孤独と共に歩む者   作:Klotho

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少しだけ話を逸れて、短めに。


『蠱毒と約束』

 

 

 

 とある里の子供達に約束事と聞くと、皆一様に同じ事を答える……そんな里があった。

『夜の間は出来る限り外に出ない』、『里の外には極力出ないようにする』、『妖怪をみ

たら直ぐに誰かに知らせる』……大人達は子供に言い聞かせ、身振り手振りで妖怪の恐ろ

しさを伝える事で里の繁栄を守ってきた。

 

その中に、こんな約束事がある。

 

『森の外れの廃屋には、絶対に近付かない』

 

「はっ……はっ……」

 

風に靡く草花の間を黒い影が通り過ぎる。

 

「はぁっ……はぁっ……」

 

段々とその速度と動きは緩やかになり、やがて完全に停止する。

 

「……ふぅ」

 

 影の持ち主は立ち止まり、後ろを振り返った。視線の先には先程抜け出して来た里が小

さく見えている。少年は満足そうに頷き、近くにあった小石を蹴った。

 カツン、と子気味良い音を立てて石が正面へと転がる。少年はそれを蹴り続けながら少

しづつ歩みを進めた。

 

「暫くは帰れない……帰らないぞ!」

 

 両親と喧嘩をし、つい勢いのまま里の外へと飛び出してしまった。そのまま走って、走

って、ついに里が見えなくなる場所まで来てしまった。この時点で既に、子供の頃から言

われていた約束事を一つ破ってしまっている。

 今戻ってもただ怒られるだけ、下手をすれば暫くの間飯を抜きにされるかもしれない。

……しかし、自分一人で夜に里の外を出歩くのは危険過ぎる。

 

だから、少年はもう一つだけ約束事を破るつもりだった。

 

「……あの廃屋に入り込んでやる」

 

 少年の周囲では有名な話だった。危険な妖怪や外から来た盗賊等に襲われないように里

から出ない、これは里の大人達全員が口を揃えて答えてくれる。

 ……なら、廃屋に近付いてはいけない理由は?これはというと、大人達は一斉に言葉を

濁して曖昧にし、結局何も教えてくれないのだ。お陰で少年達の間では、ありもしない様

な噂まで流れる様になってしまった。

 

「そんで、人食い妖怪なら俺が退治する!」

 

 少年達は、あの廃屋には人食い妖怪が住んでいるのではないかと予想した。里の物見台

から見ると不定期にだがあの小屋から煙が上がっているのだ。誰かが住んでいる事は間違

いないだろう。

 

 

恐怖と好奇心を胸に秘め、少年は視界に映る小屋に向けて歩みを進めた。

 

 

 

 

 風で森の草木が揺れ、小鳥が飛び立つ。その直ぐ傍の地面を踏みしめる足。少年は遂に

森の外れにある小屋の目の前にまで辿り着いていた。その手には、若干の震えと汗。

 

「……」

 

音を立てないように、静かに一歩一歩近付いて行く。

 

「……っ」

 

 そっと小屋の壁へと張り付き、そのまま横へと身体を動かす。その途中で気付いたが廃

屋という割りに随分と修理されている様に見える。それも、最近になって修理した様な真

新しい補修跡があった。

 ジリジリと歩みを進めていき、小屋を半周した所で扉へと手が触れる。少年はそっと扉

のとってを掴み、ゆっくりと扉を開いた。

 

……一体、中には何が

 

人食い妖怪か、大人達の秘密の何かか、それとも唯誰かが住んでいるだけなのか。

 

少年は少し開いた扉の隙間から中を覗き見た。

 

 

 

「……それで?」

 

目の前には、綺麗な黒い着物を着た少女。

 

「いや、それだけだって」

 

 少年は少女と囲炉裏を挟んで反対側へと座っていた。

 結局扉を開いた時には既に中にいた少女は此方を見ており、妖怪だと思って身構えてい

た少年が唖然としている内にこうして捕まってしまったのである。

 

「……それだけ、か」

 

 黒い着物に紫の動物をあしらった着物を着た少女は、少年が此処へ来た理由を吟味して

いるようだ。

 

「本当だって、親父と少し喧嘩したから家出して……その、誰も居なきゃ此処で一晩明か

すつもりだったんだよ」

 

 まさか人が居るとは思わなかった、と少年は顔を伏せた。此処から誰かが出てくる所な

んて見たこともないし、里の大人達も近寄らないからてっきり……そう思っていたのだ。

 

つまり、今の少年は宿無し状態である。

 

「泊めるのは別に良いよ」

 

顔を上げると、襖を開けて布団を取り出す少女の姿。

 

「……良いのか?」

 

 本当に世話になって良いのか、それと簡単に他人を入れていいのか、という意味を込め

て少年は少女に尋ねた。少女は特に反応を示さず、黙々と布団を敷いていく。

 

「……」

 

「えーと、お願いします」

 

 一応、少年は少女に向かって頭を下げた。突然家へと押し入って来て妖怪と勘違いした

挙句、家に泊める破目になったのだ。迷惑をしていない訳が無い。

 

しかし少女は

 

「構わないよ、そういう《約束》だからね」

 

そういって笑い、布団を敷き終えて囲炉裏へと戻って来た。

 

「約束?」

 

「そ、色々あるんだけどね。私が此処に居る理由の一つ」

 

 少女はそういって、何処か懐かしむ様に微笑んだ。

そこで少年はふとした、それでいて何処か引っ掛かりを覚えた。

 

「そういえば、お前親とかは……」

 

 口に出し、そして咄嗟に噤む。彼女がどんな理由で此処に住んでいようとも、それを自

分が聞くべきではないのだ。少年は『女性に追及をするな』と常日頃言っていた父親の事

を思い出した。

 

「……悪い」

 

いたたまれない気持ちになり、思わず少女から目を離した。

 

「気にしてない……それよりほら、焼けたよ」

 

目を逸らした少年の前に焼いた魚を差し出し、少女はそう言った。

 

「……頂きます」

 

 

その味は、今まで食べたどの魚よりも美味しかった。

 

 

 

 

 多少の世間話……お互いの好物の話や趣味の話から始まり、里の様子やら親の話やらを

した後、二人は別々の布団で床へと就いた。

 

「……」

 

眠れず、少年はつい隣の布団へと視線を遣る。

 

「どうかした?」

 

視線に気付いた少女がゆっくりと此方を向いた。

 

「……いや、少し聞きたい事があってさ」

 

 少年は身体を寝かせ、小屋の天井を眺めた。脳裏には、今日家出した里と逃げる自分を

怒鳴り散らす父親の姿が過ぎった。何故か、今思えば自身が悪かった様な気がしてくる。

 少女の焼いた魚は確かに美味しかった……が、どうしても母親の料理の味が頭に浮かん

でしまった。今思えば、母の作る料理よりも美味しい物はない様な気がする。

 

「……仲直り、した方が良いと思うか?」

 

 少年は、天井を見つめたままそう呟いた。少女には先程自身が置かれている状況を話し

たし、父親の意見と自分の言い分もしっかりと伝えてある。

 

少女は暫くの間無言だったが、やがて布団から立ち上がって窓を開いた。

 

「うん、多分した方が良いよ」

 

輝く星々を眺めながら少女は答えた。

 

「やっぱ、俺が悪いのかな」

 

 謝れ、という事はつまりそういう意味なのだろう。そう解釈して俯く少年に、少女は苦

笑しながら緩やかに首を振った。

 

「そうじゃなくて、勝手に此処まで来た事を謝った方が良いって言ってるのさ。喧嘩の話

は置いておくにしても、里の約束として決められてたんでしょう?」

 

「……」

 

 少年は少女の指摘に一言も言葉を返す事が出来なかった。少女の言っている事は全て正

しい。少年は自身の身の上話以前に里の約束事を破ってしまっているのだ。

 

「それと、貴方のお父さんとの喧嘩は自分で決着をつけるべきだよ」

 

 自分に嘘は吐くべきじゃない、と少女は言って布団へと入った。

どうやら彼女には少年の悩みが分かっていたらしい。父親に折れて謝罪をするか、それと

も自身が正しいと思った考えを肯定するか……。

 

「……ありがとう」

 

背中を向けた少女に少年はそう声を掛けた。

 

「さっさと寝て早い内に帰りなよ」

 

此方を見る事なく少女はそう言い、やがて小さな寝息が聞こえて来た。

 

「……」

 

 忌み子、そういう言葉がある。里で望まれず生まれた子供や、人々では受け入れ難い力

や性質を持った子供をそう呼ぶことがあるそうだ。少年は又聞きでだが、そういった存在

が居る事を知っていた。

 もしかしたら、目の前で寝ている少女がそうなのでは無いだろうか?少年は此方に背を

向けている少女へと視線を移した。親も居らず、里の大人達が避け、里に住もうとしない

少女は正に先の言葉に当て嵌まっている様な気がする。

 

そこまで想像して、少年は自身の頭を軽く叩いた。

 

「……やめよう」

 

 先も思った通り、余り詮索をするべきではないだろう。

少年は頭から深く布団を被り、やがて少年の布団からも寝息が聞こえ始めた。

 

 

 

「それじゃあ、ありがとう」

 

朝、少年は少女の見送りと共に小屋を出ようとしていた。

 

「帰り道は……流石に分かるよね、大丈夫?」

 

真面目な顔で聞いてくる少女に苦笑し、少年は一応里のある方向を指差した。

 

「大丈夫だって、此処から半里もないし」

 

「それなら良いけど、この辺りは妖怪が出易いからね」

 

「妖怪位なら平気だって!足に自信もあるしさ」

 

 少年は自身の足を軽く叩き、そして少女に背を向けて歩き出した。余り長居をしても少

女に悪いだろうし、何より長居し過ぎると里の方が不味いかもしれない。少年は自身で意

識しない程度に歩幅を広げた。

 そして最後にもう一度だけ小屋を振り返り、少女がゆっくりと戻って行くのを見た。

 

「……よし」

 

少年は里に向かって走り始めた。

 

 

 

 

「はっ……はっ……」

 

風に靡く草花の間を()()の影が通り過ぎる。

 

「はぁっ……はぁっ……」

 

 昨日通って来た道を逆走する様に少年が走っているのだ。ただし、その顔には昨日小屋

へ向かっていた時のような余裕は無い。少年は全力で走り続け、時折後ろを振り返った。

 少年の後ろから付いて来ているのは小型の妖獣達である。狼とも熊とも取れない中間の

生物の様な見た目の彼等は、偶然目の前を通った獲物を喰らう為に此処まで付いて来てい

るのだ。

 

「っ、くそっ!」

 

 少年が幾ら速く走っても、妖獣達は近づく事も離れる事も無く付いて来る。少年が疲弊

した所を狙って、彼等は一斉に飛び掛ってくるつもりなのだろう。

 予想通り、最初は全力で走っていた少年も疲労の所為で段々と速度が緩やかになる。肩

で息をし、汗を拭い、再び後ろを見ようとした少年は――

 

「――がはっ!」

 

 背後から飛び掛ってきた妖獣から頭突きを食らって吹き飛ばされた。

少年の身体が鞠の様に跳ね、地面に叩きつけられてそのまま転がる。

 

「つ、ぅ……」

 

 立ち上がろうとし、足に力が入らない事に気付く。どうやら今の攻撃で足首を捻ってし

まったらしい。少年は乾いた笑みを浮かべながら、ゆっくりと近付いてくる妖獣達を見据

えた。

 

「グルル……」

 

唸り声を上げ、少年を囲む様に移動する妖獣達。

 

「……来い」

 

 死ぬのは怖いが、どうせ死ぬならせめて一匹でも道連れにしたい。それが駄目なら、彼

等の眼球の一つでも共に持っていくつもりで少年は妖獣達にそう言い放った。そして出来

る限り横になり、極力動かない様に身体の力を抜く。

 

やがて少年が動かない事を確認した妖獣達が一斉に飛び掛る。

 

「――」

 

先程まで固めていた決意とは逆に、咄嗟に少年は瞼を閉じて――

 

 

――そして、何も襲って来なかった。

 

「……?」

 

 衝撃も、痛みも、彼等の唸り声すらも聞こえない。少年は恐る恐る目を開き、やがて自

分の目の前に誰かが立っている事に気が付いた。

 

「あ……」

 

「だから言ったでしょ、気をつけてって」

 

 少年を庇う様にして、少女が妖獣達の攻撃を受け止めていたのだ。それだけなら少年は

慌てて少女に声を掛けただろうが、少年は攻撃を受け止めた少女に視線がいってしまうの

を抑えられなかった。

 

「その、翼は……」

 

 少女の肩甲骨の辺りから、鳥の様な白い翼が生えているのだ。それに少女は攻撃を受け

止めているのではなく、身体から伸びた蛇の様な生物で妖獣達を絡め取っている。

 

「《約束事(禁止事項)》を破った代償……そんな所だよ」

 

 少年の少し怯えを見せた表情を見て、少女は苦笑しながら言った。彼女が一体何を言っ

ているのか少年には理解する事が出来なかった。

 一体、彼女の言う約束事とは何を意味するのだろうか……?

 

「結論から言っちゃえば、私は――って……」

 

「っ……」

 

それを思案する前に、少年は自身の意識が遠退くのを感じた。

 

 

 

「……」

 

 ガバリ、と身体を起こして少年は周囲を見回した。障子、襖、そして見慣れた天井。間

違いなく此処は少年の家だった。少年は自身の寝ていた布団から出て、重い足取りで居間

へと向かう。

 

あれは、もしかして夢だったのだろうか?

 

 里の約束事を破って、父親と喧嘩して、妖怪が住んでいると言われている小屋に実は少

女が住んでいた。これが夢なら全て納得の行く内容だった。

 

「漸く起きたのね……大丈夫?痛い所とかは?」

 

居間へ着いて最初に少年に声を掛けたのは母親だった。

 

「あ、うん……大丈夫、だけど……」

 

少年は身体を触ってくる母を押し返し、囲炉裏の前で座り込んでいる父を見た。

 

「……」

 

 腕を組んで、目を閉じ、如何にも怒っていると言わんばかりの顔だ。正直、今まで彼が

みた父親の表情の中でも一番恐ろしいと思う様な表情だった。

 

……でも、謝るべきだろうな。

 

 少女の言葉を思い出し、少年は覚悟を決めて父親の反対側へと座る。そして両手を床へ

と付いて、父親に向かってゆっくりと頭を下げた。そしてそのまま、少年は喉で出掛かっ

ていた言葉を叩き出した。

 

「勝手に里を出てごめんなさい!」

 

「……」

 

 返事はなかったが、少年は勝手に顔を上げて父を見た。両腕は組んだままだったが、閉

じていた目の片側を此方へと向けているのに気が付いて少年は言葉を続けた。

 

「……家に居辛くなったからって、里の約束事を破って外に出たのは俺が悪いです。だか

ら、せめてこれだけは謝ろうと思いました」

 

「……」

 

 少年は言い切り、そして静かに父の言葉を待った。

暫くは沈黙していた父だったが、やがて両腕を下ろして少年を見据えた。

 

「……つまり、俺との喧嘩は謝る気がないんだな?」

 

 少年は一瞬、自分の父から発せられる怒気に怯んだ。此処で首を縦に振りでもすればた

ちまちその怒気は開放され、少年に何かしらの形で牙を向く事だろう。

 だが、少年は最後まで少女の言葉を信じてみることにした。

 

「全く、あれは親父が悪いと思ってる!」

 

今度は少年が腕を組み、父親を見上げる形で言い放った。

 

「……」

 

「……」

 

後ろで絶句している母を無視して、二人は少しの間睨み合った。

 

「そうか、分かった」

 

 先に立ち上がったのは父だった。溜息を吐き、立ち上がって居間から出て行く。少年は

部屋に呼び出されるのかと身構えたが、父は此方を振り返る事無く母に何かを伝えて出て

行った。

 

「はぁぁ……」

 

 見えなくなってから肩の力を抜くように息を吐く。恐らく自身の人生の中でも一番の綱

渡りだった様な気がする。だが、恐らく成功……したのだろうか?

 一人で思案していた少年に、母親が笑顔で近付いて来た。

 

「お疲れ様、大変だったでしょ?あの人怖いから」

 

「母さん……」

 

何時もは泣きながら布団で愚図っていた自分を笑顔で母が迎えてくれた。

 

「でも、今回はお父さんの負けよ。『今日の夕飯は、アイツの好きな物でも作ってやれ』

……そう言ってたわ」

 

貴方達ってどっちも素直で良いわね、と母が小さく呟いた。

 

「……そっか」

 

少年は何処か、勝った筈なのに不明瞭で中途半端な気持ちが残っている気がした。

 

 

それは父との喧嘩の事か、それとも里の約束事の話か……

 

 

または――

 

 

 

 

 その後、少年は里で一躍人気者となった。唯一少年の身で森の廃屋まで行って生還した

だの、頑固で有名な彼の父親を負かしただの、皆が一様に守っていた約束事を思い切り破

った……だのと。

 ちなみに、大人達があの小屋に近付くなと言った理由は小屋に原因があるのではなく、

あの周囲には妖獣の群れが出没し易いからだそうだ。

 

少年は大人達にも子供達にも、その時の様子を自身が体験したままに伝えた。

 

……だが、そんな彼が今でも胸に秘めている秘密がある。

 

「……結局、会えないままか」

 

 少年は青年となり、今は里の外を悠々と歩いていた。既に少年と言える若さはなくなっ

て、その身体は大きく逞しい姿へと成長をしている。右手には、一本の長槍。

 少年はこの数年間、里に偶然流れ着いた妖怪退治屋の元で指導を受けて妖怪退治を専門

に働き始めたのだ。

 そして今は周囲の安全確認兼自身の夢の様な体験の追憶をしている最中である。

 

「此処で襲われたんだっけ」

 

 青年は足元の草花を見つめ、あの日妖獣に追い掛けられていた頃を思い出した。あの時

少女が助けてくれなかったら少年は今頃妖獣達に食われてしまっていただろう。

 彼女のお陰で、今はこうして気楽にこの道を歩く事が出来ている。青年は心の中で少女

に感謝した。

 

「そして、此処が……」

 

 青年は森の入り口で立ち止まり、目の前に佇む()()を見た。随分と時が

経っていて壁や屋根も古く、所々穴が空いている部分が見える。青年は構わず小屋へと近

付いて行き、扉を開けて中へと入った。

 

「囲炉裏は此処で、布団は此処だっけか」

 

 青年は、少年の時の事を思い出しながら一つ一つ確認をしていった。焼き魚を貰った囲

炉裏、少女が敷いてくれた布団、その布団から眺めた天井、そして――

 

「……何だ?」

 

 最後に少女が星を見る為に開いた窓を同じように開いた時、窓の枠から何かがヒラリと

落ちるのを青年は捉えた。ゆっくりと近付き、そして恐る恐る拾い上げる。

 

それは、()()()()小さな白い紙だった。

 

「まさか――」

 

 青年は急いで紙を開き、その表裏を確認する。

書いてあった内容はたった一文、整った綺麗な文字で――

 

『この辺りは妖怪が出るから、帰る時は気をつけて』

 

「……あぁ、分かった」

 

 青年は立ち上がり、小屋から出て森の外れへと出る。そして一度だけ辺りを見回し、こ

の手紙を挟んで置いたのであろう彼女の姿を探した……が、見つかる事は無かった。

 

だが、彼女に見えているのならば良いだろう。

 

 青年は思い切り腕を伸ばし、出来る限り遠くまで腕を振った。この行為が徒労に終わっ

ても、先程の紙が誰かの悪戯だったとしても構わない。青年は力の限り腕を振り続け、や

がて元来た道を引き返し始めた。

 

 

そして、一陣の風だけが辺りを通り過ぎる――

 

 

 

 ふと思い出して、最後位は……そう思って私は一時期住んでいた小屋へと立ち寄った。

どうやらあの小屋は私が去った後誰も使っていなかったようで、中は随分と廃れてしま

っていたのだがそれでも昔の面影を垣間見る事が出来たので充分だろう。

 

「……懐かしいなぁ」

 

 嘗て此処に住んでいた時、唯一この小屋まで来た少年を思い出してひよりは一人苦笑す

る。彼は確か父親と食の意見で対立したのだったか、その為だけに此処まで来たのだから

随分な親の元に生まれて来たのだろう。

 

「元気にしてるかな、あの子は」

 

 もう私の身長を通り越して立派な大人になっている頃だろう。少しだけ彼等を遣わせて

里の様子を見たい衝動に駆られたが、昔の思い出を壊してまで確認するつもりはない。

 

「よし、これで良いか」

 

 だから、ほんの少しだけ此方から彼に伝言をさせて貰う事にしよう。一方通行で、返す

手段もなくて、彼に伝わった事すら知る術のない一言の伝言を。

 風で飛ばされて徒労に終わっても、妖獣や妖精の悪戯で何処かに行ってしまっても構わ

ない。そんな軽い気持ちで、私はある細工をしてから小屋から出た。

 

これで、この場所に戻ってくる事は無いだろう。

 

「……じゃあね」

 

背を向けて翼を出し、ひよりは空へと舞い上がった。

 

 

 

 

「ひより、ちょっとお願いがあるのよ」

 

現在ひよりが寝泊りしている小屋に、唐突に女性の声が響く。

 

「……『紫』、私は便利屋じゃないんだけど」

 

 読書をしていたひよりは嫌な物を見る目で後ろを振り返った。紫のドレスに赤いリボン

の付いた帽子、そして閉じた扇子を手に持った美しい女性がそこに立っていた。

 

「まぁまぁ、話だけでも聞いて頂戴」

 

そう言って隣に座ろうとする紫を手で制し、ひよりは紫を睨んだ。

 

「なら、今回の件で約束を果たして貰うよ」

 

言って、ひよりは自身の隣にある座布団から手を引いた。

 

「えぇ、この問題が解決したら『地底の場所と行き方』を教えてあげるわ」

 

紫は笑顔で頷き、ひよりの隣に置かれた座布団の上へと座る。

 

「実は、会って欲しい友人が居るのよ――」

 

 

語りだした紫の話を半分聞きながら、ひよりは彼女と出会ってしまった原因を想起した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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