孤独と共に歩む者   作:Klotho

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今回書ききれなかった分は次回に。


『妹紅と依頼』

 

深く関わらない様に、浅く広く。

 

 

 

「それで、今日は一体何を仕出かしたんだ?貴族の屋敷に忍び込んだとか?」

 

 都の一角、妹紅が一人で生活している家には二人分の人影があった。一人はこの家の持ち主で不

老不死の少女、藤原妹紅だ。妹紅は自身と来客用のお茶を盆に載せながらもう一人の人影の持ち主

である少年にそう尋ねる。

 

「いや、それはもう諦めたって「ほらよ」……」

 

少年は目の前に置かれた湯飲みを暫く凝視し、そして机を思い切り叩いた。

 

「ねーちゃん真面目に聞く気ないでしょ!?」

 

「真面目な用件だった事が無いからなぁ……」

 

 実際、妹紅は随分とこの少年に困らされた。至極真面目をして平然と遊びにつき合わせようとす

るのだ。かくれんぼの手伝い、木に引っかかった鞠の回収、挙句の果てには猫の餌やりである。

 今までの恨みを込めて軽く睨み付けてやると、少年は少し俯きがちになりながら口を小さく動か

した。

 

「このままじゃ、父ちゃんが……」

 

「……?親父さんがどうしたんだ?何時も元気じゃないか」

 

 少年の父は都一番の地勢師で、この都の周囲一帯の地形や妖怪を調べる仕事をしている。実は妹

紅も妖怪退治の時に彼の作った地図を参考にした事が何度もある。正直、トラブルという言葉と最

も無縁な人物だと妹紅は思っていたのだが――

 

「――変な山の調査に行ったまま帰って来ないんだ」

 

少年の口から告げられたのは、父の予期せぬ不在。

 

「……」

 

「最初は、少し遅れてるんだろうって思ってたんだ……でも、三日も帰って来なかった事は無かっ

た!予定が遅れても、絶対に一日経つまでには帰って来てたんだ!」

 

 少年が悲痛そうに叫ぶのを見て、妹紅は内心どうしようかと悩んだ。彼の父に何かあった事は間

違いない……が、はいそうですかと了承して探しに出掛ける訳にも行かない。

 

何故なら、この少年は……

 

「分かった、探してやる……その代わりついて来るな」

 

「嫌だ!僕も妹紅ねーちゃんと一緒に探しに行く!」

 

「……」

 

 案の定少年はそう言うが、妹紅とて彼を危険な目に合わせる訳にはいかない。此処は心を鬼にし

て、少年には都で待っていて貰う方が得策だろう。妹紅は少年の肩を掴み、しっかりと目を合わせ

てから交渉へと入る。

 

「駄目だ」

 

「嫌だ」

 

「駄目だって」

 

「嫌だ!」

 

「……」

 

「嫌だっ!」

 

「……だぁぁぁぁっ!分かった、一緒に行くぞ!」

 

 敗北、そんな言葉が頭を過ぎるが知った事では無い。正直此処でこうして悶着している時間が惜

しいのだ。妹紅は頭をガシガシと掻き、引き戸にしまって置いた符を取り出した。

 

「但し、責任は取らないからな」

 

 勿論極力守る気ではいるが、彼の父が梃子摺る様な危険地帯では何があっても不思議ではない。

今の言葉で怖気ついてくれる事を願った妹紅だったが、少年は力強く頷いて立ち上がるだけに終わ

った。

 

「よし、行こう!」

 

「……はぁ」

 

 

先立って外に飛び出す少年の後を、妹紅は肩を落としながら付いて行った。

 

 

 

 

 都の守衛に事情を話して外へと出て、少年の先導で目的地へと向かう途中。黙々と足を進める少

年を眺めていた妹紅だったが、ふと思う事があり視線を右の山へと移した。

 

妹紅の視線の先にあるのはとても有名な山。

 

「……」

 

 妹紅ではなくても大抵の大人なら知っている場所である……危険地帯として。

 立ち入り厳禁、接近危険、侵入自己責任という都の人間達にとっては御法度とも言える場所だ

った。何時かは依頼で入る事もあるだろう、妹紅は思考をその程度で留めて再び前を向いた。

 

「……おい、どうした?」

 

見れば、少年は足を止めて()を向いている。

 

「確か、この山に行くって……」

 

妹紅が先程まで向いていた方向に今度は少年が向き、妹紅の中で嫌な予感が膨らむ。

 

「……おい、まさか」

 

 道中、なんとなく楽観視していた妹紅の背筋が自然と伸びる。少年の話が正しければ、彼の父

はどうやらとんでも無い場所まで踏み入ってしまった様だ。

 

「『妖怪の山』に入ったのか!?」

 

妹紅ですら入った事の無い危険地帯に、人間が一人で。

 

「そう!確かそんな名前だった!」

 

 少年が叫び、早く行こうと妹紅の腕を引っ張る。対照的に、妹紅の表情は険しく緊張した色を

隠せないでいた。

 

「……これは、手遅れかもな」

 

 妹紅は少年に聞こえない様、小さくそう呟く。

根拠は、此処に居る主な妖怪が『鬼』と『天狗』……それだけである。

 鬼に関しては多少の前知識がある。あの時出会った二人より強い鬼で無い事を願うばかりだ。

……しかし、天狗については知っていることが少な過ぎる。何より、鬼も天狗も基本的に人間を

食料にする者が殆どだ。

 

正直、彼が生きているという可能性は限りなく零に近いだろう。

 

「……」

 

 妹紅は正面で山を見上げている少年を見た。きっと、少年は此処が如何いう場所なのか分か

っていない。恐らく今も父親の無事を願っているのだろう。

 

それは、昔の妹紅が手に入れる事の出来なかった――

 

「――うし、行くか」

 

少年の肩を掴む。

 

「あ、うん……て、何やってるの!?」

 

 そして、そのまま持ち上げて背中へと負ぶった。所謂おんぶの姿勢である。背後で騒ぎ続け

る少年にチラリと視線を向け、妹紅は正面を睨みつける様にして小さく呟いた。

 

「出来れば此処は私一人で来たかったよ」

 

「……」

 

背中にいる少年が黙ったのを感じ、妹紅は続ける。

 

「誰も近寄らない理由は、つまりそういう事さ。少し位は自分で聞いて回ったんだろ?んで誰も

教えてくれなくて私の所に行きついた……そんな感じかね」

 

「……うん、誰も教えてくれなかった」

 

少年が肩を掴む力を強めたのを確認し、妹紅は右足を踏み出した。

 

「良いか?これからその理由を教えてやる。正真正銘、私も本気で動く、っと――」

 

 正直、半分以上は賭けである。初めて入る山、戦った事の無い妖怪や既に戦って苦戦した妖怪

……それら相手に、子供を背中に背負ったまま突入して挙句に大人を一人救出しなければならな

いのだ。

 

「――舌ぁ、噛むんじゃねえぞ!」

 

 妖力を足に込め、地面を蹴り飛ばす様にして一気に山へと侵入する。案の定、妹紅が足を踏み

入れた直後に背後で翼の生えた人型のナニカが剣を振り下ろす気配がした。

 恐らく天狗なのであろう彼らは、逃げる妹紅と殆ど同じ速度で追跡し続けている。

 

「良いかっ!?一気に上まで行って居なかったら諦めろ!!」

 

予想以上の手強さに、妹紅は叫ぶようにして背後の少年にそう言った。

 

「わ、分かった!!」

 

背後から帰って来た大声に一瞬妹紅は驚き、それを振り払う様にして更に足に妖力を込めた。

 

 

彼らの命は、一つしかないから――

 

 

 

「この辺りで消えた筈だ!」

 

「周囲をしっかりと探せ!逃がすなよ!」

 

木々の上で二人の木葉天狗が出会い、少し話して再び散開した。

 

「……」

 

「……」

 

その彼等が居た場所の真下にある草叢に、二人の人間。……勿論妹紅と少年である。

 

『此処までの道では見えなかったか?』

 

 妹紅は地面にそう書いて隣に居る少年の肩を叩いた。少年は地面を見つめ暫く思案した様だ

ったが、やがて首を振りながら地面に指を付けた。

 

『多分居なかった』

 

 地面に書いた自分の字を見て落胆する少年から目を離し、妹紅は上空を窺った。今も忙しな

く天狗達が飛んでいるし、何時地上へ降りて探索を開始するかも分からない。かといって此処

から出ればたちまち天狗達に見つかってしまうだろう。

 

丁度、此処が引き際だった。

 

 妹紅は少し悩み、そして徐に地面に文字を書き始める。先程よりも長く書いた()()は、少年

を沈黙させるには充分過ぎる程の意味を持って少年自身へと降りかかった。

 

『此処から引き返す位ならなんとか出来そうだ。でも、此処よりも上に登るなら二度と生きて

帰る事は出来ないかもしれない。私は此処で諦めて帰るべきだと思う』

 

 それはまだ十二に満たない少年にとっては過酷な選択肢だった。自身の父を捨てて山を降り

るか、自身の命を捨てて生きているかも分からない父を探すのか……。

 妹紅は静かに少年の回答を待ちながら山の上を見る。

 

「……」

 

 放たれている妖気は、先程から追って来ている天狗達とは比べ物にならない位強力な物。多

分あの二人の鬼と同等かそれ以上……それが少なくとも三つ。無論、今の妹紅だけでは勝てる

要素が全くと言って良いほど無い。

 勝てない事を前提にしてどうやって少年の父を探すか……それだけを只管考える。

 

その隣で、黙っていた少年の腕が動いた。

 

『僕だけでも此処に残って探す』

 

 妹紅が予想していた、妹紅の望んでいない答え。もし妹紅が帰り、その後少年が此処を出た

としても直ぐ様天狗達に捕まってしまうだろう。

 

……やれやれ、変な所で父親に似るもんだ

 

フラリと立ち上がり、少年の身体を再び背負い上げる。

 

「居たぞ!侵入者だ!」

 

「これ以上進ませずに始末しろ!」

 

「……ねーちゃん」

 

案の定集まってくる天狗達を尻目に、妹紅は後ろにいる少年に笑いかけた。

 

 

「お前達だけでも、絶対に生きて帰してやるよ」

 

私の命は、一つではないから――

 

 

 

 

 日が落ちて来た頃に、普段は見えない白い影が森を物凄い速度で通り抜ける。良く見るとそ

れは、後ろに小さな少年を背負っているようにも見えた。

 

「あいつ等、もう攻撃して来ないね!」

 

後ろを見ているのであろう少年が妹紅にそう言った。

 

「多分、この辺まで侵入する奴が、居ないからだろっ!」

 

 木の根を飛び越え、幹を交わし、息も絶え絶えに走りながら妹紅は少年に返した。登り続け

てもう山の天辺は直ぐ其処まで迫っている。妹紅達は作戦を捜索から聞き込みへと変更したの

だ。

 

それはつまり、この山の主と話を付けるという事で――

 

「良いかっ!お前は喋らずに私の後ろに居るんだぞ!」

 

 正面からはボンヤリと明るい光が見えている。それと同時に、草叢の中で感じた強大な妖気

も同じ方向から漂ってきた。片手を携帯していた布袋に入れ、護身用の結界符を取り出しなが

ら妹紅は木々の間から光が見える方向へと飛び込んだ。

 

――二人が走っていたのは、崖の上。

 

もし下にいる者達が上を見上げていたら恐らく唖然とした事だろう。

 

白く長い髪を持つ紅い瞳の女と、その首にしがみ付いて叫び声を上げる少年。

 

それらが、いきなり中心へと落下してきたのだから。

 

「うわぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「っまじか、って――ぐぇ!」

 

 姿勢上、なんとか妹紅が下敷きになる形で落下出来たのは幸いだった。折れてしまった何本

かの骨が再生を開始するのを感じながら、妹紅は未だくっついたままの少年ごと起き上がる。

 

「おい、大丈夫……か……」

 

 後ろを振り向けば、先に見えたのは少年ではなく強面の男。浅黒い肌に一本の角を額から生

やしているその姿には見覚えがある……というか、ハッキリと覚えている。

 

「……」

 

 立ち上がり、妹紅は漸く理解する。妹紅達の侵入を妨げようとしていた天狗達はどれも妹紅

に追いつく程の速さではなかった。それに、天狗の代表的な攻撃である筈の風を使った妖術も

一切飛んで来なかったのも気になっていたのだが……

 

「何だ、主等は?」

 

「はて、こんな奴が山におったか?」

 

 先程の天狗達よりも大きな翼、貫禄のある服装。間違いなく彼等こそが本物の天狗なのだろ

う。放たれる妖力と背後の鬼達との関連性を考えると、自然と答えはある方向へと導かれる。

 

こいつ等、宴会してやがった!

 

「……最悪だ」

 

 諦めた様に妹紅は力を抜いた。本気を出しても二人、良くて三人と言った所か。周囲にいる

数十にも登る鬼や天狗全てを倒しきる事は不可能だ。少年に使った護身用結界も、妖力の影響

を無力化する護符もそう長くは持たない。完全な手詰まりだった。

 

「こやつ等は人間の様だ。間違いない、匂いで分かるぞ」

 

「あぁ、あぁー。良いねぇ、そこの坊主も女も美味そうだ」

 

「……ね、ねーちゃん」

 

「……無理だ、くそっ!」

 

 背後の鬼達が立ち上がり、妹紅と少年を八つ裂きにして食らおうと近付く。正面の天狗達も

立ち上がり、絶体絶命と諦めかけた妹紅の脳に更なる警告が鳴り響いた。

 

「――待て、その者達には聞きたい事がある」

 

 それは、最初から妹紅が危険だと判断していたとんでもない妖力の塊の接近。それも三つ()

()にである。立ち上がった鬼と天狗がすごすごと引き下がるのを力ない目で見つめ、妹紅は半

ばヤケクソ気味に声の聞こえた方へと振り向いた。

 

「ほう、まだ若い女と童子か」

 

 鋭く射抜く様な目、他のどの天狗よりも大きな翼、周囲の鬼達よりも大きな身体。低くドス

の聞いた声が妹紅と少年の耳を突き抜け、まるで勢いだけで殺すかの様に周囲に響く。

 

「木葉天狗から話は聞いたぞ。二人組みの人間が侵入してきた、とな」

 

獲物を見つけた猫の様にニタリと笑い、妖怪の山の主――『天魔』は二人を睨んだ。

 

「……後ろに」

 

「……」

 

 最早逃げ場はない……それでも、こいつだけは。そう思って少年を背後に遣り、どうこの危

機を乗り越えたものかと思案する妹紅の耳に、天魔ではない誰かの声が聞こえて来た。

 

「なんだい、催し物でも演ってるのかい?」

 

「催しって空気じゃないでしょ。多分さっきの侵入者だね」

 

 天魔の背後から、残る二つの強烈な妖力の塊が出て来る。また天狗かと警戒した妹紅は、天

魔よりも圧倒的に小さいその二人の頭に特徴的な角を見つけた。二本と、一本。

 

「人間の侵入者が此処まで?……良いねぇ、どんな奴なのか顔が――ん?」

 

赤い角、特徴的な服、以前と殆ど変わらない長く綺麗な金髪。

 

「だから、その侵入者は私達が貰いたいんだけど――って、あれ?」

 

 頭の左右から突き出る二本の角。腕と足に不思議な形の錘を付けて、以前と殆ど変わらない

低い身長――

 

「「……妹紅?」」

 

二人の口から出たのは、紛れもない自身の名前。

 

「……た、助かった……」

 

「ねーちゃん!ちょ、何やってるのさ!?」

 

 腰を地面に落とし、ついついそんな事を言ってしまう。身体を揺すっている少年の声も、不

思議な顔で此方を見る『萃香』と『勇儀』の顔も、緊張の途切れた妹紅には如何でも良い様に

見えた。……勿論、良くはないのだが。

 

「何だ、知り合いじゃったのか?」

 

隣で立っている勇儀へと天魔が尋ねる。

 

「知り合いっていうか、もう友人みたいなもんかね。私と萃香を退治して此処まで追いやって

きた元凶だよ。……まさかまた会う事になるとは」

 

未だ傷の残る腕を天魔に見せ、勇儀は心底嬉しそうに笑った。

 

「ほう……して、萃香殿。如何しますかな?」

 

「うん、ごめん。やっぱり私達が貰うよ。如何いう経緯であれ友が遥々此処まで尋ねて来たん

だ。歓迎しないといけないしね」

 

 それに妹紅は結構飲める奴なんだ、と萃香は寝転がって腕で目を覆う妹紅を片手で持ち上げ

た。それを見た少年は萃香に何かを言いかけ、萃香が何かを耳元で呟くと途端に大人しくなっ

て萃香の背へと隠れた。

 

「ごめーん皆!この子達は私と勇儀の呼んだ友人でね、食わせる訳にはいかないんだ!」

 

「そういう訳だ、すまんが勘弁してくれ」

 

少年は一瞬周囲の妖怪達が怒り出すと身構えたのだが、意外にも彼等はすんなりと了承した。

 

「姐さん、後で妹紅の嬢ちゃんをこっちに寄越してくれ!後で久々に酌をして貰いてぇ!」

 

「あの白髪の女は頭領との勝負に勝ってるんだぜ、知ってるか?」

 

少年でも分かる程強い妖怪が、妹紅の事を誇らしげに語る。

 

「……凄い」

 

「ほら、何してんのさ?こっちだよ」

 

 

 思わずそう呟き、周囲を見回す。もう皆再び酒を飲むのに集中している様だ。少年は何時の

間にか移動していた少女の元に慌てて駆け出した。

 

「付いて来な……大丈夫、捕って食いやしないよ」

 

 恐れから動こうとしなかったと勘違いしたのか、小さな鬼の少女はそう言ってニヤリと口角

を吊り上げた。全然安心出来なかったのは言うまでもない。

 

「勿論、お前の親父もね」

 

 

それは、先程も耳元で囁かれた言葉。

 

 

 

「颯太(そうた)っ!?お前どうしてこんな所に!」

 

 先の場所とはまるで別の空間の様に静かな平地に少し年老いた男の声が響く。

 

「と、父ちゃん!」

 

少年……颯太は萃香の元を離れ、背中から鞄を下ろした男へと飛びついた。

 

「良かっだっ……ほんどうにっ、」

 

「……心配かけちまったな」

 

 襤褸い麻の着物を纏った男は袖を掴んで泣きじゃくる颯太の頭を優しく撫でた。そうし続

ける事数分、男はふと気付いてその手を休め、自身と颯太の遣り取りを黙って見ていた萃香

と勇儀に深く頭を下げた。

 

「御二人にも、迷惑をお掛け致しましたようで」

 

「なになに、引き止めてたアタシらが悪かったんだ。お前さんが謝る道理は無いよ」

 

うんうんと頷く萃香と勇儀を見て、男はゆっくりと頭を上げた。

 

「一応紹介させて貰いましょうか、息子の颯太と言います」

 

 ある程度泣いて落ち着いたのか、名前を呼ばれた颯太は袖から顔を離して萃香と勇儀に向

き直った。そして渋々頭を下げる。

 

「……颯太です」

 

「あぁ、話には聞いていたよ。自慢の息子なんだってねぇ?」

 

 萃香が嫌らしく笑ってそう言い、颯太は恥ずかしくなって父の背中へと隠れた。何を言っ

たのかは分からないが父の事だ、きっとある事無い事全て話してしまったのだろう。何とか

話を逸らそうとする颯太に助け舟を出したのは、意外にも身長の高い鬼だった。

 

「萃香、話も良いが余り長くは……」

 

「そうだね……さて、早蕨(さわらび)。お前と話せて本当に良かった。色々と聞きたい事

も、聞いた事が無い話も沢山教えて貰った」

 

放つ空気がガラリと変わった少女に、自然と颯太の背筋も伸びる。

 

「だが、それももう終わりの様だ。息子が態々こんな場所まで迎えに来たとあっちゃぁ、お

前さんも親冥利に尽きるだろう?」

 

「……えぇ、流石に帰らない訳には行かなくなりました」

 

早蕨と呼ばれた男は苦笑し、萃香と勇儀も同じ様に苦笑した。

 

「教えて貰った礼と言っては何だが、何か欲しい物があればくれてやるぞ?」

 

 財宝でも、食料でも、何でもな。そう付け加えて此方を見る萃香。颯太は父と萃香を交互

に見遣り、普段滅茶苦茶な事しか言わない父がどういう答えを出すのか……それを静かに待

った。

 

「これが私一人の冒険なら財宝でも貰って帰ったんですがね」

 

颯太の涙や鼻水で大変な事になった袖を掲げ、早蕨は困った様に笑った。

 

「生憎ですが、私の帰りを待っていてくれる者が居る。……だから、貴方様にはこの周辺で

の安全な旅を保障して頂きたい」

 

颯太は顔を上げ、萃香を真っ直ぐに見据える父を見た。

 

「良く考えたか?財宝があれば帰りを待つ者とも一生安全に暮らせるんだぞ?」

 

「えぇ、一応それも考えたんですが……どうにも、私には出来なさそうでね」

 

 早蕨は無造作に自身の鞄に近付き、留め口からはみ出した真新しい紙を広げて颯太や萃香

達に見える様に掲げた。それは、つい先程妹紅と共に森を駆け抜けた颯太にも、この山に住

む萃香や勇儀にも簡単に分かる程の――

 

「――此処は、とても景色が美しい」

 

妖怪の山の全体図。

 

「これが何時か、誰かの為になる。そう思うと意外に辞められなくなるんです」

 

「……父ちゃん」

 

普段とは全く違う様子の父に、颯太は何故か今迄以上に尊敬の念を抱いていた。

 

「……分かった、お前の願いは私が叶えよう」

 

背を向け、萃香は少し困った様に肩を竦めた。

 

「話は終わりだ、帰りは天狗達が都の近くまで送る。お前達親子の行く先に幸有らん事を」

 

 

萃香はそう言って逃げる様に立ち去って行った。

 

 

 

 

「あの、妹紅ねーちゃんは……」

 

萃香が去った後、颯太は背の高い女の鬼に未だ地面で倒れている妹紅の様子を尋ねた。

 

「ん?あぁ、ありゃもう駄目だ。完全に気力が途切れてるからね」

 

「え……それって……」

 

 勇儀が一気に杯を煽り、飲み干して空になった杯を妹紅の頭に当てた。杯が粉々になっ

て妹紅の身体へと降りかかったが、彼女は身動き一つしない。

 

「ご覧の通り、暫くは動けないだろう」

 

「……」

 

「ま、動ける様になったらこいつも都に返すからさ。お前さんは親父と一緒に戻りな」

 

そう言って勇儀は天狗と話をしている早蕨を指差した。

 

「颯太、そろそろ行くぞ!妹紅は置いていけ!」

 

「……でも」

 

未だ煮え切らない颯太の頭を、勇儀がクシャリと撫でた。

 

「安心しな、鬼は絶対に嘘は吐かないよ」

 

「……分かった」

 

 

颯太は一度だけ妹紅の方を振り返り、再び背を向けて父の方へと走り出した。

 

 

 

「とーちゃん、妹紅ねーちゃんと知り合いだったの?」

 

都から家までの帰り道、颯太は隣を歩く父に尋ねた。

 

「ん?あぁ、何度か一緒に仕事もした仲だ」

 

「じゃあ何で置いていったのさ?」

 

「うぐ、お前少し頭が良くなったな」

 

胸を押さえ、少し苦しそうに呻く父を颯太は睨みつけた。

 

「誤魔化さないでよ!」

 

「いやいや、真剣だよ。お前はもう立派な大人だ。俺が保障する」

 

そう言って乱暴に颯太の頭を撫でる早蕨。その手を振り払う事は出来なかった。

 

「ありがとうな颯太、態々迎えに来てくれて」

 

「……うん」

 

父が微笑み、颯太は恥ずかしくなって思わず顔を逸らした。

 

「さーて、今日は久し振りに家で飯が食えるぞ!」

 

そんな颯太を無視して遠くに見えて来た家に向かって走り出す父。

 

「あ、ちょ、待ってよ父ちゃん!」

 

また行方不明になってしまっては困る、そう思って颯太も父の後を追いかけた。

 

 

妹紅の話を誤魔化された事には、気付かずに

 

 

 

 

「ほら、行ったよ」

 

二人が天狗達と共に山を下った後、勇儀は寝転がったままの妹紅へと声を掛けた。

 

「……」

 

先程まで倒れていたのが嘘の様に立ち上がり、妹紅は勇儀の頭に杯の欠片を投げる。

 

「いてっ」

 

「笑顔のまま言うんじゃねぇよ……ったく」

 

 颯太達が去るまで寝た振りをしようとしていた妹紅の耳に、何かが風を切る音が聞こえ

た。……かと思いきや、突然頭にとんでもない衝撃と強烈な痛みが襲い掛かって来た。本

来なら叫び声の一つや二つ上げる程の痛みだったが、颯太達が居た手間なんとか堪えてい

たのだ。

 

「やっぱり、もう都には戻れないか?」

 

妹紅の心を見透かしたかのように勇儀が尋ねた。

 

「……あぁ、何時かあいつも気が付くだろうしな」

 

 先程まで共に戦った、無謀で勇気のある小さな少年を思い出す。あの時崖から落ちて傷

一つ無かった事にも、きっとあの子ならば気付いてしまう事だろう。

 

「多分気にしないとは思うけどねぇ」

 

「あいつ等が良くても、周りはそうは思わないって事。私は勇儀が思っている以上に化物

してるし」

 

一箇所に留まれるのは精々五年、それ以上何処かに居続けた事は無い。

 

「それで、もうそろそろ潮時だって?」

 

「今年で五年、今回の件は丁度良い節目になったよ」

 

 余りに居心地が良くて、思わず踏み止まる位には気に入っていた。だから、出来れば居

心地の良かった場所として記憶に残して置きたいのだ。

 

「……お前さんも、苦労してるねぇ」

 

 勇儀はしみじみとそう呟き、懐から新しい杯を取り出した。一体あの身体の何処に隠し

ていたのかと目を疑う妹紅を無視して勇儀は腰に下げていた瓢箪から杯に酒を注いだ。

 

「ん」

 

そして真っ直ぐに妹紅へ差し出す。

 

「……悪いな」

 

勇儀から酒の入った杯を受け取り、そして一気に飲み干す。

 

「んじゃ、私は先に萃香の所で待ってるよ」

 

その杯は直接返しに来い、そう言って勇儀は喧騒と灯火の中へと消えて行った。

 

「……」

 

 手に残った空の器を見つめる。どうせ入ってないんだから持って行ってくれても良かっ

たじゃないかと今更気付き、妹紅は深く溜息を吐いた。

 

地面に腰を降ろし、それでも何か足りずに地面へと再び転がる。

 

空を見上げると何時までも変わらない光があった。

 

「あの時も、こんな月が出てたっけなぁ……」

 

奇しくも似た状況。依頼、萃香と勇儀、そして別れ。

 

違うのは、もう二度と会う事が出来ないということ。

 

「……眩しい」

 

 手に持っていた空の杯を顔に被せ、妹紅は月の光が目に入らないようにした。噎せ返る

ような酒の匂いに包まれ、何故かそれが妹紅の心を酷く冷静にさせる。

 

顔に被せた杯に残っていた酒の一滴が、端から零れ落ちた。

 

 

何故か、それは途切れる事なく――

 

 

 

 都にまだ陽が上らない時間に妹紅の住む小屋から人影が出る。それは暫く妹紅の小屋を

眺めていたが、やがて地面に置いていた鞄を背負って背中を向けた。

 

「……」

 

今度は都の門の前で立ち止まる。横には妖怪退治の依頼を管理する建物があった。

 

「――」

 

一度後ろを振り返ってから門の外へと出る。

 

その――一歩手前。

 

「――妹紅ねーちゃん!」

 

人影――妹紅はピタリと動きを止め、ゆっくりと後ろを振り返る。

 

「……颯太」

 

肩で息をする少年がそこに居た。

 

「これっ、俺ととーちゃんからっ!」

 

 少年の手には大きな筒。妹紅が受け取って広げると、そこにはこの近辺の大まかな地形

と名称、危険度等が記されていた。勿論、昨日調査したばかりの妖怪の山の事まで。

 

「これは……」

 

「妹紅ねーちゃんが()()帰って来ても良いようにって、父ちゃんが」

 

 今は寝てるけど、と少年は申し訳なさそうに頬を掻いた。彼等が帰ってから妹紅が出る

までの時間は数時間。その間彼は寝る間を惜しんでこの地図を書いてくれたのだろう。

 

「ありがとう、颯太」

 

出来る限りの笑顔で、妹紅はそう言ったつもりだった。

 

「あ……」

 

「親父さんにもそう伝えて置いてくれ」

 

 何かを言おうとする颯太を遮り妹紅は背中を向ける。そっと自身の頬に手を当てると、

一筋の涙が流れていた。袖で擦り、分からない様にしてから歩き出す。

 

「……また会えるよね?」

 

少年が祈る様に口に出したのは決して頷く事の出来ない約束。

 

「……あぁ、また会えるよ」

 

 

片手を振ってそう答え、妹紅は今度こそ都を離れて行った。

 

 

 

「それにしても、妹紅さんは随分この辺りにお詳しいんですね」

 

何時か何処かの一室、少女はお茶を啜りながらそんな事をのたまった。

 

「いんや、こいつのお陰さ」

 

 そういって妹紅が鞄から取り出したのは古ぼけた紙。少女は興味深そうにそれを覗き

込み、やがて書いてある内容を理解して戦慄した。

 

「げ、『幻想郷』の地図……それに危険度や妖怪の種類まで……」

 

 情報通の自分ですら手に入れられない情報の書かれたこの地図は、一体どれ程の価値

があるのだろうか?

 

「妹紅さんっ!こ、これ下さい!」

 

 思わずそう言って妹紅を仰ぎ見る。一瞬驚いた表情を見せた妹紅だったが、やがて苦

笑と共に緩やかに首を振った。

 

「……すまん、これは大切な物なんだ」

 

そういって地図を撫でる彼女の顔は――

 

「……すいません、つい興奮してしまって。忘れて下さい」

 

「いや、此方こそ悪いな」

 

 少女は大人しく引き下がった。流石にあんな顔でそんな事を言われてしまっては、ね

だったり交渉をする気も起きない。第一、少女の心がそれを許さなかった。

 

「でも、写させて貰う位は良いですよねっ?」

 

「……あぁ、是非そうしてやってくれ」

 

 

その地図は後々、殆どの人達が手にする事となる――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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