではないのかも知れない。

 

八雲紫は笑った。クスクスと、私に聞こえる様に。

 

「えぇ。だから書いたのよね?それを」

 

 彼女が言っているのは私の机に置いてある一冊の本。幻想郷縁起とは別に、私が自身

の意志で書いた手紙。私はこれを二人に預けることにしたのだ。

 

「頼めるか……?」

 

誰かが私の手を取った。大きさからして、ひよりではなく紫だろう。

 

「……勿論、数少ない大切な友人の頼みですもの」

 

 ね、ひより?と紫が逆側にいるのだろうひよりに問う。返事の代わりに、空いていた

もう片手を小さな手が掴んだ。

 

「本もだけど、彌里も」

 

大丈夫。この二人なら、例え妖怪だとしても安心出来る。

 

「そうだな……ありがとう」

 

 そういえば紫が私の事を友と言ってくれたのは初めてだった気がする。なんてどうで

も良い事を考えながら、私は両手に感じる温もりと共に眠りに就いた。

 

 

人生で一番、安心して眠れた時だった。

 

 

 

この本を読んだ稗田へ

 

 もしこれを託した人物が私の望みを叶えてくれるなら、きっと次に目を通すのは君だ

ろう。『人と妖の共存出来る世』に生まれた稗田……君に、渡っている事を願う。

 私の生きている今はまだ妖怪と人は敵対している。良い妖怪も、悪い妖怪も、良い人

間も、悪い人間も。皆が皆、相手の事を知らないまま争っているんだ。だが……

 

 これが君の手に渡ったなら、それが私の夢……強いては二人の夢が成就したというこ

とだな。即ち、『幻想郷』が誕生したと。

 

 だが人々は弱い。彼等は先頭に立つことを恐れ、危険とその可能性を恐れる。妖怪が

安全と分かってもそれを信用出来ず、中々仲良く出来ない者達も出てくるだろう。

 

だが、此処に書いた退治屋の彼女はそれを自分から取り払った。

 

出来れば君が、彼女と同じ様に人々と妖怪達の壁を取り払ってやってくれないか?

 

そうだな……彼等の生活や、好きな物なんかを記録するのは良いんじゃないだろうか。

 

 

まぁ、その辺は君に任せるとしよう。

 

 

                        三代目当主 阿未

 

 

 

 

「……」

 

 本を閉じて、丁寧に箱の上へと乗せる。

 複雑な、それでいて温かい気持ちだった。勿論私はその時の事を覚えていないし、思い出す事は無いだろう。それでも彼女の体験した事の箇条書きだけで、こんなにありありとその情景が思い浮かぶのはきっと彼女の魂がそうさせている気がする。

 

「紫さん。これ、お返しします」

 

 そっと本を撫で、その紙が経験してきた時を図る。本当に三代目当主の代から、数百年もの間彼女は守り続けてくれたのだ。そして、阿未の夢を果たしてくれた。

 

阿求は虚空に向けて頭を下げた。

 

「ありがとうございました」

 

 阿求は立ち上がって部屋を出る。もう此処にいる必要はない。『やるべき事』が山ほど出来てしまったのだ、暫くは部屋から出て来れなくなってしまうだろう。

 

それでも、昔の私が喜んでくれるのならば……

 

阿求は部屋を出る前に一度、背後を振り返った。

 

「……ふふっ」

 

 

箱の上の本は何時の間にか消えていた。

 

 

 

 

 

 




しかし当時幻想郷縁起と呼ばれていたのかは謎である、と。

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