ソードアート・オンライン──投剣── 作:kujiratowa
「無理だ、とてもじゃないが自信なんてない」
「全てを手伝ってほしい、って言ってるわけじゃないんだヨ。低層──そう、10層くらいまでに復活したボスの攻略を、一緒にお願いしたいんダ」
頼られることは、嫌なことではなかった。
今まで気ままなソロ暮らしをしていたので、こんな風にお願いされるなんてことは、NPCからのクエストくらいでしかなかった。
だから、感情表現が簡単に出来てしまうこの世界で、一生懸命に身振り手振りを交えて話すアルゴの言葉に、心が動かないわけではなかった。
だけど。
蛮勇をもって、死に向かうことは遠慮したかった。
彼女の話を聞く限り、さっきのキリ坊がレベル16そこそこで突破したのが第3層。
ということは、今の俺のレベルでは、いいところ第3層が限界ということだ。
それ以上は、さらにレベルを上げる必要があるし、そもそも第1層に出てくるフィールド・モンスターとばかり戦っていた俺には、戦闘経験が少ないといっても過言ではない。
経験値という数値化されたものでは測れない、難敵への対応力というものは、最前線をひた走る攻略組に遠く及ばないはずだ。
…………そんな俺よりも、ボス戦に相応しい奴らは揃っているだろう。
掌におさまった転移結晶とやらを一度強く握り、そのままアルゴへと放り投げた。
「返す。力になれなくて、悪い」
「ん…………いいよ、ツブッチが持ってナ。何かの役に立てばオレっちも嬉シイ」
アルゴは受け取ると同時に、器用に手首を返す。
再び転移結晶は放物線を描き、俺の右手におさまった。
「無理言って悪かったヨ。それじゃあ、またナ」
「…………あぁ、また」
「────転移、≪デッセル≫」
結晶を掲げながらアルゴがどこかの地名らしきものを口にすると、転移が行われたエフェクトであろう青い煌めきを残して、もうそこには影も形もなかった。
麗らかな午後の陽ざしが、街角に立ち尽くした俺を射抜く。
とても暖かで、目を閉じれば昼寝でもできそうな気候とは裏腹に、俺は心底冷え切っていくような思いだった。
このアインクラッドの階層は、階層数と到達レベルに相関関係があるようで、レベル15もあれば、本当なら第15層まで行っても良いという世界らしい。
しかし、当然のことながら、デスゲームと化してしまっている現状では、その攻略方法が綱渡りであろうことは、想像に容易い。
ならば、安全に攻略するためには、第10層をクリアするのにレベル20以上は欲しい。
理詰めでいけば、間違っていることなんてないのに。
この世界で、死なずに戦うことの大切さは、全プレイヤー共通のはずなのに。
────それなのに、アルゴの誘い断った今、どうしてこんなにも悔しい思いを覚えているのだろう。
「………………強くなりたいな」
今よりも、もっと。
この転移結晶を受け取って、彼女に遅れず街の名前を唱えられるくらいに。
「強く、なりたい」
もう一度、口にする。
“攻略組の見た世界を見る”という目標の先が、定まった。
随分と出遅れた俺が、攻略組の一員になれるとは思えない。
でもせめて、この弱腰の気持ちを少しでも正して、誰かに頼られたときに、その頼みを笑って引き受けられるようになろう。
二、三度、屈伸をして、再び迷宮区へと真っ直ぐ伸びる道を走る。
第2層へ行こう、そこでまた別のモンスターと戦おう。
新しいスキルを得られるまで、レベルを上げよう。
パーティを組んでみよう、協力する戦い方を覚えよう。
強くなるために、できることをしよう。
道の先に見えた野良コボルドに向けて、投げナイフを放つ。
ソードスキル無しに放ったナイフが削り取ったのは、2割弱。
その一撃でこちらに気づいた武器なしコボに、次は≪シングルシュート≫でナイフを放つ。
鳩尾付近へと綺麗に決まり、コボルドがノックバックする。
相手のライフは、残り3割。
ナイフを2本取り出し、再びソードスキル無しに投げつける。
ノックバックにつき攻撃をかわすことのできなかったコボルドは、そのままポリゴン片へと姿を変えた。
足を止めず、そのままナイフ4本を回収し、再び迷宮区を目指す。
先へ進むことに、これまでのような迷いはなかった。
いくつかの、季節が過ぎた。
結論から言ウ。
ボスモンスターが復活していたのは、“1”と“4”のつく階層だっタ。
どうやらサクラの月1日──4月1日にかこつけた、エイプリルフールクエストだったみたいダ。
推測するに、復活したフロアボスのどこかに当たりがいル。
その当たりを倒すことができれば、晴れてクエストクリアになるんだろうナ。
残念ながら今年は全てのフロアを確認することができなかったけれど、次は色々なプレイヤーに声をかけてクリアを目指す予定ダ。
そのときは、ツブッチも
午前6時55分。
インスタントメッセージへと目をやりながら、ホワイトソース仕立てのオムライスを食べる。
幾分安上がりとなる朝食価格で食べられたのは、嬉しい誤算だった。
NPCの他にプレイヤーらしき影は見えない。
貸し切りにしているような気持ちになるも、たった一人で食事をするのは、寂しいものがあった。
しかし、フレンドの誘いを断って、ここまで来たのだから、それを言っても仕方がない。
オムライスを完食するのと時刻が午前6時ちょうどに変わったのは、ほとんど一緒だった。
レストランを出て、迷宮区へと続く街の出口へと向かう。
そこには何ら変わらない姿の槍持ちNPCが、以前と同じように両膝に手をついて、荒々しい呼吸を繰り返していた。
…………このNPCがここにいるということは、やはり少し出遅れているのかもしれない。
とはいえ、未だにクエストは完了していなそうだ。
「はぁっ、はぁっ…………おお、俺、見ちゃったんだよ! っはぁ、はっ……この先の、め、迷宮区でっ…………倒されたはずの≪イルファング・ザ・コボルドロード≫が復活してるのを……!!」
「どうしましたか」と声をかけると、懐かしい返事があった。
切迫した雰囲気なのに、口元に広がる笑みを隠しきれず、やや強めにクエスト受注の操作を行う。
クエスト『愚か者の行方』────ログが更新されたのを確認して、迷宮区へと続く道を走る。
途中、野良コボルドが見えた。
ホルダーから1本のナイフを手に取り、踏み込みながら≪アクト・マグナム≫を放つ。
手から離れる瞬間に爆発音のようなサウンドを響かせ、ナイフは距離50メートルを一瞬にして0にした。
──距離だけじゃなく、コボルドのHPも。
「……少しは、強くなれたのかもしれないな」
コボルドが倒れ伏した場所からナイフを拾い上げ、あのときは4本も投げなければならなかったことを、思い出す。
レベル65。
ナイフを手に、俺はこの場所まで戻ってきた。
極力戦闘を避け、迷宮区を走る。
マップを表示しなくても、進むべき道に問題はなかった。
≪軽業≫スキルで身に着けた≪姿勢制御≫のおかげで、狭い通路なら壁を蹴って走る動きも組み合わせることができ、通路の前と後ろを囲まれたから危機に瀕するといったこともなかった。
もちろん、第1層のモンスターから受けるダメージなんて微々たるものであることはわかっているが、だからといって手を抜いてこの緊張感を解きたいとは思わない。
上へ、上へと目指すうちに、だんだんと戦闘音が大きくなってくる。
あぁ、この剣戟は間違いない、プレイヤーとモンスターのソードスキルが打ち合い、凌ぎを削る音だ。
フロアボスの大扉、その手前最後の角を曲がった俺の視界には、コボルドの王と4人組のパーティがやや乱戦気味に相対している姿が飛び込んできた。
スピードを落とすことなく、ボス部屋へと走る。
部屋の奥で戦っている彼らは、それぞれ残りHPを4割程度保ちながら、次々とスイッチをかけながらボスと戦っていた。
ボスのHPゲージは、たった今切り込んだ曲刀の一撃によって弾けて、残り2本。
俄かにパーティが色めき立つ。
相変わらず顔も見えず声も出さないボスは、左手を背に、何かをジェネレートするような仕草を見せた。
あれは…………そうだ、確かあのときの斧。
パターンの変わるタイミングが前回よりも早いことに焦りつつ、システムウィンドウを開き、すぐに≪威嚇≫スキルを叩く。
「全員離れて防御姿勢を取れ!! 範囲攻撃が来るぞ!!」
部屋へと飛び込みながら、≪フォワードライブ≫で叫ぶ。
両手斧にカテゴライズされそうな巨大戦斧を左手一本で支え、大きく一薙ぎするフロアボス。
青色のエフェクトライトを帯びながら振り払われた軌跡が同心円状に拡大し、ボスを相手取っていた曲刀使いとその後ろに控えていた3人とをまとめて、弾き飛ばした。
何とか防御姿勢を取ることはできたようだが、ダメージはかなり大きい。
横たわるプレイヤー全てが、HPゲージを真紅に染めていた。
彼らをここで死なせるわけにはいかない、出し惜しみなんてしていられない。
「ボスの攻撃範囲に入らないよう下がれ! 戦線を俺が維持する!!」
死への恐怖から取り乱すことも多い死線の中で、それでも4人のプレイヤーは生き伸びようと俺の声に応えてくれた。
あとは、彼らが下がって回復できるまで、あいつを足止めするだけだ。
手数でボスを圧倒するために、ソードスキル無しに次々とナイフを放る。
右手の刀と左手の斧で防御をしようとするが、その間を潜り抜けて、いくつかのナイフがボスの体に傷をつけた。
4本目のナイフが右肩口を掠めながら通過したとき、ボスが片膝をついた。
麻痺毒が、しっかりと回った。
踵を返して、ボスと50メートルは距離を取った4人組のところへと駆け寄る。
「大丈夫か?」
「あ、あぁ、ありがとう……本当に、助かった」
パーティーリーダーらしき剣士が、呼びかけに答える。
間に合って良かった、という一言と共に、飴玉を一つずつ剣士たちに放る。
「結晶を加工した回復アイテムだ。口に含めばすぐにHPも回復する」
ポーションを取り出し、飲み始めていたプレイヤーもいたが、俺の説明に恐る恐る飴玉を口に含んだ。
HPゲージが赤から黄色、そして緑へと徐々に回復していくのがわかる。
これならもう、大丈夫だろう。
「どうだ、戦えそうか?」
「は、はい! まだやれます!!」
「それじゃあ、ここは頼む。俺はこの先に行くから」
はきはきと答えたのは、先ほどボスのHPゲージ2本目をを削りきった曲刀使いだった。
他のメンバーも彼の返事に頷く。
不安や焦りの色なんて見えない、良い表情だった。
「先、ですか?」
「あぁ。しっかりラストアタックまで決めて、このクエストを一緒に終わらせよう、ぜ!」
振り向きながら、ボスの足元に向けて全力で≪シングルシュート≫を放つ。
地面へ深々と刺さった投げナイフが、その貫通力の高さを物語っていた。
麻痺が解けたらしいボスは、こちらに走り寄ろうとしていたようだが、今の一撃に、再び足を止めた。
「あのっ、そんなに強いなら、一緒に戦ってくれても……!」
片手剣と盾を構えた女剣士が、語尾を強めながら喋りかけてくる。
他に誰もボスと戦うプレイヤーがいなければ、そうしていた。
しかし、恐らくは自分よりもレベルの低いプレイヤーたちの、自分たちを強化できるかもしれないラストアタックチャンスを奪ってしまう真似は避けたかった。
けど、わざわざここで、ラストアタックの有効性や、中間層の底上げの話をしている暇はない。
「悪い、他の層の助けになりたいんだ。だから、ここはあなたたちに任せたい────大丈夫、少しは戦力を削っておく」
ホルダーとは別の懐へと手を伸ばし、一本のピックを取り出す。
右手人差し指と中指に挟み込み、プレモーションを起こして、≪投剣≫ソードスキルを発動させる。
≪オーガスト・レイ≫と呼ぶそのソードスキルは、光の矢でも放つかの如く、コボルド王の戦斧へと突き刺さり、長い柄の部分と刃の部分を、断ち切った。
これでもう、戦斧は使えない。
「────あと一撃入れれば勝てるところまでダメージを与えることだってできる。でも、あなたたちだって、剣士だろう? だったら、経験値という数値に見合った経験を積むためにも、努力は惜しまない方が良い」
私情を随分と挟んだ物言いになってしまったが、それでも彼らが自分たちの剣を握り直したところから、少しでも気持ちが伝わったのだと悟る。
ならば、もう、ここから抜け出すべきだ。
「それじゃあ俺は行くよ。月並みだけど、応援してる。頑張れ」
「色々、ありがとうごいます。あのお名前は……」
「仲間内じゃ“ツブテ”って呼ばれているよ。それじゃあ……お先に!」
別れの挨拶を交わしながら走りだし、数秒としないうちにボスへと肉薄する。
刀を振り払われるよりも早く、ボスの後ろへと回り込み、スリップダメージを与える毒ナイフを背中へと突き刺す。
そのまま後ろを振り返らず、迷宮区を昇る螺旋階段へと駆けた。
剣戟の音が、遠ざかっていく。