孤独と共に歩む者   作:Klotho

17 / 39
一気に話が加速しますが、過程はこの後短編として挿し込むつもりです。




『蠱毒と神社』

 

永遠なんてこの世に三人しか居ない

 

あるのは長き生と短き生。それと、極端に短き生位のものか

 

 

「将棋と囲碁って奴、頂戴」

 

 女中から客人と言われ通す様に伝えてから間もなくして聞こえた声。私は資料を漁る手を止

め、この部屋唯一の出入り口である引き戸を見る。するとそこには見知った少女の姿が。

 

「……いや、別に構わないが。どうした?」

 

確かこの子はそういう遊びは全く出来なかったと『記憶』していたが……

 

「知り合いのお姫様が欲しいって」

 

成程、お姫様が御所望と来たか。意味が分からない。

 

「まぁ良いや、後で持って来させるっ――と」

 

 彼女が此処に来た理由はそれだけでは無いのだろう。私は資料を箱に戻し、取り出した時と

同じ様に踏み台を使って上へと戻す。私の身長は低く無いのだが、此処に来ると毎回自身の小

ささを自覚させられる。ひよりなんかは以ての外だ。

 

踏み台も戻し、入り口に居た少女の目の前まで歩く。

 

「それで、『稗田』の家にまで来た本当の理由は?……それも大体予想出来るがな」

 

 少女を見下ろし、その小さな頭に着けてある簪が目に入る。耳の横、少し後ろの絶妙な位置

に着けてあった。……私ももう少し若ければ着けても笑われなかっただろうか。

 

……良いなぁ、お洒落。

 

「里の話し合いに参加しに。今日だよね?」

 

そんな私の哀愁を無視して少女は尋ねる。

 

「そうだ……ってことはまた何かやるつもりか?」

 

 二人で廊下に出て、何時も話す時に使う部屋へ歩き出す。

 この少女との会談は下手をすれば里中を震撼させる様な内容も含まれている時があるのだ。

まずは私が聞いて、それから慎重に承諾するかしないか決める必要があるだろう。

 

ちなみに前回……初の要求は『妖怪退治屋の開業』

 

この里に来て僅か三日目の事だ。

 

「前程大変じゃないよ、これから先の話を少しするだけ」

 

少女は至極真っ当な顔で此方を見た。

 

「阿呆、あの時の騒動と比べてどうするんだ」

 

 ペシリと隣の少女の頭を叩く。退治屋の話は今でも夢に出て来る程だ。もし前回よりも大変

なんて言っていたら今頃私はこの少女を外へと放り投げていた筈である。

 

「……ほら、とりあえず私が聞くから座れ」

 

 何時も使う部屋……客人用の部屋ではなく私の部屋へと入る。二人で座り、暫くして女中が

お茶を持って来て戻って行ったのを確認して、ひよりが口を開いた。

 

 

「この近くに――」

 

 

 

夜、稗田家の大広間にて

 

 

「――神社、ですか」

 

「あぁ、そうだ」

 

 里長を含む里の男達が皆一様に怪訝そうな表情を浮かべる。そりゃそうだ、誰だっていきな

り「神社を作る」なんて言われたら疑問に思う事だろう。私はザワザワと騒ぐ彼等を片手を挙

げる事で黙らせる。

 

「ひよりの提案でな。妖怪退治を報酬の為ではなく人の為という名義にしたいそうだ」

 

 これを聞いた時は私も正直驚いた。彼女は普通に里の中で人々と共に生活をしているし、そ

の過程で金銭を使う事もある。それを尋ねたら、彼女は軽く笑いながら「別の仕事をすれば良

い」と答えた。全く律儀な()()だ。

 

「ふむ、成程神社……」

 

里長が後ろを振り返り、男達と二言三言交わして再び私を見る。

 

「無論協力は吝かではありません、ひより殿の頼みです。……しかし、我々はひより殿に報酬

を払う事を苦にしていない。あの子には随分と助けられましたから」

 

あの子は少し可笑しいか、と里長と男達は笑う。

 

……全くこの数年で随分と信用されるようになったものだ。

 

「長、お前達、聞いてくれ」

 

だからこそ、か

 

皆が私の方に視線を向ける。私は先程ひよりと出した結論をそのまま口に出した。

 

「今回神社を作ろうと思った理由は報酬が原因じゃない。寧ろ、原因は私達自身にある」

 

「……」 

 

退治屋と依頼人という問題ではなく、御阿礼の子と妖怪という問題。

 

「分かるだろう?あの子は人間で、私は稗田だ。お前達と子供を守れても、将来的には大人に

なった子供達とお前等の孫まで……いや、私は大人になった子供達も守れないか」

 

「ひ、稗田様!」

 

里長と何人かの男達が立ち上がって()()()。……それだけで充分だ。

 

「分かるんだ、私には。『稗田は寿命短くして死す』――多分、あと三年もしない内に、な」

 

「……」

 

 私の持つ稗田という苗字の意味。転生を繰り返して記録し続ける魂。閻魔から転生の許可が

下りる代償として、私達はその時代の記録と短い寿命を背負う事を義務付けられている。

 

怖いと言えば怖い。無念と言えば無念だ。

 

「……それでも私は死ぬまでに未来を作りたい。私が再び戻って来た時に帰る場所が無くなっ

ていては困るからな。私とひよりで後世の為に妖怪退治を専門とした子を育てるつもりだ」

 

 ひよりだって何時までもこの里に居る事は出来ない。あくまで『妖怪を使役する術の所為で

微かな妖力を持つ人間』という扱いなのだ。何十年も姿が変わらなければ、きっと誰かが気付

いてしまう。

 

「それで、神社を?」

 

「そうだ。その子には自身の霊力で退治をして貰う。妖怪の使役は身体が成長し難いという副

作用があるからな。ひよりも余り見た目が変わらないだろう?」

 

予めひよりと話していた通りそういう事にしておく。

 

「だから神社を作って欲しい。私とひよりの願う未来の為に」

 

里長は一度だけ背後を振り返って皆の顔を見、此方を向いて大きく頷いた。

 

「……分かりました、御二方がそう仰るのなら従いましょう。他に、我々に出来る事はないの

でしょうか?」

 

全員が揃って此方を見る。生きている人間の目だった。

 

「食べ物なんかは持って来てくれると助かる。……貢物という形でな?」

 

「えぇ、貢物という形でですね?」

 

 里長と共にあくどい笑みを浮かべる。この辺りの事はやはり彼の様な人物が相手だと伝え易

くて助かる。私は目線だけで彼に感謝した。

 

彼は軽く口元を吊り上げ、しかし直ぐに里長としての表情に戻る。

 

「して、建設は何時からに致しましょうか?場所や材料選びもあるでしょう」

 

後ろの男達も口々に場所を挙げていく……が、それは此方でも考えてある。

 

「いや、その辺りは此方で手配した。お前達には建設を手伝って欲しい」

 

手配したのはひより()で、考えたのは私。

 

「であれば、話は簡単ですな」

 

里長が立ち上がり、後ろに居た男達に向き直る。

 

「聞いただろう、皆の衆!ひより殿と稗田様は我々の未来の為に手を尽くしてくれる。ならば

我々が協力するのも道理……そうだな?」

 

男達も立ち上がって叫ぶ。きっと彼等なら上手く作ってくれるだろう。

 

 

私は立ち上がり、大広間を後にした。

 

 

 

広間を出て、廊下を歩き、自分の部屋へと戻る。

 

「……終わったぞ」

 

扉を閉め、私は自分一人しか居ない部屋でそう呟いた。

 

「お疲れ様です、名演説でしたわ」

 

「おつかれ」

 

 途端に返って来る本来ならない返事。私は自身の着物の袖口から顔を覗かせている小さな鼠

を引っ張り出した。そして中空へと放り投げる。

 

「うわっ」

 

空中でそんな声を上げた鼠はしかし落ちない。

 

「稗田様は動物がお好きではありませんでした?」

 

「喋る鼠は対象外だ。それと妖怪もな」

 

 奇妙な亀裂から出て来た二本の腕が、その掌の上に鼠を乗せたのだ。普通なら気を失う、し

かし見慣れた光景に私は溜息を吐く。里の者達と会話していた時ですら出なかったのにたった

二人でこうも疲れるとは……

 

亀裂から降り立った妖怪……八雲紫は鼠を肩に乗せて此方に向き直った。

 

「何はともあれ、これでお互いの目標は達成しました」

 

ありがとうございます、と八雲紫は深く頭を下げる。

 

「お前達の目的が本当に人里の将来を願う事……ならな」

 

 そんな彼女の頭を私は睨みつけた。妖怪の、それも大妖怪に分類される八雲紫が人里の為

にこの計画を提案してきた、とは考え難い。何かしら裏があると見ても良いだろう。

 

八雲紫は頭を上げた。そして微笑む。

 

「正確には人妖の将来の為。私が恐れているのは対消滅です」

 

 一体この妖怪がどの位先を見ているのか、それが私には分からなかった。少なくとも私が

生きていられる間の話ではない。お互いの生きている位置が違うのであれば、分かり合えな

いのも当然と言えるだろう。

 

しかし、八雲紫は微笑を崩さなかった。

 

「それでも、私達妖怪と人間である貴女が一時でも同じ夢を見た」

 

 心を読むことが出来るのか、ニヤリとでも音が付きそうな笑顔で此方を見る二人は間違い

なく妖怪で――

 

「……あぁ、お前達の理想も叶うのかも知れないな」

 

 私は無意識にそんな事を口走っていた。八雲紫はそれを聞くとピタリと笑顔を止め、しか

し再び貼り付ける。

 

「――本当に、残念ね」

 

八雲紫が言ったそれは、果たしてどういう意味なのか

 

「……」

 

結論を出せないまま、八雲紫は私に背を向けて亀裂を開く。

 

「それでは稗田様、神社が完成した時にまた会いましょう。――生きていたら、かしら?」

 

 八雲紫はクスクスと笑って再び亀裂の中へと消えて行った。肩に乗っていたひよりも共に

行くのかと思ったが、亀裂に触れた瞬間に再び空中へと跳ね上げられた。弾かれたらしい。

 

「っと」

 

空中で人型になり綺麗に着地した。

 

「大丈夫、紫はもう帰ったよ」

 

周囲を見回してそう言うひより。私が身構えたままなのを気にしたのだろう。

 

「……全く、何なんだアイツは」

 

 ひよりを信じて思い切り悪態を吐く。初めて会った時から高圧的で気紛れな妖怪だった。

協力をしろだの稗田の記録にあれを書けだのと……そして今回は良く分からない事を言って

去って行く始末だ。

 

「嬉しかったんだろうね、紫」

 

ひよりがポツリとそう呟いたのが耳に入り、私は彼女を見る。

 

「嬉しかった?」

 

「あまり人間と会おうとしないから。多分私の知ってる中だと貴女も入れて二人かな」

 

「二人……」

 

果たしてこの二人が知る人間が本当に「人間」なのかは疑問だが。

 

「妖怪よりも人間の方が共感し難いからね。尚更嬉しいと思うよ」

 

「……」

 

 予想だけど、そう付け加えてひよりは縁側へと出る。外はもう随分と暗い。丸く綺麗に光

るあの月以外に彼女を見る者は居ないだろう。ひよりは今度は鳥……雀に姿を変えた。

 

「私も帰るよ、夜も遅いし。神社の詳しい話はまた明日」

 

「そうか、分かった」

 

 彼女は直ぐに翼を動かして大空へと昇って行く。それが視認出来ない程離れた所で、私も

障子を閉めてそのまま布団に入る。本当なら寝巻きに着替えたかったが、二人と話している

時から感じていた睡魔はもう抑えられそうに無かった。

 

 

「……嬉しかった、か」

 

その時自分がどんな顔をしていたのかは、知らない

 

 

 

 人間とは不思議な生物だとつくづく思う。普段は力の弱さ故に群れを作る事で生活し、

危険を恐れ、異端を嫌って生活する。妖怪から見れば動物よりも弱い存在。

 しかしその反面、追い詰められた彼等は時に常軌を逸した力を発揮する。自身の命の為

、守る矜持の為、家族の為。そうやって人間は今までを乗り越え、これからを生きていく

のだろう。

 

それを事実と認めざるを得ない光景が目の前にある。

 

「この世で一番恐ろしいのは人間……私はそう思いますわ」

 

 目の前に広がるのは巨大な神社。頭の真上には十数メートルにもなりそうな鳥居がそび

え立っていた。全て、あの里の大人達が作り上げた物だ。

 

「里長達は良く頑張ってくれたよ。まさか私が生きている内に見る事が出来るとは思わな

かった。もっと大きな建設になると思っていたのだが……」

 

 私の呟きに答えたのは隣に居る女性。稗田家の当主だった。私は一度だけ横にいる彼女

を一瞥し、再び視線を神社へと戻す。

 

神社の建設決定から半月、それだけで完成させたのだ。

 

「本来なら二年は必要だった筈……ひよりが持って来た設計図が無ければ」

 

 一言で言うならば過ぎた技術。最大限の道具と人間を動かし、最低限の時間と材料で事

を済ませる。建築がまるで分からない私でも、あれを描いたのが只者ではないことが分か

る程だった。

 

一体、何処の()()の腕を借りたのやら……

 

と、想像を張り巡らそうとした矢先、話題の当人が神社から出て来る。

 

「理想通り。しっかり出来てた」

 

問題の設計図を片手にそんな事を言うひより。

 

「これなら数百……もっとかな、それ位は持つと思う」

 

「そうか」

 

 描いた人物からの受け売りなのだろう、設計図を見ながら稗田に呟く少女はどうにも様

になっていない。良い所自分の書いた絵を親に見せる子供だろうか。

 内心で笑う私の隣に居た稗田が歩き、ひよりを通り越して神社の正面へ近付く。

 

「では、私も少し見て来るとしよう」

 

その背中は、まるで消えかけの蝋燭の様に儚げで。

 

「ひより、後は貴女達で決めなさい」

 

「……分かった」

 

 

私はスキマを開き、その中に身を投じた。

 

 

 

 

 紫の居なくなった後、私は未だ神社を眺めている彼女の元へ向かう。どうやら此方が来

たことにも気づいてないらしい。私は一瞬だけ声を掛けるかどうか悩んだ。

 

「……そろそろ迎えの人達が来るよ」

 

 しかし言わなければならない。私は良くても彼女は人間。夜が来れば妖怪に襲われ、寒

さに震え、食事を摂らなければ死んでしまう。そんな中でも更に身体の弱い彼女だから。

 

「……あぁ、そうだな。帰るか」

 

此方を振り返って歩き出す彼女の隣に付いて行く。

 

……が、鳥居のある辺りで二人して立ち止まってしまった。

 

「階段、こんなに多いんだな」

 

「どうしよっか」

 

 視線の先には果てまで続く階段。上から見下ろしてこれなのだから、登る時には雲が掛

かって見えるかもしれない。

 仕方なく私達は一番上の段に座り、大人しく迎えを待つ事にする。

 

少しの沈黙の後、先に口を開いたのは彼女だった。

 

「後は才能のある子を見つけて終わり、か。……一応聞いて置くが、まさか人の子を攫っ

て来たりしないだろうな?流石に擁護出来ないぞ」

 

若干の疑いを込めた眼差しで此方を見てくる。私は紫の言葉をそのまま返す事にした。

 

「『親の居ない不遇な子供』を拾って来たいって。目星は付けてないけど、多分家族の居

る子を攫って来たりは……どうだろう?」

 

「聞くな。私もあの妖怪の所業に断言は出来ん」

 

自分で言って疲れたのだろう、彼女は溜息を吐いた。

 

「……自分の事ながらどうしてこんな行き当たりバッタリな計画に賛同したのか分からん

な。それも妖怪の、尚且つお前等みたいな変妖のだ」

 

その顔に浮かぶ表情は怒りではない。彼女もまた紫の様に不器用な性格だった。

 

「さぁ、化かされてるんじゃない?」

 

だから私も真っ直ぐには答えなかった。

 

「……」

 

「……」

 

 

 そして沈黙。二人きりで改まって話すには少し話題が足りない。普段から話していたの

がまさかこんな所で仇になるとは……私も彼女も口下手な方である故に、それ以降は会話

もなく時だけが流れ――

 

「来たね」

 

「あぁ」

 

そうしている内に階段を登ってくる籠と男達の姿。私達は立ち上がった。

 

「ひより、お前はどうするつもりだ?」

 

「今日は一晩此処で明かすよ。出来る限り人間みたいにね」

 

 此処に住むのが人間である以上どの程度の生活が可能なのか調べて置きたい。そう伝え

ると、彼女はさっさと階段を降り始めてしまった。

 

「私はもう戻るぞ。次にお前達が来るまではゆっくり記録が出来そうだからな」

 

片手を軽く挙げ、彼女は嬉しそうな声でそう言った。

 

「じゃあ、また里で」

 

 もう姿の見えなくなった稗田に私はそう声を掛け、その返事を聞かないまま神社へと歩

き出す。彼女とは何時でも会える。別に改まって礼を言う事は無いだろう。

 

 

「……」

 

そう、心に言い聞かせて。

 

 

 

今日、里の人間達は誰もが皆働かなかった。

 

 

起床し、家族と会い、食事をし、そしてそのまま全員で家を出た。

 

家を出ると、他の家の者達もそうしているのが見える。

 

お互い軽く挨拶をし、多少の雑談を交えながら同じ場所へと向かう。

 

 

稗田家へと……

 

 

 

 

 三代目稗田家当主の葬式は簡単に、ほんの数十分で執り行われた。本人が予め里の人々

に伝えていた事もあってか、皆一様に涙を浮かべながらも彼女の躯に縋りつく様な者は居

なかった。

 

子供は疑問を抱き

 

青年は静かに涙を流し

 

老人は唯手を合わせて――

 

 

子供は忘れ、青年は涙を止め、老人は手を下ろした。

 

それで、おしまい。

 

 

 

「……」

 

 誰も居なくなった廊下を一人の老人が歩いている。彼は生前の彼女と親しく、時に世話

になり、時に助けてやった間柄の男だった。男は彼女から自身が死んだ後の埋葬を頼まれ

ていたのだ。

 

彼女が眠っている部屋の襖を静かに開ける。

 

「っ……そうか」

 

男は部屋に入って直ぐに彼女の変化に気付いた。

 

 

小さな白い花が二本

 

彼女の耳の横、少し後ろの辺りに挿されている。

 

「……」

 

葬儀の終わりにはなかった花。男は最後にこの部屋を出た筈だ。

 

「ふむ――」

 

思い当たる節は一つ、この葬儀に参加していなかった少女。

 

「――やはり、年頃の娘には花が良く似合いますな」

 

男は笑った。

 

 

 

「ねぇ、おかあさま」

 

「お母様じゃない、ひより」

 

 本日何度目かになるやりとりにひよりは頭を痛める。彼女と別れてから早三年、既に()

()()も神社のあちらこちらを自由に歩き回れる程度には大きくなった。私は隣でお茶を啜

る紫妖怪を睨む。

 

「私の生い立ち知ってるでしょ、こういう知識は皆無なんだけど」

 

「私もサッパリよ。だったら怪しまれない為にも貴女が母親役を務めた方が良いわ」

 

じゃあなんで堂々とお茶を飲んでいるんだ、と心の中で彼女に問う。

 

「ねー、おかあさまー」

 

私の袖を引っ張る彌里(みさと)。

 

「……ほら、お母様はこっち」

 

私は袖を引っ張る腕を掴み、紫の裾を掴ませた。

 

「彌里、人の居ない時は私の事をお母様と呼んでも良いわよ」

 

彌里の肩を掴みニッコリと微笑む紫。案外子煩悩なのかも知れない。

 

「えー……」

 

彌里は凄く嫌そうな顔をして紫の腕を離れる。

 

「……」

 

「彌里、そろそろ今日の修行を始めて」

 

「はーい」

 

 紫が嘆き始める前に彌里を避難させた。何かを言おうとした紫は、しかし微かに口を動か

すだけに留めて再び私の隣に座る。……そして私にだけ聞こえる位の大きさで声を発した。

 

「……どうかしら、あの子は」

 

『博麗神社の巫女』として、彼女は視線で問い掛ける。

 

「難しいよ、『元々素質があった訳じゃない』から。それでも最近は大分霊力も上がって来

てるみたいだけど」

 

 里の皆と建てたこの神社は『博麗神社』と呼ばれている。今は亡き三代目稗田家当主が考

た名前だ。ちなみに彌里という名前も彼女が発案したのだが、これにはかなりの騒動という

か、問題があった。

 

『おいっ、ひより!八雲紫!居るかっ!?』

 

『あら、珍しいですわね稗田様』

 

『……大声で紫の名前まで呼ばないでよ』

 

『コイツを育てて貰えないか!?』

 

『……あら』

 

『嫌』

 

 

「……予定も大幅に狂ってしまったわね。本当、あの人間は厄介」

 

 当初の予定ではこの神社に据える巫女は霊力を扱う素質のある身寄りの無い子供のつもり

だった。しかし、稗田家の当主が赤ん坊を連れて来た事から予定は大きく変更となった。

 

「承諾したのは紫でしょ」

 

 どうやら彌里は里の入り口に捨てられていたらしい。偶然里の者が見つけ、稗田家に運ば

れ、誰も育てる余裕が無くて私達を頼りに来た、と。そう掻い摘んで説明する彼女を手で制

し、紫はその場で赤ん坊を受け取ったのだ。

 

「う……でも、何とかなるんでしょう?」

 

少し気不味そうに此方を見る紫。何とかなるとは無責任な発言である。

 

「一応料理とか生活する為の知識は何とか教えてる。霊力の方は上昇した程度の事は分かる

けど実際の術とかは教えられないってのが問題かな」

 

 私は今の現状を正直に伝えた。生活の方はぬえや妹紅と居た時代からの経験もあってか大

して苦労せずに教えられる。……問題は霊力を使った攻撃や防御の方だ。

 妖怪である私は霊力を持たないし、ましてや陰陽術なんて物は使えない。紫も頻繁に神社

に来れる訳ではないので、毎日修行を見る事は出来ないのだ。

 

「……貴女が私の式になってくれれば解決なのよね」

 

 紫はそう言って期待を込めた目で此方を見る。

 式神としての契りを結ぶと、その主の持つ知識や力を一部だが使える様になるらしい。そ

れを使って私が知識を得、彌里に術を教えてやれば良いと彼女は言いたいようだ。

 

「賛成一、反対六千と七百十一で否決」

 

私はそう言って断る。

 

「そうよね……御免なさい、嫌なお願いをしたわ」

 

 紫は私に向かって……正確には私達に向かって頭を下げた。私だけで無く私達の事も考え

てくれる様になったのは最近の紫の変化である。そのお陰もあってか今では紫が来た時に彼

等も警戒しなくなって随分とのんびり出来る様になった。

 

……と、軽い足音が耳に入る。

 

「おかーさん、終わったよ」

 

 少し髪の濡れた彌里が戻って来た。今彌里がやっている修行は簡単な瞑想だ。秋冬春は神

社の中で行い、夏である今は直ぐ傍を流れている小さな滝で頭を濡らしながらやっている。

 まだ修行自体は始めて一年だが、それでも霊力は昔と比べ物にならない位上がった。

 

「ん、おつかれ」

 

「お疲れ様、偉いわね」

 

直ぐ様スキマから布を取り出して彌里の頭を拭く紫。

 

……家族、か

 

「……彌里、一緒にご飯を作りましょうか。ひよりの為に」

 

唐突に紫がそんな事を言う。……何故?

 

「分かった!かあさま、待っててね!」

 

「はいはい」

 

 彌里はどうやら乗り気らしい、一度私を抱き締めてから紫の元へと走った。

 紫が彌里の手を引いて中へ入って行く。私はそれを遠巻きに眺め、彼女達の姿が見えな

くなった所で身体を床へと傾けた。自然と口から深い溜息が出る。

 

私と同じ思いをあの子にさせたくは、ない。

 

「勉強、してみるかなぁ……」

 

 

呟きは晴れた青空へと溶けていった。

 

 

 

「彌里様、里の者達を代表して感謝の言葉を――」

 

「い、いえいえ。これ位なら何ともありませんよ!」

 

 深く頭を下げる里長を何とか止めようと試みる。彼は穏やかで頼りになる人だが、彼の

祖父の意志を継ごうと頑張りすぎてしまう節があるのだ。彼は渋々頭を上げ、しかしまだ

もどかしそうに手を動かす。

 

「申し訳ない、本来なら我々が持って行くべきでしょう」

 

 そう言って私の後ろにある荷車を見る里長。背後の荷車には里の人達から貰った野菜や

肉類、それにお神酒といった酒類が積まれていた。

 

「これも修行の内ですから!」

 

手摺と荷台の間に入り、一応片手で持ち上げる……うん、大丈夫。

 

「……有難う御座います。ひより様にもそうお伝え下さい」

 

 頭を下げる里長に手を振りながら里の出口へと向かう。途中擦れ違う人達はもう慣れて

いるようで「長が何時もすまないね」、なんて言ってくれる人も居た。

 

彼等の為にも更に修行をして術を使える様になりたいものだ。

 

「……っと、良し」

 

 里を出て少し離れた所で立ち止まる。別に里の中で使っても良かったのだが、そう易々

と使う事の出来ない理由が私にはあった。

 

……失敗すると恥ずかしいから

 

「『神鹿』」

 

 巫女服の袖口から札を取り出して霊力を込め、現在使役出来る二匹の内一匹の名前を呼

ぶ。そうして札を少し離れた地面へと投げつけた。

 

札が地面に着弾、それと同時に煙が上がる。

 

「……」

 

 最初に煙から出て来たのは特徴的な角、次に顔。そのまま煙がどんどんと晴れて、足、

身体、小さい尾が見えた。一般的に誰が如何見ても鹿と呼ばれる動物はその体に霊力を纏

わせて佇んでいる。

 

神鹿(しんろく)、私が使役している神使だ。

 

……私がまだまだ未熟な所為で強くはないけれども

 

「それじゃ、お願いね」

 

 ブルルと鼻で一鳴きして神鹿が頭を上にあげる。強くはないが、彼は神使としてある能

力を有していた。角に光が集中し、私と荷車と神鹿が眩い光に包まれた。

 

それも束の間、光は直ぐに消えて視界が戻る。

 

「――うん、上手くいった」

 

次の瞬間には荒れ道は石畳に、雑木林は見覚えのある修行場所へと変化していた。

 

神鹿の能力は瞬間移動。それを使って博麗神社へと移動したのだ。

 

「ありがと、神鹿」

 

頬を二、三回撫でてから霊力の供給を止める。神鹿は紙切れに戻った。

 

「母さまー、今戻りましたよ」

 

 ガラガラと荷車を引きながら神社へと近付く。大抵の場合母さまは賽銭箱の上でお茶を

飲んでいるか、縁側でお茶を飲んでいるか、居間でお茶を飲んでいるか、だ。

 

私は荷車を一度台所へと運び、中へと入る。

 

「……」

 

 おかしい。居間にも縁側にも母さまが居ない。あの人に限って何かがあったなんて事は

無いだろうが、それでも不安に駆られた私は両手を口元へと宛てて息を吸い込んだ。

 

「母さ「うるさい」――あ、居たんですね」

 

 思いっきり叫ぼうとした直後軒下から聞こえた声。顔を上げると、そこには黒い毛並み

を持った猫の姿があった。私が両手を顔の前に掲げると、彼女は私目掛けて飛び降りて来

る。

 

飛び降りて来た所で私は両手を退けた。

 

「母さま、触らせて下さい!」

 

 現在彼女は猫の姿で私目掛けて降下中である。普段中々猫になってくれない上に猫好き

の私は初めから顔で受け止めるつもりで彼女を騙したのだ。

 

しかし現実は甘くなく――

 

「嫌」

 

空中で人型に戻り、そのまま私の顔に向けて落下し始めた。

 

「ちょっ、きゃっ!」

 

咄嗟に身を前に投げ出して回避する。背後で着地音。私は後ろを振り向いた。

 

「……母さま酷いです、って、あれ?」

 

何時も通りの母さま……一点を除いて。

 

私は人型に戻っても私より小さい母親に近付き、全身をくまなく観察する。

 

「服、白でしたっけ?」

 

そう、彼女は普段着である黒い着物ではなく、まるで死装束の様な白い着物を着ていた。

 

「今日は特別。これから紫と仕事があるから」

 

そう言って頭に天冠を巻く母さま――って

 

「……死装束だったんですね、それ」

 

コクリと頷く母さま。私は溜息を抑えられなかった。

 もうこの人に育てられて十四にもなるが、私は未だに二人の性格を掴みきれていない。

 そこいらの大妖怪なんか相手にならない程強く、しかし人が好きで、それでいて妖怪も

好き……それが私が持つ二人の印象だった。

 

そんな印象を塗り替える格好をした母さまが口を開く。

 

「『死ぬ覚悟はしておいて』って言われて渡された」

 

色々と疑問のある発言だが、それ以上に私は驚愕する。

 

「し、死ぬ覚悟ですか?」

 

 紫さんと母さまは滅茶苦茶強い。それこそ、本気を出されたら私では攻撃を当てられな

い位に。私はまだ大妖怪と呼ばれる存在と戦った事は無いが、それでも紫さんや母さまと

戦うよりならマシだと思える気がする。

 

その紫さんが、母さまにそう言ったと……

 

母さまは緊張感の無い顔で再び頷いた。

 

「だから暫くは帰れないよ。留守番よろしく」

 

「それは、大丈夫ですけど……母さまは……」

 

母さまは大丈夫なのか、私は言外にそう尋ねた。

 

「何とかなる。極力死なない様に頑張るよ」

 

珍しく、母さまが自分から黒猫の姿になって私の膝へと乗る。

 

「……はい」

 

 

母さまの背中を撫でながら、私は適当に返事をしておいた。

 

 

 

 

 

 

「それで、紫さんと何処に行くんですか?」

 

「……えーと、何処って言ってたかな。『西行寺家』?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




鹿とは「ブルル」と鳴く生物だったろうか

……馬?

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。