孤独と共に歩む者   作:Klotho

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この小説は、東方Projectの二次創作です。
※第一話にはグロ成分が含まれているのでご注意下さい。


『孤独』

 

――クソッ、このままでは……。

 

 都から離れた山奥にある小屋に、一人の男が居た。男の顔は手入れのされていない髪で隠れていて、その表情を窺う事は出来ない。

男は何かを小さく呟きながら、自身の足元の()を開ける。

 

「やはり、()()では都の結界は破れぬ……」

 

 月灯りを男が遮り、中身を窺うことは出来ない。だが、ほんの一瞬……壷の中に居た何かが小さく蠢いた。

 

「もっと強力なモノを作らなければ……」

 

 男は自身の懐から巻物を取り出した。そこに書いてあったのは様々な生物の名前と数字である。

 

「何か……今迄に無い様な材料を……」

 

 最早、彼は正常な人間ではない……狂っているのだ。

それでも、都に住む者達への執念だけが彼の体を突き動かす――

 

「そうだ、まだ試していない材料があったか……」

 

 男は小屋を出て、森の更に向こうを見つめる。

男の見つめる視線の先には、陰陽師達が住まう都――平安京があった。

 

「くくく……成功しても失敗しても『都の人間』なら……」

 

男は都へと足を進めた。

 

 

 

 

「……」

 

 都の端の所で、一人の少女が手鞠をついている。少女は、この都ではある意味知らない者が居ない程の子供だった。生まれた時に既に両親が居らず、赤子の状態で保護されたのだ。

 勿論、彼女は人々の共感によってとある家に引き取られた。……が、家の者達はあまり喋らず笑わない少女の事を不気味がり、相手にしなかった。

 

「……♪」

 

 それでも、少女は楽しそうに手鞠をついていた。

後ろに、血走った目で少女を見下ろす男が現れるまでは―― 

 

「あっ……」

 

 調子が崩れて、少女の下から鞠が後ろへ転がる。

そこで初めて、少女は目の前に男が立っている事に気が付いた。

 

「――」

 

 後には、小さな手鞠だけが残った。

だが、少女が居なくなった事に気付く人間は居ないだろう。

 

故に、少女は孤独だった。

 

 

「う、ん……」

 

 小さく呻き声を上げて、少女は体を起こした。

辺りを見回してみるも、上も下も真っ暗で何も見えない。

 

「夜、なのかな……」

 

 手を置いた地面は、冷たくスベスベしている。

――その、少女が地面へと置いた手に何かが這い上がって来た。

 

「……虫?」

 

 暗くて見えないが、恐らくは百足だろう。少女は四つん這いになって足元を触りながら動き回った。分かったのは、此処に沢山の動物達が集まっているという事だ。百足の他にも()()()、蜥蜴なんかもいる。

 余り動いて彼等を潰したくはないし、少女は座ったまま動かない事にした。

 

 

 

 

 目を覚まして、どれ位経ったのだろうか。少女は自身の膝を抱え込む様にして座り、ただ只管周囲に変化が起こる事を待ち望んでいた。

 ……だが、一向に陽が昇る気配も無く、灯りが見える気配も無い。最初は落ち着いていた少女も、段々と不安になり始めた。

 

「かえりたい……」

 

 家に戻っても迎えてくれる人が居る訳では無い。だが、少なくとも此処には居たくない……少女はこの()()にいる事自体に、何処と無く抵抗を覚えていた。

 

「――っ!」

 

 小さく、声にならない悲鳴を上げる。

暗闇で見えないが、何者かが少女の右足を噛んだのだ。

ズキズキと、鋭い痛みが脈を打つ様に少女の脳へと伝わる。

 

「つぅ……っ!」

 

 右足に噛り付いていた鼠を振り払い、しゃがみ込む。

都で生きてきた時には一度も経験した事の無い痛みが少女を蝕む。

 

「……みんな、おなかが空いてるんだ」

 

 少女は自身のお腹が空腹を訴えるのを感じた。それもその筈、既にこの場所に閉じ込められてから数時間が経過しているのだ。普段なら家で冷めてはいるがちゃんとしたご飯を食べている頃だろう。

 先程の鼠も、空腹の余り私を齧ったんだろうなぁ……と少女は思った。

 

「このままじゃ……」

 

 周囲にはかなりの沢山の生物が居る。少女のお腹が鳴った様に、彼等も何れ空腹を感じる時が来るだろう。そして、動物は人間よりも遥かに自身の欲求に忠実である。

 もし、これらの生物全てが空腹を我慢出来なくなったら……。

 

「……」

 

少女は自身の両腕で自分を抱え込む様にして待った。

 

 

 

 

 ウトウトし始めていた少女は、聞きなれない音で目を覚ました。パキパキと何かが割れるような音と、ミチミチという耳を塞ぎたくなる様な音だ。

 少女は無言で立ち上がり、壁に背中を付けた。幼い彼女でも、今此処で音が鳴った理由は充分に理解している。

 

だれかが、我慢できなくなったんだ――

 

 

地獄の始まりである。

 

 

 

 都から出て来た男は、小屋へ着くなり少女を床へ下ろす。

少女の腕と足の数を確認し、新しい巻物を取り出し『人間:1』と書き込んだ。

 

「さぁ、準備は整った……後は……」

 

男は更なる材料を探しに小屋から出て行った。

 

もし、少女がこの時目を覚ませれば、きっと……。

 

 

 

 

 『蟲毒』

 

 古代より行われ、今現在において禁止されている呪いで、様々な動物を用いて相手を呪う、そんな術である。

用いて相手を呪う、そんな術である。

 

 この術は非常に強力で、嘗て多くの陰陽術師達も手を出していた。

……出していたというのは、先述の通りこの術自体が禁止になったからだ。

蟲毒が禁止になった理由は、その製造方法にある。

 

 

壱、複数の生物の入る器を用意する。

 

弐、多数の生物を入れ蓋をし、僅かな換気だけ行う。

 

参、『中の生物が喰い合い、最後の一匹になるまで待つ』

 

肆、残った生物自体が、蟲毒となる。

 

 

 多くの生物が死ぬ上に、非人道的であると言った理由が挙げられた。……が、それでも人の目を避け、こっそりと蟲毒を行う者達は出続けた。

 

 

この男も、その一人である。

 

 

 

 

 男は、自身が作れる限りの大きさの壷を作った。

自分の身長と同じ位大きい壷を見て、男はニヤリと笑う。

 

「これならば……」

 

 先ず最初に男は、未だに気絶している少女を中へ入れた。

そしてそのまま壷よりも大きい穴へといれ、周囲を土で埋める。

 

これで、もう逃げられないだろう……。

 

 男は蓋を閉め、蟲毒の材料となる生物を入れた壷を見た。さて、まずはどれから入れようか……?既に蟲毒として完成したモノを入れても良いが、失敗する可能性もある。

 

「……こいつ等で試してみてからだ」

 

 再び少女が入った蓋を開け、材料の入った壷を引っくり返す。

百足、蜘蛛、鼠、蛇等の様々な()()たちが壷から落ち、中へと入った。

 

「……」

 

 男は蓋を閉じ、他に分からぬ様蓋に土を被せた。此処から凡そ数刻――その頃には中で喰らいあい、()()になっているだろう。

 男はほくそ笑み、壷の埋まった地面に背を向けて小屋へと歩き出す。

 

「さて、何が生き残るやら……」

 

 男は初めから少女が生き残ると思っていなかった。爬虫類ですら嫌がる人間が、あの喰い合いの中で生き残れる訳が無い。あの中で生き残れるのは、『生きる為に喰らう意志を持った者』だけなのだ。

 

「だからこそ、強い蟲毒が出来る……」

 

 人間の死の恐怖を餌にし、更に強力な蟲毒を作る。

もしこの計画が上手くいけば、今度こそ都を壊滅させられるだろう……。

 

男は、狂った様に笑い続けた。

 

 

 

 既に、壷の中は地獄絵図と化していた。

少女には見えていないが、最初に食べられたのは飛蝗である。

暗闇の中飛び跳ねていた飛蝗を、蟷螂が捕まえて喰べてしまったのだ。

 

――その蟷螂を、蜘蛛が喰べた。

 

――その蜘蛛を、百足が喰べた。

 

――その百足を、鼠が喰べた。

 

――その鼠を、蛇が丸呑みにした。

 

 全て、暗闇の中で行われている惨劇である。

少女も、既に鼠や蛇等から何度か噛まれ、足から血を流していた。

 

「……うぅ」

 

 幼い子供には耐え難い痛みと恐怖が少女を苛む。

きっと、既に他の動物達はお互いを喰らっているのだろう。

 

私があまり狙われないのは、私が大きいからだ……。

 

 確認した中では、私よりも大きい生物はいなかった。

彼等は、最初は自分達よりも小さい生物を喰らって飢えを凌ぐのだろう。

 

だが、もし餌が少なくなってきたら……。

 

 

 

 

「一匹が喰らえば、他の奴等も我慢出来なくなる」

 

男は小屋の中にある椅子に座り、下で行われている惨劇に想いを馳せる。

 

「極限状態は、中の空気を狂気に変える……」

 

 術は精神に依存する物が非常に多い。

蟲毒が強力なのは、恐怖と飢えを利用しているからだ。

 

「――そろそろ、頭数も減ってきているだろうな」

 

男は外へ出て空を仰ぎ、凡その時間を計る。

 

 

約六時間が、経過していた。

 

 

 

 少女は、底に倒れ伏していた。

もう、何回噛まれたかも分からず、激痛だけが体に響く。

中でも、足の痛みは尋常では無い……既に喰われてしまったのだろうか。

 

「……」

 

 助けを呼ぶための名前も出てこない。

父も、母も、親しい友達も、仲の良い大人も、何も無かった。

 

もう……つかれたなぁ……。

 

 何も無い人生、他の人から見れば不幸な人生か。

生きている意味は無く、死んではいけない理由は無かった。

 

彼等に喰べられても、いいかなぁ……。

 

 少女は、喰べる事は命を貰う事だと考えていた。

なら、私が彼等に命を譲ってあげるのも、良いのかもしれない。

 

そう、諦めた所で――

 

少女のお腹が、空腹を訴えた。

 

「……おなか空いた」

 

 彼女の人生の唯一の楽しみは食事だった。

誰とも遊べなくても、家の者に愛されなくても、食べる事は好きだった。

 

「すこし、嫌だなぁ……」

 

 このまま死んでしまって、食べられなくなるのは嫌だ。だが、生き残る為には此処にいる他の生物達を喰べるしか無い。

 

それは、死ぬのと同じ位嫌だった。

 

 

 

 倒れている少女の顔の前に、鼠が居る様だった。

私の足を齧っていた鼠かもしれないし、別の鼠かもしれない。

 

――声が、語りかけてくる。

 

 鼠は、少女に顔を近づけて匂いを嗅いでいる。

このまま放っておけば、間違いなく少女は喰われてしまうだろう。

 

『このままじゃ、飢え死にしちゃうよ?』

 

 少女の右手がピクリと動く。

動かないと決めていた意志とは逆に、だ。

 

『まだ、生きていたいんでしょう?』

 

 右手が、目の前にいた鼠を素早く捕まえた。

右手の中で鼠が暴れるが、少女の手は鼠を完全に押さえている。

 

『なら、食べなきゃ』

 

 右手で暴れる鼠の感触が戻ってきた。

今手を離せば、この鼠は即座に逃げ出してしまうだろう。

もう、少女には二択しか残されていない――『喰らうか』、『死ぬか』だ。

 

『食べて』

 

 少女の意志とは関係なく口が開く。 

この右手を口へと運び、咀嚼すれば良いのだ。

そうすれば、私はもう暫く生きていられる……でも――

 

『喰らえ!』

 

 声が、少女の頭に響き渡る。

何度も、何度も、何度も、繰り返し、繰り返して――

 

 

少女は、自身の右手を、口へと押し込んだ。

 

 

 

「――さて、時間か」

 

 男は椅子から立ち上がり、周囲の壷を運び出す。

運び出した先は、少女達が入った壷のある場所である。

 

「……」

 

 土を退け、蓋を静かに開ける。

暗くて中は良く見えないが、匂いからして既に一匹だろう。

 

「さぁ、此処からが本番だ」

 

 男は運び出した壷の中身を一匹ずつ入れていく。

中身は、今迄の蟲毒によって完成した生物達だった。

 

 犬、猫、鳥といった哺乳類、毒を持った昆虫や爬虫類。それら全てを壷の中へと入れ、蓋を閉め土を戻す。蓋を閉めても尚響いてくる喧騒に、男はほくそ笑んだ。

 

「これで、漸く奴等を……こいつで……」

 

男はブツブツと呟きながら小屋へと戻る。

 

復讐が叶わない事も知らずに……。

 

 

 

 

 一体、どれ位の生物を食べたのだろうか。

朦朧とする意識の中で、少女はふと、そんな事を思った。

声に突き動かされるまま衝動的に、本能的に……そうして得た生命。

――それが、自身の中で渦巻いているのが分かる。

 

……ごめんなさい、ありがとう。

 

 お腹に手を当て、少女は心の中で思った。

生きる為に、なんて言い訳で片付く様な物では無いのだ。

彼等だって、生きたかったのだから……。

 

「……?」

 

 上から何か物音がした。

何かを退けている様な、そんな音が。

 

そして、天井から星々が見えた。

 

「……」

 

 少女は、手を伸ばそうとした。

出口は直ぐ目の前にある、もしかしたら……

 

「……っ!」

 

 声が出る事はなかった。

半狂乱になって叫びながら喰った所為だろう。

代わりに、上から何かが沢山落ちてくるのが分かった。

 

 ドサドサと大量に落ちて来たのは、恐らくまた生物……。

ほんの少しの星々の灯りしかないが、彼等が体を起こすのが分かった。

 

 それらを眺めている内に、再び天井が暗くなっていく。

声を出す事も出来ず唯手を伸ばしている内に、再び空は暗くなってしまった。

 

「グルル……」

 

 先程の生物達の唸り声が聞こえる。

犬だろうか、それに鳥なんかもいるようだ。

 

『……良かった、まだ生きていられるね』

 

 声が安堵した様に語りかける。

対照的にどんどん心が冷たくなっていくのが分かった。

 

あと、どれ位喰べなきゃいけないんだろう……。

 

 

再び地獄が始まろうとしていた。

 

 

 

「『輝夜(かぐや)』様、帝様がお見えに……」

 

「……分かりました、直ぐに向かいます」

 

 もう、これで何度目になるのだろうか。

毎日毎日私の所に会いに来る人間が帝とは、世も末なのだろうか。

 

「あーぁ、私にそっくりな人でも居ないかしら」

 

 使用人が居なくなった部屋でそんな事を呟く。

人の居る場所では畏まり、居ない場所で素に戻る。

 

「流石にもう疲れちゃったわ……」

 

 はぁ、と溜息を吐いて立ち上がり、部屋から出る。

本音を言えば会いに行きたくはないのだが、仕方の無い事なのだ。

 

「おじい様とおばあ様の為にも……」

 

 普通ならば気味悪がる様な私を、実の子の様に育ててくれた。

その恩へ少しでも報いたい一身で、輝夜は帝の居る場所へと辿り着いた。

 

「輝夜です」

 

「うむ、入って来い」

 

 襖を開け、中へと入る。

中に居たのは帝とおじい様達だった。

 

私はおばあ様の横に座り、帝に向き直った。

 

「どうだ、輝夜姫よ……考えてはくれたか?」

 

「……何度も申し訳ありませんが、私は貴方様の下へ行く訳にはいかないのです」

 

「どうか、その理由だけでも聞かせてくれないか?

それだけ聞ければ、私も十分に未練を断ち切れる物なのだが……」

 

 えぇい、しつこい!……と心の中で叫ぶ。

だが、彼等に()の話をしても理解する事は出来ないだろう。

おじい様にも、おばあ様にも……ましてや帝なんてもっての他だ。

 

「お答え出来ません」

 

 だから私は堂々と突き放してやった。

私に会いに来る事よりも、後世の事を懸念して欲しい物だ。

帝が只管女に現を抜かしていたなんて記されたらどうするのだろうか?

 

「うぅむ……しかし「帝様!」……何だ?」

 

 未だに未練がましく唸る帝に大臣が何かを伝える。

どうやら何か問題が起こった様だ……そのまま帰って欲しい。

 

「仕方ない、今日はこれでお暇しよう。

その代わりと言っては何だが、姫様方には今後暫く警戒をして頂たい」

 

 帝の言い様に私は疑問を覚える。

この都には強力な対妖用の結界が敷かれている。

それに、都の中には腕の立つ陰陽師もいるだろう……これではまるで――

 

「――まるで、結界が破られるかの様な言い方をするのですね?」

 

結界を破り、陰陽師達でも対処出来ない様な妖怪が来ると言っているのだ。

 

「……黙っていても埒が明きませんな。

翁殿、貴方様は知っているでしょうが、内密にお願い致します」

 

 溜息を吐き、そう独白する帝。

何故おじい様に釘を刺したのかは分からないが、帝の次の言葉を待つ。

 

「……蟲毒が、行われていたようです」

 

 帝は重々しい表情でそう言った。

私には理解出来なかったが、おじい様が震える声で帝へと問うた。

 

「まさか、そんな……場所は……?」

 

「都から半里程離れた山奥です。

恐らく都を追われた陰陽師の仕業と睨んでおります」

 

 それでは、と言って部屋を出て行く帝。

足音が聞こえなくなるのを確認してから、私はおじい様へ先程の事を聞いた。

 

「おじい様、蟲毒って何?」

 

「……儂の口からは答えられぬ、すまんのぅ輝夜。

()()は、他の誰かに聞かせても良い様な物ではないのじゃ」

 

 私はそれ以上追求しようとしなかった。

こんなおじい様を見たのは初めてだが、興味よりも恐怖の方が先立ったのだ。

 

 

帝ですら警戒する『蟲毒』って、何だろう……?

 

部屋へ戻った私は、月を見上げながらそんな事を考えて居た。

 

 

 

 血を啜って、肉を齧って、骨を砕いた。

私は生きる為に、他の生物の命を奪い続けてきた。

今、私の目の前には、既に息絶え絶えの動物がいる。

 

これで、最後――

 

「……ふっ!」

 

 荒い呼吸のまま、右手を動物へと叩き付けた。

断末魔の叫びを上げる事も無く、動物は息絶えた。

 

「……」

 

 私はしゃがみ込み、一度だけその体を撫でる。

フサフサとした毛が生えている、きっと犬だったのだろう。

 

「いただきます」

 

 私は躊躇無く、死んだ犬に齧り付いた。

この暗闇の中で、幾度と無く行って来た行為だった。

私は咀嚼を繰り返しながら、ふと上が騒がしい事に気が付いた。

 

「もしかして、誰かが……?」

 

 前に天井が明るくなった時は話し声は聞こえなかった。

だが、今回は間違いなく人の声がしてきている……それも、集団で。

 

「出れるかな……」

 

 少女が最初に負った足の傷は、何時の間にか()()()いた。

それに、何だか先程の犬と戦った時も随分簡単に勝てた様な気がする。

 

「……」

 

 少女は、自身の身に起きている変化に気付く事は無かった。

そうして少しの時間が過ぎ、以前の様に天井の土を退かす音が聞こえてくる。

 

 

これで、やっと――

 

 

少女は、自分が最後まで生き残った事の意味に気付く事も無かった。

 

 

 

かつて男が拠点としていた小屋には、既に警備隊が到着していた。

 

「……此処です」

 

 そこに、新しい人影が二つ。

帝の命で様子を見に来た陰陽師の青年と、その案内役だった。

 

「蟲毒をやった奴は?」

 

「既に死亡しています、胸に矢を受けて死んだそうです」

 

「そうか」

 

 張本人が死んだのは幸いだった。

これ以上続けられたら、都の危機となったかもしれない。

 

「……これは」

 

 小屋の中にあるのは壷だけだった。

右も左も、机と椅子以外の物は全て壷だった。

これは、また、随分と――

 

「――何もいないな」

 

「……?えぇ、何も居ませんね」

 

 恐らくは理解していないだろう案内役に、青年は頭を悩ませる。

どうしよう、この案内役は此処で()()()()()方が良いのかもしれない。

 

それ程までに、自身の勘が危険を告げていた。

 

此処は危険だ、と……。

 

「もう帰っても良いぞ」

 

「はぁ、分かりました」

 

大人しく帰っていく門番を見送った青年は、警備隊へと声を掛ける。

 

「あんたら、手伝ってくれ」

 

「……何をでしょうか?」

 

 恐らくは長であろう男が此方へと来る。

青年は皆に聞こえる様に、地面を指差しながら言った。

 

「この下で、恐らくまだ蟲毒をやってる。

あんた等にはそれを掘り返す手伝いをして欲しい」

 

 足元からは、未だに強烈な妖気が出続けている。

警備隊の男達が動揺するのを見ながら、青年は続けて言った。

 

「何も戦えって訳じゃないさ、掘るだけで良い。

蓋が出てきたら、あんた等は帰ってくれて良いよ……帰った方が良い」

 

 警備隊達は顔を合わせ、そして渋々穴を掘り始める。

青年はそれを見届けてから、再び小屋へと入って中を詮索し始めた。

 

「奴は、一体何を材料にしたんだ?」

 

 青年は机の中にあった巻物を全て開いていく。

一年前、半年前、半月前、六日前、そして……

 

「……っ、まさか……」

 

 青年の開いた巻物には、様々な動物の名に混じって『人間:1』と書かれていた。

もしこの巻物に書いてある事が本当なら、今地面の下で行われている蟲毒の材料には……

 

「……人を、入れやがったのか」

 

 青年は自身の商売道具を取り出した。

人を材料にした蟲毒など、聞いた事が無い。

恐らく人生の中で一番危険な相手と戦う事になるだろう。

 

「陰陽師殿!蓋が見えました!」

 

 外で掘っていた警備隊が青年を呼ぶ。

青年は手に持っていた巻物を燃やしてから外へと出た。

 

 

 

 地面に埋まっていた壷が、恐らく一番大きい物なのだろう。

小屋の中にあった物とは比べ物にならない大きさのソレを見て戦慄を覚える。

 

一体、この中でどれ程の命が――

 

「……あんた等、もう帰って良いぞ」

 

 過ぎった考えを振り払い、警備隊に言う。

男達は黙って頷き、都の方へと引き返していった。

 

「……」

 

 静かに、蓋に手を掛ける。

中にいるモノを刺激して都へ逃がす訳にはいかない。

自身の命を張ってでも、青年は止めるつもりでいた。

 

 ズズズ、という音と共に蓋がずれ、完全に開く。

壷の中は、陽の光で差し込んだ部分しか見えなかった。

……が、落ちている毛や血の残骸は、嫌と言う程見えている。

 

「……?」

 

 光で照らされた部分の端に、動く何かが居る。

青年は術符を構えたまま、そのモノに向かって声を掛けた。

 

「……其処にいるのは誰だ?」

 

 言葉が通じるとは思っていなかった。

しかし、下に居るモノは意外にも反応を示す。

 

「誰か、居るんですか?」

 

 青年が手に持っていた術符が地面へと落ちる。

まさか、まさか……こんな事になるなんて、思ってもいなかった……

 

――人間が、『蟲毒』になってしまうとは……!

 

「……あぁ、居る……居るよ。

待っててくれ、直ぐに助けるから」

 

青年は立ち上がり、ロープを取りに小屋へと入った。

 

「……」

 

 先程の声は恐らく子供の声だ、それも少女の。

それは即ち、中にいる生物を全て喰らったのは少女という事になる。

 

間違いなく、今殺さなければ危険だった。

 

……しかし、

 

「出来るかよ……畜生」

 

 人を守る為に陰陽師になった。

人々が喜ぶ顔が見たくて、陰陽師になったのだ。

 

人間の少女を、殺す為では無い。

 

青年の中では、未だに少女は人間なのだ。

 

 

 

 

「……待たせたな、ほら、登れるか?」

 

 小屋にあったロープを中へと垂らす。

少しして、ロープを何者かが登ってくる重みを感じた。

 

「……ありがとうございます」

 

 出てきたのは、まだ幼い少女だった。

ボロボロの衣服には、血や毛がこびり付いている。

だが、少女の体には傷一つ付いていない。

 

「……俺は都の陰陽師だ、君は?」

 

 青年は、先ず最初に少女に名前を聞いた。

行方不明の話は聞いていないが、確実に都の子供だろう。

だが、少女の答えは青年の予想を裏切った。

 

「都に住んでます、名前は……ありません」

 

「……名前、無いのか?」

 

「お父さんとお母さんが居ませんでした。

家では何時も『お前』か『貴様』って呼ばれてました」

 

「……そうか」

 

 典型的な、引き取り手の家が悪いパターンだ。

きっと一人で放置されている所を狙われて、材料にされたのだろう……。

 

この子に、何をしてあげられるだろうか……。

 

 

青年は、せめて少女に真実を伝える事にした。

 

「お嬢さん、一つ言わなければならない事がある」

 

「はい、なんですか?」

 

 周囲を見回していた少女が此方へ向き直る。

青年は喉がつっかえるのを感じながら口を開いた。

 

「もう、お嬢さんは都へは戻れないんだ」

 

「え……」

 

 少女が愕然とした表情で固まる。

急に家へと帰る事が出来なくなったのだから当然だ。

 

「ど、どうして……」

 

「理由は、君が蟲毒となったからだ。

君はあの中で、沢山の生物達を食べてしまっただろう?」

 

「……」

 

 少女は自身の服を見下ろす。

その服には、未だ血が付着したままだった。

 

「その所為で、君は妖怪になってしまったんだ。

今迄食べてきた生物達の恨みや、恐怖や、絶望を取り込んで、ね……」

 

 少女の体からは未だに強烈な妖気が発せられている。

一度の蟲毒ならまだしも、完成した蟲毒すらも食べた結果だろう。

 

「じゃ、じゃあ私は……」

 

「あぁ、君は既に人間じゃない。

人を離れ、真逆の存在である妖怪になった……ほら、その証拠に――」

 

「……?」

 

 青年は少女の背中に手を伸ばした。

其処には、少女の背中から生えている()()()があった。

 

「あ……」

 

「これが、蟲毒の影響なんだ。

今迄喰らった生物達の性質を、君は受け継いでしまったんだ」

 

 青年は手を床へと叩き付けた。

隣で少女が驚くのも無視して、青年は叩きつけ続けた。

 

「本当は!俺達が、君達を守るべきだったんだ!」

 

「……」

 

「……でも、既に君は妖怪となってしまった」

 

「あの、手……」

 

少女は、青年の血が出ている手を優しく包んだ。

 

「手がいたくなってしまいます。

……私は良いんです。私は、人間でもようかいでも一人です」

 

「……すまない、本当に、すまないっ……」

 

 

青年は、暫く少女の手を掴んで泣き続けた。

 

 

 

 

 外へ出してくれた人が言うには、私はもう人間ではないらしい。

確かに、今私の背中には他の人にはないであろう鳥の羽が生えている。

 

そして、都へもう戻れない事も告げられた。

 

 こんな羽のある人間が居たら、きっと皆怖がるだろう。

私にはそれが分かった……分かったから、少しだけ辛かった。

 

でも、この人は私の事を私以上に考えてくれている。

それが、少しだけ嬉しかった。

 

だから、もう、良いのだ。

 

「……もう、行きます」

 

 私は静かに立ち上がった。

もうこれ以上此処に居る事は出来ない。

 

青年は顔を上げ、再び小さく謝った。

 

「俺は、君に何もしてやれないんだ……」

 

「……私がようかいで、貴方が人間だから」

 

「っ、あぁ……」

 

 私は陰陽師の人に背を向けた。

目の前には森……都から離れるには丁度良いのかもしれない。

 

「……それじゃあ」

 

私は、目の前に広がる森へと足を踏み入れ「……待ってくれ」

 

青年が、私を止めた。

 

「なんですか……?」

 

「俺が、お前に名前をやる。

それ位しか出来ないから、それ位させてくれ……」

 

 何故、この人は此処まで私に優しくしてくれるのだろう?

人の優しさを知らないまま生きてきた少女は、それが理解出来ずにいた。

 

「……名前、くれるんですか?」

 

「……あぁ、せめてもの償いだ。

そうだな……『ひより』って言うのはどうだ?」

 

「……『ひより』」

 

「あぁ、良い名前だろ?」

 

 青年がニコリと笑う。

少女と会って初めて見せた笑顔だった。

 

「……はいっ!」

 

釣られて少女――ひよりも笑った。

 

「じゃあ、またな……ひより」

 

「ありがとうございました、お兄さん」

 

陰陽師は都へ、妖怪は森へと向けて歩みを進めた。

 

 

 

 鬱蒼と茂る森の中を一人の少女が歩いている。

青年と別れたひよりは、森の中を只管歩き回っていた。

 

「……池だ」

 

 歩き続けて見つけたのは小さな池だった。

池の水は澄んでいて、何匹か魚が泳いでいるのが分かる。

 

そこに、ひよりは自分の姿を映した。

 

……背中には、翼が生えたままだった。

 

「……うっ、うぅ……」

 

それを見て漸く理解する。

 

……夢では、無いのだ。

私は、もう都へ戻ることは出来ないのだ。

 

その事実が、ひよりの涙の流れを強めた。

 

 

森には少女の啜り泣く声だけが響き渡った。

 






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